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2016年9月12日 (月)

Y染色体 vs イエ

ちょっと前の、先週のTVタックルか何かで「女系天皇を容認するくらいなら男系の旧宮家を皇室に復帰させるほうがいい」と発言していたコメンテーターがあった。
それを聞いて三十一がまず思ったのは、「旧宮家より近い男系子孫がいるんだけどなあ」ということである。

あまり知られていないことだが、旧摂家の中には皇子を養子にした例がいくつかある。
まず江戸時代半ばに東山天皇の孫で閑院宮直仁親王の子が、鷹司家の養子となっている。この男系子孫は鷹司家本家では絶えているが、摂家に次ぐ家格である清華家の徳大寺家にさらに養子にはいった系統が今も続いている。三十一が知るかぎり、現在の皇室にもっとも近い男系子孫はこの系統である。
さらに、江戸時代初めに後陽成天皇の皇子が近衛家と一条家の養子となっている。現在の近衛家はこの系統になる。いっぽうの一条家は、本家の血統は一度絶えたが分家の醍醐家から養子に入ったので皇胤の血統が継続した。その後、本家は養子が継いだために一条家の現当主は男系では皇室の子孫ではなくなったが、実子が他家に養子に入ったため子孫は現存する。
ちなみに、戦前期の日本政治を語る上で欠かせない近衛文麿と西園寺公望はいずれも天皇の血を男系でひいている。近衛文麿は近衛家の直系の当主だし、西園寺公望は徳大寺家から同じ清華家の西園寺家を継いだ。天皇との血縁の親疎で言えば東山天皇の子孫である西園寺のほうが後陽成天皇の子孫である近衛よりも近い「親戚」のはずなのだが、西園寺が近衛を評して「自分がお上と会うときに比べて、近衛さんとお上はずっと親しくされているのはやはり親戚だからだろうか」と言っているのは、摂家筆頭の近衛家のほうが清華家の西園寺よりも家格がずっと高い(摂家の家格は親王家よりも上に見られていた)からだろうか。もっとも、近衛家にはしばしば皇女が降嫁している。

話を戻して、こうした養子に出た男系子孫のほうが、14世紀の崇光天皇にまでさかのぼる伏見宮家(戦後皇族離脱した11宮家はいずれもこの系統)と比べると今の天皇家にはずっと近い。ちなみに竹田宮家も伏見宮家の分家で男系をたどると760年くらい遡らなければ天皇にたどりつかない。「明治天皇の玄孫」というのは女系の話だ。

ところが「男系」を重視する某コメンテーター(名前失念)は、もっとも近親の男系子孫の存在を無視してはるかに遠い「旧宮家」のみを候補に挙げた。そもそもそうした存在を知らないのかもしれないが、そうだとしてもそこに顕われたのはやはりというか何というか「イエ制度」の呪縛である。
つまり、分家ならともかく一度イエを出て他家を継いだものにはもはや本家を継承する資格はないとする感覚だ。

現在のヨーロッパの王室では王位継承を男女平等に変えている例が多い。イギリスもそうだが、変更前からの王位継承順位は変更しないとしているのでそれほど目立っていない。スウェーデンでは現在の国王は男性だが皇太子は女子である。皇太子の下に弟がいるのだが、男女を通じて最年長者が王位を継承することになっている。もっとも、以前も男性優位ではあったものの、女子にも王位継承権はあった。イギリスのエリザベス女王は父国王ジョージ6世に男子がなかったために王位を継承することになった。もし弟でも男子があったなら女王になることはなかったが、しかし存命の叔父よりも王位継承順位は高かったのだ。こうした事例があったから、男女完全平等にした結果女子が王位を継承したとしても前例があるのでそれほどハードルは高くない。

ところがヨーロッパでもいわゆるサリカ法によって王位継承を男系に限った国がある。代表的なのはフランスだ。16世紀末に時のヴァロア朝の王位継承者がいなくなったとき、女系の子孫があったにもかかわらず13世紀にまでさかのぼった国王の弟の子孫に王位が渡って成立したのがブルボン朝である。親等でいうと21親等ということになる。イギリスでも貴族の爵位継承順位はだいたいのばあい、男系の子孫に限っている(例外はある)。だからときどき、爵位を誰が継承するかという裁判が起こされたりしている。

だったら日本でもひたすら男系をさかのぼっていけばいいじゃないか、という意見もあるだろう。ところが欧米と日本(など東洋)ではもうひとつ重要な違いがあって、欧米では教会が認めた正式な結婚の結果誕生した子供でないと王位継承権はない。正室の子でも側室の子でも(優先順位はあるにしても)イエを継ぐ資格がある日本とは大きな違いだ。だから欧米では「世継ぎを得るために側室を置く」という発想はない。側室の子は世継ぎにはなり得ないからだ。逆に日本では側室を許容することで継承者を確保してきたのだ。欧米ではこれが許されないからひたすら男系をさかのぼるとか、女系の相続を容認するという日本では必要なかった配慮が必要になった。

ところが現代、日本においても「天皇が側室を持つ」ことはとても考えられなくなった。大正天皇も明治天皇も、側室の子であって正式な結婚による子供ではなかったが、皇位継承権の有無を問題視されることはなかった。昭和天皇は大正天皇と皇后の間に生まれた嫡出子だが、昭和天皇と皇后の間に続けて4人女子が生まれたときには側室を置くことを薦めた側近があったという。昭和天皇自身はそれを拒否したが、昭和初期くらいまではそうしたことが現実味をもって検討され得たのである。しかしそういう時代はすでに終わった。国民の多くが核家族化しつつある時代にあって、国民統合の象徴である天皇家が国民とかけ離れた家族の形をいつまでも続けていられるだろうか。

「天皇家は一般国民とは違う形であることが必要だ」という意見もあるが三十一は採らない。「国民の総意に基づく」「国民統合の象徴」である天皇と皇室はあまりにも国民とかけ離れることは、いずれ国民から浮き上がって「国民の総意」を失うことになりかねない。そうした形で「国民統合の象徴」がなくなってしまうことは国民自身にとっても決して幸福なことではないだろう。

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