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2013年7月30日 (火)

ブランドと偶像

父親がパソコンを買い換えると言い出した。三十一もいちおうコンピューター業界の片隅に寄生している身の上であるから、どこまで本気かわからないが「どんなのがいいかなあ」と相談を受けた。
かつて自社製品を紹介したこともあったが、そのあとしょうもない質問を山のように受ける羽目になったので特定の機種を薦めるのはもうこりごりだ。あたりさわりのないこと(例えば、操作に自信がないならサポートのしっかりしてるメーカーが安心、といった具合だ)を返してお茶を濁す。三十一自身はサポートをあてにしたことは無いけど。
とまあ、そんな話を母親とまったりとしていたら、母がぽろりとこぼした感想が

「S○NYのVAIOは実はそんなに格好良くないよね」

であった。
古希を過ぎた母の意外に「わかった」せりふにちょっとびっくりしたものだ。

何年か前、やっぱりパソコンを買いたいという親戚から「やっぱりVAIOがいいのかなあ」と言われたことがある。実際のところ、中身は大差ないので好みで決めればいいと答えたような気がする。結局何を買ったのかは聞いていない。かつてS○NYのパソコンが際物扱いされていた時代をすごしてきた三十一にとっては、こんなにパソコンメーカーとして認知される時代が来るとは思ってもいなかった。そのイメージも近頃は少し衰えがあるようだ。古希を過ぎた主婦に見切られるようではね。

例えば三十一がパソコンを買う場合は完全に機能重視である。要る機能と要らない機能、不可欠な機能となくても困らない機能。どうしても必要な機能や仕様を備えた機種の中で、あとは価格と付加価値(場合によっては納期なんかも重要な要素になる)を天秤にかけて機種を確定する。この他にはMP3プレーヤーなんかも同じような経緯をたどることが多い。
ではそれに対してブランドで購入行動を決定するのはどういうときかというのを考えてみると、どういう観点で評価していいのかよくわからないとき、あるいはそもそもきっちり評価している時間もないとき、などがそれにあたる。つまり客観的な評価ができない場合にブランドイメージに頼るのだ。手抜きだね。
売る側からしてみれば、ブランド戦略とは買い手を楽な方向に追い込んで囲い込むある種の罠だ。「何も考えずにウチのブランドを買っておけば間違いないですよ」「細かいことはどうでもいいから、とりあえずあのブランドを買っておけば間違いないよね」。こうして楽をしたがる買い手と説明の手間が惜しい売り手の思惑が一致したところにブランドビジネスが成立する。

と、ここまでは実は長い前ふり。

そのブランドビジネスの最たるものが、今をときめく AKB48 グループだ、というのが本題である。
アイドル戦国時代と言われているが、一般的な知名度で言えば一大ブランドである AKB48に対して新興のももいろクローバーZ(ももクロ)、老舗のモーニング娘。くらいがせいぜいであろう。AKB48の総選挙は週末のゴールデンタイムに生中継される年中行事になった。
ならば AKB のメンバーはどんなに粒ぞろいの面子が顔を並べているかというと、三十一が見ている限りにおいてはそれほどとは思えない。ずいぶん前に「歌もダンスもトークもできないし、容姿も人並みの前田敦子がなんでセンターなのかわからない」という趣旨の書き込みをネットで見たことがあるが、そういう疑問がわくのはある程度もっともであろう。比較対象を AKB 以外に広げてみると、その疑問はさらに大きくなる。
ちかごろのアイドルは、まあピンからキリまであるにしても、歌やダンスの能力を売りにしているグループは少なくないし、モデルなみの容姿を備えたメンバーをそろえているグループも多い。純粋に「機能」で比較した場合にそれほどの大差があるようには見えないにもかかわらず、AKB があれだけ売れているのに対して他のグループがさっぱり知られていないのはなんでだろうという疑問が出発点であり、そして(三十一が考える)解答がブランドである。

バラエティでも芸能ニュースでもいいんだが、「AKB48 の○○さん、××さん、△△さんが・・・」というコメントを聞いて「誰?」と思うことが非常に多い。「AKB48の」という枕詞がなければまったく認識ができない。三十一について言えば名前を聞いたことがあるのは上のほうのせいぜい10人くらいで、あとの百何十人に対しては「AKB48の」という前半部分にのみ意味があって、後半部分の情報量はゼロである。それでも AKB48 に所属しているというだけで買い手がつくのはブランドビジネス以外の何物でもなかろう。
「AKB48 にはいろんなタイプのメンバーがいて、誰でもひとりは推しメンがみつかる」という分析を見たことがあるけれど、三十一から見れば初期メンバーはともかく最近のメンバーはみんなタイプが似ていて、それが区別がつかない理由にもなっている。ブランドイメージが出来てしまうと、そこから逸脱するのが難しくなってくるんではなかろうか。イメージが確立する前なら、いろんなタイプを試せたのかもしれないが。ついでにいうと、歌も似てるよね。あれだけのメガヒットを生んでおきながら、いまだにイメージソングは「あいたかった」になってしまう。

AKB の話はこれくらいにしておこう。
この夏のイベントの中には、100組を超えるアイドルが出演して、3万人を超える観客を動員したフェスもあったという。ちなみにこの100組の中には AKB48 も、ももクロも、モーニング娘。も含まれていない(HKT48 は出ている)。観客の中には、特定のファンというわけではなく「いろいろ見てみよう」という野次馬的な観客も少なくないだろうが、単純計算でそれぞれのグループに対してイベントに足を運ぶレベルのファンが100人単位で存在していることになる。
実のところ、コアなファンをある程度の数集めることはそれほど難しくない。イベントでの熱気はむしろこうしたグループのほうが"熱い"かもしれない。こういう少数のコアなファンをあてにして(CD、イベント、グッズ、ファンクラブ会費など)堅実な商売を続けるのもひとつの方法論だろう。だがそれでは本当の「マス」には届かない。AKB レベルの国民的知名度を目指すなら、コアなファンを集めるためには必須だった「希少性」をある程度捨てる必要がある。これはギャンブルだ。下手をすれば、これまで支えてきてくれたコアなファンを失ったあげくに知名度も得られずビジネスが成り立たなくなる羽目に陥りかねない。最近ときどき見かける「一緒に育てるアイドル」というコンセプトは、ファンを共闘関係に巻き込んでこうしたリスクを軽減しようというひとつのモデルだろう。だが今のところあまり成功した事例はないようだ。

実はこのジレンマは三十一自身のジレンマと重なる。
三十一の立ち位置は疑問の余地がないマイノリティであって、マジョリティの側に立った経験はほとんどない。自覚としては、意識してマイノリティを選択したわけではないのだが、三十一が純粋に自らの趣味嗜好、信条にしたがって選んだ選択肢はほぼ間違いなくマイノリティなのである。もうこれはそういうものだと諦めるしかないし、諦めた。「趣味はアメリカンフットボールの試合をテレビで見ることです」というとたいていの人は「へえ」と言ったっきり二の句が接げないんである。アメリカ人の間なら立派なブランドになるんだろうけどね。
だから AKB48 に入ろうとしない(あるいは入れなかった)アイドルがメジャーを目指しているのを見ると涙がちょちょぎれそうになる。

三十一がひそかに注目しているアイドルが何組かあるが、あえて名前は挙げない。ここで名前を挙げてしまうとあたかもマイノリティを宿命づけられたようであまりに不憫だからです。万一奇跡が起こって晴れてマジョリティになれる日が来たらそのときにカミングアウトすることにしよう。

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