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2014年4月 8日 (火)

捏造と誤りのはざま

STAP 細胞の論文に誤りがあったからということで理研が取り下げることにしたとかなんとかいう騒動が続いている。三十一は別に取り下げる必要があるとも思わないけどなあ。「確認してみたら間違いでした」というだけの話だ。そんな例はいくらでもある。

あの論文は今やすっかり捏造扱いだが、三十一には疑問がある。注目を浴びること必然の内容の論文を発表すれば当然第三者による検証が行われる。まったくの捏造であれば再現できないことはすぐにわかって、たちまち反論にさらされるのは火を見るより明らかだ。少しは勝ち目がないとこんな論文を発表するのは自殺行為でしかない。執筆者のほうに多少なりとも勝算がなかったとは思えない。

この分野は競争が激しいので、検証が不十分なまま発表に走ってしまった可能性がなくはない。捏造なのか誤りなのかの境界線は曖昧で本人のみぞ知るだが、上記の通りまったく根拠のない捏造は負け戦確定なので意識的に捏造した可能性は低いと見ているが、マスコミの気にはいらないだろうなあ。

いまさら言うのも恥ずかしいが、STAP 細胞がニュースになった当初、これだけ画期的な発見が大々的に報道されているのを見て、なんともいえない危うさを感じた。「怪しい」というほどではないが完全に信をおけるわけでもないという「危うさ」だ。まあでも「怪しい」にせよ「危うい」にせよいずれ第三者が検証するだろうか放っておいてもはっきりするだろうと考えていた。そしてその通りになったことで、三十一はむしろ「科学」の健全性を再認識した。「怪しい」も「危うい」もいずれは検証を経て「正しい」か「誤り」に収斂していく。もし収斂していかない事象があるとするならば、それは検証するほどの価値もないと見られているということだ。

去年だったか一昨年だったか、イタリアの研究グループが「素粒子の速度が光速を超えた」という論文を発表したことがある。原理的に光速を超えることはないとされていたのだが、計測結果を計算してみたらわずかに光速を超えてしまったというものだ。研究グループでは何度も計算をやり直してみたが何度やっても同じ結果が出た。彼らは、おそらく本人も信じないままこの結果を論文として公表して検証を求めた。その結果、誤りが指摘されて素粒子の速度はめでたく光速以内におさまった。

論文に誤りがあることは別に悪いことではない。100の誤りの中にひとつの重要な新事実が含まれていれば、総体として人類の知見は増えていくことになる。それでいいじゃん。

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