« 緊急の買い物 | トップページ | 2014年7月の打ち上げ »

2014年7月30日 (水)

富山市で日本海にそそぐ一級河川

戦後イタイイタイ病で名を知られることになる神通川(川は「じんづう」と濁るが、巡洋艦のほうは「じんつう」と濁らない)だが、「神」に「通」じるという字面は戦前の日本では好ましいものだったろう。

Img_3222s

それほど複雑な構造とは言えない大正期の軽巡を完成させるのに一ヶ月以上かかったのは、別に腕が落ちたわけでも変なところに凝ったわけでもなく、純粋に他に時間をとられたのだ。
ちょっとした時間があると wiki の更新を始めてしまい、そのままどっぷりハマって「今日も手をつけられなかった」と思うことがしばしばで、実際に製作に費やした時間は大したことはないだろう。

作ってみて思ったのは、やっぱり大正時代の巡洋艦はシルエットがシンプルであっさりしているなあということ。そして駆逐艦と並べてみたときに、本来の巡洋艦の存在価値は武装ではなくこの(駆逐艦と比べれば)大柄な船体なんだなあということ。
大戦期の巡洋艦や、あるいは駆逐艦と比べてでさえ5500トン型巡洋艦の武装はそれほど充実しているとは言えない。日本海軍の師匠筋にあたるイギリス海軍では、全世界にちらばる植民地の警備と植民地への連絡路の維持のために巡洋艦を重視した。その巡洋艦に求められたのは、長大な航続力と、外洋で安定して巡航できる能力だ。そのためにはある程度の大きさの船体が必須条件となり、武装は二の次になる。
大正時代までは日本海軍も(その思想はともかくとして)イギリス海軍にならった巡洋艦を建造していたのだが、夕張あたりからちょっと毛色が変わってきて船体はできるだけ小さく、武装はできるだけ強力にという方向に走り始めた。
イギリスよりもはるかに貧乏な日本にとってはやむを得ない面もあったろうが、通商保護を二の次にして攻撃一辺倒に陥った日本海軍がおかしくなり始めたのはこの後だ。模型的には、あるいは造形的には面白い時期ではあるのだけれど。

さて模型制作のペースは落ちたが在庫が増えるペースはそれほど落ちていない。
最近、積み上げられた模型の下のほうで箱が潰れかけるという問題が発生し、高さを減らす作業に迫られた。体積は減らない(むしろ増えている)のに高さを減らそうとすると、必然的に面積が増えることになる。かくして部屋がますます狭くなる。

|

« 緊急の買い物 | トップページ | 2014年7月の打ち上げ »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/196234/60069957

この記事へのトラックバック一覧です: 富山市で日本海にそそぐ一級河川:

« 緊急の買い物 | トップページ | 2014年7月の打ち上げ »