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2013年8月10日 (土)

いずものくに

夏だというのに、7月から8月にかけて妙に忙しくなった。夏になる前はぼんやりと「あれやりたい」とか考えてたけど、そんな時間も体力も気持ちの余裕もなくなってしまった。

以上、ほんとの愚痴でした。

8月6日にいわゆる 22DDH、平成22年度予算で建造される19,500トン型ヘリコプター護衛艦が進水し、「いずも」と命名された。漢字にすると「出雲」ということになるんだろう。16DDH が「ひゅうが」「いせ」ということで国名シリーズになったらしい。実際の命名前に海幕の資料から予定艦名が流出するという騒ぎもあったらしいが、誰が困るものでもないので大した問題じゃないだろう。何でもかんでも秘密にしてしまうと、本当に秘密にしなきゃいけない事柄がかえっておろそかにされちゃうよー。と、またちょっと愚痴モードになりかけ。

不思議なのは、中国で一部「日中戦争中に使用された軍艦と同じ名前をつけた」と批判報道があったということ。確かに事実関係としては嘘ではなく日本海軍の装甲巡洋艦「出雲」は第一次上海事変から日中戦争末期の昭和19年まで、はじめ第三艦隊のち支那方面艦隊の旗艦として上海にあって中国方面海軍部隊の指揮官が座乗した。
ではなぜその任務に「出雲」が充てられたのか。「出雲」は明治34年、1901年にイギリスで竣工した装甲巡洋艦で、日露戦争当時の最新鋭艦として主力部隊の一角を占めた殊勲艦だが、第一次上海事変当時でも艦齢すでに30年を超え、昭和19年には43年にもなる。技術進歩の著しかった当時、二線級をとおりこして完全に戦力外だった。日中海軍の戦力差を考えると、直接戦闘に従事する事態は想定されず、旗艦を選定する際には戦闘力の有無は判断材料にはされなかった。かつての殊勲艦としての「格」であるとか、大型で居住性に余裕があるところとか、そういう点が主に考慮されたのだろう。もちろん、「出雲」を大陸に派遣したとしても主戦部隊(つまりアメリカ向け部隊)への影響が少ない(あるいは皆無)ということも重要だ。すでに当時「出雲」は練習艦隊に配属されて候補生の訓練に充当されており戦力としては期待されていなかった。

だから「出雲」があたかも中国侵略のシンボルであったかのような言説には非常に違和感を感じる。たぶんつける側の海幕にとっては、日露戦争の殊勲艦というイメージはあっても、支那方面艦隊(「支那方面艦隊」は歴史上の固有名詞です)の旗艦というイメージは希薄だったろう。最初に三十一がこのニュースを聞いたときに「まさかそこに食いつくとは」と意表をつかれたのが正直なところだ。文句をつける気になればどっからでもつけられるもんだなあ。

さて 22DDH 改め「いずも級」は2隻建造されることになっている。2番艦は2017年に就役する予定だがはたしてどんな艦名になるだろうか。かつての「出雲」の同型艦は「磐手(いわて)」、準同型艦までひろげると「浅間」「常磐」「吾妻」「八雲」となるが、どれも国名シリーズに該当しない。かつての「出雲」は国名由来ではなく一般的に「雅語」として選択されたのだった。同型型はなんとなくつながりを持たせた名前を与えるのが慣例になっているが、前例としては「出雲」とペアになる国名はない。そこで新たに「出雲」のペアを考えてみると、古代神話のふるさとである出雲に対応して大和、というのがまず思いつくのだが「大和」「武蔵」はあまりに刺激的すぎるし、命名する側からしても本当の意味で「とっておき」であろう。かつて艦名に採用されたことのある国名をいろいろと思い浮かべてみたがどれもしっくり来ない。では新規、ということでひとつ思いついたのは「ひたち(常陸)」だ。風土記は奈良時代に政府が各国に編纂を命じた地理志だが、ほぼ完本として残っているのは「出雲風土記」だけである。完本ではないが大部分が残っているのは「常陸」「播磨」「肥前」「豊後」の4つで、他はせいぜいごく一部が逸文として残るに過ぎない。まあこの中なら「ひたち」かなあ。

三十一は艦名選択にまったく影響力を持たないので信用しないように。

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