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2016年10月 2日 (日)

五月雨をあつめて早し

昨日の夜はホテルの窓から赤いEF510が牽引する上り貨物列車が一旦停車してまた走り去っていったり、青いEF510が下り貨物列車を牽引し到着したかと思うと一部を切り放して入れ換え作業を行なったりしていた光景を堪能したが夜のことで写真は諦めた。
そのかわり、朝になって青いEF510の置き土産のコンテナ車がまだいたので記録した。遠景には鳥海山が。
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貨物列車を見ているうちは目が覚めていたが、そのあと記事を書いていてものすごく眠たくなってしまったため後半は意を尽くせない点が多かった。しかしいまさら書き直すのもどうかと思うのでそのままにする。事情ご賢察を乞う。
酒田から余目までは交流電化の羽越本線を行く。車両はおなじみのキハ100系2両編成。先頭車両の前面展望席に陣取る。羽越本線はほとんどの区間で海沿いを走るのだが、この庄内平野あたりでは少し海から離れている。有数の米どころだけあって、市街地を少し外れると田んぼが広がる。今年の夏休みでは西日本から東北まで足を伸ばしたがどこに行っても日本ではまずコメを作ってきたということが実感できた。東京にいると忘れ勝ちだけど。余目を出ると陸羽西線は左に分岐して架線の下から逃れ出る。しかしやはり田園地帯であることは変わりない。列車の前方をサギが悠々と横切っていく景色は昨日の米坂線でも見られた風景だ。かと思うとスズメの群れが近づく列車に驚いてか線路から一斉に飛び立つ。スズメも最近あまりみかけないなあ。左手の田んぼの向こうには鳥海山が横たわる。
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清川あたりから風景が狭まってきた。しかしそれほど急勾配という感じはしない。左手には陸羽西線の愛称「奥の細道最上川ライン」の由来となった最上川だ。ここからは終点近くまで最上川と並行して走っていく。半分を過ぎた津谷駅で運転士が運転席後方のカーテンをひいた。ここから先がトンネルになるのか。トンネルをふたつほど過ぎ、短い勾配を下ると新庄を中心とした盆地に出る。また田んぼだ。

新庄駅には4方向から路線が乗り入れる。北からは狭軌交流電化の奥羽本線、西と東からは狭軌非電化の陸羽西線と陸羽東線、そして南からは標準軌交流電化の山形新幹線だ。そのため、行き止まりのホームが北向きと南向きで頭をつきあわせ、その隣に通過可能な本線ホームが並ぶというちょっと面白い構造になっている。一番早い山形方面の列車は特急「つばさ」なのだが、次の普通列車でも間に合うのでそちらにすることにする。東北地方の電化路線で広く使われている701系電車だが、この区間は標準軌なので番台区分されている。車体の構造は変わらない。日曜の午前中「なのに」あるいは「だから」か2両編成の列車はけっこう混んでいた。思うような席が確保できない。首をひねるようにして車外を見ていた感じでは、それほど極端な急勾配があったようには思われない。もっとも、電車は勾配に強いので同じ勾配でもディーゼルカーに乗っているときよりも実感に乏しい。東根あたりでは特にきょろきょろしてみたものの面白い景色は見られなかった。さすがに自衛隊はガードが堅い。
ところでこの列車、ワンマンではないのか車掌が乗務しているがどうも新人と先輩の組みあわせの二人で常務しているらしく、アナウンスはもっぱら新人が担当しているのだがこれが噛み倒す噛み倒す。終着前のアナウンスはさすがに先輩が担当していて差は歴然。しかしそんな失敗も笑って聞き流されてしまうのはやはり若い女子の特権か(三十一だけですかね)。ちなみに先輩のほうも女性でした。

山形駅では「鉄道の日」が近いせいか何かイベントをやっていたが三十一はその混雑をよそ目にコインロッカーを探す。身軽になって目指すは左沢(あてらざわ)線ホーム。例の四角形(米沢-坂町-余目-新庄)から飛び出す路線には左沢線と山形鉄道フラワー長井線があり、どちらも非電化。この機会に両方踏破できないかと苦心してようやく発見したのが今回の日程だ。日程を「作った」というのではなく「発見した」というのもおかしいが三十一にはそう感じられた。

左沢線の列車はまたもやキハ100系の2両編成だ。ただし陸羽西線の2両編成が片運転台型2両の最小構成だったのに対し、左沢線は両運転台型を2両連結し、うしろの1両は途中の寒河江止まりになる。車両運用でもそうだが、ダイヤでも寒河江までしか行かない列車が多くて苦労した。寒河江までと寒河江以遠で必要な輸送力が大きく違っているのだろう。下りの「つばさ」に一部遅延があって接続をとるために山形を5分延発。このあとは乗り換え時間が厳しい個所もあるので少しでも遅れないようにしてほしいなあと思ったのだが往復している間に遅れは解消されてしまったようだ。
寒河江までは比較的建物が多く、寒河江は山形市のベッドタウンのような存在らしい。ただ三十一が乗っていた列車で高校生が一斉に降りて行ったのは揃ってジャージを着ていたので何かの大会だったのかもしれない。そういやそういう季節か。三十一が運動部に所属していたのは中学生時代はるか過去の話だ。
寒河江を過ぎても車窓風景は家と農地が交錯した郊外の風景が続くが、終点まであとふた駅というあたりで景色が一変した。急に山の中に入ったかと思うとトンネルを連続して抜け、行き着いたところに急に街並みが広がったかと思うと終点の左沢だ。
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左沢に着いたときにはすでに遅延はなくなっていた。寒河江で後部車両を切り放すため長時間停車するので吸収できたのだろう。6分で折り返し。今度は前面展望席に陣取る。もっとも、途中の寒河江で前に車両が増結される可能性が高いとは思っていて実際その通りだったのだが、覚悟はできていた。トンネルを抜け鉄橋を渡り勾配を下って寒河江に到着すると、ここから前が見えなくなる。西寒河江で乗ってきた高校生が一斉に降りて行ったのは、増結された車両に移るためだった。三十一も移ればよかったのだが、高校生と席取り争いをする気になれなかった。
北山形駅は戸籍上の左沢線の起点で、奥羽本線側にもホームがあるがもとは奥羽本線から離れている地点の左沢線側にしかホームがなかった。なので北山形駅の奥羽本線と左沢線のホームはけっこう離れている。北山形駅をはさむ二駅間、つまり山形-北山形-羽前千歳の間は、標準軌と狭軌の併用区間になる。青函トンネルと同じだ。山形まで戻ってきて、荷物を回収し、次の列車で赤湯に向かう。赤湯駅はかつての国鉄長井線、いまの山形鉄道フラワー長井線の起点だが、終点である荒砥駅に日があるうちに到着できる列車に間に合うためには、特急を使うしかなかった。20分ちょっとしか乗らないので自由席にする。この列車は新庄始発なので、日曜の午後の上り列車だけあってわりと混んでいる。空席がないわけではないのだが窓際は無理。デッキに立っていてもよかったのだが適当な通路席に座って20分乗り赤湯で下車。見る限り下車したのは三十一ひとりだった。

いま使っている週末パスでは、山形鉄道にも乗車できる。山形鉄道の列車自体は、昨日米坂線に乗っているときに今泉駅で目撃していた。しかし今日は起点の赤湯から終点の荒砥までを往復するのだ。
赤湯駅の端のホームに停車しているのが山形鉄道の車両らしい。しかし一度JRの改札を出てみることにする。立っている駅員がいないけどいいのかな。JRの赤湯駅はドーム型の構造物に覆われた形になっていて、十分な距離がないと全景がつかみにくい。しかし乗り継ぎ時間に余裕がないので早々に駅舎内に戻る。山形鉄道のホームは跨線橋を渡って4番線。けっこう距離があるので、まっすぐ乗り継ぐならともかく一度下車してきっぷを買い直したりしていると乗り遅れるかもしれない。週末きっぷを使っている三十一でもホームに降りたのは発車2分前。YR-887という車両番号を持つディーゼルカーだ。「YR」は「Yamagata Railway」の頭文字だろうけど、「887」の由来がわからない。気になる人は Wikipedia でも見ればきっとわかると思います。

赤湯を発車したときに乗車していたのは三十一を含めて2名。途中で乗り降りした乗客を含めても、高校生や中学生、帰省客らしいシニアなど延べ10名に足りないくらいだったろう。これが復路の列車では一変する。
まず米坂線と接続する今泉あたりまではとにかく米沢盆地の田んぼの中をひた走る。昨日の米坂線での光景と区別がつかないくらいだ。今泉を出ると少し上り基調になってくるがそれほど厳しい勾配というわけではない。山形鉄道では転換後に駅をかなり増やしたらしく、古い構造の駅と新しい駅(といっても建物などはかなり古びているが)が入り混じっている。その中で沿線最大の駅は長井駅だろう。長井市の中心駅ということだがそれでもローカル線の行き違いができるというだけの駅でしかない。その他の駅は推して知るべしだ。さきほど乗った左沢線に比べると明らかに寂しい。県庁所在地である山形あるいは置賜地方の中心地である米沢などに直結しているわけではなく沿線にまとまった人口があるわけではない、赤湯という全国的には無名の駅を起点とした国鉄長井線が廃止転換の対象になったのはやむを得ないだろう。
終着の荒砥には車両基地が併設されているらしく、検査庫と留置線がホームから見える。
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第三セクターらしく駅舎には公民館が併設されている。
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20分ほどで折り返しなのだが、10分前くらいに車内にはいったところ、それほど広くない車内の前方3分の1くらいのスペースで同窓会が開かれていた。ほぼ同年代、70代くらいの男女10名あまりが向かい合わせのロングシートを占領して昔話に花を咲かせていた。同窓会か何かがあってみんなで帰省した、その帰りらしい。この集団のほとんどは赤湯まで行くんだろうなあ。付き合いたくはないが三十一も付き合って一緒の列車で赤湯に戻るしかない。すると今度は長井で高校生の一団が乗り込んできた。部活帰りかなあ。世代は違えど地元民で溢れる車内に東京モノの三十一は肩身が狭い。小さくなっているうちに赤湯着。
いったん改札を出て帰りの特急券を確保する。たまたまこの次に東京方面に向かう特急は、不定期列車なので昨日と同じようにわりと席をとりやすいと踏んでいた。そのかわり、この列車は全席指定なので席がとれなければ必然的にあとの列車になってしまう。結論はといえば首尾良く席が確保でき最速の「つばさ」で帰宅。

本日の旅程:
酒田(0742)→新庄(0853) 152D
新庄(0932)→山形(1042) 1432M
山形(1155+5=1200)→左沢(1240) 333D
左沢(1246)→山形(1339) 336D
山形(1404)→赤湯(1427) 144M
赤湯(1435)→荒砥(1535) 213D
荒砥(1559)→赤湯(1651) 218D
赤湯(1712)→上野(1930) 8190M/8190B

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