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2013年6月10日 (月)

千曲川旅情

日曜日、今日は東京に帰らなくてはいけない。次の日もあるので早めに帰りたい。
ただし、長野から東京に戻るのに普通に新幹線に乗って帰るなんて芸のないことを三十一がするわけがない(よほど調子が悪かったりしたら別だけど)。このとき具体的に検討されたルートはふたつ。ひとつは篠ノ井線で松本に出、中央線の特急で新宿に至るというもの。このルートでは篠ノ井線(これもはるか昔に乗車したけど記憶がさだかでない路線のひとつ)で「日本三大車窓」のひとつを目撃して、昨日に引き続き日本でも数少なくなったスイッチバック駅の姨捨駅を通ることができる。また松本ではアルピコ交通を往復してくることも可能だろう。
そしてもうひとつは、飯山線に乗車して越後川口に出、あとは適当な上越新幹線駅から東京に戻るというもの。こちらのルートでは、未乗車の非電化路線である飯山線を踏破できる。また、その後の展開によっては上越線(新幹線ではなく在来の上越線)にある程度乗車できることが期待できる。三十一は上越新幹線には何度か乗っているが、在来線の上越線にはほとんど乗っていない。幹線ではあるのだが特急はほぼ全滅、特に山越えとなる水上-越後湯沢間では旅客列車自体が極端に少ない。意外に乗りにくい路線で、三十一にとってひとつの課題になっていた。

検討の結果、ひとまず選ばれたのは篠ノ井線ルートだった。飯山線のほうは列車の時間帯が悪く、終点まで乗りとおそうとするならば6時前の列車に乗るか、さもなくば10時過ぎまで待つしかない。篠ノ井線ならば、8時前くらいの列車に乗れば松本でアルピコ交通を一往復しても昼過ぎの新宿行き特急に乗れるだろう。そこまで決めて、さあ寝るかとベットにもぐりこんで電気を消したそのあとで、これまで考慮に入れていなかったある事実を思い出した。

「北陸新幹線は飯山を経由するんだった。」

北陸新幹線が開業したら、飯山の様相は少し変わってしまうかもしれない。経営分離のような大きな動きはないにしても、影響がまったくないとは考えられない。だとしたら、その前に現状を見ておかなくちゃいけないんじゃないか。というわけで、これまでの検討は全部吹き飛んで、多少時間帯は悪くても飯山線に乗ることが(電気の消されたホテルの一室のベッドの中で)最終的に決定されたのだった。

さて日曜の朝。もちろん6時前の列車に乗れるとは最初から思っていなかったので、少しゆっくり目に起き出す。時間があったら長野電鉄を終点まで往復してきたかったのだが、意外と時間がかかるようなので今回は断念する。今回は、主要目的の長野-直江津乗車のほかに副次目標として長野県内の私鉄制覇(長野電鉄、アルピコ交通。上田交通は乗車済み)を考えていたのだが、次の機会に持ち越しとなった。

ホテルをチェックアウト。朝食付きだったがスクランブルエッグがなかったのが残念だった。ゆっくり出てもまだ時間があるので駅でお茶を飲んで時間をつぶす。少し早めにホームに向かうが、こういうときに限って目的の列車が入線してくるのが直前になる。やってきたのはキハ110の2両編成。JR東日本の非電化路線ではおなじみだ。

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早めに出たからと安心してホームのベンチに座ってのんびり待っていたら、進行方向右側の千曲川が見える席に座れなくなってしまった。豊野までは昨日と同じ信越線を行く。この区間では信越線の補完機能も負っているらしく、途中の三才や豊野でもけっこう降りる乗客がいた。豊野を出ると、信越本線が左に分かれて飯山線に入る。ここからしばらくは千曲川が作る比較的平坦な盆地を行く。千曲川の河道の向こうには相変わらず北陸新幹線の高架橋が見えている。昨日通って来た信越本線と比較して、「こっちのほうが川沿いで勾配も少ないだろうし、複線化したり軌道強化して優等列車を走らせるのに向いてたんじゃないかなあ」などと思い始めたちょうどそのころ、線路は思った以上に急な勾配にさしかかった。線路脇の勾配標を見てみると20パーミルはくだらないらしい。これじゃあ、昨日の信越本線に比べて明らかに有利とはいえないなあ。千曲川そのものは相変わらず悠々となだらかに流れているんだが、河道ぎりぎりまで尾根が張り出していて、そこを超える必要があったようだ。尾根を削って川沿いに線路を敷き、勾配をおさえることもできないわけではないと思ったが、建設当時はすでに信越本線が開業して30年経過しており、そこまでする必要を感じなかったのだろう。結局、開業した時点から飯山線は主役になれない役回りだったということかな。

風景は典型的な日本の農村。豪雪地帯らしく瓦屋根が少なくトタン屋根が目立つのが特徴といえば特徴か。並行して流れる千曲川は下っているのだが、河谷はだんだん幅が狭くなってきて左右の山が近づいてくる。右手に見えていた新幹線も山の陰になったのかトンネルに入ったのかいつのまにか見えなくなっていた。その新幹線が再び見えるようになって、飯山の町が近づいてきたことを知る。千曲川の反対側を走っていたはずの新幹線がこちら側に渡ってきて、三十一が乗っている列車が走っている線路と交わるあたりが飯山駅になるのだろう。古い街道の拠点らしく飯山の市街地はわりと建物が建て込んでいる。その町並みを切り裂くようにして巨大な高架橋が横切っていく。ここでも新幹線側の駅の躯体は高架橋とあわせて出来上がっているが、現在の飯山線の飯山駅は交差地点を少し過ぎたところに所在している。この駅も新幹線開業に合わせて移転するんだろう。

飯山駅ではそこそこ乗客が降りていったが、右側の席が空く気配がない。顔ぶれを見ているとどうも最後まで乗りとおしそうだ。あきらめて、ちょうど空いた運転席直後の席に移ることにする。長野から1時間ちょっとで戸狩野沢温泉駅に到着。これまでは車掌が乗務していたがここからはワンマンになり、2両編成のうち後部車両が切り離されて単行列車になる。線路は相変わらずアップダウンを繰り返す。ときどきトンネルが顔を出すようになってきて、県境の山がちな地形が目立ってきた。長野県最北の駅である森宮野原は日本でも有数の豪雪地帯で、ホームには「最大積雪7メートル85センチ」を示すポールが立っている。ところで三十一は長らくこの駅名を「もりみや・のはら」と読んでいたのだが比較的最近になって「もり・みやのはら」と区切るのが正しい読み方であると知ってちょっとびっくりしたものだ。「森」と「宮野原」というふたつの地名を合わせた駅名だそうな。この駅を出るとすぐ新潟県に入ったはずなのだが、境界がよくわからなかった。越後田沢と越後水沢の間で線路は初めて千曲川をわたり、川を左に見るようになった。右手奥に雪の残る山が見えるが、あれは谷川連峰かな。左側に地下から線路が飛び出したかと思うとそのまま高架に駆け上っていく。ほくほく線の線路だ。十日町に到着、この列車はいったん終点となる。

十日町での接続は一時間弱。東口と西口と、両方に出口があるが景観はまったく違う。明らかに西口が古い町並みで、東口はほくほく線の開通にあわせて新設されたものだろう。ほくほく線自体は以前金沢に行ったときに特急を利用したので乗車済みだ。しかしこのほくほく線も、北陸新幹線開業後は苦しい状況に追い込まれることになる。現在、東京から富山や金沢などに向かう場合は越後湯沢でほくほく線を経由する特急に乗り換えるのが最速だが、北陸新幹線が開業するとその旅客はすべて移ってしまうだろう。現在ほくほく線は第三セクターでは珍しく単年度で黒字を計上しているが、利益の大半は特急で得ている。この収入がほぼ失われると考えざるを得ない。もともと沿線人口もそれほど多くないので、純粋に経済的観点から見ると存続すら危うい。この路線も新幹線開業前に一度乗っておいたほうがいいかもしれない。
ここから東京方面に向かう旅客は、ほくほく線を使って越後湯沢に出るのが早い。実際、そういう旅客も見られた。しかし三十一は飯山線を最後まで乗りとおすのが第一の目的なのでそうするわけにはいかず、越後川口行の列車を待つしかない。乗り込んだ列車はまたもキハ110の単行。ひょっとしたら同じ車両だったかもしれない。次が終点越後川口になる内ヶ巻駅で輪行の団体が乗り込んできた。なんだろう、この人たちは。あと一駅なんだから越後川口まで自転車でそのまま行けばいいのに、なんでわざわざ列車本数の多くない飯山線に一駅区間だけ乗るんだろう。合理的じゃないよなあ。と、相当に非合理的な鉄道利用をしている三十一は自分を棚に上げて思うのでありました。

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飯山線の終点、越後川口駅は山中の小駅。所属している上越線自体は複線電化、かつての特急街道で線路設備は文句のつけようがないくらい立派なものだが、そこにおもちゃのような小ぢんまりとした駅がとってつけられたように置かれている。ここから三十一は越後湯沢まで上越線で行って、そこから新幹線で東京まで戻ることにした。上越線のうち、越後川口から終点方向の長岡方はすでに乗車済みだ。只見線に乗車したときに利用した列車で小出から長岡まで乗車している。逆に言うと、これまで乗車済みの上越線の区間はこの区間と、かつてほくほく線特急を利用したときに経由した越後湯沢-六日町間だけなのである。まずは新潟県側で歯抜けになった未乗車区間、六日町-小出間を埋めようという魂胆だ。
実は、これから乗ろうとしている列車は数少ない山越えをする普通列車、水上行きなのである。しかし今回三十一は終着まで行かず、山越えする前の越後湯沢までしか乗らないことに決めた。なぜか。
上越線で山越えをしていったん群馬県側に出てしまうと、高崎まで上越新幹線に乗り換えることができないのである。越後湯沢と高崎の間にある上越新幹線の駅は上毛高原だけ。この駅は独立した駅で上越線との乗り換えはできない。水上からさらに上越線の列車を乗り継いでいくと、高崎にたどりつくのが5時近くになってしまう。それでは帰宅が遅くなりすぎる。無理をせず、今回は越後湯沢以北を埋めることで満足して次の機会を待つことにしたのだ。長野電鉄とかアルピコ交通とか「次の機会」を待っている路線が多いような気がするけど、気にしない。無理をしても続かないし。

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やがてやってきた水上行き電車はこれまた115系。今回、東京を出てから東京に帰るまで、新幹線を除くと電車はすべて115系だったということになる。ついでに言うと気動車はすべてキハ110でした。もう少しバリエーションがほしかった。車内は比較的混んでいた。ロングシートの片隅にどうにか座ることができた。小出から先は初乗車になるんだが、このあたりの石打や塩沢あたりにはかつて車でスキーに来たこともあるのでそれほど新鮮味はない。浦佐ではハイカーの一団が乗り込んできて車内は一気に騒々しくなった。うるさいし汗臭いし集団の圧力が鬱陶しいのでさっさと降りていってくれないかと思ったがなかなか降りる気配がない。もれ聞こえてくる会話の中に「京成」という単語が聞こえたが、こいつら東京モンか? だがちょっと待てよ。この団体は浦佐から乗ってきたよね。東京に戻るなら、浦佐からそのまま上越新幹線に乗ればいいことだが、わざわざいったん上越線に乗って越後湯沢あたりまで行ってから新幹線に乗り換えるのは不合理だ。そんな変なことをするのは、新幹線ではなく在来線に乗ること自体が目的の変人(つまり三十一だ)でなければ、時刻表の読み方も知らない阿呆が計画を立てたくらいしか思いつかない。越後湯沢が近づくと、くだんの団体は降り支度を始めた。まさかとは思ったが本当に越後湯沢で降りるらしい。改札前でたむろしていた団体の脇をすり抜けていったん改札を出、券売機で新幹線の特急券を手に入れる。さて発車まで少し時間があるけど、と思ってあたりを見渡すと例の団体の面々がみどりの窓口に並んでいるのが見えた。本当に阿呆でしたか。

本日の旅程:
長野 (1016) → 十日町 (1237) 131D (キハ110)
十日町 (1329) → 越後川口 (1355) 187D (キハ110)
越後川口 (1410) → 越後湯沢 (1504) 1738M (115系)
越後湯沢 (1547) → 上野 (1658) 8366C (E4系)

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