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2016年1月15日 (金)

トップの殉職

検索キーワードとかアクセスランキングが妙な動きを示していたので調べてみたところ、君塚元陸将が昨年末に亡くなっていたことが影響していたようだ。
君塚栄治元陸将は先代の陸上幕僚長で、2011年3月の東日本大震災当時は東北方面総監の職にあり、統合任務部隊の指揮官として災害派遣にあたる陸海空自衛隊の部隊を指揮した。2011年8月に陸上自衛隊制服組トップの陸上幕僚長に就任し、2013年8月に勇退したがそれからわずか二年あまりの昨年12月28日に亡くなった。63歳。

突然の訃報と、死因が公表されていないことから一部では「放射線障害によるものではないか」との憶測が飛び交っており、中には断定的に伝える人もいる。
ピーク時で10万人規模にもなった統合任務部隊の指揮官である君塚陸将(当時)は、ときに現場に視察にでることはもちろんあるだろうが、基本的には司令部である東北方面総監部に位置して指揮をとっていたことは間違いない。東北方面総監部は仙台駐屯地に所在する。「放射線障害云々」を取り沙汰するような人々は「指揮官」というものにどんなイメージを持っているのやら。
さらに言うならば、「原子力災害」については大臣直属の中央即応集団が担当しており、君塚陸将率いる統合任務部隊とは指揮系統が異なる。通常の災害派遣と原子力災害対処とではまったく異なる対応が必要となり、それまで統合任務部隊に背負わせるのは負担が大きすぎると判断したのだろう。それぞれに緊急性の高い、しかし違う仕事を同時にこなすために、それぞれのアタマ(司令部)と手足(部隊)を別個に用意することとなった。君塚陸将はその一方のアタマであったのだよ。
当時の激務が寿命を縮めたという面はあるかもしれない。しかしだからと言って「放射線」と短絡的に結びつけるのは早計にすぎる。

ちなみに当時の中央即応集団司令官は宮島俊信陸将。この職を最後に2011年8月に勇退したが、まだ健在のはずだ。

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