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2014年6月25日 (水)

神保さんの町

ちょっと日が経ってしまったけれど、先週末の土曜日に久しぶりに神保町に行ってきた。なんだか近頃、毎週末に「久しぶり」なところに出かけているような気がしてきた。来週はどこに行くのかな。

かつては毎週のように神保町に出かけていたけれども、戦史叢書がほぼ全巻そろったこともあり、毎月の雑誌購入も秋葉原で用が足りるようになり、とんと足が遠のいていたがどういう風の吹き回しか行って見る気になった。実際のところ、勤務地が都内でなくなったので秋葉原でも神保町でも自腹で電車賃を出さなくてはいけないことに変わりはないのだ。

で、久しぶりにでかけてみた成果はというと、それなりにあった。古書店でも新刊書店でも買い物をすることになった。やはり本の街だけあって品揃えが充実しているというのを改めて認識した。ただ、三省堂には行かなくなってしまった。何年か前に模様替えをして以降、本を探しにくくなり行く気にならない。慣れてないだけだと言われればそれまでなのだが。

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2014年6月19日 (木)

「冬戦争」

戦争の名称は誰が決めるんだろう。
もちろん特定の機関が決めるわけではなく、なんとなく定着していくものだろう。イラク戦争が始まったころ、三十一はマスコミが「イラク戦争」と呼んでいるのに反発していたが今となっては定着してしまってもはや反論する気にもならない。ちなみにアメリカ政府はむしろ作戦名(不朽の自由作戦 Operation Endurance Freedom)のほうを使っているようだ。
「なんとなく」定着していくものなので、必ずしも常に適切な名称が定着するとは限らないし、まぎらわしいものも多い。日本で「太平洋戦争」と言えば 1941年から始まったアメリカとの戦争を示すが、1879年にチリとペルー・ボリビアの間で始まった War of the Pacific も「太平洋戦争」と訳される。まあ日本人で「太平洋戦争」と聞いてまず War of the Pacific を思い浮かべる人はさすがにいないと思うが。相当ひねくれた三十一でも「どっちのことかな」と思うくらいが関の山だ。

「冬戦争 Winter War」にしても、「冬」というこれ以上ないくらい何の変哲もない形容詞だけを冠した名称であり、何らの予備知識なしに「冬戦争」という名前を聞いてそれが「1939年の冬から翌年にかけてソ連とフィンランドの間で戦われた戦争」と想像できる人はいないだろう。一冬期間だけの戦争だから「冬戦争」と呼ばれるようになったんだろうが、そういう戦争がこの戦争だけだったとも思えない。でも定着しちゃったもんの勝ちなのである。

しかし三十一は「冬戦争」が何かは知っていた。書店でこの本を見たときに「おっ」と思ったものである。そして著者名を見て「なるほど」とも思った。この著者は「軍事研究」誌にしばしば寄稿していて、北欧とくにフィンランドにご執心であることは記事を読んでいればよくわかる。そういう著者だから当然フィンランド側からの視点が中心になる。

「冬戦争」について知っていたとは言うものの、ごく大まかな結果くらいしか知らなかったので、細かい戦争の経緯と経過を詳述してくれるのはありがたかった。ただ、まったくと言っていいくらいなじみのないフィンランドの地名がたくさん出てきて、しかも掲載されている地図にも載っていないことがあり、完全な理解をあきらめることもしばしばだった。
あとがきによると著者が構想している「フィンランド軍」シリーズ全12冊の2冊目にあたるそうだが、全シリーズの刊行は無理でも「継続戦争」「ラップランド戦争」くらいは出してほしいなあ。それにしもこの「継続戦争」も特定が難しい名前だなあ。

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2014年6月16日 (月)

3週間ぶりの

3週間前に3年以上ぶりに横須賀に行ったのだが、自衛隊側はあまり思ったように写真を撮れなかったので、毎年夏にあるサマーフェスタの予定を調べようとしていたら、それより前に横須賀で「のりものまつり」とかいうイベントが開かれて、そこでは艦艇の公開もあるとわかった。
だけど6月14・15日かあ。公開は両日とも9時から15時。しかし6月14日の朝9時から15日の朝9時まで当番なので出かけられない。行けるものなら早くから行きたかったのだが、朝9時まで当番で、朝9時からの公開に間に合わせるためにはどこでもドアかタイムマシンが必要だ。残念ながら三十一の家にはドラえもんは装備されていないので、やむなく日曜の9時過ぎから出かける。同じ時間帯に何やらイベントがあったらしいのだが三十一には関係ない。

今回は横須賀中央駅ではなく、京急の逸見駅で降りてみる。結論としては、汐入のほうが便利だったらしいということがわかった。もう何度目になるかわからないが横須賀の総監部の正門をはいると、逸見の岸壁に「てるづき」が横付けされているのが見えた。
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公開されていたのは「ゆうぎり」と「てるづき」だが、順路が「ゆうぎり」から「てるづき」になっていたので、「ゆうぎり」の乗艦への列がだいぶ長くなっていた。三十一は「ゆうぎり」をパスして「てるづき」に向かう。こっちはそれほど列が長くなかった。一般の人には区別がつかないんだな。
並んでいる間に格納庫の上に面白いものを発見。
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銃身がはずしてあるのでわかりにくいが、海賊対処行動の際に機関銃を据え付けて高速艇に対応するための防楯で、新造時から装備しているのは「あきづき級」からになる。

これは前甲板から艦橋を見たところ。ステルスシールドの127ミリ砲と、艦橋上部に装備されているレーダーアンテナが特徴的。
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そしてこれまた「あきづき級」の新装備であるデコイランチャー。
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フネを降りてなんとなく「てるづき」を眺めているとステルス性を考慮した舷門が目に入った。入港時以外はフタがされてるんだな、きっと。
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そして全景。岸壁上の人物と、艦上の人物と、岸壁そのものが邪魔だが雰囲気はわかるだろう。
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さてここで「てるづき」以外に三十一の興味をひいたフネをいくつか。
吉倉桟橋に係留されている自衛艦たち。
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手前は「あぶくま」級の「じんつう」。横須賀で「あぶくま」級を見かけるのは珍しい。「じんつう」も定係港は大湊のはずだが、たまたま横須賀に来ていたのだろう。また最初はわからなかったが、よく見ると「じんつう」の向こうには「はつゆき」級が係留されているようだ。さらにその向こうは補給艦「ときわ」だ。「ときわ」の後ろにマストと煙突だけが見えているのも「はつゆき」級らしい。

前回は3隻いた潜水艦は全て「おやしお」級だったが、今回潜水艦は1隻しか見られなかったが「そうりゅう」級だ。もちろん番号もないので艦名はわからない。
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前回の写真と比べてもらえば舵の形状が違うのがわかるだろう。

最後は、米軍基地に碇泊していた沿岸警備隊の大型カッター WHEC-722 USCGS Morgenthau だ。ちなみに米沿岸警備隊では数千トンの巡視船でも「カッター」と呼ぶ。
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二時間ほど滞在して、帰宅するために横須賀駅に向かったが、時刻を調べてみると思ったよりも時間があいていた。まだ時間が早いし、ついでなので横須賀線の終点まで足を伸ばしてみようかと思い立つ。横須賀線の横須賀から先、久里浜までの区間は2駅だけだが乗ったことがない。横須賀までは何度も来ているのだが。いつか踏破しなくてはいけないとかねてから思っていたので、この機会に久里浜まで行ってみよう。

6/15 の旅程:
品川 (1025) → 金沢八景 (1101) 京急特快
金沢八景 (1103) → 逸見 (1109) 京急
横須賀 (1325) → 久里浜 (1335) 1124F (217系)
京急久里浜 (1352) → 三崎口 (1402) 京急特快
三崎口 (1417) → 品川 (1522) 京急特快

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2014年6月14日 (土)

自分じゃ決められない

野党の分裂とか合同の話題がニュースを賑わしているが、「再編」に奔走しているあいだに本来野党の役割である与党政府の牽制がおろそかになっている。安倍政権の「独走」はある意味野党の責任でもある。
見ていて思ったのだが、そのときどきの政局の焦点によって「再編」の軸が変わっていっているようだ。例えば、当初ある政策(例えば原発反対か推進か)が焦点になり、それに対する姿勢を軸にして野党が再編されていく。この時点ではほかの政策(例えば集団的自衛権の可否)については目をつぶられている。しかし時期が変わって今度は集団的自衛権が政局の焦点になってくると、「原発反対党」が「集団的自衛権容認派」と「集団的自衛権否定派」に分裂し、「原発推進党」のやはり分裂した派閥と再編され、結果として「集団的自衛権容認党」と「集団的自衛権否定党」ができあがる。そしてそれぞれの党に「原発反対派」と「原発推進派」という派閥が含まれるということになるのだろう。
結局、この国をどうしたいというビジョンもなしに、狭い範囲の個別の政策だけに固執するから政局に流される形で揺れ動くのだろう。

さて三十一はかねてから日本は集団安全保障体制に加入すべきだと言ってきたが、その理由のうち重要なことを言ってこなかったような気がするので、ここで言っておこう。
「集団安全保障へ加入」というのをもう少し具体的にいうと、現在の「日米安保」のような「二国間集団安全保障」にとどまらず、NATO型の「多国間集団安全保障」に加入するべきだと考えている。
「多国間集団安全保障」に加入することでどういうメリットがあるかというと、「集団的自衛権」を発動するかどうかの判断を「集団的安全保障体制」の合意にゆだねることができる。いわば「判断の外注」になる。ある意味「逃げ」ではあるのだが、緊急時に国内で不毛な議論を繰り返すよりはずっと有効だろう。
集団的自衛権の発動が検討されるような事態が発生した場合は、「安全保障体制」内で議論が始まるだろう。その際にメンバーである日本は当然自国の立場を主張すべきだが、最終結論には無条件に従わなければいけない。そうでなければ、自国が侵略を受けた際に同盟国の助力を期待することはできないからだ。いっぽうで、「安全保障体制」の要請がなければ集団的自衛権は発動しない、とあらかじめ宣言しておくことも必要だろう。
日本が独自の判断によって行動することはない、と宣言しておくことは、日本を脅威と見る(本気なのか何らかの思惑があって言っているのかにかかわらず)周辺国に対するひとつの回答になるだろう。ただしこれは、日米安保のような二国間安全保障にとどまっている限りはあまり有効ではない。集団的自衛権発動の判断に説得力を持たせるためには、立場の異なる多国が議論して得られた結論という形式が必要になるからだ。

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2014年6月10日 (火)

ブラック企業と靖国神社とAKB

天下の国営放送までもがニュースで結果を報じた総選挙だが、正直言って選抜メンバーのうち半分くらいしか名前がわからないし、名前と顔が一致するのはそのまた半分くらいでしかない。

ちょっと気になったのは、AKB商法に対して批判的な言説に対して「本人たちはあれだけひたむきにやってるのに批判するなんて」という反応があったことだ。
この反応がどんなにおかしなことを言っているかというのは、同じ論理構造を別のシチュエーションにあてはめて見ればよくわかる。
「従業員はまじめに働いているんだから、ブラック企業を批判するのはおかしい」
と言ってるのとロジックが同じだよね。

実際、三十一にはAKBグループはある意味究極のブラック企業に見える。社員のなり手はいくらでもいるし、ちょっとあおってやれば勝手に社員同士で業績を競ってくれる。使えない社員はクビにすればいい。どこから見ても立派なブラック企業のやり口だ。

繰り返して言うが、だからといってメンバーの一生懸命さを否定しているものではない。彼女らの努力は(人によって評価は違うだろうが)尊重されるべきだ。それと運営側のやり方を肯定するかどうかはまったく別の話だ。

ブラック企業と従業員
AKB商法とメンバー
大日本帝国と兵士たち

いずれも区別して考えるべきだ。
国のために命を落とした人々を敬うことは、必ずしも日本帝国の政策を支持することと同一ではない。

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「なぜ都市が空襲されたのか」「海上護衛戦」


三十一がこの種の本を進んで読んでいるのは何故だろう。
防空戦も潜水艦戦も、日本がボロ負けした領域だが、実はこういうところにこそ日本軍と日本人の弱点が如実に現れる。そしてこういう弱点を直視するところから本当の反省が始まるのだ。昔の話というなかれ、こうした弱点を知った上で日々のニュースを見ていると日本人の特性はまったく変わっていないことがよくわかる。

日本にとって先の大戦は国の総力を挙げた(つもりの)大戦争だったが、当の相手のアメリカにとっては片手間で戦っていたことを忘れてはいけない。戦争開始当初、アメリカはイギリスとの協定により対日戦に割り振る戦争努力は全体の3分の1を超えないようにするという約束を交わし、そしてそれはドイツの敗北が確定するまで実際に守られた。

それをもっとも如実にあらわすのが、ひとつは戦略爆撃であり、もうひとつが通商破壊戦である。

日本の都市という都市を焦土にしたB29による爆撃の鍵になる数値は以下の通り。
期間:1944年6月~1945年8月の15ヶ月(マリアナからの本格爆撃が始まったのは1944年11月で、10ヶ月)
出撃数:のべ3万5000機
爆弾投下量:16万トン
損失:414機

それに対してドイツ(占領下のフランス含む)向けの英米による戦略爆撃は
期間:1940年8月~1945年5月(56ヶ月)
出撃数:のべ144万機
爆弾投下量:270万トン
損失:2万1900機

期間は5倍、出撃数は20倍、爆弾投下量は17倍、そして損失は50倍だ。
かの東京大空襲での出撃数は約300機だが、ヨーロッパ戦線では昼間爆撃を担当する米軍と夜間爆撃を担当する英軍がそれぞれ1000機ずつを出撃させるという目標が立てられ、戦争末期には実際にこうした規模での出撃が実現していた。
守る側のドイツ軍も日本に比べて50倍の損害を相手に強いていた。アメリカ軍の爆撃隊にとって、ドイツ深部に出撃するのに比べれば日本への爆撃行はよほど楽な仕事だったろう(縦深が足りないという地勢上の不利はあるが)。

そしてもうひとつ日本が大負けしたのが通商破壊戦である。
ただ、ヨーロッパ戦線と比較する場合に気をつけなくてはいけないのが、攻守が逆転しているということだ。ヨーロッパではドイツは通商破壊をする側だったが、太平洋戦線では日本がされる側になった。

日本商船隊の損害は2100隻、790万トンにおよぶ。これに対してアメリカ潜水艦の損失は42隻。
いっぽうのヨーロッパ/大西洋では、ドイツUボートのスコアは3500隻、1450万トン。そして損失は768隻。

特に目立つのは損失の違い。日本の対潜戦能力の貧弱さと、米英軍の対潜能力の有効さを示すものではあるが、裏返すとそれだけ大量のUボートを通商破壊戦に投入したドイツの戦争努力を示している。日本海軍が実戦に投入した潜水艦はせいぜい100隻あまりだと思う。700隻もの損失は出したくても出せない数字だ。ドイツ海軍が最終的に建造したUボートの数は(中型艦が主体ではあるが)1000隻を超えた。

片手間のアメリカに対して、国力で大きく劣った日本が総力を挙げてあたったかと言えば、実際に詳しく見てみると実はそうでもなかった。当時の日本は軍部独裁のもと全ての国力が戦争に投入されていたイメージを多くの人が持っているだろうが、むしろ民主的なアメリカやイギリスのほうが徹底した面が多い。

結局、どう転んでも勝てる見込みのない戦争だったのだ。
ただひとつ言っておきたいのは、だからと言って実際に戦場であるいは銃後で戦った人々を貶めることにはならないということだ。別にこれは矛盾しないし両立すると三十一は思っている。よく一緒くたにする人がいるけどね。

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2014年6月 5日 (木)

2014年5月の打ち上げ

5月は8件。有人1、失敗1。今年初めての失敗だが、またもやプロトンだよ。
2010年以降、プロトン系ロケットは5回失敗(部分失敗も含む)している。最近ではほぼ1年前、2013年7月に打ち上げを失敗している。しかし全体で見れば Proton M + Briz-M の構成では74回打ち上げで69回成功、成功率は93%とそれほど悪くない。

6日 13:49:35GMT プレセツク/ソユーズ (Cosmos 2495 Kobalt-M)
15日 21:42GMT バイコヌール/プロトン (Ekspress AM4R) 失敗
17日 00:03GMT ケープカナベラル/デルタ (GPS 2F-6)
22日 13:09GMT ケープカナベラル/アトラス (Quasar)
23日 05:27:54GMT プレセツク/ロコット (Cosmos 2496-2498 Strela-3M)
24日 03:05:14GMT 種子島/H-IIA (ALOS 2)
26日 21:10GMT シーランチ/ゼニット (Eutelsat 3B)
28日 19:57:41GMT バイコヌール/ソユーズ (Soyuz TMA-13M) 有人

さて三十一が H-IIA よりも、ISS への有人ミッションよりも注目したのが1年ちょっとぶりのシーランチ。射点で爆発事故を起こしたり、民事再生を申し立てたりと御難続きだがなんとかがんばってほしいものだ。

Orbital Launch Chronology

ところで "Orbital Launch Chronology" は我が家のサーバーで稼働しているが、そのサーバーが最近新しくなった。php のバージョンが新しくなって以前は出なかった警告が出るようになったり、また使っていて突然ネットワークが切れるという不可解な現象が起きたりとまだ目は離せないが、一応の対応はすんだのでしばらくは様子見かな。とりあえず今日一日はもったようだ。
もしうまくつながらないようなことがあったら、「まだ調子悪いんだな」とでも思って大目に見てください。

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2014年6月 2日 (月)

難読艦名

「子日」という字面を見て「ねのひ」と正しく読めるのは旧海軍軍人か旧海軍艦艇にそれなりの知識のある人間か、さもなくば「艦これ」をやってる人間だろう。

いつものことだが昔話から始めよう。
三十一がはじめて作ったウォーターラインシリーズは、今は絶版となった「有明」だ。「有明」は「子日」と同じ初春型に属するが初期型の「子日」と違って後期型になる。キット自体はまったく別物だ。なにしろ30年以上も前のことだ。最初に駆逐艦から入ったのはよかったかもしれない。小学生が最初に作る艦船模型としては手頃だろう。もっとも、これから艦船にどっぷりハマることになるのだから本当の意味でよかったのかどうかわからない。

それからまもなく、書店で見かけて入手した「丸スペシャル」誌は初春型の特集だった。調べてみると1979年2月号だったようだ。初春型のうち「初春」「子日」は竣工時に後年とはまったく違う形態だったのを知ったのはこの本だったかその前だったか記憶が定かではないが、性能改善前の写真を初めて見たのは確かだ。見慣れた日本式駆逐艦とは一線を画した姿は衝撃的だった。

ウォーターラインの初春型はアオシマから出ているが、前期艦完成時、性能改善後、終戦時と大きく形態の異なる時期をおさえたラインナップになっている。特に、竣工時の形態は「一度は作ってみたいがスクラッチするのも大変」な典型とされていただけに、この発売は大方の好評をもって迎えられた。キット自体の評判もいい。
ちなみに、キット化が要望されていた例としては「屈曲煙突当時の長門」「三段甲板当時の赤城」などが挙げられるが、いずれもすでにキット化されている。いい時代になったもんだ。

それはさておき「子日」である。「子日」には1933年当時を再現したキットと1941年当時を表現したキットがあるが、これはかつて三十一が「丸スペシャル」で初めて見て以来ずっと気になっていた性能改善前の1933年当時のキット。

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前作の「瑞鶴」は一週間で作れたのに、今回は3週間くらいかかった。
それには理由があって、途中で部品を紛失したのである。しかも、この「子日」特有のパーツだったので流用も効かない。しばらくのあいだどうしようかと考え、あきらめようかそれともアオシマに部品請求しようかと思い悩んだあげく、もうひとつキットを買ってしまった。というわけで、この作品は結果としてニコイチになってしまったのである。気が向いたら共食いに使ってしまった部品をアオシマに請求して作るかもしれないが、たぶんしないだろう。

ところで、艦船を作るのはいいのだがそれなりに気合いを入れて(模型雑誌の記事にあるようなディテールの入れ方にはおよびもつかないが)作るので、けっこうストレスが溜まる。そこでお気楽に、ストレスなしで作れる模型がほしいと思い始めたのだが、艦船だとどうしても一生懸命作ってしまうので艦船以外の模型を少しずつ買っているが、まだ作る機会がない。本当はガンプラあたりがもっともお気楽に作れるのだろうが、そもそも無印以外のガンダムを見ていないので、模型そのものに思い入れがない。やはり飛行機やAFVといったスケールモデルになっちゃうのかな。

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