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2013年6月28日 (金)

「日本文学史 古代・中世編一」


ちょっと前に本屋でみかけて気にはしていたけど、結局買っちゃった本。
この手の本を読むのは実は初めてで、歴史は好きだが文化史は避けて通ってきた三十一にとってはちょっとしたチャレンジだ。著者が日本的なしがらみから比較的自由な外国人(三十一なんかよりよほど日本文学には詳しいはずだけど)ということで、かえってわかりやすくまとまっているんじゃないかという期待もあった。

古代・中世編は文庫版では全4巻でまず一冊目を読み終えたわけだが、その中の半分ほどが「万葉集」で占められている。ちゃんとした日本人には「万葉集」の名は常識だろうが、ほとんどの人は国語(たまに社会)の教科書で読むくらいで、きちんと読んだことのある人はそれほど多くないだろう。珍しいことに三十一もこの点に関しては多数派なのであります。万葉集を「ますらをぶり」と評して古今集の「たをやめぶり」と対比して見せたのは賀茂真淵だけど、どちらかというと技巧重視の「古今集」に対して感情を率直に語った(それだけ洗練に欠けていたということでもあるが)「万葉集」は近世から近代にかけて評判が高い。「海ゆかば」などが戦前から戦中にもてはやされた反動で戦後は少しなりを潜めた時期もあったが、気の短い現代人は中世のまわりくどい巧緻さよりもかえって古代の直接的な表現を好むのだろうか。実のところ、こういった傾向(古代の素朴→中世の技巧→近世の復古)は中国大陸での漢詩における嗜好の移り変わりと似ている。

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2013年6月24日 (月)

「アレクサンドロス大王」


けっこう前に読み終えた本だけど、著者が女性だというのを今知りました。

アレクサンドロス大王は世界史上の大有名人で、ギリシャとマケドニアがともに「自分たちの祖先だ」と争っている。現代から2300年前の人物に対する関係性をまじめに争うのも不毛だし、そもそもその間にはビザンチンやトルコによる支配という断絶をはさんでいるから、ギリシャにしてもマケドニアにしても直接の関係はもう無いと言っていいだろう。

この中で著者は最近のアレクサンドロス大王研究の傾向として「ミニマリズム」を指摘する。
「ミニマリズム」とは、歴史上の人物の行動の動機をあまり大きくとらず、必要最小限にかぎって考えるもので、実はこれは単にアレクサンドロス大王研究だけではなく、近年の歴史研究の一般的傾向と言ってもいいだろう。
たとえばアレクサンドロス大王やナポレオン、ジンギスカンや織田信長のような大きな業績(征服)を成し遂げた人物が、あたかも最初からこうした結果を求めて事業に着手した、と考えるのが古典的な歴史認識だった。しかし近年では、そのときどきの状況に応じて都度選択してきた結果の積み重ねが、最終的に大きな成果を生んだと考え、都度の選択の過程を研究・評価する手法がアカデミックな歴史研究では一般的になっている。
言い換えれば、最終的な結果と当初の動機を切り離して考えるということになり、よく考えれば当然のことでしかないのだが、かつてはこういった把握の仕方ができていなかった。アカデミズムの要請から自由なポピュリズムの世界においては、まだこのような「織田信長は天下統一をめざして桶狭間に出陣した」的な捉え方が幅を利かしているけど、それは結果から動機を求めるもので本末転倒だよ。

しかしこの「本末転倒」は歴史認識だけでなくいろんなところにはびこっている。

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2013年6月17日 (月)

「英連邦」


昔、会社の先輩で「イギリスは古いものをずっと変えないから嫌い」という人がいたけれど、実は三十一はわりとイギリスが好きなのである。すくなくとも興味はある。そのきっかけはというと、やはり海軍という組織を語る場合にイギリス海軍をおいては語れないという現実があって、いやでもいろいろと調べているうちにその奥深さ(わけわからなさとも言う)にはまっていった。

イギリス連邦はもともと、カナダやオーストラリアなどの元英領の自治領がイギリス国王を共通の元首として戴く共同体だった。その頃の構成国はカナダ・オーストラリア・ニュージーランド・南アフリカ・アイルランドといった白人主流のコミュニティーの集まりだった。いわばイギリス出身者の県人会みたいなものだった。ところが第二次大戦が終わると、インドやアフリカ諸国、中南米諸国などの非白人国家が次々と独立する一方でイギリス連邦に加入してきた。いまやイギリス連邦は54カ国、数的には非白人国家が主流をしめるようになった。この間、インドはイギリス国王を元首に戴くことをやめて独自の大統領をもつ共和国となったが、イギリス連邦には残った。こうなるともはやイギリス連邦とは何か、という説明自体が難しい。近年はモザンビークやルワンダのようにかつて英領だったこともない国が加盟している。

本国イギリスがかつてに比べてはっきりと軸足をヨーロッパに移しており、イギリス連邦との関係は弱まる傾向にある。それでもイギリス連邦は、文化やスポーツ、教育システムといった基盤を共有する国々の集まりとして一定の存在感を示し続けている。著者が指摘しているのは、ヨーロッパやアフリカと言った地域的な集合でもなく、また特定の民族に依存するわけでもない、多様な地域や民族から成り立った集合体は、ある意味国際社会の縮図である。いまやイギリス連邦の唯一無二の共通基盤は、イギリス式民主主義の伝統であろう。

日本から見た時に考えさせられるのは、かつて日本が植民地にしたり「進出」したりしてきた東アジア諸国から日本はいまだに非難され続けているのに対し、数世紀にわたって植民地としてきた旧英領地域が独立したときに、かつての宗主国との関係の継続を求めて相次いでイギリス連邦に加盟を求めてきたという違いだ。このイギリスのしたたかさはもっと見習うべきだ。

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2013年6月10日 (月)

千曲川旅情

日曜日、今日は東京に帰らなくてはいけない。次の日もあるので早めに帰りたい。
ただし、長野から東京に戻るのに普通に新幹線に乗って帰るなんて芸のないことを三十一がするわけがない(よほど調子が悪かったりしたら別だけど)。このとき具体的に検討されたルートはふたつ。ひとつは篠ノ井線で松本に出、中央線の特急で新宿に至るというもの。このルートでは篠ノ井線(これもはるか昔に乗車したけど記憶がさだかでない路線のひとつ)で「日本三大車窓」のひとつを目撃して、昨日に引き続き日本でも数少なくなったスイッチバック駅の姨捨駅を通ることができる。また松本ではアルピコ交通を往復してくることも可能だろう。
そしてもうひとつは、飯山線に乗車して越後川口に出、あとは適当な上越新幹線駅から東京に戻るというもの。こちらのルートでは、未乗車の非電化路線である飯山線を踏破できる。また、その後の展開によっては上越線(新幹線ではなく在来の上越線)にある程度乗車できることが期待できる。三十一は上越新幹線には何度か乗っているが、在来線の上越線にはほとんど乗っていない。幹線ではあるのだが特急はほぼ全滅、特に山越えとなる水上-越後湯沢間では旅客列車自体が極端に少ない。意外に乗りにくい路線で、三十一にとってひとつの課題になっていた。

検討の結果、ひとまず選ばれたのは篠ノ井線ルートだった。飯山線のほうは列車の時間帯が悪く、終点まで乗りとおそうとするならば6時前の列車に乗るか、さもなくば10時過ぎまで待つしかない。篠ノ井線ならば、8時前くらいの列車に乗れば松本でアルピコ交通を一往復しても昼過ぎの新宿行き特急に乗れるだろう。そこまで決めて、さあ寝るかとベットにもぐりこんで電気を消したそのあとで、これまで考慮に入れていなかったある事実を思い出した。

「北陸新幹線は飯山を経由するんだった。」

北陸新幹線が開業したら、飯山の様相は少し変わってしまうかもしれない。経営分離のような大きな動きはないにしても、影響がまったくないとは考えられない。だとしたら、その前に現状を見ておかなくちゃいけないんじゃないか。というわけで、これまでの検討は全部吹き飛んで、多少時間帯は悪くても飯山線に乗ることが(電気の消されたホテルの一室のベッドの中で)最終的に決定されたのだった。

さて日曜の朝。もちろん6時前の列車に乗れるとは最初から思っていなかったので、少しゆっくり目に起き出す。時間があったら長野電鉄を終点まで往復してきたかったのだが、意外と時間がかかるようなので今回は断念する。今回は、主要目的の長野-直江津乗車のほかに副次目標として長野県内の私鉄制覇(長野電鉄、アルピコ交通。上田交通は乗車済み)を考えていたのだが、次の機会に持ち越しとなった。

ホテルをチェックアウト。朝食付きだったがスクランブルエッグがなかったのが残念だった。ゆっくり出てもまだ時間があるので駅でお茶を飲んで時間をつぶす。少し早めにホームに向かうが、こういうときに限って目的の列車が入線してくるのが直前になる。やってきたのはキハ110の2両編成。JR東日本の非電化路線ではおなじみだ。

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早めに出たからと安心してホームのベンチに座ってのんびり待っていたら、進行方向右側の千曲川が見える席に座れなくなってしまった。豊野までは昨日と同じ信越線を行く。この区間では信越線の補完機能も負っているらしく、途中の三才や豊野でもけっこう降りる乗客がいた。豊野を出ると、信越本線が左に分かれて飯山線に入る。ここからしばらくは千曲川が作る比較的平坦な盆地を行く。千曲川の河道の向こうには相変わらず北陸新幹線の高架橋が見えている。昨日通って来た信越本線と比較して、「こっちのほうが川沿いで勾配も少ないだろうし、複線化したり軌道強化して優等列車を走らせるのに向いてたんじゃないかなあ」などと思い始めたちょうどそのころ、線路は思った以上に急な勾配にさしかかった。線路脇の勾配標を見てみると20パーミルはくだらないらしい。これじゃあ、昨日の信越本線に比べて明らかに有利とはいえないなあ。千曲川そのものは相変わらず悠々となだらかに流れているんだが、河道ぎりぎりまで尾根が張り出していて、そこを超える必要があったようだ。尾根を削って川沿いに線路を敷き、勾配をおさえることもできないわけではないと思ったが、建設当時はすでに信越本線が開業して30年経過しており、そこまでする必要を感じなかったのだろう。結局、開業した時点から飯山線は主役になれない役回りだったということかな。

風景は典型的な日本の農村。豪雪地帯らしく瓦屋根が少なくトタン屋根が目立つのが特徴といえば特徴か。並行して流れる千曲川は下っているのだが、河谷はだんだん幅が狭くなってきて左右の山が近づいてくる。右手に見えていた新幹線も山の陰になったのかトンネルに入ったのかいつのまにか見えなくなっていた。その新幹線が再び見えるようになって、飯山の町が近づいてきたことを知る。千曲川の反対側を走っていたはずの新幹線がこちら側に渡ってきて、三十一が乗っている列車が走っている線路と交わるあたりが飯山駅になるのだろう。古い街道の拠点らしく飯山の市街地はわりと建物が建て込んでいる。その町並みを切り裂くようにして巨大な高架橋が横切っていく。ここでも新幹線側の駅の躯体は高架橋とあわせて出来上がっているが、現在の飯山線の飯山駅は交差地点を少し過ぎたところに所在している。この駅も新幹線開業に合わせて移転するんだろう。

飯山駅ではそこそこ乗客が降りていったが、右側の席が空く気配がない。顔ぶれを見ているとどうも最後まで乗りとおしそうだ。あきらめて、ちょうど空いた運転席直後の席に移ることにする。長野から1時間ちょっとで戸狩野沢温泉駅に到着。これまでは車掌が乗務していたがここからはワンマンになり、2両編成のうち後部車両が切り離されて単行列車になる。線路は相変わらずアップダウンを繰り返す。ときどきトンネルが顔を出すようになってきて、県境の山がちな地形が目立ってきた。長野県最北の駅である森宮野原は日本でも有数の豪雪地帯で、ホームには「最大積雪7メートル85センチ」を示すポールが立っている。ところで三十一は長らくこの駅名を「もりみや・のはら」と読んでいたのだが比較的最近になって「もり・みやのはら」と区切るのが正しい読み方であると知ってちょっとびっくりしたものだ。「森」と「宮野原」というふたつの地名を合わせた駅名だそうな。この駅を出るとすぐ新潟県に入ったはずなのだが、境界がよくわからなかった。越後田沢と越後水沢の間で線路は初めて千曲川をわたり、川を左に見るようになった。右手奥に雪の残る山が見えるが、あれは谷川連峰かな。左側に地下から線路が飛び出したかと思うとそのまま高架に駆け上っていく。ほくほく線の線路だ。十日町に到着、この列車はいったん終点となる。

十日町での接続は一時間弱。東口と西口と、両方に出口があるが景観はまったく違う。明らかに西口が古い町並みで、東口はほくほく線の開通にあわせて新設されたものだろう。ほくほく線自体は以前金沢に行ったときに特急を利用したので乗車済みだ。しかしこのほくほく線も、北陸新幹線開業後は苦しい状況に追い込まれることになる。現在、東京から富山や金沢などに向かう場合は越後湯沢でほくほく線を経由する特急に乗り換えるのが最速だが、北陸新幹線が開業するとその旅客はすべて移ってしまうだろう。現在ほくほく線は第三セクターでは珍しく単年度で黒字を計上しているが、利益の大半は特急で得ている。この収入がほぼ失われると考えざるを得ない。もともと沿線人口もそれほど多くないので、純粋に経済的観点から見ると存続すら危うい。この路線も新幹線開業前に一度乗っておいたほうがいいかもしれない。
ここから東京方面に向かう旅客は、ほくほく線を使って越後湯沢に出るのが早い。実際、そういう旅客も見られた。しかし三十一は飯山線を最後まで乗りとおすのが第一の目的なのでそうするわけにはいかず、越後川口行の列車を待つしかない。乗り込んだ列車はまたもキハ110の単行。ひょっとしたら同じ車両だったかもしれない。次が終点越後川口になる内ヶ巻駅で輪行の団体が乗り込んできた。なんだろう、この人たちは。あと一駅なんだから越後川口まで自転車でそのまま行けばいいのに、なんでわざわざ列車本数の多くない飯山線に一駅区間だけ乗るんだろう。合理的じゃないよなあ。と、相当に非合理的な鉄道利用をしている三十一は自分を棚に上げて思うのでありました。

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飯山線の終点、越後川口駅は山中の小駅。所属している上越線自体は複線電化、かつての特急街道で線路設備は文句のつけようがないくらい立派なものだが、そこにおもちゃのような小ぢんまりとした駅がとってつけられたように置かれている。ここから三十一は越後湯沢まで上越線で行って、そこから新幹線で東京まで戻ることにした。上越線のうち、越後川口から終点方向の長岡方はすでに乗車済みだ。只見線に乗車したときに利用した列車で小出から長岡まで乗車している。逆に言うと、これまで乗車済みの上越線の区間はこの区間と、かつてほくほく線特急を利用したときに経由した越後湯沢-六日町間だけなのである。まずは新潟県側で歯抜けになった未乗車区間、六日町-小出間を埋めようという魂胆だ。
実は、これから乗ろうとしている列車は数少ない山越えをする普通列車、水上行きなのである。しかし今回三十一は終着まで行かず、山越えする前の越後湯沢までしか乗らないことに決めた。なぜか。
上越線で山越えをしていったん群馬県側に出てしまうと、高崎まで上越新幹線に乗り換えることができないのである。越後湯沢と高崎の間にある上越新幹線の駅は上毛高原だけ。この駅は独立した駅で上越線との乗り換えはできない。水上からさらに上越線の列車を乗り継いでいくと、高崎にたどりつくのが5時近くになってしまう。それでは帰宅が遅くなりすぎる。無理をせず、今回は越後湯沢以北を埋めることで満足して次の機会を待つことにしたのだ。長野電鉄とかアルピコ交通とか「次の機会」を待っている路線が多いような気がするけど、気にしない。無理をしても続かないし。

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やがてやってきた水上行き電車はこれまた115系。今回、東京を出てから東京に帰るまで、新幹線を除くと電車はすべて115系だったということになる。ついでに言うと気動車はすべてキハ110でした。もう少しバリエーションがほしかった。車内は比較的混んでいた。ロングシートの片隅にどうにか座ることができた。小出から先は初乗車になるんだが、このあたりの石打や塩沢あたりにはかつて車でスキーに来たこともあるのでそれほど新鮮味はない。浦佐ではハイカーの一団が乗り込んできて車内は一気に騒々しくなった。うるさいし汗臭いし集団の圧力が鬱陶しいのでさっさと降りていってくれないかと思ったがなかなか降りる気配がない。もれ聞こえてくる会話の中に「京成」という単語が聞こえたが、こいつら東京モンか? だがちょっと待てよ。この団体は浦佐から乗ってきたよね。東京に戻るなら、浦佐からそのまま上越新幹線に乗ればいいことだが、わざわざいったん上越線に乗って越後湯沢あたりまで行ってから新幹線に乗り換えるのは不合理だ。そんな変なことをするのは、新幹線ではなく在来線に乗ること自体が目的の変人(つまり三十一だ)でなければ、時刻表の読み方も知らない阿呆が計画を立てたくらいしか思いつかない。越後湯沢が近づくと、くだんの団体は降り支度を始めた。まさかとは思ったが本当に越後湯沢で降りるらしい。改札前でたむろしていた団体の脇をすり抜けていったん改札を出、券売機で新幹線の特急券を手に入れる。さて発車まで少し時間があるけど、と思ってあたりを見渡すと例の団体の面々がみどりの窓口に並んでいるのが見えた。本当に阿呆でしたか。

本日の旅程:
長野 (1016) → 十日町 (1237) 131D (キハ110)
十日町 (1329) → 越後川口 (1355) 187D (キハ110)
越後川口 (1410) → 越後湯沢 (1504) 1738M (115系)
越後湯沢 (1547) → 上野 (1658) 8366C (E4系)

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越後ときめかない鉄道

JR東日本の「週末パス」はけっこう使い手のある商品だと思うのだが、使用開始前日までしか販売していないのは何故だろう。三十一はだいたい出立を思いつくのが直前のことが多く、当日の朝ということも珍しくない。でも当日朝だともう「週末パス」は買えないのだ。旅行する場合はある程度事前に計画するのが一般的ということを認めるのにやぶさかではないが、当日思い立って旅行するような旅客をわざわざ排除するような商品設計は理解できない。ちなみに三十一の場合、大まかなパターンをいくつか事前に用意しておいて、当日の気分や天気などに応じて適宜選択して、微調整しながら実行するのが常である。

今回の場合、週末に出かけること自体はわりと前から(といっても水曜くらいかな)に決めていた。この週末は他に予定(や当番)が入っていなかったのと、この時期は日が長く夕方も7時くらいまで明るいのででかけるには最適だと考えたからだ。普通の旅行ならそんなに重要な要素にはならないだろうが、三十一の旅行ではけっこう重要な要素になる。基本的に初めて乗車する路線は日があるうちに(つまり景色が見えるうちに)乗ることにしているからだ。それでもぎりぎりになるまで切符や宿の手配はしない。後戻りできなくなっちゃうからね。三十一は何によらず将来を拘束されるのが大嫌いなのである。今回はやむをえず前日金曜の夜、会社帰りに「週末パス」を買った。これで(行き先がどこであれ)出かけることが確定。

先月の武豊線もそうなのだが、最近は「うしろが決まっている」未乗車路線を優先的に処理することを考えている。未電化の武豊線を、電化が完成する前に乗車したのでひとつはクリア。そしてもうひとつ残っていたのは、2014年度末に北陸新幹線が開業するとJRから分離されて第三セクターに移管される路線のうち、まだ乗車していない信越本線の長野-直江津間である。このほかに北陸本線の金沢-直江津間も移管されることが決まっているが、こちらは何度か乗っている。問題の長野-直江津間は長野県と新潟県の県境になるが、うち長野県側は既存の「しなの鉄道」が運営する予定だ。新潟県側は新設の「越後トキメキ鉄道」が運営する。しかしこの区間は全体として一体に運営される見込みで、乗客にとってはそれほど大きな変更にはならないだろう。それでも今のうちに乗っておきたかった。

東京から長野に行くのに一番簡単なのは北陸新幹線(長野新幹線)を使うことだ。在来線である信越本線は横軽が分断されてしまったので、鉄道を使うのであれば北陸新幹線を使うしかない。しかし今回の三十一は終点の長野までは行かず、軽井沢で新幹線を降りることにした。新幹線ではなく、「しなの鉄道」で長野に向かう。
実は三十一はこの区間をかつての信越本線時代に乗車したことがある。あるはずなのだが、小学生時代でほとんど記憶がない。当時「子ども会」でスキー合宿をすることになり、学校が終わってから信越本線の急行列車で長野まで行き、さらにバスに乗り換えて野沢温泉に行ったことがある。おそらく「信州」か「妙高」で169系だったことは今考えれば確実なのだが、そのころはもちろんそんなことを知る由もなかった。夕方出て夜中に到着したので景色も見えなかったし、現在の三十一の基準では「乗車」したうちに入らないだろう。
実はこういう三十一にとって「乗ったはず」という路線がいくつかある。中には「乗っていてもおかしくないが定かではない」というのもある。例えば阪急の宝塚線とか、伊豆急線とか、東金線などがこのカテゴリーに分類される。信越本線のこの区間もそのひとつだ。ただし、小諸-長野間はその後中学生の時に再乗車している。

写真は現駅舎ではなく、その隣で保存されている旧駅舎。
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鉄ちゃんのために一枚くらいは車両の写真を載せておかなくてはなるまい。
「しな鉄」の115系電車。
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浮かれた観光客でにぎわう軽井沢を「しなの鉄道」の115系電車であとにする。複線電化のかつての特急街道だけあって線路はしっかりしている。しかし115系電車はそれほど飛ばさない。このあたりは学生時代から20代にかけて車では何度も来ているが、鉄道に乗るのは実質的に初めてだ。適当に田舎でいい感じだなあ。左側から小海線が合流すると小諸。ここでいったん乗り換える。乗り換えた列車も115系だが。車内は地元民と思しき乗客で意外に混んでいる。西上田では貨物用の側線が見られたが残念ながら車両は目撃できなかった。しかし坂城ではすぐ隣の線路に石油タンク車が停車していてじっくり眺めることができた。先頭のカマ(機関車)はEH200でした。EF64を期待していたのだが。

長野に到着。今夜の宿は長野にとってあるので、余裕があれば荷物を預けていきたかったのだが時間がなくそのまま乗り換え。またまた115系。進行方向右側に席をとる。妙高山系は左側になるのだが、天気がそれほどよくなくかすんで見えない。北長野の貨物駅と車両基地を右に見て進む。211系電車が大量に留置されているのは、廃車待ちかな。ここだけでは足りないのか、途中駅の側線にも留置されているのを見た。右側かなり離れて北陸新幹線とおぼしき高架橋が並行しながら延々と続いている。土木工事はほぼ完成していると聞いていたがそれを実感した。開業したらもちろん(ほとぼりが冷めてから)乗ってみたいとは思っているが、在来線にいろんな影響が出るかと思うと複雑な心境である。

北長野を出ると単線になる。三才で対向列車と行き違い、豊野で飯山線を分岐する。線路の方向はあたかも信越本線のほうが直進する飯山線から分岐するかのように左に曲がっていく。しかし実際には信越本線の開業は明治21(1888)年、飯山線(当時は飯山鉄道)の開業は大正10(1921)年で信越本線のほうが30年以上古いのだ。鉄道開業前の長野と新潟方面の交通は千曲川沿いの飯山街道が主流だったそうだが、その事情がわかるようだ。信越本線開業当時に飯山街道沿いに鉄道を敷設しなかったのは、建設資材を陸揚げする直江津港と最短で接続する必要があったためらしい。飯山線とわかれると長野盆地を離れて勾配を登りにかかる。はっきりと速度が落ちてモーター音が高くなる。右手に野尻湖があるはずなのだが、山の向こうらしく見えやしない。線路は川に並行して高度を上げていく。頂点で県境になるのが妙高高原駅だ。この駅にはかつて車できた記憶がある。妙高山系を二泊三日でアタックした帰りに寄ったのだ。もっとも三十一はみんなが妙高山に登っていたあいだベースキャンプで飯を作っていたのだが。その妙高山も靄に隠れて見えない。ここから日本海に向かって今度は下りにかかる。関山駅はかつてスイッチバック駅だったが、現在は保線車両の留置線にわずかに痕跡を残すのみだ。しかし次の二本木駅は今では珍しくなった完全なスイッチバック駅だ。右手下方に線路が見えたかと思うと、すれ違う対向列車が停車しているのが見えた。三十一が乗っている電車が本線を左に外れたところにある駅に停車すると、まもなく対向列車が同じようにホームの反対側に入ってきた。客扱いを終え、まず対向列車が出ていくと今度は三十一が乗った電車が逆方向に走り出し、さきほど対向列車が停車していた線路に入っていく。そしておもむろに本線に出て直江津方面に向かう。まるで鉄道模型のジオラマのようだ。しかし二本木駅自体は勾配区間の終端に近いところに位置しているらしく、まもなく田んぼの広がる平野部に出た。山中を走っている間は隠れていた新幹線の高架橋がまたまた姿を見せるようになり、信越本線を乗り越えて右手から左手に出たところに脇野田駅がある。この駅は新幹線が開業すると接続駅になるはずで、実際新幹線側には駅の構造ができあがっているが脇野田駅自体は古色蒼然たるおもむきで、新幹線側になるはずの左手に出る通路も見当たらず、駅舎は新幹線とは反対の東側に向いている。脇野田駅と新幹線駅のあいだは一面の空き地でこれがやがて駅前広場になるんだろうが、この脇野田駅は新幹線開業にあわせて移転されて取り壊されることになるのかな。このあたり、新井、高田、直江津とそこそこ名の知れた駅が並んでいるが逆にいうとどれも突出していないということか。そこにさらに新幹線の新駅が加わることになるのだろう。新井駅では快速「くびき野」に乗り換える客が降りていく。あれは485系1000番台ですなあ。北陸本線と合流すると直江津。ここも線路名称上は新潟に向かう信越本線に北陸本線が合流する形になるのだが、実質的には北陸・信越線からなる複線の日本海縦貫線に長野方面からの単線の線路が合流しているのが実態だ。

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直江津駅は小奇麗だが無個性な駅舎だった。少し前までは古い趣のある駅舎だったらしいのだが、残念なことだ。15分ほどで折り返す。これに乗らないと日のあるうちに長野に帰れない。そしてまたもや115系。今日4本目だ。折り返しだから当然だけど。西に向かって発車した電車は日本海縦貫線の複線を乗り越して左側にわかれていく。脇野田では改めて駅周辺を観察してみたが在来線の駅がどこにできるのか見当がつかない。新幹線高架橋と交差するあたりにもそれらしい施設は見当たらない。どういうことかと思っていたが、高架橋をくぐるときにその下でなにやら工事をしているのを発見。まだはっきりしないが、あれは線路の基礎工事ではなかろうか。だとすると、在来線の経路自体を変更して新幹線の駅の真下に引き込んで連絡駅にするつもりなのかな。そう考えると、現在の駅に何も手が加えられていないのが納得できる。あとで調べてみるとまさにそういうことらしい。なお、この前日にJR東日本から駅名が「上越妙高」に決定したと正式に発表されていた。

7時ちょっと前に長野到着、食事をしてからホテルにチェックイン。特にすることがないので総選挙の開票など見てから就寝。

本日の旅程:
上野 (1130) → 軽井沢 (1226) 519E (E2系)
軽井沢 (1305) → 小諸 (1328) 767M (115系)
小諸 (1355) → 長野 (1501) 649M (115系)
長野 (1516) → 直江津 (1655) 353M (115系)
直江津 (1707) → 長野 (1850) 356M (115系)

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2013年6月 6日 (木)

「彷徨える艦隊 外伝1」


あとがきによると敵側から見た記述というのは読者の要望らしい。

これは政治小説だなあ。

アライアンス側の体制がアメリカをモデルにしていると見るならば、シンディク側の体制はその対極にあるように描写されている。モデルはソ連か、ナチドイツか、それとも(作者が考える)戦前の日本か。こうした独裁強権体制は一見有効なようでいて、結局は最終的な勝利には結びつかない。真に強みを発揮するのはアメリカのような民主主義体制である、というアメリカ国民の信念(というか無邪気な思い込み)を未来の宇宙空間に翻案するとこうなるんだね。

おそらく今後の展開は、頭のてっぺんまでどっぷり強権体制に浸かって育ったシンディクの司令官階級にあった主人公ふたり(イケニとドレイコン)が本当の(ということはアメリカ式の)民主主義に目覚めていく過程が描かれていくんだろう。

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2013年6月 5日 (水)

ガラ鉄。


twitter でもつぶやいたが、今月の鉄道ジャーナルでもっとも重要な記事は 72 ページからの「鉄道大国・日本の『成功』と『反省』」と題する論文。今月は前半で、後半は来月号に載るらしい。

鉄道ジャーナル誌(以下RJ)を丹念に読んでいると、同じような話は実はずっと言われ続けていて、昨日今日始まったことではないのだが、まとまった記事になるのはよいことだ。ただし、読者の多くは読み飛ばしているような気がする。

「日本の鉄道は世界一」とよく言われるが、実際には日本の鉄道は携帯電話と同じようにガラパゴス化して久しい。日本の新幹線の優秀性が高く評価されながらも、海外への売り込みにことごとく失敗しているのは、日本特有の条件を背景に組み上げられたシステムが現地の事情と整合しないからだ。
日本では「鉄道は独立採算であるべき」という常識がまかり通っているが、実はこれは海外特にヨーロッパでは非常識、と言って悪ければ「実現不可能な理想」でしかない。鉄道は道路や空港、港湾と同じ社会インフラとして公的な負担で整備・維持するべきものという考え方が一般的なのだ。鉄道は、数ある輸送インフラのひとつでしかないが、鉄道が最適解であると考えられるシーンにおいては道路と同じように税金を使ってでも整備・維持する。そのために上下分離方式をとって線路や施設の保有保守は国や地方自治体が責任をもち、その上で企業体が運行を独立採算で行なうというやり方が広く行われている。日本でも一部に地方私鉄では同じような形で支援を受けているが、自治体が特定の企業に支援することをよしとしない風潮はまだ強い。

確かに日本の鉄道企業の多くは現に独立採算制をとっていて、活動を継続できるくらいの利益を挙げているという事実がある。しかし実際にはそれを実現できているのは、東京や大阪などの世界有数の巨大都市とその近郊という市場で、鉄道がもっともその強みを発揮できる大量定型輸送を必要としているという条件があってのことだ。この条件は鉄道というインフラによってますます強化されている。
問題はこういう「特殊な」鉄道経営を、前提条件の異なる鉄道経営にもあてはめようとすることだ。これを推し進めていくと、結果として都市部以外の鉄道は生き残れない。それではいわゆる「交通弱者」が見捨てられてしまうので公的な負担で鉄道を含む交通インフラを整備維持する必要がある、というのが日本以外での一般的な考え方なのだ。しかし日本では肝心な国土交通省が縦割りで道路行政と鉄道行政がばらばらに動いており、両方のおいしいとこどりをするという発想がない。このご時勢、青天井で伸びていく見込みのない限られた予算を単に奪い合うのではなく、もっと有効に使ってほしいと思うのは納税者の端くれとして主張してもいいだろう。

もうひとつ、独立採算を前提する考え方から、結果として日本の大都市の鉄道網は世界でもまれに見る使いづらくわかりづらい仕組みになってしまっている。東京23区内だけを見てもJR、地下鉄2社(東京メトロと都営地下鉄)、大手私鉄7社(京急、東急、小田急、京王、西武、東武、京成)と、多くの事業者が入り組んでいて全部運賃が違うというのは、普段から使っているわれわれは慣れてしまっているが外から見たときには複雑怪奇であろう。ICカードの普及で精算は楽になったが仕組みの複雑さ自体は変わらない。
例えば何年か前のトロントを例にとると、市内の交通は地下鉄もバスも新交通システムも全部含めて2ドル均一だった。何回乗り換えても同じである。なんで例がトロントかというと、実際に三十一が何ヶ月か住んでいたことがあるというだけの理由なのだが。

鉄道もそうだけど、「優秀な日本の○○」というフレーズの多くは、実際に内容を精査していくとそんなに大したもんじゃない、という事例をいくつも見つけてしまった。○○には「ゼロ戦」とか「戦艦大和」とか「野球」が入ります。

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2013年6月 2日 (日)

2013年5月の打ち上げ

先月は6件。アメリカが珍しく2件続けて。ほかロシアが2、ヨーロッパが1、中国が1.

1日 1606GMT 西昌/長征3B (Chinasat-11)
7日 0206GMT クールー/ベガ (Proba-V, VNREDSat 1A, ESTCube 3D)
14日 1602GMT バイコヌール/プロトン (Eutelsat 3D)
15日 2138GMT ケープカナベラル/アトラス5 (GPS IIF-4)
25日 0027GMT ケープカナベラル/デルタ4 (WGS-5)
28日 2031GMT バイコヌール/ソユーズ (Soyuz TMA-09M)

Orbital Launch Chronology

ヨーロッパのベガ・ロケットは2度目の打ち上げ。着々とインフラを整備している。ESTCube はエストニアの最初の衛星だそうな。
アメリカが2件連続で打ち上げているけど、どちらも軍用。最近の商用市場はヨーロッパとロシアが大きなシェアを占めており、そこに中国とインドが割り込むという様相。後発の日本は割り込めるか。

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