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2013年3月11日 (月)

「ゼロリスク」と民主主義は両立し得ない

2年が過ぎた。

復興を早く進めようという総論に異論を唱える人はいない。
だが各論になると話はそう簡単ではない。実際に自分が負担やリスクを負う立場に置かれればなおさらだ。典型的なのが瓦礫や除染のための中間貯蔵施設で、必要性は認めながらも自宅の近くにもってこようと言うと激しい反対に遭う。火葬場やゴミ焼却場と同じだ。これまで原発を福島や新潟に押しつけておきながら瓦礫や汚染土を受け入れるのは拒否するというのはあまりに都合が良すぎる。だがこういう考え方は少数派のようだ。「子供がいないから言えることだ」と言われると反論ができないのだが。

ただ、このままずるずると復興が延びていくと、その結果生じるコストは結局自分たちに跳ね返ってくるのではないかという危機感を持っている。できるだけ早く「復興モード」を脱して自立してもらうためには、早く、大量に資源を投入すべきだろう。そのほうが最終的なコストは小さくなるに違いない。しかし日本では too little, too late な施策しかできていない。「被災者のことを考えて」というお題目はあるのだが、すべての被災者にとって都合のいい施策はあり得ない。民主的にやろうとするとどうしても時間がかかる。それとスピードをどう両立させるかが問題だ。こういう状況になると「独裁が必要」とか言い出す輩が現れる。南米やアフリカだったらクーデターを起こされかねない。強権に頼らず復興を進めることができるか、日本の民主主義が試されている。

すべての人にとって都合のいい解決策は存在しないのと同様に、まったくリスクのない解決策も存在しない。あの震災で「ゼロリスク」はあり得ないと学んだはずなのに、なおも「ゼロリスク」を求めるのは、本当の意味での学習能力がないということだ。現在被災地に山積しているリスクをわずかでも引き受けることを拒否していては、結局いつまで経ってもリスクは残り続ける。広くリスクを分散することで事実上無視できる程度までリスクを低減するという発想が必要だろう。

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