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2015年2月28日 (土)

ぽかぽか鉄道みはらし駅


このマンガに出てくる「ぽかぽか鉄道みはらし駅」というのが篠ノ井線姨捨駅をモデルにしているのは鉄分豊富な人ならすぐ気づくことだろう。

三十一も篠ノ井線にはすでに乗ったことがある。しかしほとんど記憶がない。なにしろ30年以上前のことだったからなあ。中学生のころだ。
こうした「遙か以前に一度乗ったことはあるけれど憶えていない」路線というのがいくつかあって、そういう路線はできるだけ乗り直したいと思っている。しかし「まだ乗ったことがない」路線に比べるとやはり優先順位は低くなってしまう。もしついでがあるなら考慮する、というのがせいぜいだ。というわけで今回もついでなのである。何のついでなのかはまたいずれ。

この週末は久しぶりに土日とも空いたので前日の金曜日に「週末パス」を手に入れて準備していた。一抹の不安は金曜の夜が当番だったこと。それでも仮に呼び出しをくらったとしても土曜の朝には解放されるはずなので当初の予定は狂うかもしれないけれど「週末パス」がまったく無駄になることはあるまいと踏んだ。そうしたら案の定呼び出されましたよ。一時は朝までやることになるかと思ったが幸いなことに真夜中過ぎに解放された。前日に準備するつもりだったのができなかったけど。

なにはともあれ、朝というか昼前に家を出てまず長野に向かう。長野新幹線には何度も乗ったことがあるが、適当な時間に E7系の列車があったらそれに乗ろうと狙って「みどりの窓口」で時刻表を調べてみるとちょうど次の「あさま」がE7系だった。
上野からE7系の「あさま」に乗り込む。おお、F1編成だ。シートはE5系のバケット感に比べるとやや物足りないか。はじめ何気なく座って一瞬違和感を感じた。ヘッドレストの高さを調整するのが前提なのね。背中にヘッドレストが当たってびっくりしたよ。
北陸新幹線はトンネルも多いし車窓はそれほど新味がない。それでも季節柄列車が進むにつれて白い物が目立ってくる。碓氷峠を越えて軽井沢に着くと雪に覆われた浅間山がのしかかるように迫る。よく見ると平地でも木の陰に雪が残っているのが見える。実は三十一にとって冬季のしかも雪国の鉄道旅行は珍しい。今回もちょっと悩んだのだがダイヤ改正後になると混んだりするかもしれないと考えてこの時期に決行することにしたのだ。せっかく冬に決行するのだから、これで「冬でも行けそう」とわかれば今後計画を立てるときに参考になるだろう。長野着。
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長野駅自体は以前来たときとそれほど変わらないが、駅前は盛大に工事中。今回は時間がないので断念したが長野電鉄の駅に行ってみる。当番がなければ朝から出て湯田中まで往復できたかもしれないのになあ。

長野から篠ノ井線で松本へ向かう。ほぼ同じ時間帯に特急もあったのだが、当然普通列車を選ぶ。特急はスイッチバックを通過してしまうのだ。時間があったので余裕こいていたらもうかなり混雑していた。E127系2両編成のワンマン運転だ。ワンマン運転なので車掌室があいている。運転台は施錠されているが進行方向左側のスペースには入れる。篠ノ井駅まで来たところでもう席はあかないと踏んでこのスペースに入り込む。後ろに流れていく線路と左側の景色を眺めていると、はるか彼方に雪をかぶった山が見えた。戸隠連峰だろうか。稲荷山駅を出ると急勾配になる。スイッチバックの桑ノ原信号場を通過し、さらに登るとみはらし駅、もとい姨捨駅だ。車掌室から見ているので線路配置がよくわかる。いったん引き込み線に入り、逆行し始めると客席のほうから「あれ何で?」という声が聞こえた。さっき放送で説明してたやん。聞いてなかったんだろうな。本線を横切って駅構内に入っていく。ここでしばらく停車するということなので、車掌扉の窓をおろして写真を撮った。
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これで日本三大車窓は全部制覇した。細かいことをいうともうずいぶん前に制覇していたのだが、なにしろ姨捨は記憶になかったので。
駅の近く、善光寺平を見下ろすところのまるで突き出た岬のような突出部にぽつりと一軒家が建っていた。うーむ、あの家は景色いいだろうなあ。でも高所恐怖症の人には無理だなあ。集中豪雨にあっても上から土砂が降ってくる心配はないだろうが、足元の地面がいきなり流されることは心配じゃないのかな。
姨捨を出るとやがてトンネルに入って長野盆地に別れを告げる。西条を出ると新線に切りかわった区間となり長いトンネルに入るが、これがあからさまに複線サイズのトンネルに単線の線路が敷かれている。なんとももったいないなあ。トンネルを出たところの明科駅から次の田沢駅までが複線になっているだけにね。複線にしても運転数を増やすほどの需要がない、ということだろうか。松本駅手前で大糸線と合流するはずだけど、なかなか見当たらない。と思っていたら道路橋の陰から突然現れた。松本までの間、完全に並行しているのだが北松本駅は大糸線のほうにしかない。

松本駅に到着。今夜は松本泊だが、このままチェックインするか、それとも松本交通を往復してからチェックインするか、あるいはいったんチェックインしてから松本交通に乗るかという選択肢を天秤にかける。判断のためには現地で松本交通のダイヤを見る必要がある。結論としてはまず松本交通を往復することにした。
松本駅をいったん降りて松本交通線の改札を探す。あれ、ないぞ。JRと松本交通の乗換通路はあったんだけど、きっぷ売り場はどこだろう。どうも松本交通の独立した改札というのはないらしい。松本交通線は起点の松本駅以外はどこにも接続していないのでこれでもいいのかもしれない。ホームに入ってきた列車にちょっと驚く。アキバの某店で見かけたことはあるけど実物は初めてだ。
京王3000系の中古車で終点の新島々駅まで30分。終点まであと2駅という波田で高校生がごっそり下車して車内は閑散とする。2両編成の列車に乗客は三十一を含めて3名。終点の新島々駅周辺には集落があるわけではなく、上高地方面にむかうバスターミナルがある。
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もう5時すぎなんだけどまだ明るい。明るいうちに終点までたどりつけてよかった。
三十一が旅行を計画するときには 日没時間を確認する作業が欠かせない。とても現代人とは思えない。
乗ってきた車両でまた出発駅まで引き返す。新島々駅ではゆっくり車両の写真が撮れました。
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本日の旅程:
上野(1230+5)→長野(1402) 523E
長野(1504)→松本(1619) 2242M
松本(1645)→新島々(1715) 33レ
新島々(1724)→松本(1753) 38レ

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2015年2月26日 (木)

「ながら族」って言葉はまだあるのかな

模型制作を再始動するにあたり、最初に選んだのはタミヤの軽巡「長良」である。
パーツも多くないし、なにしろタミヤのキットなので作りやすい。

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タミヤのキットのいいところはパーツの合いがよいことで、それぞれのパーツがぴたりぴたりとあるべき個所に収まっていくのは組み立てていて心地よい。
キット自体はフジミがWLを脱退したときに穴埋めとして発売されたものですでに20年ほど経つ年季ものだがバリもヒケもほとんど出ていない。最近のキットに比べれば細部の表現はそれなりだが、このくらいでいいのだよ。

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2015年2月24日 (火)

「大陸・南方膨張の拠点: 九州・沖縄」


このシリーズを読んでいて感じるのは、章によってそれぞれの執筆者の特定の主張が強く押し出されるケースがあること。例えばこの巻ではないが「所沢」をとりあげたときに所沢で編成訓練された陸軍の航空部隊が出征先の中国でどんな被害をもたらしたかをこと細かく記述していたが、正直それが所沢という特定の地域と軍隊のかかわりとしてどんな意味をもつのか疑問に思った。主題を見失っていないか。この章ではいろんな単語にやたらとカギカッコをつけているのも気になった。
最近の流行のようで「アジア・太平洋戦争」という呼び方が多くの章でされているが、三十一はこの単語を好まない。この単語に限らず、歴史上の固有名詞を読み替えることで何らかの意味を持たせようという試みには反対だ。当時実態としてはあったが特定の名称がなかった事象に、後世の歴史家が便宜上の呼び方を定義するのは避けて通れないが、当時すでにあった固有名詞は固有名詞としてフラットに取り扱うべきで、そこにバイアスを持ち込むような違った名前を与えるべきではない。少なくとも歴史学者を名乗るのなら、ね。太平洋地域だけでなくアジア地域にも戦火が広がったことを示すために「アジア・太平洋戦争」と呼ぶべきだという主張らしいが、だったらほぼ同じ意味の「大東亜戦争」ではなぜいけないのか、という疑問にはどう答えるのだろう。当時の人間が言うことはダメで、現代の歴史学者が言うことは正しいということかな。過去の(歴史上の)人物の所業を全否定するかのような態度は歴史学者としていかがなものか。

それはともかく「九州・沖縄」であるがこの巻ではやはり沖縄の置かれた立場というのが印象に残る。どうしても軍隊の側に批判的に記述される傾向があるが、それを差し引いてもやはり沖縄の置かれた状況は厳しいものといわざるを得ない。特に沖縄戦後の米軍占領下での過酷な状況は、普段マスコミなどでもあまり報じられないだけに興味深かった。

沖縄と軍隊のかかわりの歴史を概観してみて思ったのは、沖縄という地域(あるいは住民)と軍隊の間の関係がずっといびつなまま長い年月を経てしまっていること。
ときどき「沖縄のひとは元来平和で」みたいなことを言う人がいるけれど、時代をさかのぼってみると必ずしも正しくない。琉球王国の統一前、あるいは統一後も各地方の有力者同士が武力で争う時代が長く続いた。これ自体はそれほど珍しいことではなく、地域や時代を超えて世界中で時期を問わず見られる状況であり、沖縄が特に平和を好んだわけではない。もちろん、平和を嫌ったというわけでもない。人並み、ということだ。
その状況を変えたのは17世紀初めの島津家による琉球制圧だ。これ以降、現在にいたるまで沖縄の人々は沖縄防衛という仕事から切り離され、外来の軍隊が沖縄に駐留するという状況が続いた。明治維新までは島津藩、その後は明治政府軍(日本軍)、そして米軍。400年もの間、沖縄の人々は沖縄における軍事政策立案に携わることができずに外部から押し付けられるまま従うことを余儀なくされてきた。こうした事実が沖縄人の軍隊というものに対する態度に影響を与えなかったはずがない。沖縄人と軍隊が常に対立していたというわけではない。ときには利害関係が一致することもあるだろう。しかし、沖縄人が「あっち側」に立つことはなかった。

そう考えると、沖縄の自衛隊には単に沖縄を防衛するだけでなく、こうした状況を是正する役割を果たすことが期待される。沖縄のために沖縄を防衛するという立場に立って日々行動することによって、国民(県民)の軍隊というものに対する見方を少しずつでも変えていき、沖縄と軍隊のかかわり方をあるべき姿に近づけていくことができるかもしれない。例えば第101不発弾処理隊(101不処隊)や第15飛行隊(現・第15ヘリコプター隊、旧・第101飛行隊)は不発弾処理や急患輸送といった直接県民の助けになる活動を続けてきた。今後は災害派遣の機会も増えるだろう。先日、与那国島で自衛隊配備の是非を問う住民投票が行なわれたが、その際に賛成派の論拠のひとつとなったのが災害時に自衛隊の部隊が島内にあることの利点である。米軍と自衛隊の一体化が懸念されて(あるいは望まれて)いるけれど、表面上の運用はともかくとして究極の目的としては米軍とは異なり国土(もちろん沖縄を含む)と国民(もちろん沖縄県民を含む)の平和と安全を目指すという立場は堅持すべきである。こうなると米軍と自衛隊で「同床異夢」になってしまうという批判もあるだろうが、人が違えば違う夢を見るのはあたりまえ、国が違えば目指すものが違うのはあたりまえで、それぞれの目的のために協力するほうが利益になると踏めば協力関係は成り立つのである。国際関係とはそうしたものだろう。人間関係となんら変わりはない。ともかく、自衛隊は旧軍とも違うし、米軍とも違うということを実績でもって示すことが重要だ。旧軍の「菊」と「龍」の部隊号を引き継いでいる、などと瑣末なことをあげつらうのは建設的ではない。沖縄出身の自衛官が沖縄に駐屯する部隊の指揮官になるようなことが普通になれば状況は変わるかもしれない。

さてこうした沖縄の事情を知った上でなお、三十一は米軍が沖縄にあることは必要だと思う。米軍が沖縄に部隊を残しておきたいか、それとも撤退したいのかは米軍の事情である。しかし日本としては米軍が日本にいてもらわないと困る。それは最前線である沖縄がなんらかの攻撃をうけたときに「米軍を巻き込む」ためだ。日本がアメリカの戦争に「巻き込まれる」という主張は冷戦時から数限りなく唱えられてきたが、冷戦も終わりアメリカの国内世論が内向きになりつつある昨今、日本にとってもっとも避けるべきシナリオはアメリカから見捨てられることである。実際、アメリカ国内では日本と同じように「極東の情勢にアメリカが巻き込まれる」ことを恐れる意見が根強くある。こうした意見が万一にも力を得て実行に移された場合、日本の状況は劇的に変わる。甘んじて他国の支配をうけるか、あるいは強迫に屈するか、さもなくばこれまでの数倍は下らないであろう防衛費の負担を費やして独力での防衛をはかるか。いずれにせよこれまでのような平和で安定した生活は望めない。日本としてはアメリカが日本防衛にコミットし続けるために、米軍を沖縄にいわば人質として置いておく必要がある。
「いざというときに米軍が命をかけて日本を守ってくれるわけがない」と言う人がいるが、そんなことはあらためて指摘するまでもない当然のことだ。無条件で自国のために命をかけてくれるのは自国の軍隊以外にない。もちろん、米軍はアメリカのために命をかける。最終的な目的はアメリカを守ることであって、「日本を守る」のは手段でしかない。言い換えれば、「日本を守る」ことがアメリカの国益になるから「日本を守る」のだ。日本の立場としては、アメリカに「日本を守ったほうが国益になる」と信じ込ませる必要がある。必ずしも事実である必要はない。相手がそう思ってくれさえすればいいのだ。あるいは「米軍が沖縄にいれば抑止力になるから、万一攻められたときに本国から部隊を送ってくるよりも結局安上がり」という話でもいい。まるでどこかの営業マンのセールストークのようだが、売りつける商品が違うだけで実際にやってることは大して違わないのだ。

自衛隊が沖縄に配備されるようになって40年余りが経つが、400年にわたる長年月と、沖縄戦という強烈な経験ですり込まれた感情を払拭するにはまだまだ足りない。しかしこうした沖縄と軍隊の不自然な関係性が是正されれば、沖縄のみならず日本全体にとっても大きな意味があるだろう。焦らずしかし着実に、日々の勤務を通じて少しずつでも前進してもらいたい。

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2015年2月13日 (金)

公平さは利便性に優先するか

最近、テレビでは「日本はこんなにすごいんだ」という自己満足に浸る番組が数多く放送されている。その中で鉄道が取り上げられることも多い。
しかし三十一は日本の鉄道がそんなにすごいとは思わない。むしろ危機感すら抱いているのだ。車両や設備などのハードウェア、運行管理や信号などのソフトウェアは確かに優れていると言っていいだろう。しかし都市交通/地域交通/都市間交通の中で鉄道をどう活用していくかというビジョンが決定的に欠けている。

例えば首都圏の場合、東京特別区内だけでも鉄道事業を展開している業者はJR東日本(東海は新幹線のみなのでひとまずおく)、地下鉄2事業体(東京メトロ、都営地下鉄)、大手私鉄7社(京急、東急、小田急、京王、西武、東武、京成)、その他6社(埼玉高速鉄道、北総鉄道、東京モノレール、ゆりかもめ、りんかい線、つくばエクスプレス)で総計16事業体となる。一部相互乗り入れはあるものの、基本的にはすべて別運賃となり、会社をまたぐたびに清算して切符を買いなおさなくてはいけない。この上バスもあるから、慣れない人間には理解不能であろう。いまどき銀行だってもう少し融通が利く。

三十一が10年以上前に出張で数ヶ月をすごした海外の某都市では、市内の地下鉄とバスはすべて一律2ドルだった。何度乗り換えても2ドルぽっきりである。バスと地下鉄の乗り換えは改札を通らない仕組みになっており、バス同士を乗り換える場合は乗り継ぎ券を発行してくれる。はじめはこの仕組みがよくわからなかった(言葉のせいもある)が、いったん理解してしまうと明快で簡潔だ。日本でも地方の路面電車などで同様のシステムを採用しているところがある。だが東京などの大都市では、上記のように多数の事業者が乱立しているためにこうした均一運賃の導入は不可能だといわれている。こうしたシステムは、海外の多くの都市交通や、日本の地方都市のようにひとつの事業者が独占しているから可能なのだ、という。はたしてそうだろうか。

均一運賃のバリエーションとして、エリア運賃制がある。路線網をいくつかのエリア(ブロック)に分け、同一エリア内であれば均一運賃、エリアをまたがる場合にはエリアの数によって運賃が決まる、という制度だ。これだとエリアをまたがる短距離区間で割高になりそうだが、隣のエリアまでを均一運賃としてエリアをふたつまたがる場合から運賃を上げるようにすれば問題はない。エリア運賃制の導入はときどき議論されるが、事業者間の運賃清算が難しいとして具体化していない。

日本の鉄道事業者は独立採算が建前なので、少しでも運賃を取りそこなうような施策には及び腰だ。たとえば相互乗り入れによる直通運転が可能な場合であっても、運賃清算ができないために直通しないケースがある。具体的に見てみよう。これは川島令三が自著の中で紹介しているケースだが、現在JR埼京線は大崎からりんかい線に直通して新木場まで運転している。新木場ではJR京葉線に接続しているが、実はりんかい線とJR京葉線の線路はつながっていて、直通運転ができる。しかし直通運転をしてしまうと、例えば新宿から舞浜などという区間を乗車した場合に、ずっとJRに乗車していたのか、りんかい線を経由してきたのかが判別できなくなってしまう。これだけが直通運転をやらない理由だというわけではないだろうが、大きな要因になっているかもしれない。

実際には、事業者をまたがる路線であっても事業者間で協定を結べば均一運賃やエリア運賃は可能だし、通算して運賃計算するようなこともできるだろう。しかし現実にはこうした動きはまったく見られない。現在の相互乗り入れの仕組みでは、ひとりひとりの乗客が支払った運賃のうち、いくらがそれぞれの事業者の収入になるかが正確に判別できる。別々の運賃を合算した価格で表示された切符をあらかじめ購入するという仕組みなのだから当然だ。この仕組みを根本的に変えて購入した切符に対して選択可能な経路(事業者)が複数あるとすると、乗客の利便性は向上するが事業者にとっては正確な運賃の収受が難しくなる。この場合は旅客数の統計に応じて該当する区間の収入を事業者間で按分することになるだろうが、現在のような10円単位(あるいは1円単位)での清算は不可能だ。ある程度は「どんぶり勘定」にならざるを得ない。この方法では利用者の間で不公平感が生じる、というのが事業者の言い分だが、実のところ「本来はとれたはずの収入が入ってこなかったら困る」というのが本音だろう。「ひとつひとつをきっちり把握して正確に清算すればどこからも文句は出ないだろう」というのはいかにも日本人らしい律儀さの発露だが、違う見方をすれば公平さを優先して利用者の利便性を犠牲にしているとも言えるのである。

三十一がいま求めるのは、多少の運賃の収受漏れがあったとしても、利便性が向上することによって乗客が増え、結局は収入が増えて企業の利益にもなるという発想の転換である。こうした発想の転換は単に運賃制度のみならずいろんな面に波及するだろう。こういう提案をすると「現在ではICカードが主流になって運賃の収受が自動化されているのでそこまでの必要はないのでは」という反論が予想される。海外や地方からの一時訪問者に対して「とにかくカードに適当にチャージしておけば勝手に引いてくれるから」とアドバイスするのは乱暴ではあるが一番手っ取り早く確実だろう。しかし、あとになって別の経路で行けばずっと安く済んだということを知らされたとき、不満に思わないわけがない。不明瞭で複雑な運賃制度は、テクノロジーで覆い隠しきれるものではないのだ。

日本にとって強みのある分野である、ということで鉄道の海外輸出がうたわれるようになってからそれなりの時間が経っているが、正直なところ期待値に比べて成功しているとは言いがたい。日本では欠陥機メーカーと思われているボンバルディア社は鉄道の分野では世界三大メーカーの一角を占めており(他はジーメンスとアルストム)、日本のメーカーは大きく水をあけられている。最近、日立の車両がイギリスで採用されて話題になったが、逆に言うと話題になるくらい珍しいニュースだということになる。
「海外の鉄道関係者を日本に招いて」みたいなニュースをときどき見かけるが、はたしてこちらが見せたいものと向こうが見たいものが一致しているだろうか。向こうのリップサービスに舞い上がって「いい手ごたえだ」などと暢気に構えているうちに、他国に受注をさらわれるようなことがなかったといえるだろうか。

三十一の危機感はやまない。

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2015年2月 8日 (日)

ふたたび冬の秋月

冬の秋月」、「春の秋月」と季節ごとに歴代の「秋月/あきづき」を披露してきたので、「夏の秋月」を目指して一応「夏」と言える時期のうちには着手したのだが結局竣工は秋を飛び越して二度目の冬になった。まあ、「秋の秋月」などというわけのわからないタイトルにならなかったのは良かった。いいわけでしかないが。

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作業そのものに半年もかかるわけがなく、手をつけられていない時間が長かったわけだが、その時間の大半はデカール貼りに二の足を踏んでいた時間である。三十一はデカール貼りが苦手で、しかも一度間違えるとほぼやり直しがきかないのでちょっとした決心が必要なのだ。水を用意するのが面倒というのもあるけれど。

意を決してデカールを貼り始めたのは年をまたいでからで、それからはわりと順調に作業が進んで昨日完成した。ただし、デカールを貼り終えたあとにマスキングをして塗装をしたところ、マスキングテープを剥がすときにデカールごともっていかれてしまった。順番を間違えた。艦尾の艦名と、ヘリ甲板後部の一部デカールが剥がれてしまったので、筆塗りで修正したが完成度は比ぶべくもない。写真ではわかりにくくなっている、というかわかりにくいように撮っている。

実はいくつかパーツを紛失していて完全ではないのだが、やはり数ヶ月のブランクがあるだけでも力加減が難しくなっている。とにかく細かい部品の多い艦船模型では、それなりに高級なピンセットを使うこと。安物のピンセットだと部品をつかみにくく力が入りすぎてしまうため飛ばす恐れが大きくなる。それから部品を飛ばしてしまったときのために作業場のまわりを片付けておくこと。前者はともかく後者はできていないけど。

個人的にアオシマの模型は作りにくい印象がある。全体的にパーツの合いがよくない(タミヤと比べてだが)のと、細かい部分ではパーツをランナーにつなぐゲートが太く、しかも切断やゲート処理が面倒な場所にゲートがついていることがある。改善を望む。

さて今回の写真はこれまでと違って新装備のマクロレンズを使って撮っている。背景がとんで見やすくなったのではないかと思う。

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2015年2月 5日 (木)

2015年1月の打ち上げ

1月は少し落ち着いて3件。

10日 09.47.10GMT ケープカナベラル/ファルコン9 (CRS 5)
21日 01.04GMT   ケープカナベラル/アトラス5 (MUOS 3)
31日 14.22GMT バンデンバーグ/デルタII (SMAP 他)

なんと珍しいことに全部アメリカだ。三十一が毎月の打ち上げを更新するようになってから数年が経つが、記憶にない。
31日に種子島から情報収集衛星が打ち上げられているが、GMT にするとわずかに日付をまたいで2月になってしまうので来月回し。ここでの打ち上げ日時はグリニッジ標準時 (GMT) を基準にしている。海外の打ち上げをいちいち日本時間にするのは面倒なので。

Orbital Launch Chronology

訂正。H-IIA は日本時間でも2月1日でした。何を勘違いしていたんだろう。スーパーボウルで頭いっぱいだったからなあ。

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2015年2月 3日 (火)

2014年の終わり

2014年が終わった。

三十一の一年は例年2月初めの月曜日に終わる。
そして9月に始まるのだ。

スーパーボウルは意外に一方的な展開になることが多く、ゲームそのものに関して言えば各カンファレンスのチャンピオンシップ・ゲームの方が面白いとよく言われている。
しかし今年のスーパーボウルは面白かった。NFC のカンファレンスチャンピオンシップゲームも面白かったけどね。

New England が出場するスーパーボウルは面白くなることが多い。
2000年以降、New England はこれまで5回出場して3回勝っているが、うち4回は3点差、残り1回も4点差と常に僅差のゲームとなっている。

2001年度第36回 New England 20 - 17 St.Louis
2003年度第38回 New England 32 - 29 Carolina
2004年度第39回 New England 24 - 21 Philadelphia
2007年度第42回 NY Giants 17 - 14 New England
2011年度第46回 NY Giants 21 - 17 New England

そして

2014年度第49回 New England 28 - 24 Seattle

またもや4点差だ。
しかも最後残り20秒という時点でゴール前1ヤードまで攻め込まれた状況をしのいでの勝利だった。CB Butler がパスをインターセプトした瞬間の QB Brady の喜びの表情が実に印象的だった。普段あまり表情を変えない Brady だけにね。
思い返してみると、Seattle の WR Kearse のミラクルキャッチも、その後の Butler の奇跡のインターセプトの前振りになってしまったなあ。
かつて St.Louis と対戦した Tennessee が最後の瞬間にゴール前1ヤードで前進を止められて負けたシーンを思い出す。

NHK は毎年スーパーボウル直前には特番を入れたりニュースに話題を挟んだりして宣伝に力を入れているが、同じような説明を毎年毎年流しているということは浸透していないんだろうな。それでも中継をやめようという話にならない(なっているのかもしれないが今のところはやめていない)のは、ありがたい。

いずれにせよ、今年も終わりだ。
次のイベントは春のドラフト。しかしその前に、シーズンがすべて終わったタイミングで去年のドラフトをもう一度見直してみよう。きっといろいろ面白いに違いない。

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