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2016年1月29日 (金)

吉川弘文館「日本中世の歴史」全7巻


2009年頃に出たシリーズなのだが、三十一は昨年の11月頃から読み始めてつい先日読み終えた。いちおう一般向けというカテゴリではあるようなのだが、だからと言ってお気楽に読めるというような本でもない。ある程度はこの種の本を読み慣れていて、かつ最低限の基礎知識は持っている必要がある。少なくとも今はやりの「歴女」が喜んで読むような本ではなかろう。

古典的な時代区分では、日本史において「中世」とは鎌倉幕府の成立から戦国時代の終わりまたは江戸幕府の成立までとするのが一般的なようだ。しかし本シリーズではカバーする範囲を院政の始まりから鎖国の完成までとやや広くとっている。終期はともかくとして、日本史において「中世」の始まりを院政期におくのは学界でかなり広く支持されている見方だと言えるだろう。なぜならば、中世をもっともよく特徴づける要素として挙げられるのがいわゆる「荘園公領制」であり、「荘園公領制」が院政期に急速に成立してきたことは明らかだからだ。中世期に存在していた荘園の成立時期を検証したところ、圧倒的多数が院政期に成立したことがわかっている。日本史上では古代とされている摂関期に、摂関家の財政を支えた機能としてしばしばいわゆる「寄進系荘園」の集積が挙げられるがこれは実際には誤りで、当時の権門貴族の財政を支えたのは請負国司制、つまり「受領制」だ。受領の収奪対象であった国衙領が荒廃して収益が求められなくなるという事態に際して、自らの収益だけでも確保しておきたいという動機から受領の収奪に遭わない私領として成立したのが荘園であり、「本所」と呼ばれた荘園領主となったのが院(天皇家)や貴族、寺社などの諸権門であり、こうした荘園公領制に支えられた諸権門(のちには武家も権門に数えられるようになる)の並立が日本史における中世の本質的な構造だと考えられている。摂関期と院政期では、社会上層の登場人物の顔ぶれにはそれほど大きな違いはないが、彼らの生活を支える社会の基礎構造が大きく変わっているのである。

そして中世を象徴する言葉が「自力救済」だ。中世は「自力救済の時代」とも言われ、いわば剥き出しの個(「私」と言ってもいいだろう)がそれぞれの権益をめぐって直接ぶつかり合う時代である。「公」と「私」の力関係で言えば、古代は「私」が未発達で相対的に「公」が有利な立場にあり「公」が「私」を従属させていたのに対し、中世にはいると「私」の発達に「公」が追いつかず、立場としては対等な「私」がぶつかり合うバランス・オブ・パワーにしたがって社会が動いていた。この「私」を編成しなおして上位構造である「公」という概念を設立し、その統制(あるいは管理)下で「私」が活動する時代が近世と言えるだろうか。
中世中期から後期にかけて、各地で「一揆」が盛んに結成された。現代の目からでは「一揆」というとまず「農民一揆」を思い浮かべるかもしれないが、「一揆」とはもともと対等な構成員が集まってある目的のために同盟する(揆を一にする)ことで、構成員は農民に限らないし目的は領主への反抗に限らない。初期の「国人一揆」は、在地の小領主である「国人」が停戦協定を結んだり、外部勢力への対抗のために同盟したりしたものだ。こうした「一揆」はいわば下から「私」を再編成しようとする動きといえるだろう。
一方で中世も後期に入ると「公儀」という言葉が使われるようになる。文字通り「公の儀」ということだが、誰しもがひとしく従うべき共通の義務、とでも言い換えられるだろうか。これまで誰からの制約もうけず独立して活動してきた「私」にとって大きな傘がかけられたようなものだ。一定の保護を受けられるようになった代償として義務も負うようになる。近世に入ると「公儀」という言葉は徳川将軍家や各藩の藩主とその権力を示すことになる。「公儀」概念の進展にしたがって「故戦防戦令」がしばしば出されるようになる。「故戦」とは私闘を仕掛けること、「防戦」とは仕掛けられた私闘に応戦することで、「故戦」側に罰を科し、「防戦」側にも事情によって罰を与えることを定めた。これは私闘を制限することで「自力救済」を否定しようとする試みとも言えるだろう。やがてこれが事情の如何にかかわらず私闘を禁止する「喧嘩両成敗」に発展していく。「喧嘩両成敗」とはきわめて近世的な発想に基づくものなのだ。こうした動きは上から「私」を再編成しようとしたものと評価できよう。

さてシリーズを読み終えて改めて今自分が生きている時代を振り返ってみると、「公」「私」の力関係はむしろ中世に近いものがあるような気がする。もちろんあからさまな私闘が許されるわけではないが、「自力救済」のために中世から何か学ぶことができただろうか。

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2016年1月15日 (金)

トップの殉職

検索キーワードとかアクセスランキングが妙な動きを示していたので調べてみたところ、君塚元陸将が昨年末に亡くなっていたことが影響していたようだ。
君塚栄治元陸将は先代の陸上幕僚長で、2011年3月の東日本大震災当時は東北方面総監の職にあり、統合任務部隊の指揮官として災害派遣にあたる陸海空自衛隊の部隊を指揮した。2011年8月に陸上自衛隊制服組トップの陸上幕僚長に就任し、2013年8月に勇退したがそれからわずか二年あまりの昨年12月28日に亡くなった。63歳。

突然の訃報と、死因が公表されていないことから一部では「放射線障害によるものではないか」との憶測が飛び交っており、中には断定的に伝える人もいる。
ピーク時で10万人規模にもなった統合任務部隊の指揮官である君塚陸将(当時)は、ときに現場に視察にでることはもちろんあるだろうが、基本的には司令部である東北方面総監部に位置して指揮をとっていたことは間違いない。東北方面総監部は仙台駐屯地に所在する。「放射線障害云々」を取り沙汰するような人々は「指揮官」というものにどんなイメージを持っているのやら。
さらに言うならば、「原子力災害」については大臣直属の中央即応集団が担当しており、君塚陸将率いる統合任務部隊とは指揮系統が異なる。通常の災害派遣と原子力災害対処とではまったく異なる対応が必要となり、それまで統合任務部隊に背負わせるのは負担が大きすぎると判断したのだろう。それぞれに緊急性の高い、しかし違う仕事を同時にこなすために、それぞれのアタマ(司令部)と手足(部隊)を別個に用意することとなった。君塚陸将はその一方のアタマであったのだよ。
当時の激務が寿命を縮めたという面はあるかもしれない。しかしだからと言って「放射線」と短絡的に結びつけるのは早計にすぎる。

ちなみに当時の中央即応集団司令官は宮島俊信陸将。この職を最後に2011年8月に勇退したが、まだ健在のはずだ。

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2016年1月 8日 (金)

奇跡は待つものではなく起こすものなのだよ

三十一にとって秋から冬はアメフトのシーズン。
年が明けて最初の週末にレギュラーシーズンの試合が完結して、プレイオフの面子が出揃った。

わが Denver は奇跡的に AFC のシード順1位となった。
ひいきの三十一ですら想定していなかったカンファレンス1位はまさに「奇跡」だ。なんと言ってもチームの要である QB が計算できない状態では期待するだけ無駄、というのが通り相場だ。そもそも昨シーズンのプレイオフで早々に敗退したのはエース QB の P. Manning が怪我のせいもあって調子が出なかったのが最大の理由であろう。もっとも、そこまでたどりついたのも Manning の力が与って大きいから、彼を責めるわけにもいかない。
それから半年のオフシーズンを経て始まった今年のシーズンでは、Manning のプレーぶりは目を覆いたくなるような出来だった。全盛期の Manning を見慣れた身からするとまるで別人。何より問題なのは Manning の強みであった相手の守備を読み取る力と臨機応変なプレー変更だ。判断力自体が衰えたとは思わない。しかしそれを実際に遂行する Manning の身体は本人が思った通りに機能してくれなかった。投げたパスが思わぬところに飛んでパス失敗やインターセプトを繰り返すという場面を、今シーズンの前半には嫌というほど見させられた。
それでも(これまた)奇跡的に全勝を続けてきたのは、何より守備陣のがんばりと、それから同地区のライバルチームの低迷に助けられてきた。しかしシーズン半ばになって Manning の身体はいよいよ動かなくなり、ついに先発 QB の座を控えの B. Osweiler に明け渡した。三十一はこの時点である程度見切りをつけた。Osweiler は4年目だがこれまで実戦の経験はほとんどない。Manning の後継という目論見で入団してきたものの、ほぼ新人と考えていい。全勝の蓄積もあるのでプレイオフにはいけるかもしれないがそれが精一杯だろうと予想したのだ。シーズンの残りの試合はスーパーボウルを目指すというよりも、むしろ Osweiler に経験を積ませることを第一に考えるべきだろう。三十一の頭の中ではすでに Manning は過去のプレイヤーになっていた。

Osweiler が先発 QB となった Denver はその後、何週かの間は勝ち続けていたがその後は負けが込んできて、地区成績では Kansas City に急速に追い上げられることになる(1勝5敗から10連勝で最終成績は11勝5敗)。
三十一が Osweiler のプレイを見ていた印象としては、背が高く、肩が強く、リリースが早いというフィジカルな面では利点が大いにあるが、プレッシャーを受けたときに往々にしてパニックに陥る面が見られる。経験が浅いので仕方ないことではあるのだが、対策としてはウェストコースト・オフェンスを軸にプレーを組み立てるのがよいのではないかと思った。背が高くてリリースが早い Osweiler はウェストコースト向きの QB のように思われた。ウェストコースト・オフェンスとはかつて San Francisco で一世を風靡した早いタイミングでの短いパスを多用するオフェンスだ。ウェストコーストはプレイのタイミングが早いのでプレッシャーが QB にかかりにくいオフェンスでもある。現ヘッドコーチの G. Kubiak はもともとウェストコースト畑のオフェンスコーチなので、得意分野のはずだ。しかしシーズン途中でプレースタイルを大きく変えるのは難しい。QB だけが変わっても周りの選手が対応できない。シーズン途中で QB が変わるというのはそういうことだ。変わった当初は勝つことができても、しばらくすれば相手チームに研究されて思うようには進めなくなる。シーズンも終盤に入ると、「あとひとつ勝てばプレイオフ確定」「あとひとつ勝てば地区優勝」といった重要な試合を何度も落としてその間に Kansas City に迫られていた。なんとかプレイオフは決めたものの、地区優勝は怪しくなってきた。

そこに起こった最後の奇跡が最終週の試合だ。この試合の前の時点で、Kansas City との勝ち星の差はわずかにひとつ。もし Denver が負けて Kansas City が勝つと並んでしまう。こうした場合に備えて NFL では Tie Breaker ルールを定めているが、それによると Denver は地区優勝を逃してワイルドカードに回ることになる。プレイオフでは上位チームが有利になるようになっているから、これは大きな違いだ。しかもこの間、カンファレンス首位を走っていた New England が調子を落として連敗していたので、もしこの試合で Denver が勝てば地区優勝の上シード順1位を獲得し、負ければワイルドカードに回ってシード順は5位(プレイオフは各カンファレンス6チーム)になってしまう。シード順1位になればトーナメント形式のプレイオフ一回戦は免除で一週間の休みとなる上、常にホームで試合ができることになる(これを Home Field Advantage と称する)。相手の San Diego はすでにプレイオフ落ちが確定しているが、QB の P. Rivers は Denver に相当強いライバル意識を持っているのでそう簡単に勝たせてはくれない。実際、試合はかなり白熱した展開になった。怪我から一応回復した Manning はユニフォームを着て Osweiler のプレイをベンチから観戦。しかし肝心の Osweiler のプレイがあまりぱっとしない。先取点は Denver がとったものの、自責他責とりまぜて4回のターンオーバーを喫して逆転を許す。それほど点差が開いているわけでもないし、時間はまだ充分あるのに経験の少ない Osweiler のプレーにはやや焦りが見えた。こういうプレッシャーのかかるシチュエーションでこそ、こうした経験の差が如実にあらわれる。
後半に入って少ししたころ、Osweiler に変わって Manning がフィールドに出る。三十一は正直びっくりしたし、危ぶんだ。何しろ三十一にとって Manning はすでに過去のプレーヤーだったから。しかし Manning が主導するオフェンスはあれよあれよという間に前進を続けて得点してしまう。強烈な印象を残した復活劇だ。冷静に観察すれば、Manning のプレーぶりは神がかり的だった全盛期には及ばない。しかし今シーズン前半のどん底の時期の動きに比べれば格段の改善が見られる。怪我の具合もだいぶ良くなってはいるのだろう。解説者も「ボールの回転を見ると怪我をする前よりもいいんじゃないか」とコメントしていたくらいだ。だがそれよりも重要なのは、休みの間に Manning 自身が自分のプレーぶりを客観的に観察して、今の自分の身体の状態で何ができるか、どこまでできるかをしっかりとイメージできるようになったことだと思われる。一番悪かった時期にはイメージとフィジカルがバラバラで、思ったプレーができていなかった。もともと Manning は実際にプレーが始まる前に展開をすべて予測してその計算の上で最適な選択をすることで結果を出してきた。Manning がそのイメージ通りにプレーを遂行できれば止めるのは難しいだろう。

全盛期のような爆発的な攻撃力はないものの、着実にプレーを進めた Manning の力で最終戦に無事勝利し、われらが Denver はシード順1位を獲得した。いったんは先発の座を確かなものにしたと考えられていた Osweiler だが、最後の最後で Manning との圧倒的な地力の違いを見せ付けられることになってしまった。来年以降はまだわからないにせよ、今年のプレイオフは Manning で行くことになるだろう。プレイオフ一回戦を免除されているのでスーパーボウルまで進んだとしても残りは3試合。スーパーボウル以外の2試合は地元でできるし、Manning の身体が万全とまではいかずともそれなりに機能するなら、一昨年以来のスーパーボウル進出、そして17年ぶりの優勝もまったくの夢物語とはいえない。

さらなる奇跡は起きるか。
俄然、期待感が高まってきた。

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落ち穂拾い

昨年12月1日に、空幕長の交代を含む割と大きな異動があったのだが、それから年末までの間に局地的な異動がいくつか見られた。

まず4日に、教範がロシアに渡されていた事案に関連して、陸自富士学校長が陸幕付に異動となった。最終的に22日に本人は退職し、後任が発令された。

渡部博幸 (国学院大/防大26期相当)・陸自富士学校長(4日 陸幕付)>退職
徳田秀久(防大27期)・第5旅団長(将補から昇任)>陸自富士学校長

それから18日に陸自補給統制本部長が交代している。在任2年以上になるので交代自体は不思議ではないが、なぜこの時期なのかはわからない。

田口義則(東京学芸大/防大25期相当)・陸自補給統制本部長>退職
江口直也(防大26期)・陸自関東補給処長>陸自補給統制本部長
金丸章彦(防大27期)・西方幕僚長(将補から昇任)>陸自関東補給処長

さて教範流出事案だが、報道によると2013年5月に泉一成元陸将(2009年退職、東部方面総監)がロシアの駐在武官に普通科教範などを渡していたことが2015年になって発覚した。渡部元陸将は当時陸自富士学校の普通科部長(2012年3月から2014年8月)で、かつて泉元陸将の部下(2008年8月から2009年7月に泉元陸将が退職するまで、東部方面総監部防衛部長)だった関係から教範の調達を依頼されたものとされる。

教範の収集と比較研究はどこの国でもやっていることで、自衛隊の側もいろんな手段を用いて集めていることだろう。ことにロシア軍の教範は重要だ。しかし教範自体の秘密指定は実はそれほど高くないのが一般的だ。毎年毎年、新たに入隊してくる隊員を教育するためのいわば「教科書」だから秘密指定を高くしてアクセスしにくくしてしまっては本末転倒だ。
不思議に思ったのは、退職してすでに5年以上経った、身分上は民間人の(守秘義務はあるが)元陸将がどういう立場でロシア軍関係者と接触していたのだろう。単にかつての知り合いから頼まれたというような単純な構図ではあるまい。
うがった見方をすれば、こちらから教範などの情報(家電などの物品も渡していたらしいが)を与えたからには、当然なんらかの見返りがあったはずだ。例えば、実際には大した秘密とはいえない教範をエサにしてより重要な情報を相手側から引き出そうとした、という構図も考えられなくもない。もちろん、ろくな情報もとれずにまんまと教範をとられてしまったというケースも考えられるのだが。

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2016年1月 5日 (火)

2015年12月の打ち上げ(付・2015年の打ち上げ)

先月の打ち上げは一挙14件。ロシア 7 (うち失敗1)、中国 3、アメリカ 2、ヨーロッパ 1、インド 1。
ロシアの打ち上げが多いのは今に始まったことではないのだが、最近の活動の活発さはロシアの存在感の大きさをうかがわせる。

3日 04.04GMT クールー/ヴェガ (LISA Pathfinder)
5日 14.09GMT プレセツク/ソユーズ (Kosmos 2511 Kanopus-T, Kosmos 2512 KYuA-T) - 失敗
6日 21.44.57GMT ケープ・カナベラル/アトラス V  (Cygnus Orb-4)
9日 16.46.04GMT 西昌/長征3B (Chinasat 1C)
11日 13.45.33GMT バイコヌール/ゼニット3SL (Elektro-L 2)
13日 00.19GMT バイコヌール/プロトンM (Kosmos 2513 Garpun-12L)
15日 11.03.09GMT バイコヌール/ソユーズ (Soyuz TMA-19M)
16日 12.30GMT スリハリコタ/PSLV (TeLEOS-1 他)
17日 00.12.04GMT 酒泉/長征2D (DAMPE)
17日 11.51.16GMT クールー/ソユーズ (Galileo x 2)
21日 08.44.39GMT バイコヌール/ソユーズ (Progress MS-01)
22日 01.29GMT ケープ・カナベラル/ファルコン 9 (Orbcomm x 11)
24日 21.31.19GMT バイコヌール/プロトンM (Ekspress AMU-1)
28日 16.04.04GMT 西昌/長征3B (高分-4)

Orbital Launch Chronology

失敗がひとつカウントされているが、これはソユーズ本体の失敗ではなく、VOLGA アッパーステージに搭載されていた2基の衛星のうち、Kosmos 2511 が分離できなかったものだ。もうひとつの Kosmos 2512 のほうは分離に成功しており、いわば半分失敗というところだろうか。

11日にバイコヌールから打ち上げられたゼニットだが、もともとの経緯からロシアにカウントしているが厳密に言えばウクライナで製造されている。最近のロシア・ウクライナ関係の悪化から打ち上げはこれで最後になるかもしれないと言われている。

21日にプログレス補給船の新バージョンが打ち上げられた。

22日のファルコン 9 は、ペイロードを軌道に投入したあとでロケット本体を地上で回収することに成功した。落下するロケットを姿勢制御して逆噴射させ地上に立たせるという派手なパフォーマンスを示したが、軟着陸させるだけの燃料を打ち上げそのものに回せばその分ペイロードを増やせるわけで、これが本当に費用節減に有効かどうかはまだわからない。実際、過去に再利用による経費削減を目指して結局高くついてしまった事例がある。スペースシャトルのことだ。

さて年始恒例、一年分の打ち上げのまとめ。まずは打ち上げロケットシリーズ順。

1. 19件 長征シリーズ
2. 17件 Soyuz シリーズ (失敗1, 有人4)
3.  9件 Atlas シリーズ
4.  8件 Proton シリーズ (失敗1)
5.  7件 Falcon シリーズ (失敗1)
6.  6件 Ariane シリーズ
7.  5件 SLV シリーズ
8.  4件 H-II シリーズ
9.  3件 Delta シリーズ
10.  2件 Rokot シリーズ
10.  2件 VEGA シリーズ
12.  1件 Dnepr シリーズ
12.  1件 Zenit シリーズ
12.  1件 SPARK シリーズ (失敗1)
12.  1件 Safir シリーズ

長征とソユーズは相変わらず改良を加えられながら使い続けられている。近年は、同じシリーズとはいいながら実際には別物と言ってもいいくらいの大きな変更を施したバージョンも出てきているが、これまでのバージョンも引きつづき使われている。

国別。

1. 29件 ロシア (失敗2, 有人4)
2. 20件 アメリカ (失敗2)
3. 19件 中国
4.  8件 ヨーロッパ
5.  5件 インド
6.  4件 日本
7.  1件 イラン

ロシアは不動の1位。相変わらずアメリカと中国が2位争いだ。
2015年の打ち上げ合計86件。前年は92件なのでわずかに減っているが横ばいと考えていいだろう。そのさらに前年は81件。ここ 5-6 年は 70-90件程度で推移している。

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