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2014年6月14日 (土)

自分じゃ決められない

野党の分裂とか合同の話題がニュースを賑わしているが、「再編」に奔走しているあいだに本来野党の役割である与党政府の牽制がおろそかになっている。安倍政権の「独走」はある意味野党の責任でもある。
見ていて思ったのだが、そのときどきの政局の焦点によって「再編」の軸が変わっていっているようだ。例えば、当初ある政策(例えば原発反対か推進か)が焦点になり、それに対する姿勢を軸にして野党が再編されていく。この時点ではほかの政策(例えば集団的自衛権の可否)については目をつぶられている。しかし時期が変わって今度は集団的自衛権が政局の焦点になってくると、「原発反対党」が「集団的自衛権容認派」と「集団的自衛権否定派」に分裂し、「原発推進党」のやはり分裂した派閥と再編され、結果として「集団的自衛権容認党」と「集団的自衛権否定党」ができあがる。そしてそれぞれの党に「原発反対派」と「原発推進派」という派閥が含まれるということになるのだろう。
結局、この国をどうしたいというビジョンもなしに、狭い範囲の個別の政策だけに固執するから政局に流される形で揺れ動くのだろう。

さて三十一はかねてから日本は集団安全保障体制に加入すべきだと言ってきたが、その理由のうち重要なことを言ってこなかったような気がするので、ここで言っておこう。
「集団安全保障へ加入」というのをもう少し具体的にいうと、現在の「日米安保」のような「二国間集団安全保障」にとどまらず、NATO型の「多国間集団安全保障」に加入するべきだと考えている。
「多国間集団安全保障」に加入することでどういうメリットがあるかというと、「集団的自衛権」を発動するかどうかの判断を「集団的安全保障体制」の合意にゆだねることができる。いわば「判断の外注」になる。ある意味「逃げ」ではあるのだが、緊急時に国内で不毛な議論を繰り返すよりはずっと有効だろう。
集団的自衛権の発動が検討されるような事態が発生した場合は、「安全保障体制」内で議論が始まるだろう。その際にメンバーである日本は当然自国の立場を主張すべきだが、最終結論には無条件に従わなければいけない。そうでなければ、自国が侵略を受けた際に同盟国の助力を期待することはできないからだ。いっぽうで、「安全保障体制」の要請がなければ集団的自衛権は発動しない、とあらかじめ宣言しておくことも必要だろう。
日本が独自の判断によって行動することはない、と宣言しておくことは、日本を脅威と見る(本気なのか何らかの思惑があって言っているのかにかかわらず)周辺国に対するひとつの回答になるだろう。ただしこれは、日米安保のような二国間安全保障にとどまっている限りはあまり有効ではない。集団的自衛権発動の判断に説得力を持たせるためには、立場の異なる多国が議論して得られた結論という形式が必要になるからだ。

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