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2013年1月10日 (木)

「覇王と革命」


この本が対象としているのは 1915年から1928年までの中国。

と言って、いったいどういう時代だったかイメージできる人は多くないだろう。1912年に清朝が滅んで帝政が廃止され、中華民国が成立してから3年。当時中国の実権を握っていた袁世凱は自ら皇帝になろうとした。ところがこれに反発する西南地方を中心とする軍閥は独立を宣言、中央政府との武力紛争が起こる。これをきっかけに中国は三国志を地でいく様な群雄割拠の時代に入る。
各軍閥は首領の出身地から安徽系、直隷系、奉天系などと呼ばれ「安直戦争」(安徽vs直隷)、「第一次・第二次奉直戦争」(奉天vs直隷)と戦乱が続いた。安徽系、直隷系、奉天系は主に北京中央政府の覇権をめぐって争った軍閥だが、その他に地方で割拠する軍閥も多い。西北王と呼ばれた馮玉祥、江南をおさえた孫伝芳、山西地方を固守する閻錫山、広西を統一した陸栄廷、さらに広東で自治をめざす陳炯明といった面々がそれである。

さて広東で「中華合衆国」の「広東州」をめざす陳炯明のところに寄寓する人物がいた。辛亥革命で北京の朝廷に対抗する中華民国の設立を宣言し、臨時大総統に就任した孫文である。孫文は帝政廃止とひきかえに臨時大総統の職を袁世凱に譲ったが、やがて袁政権打倒を目指して蜂起したものの鎮圧され一時日本に亡命していた。北京から最も遠く半ば独立していた広東の陳炯明のところに身を寄せた孫文は、広東の安定を目指す陳炯明はそっちのけで政権奪取のための革命運動に狂奔した。やがて陳炯明は庇を貸して母屋をとられる羽目に陥って広東を孫文率いる国民党に奪われ、広東から出撃した国民党軍は馮玉祥などと同盟して北京の奉天軍閥政府を打倒、中国を統一した。この北伐行で国民党の実権を握ったのが蒋介石だ。

奉天軍閥の首領・張作霖は北京を放棄して本拠地の奉天に帰る途中で関東軍の河本大佐によって爆殺された。もともと日本が張作霖を支援していたのは日本が特殊権益をもつ満州の安定を望んでいたからで、奉天軍閥が中央政局に介入することを好ましく思っていなかった。中央政局に手を出した結果、ごたごたが満州にまで波及することを怖れていたのである。案の定、張作霖は中央での勢力争いに敗れて満州に撤退しようとしたところを日本に見捨てられたのである。しかしこの挙は逆に張作霖の長男で奉天軍閥の後継者である張学良を国民党側に追いやることになった。張学良が国民党政府の支配下に入ったところで著者は筆を擱いている。

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