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2017年1月14日 (土)

わたしマツワ、いつまでも松輪。

千島列島の中部に位置するマトゥア島(日本名・松輪島)にロシア軍が拠点構築のための現地調査を行なったとか。

昔、戦史叢書の該当する巻(北東方面陸軍作戦2)を読んだことがあるので多少の予備知識はある。もっとも、いまその本はすぐに取り出せないので以下の記述はもっぱら記憶に頼ってしまうことになるのだが。

もともと、松輪島(以下この表記で通す)には日本軍が大戦後期に滑走路を建設して守備隊を置いていた。ロシア軍は日本軍が建設した滑走路跡を再生できないかと考えたようだ。
千島列島は全島が比較的若い火山島からなり、平地がほとんどない。特に中部千島は火山がそのまま海中から突き出しているような様相で、滑走路適地となるような平地はおろか上陸も困難な地形が支配している。そのなかで松輪島にはかろうじて滑走路を建設できそうな地積が存在した。松輪島はおおむね楕円形を成しており、北西側は火山が占めているが南東側には比較的緩やかな裾野がのびている。この緩斜面上におよそ1200メートルの滑走路が建設された。
しかし滑走路は建設されたものの、支援設備を建設するような後背地に乏しく、中継地あるいは不時着場、せいぜい少数の哨戒機基地程度にしか利用されなかったようだ。またこの付近の天候は航空機の活動に不向きで、夏季は濃霧が覆い、冬季は海流の影響で緯度のわりには温暖だが季節風が激しく仮設の建築物がしばしば破壊されるほどだったという。
それから、松輪島には輸送船が接岸あるいは停泊できるような湾入がほとんどなく、沖合いの雷公計(らいこけ)島との間に「大和湾」と呼ばれる泊地があったが「湾」とは名ばかりで風波が多少しのげる島影でしかない。本格的な補給のためには防波堤と桟橋を備えた港湾施設をまったく新規に建設する必要があるが、もちろん当時の日本にそんな余裕はなかった。

ロシア軍がオホーツク海を聖域化しようとするならば千島列島中部に監視拠点が必要になるが、実際のところ候補となり得るのは松輪島しかない。だからソ連時代にはこの島に守備隊が配置されていたのだが、ソ連崩壊後に撤退して長らく無人となっていたようだ。ロシア軍にどこまで投資するつもりがあるのか、つまりどの程度の規模の滑走路を建設するのか、また港湾設備を整備するのか、しばらく注視する必要があるが、三十一の個人的な予測では中継・監視拠点としての整備にとどまるのではないか。2000メートルにも満たない滑走路を建設するのがせいぜいの、さほど大きくもない島を大々的に開発するのはコストパフォーマンスが悪すぎる。どうしてもそうせざるを得ない理由があるならコストを度外視して(中国が南シナ海でやっているように)大工事に踏み切るだろうが、千島列島線の両端にあたるカムチャツカと南千島(択捉)に拠点はすでに建設済み、あるいは整備中であるから、これをつなぐ、あるいはギャップをふさぐ程度の機能があれば足りる。
そもそも松輪島の火山は最近もしばしば噴火を起こす活火山で、大規模な投資をするにはリスクが高すぎる。

大戦末期、日本軍は松輪島に7000人から9000人程度の守備隊を置いていたが、上陸してきたソ連軍に無抵抗で降伏した。縦深陣地を構築できる地積がなく、遅滞戦闘が可能な後背地もない孤立した小島では、優勢な敵に対してなすすべがなかっただろう。

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