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2017年3月30日 (木)

2017年3月の桜

3月27日付で年度末の人事異動が発令された。
将以上にかぎってみると小規模で、陸で昇任と勇退がそれぞれ3だけ。

深津孔(防大26)陸自幹部学校長>退職
西浩徳(防大28)第1師団長>陸自幹部学校長
柴田昭市(防大29)第14旅団長>第1師団長(昇任)

江口直也(防大26)補給統制本部長>退職
金丸章彦(防大27)関東補給処長>補給統制本部長
山内大輔(防大29)中方幕僚長>関東補給処長(昇任)

川瀬昌俊(防大26)装備庁装備官>退職
手塚信一(防大27)陸自幹部学校副校長>装備庁装備官(昇任)

現職の統幕長である河野海将の定年延長期限は5月27日までなので、この年度末に統幕長の交代とそれにともなう人事異動があるものと予想していた。
ところが例の日報問題で当の河野統幕長と、その有力な後任候補である岡部陸幕長が特別防衛監察をうける身となり、身動きがとれなくなってしまった。この問題にある程度の見通しがつくまでは大きな人事は行ないにくい。それがいつごろになるかは今の段階では見通しが難しいが、もし長引いたときには河野統幕長の定年を再延長するということもあり得る。

そもそも、すでに実情と合わないPKO5原則を振りかざしての「戦闘」という単語に対する言葉狩りの攻防が、今回の日報問題の発端だと三十一は認識している。すでにPKO5原則がナンセンスなのに、それに基づく日報問題がナンセンスでないわけがない。この問題の無意味さに早く気がついて、それをきっかけにPKO5原則の見直しまたは撤廃に進んでくれればいいと思うのだが、望み薄だなあ。

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2017年3月20日 (月)

雪景色と湯けむり

昨夜は盛岡泊まりだったのだが、確たる計画があったわけでも目論見があったわけではない。ただ「簡単に予約がとれそうだ」という他に理由はなかった。しかし結果として出来上がった状況は利用させてもらおう。
まず、今日は三連休の最終日なので「できるだけ早く帰る」のがまず第一の目的。とは言え、本当に「できるだけ早く帰る」ならそのまま東京行きの新幹線に乗るのが正解なのだがそうはならないのが三十一の業が深いところだ。

盛岡の近くでまだ乗車していないのは、奥羽本線の山形新幹線と秋田新幹線に挟まれた区間、秋田山形県境の新庄-大曲間。それから北上線と陸羽東線になる。せっかく盛岡に宿をとっているのだから、朝一番の秋田新幹線で大曲に出、未乗区間を通って北上線か陸羽東線で東北新幹線沿線に戻って東京に戻るという計画を立てた。で、陸羽東線と北上線を天秤にかけたらもちろん陸羽東線を選ぶことになる。

前夜、試しにネットで「こまち」の指定券にチャレンジしてみたのだが、座席を選ぼうとしてみたらほとんど空席だったので予約するのをやめて立ち席特急券にすることにした。「えきネット」のせいで減収。

朝一番の「こまち」は仙台始発なので席は選び放題。ちょっと悩んだがとりあえず左側窓際の席を確保する。やがて発車、高架橋を下って地平におり田沢湖線に合流。昨日は盛岡に着いたのが夜に入ってからで、そのまま駅近くのホテルにチェックインしたので気づかなかったが、日陰には雪が残っていた。しばらく勾配を登って雫石に着くころには日陰だけでなく道路外の畑地などは雪に覆われていた。さらに峠に近づくと雪国の風景が広がってきた。このあたりはまさに東北地方の分水嶺、奥羽山脈だ。秋田県に入ると景色はほぼ白一色。しかし空は抜けるような快晴。そういえば天気予報では「なだれ注意報」が出ていたなあ。なるほど。
角館まで来るとだいぶ平坦な地形になってきて、その真ん中を線路はまっすぐ進む。たぶん周囲は水田なんだろうと推測されるがわからない。大曲で「こまち」を下車。
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新幹線改札を出て奥羽本線の未乗車区間に向かう。乗るのは東北地方の電化区間ではおなじみの701系。個人的にはJR東日本の合理化が行き過ぎた時代の産物で、もうちょっと地域の実情に適した車両がよかったと思うのだがまだしばらくは使われそうだ。この区間で使用されている列車は一部をクロスシートに改造しているが、もちろんそうした座席は最初に埋まっていき、結局座ったのは比較的前が見やすいロングシートの席。これから新庄まで約1時間半ほど乗車していたわけだが、その間ほぼずっと混んでいた。休日というのが何か関係しているのだろうか。
この区間はほぼ全て単線なのだが、唯一複線になっているのが県境の院内-及位間。「及位」と書いて「のぞき」と読むこの駅名は難読駅名として有名だがそれは今回の話とは関係ない。このあたりは秋田方面に向かって急勾配が続き、しかも駅間が8キロ以上あるので昭和50年の電化当時に改良されたのだろう。なにしろ開通したのは日露戦争の最中の明治38年であるから、線形がよかったとは思えない。
新庄駅に到着。この駅には去年の秋にも来たが半年でまた訪れることになるとは思ってなかった。これまで乗ってきた701系の写真を撮ってはみたものの、柱が邪魔であまり納得のいくものにならなかった。代わりと言うわけでないがこちらをどうぞ。
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これ去年もあったかなあ。こういう標語が方言なのは珍しい。正直意味がわからない。いや、なんとなくはわかるのだが正確なニュアンスがね。
こっちはわりとうまく撮れた、これから乗っていく陸羽東線のキハ110系。JR東日本の非電化区間を行くとかなりの確率で出会うやつだ。
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先ほどまでの奥羽本線で少しストレスが溜まったので、今度は運転席の直後のかぶりつき席に陣取る。新庄を出た陸羽東線の線路は南に向かってしばらく奥羽本線と並行して走る。電化の奥羽本線と非電化の陸羽東線の単線並列の形だ。南新庄を過ぎてようやく東方面に向きを変えて山越えに挑む。ひとつ峠を越えると奥羽山脈のふところに抱かれた小盆地に出る。これまで冬場の鉄道旅は控えてきたが、こうした冬景色の中を列車で行くのもいいなあと思えてきた。それも来年以降になる。鬼が笑うような話だ。
ちょうど県境にあるのが文字通り境田駅で、雪深い山中の駅だったが、それから一気に宮城県側に下って、鳴子温泉に着く頃にはかなり雪が少なくなってきた。ここで乗り換え。
乗り換え時間は5分ほどで、温泉客が先に乗り込んでいたのでもう席は選べない。さらに少し下っていくといつの間にか周囲の景色から雪は消えていて、春先の田園地帯の風景だ。
さてこの間に帰りの列車を考える。当初考えていたのは、終点の小牛田から東北本線で仙台に出て新幹線に乗り継ぐというもの。ところがこれだと仙台からの新幹線が3時過ぎになりそうだった。もうちょっと早く帰る方法はないか。早く帰るだけなら、この列車を古川で下りて新幹線に乗り継げばよい。今この列車に乗っている温泉客のうち東京方面に帰る人はみんなそうするだろう。だがそうすると陸羽東線が一部だけ未乗車で残ってしまう。実はこれまで陸羽東線が未乗車で残ってしまったのは同じ理由で、東京から陸羽東線方面に行く場合のもっとも素直なルートは新幹線から古川乗り換えだが、その場合でも結局は根っ子の部分が残ってしまうので別に乗りに行かなくてはいけなくなる。それでは二度手間なので古川乗り換えという選択肢は放棄してきたという経緯があるのだ。なので今回もこの案は否決された。そして選んだのは次善の、だがはたから見たらもっとも意味のわからないルート。つまり一度小牛田まで行って全線乗車を済ませてから古川に引き返して新幹線に乗り継ぐという方法だ。三連休パスを使っているからできる芸当だ。
計画通り、善良な温泉客を古川で見送っていったん小牛田まで行き、同じ車両で引き返して古川着。この間にネットで指定券を予約しておいたので、券売機で回収して時間まで待合室で時間を潰そうかと思っていたら改札脇にこんな掲示が。
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幸いにも三十一が予約した列車の遅れは5分程度で、東京に着くころには遅れは解消していた。

本日の旅程:
盛岡 (0758) → 大曲 (0857) 3095M
大曲 (0903) → 新庄 (1044) 2434M
新庄 (1121) → 鳴子温泉 (1225) 726D
鳴子温泉 (1231) → 小牛田 (1327) 8734D
小牛田 (1334) → 古川 (1346) 1733D
古川 (1421+5) → 上野 (1638) 9164B

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来たぜ、東北

わりと松岡茉優は好きなほうだ。女優としてよりはバラエティタレントとしてだが。適度な天然ぶりが心地よい。綾瀬はるかまでいくと行き過ぎだ。

閑話休題。
震災前の2009年に、八戸から久慈、宮古、釜石、盛、気仙沼、一ノ関と三陸沿岸を縦断した。そのため、それ以降に再訪することはなかった。2013年に福島のいわき市に行ったときにはそれほど影響がなさそうに見えた。
三陸地方はすでに訪問済みではあるものの、鉄道路線としては大船渡線以南、東北本線以東のエリアは手つかずのままだった。しかし一部のバス代行が長く続いたことと、さらに一部がBRT化されたことで二の足を踏んでいた。しかし昨年、この地域のBRT化された区間を除いた全区間が復旧したことで二の足を踏む理由はなくなった。むしろ、それにあわせて非電化区間として「仙石東北ライン」が開業したことから逆に早めに乗車しておきたい地域になった。

郡山から新幹線で仙台へ。左手に残雪を冠しているのは蔵王連峰だろうか。
今日はかなりのハードスケジュールで、遅れなどで乗り継ぎ損ねると破綻しかねない。一応代替プランは用意されているが、いくつか当初の目的を諦めなくてはならないだろう。

まずは石巻・女川方面へ。現在、仙台から石巻へ向かうルートは3つある。仙石線を使うルート、東北本線から石巻線を使うルート、そして新しくできた仙石東北ラインルートだ。往復を別経路としたとしても、ひとつは断念しなければならない。さもなくばもう一往復するかだが、今日のところはそんな余裕はないだろう。今回切り捨てられたのは3ルートの中で唯一全区間電化済みの仙石線ルートとなった。非電化単線鉄道愛好会会長としては当然の決断だろう。

列車のタイミングがちょうどよかったので、まず仙石東北ラインで石巻に向かう。ホームに下りたら陸羽東線に向かう「リゾートみのり」が待っていた。
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「みのり」のあとに入ってきたのが HB-E211系ハイブリッド車両だ。東北本線は交流電化、仙石線は直流電化。並行して走っている松島-高城町間に連絡線を建設して直通させることにしたのだが、セクションを作って交直両用電車を走らせるのではなく、連絡線は非電化のままにしてハイブリッド車両を走らせるという選択がなされた。時代だなあ。
三十一が乗った仙石東北ラインは特別快速という扱いで、途中塩釜、高城町、矢本にしか停車しない。三十一は先頭車運転台直後の扉脇に立って前方が展望できる位置に陣取った。とは言え、同好の士多数により2列目という位置ではあったが。
東北本線を快調に飛ばした列車は塩釜を出ると本線上に作られた渡り線を横切って連絡線に入る。連絡線で一旦停車して対向列車をやり過ごすと仙石線に入っていく。仙石線は直流電化単線区間だが、高城町から先は内陸に移転した区間だ。線路も駅も真新しい。線路はやがて地平に下りて旧線に合流する。このあたりの建物もほとんどが真新しい。新しい建物が並んでいることが哀しく見えるという不条理。
石巻到着。乗り継ぎに少し時間があるので写真を撮ってまわる。まずはこれまで乗ってきた HB-E211系。
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それから、これから女川に向かうおなじみのキハ110系気動車2両編成の列車。この列車とは今後しばらく付き合うことになるだろう。
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石巻に向かう列車はやたらと混んでいた。しかもその乗客の大半は半自動ドアもワンマン列車の乗り方も知らない旅行客らしい。駅で乗り降りするたびに一騒動あって、女川に到着したときには3分遅れていた。どうやら女川で何かイベントがあったらしい。しかし三十一はすぐに折り返さなくてはならなかったので、人混みをかき分けるようにして駅舎の外に出て写真をとるとまたもや人混みをかき分けるようにして構内に戻り、発車間際の列車に飛び乗って折り返す。折り返し列車は定時に発車。
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ついさっき石巻から乗ってきた列車で、今度は終点の小牛田まで乗りとおす。石巻からいったん北に向かい、やがてに西に転じて小牛田をめざすが、この間ほとんど平坦な地形で、国鉄が石巻への経路として選択した理由がわかったような気がした。この区間では今でも石巻港向けの貨物列車が運行されている。東北本線と接続する小牛田に到着すると、10分あまりで再度折り返す。列車としては3つ目だが全部同じ車両なので代わり映えしない。前谷地で気仙沼線に乗り継ぎ。
気仙沼線は大半の区間が被災してBRTで復旧されており、レールが残っているのは前谷地から柳津まで。奇しくも1968年に柳津線として開通した区間だけが残ったことになる。柳津駅から先は行き止まりになっていた。
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柳津線、もとい気仙沼線の列車はキハ110の単行。
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柳津から先はBRTになる。線路跡の一部を専用道路とした代行バスだ。これを「乗車」と言っていいのかどうか微妙なところだ。今回も、BRTに乗らずにそのまま折り返すという選択肢もあった。しかしそれだと意外に時間があまってしまうので(そんなことを昨日も言っていたが)、「乗車済み」と勘定するかどうかは別として、とりあえず乗っておくことにする。
やがてやってきたバスは特徴的な塗装だが、内装は普通の路線バスとそう変わらない。ただし、専用ルートを走行するのに必要なセンサー類は追加装備されているはずだ。柳津駅はまだ海岸にはほど遠い。海に出るまでは通常の国道を走る。途中の陸前横山駅は築堤上にホームがあって階段で街とつながっている。このあたりは直接被災していないはずだがバスと列車の連絡をするには適さなかったのだろう。峠を超えて海に出る直前、陸前戸倉から専用ルートに入る。これから先、専用ルートと一般道を組み合わせてBRTは走る。実際に乗車してみるまで三十一はBRTに批判的だったが、被害の比較的軽いところから順次専用ルート化することで、つぎはぎの復旧でも一般道と組み合わせることで全体の路線を早期に回復できるというメリットがあるのだろう。気仙沼線と大船渡線はBRTを選択し、仙石線はレールでの復旧を選んだ。それにはそれぞれメリットとデメリットがあるので一概にどちらが良いとはいいきれない。鉄としての三十一にとって答えは明らかだが、それが全体にとっての最適解であるとは限らない。むしろ必要なのは、鉄道が最適解となるために何が必要かを考えることだろう。
南三陸町の中心地である志津川地区では、地区全体をかさ上げ工事している真っ最中だ。バス停も坂を登り切った人工的な高台の上に仮設されている。一見して宇宙的な光景だが、かつての気仙沼線、かつての志津川駅、かつての街がこの下にあったと考えると胸が締め付けられるようだ。
陸前小泉駅近辺でかつて川を渡っていたはずの気仙沼線の高架橋をバスの中から携帯で撮影。
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本吉駅で乗員が交替したあと、再度専用ルートに入ったのだがそのときに後ろを見てみると駅の構造が半分だけ残っていた。
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気仙沼の市街地に入ってくると一般道は渋滞しておりとても時間通りには走れない。この後に関してはやや余裕があるのであまり心配はしていなかったが、30分以上遅れるようなことがあると大船渡線が夜にかかってしまうかもしれない。しかし最後の一駅区間分はまたも専用ルートになり、その威力で渋滞をスキップしていく。それでも気仙沼駅に着いたときには7分遅れていた。駅に着く直前、並行して走る大船渡線の列車が追いかけてきた。このあとこれに乗って行くはずなのだが。
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こちらは気仙沼駅から回送されているBRT。
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気仙沼から大船渡線で一ノ関に向かうが、これは2009年に1度乗車した区間。あの時も確か夕方だったが、今回も午後の遅い時間。しかもちょうど春分で、太陽が真西に沈んでいく時期だ。大船渡線の鍋弦路線を体感するには最適と言えなくもない。
一ノ関から新幹線で盛岡に出て投宿。

本日の旅程:
郡山 (0757) → 仙台 (0841) 201B
仙台 (0924) → 石巻 (1016) 5527D
石巻 (1037) → 女川 (1102+3) 1631D
女川 (1110) → 小牛田 (1231) 1632D
小牛田 (1243+1) → 前谷地 (1300) 1635D
前谷地 (1301) → 柳津 (1323) 929D
柳津 (1342) → 気仙沼 (1534+7) BRT
気仙沼 (1615) → 一ノ関 (1738) 338D
一ノ関 (1814) → 盛岡 (1854) 57B

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2017年3月18日 (土)

棚倉城に行ってみよう

非電化単線鉄道愛好会会長たる三十一としては、こうした路線を残すためにもできるだけ多くの非電化単線鉄道に乗車することを自らに課してきた。精進の甲斐あってか、連続して100キロを越えるような未乗車区間はだいぶ少なくなってきた。該当するのは3区間。山陰本線の益田以西、紀勢本線の非電化区間、そして水郡線だ。
関東在住の三十一にとって、非電化単線鉄道愛好会会長でありながら137キロという長大な水郡線が未乗車のまま残っているという状態は早期の対応が求められた(誰に?)。

この3連休は珍しく完全にフリーになったので、せっかくなのでこの機会に東日本エリアの非電化区間をいくつか踏破しようと考えたのだ。
もちろん今日の主眼は水郡線である。問題は上菅谷-常陸太田間の支線だが、今日は時間がないので後まわしにした。次に機会もあるだろうし。だが本当は朝の支度に手間取って時間がなくなってしまったのだ。

常磐快速電車で柏に出て特急に乗り継ぐ。偕楽園の行楽シーズンだからどうかなあと思っていたけど、どうにか席はとれて特急「ときわ」で水戸へ。途中、偕楽園駅で乗客がごっそり下りていく。さらに一駅(半駅)で水戸着。
水戸には梅の時期を外して来たことがあり、そのときに偕楽園にも行ったので改札は出ない。駅売店で軽食を調達する。

駅の北端に水郡線ホームはある。水郡線の列車はすべてキハE132に置き換わっている。これから乗る列車も当然そうで、2両編成だ。休日の昼間だがそこそこ混んでいる。水戸はそれなりに大きな街なので覚悟はしていた。とりあえず窓際に座れたことでよしとしよう。進行方向には背中を向けることになってしまったが。発車時間が迫るとさらに乗客が乗り込み、かなりの立ち客が出るような状態で発車。常磐線からわかれ、那珂川を渡って北に向かう。
面白いと思ったのは、那珂川をわたるとてきめんに田園風景になってしまうことだ。そして那珂川の向こう側と思しきあたりにはビルが立ち並ぶ水戸の市街地が広がっている。このあたりがやはり地方都市ということなのだろうか。そして三十一の目についたのは田んぼの中にぽつんと置かれていた小型飛行機。飛行可能な状態には見えなかったが何かのオブジェだろうか。

上菅谷まで来たらだいぶ空くだろうかと思ったが、まとまった人数が降りて行ったものの立ち客が解消するほどでもなかった。立ち客がなくなったのはようやく常陸大宮あたりで、観光地の袋田まできてようやく空いたとい言える状態になった。好き勝手に席を選べるようになったのは常陸大子である。ちなみにこの列車は普段は常陸大子どまりだが今日は郡山まで行く。
常陸大子で30分ほど時間ができたので、その間に軽食を食べてそのゴミを駅のごみ箱に捨てにいったり、写真を撮ってみたりする。
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駅前にC12が保存されていて、状態は悪くなかったんだけど柵のない側から側面の写真を撮ろうと思ったら駐車場の料金所の建物が邪魔をしていたので断念。ちょっと柵がうるさいかもしれないが文句は大子町役場のほうにお願いします。
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常陸大子を出ると短いトンネルを抜けたがこれが分水嶺というわけではなさそうだ。水郡線は地図をみると山中を越えているように見えるが実際にはそれほど起伏は激しくない。
さてこの先の予定を考える。今日の宿は郡山。本当は仙台あたりに宿をとりたかったのだが、適当な宿がみつからなかった。やむを得ず福島や郡山を探してみたところ、福島に宿泊できないわけではなかったが郡山のほうが選択肢が多かったので郡山とした。結果として時間が少し余ってしまうことになる。このまま郡山まで乗り通すと3時過ぎに郡山に着いてしまう。途中のどこかで面白そうなところがあれば一旦下車してみるのだが、と考えて思いついたのは棚倉(磐城棚倉)だった。
「棚倉」という地名を三十一が初めて知ったのは、戦前まであった国鉄白棚線の終点としてであった。その後、江戸時代に代々有力な譜代大名が封じられた南奥の要地であったことを知る。地図を見てみると棚倉の駅からそれほど遠くないところに、はっきりと堀が残った城跡が見て取れる。いまでは公園となっていて当時の遺構は何も残っていないようだが、磐城棚倉で下車して行ってみることにしよう。そこでどれくらい時間が潰せるかは行ってみないとわからない。

結果はと言えば、けっこう時間が潰せた。略長方形の本丸を取り囲む土塁がはっきりと残っており、2個所の門以外は堀に取り巻かれている。
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堀には鴨や鯉が棲みついていた。
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そして城の片隅には忠魂碑とそのかたわらに「元帥畑俊六終焉之地」なる碑が。畑元帥が戦後忠魂碑の除幕式に出席していて心臓麻痺で急死したというのは知っていたが、それがここだとは初めて知りました。
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結局2時間あまり棚倉にいて、再び水郡線に乗り込んで郡山に向かう。途中、福島空港のすぐ横を通ったはずだが空港連絡道路が立派なこと以外は空港を思わせるものは何も見えなかった。右手前方に市街地がみえてきた。郡山だ。安積永盛で水郡線は東北本線と合流する。駅を出ると東北本線の上り線を横切って下り線に入り、一駅走って終点の郡山に到着。

今日の旅程:
柏 (0954) → 水戸 (1046) 2055M
水戸 (1115) → 磐城棚倉 (1357) 825D
磐城棚倉 (1621) →郡山 (1726) 335D

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2017年3月 2日 (木)

2017年2月の打ち上げ

2月は少なかった。合計で4件。アメリカ、ロシア、ヨーロッパ、インドが各1。中国がなかったね。

14日 21.39GMT クールー/アリアン5 (Intelsat 32 他)
15日 03.58GMT スリハリコタ/PSLV (Cartosat 他)
19日 14.38GMT ケープカナベラル/ファルコン9 (CRS-10)
22日 05.58GMT バイコヌール/ソユーズU (Progress MS-05)

15日にインドが打ち上げた PSLV は、合計104個もの衛星を(ほとんどはマイクロサットだろうが)搭載していたそうだ。これはもちろん記録だろう。
22日のソユーズU (11A511U) は最後の打ち上げとなった。Wikipedia では 786回ということだが、三十一の計算では 759回となる。どちらが正しいということではなく、何を勘定に含めるかの違いだろう。1973年の初打ち上げからの成功率は97.3% になる。

Orbital Launch Chronology

2月22日、JAXA から LE-9 エンジンのターボポンプ燃焼試験の結果が公表された。所期のデータを収集して完了したということで、今後は本体に組み込んでの燃焼試験に進むことになる。LE-9 は、次期ロケット H-3 の一段目主エンジンとするべく開発されているのだが、液酸液水という推進剤の組みあわせは現在の H-2 に使われている LE-7A と同じ。しかしターボポンプはこれまでの二段燃焼サイクルからエクスパンダ・ブリード・サイクルに変更されている。衛星打ち上げロケットの一段目に使われるエンジンにエクスパンダ・ブリード・サイクルを採用したのは初めてだと思う。現在、H-2 の二段目に使われている LE-5B がエクスパンダ・ブリード・サイクルなのである意味日本の得意分野だ。
エクスパンダ・ブリード・サイクルは二段燃焼に比べて格段に構造がシンプルで信頼性を高くできるいっぽうで、LE-9 の計画値では比推力 425秒と、二段燃焼の LE-7 から最小限の低下におさえられている。
RS-24 SSME に追随した感のある LE-7 に比べると、LE-9 は日本の独自性が感じられる。個人的に今後に注目。

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