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2013年9月29日 (日)

そうだ、福島行こう。

久しぶりに週末が完全なフリーだったので、思いつきで出かけてきた。

前回、長野にでかけたときにできた写真を見てちょっと反省したのだが、どうも三十一は車両に寄りすぎて写真を撮ってしまう嫌いがあり、ときには引いた構図のほうがいい写真になるような気がして次の機会にはその点に気をつけてみようと決意していたのだが、今回の旅行では途中まで露出がマニュアルに設定されていてほとんど真っ白になってしまい見せられるものがない。一週間ほど前に中秋の名月を撮るために露出を調整していたのがそのままになってしまっていたのだ。というわけで鉄道とは関係ないがここで月の写真を載せておこう。

Img_2473

行き先は日帰りか一泊でこなせる路線として前々から想定していた磐越東線。おそらく磐越東線は「ついでに」行く機会はほとんどないに違いない。狙って行かないと踏破する機会は巡ってこないだろう。
もうひとつの目的は、磐越東線そのものというよりはその起点である「いわき」に向かうその手段にあった。常磐線特急ひたちはいずれも E657系に交代してしまっている。以前使われていた 651系と E653系には乗車経験があるけれど、新しい E657系は目撃したことはあっても実際に乗ったことがない。よく見かけるだけに一度乗っておきたいという気持ちが募っていたのだ。

当初の計画では常磐線でいわきに出て磐越東線で郡山に出てそこで一泊。さらに磐越西線で会津若松に行き会津鉄道を経由して日光方面に出て帰京、というルートを考えていたのだが、思いのほか郡山に早い時間に着けることがわかったのでそのまま日帰りすることにした。

常磐線特急ひたちには、柏などにこまめに停車するが勝田や高萩までしか行かないフレッシュひたちと、上野から水戸までノンストップでいわきまで向かうスーパーひたちが交互に運転されている。かつては使用車両も違ったが今では E657系に統一されているので、その意味ではどっちに乗ってもかまわないのだが、当面の目的地がいわきであるからスーパーひたちに乗らなければいけない。そのため、いったん上野まで行って始発から乗ることにする。スーパーひたちの自由席は下りの先頭方、3両のみ。意外に混んでいたように見えたが、一番先頭の車両まで行けばそこそこ空いていて窓際の席を確保できた。常磐線はいくつもの川を渡って行く。利根川の鉄橋は架け替え工事をしていた。交直切り替えのデッドセクションでは惰行になっていたような気がしたが、新しい車両では室内灯が消えないのでよくわからない。神立・高浜間で踏切から警報が発報したらしく緊急停止したがほどなく動き出した。水戸を出るとさらに空席が目立つようになる。日立あたりで初めて太平洋が見えた。今日はわりと波が高いようだ。このあたりから少し眠くなってきて記憶が曖昧だ。気がついたら福島県に入っていて勿来駅を通過していた。泉駅からは福島臨海鉄道が分岐しているはずだが、駅の海側に側線が見当たらない。山側に分岐してアンダーパスして海岸に向かうらしい。上野から2時間ちょっとで終点いわき到着。新幹線ほどじゃないけど特急は早いなあ。

一時間ちょっとあるので、いわきの街を少し歩く。銀行に行って現金を少しおろし、駅前の珈琲館で軽い昼食。これまで日本のいろんな街を歩いてきたけれど、下手な地方の県庁所在地よりもよほど開けていて、個人的に「この街なら問題なく生きていける」と思った。

磐越東線はJR東日本の非電化路線でおなじみキハ110系ディーゼルカーの2両編成。最近どこに行ってもこのキハ110系しかみかけないのでちょっと食傷気味。
はじめのうち、沿線風景は何の変哲もないものに見えた。しばらくは広がる田んぼと遠景に低い山。やがて線路は山間を走り出す。阿武隈山地は比較的年代が古く侵食が進んでおり、目立って高い山はない。そうした山懐に抱かれて家が点々と建っている。はじめは何の変哲もないように見えていた風景が、 逆に一見ありふれているからこそ実は貴重なのではないかと思えてきた。ありふれているものこそ、意識して守っていかないと取り返しがつかなくなってから焦っても遅いのだよ。三十一が理想と考える終の棲家が実際に形になって目の前に現れたような心持がしたよ。

一時間半ほどで福島県を半分ほど横断して浜通りから中通りに到着。E2系のやまびこで帰京する。

今回 (9/28) の旅程:
上野 (1000) → いわき (1207) 15M (E657系)
いわき (1313) → 郡山 (1448) 737D (キハ110)
郡山 (1537) → 上野 (1650) 144B (E2系)

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2013年9月26日 (木)

北海道はでっかいどう(古

去年くらいから、JR北海道で事故があったというニュースをときどき聞くようになったけど、近頃その頻度が高くなってきた上に線路の保守を放置していたなどと伝えられるようになって社会問題化してきた。

旅客や貨物を乗せて運んでいるんだから、せめて決められた保守ルールくらいは守ってほしいと思うのだが、その一方で三十一はJR北海道の路線をほぼすべて踏破しており、こんな問題が表沙汰になる前から「こりゃあ保守は大変だなあ」と実感していただけに、単純に会社を非難する気にはなれない。だからと言って容認できることではないのだが、「体質」とか「安全意識の希薄さ」などで済ませられない根深い問題があるように思うのだ。

JR北海道の特に地方路線に乗っていると、保守担当者が運転席の横に添乗して線路を監視しているという光景に出会うことは珍しくない。自動車で線路を見回ることができればいいのだろうけど、そもそも線路にアクセスする道路がない区間が相当あるのだ。列車の中から見ても見渡すかぎり道路がみあたらないこともある。森の中を走っているわけではなく見晴らしが開けているにもかかわず、だ。結局は、こまめに列車に添乗して前方監視をするのが一番確実、ということになる。本来は列車が走る前にチェックするべきだろうが、そのチェックのために列車を使うというのは本末転倒のような気もする。それでもかつてのように線路脇に保線小屋を置いて保線員を配置するようなことは現代ではとてもできないから、そうするしかないというのが現実だろう。

鉄道は典型的な装置産業で、線路と車両、駅などの設備が準備されて初めて事業が成立する。コストに占める設備負担の割合はかなり大きい。JR北海道固有の条件を挙げるならば、札幌周辺のごく一部の区間を除くほとんどすべての区間がこれまで述べてきたような「保守困難区間」であり、またそういう区間はほぼ例外なく赤字路線であると考えていいだろう。札幌への一極集中が進む北海道において、こういう状況が今後進むことはあっても緩まることは考えられない。鉄道経営の条件は日を追うごとに厳しくなっていく。鉄道経営が厳しくなるとまず保守にしわ寄せが来るのはこれまでも例があることだ。たとえば銚子電鉄では保守費用の不足により危うく運行を継続できなくなる瀬戸際に追い込まれたが「ぬれ煎餅」によってかろうじて窮地を脱することができた。

JR北海道の事例は、こうした厳しい条件が一番わかりやすい形で現れてきたと見ることができよう。本質的に同じ課題をすべての鉄道事業者が潜在的に持っている。JR北海道は先頭きってこの問題に直面してしまったのだ。この問題を根本的に解決するためには、上下分離による保守負担の切り離しなどの抜本的な制度改革が必要だろう。さもなくば最終的には鉄道事業の継続そのものが困難になってしまう。鉄道がなくてもいい、というのがおおかたの意見であるならそれもいいだろうけどさ。「独立採算制」を「無謬の原則」としてあがめているかぎり、行き着くところはそういうことになってしまう。

この問題をどう処理するかが、今後の日本の鉄道事業のあり方を規定する重要な試金石になりそうだ。これが「安全意識の徹底」なんていう表面的な対策に矮小化されてしまうようなら先は暗い。

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2013年9月11日 (水)

暦の上ではセプテンバー

でも NFL はニューイヤー♪



NFL の 2013年シーズンが始まった。
例年のことだが、毎年9月から1月いっぱいは NFL にどっぷり首まで浸かった生活をしているくせに(あるいはそのせいで)、2月から8月まではほとんど NFL 関連のニュースを見ないで過ごすために、いざシーズンが始まってみると毎年驚きの連続でニュースに追いつくのが大変だ。
Wes Welker がわがブロンコスに来ていたのも驚いたが、一番驚いたのはカンザスシティのヘッドコーチがアンディ・リードになっていたことだ。実はこのニュースを三十一は知っていたはずなのだが、すっかり忘れていた。記憶力が無いにもほどがある。

それにしても、わがデンバーが所属する AFC 西地区のチームのヘッドコーチの顔ぶれはちょっとすごい。
John Fox - Denver Broncos
Mike McCoy - San Diego Chargers
Dennis Allen - Oakland Raiders
Andy Reid - Kansas City Chiefs
実は上の3人 (Fox, McCoy, Allen) は、二年前 2011年シーズンにはわがデンバーのヘッドコーチ、攻撃コーディネーター、守備コーディネーターだったのだ。なんだか頑張ってライバルを育ててきたような気持ち。部下がきちんと育っていくのはある意味ヘッドコーチの力量だから、喜ぶべきことではあるんだろうが複雑だ。

これまたいつものことだが、シーズンが始まると自宅で過ごす時間の大半がフットボールに食いつぶされる。おかげで「あまちゃん」を見逃すことが多くなった。

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2013年9月 7日 (土)

「海防艦三宅戦記」


いつものように昔話から始めよう。

三十一が海防艦という艦種についてちゃんと知ったのは、「丸スペシャル」の海防艦特集号である。調べてみたら1979年6月号だよ。当時の三十一はすでにいっぱしの日本海軍マニアだったが、もっぱら情報源はウオーターラインシリーズの組み立て図とガイドブックだった。しかし当時ウオーターラインシリーズのラインナップには海防艦というマイナーな艦種はなかったのだ。
実質的に初めて海防艦の存在を知った三十一は、「丸スペシャル」を繰り返し読み、あまり知られていない海防艦が戦争末期の船団護衛の立役者であることを認識した。そしてそれ以降、三十一にとって「海防艦」はマニア度を測るひとつのバロメーターになった。たとえば誰か「俺って日本海軍に詳しいんだぜ」という人がいたときに「海防艦って知ってます?」と聞いて答えられれば「ああ本当に詳しいんだな」と判断できるということだ。このバリエーションには「間宮って知ってます?」というのがある。「島風たん」とか言って悦に入ってるようではね。

本題に戻ろう。
この本を読んでいて違和感を感じたのは、この手の戦記ではおなじみの著者の一人称による感想や体験談がほとんど出てこないこと。本編を読み終えて後書きを読んでようやく事情がわかったのだが、著者は実際には戦友会を通じて集めた手記をまとめた、という立場らしい。この文庫シリーズはだいたい底本として単行本があるケースが多いのだが、この本ではもとは私家版ということで公刊されるのは初めてになる。
海防艦「三宅」は御蔵型の一艦で昭和18年の末に竣工、以後もっぱら南西方面への船団護衛に従事してついに生き延びて終戦を迎えた。
海防艦は最終的におよそ170隻が建造され、うち70隻ほどが戦没している。これが多いか少ないかは議論が分かれるところだろうが、三十一としては思ったよりも生残率が高いと考える。やはり海防艦は当初のもくろみはともかくとして、船団護衛という明確な目的のために計画建造されたことが効いたのかもしれない。

そういうわけで三十一にとって海防艦はちょっと特別な存在なのだ。

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2013年9月 2日 (月)

2013年8月の打ち上げ

8月は6件。アメリカ2、ロシア2、ヨーロッパ1、日本1。珍しく中国が含まれていないけど、実は9月1日に打ち上げている。

3日 19:48GMT 種子島/H-IIB (HTV 4)
8日 00:29GMT ケープカナベラル/デルタ4 (WGS 6)
22日 14:39GMT ドンバロフスキ/ドニエプル (Kompsat 5)
28日 18:03GMT バンデンバーグ/デルタ4 H (KH-11)
29日 20:30GMT クールー/アリアン5 (Eutelsat 25B, GSat 7)
31日 20:05GMT バイコヌール/ゼニット3SLB (Amos 4)

Orbital launch chronology

お盆を挟んで前半と後半に綺麗に分かれているけど、実際にはお盆は関係ないだろう。
目についたのは、ドンバロフスキからのドニエプルロケットの打ち上げ。ドンバロフスキからは約2年ぶりになる(2011年8月17日以来)。その前をさかのぼってみると、だいたい一年間隔で打ち上げてるので、去年はお休みしたということかな。

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