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2015年3月21日 (土)

潜水亭沈没

さだまさしが落研時代に「飛行亭墜落」という高座名を名乗っていたことを知っている人がいるかもしれない。実は三十一は中学時代の落語クラブで「潜水亭沈没」を名乗っていた。blog をはじめる前にやってたサイトのプロフィールには書いてあるけど。

ちなみに当時三十一が通っていた中学校では自由参加の部活とは別に、週一回全校生徒が必ずどれかに属して活動するクラブ活動というのがあった。活動は一年単位で毎年渡り歩くやつも多かったが、三十一は3年間ずっと落語クラブだった。

落語に接したのは中学のクラブが最初というわけではない。
小学校高学年のある日、なんとなく家のレコード(当時CDなんてものは影も形もなかった)置き場をあさっていて落語のレコードを見つけた。桂米朝全集の中の数枚だった。含まれていた演目は「地獄八景亡者戯」「愛宕山」「一文笛」など。小学生の分際で三十一は落語にはまってしまった。しかし小学生の分際ではレコードやカセット(時代だなあ)を自腹で買うほどの甲斐性はなく、ましてや公演に出かけるなんて考えられなかった。テレビでたまたま放映していてしかもチャンネル争いに勝ったときだけ(ビデオもなかった)見られるくらいだ。というわけでもっぱら桂米朝の数枚のレコードを繰り返し聴くくらいが関の山だった。

中学の落語クラブでは備品のカセットを借りたりしたので、上方落語だけではなく江戸落語も含めて新しい演目にも触れることができた。当時新潮文庫(だったと思う)から「古典落語」と題する全7巻(しかも1冊がものすごく分厚い)の有名な演目を文字にした本が出ていて、これも繰り返し読んだ。

例の桂米朝レコードのもともとの持ち主は母だった。父は落語に興味はなかったようだ。米朝が東京に来たときに母を誘って聴きに行ったこともある。演目は「稲荷俥」だったと思う。

馬齢を重ねるにつれて三十一の中で落語が占める割合は下がりつづけた。世界が広がるに従っていろんなものに興味が生じるのは避けて通れない。しかしゼロにはならなかった。そして米朝は三十一にとって常に特別な存在だった。人間国宝になっても文化勲章をうけてもさして意外とは思わなかった。高齢のため東京に出てくるようなことがなくなったのは残念だった。東京に来たからといって万難を排して観に行くというほど熱心ではなかったが。

NHKの朝ドラで上方落語が取り上げられていたことがあるが、師匠役の渡哲也が演じる落語が下手くそで聞いていられなかった。「愛宕山」も「地獄八景」も米朝が基準なのだから当然なのだが、兄弟子役の桂吉弥(実際には米朝の孫弟子)のほうがずっと上手だった。

何年か前、ふと思いついて「米朝全集」のCDを買いそろえ、MP3プレイヤーに入れて聞いていたことがある。その後プレイヤーから削除されていたのだが、ひと月ほど前にいくつかの演目をまた聴き始めた。最近のお気に入りは「帯久」である。

そこに飛び込んできた米朝の訃報。
数日前、「まだ生きてるよね」とウィキペディアで確認したばかりだったので驚いたし、がっかりした。個人的にはカルロスクライバーの訃報以来の衝撃だった。とりあえず「桂米朝」のキーワードをビデオの録画キーワードに登録した(機能があるのは知っていたが使うのは初めてだ)が、ニュースでの伝え方も関東と関西では温度差があるようだ。三十一はおそらく関西での温度よりもさらに高い。

そろそろ落語家から国民栄誉賞が出てもいいと思う。

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