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2012年11月26日 (月)

「蒙古合戦と鎌倉幕府の滅亡」


「東国の動乱史」第3巻。第1巻「平将門と東国武士団」は既読だが、第2巻がまだ出ていないので読むのを待とうかと思ったりもしたが、結局待てずに読んでしまう。

対象となる時代は鎌倉時代の後半、宝治合戦から幕府滅亡まで。つまり北条氏が執権として幕府の実権を掌握していた時代、ということになるのだがもちろんその間にも紆余曲折があった。

幕府成立からほぼ半世紀の1247年、北条氏は執権として幕政を主宰していたが形式の上ではなお御家人の第一人者というに過ぎず、有力御家人の合議制という建て前はまだ保たれていたのだが、その中で当時最有力であった三浦氏の嫡流を滅ぼして北条氏嫡流(得宗家)の覇権が確立したのが宝治合戦だった。この合戦の主要な戦闘は鎌倉で展開したがその余波は各地に及んでいて、その結果家督が庶流に移ったりした御家人が少なくない。ただ、この時代では後世と違って「御家断絶」ということは滅多になく、嫡流が罪を得ればその所領の多くは庶流に譲られ、家督が継承される例が多かった。三浦氏の場合も嫡流は滅んだが家督は庶流に渡って継続している。もっとも、これまでのような影響力はもはや行使できなくなっている。

宝治合戦により、北条氏はこれまでのような「御家人中の第一人者」から別格の「執権家」に脱皮した。というより、北条氏と並び称される可能性を持った御家人が姿を消した以上、必然的に別格になってしまったと言うべきか。いずれにせよ、「執権」は北条氏嫡流得宗家の家職として確立した。それを如実に示すのは、北条時頼の病気に際して執権職を傍流の北条長時に譲ったことであろう。これまで執権職は北条氏嫡流が独占してきたが初めて傍流から執権に就く人物が出た。これは嫡流の力が衰えたのではなくむしろ逆で、仮に一時傍流に預けておくにしてもいずれ必ず嫡流に取り戻せるという確信があったからだろう。実質的に得宗家の権力が確立したいま、執権職は形式に過ぎない。時政・義時・泰時といった鎌倉時代初期の執権たちにとってはまさにその「執権」の地位にあること自体に意味があったが、もはやそんな配慮は不要になった。

さて幕府内部の権力の在処についてはひとまずおいて、幕府という機関がどのように日本国内の統治機構として浸透していったかという過程を考えると、そこには大きくふたつの契機がある。承久の乱と蒙古合戦である。
もともと幕府は日本全体の統治を目的として形成されたのではない。むしろ京都の朝廷に対して東国を中心とした武士たちが自分たちの所領に対する権益を保護することが当初の目的だったと言えるのではないだろうか。あえてわかりやすい表現を用いるなら、東国武士団による自治組織と考えることができる。源頼朝が義経追討を名目として荘園に対して地頭を設置したのが幕府成立の大きな契機であるが、このときには全ての武士が「御家人」であるわけではなかった。幕府の支配は東国を中心とした御家人と御家人領にだけしか及んでおらず、これ以外の人々と領地については幕府の管轄外と考えられていたのである。この考え方自体は承久の乱でもそれほど変わっていないが、西国に多かった非御家人の多くが乱によって没落し、領地が東国武士に譲られた結果、それまで東国に偏っていた幕府管轄地が全国的に展開することになる。あわせて、幕府は六波羅探題を置いて朝廷の政治に直接介入することを始める。

蒙古合戦では、侵略への対処という観点から武装組織である幕府が第一義に対応したという側面はあるのだが、見方を変えれば国外からの何らかの働きかけ(侵略というのもひとつの働きかけだ)に対してどこが日本を代表して対応したか、という点で蒙古に対しては幕府が前面に立って対処したという事実が重要だ。現代でも外国使節に対応するのは国家元首の仕事と決まっている。まず外交段階でも朝廷は幕府に対応を丸投げしている。幕府はこの国難に対応するため、御家人領以外のいわゆる本所に対しても兵力の提供を命じている。日本全体の危機に対して御家人以外も負担するのは当然だが、問題はそれを指揮しているのが幕府だということだ。ここで幕府は「御家人の自治政府」であることをやめて「日本全体の統治主体」に変質した。

問題は任務の変質に対して機構がついていけてないことで、本来「御家人の利益代表」でしかない幕府首脳にとって「日本の国益」は考慮の外だった。当時猛威をふるった「悪党」の跳梁に対して、非御家人である悪党に対して幕府の統制は効かない。近隣の御家人に討伐を命じるにしても、当時の御家人の所領は荘園や郷村といった比較的小さな所領が各地に散らばっているというのが普通で、荘園はおろか国をもまたいで活動する悪党に各御家人が対処するのは無理があった。結局、悪党あるいは国人と呼ばれたこの階層を統制するためには、室町幕府によっても達成できず戦国時代を経て織豊政権と江戸幕府による全国支配を待たなければならなかった。

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2012年11月21日 (水)

立つ鳥後を濁せず

鳩山が民主党の公認を拒否して次の選挙に出ないことになったとか。

個人的には、一度落とざれてみるのが本人のためじゃないかと思ったりするのだが、出ないというならお好きなように、というだけだ。

民主党が掲げたマニフェストに対して、鳩山は自らの信念に反するとして受け入れず、結果として公認を得られないことで出馬をとりやめたということだが、考えてみれば民主党が次に掲げるマニフェストは3年あまり政権を担当したその総括として出てきたものであろう。
3年前、鳩山は民主党代表として総選挙を戦って政権を得たわけだが、当時のマニフェストは基本的に「鳩山の信念」と合致していたはずだ。3年間現実に政権を担当してみて出てきた今度のマニフェストと「鳩山の信念」が合致しないということはつまり、当時の「鳩山の信念」がいかに現実から乖離していたかを如実に表している。そしてその「鳩山の信念」は今も基本的には変わっていないらしい。

結局、この男は今にいたるも自分がどうして失敗したのか理解してないんじゃないのかなあ。本人は「幸せな人生だった」と言ってたが、こんな輩を一年足らずとはいえトップに抱えていた国は不幸だよなあ。

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2012年11月19日 (月)

海のこっち側でも

太平洋を隔てた海の向こうの国と東シナ海を隔てた海の向こうの国で選挙が一段落したかと思ったら、海のこっち側でも選挙が始まろうとしている。
NFLシーズンの最中ということは変わってないんだが、海の向こうの選挙に比べてどうしても興味が湧かないのはなんでだろう。こっちのほうが三十一に与える影響は大きいはずなんだが、「面白い」と思えないからかな。

政党が10何個か林立しているらしいけど、最近出てきた政党は覚えられないし覚える気もない。どうせ何ヶ月か何年かで消えるなり名前が変わるなりするに決まってる。

先日、本屋で「20代と60代で年金格差が何千万」とかいうアオリ文句をうたっている本を見たのだけれど、今の時点で世代間の格差を問題視するのは不毛としか思えない。人口構成などの構造が違うんだから比較しても意味がなくて、問題にしなければいけないのは現在20代の連中が60代70代になったときに彼らの生活をどう担保するかだ。今後、若年人口が劇的に増える見込みはない。どうしても若い世代に負担してもらうしかないのだ。その見返りとして彼らがリタイアした後でも生活を担保できるという制度設計がなければいけない。老後の不安が取り除かれるなら若いうちから老後の備えをする必要がなくなる。出生率も上がるかもしれない。結局、高負担高福祉にならざるを得ない。人口構成がそれ以外の選択を許さないのだ。
景気がよくなって右肩上がりの成長が続くのであればこんな心配はいらないのだろうが、三十一はもはやこれまでのような「成長」はあり得ないと思っている。際限なく資源を消費するというこれまでのやり方は持続できないからだ。どうしてもそれを追求するなら資源調達と消費を行なう人類の活動圏を拡張するしかない。つまり地球の外に出ていくということになる。

であるから、「景気回復」とか「減税」を公約としている党とか候補者があったとすると、少なくとも三十一の支持は諦めてもらおう。その公約は三十一にとって「銅を金に変えます」というのと同等のリアリティしかない。

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2012年11月17日 (土)

あとちょっとだけ続きます

もう一度だけお付き合い願いたい。海の向こうの選挙のことである。

中央軍事委員会の顔ぶれが出そろった。
主席と副主席については既報だが、それらも含めて改めてまとめておこう。

主席:習近平 1953年生 59歳 党総書記/国家副主席(次期主席)
副主席:范長竜 1947年生 65歳 人民解放軍上将(2008年)、済南軍区司令員
副主席:許其亮 1950年生 62歳 人民解放軍空軍上将(2007年)、空軍司令員
委員:常万全 1949年生 63歳 人民解放軍上将(2007年)、総装備部部長(次期国防部長?)
委員:房峰輝 1951年生 61歳 人民解放軍上将(2010年)、北京軍区司令員(次期総参謀長?)
委員:張陽 1951年生 61歳 人民解放軍上将(2010年)、広州軍区政治委員(次期総政治部主任?)
委員:趙克石 1947年生 65歳 人民解放軍上将(2010年)、南京軍区司令員(次期総後勤部部長?)
委員:張又侠 1950年生 62歳 人民解放軍上将(2011年)、瀋陽軍区司令員(次期総装備部部長?)
委員:呉勝利 1945年生 67歳 人民解放軍海軍上将(2007年)、海軍司令員
委員:馬暁天 1949年生 63歳 人民解放軍空軍上将(2009年)、副総参謀長(次期空軍司令員?)
委員:魏鳳和 1954年生 58歳 人民解放軍中将、副総参謀長(次期第二砲兵司令員?)

現職はさまざまだが、これまでの経歴と名簿の序列から今後の補職はだいたい見当がつく。ちなみに現在の国防部4総部3軍種の顔ぶれは、

国防部長:梁光烈 1940年生 72歳 人民解放軍上将 (2002年)
総参謀長:陳炳徳 1941年生 71歳 人民解放軍上将 (2002年)
総政治部主任:李継耐 1942年生 70歳 人民解放軍上将 (2000年)
総後勤部部長:廖錫竜 1940年生 72歳  人民解放軍上将 (2000年)
総装備部部長:常万全 1949年生 63歳 人民解放軍上将 (2007年)
海軍司令員:呉勝利 1945年生 67歳 人民解放軍海軍上将 (2007年)
空軍司令員:許其亮 1950年生 62歳 人民解放軍空軍上将 (2007年)
第二砲兵司令員:靖志遠 1944年生 68歳 人民解放軍上将 (2004年)

中央政治局と比べてこっちはかなり若返った印象がある。

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2012年11月16日 (金)

今日のところは見逃しておいてやらあ

海のこっち側でも選挙が事実上始まったが、その前に海の向こうの選挙について補足。

前の記事
胡錦濤路線が内部では否定的に評価されたのかもしれない。
と書いたけど、ひょっとしたら胡錦濤は派閥争いが激化しすぎるのを防ぐために、年功最優先で昇格人事を決めたのかなあと思い始めた。比較的若い世代が中心の"団派"は、次(5年後)にまだチャンスがある。今回しかチャンスがないような60代半ば世代を優先したとも考えられる。
1926年生まれの江沢民は5年後には91歳になる。生きているかどうかもわからないし、生きていたとしてもかなり衰えているはずだ。その時 75歳の胡錦濤は、江沢民をさしおいて今度こそ自分の影響力を発揮できるだろうと見込んだのではなかろうか。

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2012年11月15日 (木)

予想屋だったら失業

外した外した

まさかこんなに外れるとは。何人か当たった顔ぶれもあるが、気分としては正解ゼロみたいな感覚だ。

実際の顔ぶれを見ての印象は、「"団派"の完敗、"上海幇"の躍進」である。

まず顔ぶれを見てみよう。
1. 習近平 1953年生 59歳 国家副主席 (新・総書記 中央軍委主席、次期国家主席)
2. 李克強 1955年生 57歳 国務院筆頭副総理 (次期総理)
3. 張徳江 1946年生 66歳 国務院副総理・重慶市党書記
4. 兪正声 1945年生 67歳 上海市党書記
5. 劉雲山 1947年生 65歳 党中央宣伝部長 (新・中央書記処筆頭書記)
6. 王岐山 1948年生 64歳 国務院副総理 (新・中央紀律検査委員会書記)
7. 張高麗 1946年生 66歳 天津市党書記

驚いたのは、李源潮 (1950年生 62歳 中央組織部長)、汪洋 (1955年生 57歳 広東省党書記)、劉延東 (女性 1945年生 67歳 国務院国務委員) といった共産主義青年団出身者 ("団派") がまったく昇進しなかったこと。前総書記の胡錦濤と、次期総理の李克強はいずれも共産主義青年団(共青団)出身で、長く共青団第一書記を務めた胡耀邦の系譜につながる。若いうちから共産主義をたたきこまれた共青団出身者はエリート候補生で、少なくともひとりかふたりは昇進するものだと予想していただけにまったく意外だった。
王岐山はもともと経済畑ではっきりした色はついていないが、それ以外の昇進者4人(張徳江、兪正声、劉雲山、張高麗)はいずれも江沢民に近いとされており、本院(江沢民)が新院(胡錦濤)を圧倒した形になった。多少の軽重は見られるにしても、胡錦濤系の"団派"、江沢民系の"上海幇"、習近平に代表される"太子党"のバランスを考慮した組み合わせになると思っていたのだが、ここまではっきり勝敗が出てしまうとはさすがに考えていなかった。表向きにはなっていないけれど、胡錦濤路線が内部では否定的に評価されたのかもしれない。近年明らかになってきた矛盾は、江沢民時代も含めた改革開放時期の間に蓄積したものだが、胡錦濤がその責任を負わされる形になったのだろう。

もともと、1992年に50歳だった胡錦濤を抜擢して政治局常務委員入りさせ、江沢民の後継に位置づけたのは江沢民自身ではなく鄧小平だった。胡錦濤と江沢民の関係がそれほど悪かったとも思えないが、押しつけられた後継者である胡錦濤に対して江沢民が複雑な感情を抱いたとしても不思議はない。

さて新しく中国の指導部になった7人の役割分担を考えてみる。
習近平は党と軍のトップに正式に就任した。李克強は、来年春の温家宝総理退任の後を襲って政府のトップになることが確定している。常務委員の名簿順はそのまま序列順で、第三位と第四位にあげられている張徳江と兪正声がそれぞれ全国人民代表大会常務委員会委員長(国会議長)と、全国政治協商会議主席(イメージとしては参議院議長に近い)に就任することになるだろう。劉雲山は中央書記処書記の序列第一位であり党の日常工作を担当する。王岐山は上記の通りもともと経済畑出身なので党務よりは政務が向いているだろうから引き続き国務院副総理か。張高麗は党中央紀律検査委員会の代表である書記に選出された(11/21訂正:中紀検委書記は王岐山でした)。思想指導の要であるイデオロギー担当は劉雲山か張高麗の兼任ということになるのかな(張高麗がイデオロギー担当か)。

中国共産党では、事実上 68歳が定年とされているので、習近平と李克強を除く昇進組は全員一期(5年)しかつとめられない。5年後の19期大会では、トップふたりを残して残りのメンバーはまたも全員入れ替わりとなる。胡錦濤は「世代交代が達成された」と大会を総括したそうだが、実際の顔ぶれを見ると年齢順送りの印象が強く、世代交代が大きく進んだとは言い難い。

常務委員を含めた中央政治局委員は25名。この名簿は画数順で機械的に並べたものでこの中には序列はない。+ 印は昇進組である。
- 習近平 (常務委員)
+ 馬凱   1946年生 66歳 国務院秘書長
- 王岐山 (常務委員)
+ 王濾寧 1955年生 57歳 前・中央書記処書記
- 劉雲山 (常務委員)
- 劉延東 1945年生 62歳 女性、国務院国務委員
+ 劉奇葆 1953年生 59歳 四川省党書記
+ 許其亮 1950年生 62歳 人民解放軍上将、空軍司令官、中央軍委副主席
+ 孫春蘭 1950年生 62歳 女性、福建省党書記
+ 孫政才 1963年生 49歳 吉林省党書記
- 李克強 (常務委員)
+ 李建国 1946年生 66歳 全人大秘書長
- 李源潮 1950年生 62歳 党中央組織部長
- 汪洋   1955年生 57歳 広東省党書記
+ 張春賢 1953年生 59歳 新彊ウイグル自治区党書記
- 張高麗 (常務委員)
- 張徳江 (常務委員)
+ 范長竜 1947年生 65歳 人民解放軍上将、済南軍区司令官、中央軍委副主席
+ 孟建柱 1947年生 65歳 国務院公安部長
+ 趙楽際 1957年生 55歳 陜西省党書記
+ 胡春華 1963年生 49歳 内モンゴル自治区党書記
- 兪正声 (常務委員)
+ 栗戦書 1950年生 62歳 貴州省党書記
+ 郭金竜 1947年生 65歳 北京市長
+ 韓正   1954年生 58歳 上海市長

1960年代生まれの胡春華、孫政才は、習近平らに続く第六世代の指導者候補として考えられている。趙楽際、韓正あたりは李源潮や汪洋に並ぶ次期19期での常務委員候補になるだろう。
前の記事で常務委員候補に挙げた令計画は、中央委員には残ったが中央書記処からは名前が落ち、中央政治局には入れなかった。9月に党中央統一戦線部長に就任しているから失脚したというわけではないだろうけど、一歩出遅れた感はある。

もうひとつの注目人事は中央軍事委員会だ。江沢民が党の総書記に就任してからもしばらくの間、鄧小平は中央軍事委員会主席の地位を手放さなかった。江沢民から胡錦濤への代替わりに際しても、中央軍委主席を譲ったのは総書記交代からおよそ2年後のことだった。今回も、胡錦濤が中央軍事委員会主席に残る可能性が考えられたが、胡錦濤は総書記とあわせて中央軍事委員会主席も習近平に譲った。自らの院政を否定することで、江沢民による院政を抑えようとしたのかもしれない。副主席には軍人の許其亮と范長竜が任命された。彼らはそれぞれ空軍司令官、済南軍区司令官という指揮官職にあるが、そう遠くないうちに指揮官職を譲って軍事委員会に専念することになるだろう。ヒラの軍事委員会委員の名前はまだ出てきていないが、おそらく8名で国防部長、総参謀長、総政治部主任、総後勤部部長、総装備部部長、海軍司令官、空軍司令官、第二砲兵司令官(戦略ミサイル部隊)を兼ねるはずだ。逆に言えば、委員の顔ぶれから近い将来これらのポストにつくであろう面々が予測できることになる。

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まずは海の向こうの選挙から

今日、というか日付でいうと既に昨日だが、中国共産党の第18期党大会が閉幕して205名の中央委員が選出された。この中から明日(いや今日か)総書記、中央政治局委員、中央政治局常務委員会委員が選ばれる。

第18期中央委員名簿(中国語)
第18期中央委員候補名簿(中国語)
第18期中央紀律検査委員名簿(中国語)

中央委員の顔ぶれを見ると、先日の記事で三十一が「引退は確実」とした人物はすべて引退した。その一方で、「引退確実」としなかった人物は全員含まれている。

つまり、この名簿を頼りに先日の記事以上の推測をするのは無理だということだ。

伝えられているニュースでは、政治局常務委員はこれまでの9人から7人に絞られるだろうと言われている。また胡錦濤は中央軍事委員会主席としても残らず、率先して完全引退することで江沢民などの長老の影響力を排除することを狙っているとも言う。

まあ明日のお楽しみだ。

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2012年11月12日 (月)

引いて分ける

今日は月曜日。

日本の月曜の昼はアメリカの日曜夜になるので、昼休みにスマホで試合の結果を確認するのが習慣になっている。何年か前まではビデオを見るまで結果を知りたくなかったのだが、最近はそんな気を使わなくなってしまった。そもそも昼に確認しても夜まで覚えてられないし。だったら昼間確認する意味がないじゃないか。

www.nfl.com

トップページからはそれぞれの試合のファイナルスコアだけが表示されているそれを見ながら「ああ、こっちが勝ったのか順当だね」とか「おお、勝っちゃったよ/負けちゃったよ」とか考えるのだが、ある試合の結果のところで「え?」となった。

St.Louis at San Francisco だけど、24 - 24 に見えるんだけどなあ。引き分け?

NFL の試合は 15分クオーターで通常は 60分。60分で終わらなければ 15分の延長戦に入る。しかし実際には 15分まるまる戦うことはまずない。なぜなら延長戦では最初に得点したほうが勝つサドンデス方式になっているからだ。ここ 2・3年はもうちょっと細かいルールが追加されてるけどここでは説明しない。興味ある人はとうに知ってるだろうし、興味ない人は知りたくないだろうから。

一番最近に引き分けがあったのは 4年前の 2008年11月16日なのだそうだ。
当時話題になったので、細かい日付はともかく引き分けがあったことは覚えている。当時 イーグルスの QB だった Donovan McNabb が、決着がつくまでやると勘違いしていて 15分でゲームが終わってしまって呆然とした、というので話題になったものだ。

ここに一覧があるが、最近10年で引き分けは3回、40年間で18回。あんまり見ないから、引き分けが勝率にどう反映されるのか忘れちゃったよ。

順位表を見てみると San Francisco は 6勝2敗1分で勝率 .722。 St.Louis は 3勝5敗1分で勝率 .389。計算してみると引き分けは 0.5勝の扱いになるらしい。勝率という観点では、負けるよりは引き分けのほうが有利ということになるのだがアメリカ人は決着がつかないのはどうも気にいらないらしく、"nobody particularly likes a tie." - 引き分けが好きなヤツなんかいない - と公式サイトでも言われている。必ずしも決着をつけるのをよしとしない某国の風土とはだいぶ違う。

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遠かったり近かったり

メガネを新調しました。

たぶん2・3年前くらいから「魔法先生ネギま!」単行本で小さい活字のセリフがなんか読みづらいなあと思い始めてはいたが、ある日メガネを外したら読めることに気づいて愕然とした。これが話に聞く老眼というやつか。

それからしばらくの間はネギまの小活字や、時刻表なんかの細かい文字を読むときだけメガネを外す、というやり方でしのいでいたのだが、ここ半年くらいは本を読むときにはメガネをかけていられなくなり、さらに最近数か月は会社で PC を見るときには(というのはほぼ全ての時間ということだが)メガネを外すようになった。結局、外を歩いたり会社でトイレに立つときを除くとほとんどメガネなしで過ごしているのである。面倒くさいのでトイレに行くときはメガネを外したままだったりして。

さすがにそろそろ不便になってきたので、遠近両用のメガネを作ることにして、それが今日できてきたので雨のなかわざわざ出かけていったのである。慣れるまでは少しかかるかもしれない。

それより、メガネを合わせるために店で鏡をのぞいていて、週末だからって無精ひげを伸ばした状態の自分はずいぶん怪しい風体だなあと思ったよ。白髪交じりの髪を黒く染めるような往生際の悪いことはしたくないので、いっそのこと潔く白く染めてしまうのがいいのかな。

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2012年11月 9日 (金)

18大が始まった。

中国共産党大会が8日から始まった。
どうせ初日は総書記による政治報告が主で、肝心の中央委員選出はこれから、そして最も注目される政治局常務委員の顔ぶれが確定するのは党大会閉幕翌日に開かれるのが通例の第一次中央委員会全体会議になる。今の予定だと15日くらいだ。

三十一はいつものごとく録画した NFL の消化に忙しかったが、たぶんマスコミが何かコメントするだろうと思っていったん NFL を中断して真夜中の NHK のニュースを見てみた。「上海幇」「団派」「太子党」による戦力争いという、お定まりの説明を繰り返していただけだったが、面白かったのは画面下部を流れていた視聴者のツイートに「選出過程がわかりにくい」とあったこと。

中央政治局委員および常務委員、さらに中央委員会総書記は約200名からなる中央委員の互選で、中央委員は全国から代表が集まった党大会で選出される。少なくとも形式上手続きは明確である。もちろん、その顔ぶれはすでに決まっており選挙は形式を整えるための出来レースであって、その顔ぶれを決める過程はまったく藪の中だというのは確かに事実だ。だけどね、同じ東アジアのどこかの国だって、総理大臣が国民のあずかり知らないところで決まったりしないかい。

こういうある種の不透明さは、政治の世界では多かれ少なかれあることだ。中国を必要以上に特殊に見て「とうてい理解できない」と思考停止に陥っているようでは、結局は適切な対応策がとれずに相手の術中にはまるだけであろう。前にも言ったとおり「相手の気持ちになって考える」ことが必要だ。

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2012年11月 5日 (月)

安全を科学的に判定する

先日のこと、何のニュースだかはっきり覚えていないのだがテレビで「安全かどうか科学者にはっきり判定してほしい」とコメンテーターがのたまっていた。

三十一は反射的に「無茶ゆーな」とツッコミを入れてしまった。

リスクの大きさや確率を算出することは科学者にできるだろう。だが、そのリスクが許容できる(安全)かそれとも許容できない(危険)かを決めるのは人間の心理だ。つきつめれば「安全」は主観的なものであり、客観的な「安全」などはあり得ない。あるとするなら、多くの人間が同意する最大公約数的な「安全」くらいだろう。多数の合意を形成していくのは科学じゃなくて政治の仕事だよ。科学に押しつけるな。

こういうふうに判断を丸投げする輩にかぎって、あとで文句言うんだよなあ、三十一の経験では。

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2012年11月 2日 (金)

まずは形から

最近、というのは NFL のシーズン中ということだが、三十一の自宅のテレビはフットボール専用のモニターと化しておりほとんどニュースの類も見られていない。見るのは NHK BS で試合の合間に夾まれるニュースのヘッドラインくらいだ。

それでも漏れ聞こえてくるニュースから、政府と国会の仕事が何も進んでいないことが伝わってくる。赤字国債の発行そのものに三十一は賛成ではないが、財源の手当がつかないおかげで地方交付税が交付されずに困った自治体が借入でまかなっているという。元金分はいずれ交付されるにしても利息は自治体の負担になるとか。それは本来国が補填するべきだろう。

小沢一郎が目指した二大政党制のなれの果てがこの有様だ。当の小沢は鶏口になりたくて二大政党から飛び出していったが。

考えたのだが、二大政党制は政党間に政策や支持層に差があって初めて機能するんではなかろうか。アメリカの民主党と共和党は明確に基盤支持層が違っていて、選挙では中間層をいかにひきつけるかが勝負になる。しかし日本ではともに保守ということで立ち位置に大きな違いがない。選挙のときに「マニフェスト」として相手との違いを際だたせようとするのは、「マニフェスト」のベースとなるべき理念に違いがないからだ。特に民主党は、旧社会党組から自民党離党組までの寄り合い所帯が本質で、党員の立場は自民党から見てさらに左から自民党の位置を通り越してもっと右側まで広がっている。結局、民主党のアイデンティティは「マニフェスト」しかないわけで、だからあれほど「マニフェスト」に固執するのだろう。

アメリカのような「大きな政府をめざす民主党と、小さな政府をめざす共和党」、あるいはヨーロッパ諸国のような「保守のキリスト教民主同盟と、革新の社会民主党」といった、それぞれが目指すものを基軸にした二大政党制、もしくはそれに中間小政党がからんだ連立制でなければ政治が進むはずもない。
日本のように形だけ整えたとりあえず政党ふたつ作ってみましたというだけでは政策で争いようがないので結局は政局で動いてしまうことになる。なんでもまず形から入る日本人らしいなあ。

そう遠くない将来に選挙があるはずだが、そのときには形としての「マニフェスト」ではなくそれぞれの政党が「目指すもの」を見せてほしいと思う。まあ無理だろうけど。

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2012年10月の打ち上げ

10月は8件。アメリカ2件、中国2件、フランス1件、ロシア3件。

4日 12:10:00GMT ケープカナベラル、デルタIV (USA 239 GPS 2F-3 Navstar 67)
8日 10:35:07GMT ケープカナベラル、ファルコン9 (SpaceX  CRS1, Orbcomm-2 F1)
12日 18:15:01GMT クールー、ソユーズ (Galileo IOV 3, Galileo IOV 4)
14日 03:25:05GMT 太原、長征2C (資源 Shijian SJ-9A, 資源 Shijian SJ-9B)
14日 08:37:00GMT バイコヌール、プロトン (Intelsat 23)
23日 10:51:11GMT バイコヌール、ソユーズ (Soyuz TMA-06M)
25日 15:33:04GMT 西昌、長征3C (北斗 Beidou G-6)
31日 07:41:19GMT バイコヌール、ソユーズ (Progress M-17M)

ハイライトは、日本のニュースでもとりあげていた SpaceX の打ち上げ。Orbital Science と並んで SpaceX の開発も着々と進んでいるようだ。日本ではようやく打ち上げを民間に移譲し始めたところだけれど、デザインから製造、打ち上げから運用までをすべて民間出資でこなしてしまう(政府の有形無形のバックアップがあるにしろ)アメリカの経験の深さは羨ましいかぎりだ。

Orbital Launch Chronology

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