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2012年12月 5日 (水)

「南北朝内乱と東国」


この巻での収録範囲は鎌倉幕府の滅亡から室町幕府の成立・南北朝内乱を経て両朝合一まで。この間、北朝方と南朝方に分かれて繰り広げられてきた抗争がやがて北朝優位に傾くと今度は北朝内部において尊氏方と直義方に分裂して抗争を始めた。

教科書的な歴史では、南北朝内乱は天皇家内部の分裂、足利将軍家内部の分裂、天皇と将軍家の抗争、将軍家と鎌倉公方の抗争、といった政権上層の対立構造がもっぱら語られる。しかし現実には、これらの上層を支える立場にある各地土着の御家人層(室町時代になると「御家人」という呼び方はされなくなるが)があるいは自分の所領を守るために、あるいは所領を拡大する(=ひとの所領を奪う)ために、そのときどきで自らの権益を保障してくれる保護者をもとめた結果、南朝方だったり北朝方だったり尊氏方だったり直義方だったりに与して戦うことになった。
つまり、戦乱を継続させた構造はむしろ下部にあって、本来それを抑止すべき立場にある上層はそれを利用して勢力の拡大をはかった。同じ南朝方あるいは北朝方であったとしても指揮する側と実際に兵力を提供する側はそれぞれの思惑を持って戦う同床異夢だ。

半世紀にわたる内乱を経て、尊氏方が主導する北朝に覇権は収斂した。
内乱が収束したのは、ひとつには上層構造の分裂が修復されたという側面と、もうひとつは各地の土着勢力が闘争による所領の奪い合いから、「一揆」と称されるある種の共同体を形成することで武力紛争を回避するようになってきたという側面が相互作用した結果だ。この過程がさらに進むと、共同体を基礎にした一円支配による領国経営が発展していく。

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