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2014年10月28日 (火)

鉄道のない国(昔はあったらしい)

今日はフリーきっぷの通用最終日。なので宿はとっておらず、今日帰京することにする。
JR四国の路線で残っているのは、徳島県の東岸沿いに南下する牟岐線。正直言って優先順位はそれほど高くなかったのだが、調べてみると意外と短時間で往復できることがわかった。朝の8時過ぎに高松を出れば、終点まで往復して2時過ぎには徳島まで戻ってこられる。たったの6時間(たったの?)。
とは言え、この時間帯を外すとそんなにうまい接続はないので、朝寝坊できない。昨夜のホテルは駅から少し離れたところになったので、なおさらだ。
余裕を持って駅に到着。いちおう指定席をとろうと思ったが、またもや空きがない。平日朝の特急だからなあ、しょうがないか。時間に余裕があったので、ホームに並んで入線を待つ。徳島方面から特急が到着、乗客が降りて社内整備後に折り返し。入ってきたのは5両編成だったが、うち3両が切り離されて、徳島に向かって折り返すのは2両だけになる。自由席の窓際に席を確保したが、徳島までの道中は半分寝てました。4度目の吉野川を渡って徳島着。

徳島からはキハ185系の「むろと」に乗りつぐ。
中田(ちゅうでん)を通過。かつてこの駅からは小松島線が分岐していて、明らかに線路跡を利用したと思しき遊歩道が延びていた。歴史的には、当初は徳島から中田を経て小松島までが小松島線と呼ばれていて、中田から牟岐線が分岐する形だったのだが、牟岐線が延長されていく間に徳島~中田間が牟岐線に編入され、小松島線は中田から先だけになってしまったのだ。もしこれが元の線路名称のままだったら、国鉄改革の際に廃止対象になったのは牟岐線のほうだったかもしれない。
南小松島、羽ノ浦、阿南と停車していくが車窓からはまったく海が見えない。由岐を出た直後の田井ノ浜臨時駅のあたりからは海水浴場が目の前だが、それを過ぎるとまた海は見えなくなる。それどころか、完全に山の中にわけいるようになってしまって。海沿いの路線とはとても信じられない。勾配もかなりきつく、トンネルも多い。まもなく列車終点の牟岐、というあたりで線路の正面に簡単には越えられそうにない山が立ちふさがった。この先が戦後開通の区間になるのだろう。

いま乗っている特急「むろと」は牟岐が終点。むかいのホームに停まっている1500系気動車単行に乗り換えて牟岐線の終点である海部に向かう。
海部を出ると途端に海が見えるようになる。トンネルも多いんだけどさ。ちょっとした山なら鞍部を目指して峠越えに挑むのではなく、まっすぐトンネルを掘ってしまうので海から離れる必要がない。明かり区間もほぼ高架なので眺めがいい。10分ほどで海部に到着する。高架上の対向式ホームがあるだけの駅。駅舎は高架下らしいのだが降りる気がしない。ここからは阿佐海岸鉄道阿佐東線になる。
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阿佐海岸鉄道ではJR四国のフリーきっぷは利用できないので、終点の甲浦まで片道270円の運賃を別途払わなくてはいけない。このまま徳島に戻ってもいいのだが、甲浦まで往復しても結局帰りの列車は同じなので、ついでだから甲浦まで行くことにする。多分もう二度と来ないだろうし。

海部から甲浦まではわずか2駅だが、ちょうど徳島県と高知県にまたがっている。この先まったく延長される気配がないのも、県境というのが影響しているのだろう。ローカル線である牟岐線のさらに先端に2駅区間だけの阿佐海岸鉄道の経営が順調であろうとはとても思えない。車窓からの景色はなかなかいい風景だったのだが、なにぶんアクセスが不便すぎる。終着の甲浦駅はなかなか他にはない最果て感。話には聞いてたけど。
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高架上のホームから長い階段を降りて駅舎へ。年配のお遍路さんには厳しい構造だが、「バリアフリー何それ」の時代に作られた代物だから仕方ないのかな。駅舎はバスターミナルと観光案内所を兼ねているが近所のおばさんが積めている簡易委託駅だ。40分ほどの折り返しで今来た道を戻る。
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徳島まで戻ってきて、さて帰京だがこれまでの三十一なら普通に高松に戻り、岡山に戻り、新幹線で東京に戻るか、あるいは高松から「サンライズ瀬戸」の寝台で戻るのが定番だ。だが今回はちょっと思い切って高速バスを使ってみようかと思う。「思い切って」っていうか一般には第一に考えられる選択肢だとは思うんだけど。
調べてみたところ、徳島駅から新大阪駅に直接向かうバスはないけれど、新神戸駅に行くバスがあるらしい。3時のバスを予約する。
わざわざバスを使うことにしたのは、ライバル(何の)であるバスを一度利用してみないと対策(何の)も立てられないというのと、鉄道のない「淡路国」を訪問するにはバスしかないというのがあった。今回の旅行で沖縄を除く全国の都道府県を一度は訪問したことになるが、66ヶ国にまで話を広げると、志摩国、石見国、あとは島部の佐渡、隠岐、対馬が未訪問となる。島部はともかく志摩と石見は制覇したいなあ。

徳島から新神戸まではバスで2時間ほど。金曜日の午後だからだろうけど、そこそこ混んでいた。しかしやっぱりバスは狭いなあ。鳴門海峡を渡り、淡路島の山の中を走り抜け、明石海峡を越え、少し遅れて新神戸駅に到着。半分くらい寝てたような気がする。
週末の夕方、東京行きの新幹線は当然のように混んでいる。席がとれないので1時間あまり後ののぞみで帰京。

10月24日の旅程:
高松(0823)→徳島(0939) 3003D
徳島(0951)→牟岐(1059) 5051D
牟岐(1105)→海部 (1119) 4537D
海部(1126)→甲浦(1137) 5549D
甲浦(1219)→海部(1230) 5550D
海部(1233)→牟岐(1247) 4552D
牟岐(1252)→徳島(1401) 5043D
徳島(1500)→新神戸(1658) JR四国バス
新神戸(1841)→東京(2130) 6182A

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2014年10月26日 (日)

電車のない国

四国3日目。
宿は高松か徳島にしようと思っていたのだが、調べてみたら「禁煙」「インターネット可」のプランが徳島では見つからなかった。というわけで高松一択。大きな荷物をコインロッカーに放り込んでおけるのは利点だ。

四国西半分のJRは制覇したので、あとは東半分となるわけだが、ここでポイントとなるのは徳島と阿波池田(正確には佃)を結んで徳島県を東西に走る徳島線。これを東から西へ、あるいは西から東へ乗るかだ。ところが徳島線はあまり見るべき個所がない。吉野川の南岸を坦々と走るだけ(まだ乗ってないのだが)。話題と言えば、入場券が受験のお守りとして人気になった「学」駅くらいだ。そこで実際には、高松から阿波池田または徳島に向かうルートが決め手になる。
今日の天気は良いらしい。実はこれが重要な要素になる。また昨夜高松に泊まったのも、伏線となっている。2年前に四国に日帰りしたとき、土讃線で讃岐山地を越えて吉野川河谷に降りていく路線の車窓風景をいたく気にいったのだが、そのときには車窓の反対側だったので今ひとつ満喫できなかった。それを今度こそ先頭車両でしかも晴天の下で満喫したかったのだ。10時過ぎに阿波池田につく「南風3号」に狙いを定める。そのちょっと前に高松から高知方面に向かう「しまんと」もあるのだが、この列車にはグリーン車が連結されていない。高松からは直接「南風」には乗れないので、普通なら快速から乗りつぐことになるのだろうが、三十一は特急乗り放題のフリー切符を持っている。せっかくなので「南風」に乗りつぐために特急「いしづち」に乗ることにする。
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「いしづち」は待望の8000系電車だ。やっぱり電車は快適だなあなどと「非電化単線鉄道愛好会」会長にあるまじき感想を持つ。まあそれはそれ、これはこれ。
宇多津駅に近づくと、ちょうど目の前の高架線を前側に連結されるはずの「しおかぜ」が走っていくのが見えた。あの区間はまだ乗ったことがないんだよなあ、実は。まあ宇多津駅構内の扱いなので未乗とはみなさないけどさ。宇多津駅では連結作業が終わるまでドアが開かず少し待たされた。
宇多津でいったん降りてみる。この駅では列車の連結や分割が頻繁に行われているので駅構内はなかなか活気があるが、降りてみると静かな駅だなあ。窓口でグリーンの指定を頼んだが、右側(A席)は開いていないという。やむを得ず1C(先頭の左側)を確保する。
実際に乗り込んでみると、席がとれなかった理由がわからない空き具合。まあ必要に応じて席を移ることにしよう。
席が一番前なので線路がよく見える。前面展望ビデオみたいだ。ビコムから出ている土讃線特急の前面展望ビデオは上り列車だが、この区間は絶対に下り列車のほうがいいと思う。実際、この区間は四国のJRの中で一番の絶景だと三十一は思う。坪尻のスイッチバックもすごくよくわかる。そしてそれからすぐに目の前がひらけ、はるか下に池田の街、吉野川、そして吉野川にかかる赤い鉄橋。天気がいいので鉄橋の赤い色が映える。
阿波池田駅はいい雰囲気。
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ここで1時間ほど待つ。何もない駅で1時間くらい待つのはもうすっかり慣れっこである。
適当なタイミングでホームに入る。ああ、天気いいなあ。ちょうど高知方面から上りの「南風」が入ってきたので撮影。引きの写真と寄りの写真のどっちもいい感じで選べなかったので2枚貼っておきます。
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徳島に向かう特急「剣山」(つるぎさん)は今回初めて乗るキハ185系。
いちおうこの列車も指定席を頼んでみたのだが、「いちおうとっておくけど自由席でも座れると思うよ」と言われました。乗ってみて納得。指定席は4列(16席)しかなく、しかもそのうち半分くらいを団体さんが占めていた。あの中に潜り込む勇気はなかったので自由席に座る。
旅行も4日目になりちょっと体調が悪くなってきたので正直なところ半分くらい寝ていた。「学」駅も見逃した。吉野川が見えるわけでもなく、田園の真ん中をとことこと走るだけ。寝るのもしょうがないよね。徳島駅に到着。県庁所在地駅として考えると、四国4県のうちで最後になる。徳島県は電気鉄道がまったく存在しない(ケーブルカーやロープウェーを除く)日本で唯一の県という、非電化単線鉄道愛好会にとっては理想の土地なのだけどね。

ここから一回鳴門まで往復して鳴門線を征服。
1200系単行で徳島駅発。さっきまで乗っていた徳島線と同じ方向に向かって発車。隣の佐古駅までは複線だが実際には単線並列。複線の右側を走っているように見える。徳島駅自体は地平だが駅を出ると高架になる。佐古を出ると右に大きくカーブして北に向かう。この先で吉野川を渡るはずだ。お、これが吉野川か。江戸川とそれほど変わらない川幅だけど、鉄橋自体はトラスの無いガーター橋なんだなあと思っていたら、実はこれは前座でした。真打ちはこのあとに控えていた。うわー、さすが四国三郎。この川幅は迫力あるなあ。北海道、札沼線の石狩川橋梁が同じくらいのスケールだと思う。
分岐の真ん中に駅舎がある特徴的な構造の池谷駅で高徳線本線からわかれて鳴門線に入る。このあたりはずっと平坦だ。
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終点鳴門駅は10分で折り返し。帰りはちょうど高校の帰宅時間になったのか、高校生がちょっとうるさい。まあしょうがないね。日本のローカル線は病院に通う老人と、通学の高校生でもってるからなあ。ただちょっと不思議だったのは、撫養でまとめて乗車してきた高校生が、勝瑞駅でやっぱりまとめて降りて行ったこと。下車駅がみんな同じってどういうこと? 定期見せてたから何か特別なイベントがあるわけじゃないだろうしね。
またもや吉野川を渡って徳島に到着。高松行きの特急の指定を頼んでみたらもう空きがないという。おお、今回の旅行では初めてだなあ。自由席にまわることにする。始発駅なので席の確保自体はそれほど難しくないだろうが、できるだけ前方が見える席を狙う。自由席の行列に並んで前から3列目、右窓際の席を確保。

今日3度目の吉野川を渡って高松に向かう。池谷駅でさっきとは反対に西側にカーブ。しばらく真西に向かうことになる。線路の北側には、讃岐との国境を遮るかのように険しい山がそびえている。高徳線は、どこであの山を越えようか決めかねて逡巡するように西に走る。そして板野を出ると、意を決したように北に向きを変える。実際、歴史的にはここから先の山越えの区間と、吉野川を渡る鉄橋が一番最後に開通しているのだ。
ここからこれまでの路線とはうって変わって本格的な山岳路線になる。急勾配とトンネルの連続。左も右も山が重なっている。しかしすっかりスレてしまった三十一にとっては見慣れた山岳路線。とくに注意を払うことなく窓の外を眺めていたのだが、ふと気がつくと右手に見えていた山が消えて海になっていた。この場面転換には正直意表をつかれた。制限されていた視界が突然開けるという展開は、今日の午前中に乗ってきた土讃線の阿波池田付近と同じ展開だ。正直期待していなかったのだが、この景色は思わぬ収穫だった。これ以降の高徳線は海沿いと山越えが入り交じる。志度からは琴電が右手に見える。屋島が見えるとまもなく高松。

10月23日の旅程:
高松(0845)→宇多津(0910) 1003M
宇多津(0932)→阿波池田(1018) 33D
阿波池田(1125)→徳島(1236) 4006D
徳島(1357)→鳴門(1432) 4964D
鳴門(1442)→徳島(1515) 4069D
徳島(1528)→高松(1632) 3020D

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2014年10月23日 (木)

グリーン、グリーン。

前夜は松山に宿泊したのだが、夜中に強い雨が降っていた。
朝にはやむらしいがその日の午後はまた雨という予報。移動そのものにそれほど影響が出るとは思えないが、高知に泊まって土佐電鉄改め「とさでん交通」を乗り歩こうという計画は再検討されることになった。少々の雨ならともかく、もし大雨にでもなったら街歩きは大変だ。普段ならそうでもないのだが、荷物を少なくするためにチャチな折りたたみ傘しか持っていない。どちらにしろ、四国にはもう一度来なくてはいけないだろう。高知はやめて、宿を高松にすることにする。それには別の理由もあるのだが、それはまたいずれ。
翌日の天気予報をにらみ、ホテルの空き状況をにらみ、時刻表をにらんでどのホテルを予約するか決断する過程はなかなか悩ましい。毎晩、ホテルで悩み苦しんでいる。

朝になってしまえば、多少の選択肢はあるにしても基本的には昨日に決めた計画を実行するだけ。松山駅の窓口でグリーン車の席を指定してもらう。ついでに、席指定が自販機でできないか聞いてみたところ、「有価証券でないので」という理由で窓口でないとできないという。理由になってないような気がするが、できないというのはそうなのだろう。四国島内の特急は接続がわりとシビア(待ち時間が少ないので便利ではあるのだが)で、直前に窓口に行って席をとってもらうのは難しいことがある。自販機でできれば早いのだが、と思っていたのだがやはり無理か。無理だろうとは思っていたけどね。
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なにはともあれ、実は人生初の特急グリーン車体験だ。ぶるじょわw。
ああ、このシートはさすがにいいなあ。ちょっと感動したのは二人がけの席の真ん中の肘掛けが見たこともないくらい幅広だったこと。隣の人と肘掛けを取り合わなくて済む。2000系のグリーン車は半室で横1+2人がけが6列、定員は18人だがそこに座ったのは三十一ひとり。個室状態だ。前夜泊まったホテルの部屋よりずっと広い。

乗った列車は宇和島行きの「宇和海5号」。途中、伊予大洲までは昨日乗車済み。その先、宇和島までの区間は大きな地図を見ると海岸沿いを走っているようだがほとんど山の中で海が見えるのはわずかだ。見えるのは海よりもミカンのほうが多い。まだちょっと時期が早いのかな。
宇和島で予土線に乗り換える。乗換時間が9分しかなく、駅舎の外には出られなかった。ホームで待っていた列車は「海洋堂ホビー号」のひとつではあるがマスコミで報道されていた0系モドキではなかった。
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今回、時刻表を見直して改めて思ったのだが、これまで予土線は東京から遠く、しかもずっと山の中なので乗り通すのは大変だろうと思っていたのに、全線を乗り通しても2時間余りで済んでしまうことがわかってちょっと拍子抜けした。三十一の感覚がおかしいのかな。北海道だと3時間4時間がざらにあるので慣らされてしまったのかもしれない。
北宇和島で予讃線から離れて予土線に入っていくが、しばらくは住宅地の中を走る。このあたりに駅がひとつあってもいいんじゃないかと思ったが、次の駅になる務田まで6キロあまりある。思ったよりも家が多くて、ちょっとした近郊地帯という印象だが、やがて勾配がきつくなりトンネルをくぐったところに務田駅がある。あとで知ったのだが、このトンネルが宇和島側と高知側の分水嶺だったらしい。峠を超えたところはちょっとした盆地になっていて、水田がひろがっている。両側に山、真ん中に川、川をはさんで水田があり、山裾に住宅と道路、そして鉄道が通るという日本中どこでも見かける風景。川とともに県境を超えて高知県に。本流と合流したところが江川崎になる。本流の川は四万十川と呼ばれているそうだ。
江川崎では観光客がカメラを抱えて待ち構えていた。わいわい騒ぎながら乗り込んできて写真をとりまくり、そのまま降りていった。まあこういう観光客も必要なんだろう。三十一はああはなりたくないけれど。行き違いになった列車は例の新幹線モドキ車両だった。ああ、やっぱりあの先頭部分はハリボテなのね。鉄板を組み合わせて取り付けてるだけで中身はスカスカなのがよくわかった。
宇和島から江川崎まで開通したのは昭和28年、その先終点の若井までの開通は昭和49年。この先は比較的新しい路線で、概略四万十川にそって走るが、川の蛇行には必ずしも忠実に従わず、トンネルや鉄橋で直線的に抜けてしまう箇所も多い。ぼんやり川を眺めていてふと気づいたのだが、列車も川も高知県側にむかって走っているはずなのに列車の走る方向と川の流れる方向が逆なのである。一部こういう現象になっている個所はそんなに珍しくないが、地図で調べてみるとこの先終点の若井や窪川あたりまでずっとこんな状態らしい。窪川と太平洋の間はほんの10キロくらいしかないのだが、ちょっとした山地にはばまれて西に大きく迂回し、江川崎付近から南下して中村で太平洋に注いでいる。確かにこの風景は見飽きない。川を眺めているあいだに時間があっという間に過ぎ、気がついたら川奥信号場にさしかかっていた。土佐くろしお鉄道線と合流して若井、さらに窪川へ。

窪川で高知行きの特急に乗り換える。わずかな時間で座席指定をしてもらう。また個室状態でした。特に要望しなかったので山側の一人がけが指定されたのだが、海が見えると海側に席を移って写真をとってみた。今度は待ち構えていたのでちょっとはマシな写真がとれた。安和付近で砂浜の上に高架橋が通っていてそこを列車が走っている写真はけっこうよく見ると思うが、その同じ個所で列車のほうから海をとった写真がこれ。
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洲埼を過ぎると内陸に入るのでもう海は見えない。伊野からは「とさでん交通」(土佐電鉄から社名変更)が並行して走る。高知でいったん終点となる。向いのホームには乗り継ぎとなる「南風」が待っている。
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そのまま乗り継いで高松に向かってもいいのだが、時間はすでに昼過ぎ。昼食をとれるところを探すために街に出よう。雲は多いが、そんなに怪しい天気というわけではない。予報は外れたかな。土佐電で駅前から行けるところまで行ってみよう。途中でよさそうなところがあれば降りればいいし、どうしても見つからなければ駅のファストフードでもいい。車内から見ていると、はりまや橋付近がやはり中心街らしい。いったん終点の桟橋通五丁目停留所まで行ってみる。
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はりまや橋まで戻って降車。周辺をうろついて、適当な店に入り定食を食べる。食べ終わって店を出たら雨が降っていた。予報が当たったよ。
一日乗車券を買ってあるので一番近い停留所から駅に戻ればいい、と思ったものの、さてどこが一番近いんだろう。距離的に近くても交差点を渡らなくては行けない停留所だとやはり雨に濡れてしまう。こういうときに土地勘がないと困るなあ。こういうことがあるから天気が気になるんだよ。気にしていながらはまってしまうのは愚かな所業だ。

なんとか駅までたどりつき、高松に向かう特急のきっぷを入手して待合所で時間まで待つ。このとき、荷物をコインロッカーに預けてあったことを思い出して慌てて取り出す。危うく荷物を高知に置いてくるところでした。
さすがに今度の列車では個室状態ではなかった。3人くらい乗ってました。まあ席はほとんど選び放題ではあるけれど。大歩危渓谷と小歩危渓谷は列車の中からはそれぞれ左右に見えるので、席を移りながら渓谷を見下ろす。
「南風」は岡山に向かってしまうので宇多津で乗り捨て、快速に乗りついで高松へ。

10月22日の旅程:
松山(0808)→宇和島(0930) 1055D
宇和島(0939)→窪川(1149) 6818D
窪川(1157)→高知(1304) 2074D
高知駅前→桟橋通五丁目 とさでん交通桟橋線
桟橋通五丁目→はりまや橋 とさでん交通桟橋線
蓮池街通→高知駅前 とさでん交通桟橋線
高知(1513)→宇多津(1703) 60D
宇多津(1708)→高松(1732) 154M

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1都1道2府42県

現時点までで、三十一が足を踏みいれたことがない都道府県は陸続きでない沖縄県を除くと愛媛県だけになっていた。そもそも四国島に初めてわたったのは2年半前で、しかも日帰りだった。その一日で4県中3県をまわってきたのはそれはそれで酷い強行軍ではあるのだが。

四国に行くことを考え始めて、使えるキップがないかしらべてみると「四国フリーきっぷ」「四国グリーン紀行」というフリーきっぷがあることがわかった。いずれもJR四国全線乗り放題、特急列車にも乗車可能ということは同じだが、「フリーきっぷ」は通用期間3日で16000円、いっぽう「グリーン紀行」は通用期間4日で20000円。これだけでも「グリーン」のほうが割安だし、その上特急グリーン車に追加料金なしで乗車可能となると、「グリーン」を選ばない理由がない。
このほかに「バースデイきっぷ」というのがあって、さらに割安ではあるのだが使用可能な期間が限られる。

「グリーン紀行」の通用期間を最大限活用するために、初日は移動にあてることにする。当初の計画では新幹線と瀬戸大橋線を乗りついで高松に入るつもりだった。しかし調べてみると高松にちょうどいいホテルがとれなかった。だいたい高松は連絡船と接続するために港に国鉄の駅が作られ、繁華街とは少し離れているのだ。そこでホテルを岡山で探すことにしたら、あっさり見つかった。

昼過ぎの「のぞみ」で岡山へ。駅直近のホテルに入る。翌朝は少しゆっくり目に出て、マリンライナーで高松へ。
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このマリンライナーは2階建てのグリーン車を奢ることにする。このあたり、2年半前とほとんど同じ行程だ。高松駅で「グリーン紀行」を入手し、ついでに松山までの指定券を頼む。今夜の宿は松山だ。高松から予讃線で松山に向かう特急「いしづち」は、岡山からやってくる「しおかぜ」と宇多津で併合されるが、付属編成側になる「いしづち」にはグリーン車は連結されていない。宇多津で席を移るということもできたのだが、それも面倒なので松山まで普通車指定席をとってもらう。グリーン車の快適さを知った今なら、席替えが面倒でもグリーンにしただろう。

発車まで少し時間があったので、2年半前は時間が遅くて入れなかった高松城跡に入ってみる。入場料200円。高松城は海に隣接しており、本丸のまわりにも水堀がはりめぐらされている。これは天守跡から海の方向をみたところ。
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発車が昼直前なので駅弁を買って列車に乗り込むんだのだが、これが「アンパンマン列車」なのだ。まあ乗ってしまえば同じか、と思ったが車内アナウンスまで「アンパンマン」でちょっとうんざり。ただ、この写真の眼目は実は車掌。顔が識別できる写真もあったのだが、さすがにまずいだろうと考えて掲載は見送った。ごめんね。
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指定席車は編成の先頭で前がよく見える。もっとも、宇多津では「しおかぜ」の後方に連結されてしまうので、前が見えるのはほんの20分でしかない。宇多津では連結併合が頻繁に行われているが、実際に列車に乗車した状態で作業を目撃するのははじめてだ。前方のホームに停車している「しおかぜ」に徐行で接近しているときに突然気づいた。これディーゼルだ。松山までは電化済みなので電車だと思っていたが、言われてみればエンジン音がしてたわ。運用の都合なんだろうが、2000系はすでに前回乗車済みなので、今回は8000系に乗ってみたかったなあ。

観音寺をすぎるとそろそろ県境。このあたりでは線路はほぼ海沿いだし、何かランドマークはあるんだろうかと思っていたら、ちょっとした尾根が海岸線にまで突き出していたのできっとこれが県境なんだろう。かくして三十一は最後に残された愛媛県に進出し、沖縄を除く全国を制覇した。

今治もすぎてそろそろ松山も近くなってきたころになって考える。予定だと2時すぎには松山駅に到着する。そのままホテルに入るには少し早い。なんとなく、伊予鉄道の路面電車にでも乗ってみようかと思っていたのだが、この時間帯を使ってこの先「山線」と「海線」に別れている予讃線を踏破しようと思いついた。このように「新線」「旧線」に別れた区間というのはところどころにあるが、どちらかを選べばどちらかが残ってしまいがちになる。この区間も「旧線」である「海線」は半分あきらめていたのだが、往復する際に別ルートを通るようにすればいい。せっかくフリーきっぷをもっていることだし。

というわけで、いま乗っている「いしづち/しおかぜ」に接続する「宇和海」で伊予大洲まで行き、海線経由の普通列車で戻ってくれば5時過ぎというちょうどいい時間帯で松山に戻ってこられることがわかったので、この計画を実行する。

窓口で指定をとってる時間がなかったので、「宇和海」の自由席に乗り込む。内子経由の山線を通って伊予大洲へ。この区間、初めて乗ったはずなのに何か既視感があるのは、ビコムの車窓展望で見てたからだった。実際に既視でした。
時間帯的に折り返しの普通列車は帰宅する高校生でいっぱいかな、と覚悟していたのだが意外にすいていた。それよりも気になったのは運転士が研修中で、隣に立つ指導運転士からいろいろ指導されながら運転していた。どうも停止位置にうまくとめられないようで、駅にとまるたびに「今回はよかった」とか「今回はちょっと」とか会話していた。言っておくけど別に批判してるわけじゃないよ。一人前になるためには避けて通れない過程だ。

伊予大洲から伊予長浜までは肱川沿いに走る。霧が川面をさかのぼることで知られていて、テレビで見たことがある橋が見える。伊予長浜からは海沿いになって、途中の下灘は「海に一番近い駅」とか言われているけれど、個人的には「長崎本線の旧線」とか「五能線」とか「信越本線の青海川駅」とか「根室本線の尺別付近」とかのほうが「海に近い」と感じたなあ。そういや、この沖にDASH島があるはずだけど、とても見えない。なにはともあれ、予讃線旧線も踏破して松山に戻ってきた。

いったんホテルにチェックインして、夕食をとりに出ようと思ったのだが駅前にはあまり店がない。路面電車に乗って、あてずっぽうに大街道で降りてみる。地元民について大街道商店街を歩いてみたがなかなか決め手がなく、さらに銀天街に入って歩きつづけたところ、最終的に伊予鉄道の松山市駅にまでたどりついていた。駅併設の高島屋で食事をとり、松山市駅から再度路面電車に乗ってJR松山駅まで戻る。

10月20日の旅程:
東京(1410)→岡山(1730) 39A

10月21日の旅程:
岡山(0932)→高松(1027) 3117M
高松(1150)→松山(1413) 1009D~9D
松山(1428)→伊予大洲(1503) 1067D
伊予大洲(1534)→松山(1710) 4924D
JR松山駅前→大街道 伊予鉄道市内軌道線
松山市駅→JR松山駅前 伊予鉄道市内軌道線

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2014年10月21日 (火)

会長の宿題

非電化単線鉄道愛好会会長たる三十一にとって、中部地方を縦断する全線非電化単線路線でありしかも「本線」と呼ばれている高山本線はどうしても避けては通れない課題であり、 ここ数年ずっと三十一の心中にわだかまっていた宿題だった。
しかし宿題が宿題のままのこっていたのにはそれだけ理由があって、高山本線は「本線」とは言いつつも都市を結ぶ連絡線としては機能していない。名古屋と富山を結ぶ最短路線は実は高山本線なのだが、現在その目的で高山本線に乗る人はいないだろう。

新幹線やほくほく線を活用すれば日帰りできないこともないのだが、あまりにも厳しいので前泊することにする。前泊地は富山。よく考えたら北陸新幹線の開業後のほうがずっと楽な日程になったはずなのだが、それに気づいたのはもうホテルを予約してしまってからのことだったので後の祭り。

さて東京から富山への最短最速経路は上越新幹線で越後湯沢に出、「はくたか」に乗り継ぐルートなのだがこれは実は2005年に経験している。おまけにその時は帰路にわざわざ「北越」~長岡乗り換えの上越新幹線という別経路を使っているので、こちらも経験済み。ところが、もうひとつこれまで利用したことがないルートが残っている。それはかつてメインルートだった東海道新幹線から米原乗り継ぎの北陸本線ルートだ。北陸本線の米原~近江塩津間は未乗車だったのでちょうどいい。この区間も狙って乗らなくてはなかなか乗りにくいルートだ。しかし実際のところ、東京から福井あたりなら米原ルートのほうが早いが金沢まで行くと越後湯沢ルートととんとん。富山になると明らかに越後湯沢からのほうが早い。しかし2005年に金沢に行ったときに越後湯沢ルートを使い、今回富山に行くときに米原ルートを使うのは話が逆だ。まあしょうがない。

家を出たのが少し遅かったので、昼過ぎの「ひかり」で米原へ。「のぞみ」ではなく「ひかり」に乗るのは久しぶりだ。使用車両は N700A系だったけどさ。車内からは珍しく富士山がよく見えた。沿線の景色をなんとなく眺めていて思ったのだが、日本では遠景になんらかの山地が見えている、という風景がごくありふれたものである、ということ。逆に言うと、三十一が普段見慣れている関東平野の平坦な風景はきわめて特異なものだ、ということだ。人口の割合はともかくとして、地域的なひろがりという意味では東京はきわめて特異な存在であるということは、覚えておいたほうがいいだろう。

米原で683系のしらさぎに乗換え。そういや米原はJR海とJR西の境界駅だ。初めて乗る北陸本線だが景色はそれほど面白いものではない。琵琶湖東岸の平坦な地形で線形は単純。しかし線路から琵琶湖はまったく見えない。余呉のあたりでようやく水面が見えたと思ったらすぐにトンネルに入り峠越えにかかる。山のなかで湖西線と合流すると近江塩津駅。このあたりは高速道路の立体交差を彷彿とさせる線路配置で、鉄道模型のレイアウトのようだ。この先の北陸本線はループで有名だが、ループが必要なのは勾配をのぼっていかなくてはいけない上り線で、いま走っている下り側にループは不要。というわけでループ線の下を2回くぐるとまもなく敦賀に到着。かつて北陸本線の交直セクションは米原付近にあったが、近年敦賀の先、北陸トンネルの手前に移された。よく耳をすませていればモーター音が静かになったのがわかるが、車内の照明が落ちたり空調がとまったりということがなくなったので普通にしているときづかないだろう。武生では福井鉄道の駅と線路が目に入る。福井駅前は(新幹線延伸は未定なのに)一大工事中。金沢までくると北陸新幹線の高架橋がすっかりできあがっている。試運転まで始まっているのだから当然だが。ちょうど日が暮れるころに富山着。東京からは約5時間。そういやこないだ台風のときに「飛行機が飛ばなくなったので東京から新幹線を乗りついで5時間かけて熊本にたどりつきました」というコメントをしていた人がいたけど、「5時間なら近いじゃん」と思ってしまう三十一はやっぱり特異なんだろう。

富山駅はまだまだ工事中で、現在の駅舎の東側に新しい駅舎と駅前広場、そして南北連絡軌道を建設中。写真は余命半年の現駅舎。
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富山に一泊して、翌朝の特急「ひだ」で名古屋方面に向かう計画だが、「ひだ」の大半は高山始発で、富山から出るのは8時と13時の2本。正確にいうとこのあとにさらに2本あるのだが、「日中ルール」にひっかかるので使えない。午前中を富山で過ごして13時の列車を使うというのも考えたが、とにかく高山まで行ってしまえば選択肢が増えるのであとはそのとき考えようということになり、8時の特急でまずは高山に向かう。
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しばらくは富山平野の稲作地を進む。速星ではいまどき珍しい工場への引き込み線とヤードが。越中八尾は「おわら盆」で有名だがいまは時季外れで数組の観光客が乗ってきただけ。ちょうどこのあたりから山地のにおい(比喩的表現)がしてきた。猪谷までくるとすっかり山の中。ここからはかつて神岡線(神岡鉄道)が分岐していたが、むしろ現在ではJR西日本とJR東海の境界駅として機能している。この列車も乗員(運転士と車掌)が交代した。猪谷はすでに県境を越えて岐阜県に入っているのだが、線路脇を流れる川は相変わらず後ろ方向、つまり富山県に向かって流れている。

1時間半ほどで高山着。名古屋に向かう列車を乗り捨てる。
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次の特急は約2時間後。まず駅前に見て地図や観光案内を見てそれから先のことを考えることにする。地図にあった観光地でまず目についたのが飛騨代官陣屋跡。それから高山城跡。飛騨国は江戸時代、比較的早い時期に藩主が移封され天領(幕府直轄領)になった。高山城は移封前の藩庁だが、天領になってからは城は破却され陣屋で代官が政務を執った。問題は、陣屋は駅から比較的近いところ(徒歩10分くらい)にあるのに対し、城跡は山の上にあるということ。とりあえず陣屋まで行ってみる。
陣屋は賑わっていた。正確にいうと陣屋前で朝市が催されていてその朝市が賑わっていた。本命であるべき陣屋に関心を寄せている人はあまり多くなかったようだ。三十一はちょっと陣屋の入り口をのぞいてみた。入場料430円が惜しかったわけではないが、あまりゆっくりもしていられないので外から写真をとるくらいにしておく。
陣屋を出て次は城跡をめざしてみたが、想像以上に登りがきつく、城山の入り口にたどりついたところで引き返した。あとはぐるりと街をまわって駅を目指す。

率直な感想として、想像以上に街は賑わっていた。特に外国人観光客が目立つ。これまで三十一は数多くの地方都市をめぐってきたが、これくらい賑わっているのも珍しい。正直なところ、三十一でさえ一泊くらいしてみてもいいかもしれないと思ったくらいだ。観光地としてのネームバリューがあることも助けになっているだろうが、(外国人も含めて)観光客に徹底して便利にしようとしていることが伝わってくる。ただ、高山駅の旅行代理店は来月に閉鎖されてしまうそうだが。

とは言え、三十一の最優先事項が別にあるので、1時間ほどで駅に戻ってきて11時半の特急のきっぷを確保する。時間帯がちょうどいいので飛騨牛の駅弁を買って列車に乗り込む。高山を出てしばらくのあいだは相変わらず川が後ろに(日本海側に)流れていく。飛騨一ノ宮で高山盆地は終わり、トンネルをくぐって久々野に出ると分水嶺を越えたらしく川が反対側(太平洋側)に流れるようになる。ここから高山本線は飛騨川のつくる渓谷をひたすら下っていく。川は右側になったり左側になったりするので、どちらに座るのがいいとかいうのは特になさそうだ。強いていうなら運転席直後かなあ。
急に風景が開けて美濃国にはいったことがわかる。ずっと一人旅をつづけてきた高山本線に左から線路(太多線)がよりそうと美濃太田。平地に降りてきて明らかにスピードが上がってきた。右手に岐阜城が見えると近代的な高架橋をかけあがって岐阜駅着。ここから進行方向が変わるが、せいぜい20分くらいのことなので誰も座席の向きを直さない。同じような現象は秋田新幹線の大曲~秋田とか、佐世保線の早岐~佐世保でも見られる。

思ったよりも早く、2時過ぎに名古屋着。適当な新幹線で東京へ。

10月17日の旅程:
東京(1233)→米原(1445) 513A
米原(1456)→富山(1729) 9M

10月18日の旅程:
富山(0800)→高山(0931) 1026D
高山(1124)→名古屋(1402) 28D
名古屋(1442)→東京(1623) 230A

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2014年10月18日 (土)

そうだ、福島行こう2.

ある日、朝起きて「今日は東北に行こう」と思った。
本当は陸羽東線に乗りたかったのだが、すでに日帰りが難しい時間帯になっていたので断念した。厳密に言えば日帰りできないわけではなかったのだが、三十一が(趣味で)鉄道に乗りに行くときにはひとつできるだけ守りたい「縛り」がある。それは

初めて乗車する路線はできるだけ日がある(=景色が見られる)時間帯に乗車する

というものだ。
どうしても無理な場合は、日があるうちに再乗車することを考える。つまり、夜に初乗車した区間はいわば「仮免」扱いになってしまうのだ。6月7月ならともかく、10月に入ってしまったのでタイムリミットはだいたい5時、甘く見ても5時半。6時にかかるようならカウントにならない。

というわけで、宮城県まで足を伸ばすのは無理だったので、その手前でということで磐越西線が選ばれた。東西の磐越線のうち、実は非電化区間は乗車済み。まんなかの郡山-会津若松間が未乗車として残された。電化済みでもあるし、いつでも乗れると思うから逆に残ってしまったとも言える。この区間を乗車すれば、磐越線は完乗となる。
この結果、福島県で(不通区間も含めて)未乗車なのはJRでは水郡線だけ、民鉄で福島交通、阿武隈急行、会津鉄道になる。ほんとうは会津鉄道を使って戻りたかったのだが、これも「日中ルール」にひっかかるのでできなかった。

10月12日の旅程:
上野(1106)→郡山(1218) 135B
郡山(1243)→会津若松(1354) 3233M
会津若松(1435)→新津(1710) 233D
新津(1719)→長岡(1801) 3374M
長岡(1948)→上野(2114) 1348C

上野から郡山までは1時間あまり。新幹線の利便性がありがたい。
郡山で乗り継いだのは719系の快速。
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東北本線からわかれてしばらくは福島中通りの盆地を行くが、やがて会津盆地への峠に向かう。この急勾配と、軸重制限が専用機であるED77を必要とした要因だったわけだ。サミットを超えて下り始めたところにスイッチバックの遺構がみえる。中山宿の旧駅だ。現在の中山宿駅は西側少し離れたところの本線上に移されている。
峠を越えて会津盆地に入ると、右手に磐梯山がそびえる。
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実は三十一は高校時代に林間学校で登頂していて非常に苦しかった記憶があり、素直に楽しめない複雑な感情がこみ上げてきた。
左側には猪苗代湖があるはずだが線路からはまったく見えない。まあこれも林間学校で見たのだが。磐梯熱海や猪苗代で観光客が下車していく。猪苗代駅には「郷土の偉人」野口英世を顕彰する看板があるが、野口英世のかつての「業績」の多くは現在では否定されているのを知っているだけにちょっと気恥ずかしい。
終着の会津若松駅はほぼ5年前にも来ている場所。あのころはまだ只見線がちゃんと走っていたが、途中の区間が不通になって3年以上になる。復旧はいつになるのか、そもそも復旧するのかどうか。
会津若松駅そのものは街の北のはずれにあるので、30分あまりの乗り継ぎ時間ではどこにも行けない。

この先の磐越西線はすでに乗車済みなのだが、イベント列車でほぼ満席でもあり、かろうじてロングシートの片隅に席を得ることができたがとてもゆっくり車窓をながめる状態ではなかった。いつか再乗車してみたいとおもっていたのだ。
使われる車両はキハ47の2連。うち1両は朱色一色だが、もう1両は白地に窓まわりが青、窓下に赤い線のアクセント。
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この先の磐越西線は阿賀川にそって下っていくが、川は右になったり左になったりと一定せず、特にどちらが多いというわけではなさそうだ。なんとなく、左側のほうが景色がよかったような気がするので左にすわるが、それぞれ良さがあるようなので往復逆向きに座るのがベストだろう。ヒマがあれば是非お試しあれ。
阿賀川は会津盆地に端を発して日本海に注ぐ川で、新潟県に入ってからは阿賀野川と呼ばれ新潟水俣病が流域に発生したことで有名だが、それはともかく県境を通じて川が流れているわけで、つまり県境が分水嶺になっていないということを示している。線路の上り下りだけでは県境がどこかわからない。
ダムによる細長い人工湖と渓谷が交互に現れる光景は、日本の河川としてはありふれた風景といえよう。人工湖に漕艇場が設けられていてカヌーの姿がみうけられるのが強いていえば珍しい。
馬下を過ぎたあたりで急に景色が開けて新潟平野にやってくる。五泉駅では蒲原鉄道線の遺跡でも見つからないかと思って目をこらしてみたが見つけられなかった。
終着の新津着。切符を買ってあるのはここまでで、その先は細かく決めていない。上越新幹線で東京に戻ることは決まっているのだが、新潟から乗るか長岡から乗るがは白紙だった。結局選んだのは長岡。この区間はいずれも乗車済みだが、新津-長岡間は「トワイライトエクスプレス」で真夜中に通過した経験しかなかったからだ。しかし、485系で運転される快速「くびき野」が新津を出てしばらく走るともう周囲はまっくら。あまり意味がなかったなあ。

長岡に着いて案内地図を見てみると「山本五十六博物館」とかあって食指が動いたが時間的に無理なのであきらめる。駅前をうろうろしたあげく駅ビルのファミレスで食事をして新幹線で帰京。

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2014年10月 9日 (木)

2014年10月の桜

統幕長交代。10月14日付なので発令は週明けだが。

8月の人事異動では統幕長が据え置かれたので、どういう意図があるのだろうと疑問に思ったのだが、結局は2ヶ月遅れで統幕長関連の人事だけが行われた。

空将・岩崎茂(統合幕僚長・防大19期)>退職
海将・河野克俊(海上幕僚長・防大21期)>統合幕僚長
海将・武居智久(横須賀地方総監・防大23期)>海上幕僚長
海将・井上力(舞鶴地方総監・防衛大24期)>横須賀地方総監
海将補・堂下哲郎(自衛艦隊幕僚長・防衛大26期)>舞鶴地方総監(海将)

内容はほぼ予想通り。
現役で残っていた海将の顔ぶれからしても、海幕長の後任が23期の武居横須賀総監になることはほぼ確実だった。
横須賀総監の後任になった井上海将も、自衛艦隊幕僚長や統幕運用部長を歴任してきた出世株で、三十一はひそかに将来の海幕長候補とにらんでいる。

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2014年10月 2日 (木)

2014年8月と9月の打ち上げ。

まず8月分。
2日 03:23GMT ケープカナベラル/アトラス5
5日 08:00GMT ケープカナベラル/ファルコン9
9日 05:45GMT 酒泉/長征4C
13日 18:30GMT バンデンバーグ/アトラス5
19日 03:15GMT 太原/長征4B
22日 12:27GMT クールー/ソユーズ (投入軌道不正)

22日のソユーズの失敗だが、フレガット上段ステージがペイロードであるガリレオ衛星を本来の円軌道ではなく、楕円軌道に投入してしまったらしい。
ESAによるソユーズの打ち上げが失敗したのは初めて。もっともソユーズ本体は正常に動作したのだが。

9月分。
4日 00:15GMT 酒泉/長征2D
7日 05:00GMT ケープカナベラル/ファルコン9
8日 03:22GMT 太原/長征4B
11日 22:05GMT クールー/アリアン5
17日 00:10GMT ケープカナベラル/アトラス5
21日 05:52GMT ケープカナベラル/ファルコン9
25日 20:24GMT バイコヌール/ソユーズ
27日 20:23GMT バイコヌール/プロトン
28日 05:13GMT 酒泉/長征2C

中国は相変わらず精力的に打ち上げを続けているが、アメリカもほぼ同じくらいのペースで打ち上げている。その立役者は SpaceX 社によるファルコン9で、この2ヶ月で3回という私企業としては驚異的なハイペースだ。

orbital launch chronology

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