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2014年3月10日 (月)

「美保関のかなたへ」

サブタイトルに「日本海軍特秘遭難事件」とあるが、中身を見ればわかる通り当時から大々的に報道されていて秘密でもなんでもない。実際、三十一がこの事件を知ったのは記憶も定かでない昔のことだ。

この事件を引き起こした要因としてよく言われるのが、当時の聯合艦隊司令長官であった加藤寛治の人となりだ。前任者の岡田啓介はできるだけ無理な訓練はしないという方針で臨んで「保安艦隊」と呼ばれたのに対し、加藤は危険を顧みず猛訓練を課した。岡田はもともと軍縮条約を推進する立場にあり、その一方で加藤は軍縮条約に強硬に反対したことで知られている。岡田は他国とのバランスを重視し、加藤は力を信じたということだろうか。

ありがちな感想として、当時の日本海軍の体質がどうのこうの、と言いたくなるかもしれないが、三十一から見ればこうした体質は海軍にかぎったことではない。要するに海軍も日本という大きな社会の一構成要素にすぎないのだよ。そしてしたり顔で批判をするそこのアナタも残念ながらそうした日本社会の一員なのである。哀しいことにそれは三十一自身も例外ではない。せめてこうした自覚だけは失わないようにしよう。

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