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2013年4月26日 (金)

「護衛空母入門」


この著者は「○○入門」というタイトルの本を何冊もまるでシリーズのように出している。三十一はテーマによって読んだり読まなかったり、まあ読まないほうが多いんだけど。実際に読み始めるとほぼ一日で読み終えてしまった。ちなみに三十一が読書に費やす「一日」というのは通勤電車の一往復のことで、合計して二時間ちょっとくらい。

読み始めてしばらくしたころ、「これはひょっとして雑誌か何かの連載ものを再構成したのかな」と思って巻末の初出を見てみたのだが、書き下ろしだそうだ。読んでいて同じような話が何度も繰り返し出てくるので、回が変わるごとに説明しなおしているのかと思ったのだが、そういうわけでもないらしい。こうなるとこれは構成力の問題になるよなあ。

Amazon の書評でも同じようなことが書かれているのだが、説明がくどいことがあるかと思えばその一方で見方が一面的なこともあり、意外に読みづらい。それでいてわずか一日で読み終えてしまったのは、三十一にとってあまり新しい内容がなかったので読み飛ばしてしまったせいだ。

けっこう厳しいことを書いているが、類書が少ないという意味では貴重だろう。ただそれでも、過去の「世界の艦船」とか今はなき「シーパワー」とかを丹念に読んでいれば自然と頭に入っている内容だ。CAMシップとか MACシップの話も昔なにかの雑誌で読んだ記憶がある。

ひとつ、これは明らかにおかしいと思ったのは、アメリカ海軍がボフォース40ミリ機関砲の弾頭に近接信管を使用していた、という記述。これはいわゆる VT信管のことだと思うが、40ミリ機関砲に VT信管を使ったとは聞いたことがないし、発射速度の大きい機関砲の弾丸にいちいち近接信管を使うとは考えられない。改めて確認してみたところ、近接信管を使っていたのは3インチ砲や5インチといった「高角砲」の砲弾で、40ミリ機関砲で使用できるサイズの近接信管が開発されていたという記録は見あたらない。

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2013年4月22日 (月)

限りある資源を大切にしよう

なんと5年ぶりくらいに次のページを更新した。

資料-米統合参謀本部幹部表

この間に統合参謀本部 (US Joint Chiefs of Staff, JCS) の構成員は全員入れ替わっていて、当時 (2008年) には海軍だった統合参謀本部議長は陸軍の順番になっている。
それはある程度予想されたことではあるのだが、驚いたのは統合参謀本部の正式メンバーがさらにもう1名増えていたこと。2012年から Chief of National Guard Bureau (CNGB) - 「州兵総監」とでも訳するべきか - が正式メンバーに含まれることになった。現在は陸軍大将 Frank J. Grass がその地位にある。

三十一が物心ついたころ、統合参謀本部の正式メンバーは次の4名だった。
・統合参謀本部議長 (Chairman of the Joint Chiefs of Staff)
・陸軍参謀総長 (Chief of Staff of the United States Army)
・海軍作戦部長 (Chief of Naval Operations)
・空軍参謀総長 (Chief of Staff of the United States Air Force)

それが 1987年2月に統合参謀本部副議長 (Vice Chairman of the Joint Chiefs of Staff) が新設され、さらに同年7月に海兵隊総司令官 (Commandant of the Marine Corps) がメンバーに加えられて6名になった。ちなみに海兵隊から初めて統合参謀本部議長が出たのは 2005年のことだ。そして 2012年に州兵総監が追加されて7名となる。

知っている人は知っていることだが、アメリカの各州は陸軍と空軍を持っている(海軍と海兵隊は連邦軍のみ)。有事には連邦軍の指揮下に入って出動することもある。実際、交代でイラクやアフガニスタンに出動しているのだ。2001年のテロ以来、10年以上にわたってアメリカは有事体勢が続いており、いつまで続くかわからない状況にあって、貴重な軍事資産である州兵部隊をより効率的に活用したいという思惑の現れが、この州兵総監を統合参謀本部に参列させるという施策だろう。

ところで昔、何かの本で「国家防衛隊」という表現を見てこれは一体なんのことだろうと悩んだことがあるのだが、どうやら National Guard (州兵)のことらしいとわかり途端にその本の内容全体がうさんくさくなってしまった。

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2013年4月15日 (月)

「若き将軍の朝鮮戦争」


白善燁(って表示されてるかな。最後の文字は「火」扁に「華」)は朝鮮戦争での韓国軍を代表する将軍。匹敵するのは丁一権くらいかな。知る人ぞ知る有名人だが、1920年生まれというから朝鮮戦争勃発当時30才そこそこでしかないが、すでに大佐で第一師団長だった。30才で師団長というのは陸上自衛隊や大戦期の日本軍ではとても考えられないが、そもそも韓国軍自体が建設されてから3年くらいしか経っていなかったので、高級指揮官と言ってもみんな若かった。事情は北側も似たようなものだっただろう。当時、金日成は38才。

半年くらい前に朝鮮戦争をアメリカ側から見た本を紹介した。その中で三十一は

本来当事者であるべき現地の北朝鮮軍と韓国軍についてはあまり触れられていない。特に韓国軍はほとんど出てこないし、たまに出てきたとしてもまったく評価されていない。まるでアメリカ軍と中国軍だけが戦争をしているかのようだ。

と書いているが、こちらではさすがに韓国軍の視点から書かれていて、むしろアメリカ軍のほうが添え物のようだ。アメリカ軍に比べて韓国軍に弱点が多かったのは事実だが、建国3年目の軍隊にアメリカ軍と同じ要求をするのは酷だろう。部隊そのものの訓練も不十分だったし、指揮官も経験が不足しており、重火器も欠如していた。そういう条件を考えるならば、韓国軍部隊は充分善戦したと言えるだろう。しかし相手にしてみればそんな情状を酌量してやる義理はないわけで、攻勢の際にはしばしば韓国軍戦線が狙われた。こうした試練を経て世界でも有数の精強さを誇る現在の韓国軍があるのだろう。

さてこの本を読んで改めて感じたのは、近現代の戦闘では砲兵火力が重要だということである。これはかつて日露戦争の本を読んだときにも同じように感じたことだ。もちろん戦場において終局の勝敗を決するのが歩兵であることは間違いない。しかし砲兵火力の優劣が歩兵の勝敗に大きく関係することは事実が証明している。まさに「砲兵は戦場の女王」だ。

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2013年4月10日 (水)

2 -> 2 -> 3 -> 1 これなーに。

われらが桜興産の専務が交代した。

防衛次官に西正典氏 (時事ドットコム)

桜興産の社長と副社長は親会社からの天下りで、社内生え抜きのトップは専務になる。
生え抜きと言っても、防衛事務次官は代々大蔵省または警察庁出身者が多くつとめてきた。しかし最近は防衛庁採用者が次官になる例が増えてきた。防衛省への昇格から数えて今回の西次官は5代目になるが、うち4人が防衛庁出身で、大蔵省出身は中江次官(2009-2012)だけである。もちろん西次官も防衛庁出身(1978年入庁)だ。
初めて防衛庁出身の事務次官が出たのは昭和も終わろうとする1988年の西広整輝次官だが、以後14代の次官のうち防衛庁出身は8人、大蔵省出身が5人、そして警察庁出身が1人。警察出身の次官は依田智治次官(1990-1991)が最後で、内務省・警察庁系を防衛庁プロパーで置き換えるような形となっている。

次官交代は4月1日付。後任の防衛政策局長は運用企画局長、人事教育局長、経理装備局長を歴任してきた徳地秀士。次の次官の最有力候補か。

さて年度末は部隊改編の季節でもある。
陸自では、西部方面隊隷下の第3教育団が西部方面混成団に改編された。これで5個方面隊にひとつずつ方面混成団が編制され、「教育団」がなくなった。また中央即応集団の司令部が朝霞から座間に移り、これまで「朝霞駐屯地の分屯地」だった座間が駐屯地に昇格、中央即応集団司令部幕僚長が駐屯地司令を兼ねることになり、座間駐屯地業務隊が新編された。一昨年度末に空自航空総隊司令部が米空軍の拠点である横田基地に移転したのに続き、昨年度末には米第1軍団前方司令部の位置する座間へのこの移転で、なんらかの意図を読み取ろうとする報道が多かったが、いずれ座間に移転することは以前から言われていたことである。

空自では、航空支援集団隷下だった航空救難団が航空総隊隷下に編入された。もともと航空救難団では戦時救難を任務としていたはずだが、直接戦闘に従事しないとみなされる航空支援集団から、正面戦闘を任務とする航空総隊に配属替えされたということはつまり、より実戦的な救難つまり戦闘下での救難を重視しようという現れだろう。

海自では、艦艇の就役と除籍にともなう配置換えがあったが、部隊レベルでの大きな改編はなかった。その中で大きなトピックと言えば、開発が完了した P-1 対潜哨戒機の部隊配備が始まったことだろう。3月29日に第一陣が厚木基地に配備されたが、まず機体をうけとるのは実戦部隊である第4航空群ではなく、実用試験を担当する航空集団直轄の第51航空隊であり、実際の戦力化は2年後をめどとしている。

P-1 はこれまでの P-3C を置き換えるものだが、P-3 の後継機が P-4 ではなく P-1 になったのは、P-1 が初めての国産対潜哨戒機だからである。だいたい自衛隊で使っている航空機には命名基準があってないようなもので、海外からの輸入機は現地の呼称をそのまま使っている。だから P-3C は米軍の呼称なのだ。米海軍では P-3C の後継は P-8 となる。
TBM のハンターキラーチームや、S-2 トラッカーと言った神代の昔はおいておいて、海上自衛隊の大型固定翼対潜哨戒機は P2V -> P-2J -> P-3C -> P-1 と受け継がれていくことになるが、この系譜が自衛隊における航空機呼称の無秩序さを如実に示している。
もともと米軍でも海軍と陸軍・空軍系で航空機の命名方式に違いがあった。現在では統一されて、かつての陸軍・空軍式に近い形式になっている。ここで言えば P2V が海軍式、P-3C は統一後の陸軍・空軍式、P-1 は日本式で、P-2J は米軍式と日本式の折衷となっている。門外漢にはさっぱりわけがわからないだろう。さらにひどいのはボーイング767をベースに改造した早期警戒機と空中給油機だ。商品名と米軍式命名基準の折衷でそれぞれ E-767 あるいは KC-767 と呼ばれている。
米軍では輸入装備でも米軍基準にしたがって番号をつけている (T-45など)。まあそれもアメリカだからできることだが。日本にはアメリカの命名した呼称を無視して独自の名称をつけるほどの度胸はないのだろう。

ついでにいうと、海自の艦番号の付け方もルールらしきものはあるのだが実際には行き当たりばったりだ。たとえば潜水艦は 500 番台をつけることになっているのだが、501 に始まってクラスが変わるごとに飛んでいき、511 -> 521, 522, 523, 524 と来てなぜか一気に 561 にまで飛び、以後はクラスに関わりなく続けて 600 まで進んだところで 501 に戻り現在は 505 まで来ている。大型護衛艦も 100 番台をつけているが、複数のタイプを並行して建造している場合に 10 の桁で区別するようなことをしているうちにつけられる番号がなくなって、また最初に戻る羽目になった。いまさら変えようもないことだが、どうにかならなかったもんかなあ。

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2013年4月 1日 (月)

2013年3月の打ち上げ

先月も少なかった。4件。

1日 15:10GMT ケープカナベラル/ファルコン9 (Dragon CRS)
19日 21:21GMT ケープカナベラル/アトラス5 (SBIRS GEO 2)
26日 19:06GMT バイコヌール/プロトン (Satmex 8)
28日 20:43GMT バイコヌール/ソユーズFG (Soyuz TMA-08M) - 有人

おまけに打ち上げサイトがケープカナベラルとバイコヌールだけで、これだけ見ると50年前に戻ったみたいだ。打ち上げロケットはそれなりに置き換わっているが。

先月のハイライトは、SpaceX の Dragon 打ち上げと、ISS 34 次クルーになる Soyuz TMA-08M の打ち上げ。その一方で、Orbital Sciences の Antares ロケットの打ち上げは4月に延びた。

Orbital Launch Chronology

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