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2015年7月22日 (水)

有司専制

明治初め頃の日本の政治体制を「有司専制」と呼ぶことがある。
「有司」とは司にあるもの、つまり現に官についているもので、選ばれた少数のエリートが政権を専断することを「有司専制」と呼ぶのだ。

先週、NHK で自民党の高村副総裁が安保法案について「支持率が低下しても仕方が無い」と発言したのを観た(たまたま観ていた)ときに、この「有司専制」という言葉を思い出した。その同じ週末にやはり NHK で放映された NHK スペシャルで、戦後の歴史を概観して「岸と吉田」というふたりの基本的な政治姿勢を対比していた。その中で岸も同じようなことを言っていたが、もともと戦前からの官僚だった岸には「有司専制」的な姿勢がうかがわれる。そしてその岸の孫が今の安倍総理だ。

実は日本の政治体制はデモクラシー(民主主義)の皮をかぶったオリガーキー(寡頭政治)でしかないのではないかと、最近思うようになった。そしてその責任は寡頭政治(有司専制)を実行している為政者の側よりもむしろそうした状況を許している国民のほうが重いのではないか。先日の NHK の番組でも、「かつての PKO 法案などでもそのころは強い反対論があったけれど、現在では多くの国民が支持している」と言っていた。それも確かに一面の真実だが、「どうせのど元を過ぎれば忘れてしまうだろう」と高をくくっているのも否定できまい。

明治初めの「有司専制」は、一般には「藩閥政治」と呼ばれる。
本人たちの主観はともかくとして、少数エリートによる支配は「派閥性」を免れない。ごく小さい、近しい仲間のあいだで合意をとって進めるのは効率的ではあろうが、こうした小さなコミュニティーにおいてはできあがった関係性を壊すような動きは生まれにくい。大きな変化がない時代ならそれでもよかったのかもしれないが、短い時間で情勢ががらっと変わってしまうような変化の激しい時代や、小さなコミュニティーの論理が通用しない外部(外国など)との交渉が必要な時代(つまり現代だ)では対応しきれない。

安保法制は一言でいうと選択肢の自由度を高める法制だ。「政府の自由にさせたら危ない」というのはそれも「あなたまかせ」の議論でしかない。選択肢の広がったツールのうちそのときの情勢に応じて何を選択し何を使わないかを、その都度侃々諤々の議論を経て決めていくのが本来の民主主義であろう。

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