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2014年9月18日 (木)

スコットランドは内、クジラは外。

時期的に節分は真裏になるけど。
最近ニュースを賑わしているのはスコットランドと鯨の話。

スコットランドでは独立賛成派と反対派が拮抗していてちょうど今日行われている住民投票の結果は予断を許さない状況だと伝えられる。その一方で、国際捕鯨委員会では日本が明白な少数派のようだ。

こういう立場の違いがどこから生まれるのだろうというのを考えたことがある。考えたのはずいぶん前のはなしだがちょうどいいので今ここに発表する(大げさな)。
簡単にまとめてしまうと、どこまでが「自分側」でどこからが「他人」になるかの境界線の引き方の違いに収束してしまうのだろう。いまのイギリス(本国)はイングランドとスコットランドと北アイルランドとウェールズから成り立っているが、スコットランド人にとってイングランドは「こちら側」なのか「向こう側」になるのか。「向こう側」だと考えるのなら分裂する力が働きやすくなり、「こちら側」と考えれば求心力が働く。
ニュースを見ていて感じたのは、賛成派が「自分たちの意見が届く政府を」と言ってたが、確かに6000万分の1が600万分の1になれば「自分の意見」が通る確率は10倍になるが微々たる比率であることには変わりない。現状、自分の意見が反映されていないと感じるから現状をひっくり返そうという動機になるのだろうが、現状をひっくり返したあと何が待っているかは誰にもわからない。イギリスから独立しても不満が解消されなかったときには、次はスコットランドから州を独立させ、さらには州から町を独立させ、町から我が家を独立させるのだろうか。
個人的には、独立そのものは否決されるものの、相当の支持を集めた独立圧力を背景にして立場を強めていく、というシナリオが結局は最も望ましい落としどころではないかと思う。

では人間にとって鯨は「こっち側」か「向こう側」か。これは日本人と西欧人でとらえ方が違うだろう。
現代の日本人にとっては、鯨はすでに「向こう側」の存在でしかないかもしれない。しかしかつての日本人には、鯨はある意味「こっち側」であり「向こう側」でもあった。広く「同じ世界の住人」という意味では「こっち側」であるが、あくまで「魚の一種」(これは現在の科学では正しくない認識だが)であり人間とは異なる存在で「向こう側」だった。
「鯨は知能の高い動物」として捕鯨に反対する西欧人にとって鯨が「こっち側」かと言うと、実際にはそう単純なことではないだろう。傍目から見ていると、鯨は「日本人」を「向こう側」に追いやるためのダシでしかないように見える。そういう意味では鯨も日本人も両方「向こう側」の存在で、ただ両方を比べたときに鯨の方を「近く」に置くことで日本人の異質さを際立たせようという(意識的か無意識かはともかく)思惑があるのではないか。

もちろん、自分に近い存在により親近感を抱き、物理的なあるいは精神的な距離が開くに従って順次疎遠になっていくのは当然のことだ。しかしその減り方は一様ではなく、あるところで段差が生じ、そこから向こうが「向こう側」と見なされるのだろう。

自分の周りの存在を親しさの度合いによって分類する、という点で精緻な体系を作り上げたのが儒教だ。一般には「封建思想」として過去のものとされている儒教だが、「自分に近い存在に対しては遠い存在よりも親近感を持つのは人間の自然な感情で、それを否定する博愛主義は不自然」という文章を読んで目からウロコが落ちたような気がしたものだ。2000年以上前から積み上げられた細かい仕組みに従う必要はないけれど、人間にはそういう面がある、ということは覚えておくべきだろう。

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