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2017年10月16日 (月)

「戦争のはらわた Cross of Iron」

戦争のはらわた 公式

1977年公開の伝説的な戦争映画。三十一が最初に知ったのはアバロンヒルから出ていたボードゲームのタイトル「クロスオブアイアン」から。スコードリーダーシリーズの拡張モジュールだったと思う。もちろんゲームのタイトルは映画に由来する。

東京での上映が今度の金曜日までということなので、雨の中を新宿まで出て見てきました。仕事の関係で土曜日は外出できなかったので、この週末で観るとしたら今日しかなかった。

まず、最後のシーンで頻繁に登場する T-34 だけど改造しているようには見えない。冷戦中の1970年代にどうやって本物の T-34 を入手したんだろう。もっとも T-34 でも T-34/85 のように見えた。1943年という時代設定とは少し合わない。それから、けっこうはじめのほう、爆撃しているソ連空軍(という設定)の単発機だが逆ガル翼から F4U コルセアのようだ。

映画の本題に戻ると、この時代のドイツでもやはりまだ階級が社会的に大きな意味を持っていたのだなあと思う。日本にいるとあまり意識しないけれど。プロイセンの貴族階級(ユンカーかな)出身というシュトランスキーの家族や一族には同じように軍に将校として勤務して鉄十字章を授章した者がたくさんいるんだろう。下士官で、おそらくは庶民階級出身のシュタイナーにとっては、鉄十字章のためにわざわざ安全なフランス駐留部隊からロシア戦線に志願してくるなんて理解できなかったろう。
連隊長はむしろシュタイナーに理解を示していたようだが、シュタイナーからしてみればそれも所詮将校階級からの同情あるいは偽善にしか見えない。それくらいドイツでの階級間の溝は深い。
それから、鉄十字章を申請するのに二名以上の証言と署名が必要というのは興味深かった。こうした厳密さというのはいかにもドイツらしく思える。

最初に紹介したとおり、東京での上映は今度の金曜までということだが、平日の昼間に時間がとれるならぜひ観るべきだろう。ペキンパー監督の演出による戦闘シーンをスクリーンで観るだけでも価値がある。

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2017年10月11日 (水)

大洗も鹿島も聖地に違いない

連休最終日。
前日は体力を温存するために新潟宿泊を断念して新幹線で帰宅。自宅に戻ったときは11時を回っていた。しかしそのまますぐ休んだわけではない。少しの間ではあるが時刻表と格闘してから床に就いた。
昨日使った「週末パス」は2日間有効、もう一日使える。あまり遠出をするつもりはないがまるっきり無駄にするのももったいないので、多少なりとも有効活用できればそれにこしたことはない。だがそれも当日実際に起きたときの時間と調子と気分による。
標的となったのは鹿島臨海鉄道大洗鹿島線。未乗車の非電化単線鉄道のうちでは比較的長い区間になる。実は「週末パス」のフリー区間の範囲では最長なのだ。それから大洗鹿島線につながるJR鹿島線に乗り継ぐ。こちらも電化路線ではあるが未乗車。この区間に乗車すれば千葉県内のJRはほぼ完乗となる。残るは成田空港線だけだ。水戸から鹿島線を経て佐原、成田に出るというスケジュールがまず決まり、オプショナルツアーとしてその前にひたちなか鉄道湊線を往復するというプランを計画したところで、後の展開を運に任せて寝につく。
翌日起きた時間ではすでにひたちなか鉄道のオプショナルツアーは実行不可能な時間になっていた。しかし鹿島臨海鉄道には充分間に合う。気分も悪くない。それでも快速では間に合わない時間になってしまったので特急「ときわ」を使って水戸に向かう。今年の春も出発が遅くなって特急を使った気がするなあ。学習しろよ。

水戸駅では二両編成のディーゼルカーが上り特急ホームの片隅に待っていた。そこそこ乗客がいたがクロスシートに席をとることができた。運転席のすぐ後ろなので比較的前方もよく見える。
定時発車。鹿島臨海鉄道はJR常磐線から右方向に分岐するはずなのだが、本線の右手にはヤードが広がっている。このヤードを横切ってから分岐するのかしらと思ったのだが、常磐線と鹿島臨海鉄道が並行して走っているあいだにヤードが途切れてそれからおもむろに分岐した。地平を行く複線電化の常磐線から離れて単線非電化の鹿島臨海鉄道は高架橋に登ると立派なトラス橋でそれほど広くもない運河を斜めにわたり、そのまま高架で海に向かう。東水戸、常澄と単線ながら立派なコンクリート造りの高架橋に置かれた島式ホームの駅に停まっていく。常澄駅では足元のおぼつかないお婆さんが下車していったが駅の階段を無事に下りていけるか心配になった。コンクリート剥き出しの高架橋上をいくためかディーゼルエンジンの騒音がかなりうるさい。やがて街並みが見えてくると大洗。ここが運転の拠点になっているらしく、運転士もここで交代した。前後は高架橋になっているのだがここだけ広めの盛り土構造になっており、ホームと駅舎、それから留置線が置かれている。大洗を出ると再び高架橋。はるか左手にかすかに水平線が見えるようだ。港には大きなフェリーが停泊していた。
このあたりまでは平坦な地形の上に高架、という風景だったのだがだんだん地形に起伏が現れ始める。ときに線路が切通しを行くようになる。右手に大きな湖が見えてきたので北浦かと思ったら涸沼だった。徳宿駅では掘割の中に線路と片面ホームがあって、階段を上ったところに駅舎があった。新鉾田あたりでは線路は地平を走る場面が多くなる。そういえば騒音もあまり気にならなくなった。北浦湖畔では今度こそ本当に北浦を望む。
地図で見ると鹿島臨海鉄道は海岸沿いを走っているようだが、実際には海岸の後背地にできた段丘の陰を走るので海はほとんど見えない。ふと気づくとまわりから田圃が消えて畑ばかりになっていた。水はけの良すぎる砂地では田圃は作りにくいんだろうなあ。日本で一番長い駅名という触れ込みの「長者ヶ浜潮騒はまなす公園前駅」にも停車するが「日本一長い駅名」というのがいたちごっこになっていた時期があるので本当に今現在一番長い駅なのかどうかは定かではない。気になる人は自分で調べてみてください。

やがて貨物線と合流。ヤードが広がり、コンテナを積んだ貨車が見えたかと思うと、停留していたEF65電気機関車が車窓をかすめる。そういえばいつの間にか架線が張られているようだ。目前に立派なホームが見えてきたが列車は減速する気配を見せない。ホームからヤードをまたぐ跨線橋がのびた先には大きなスタジアム。サッカーの試合などのイベントがあるときだけ営業する臨時駅の鹿島サッカースタジアムだ。以前は北鹿島駅と呼ばており、正式にはここが鹿島臨海鉄道とJR鹿島線の接続駅になるのだが、なにしろ普段は旅客営業を行なっていないので客扱上では接続駅は鹿島神宮駅になっている。鹿島サッカースタジアムを通過した列車は鹿島臨海鉄道の鹿島臨港線から右に分岐する形で進む。ここはすでにJRの鹿島線になるわけだ。やがて左手に常陸一宮鹿島神宮の森を見ながら高架の鹿島神宮駅に到着。鹿島神宮駅は1面2線の島式ホームだが鹿島臨海鉄道とJR鹿島線でホームを使い分けているらしい。とは言え貨物列車も通るからずっと占拠しっぱなしというわけにもいかないだろう。
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JR鹿島線の列車は、千葉県内のローカル線ではすでにお馴染みの209系電車4両編成。一部の車両はロングシートからセミクロスシートに改造されている。クロスシートはすでにいっぱいだったので先頭車のロングシートにいったんは席をとったのだが、クロスシートに座っていた母子が「この席暑い」と言い出して席を立ったのですかさずそのあとに移る。209系は熱線吸収ガラスを使っているかわりに日除けカーテンが廃止されたのでときに暑く感じることがある。しかし三十一には少々の暑さよりも優先するものがあるので母子が放棄した暑い席を占拠した。
JR鹿島線は地形の関係もあってほぼ高架。軟弱な地盤の水郷地帯を行くだけあって、湿気の多い地上に線路を敷くよりは地下深くの岩盤から支柱を立ち上げて高架構造とし空中に線路を敷くほうが路盤が安定すると考えたのだろう。延方駅も潮来駅も高架橋上に設置され、縦横に走る水路も何事もないかのように超えていく。霞ヶ浦と利根川を結ぶ常陸利根川を超えると十二橋駅。まわりには田圃しかない、高架橋上に片面ホームだけがある駅舎もない無人駅だが、ひとかたまりの若い女子が乗車してきた。私服姿なので大学生かとも思うが、まわりにそれらしい施設は見当たらない。彼女達はいったいどこから沸いて出たのやら。十二橋駅を出ると利根川を直角に渡り、渡りきったところで大きく右にカーブして成田線に合流する。このあと、佐原から成田線に乗り継いでいったん成田に出てから帰宅するがこのあたりは去年にも来たので省略。

10月9日の日程:
柏 (1053) → 水戸 (1147) 57M
水戸 (1200) → 鹿島神宮 (1317) 137D
鹿島神宮 (1323) → 佐原 (1344) 536M
佐原 (1352) → 成田 (1428) 2450M
成田 (1446) → 錦糸町 (1552) 4464F

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2017年10月10日 (火)

貴社記者帰社汽車

三十一が重宝しているJR東日本のフリーきっぷには「三連休パス」と「週末パス」がある。「週末」は繁忙期を除く毎週末利用できるが、「三連休」のほうはもちろん三連休でないと発売されない。ところが違いはそれだけではなくて、「週末」はおおむね宮城県・山形県以南のJR東日本路線が対象であるのに対し、「三連休」では岩手秋田青森県を含むJR東日本全線(いまは函館付近も含まれている)が対象に含まれている。せっかくの三連休、「週末パス」では行けないエリアの未乗車非電化単線区間を踏破しようかと思い立つ。
対象エリアで現在未乗車の非電化単線区間は4つ。津軽鉄道、JR男鹿線、由利高原鉄道、JR北上線だ。三連休パスを使えば一気に制覇できそうだ。ところが急な話でホテルがとれない。連休初日の夜、青森、弘前、秋田、盛岡で検索してみたが空き部屋が見つからない。仙台あるいは福島あたりなら確保できそうだが、目的地と距離がありすぎる。どうしてもこの連休でなければいけないというわけではないので、このプランは断念した。いきなり出鼻をくじかれてしまったので詳細な計画にまでは至らなかった。

ケチがついてしまったのでいっそ連休は自室で安静にしていようかとも思ったのだが、天気予報によると夏かと見まがうような暑い連休になるとのことでもあり避暑がてら出かけることにした。利用するのは「週末パス」だ。
当初「三連休パス」で考えていたのにひきずられて、「週末パス」で行けるできるだけ遠い未乗路線を目指すことにした。具体的には福島県の会津鉄道だ。会津鉄道はもと国鉄の会津線で第三セクター化され、さらに日光側の東武線と接続されて浅草からの特急が乗り入れるようになった。その間は「野岩鉄道」という別の会社線になっている。
もちろん、これまでにも機会があれば会津鉄道に乗車したいと思っていた。それが未乗車のままになっていたのはやはりそれなりの理由があるのだ。国鉄会津線は会津若松から会津盆地を南下して会津滝ノ原(現在の会津高原尾瀬口)に至っていたが、さらに延伸して日光の隣、今市で日光線に接続するという構想があった。国鉄改革でいったん凍結されやがて第三セクターの野岩鉄道を設立して工事を再開することになったが、地域の有力企業である東武鉄道が出資したこともあり接続先が国鉄日光線から東武鬼怒川線に変わって完成された。会津鉄道に乗るためにはかつての経路である会津若松まわりと野岩鉄道経由の両方があるが、東京方面から野岩鉄道経由で行く場合には東武を利用するのが一番便利ということになる。しかしそうすると「週末パス」を使う意味がない。とにかく非電化区間だけに乗れればいいというなら、会津若松側から非電化区間の末端である会津田島まで往復するのが一番簡単なのだが、電化区間とは言えその先の山越え区間が未乗のまま残ってしまう。どうせならこの区間も乗ってみたいのだ。会津鉄道と野岩鉄道と東武鬼怒川線は事実上一体として運用されているが、そこに東武とはライバル関係になるJR日光線を組み込もうとするととたんに話が簡単でなくなる。JR日光線と東武日光線は同じく日光を目的としているが、その途中では実はほとんど交わらない。どちらかを選ぶとどちらかを捨てるしかないのだ。便利なのは東武だが、「週末パス」利用を前提とするとJRを使いたい。こうした問題があって、これまで後まわしになってきていた。しかしいつまでも後まわしにしておくわけにもいかないので本腰を入れて計画を立てることにする。
時刻表を調べてみると、鬼怒川方面から会津若松まで直通する AIZU マウントエクスプレスが走っているので、これを利用するのが便利そうだ。ひとまず時間帯のいい下り3号を軸に考える。幸いなことにこの3号は東武日光始発。「週末パス」を使ってJR日光駅まで行ってそこから東武日光駅まで歩き、「週末パス」で乗れない東武線、野岩鉄道線、会津鉄道の末端部分は別途運賃を支払うことにしよう。

AIZU マウントエクスプレスの発車時間から逆算して東北新幹線でまず宇都宮へ。そして日光線で日光へ。本当は、せっかく宇都宮まで来ているので未乗車で非電化の烏山線に乗りたかったのだが、今回はその時間がなかった。優先順位は会津鉄道なので今回は断念。日光線も初乗車なのだが使用車両はお馴染みの205系電車。外国人観光客がかなり目立つ。50分近い乗車時間のあいだに駅はわずか6つ。日光線はレトロ観光路線としてのブランディングがなされており、駅舎や車両にもそれらしいデザインが施されている。終着日光駅では大きなバッグを背負った外国人観光客や、対照的に軽装の若い女子の団体が群れをなす。駅員が「ジャパンレールパスを利用する外国人乗客は有人改札口へ」と英語を交えて繰り返し叫んでいる。乗り換え時間は15分ちょっとしかない。その間に東武日光駅まで歩いて、しかも運賃を調べてきっぷを買う必要がある。かきわけるように改札を出て駅舎の外へ。駅前広場で見回せば見つかるだろうと思っていた東武日光駅だが、目に入らない。いちおう事前に位置関係は調べておいたので東武日光駅があるはずの方向にむけて歩き出す。広いバスターミナルの向こうに見える三角屋根がそれらしい。思いの外距離があり少々焦ったが、10分くらいの余裕で東武日光駅にたどり着き、会津田島までの切符を買う。2050円。
改札を入ると AIZU マウントエクスプレスが頭端式のホームにすでに停車していた。非電化の会津鉄道線に直通するため当然ディーゼルカーだが全線電化の東武の駅では異彩を放つ。3両編成の最後尾車両に席をとる。東武日光線をいったん下今市まで行ってから東武鬼怒川線にはいるのだが、下今市で進行方向がかわるためにそれ以降終点までこの車両が先頭になるのだ。10分くらいで方向が変わるので、座席も最初からその方向に向けられている。秋田新幹線の上り列車とか、佐世保線の特急みどりとか、北海道新幹線開業前の特急スーパー白鳥とかと同じだ。
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東武日光駅を発車した列車はJRの日光駅を見下ろしてまずは下今市に向かう。快速列車という扱いなので停車する各駅でそれなりに乗降がある。下今市ではかなりまとまった人数が降りていったのと入れ違いに、東武特急で東京から来たと思しき観光客が大挙して乗車してくる。まあこれが普通の選択だよなあ。ホームの反対側には100系スペーシアが停車していた。やがて逆方向に向けて走り出し、複線の日光線から右方向に単線の鬼怒川線が分岐する。東武ワールドスクエア、鬼怒川温泉と名前の知られた駅に順次停車していくが、交換相手の遅れがあったのかいつの間にか5分ほど遅れていた。鬼怒川温泉駅では東武最新の500系特急リバティが停車しているのを見かける。新藤原からは野岩鉄道線に乗り入れる。単に会社がかわっただけではなく、野岩鉄道線はもともと鉄建公団による建設線だから、高架やトンネルが多い直線的な線路形状になる。ことにこのあたりは栃木福島県境の山岳地帯だからなおさらだ。沿線には有名な川治温泉などがあるが線路は駅付近でちらりと外界に顔を出すだけで大半はトンネルの闇の中。ダム湖もあるのだが車窓から見えるのはほんのわずか。ただし野岩鉄道線は全線直流電化されていて、東武特急や東武線の電車が乗り入れてくる。しかし今乗っているのは直通のためのディーゼルカーだから電化の恩恵は受けられない。やがて分水嶺を越えて福島県にはいると会津鉄道との結節点となる会津高原尾瀬口。国鉄時代は会津滝ノ原と呼ばれていた。しかし少なくとも車窓から見るかぎり、それほど特別な駅とは思われない。集落から少し離れた高台にぽつんと置かれた何の変哲もない中間駅に見える。

実はこのあたり、まだスキーをやっていた頃に奥会津のスキー場への往復でよく車で通った道筋なのだ。週末に日帰りでスキーに行くときは南郷とか高畑のスキー場に行くことが多く、そのときに川治温泉方面から野岩鉄道に並行して走る121号線を使って奥会津に入るというルートを多用していた。もっともスキーのためにこのあたりを走るときには大抵明け方または夕方過ぎで昼間に走ることはなかったので景色に見覚えはない。

会津高原尾瀬口から北は会津鉄道線になるが、このあたりはまだ電化されている。もともとの起点終点から考えると末端になる会津田島より南が直流電化されて日光方面からの電車が乗り入れる。会津田島より北側は非電化のままだ。もともとの起終点とは違って、日光と直結することになるかつての末端側がいまでは表玄関になってしまっている形だ。しかし終点の会津若松まで行くのであれば、JRの東北新幹線と磐越西線のルートには太刀打ちできない。だから多少なりとも入り込みが見込める会津田島までが電化されて、それより先は非電化で放置されているのだろう。野岩鉄道の沿線では観光資源は川治温泉くらいしかない。野岩鉄道が開業する際に、東武と接続するのであれば会津鉄道側でもせめて会津田島まで電化して電車を乗り入れる形にしなければ野岩鉄道の経営そのものが成り立たないと判断されたのだろう。つまり野岩鉄道の開業と会津鉄道の一部電化はセットなのだ。

会津鉄道線、というか旧国鉄会津線は、阿賀野川の支流が作る細長い可耕地に沿って走る。この谷筋が屈曲すればそれに従って線路も方向を変える。この細長い盆地はやがて大きな会津盆地に呑み込まれることになる。川と線路はおおむね同じ方向に走るからときどき交差することがあり、鉄橋上から見下ろす渓谷は意外に深い。南北に走る谷筋と線路が少しだけ東西向きになったところが会津田島駅だ。ここはかつての南会津の中心地で郡役所も設置されており、当時の郡役所跡が残っていて観光地となっている。現在では郡は単なる地域名でしかないが明治時代までは郡は県の下位、町村の上位に置かれた中間的な行政機関だった。会津田島駅は電化区間の終点なので折り返しホームや留置線が置かれている。折り返しホームには鬼怒川でも見たリバティの編成が停車していた。非電化区間に入ると周囲は完全にローカル線の風景。それほど広くない谷は田圃に覆われ、黄色く熟した稲が穂を垂れている。このあたりではこれからが刈り入れ時期らしい。会津下郷駅で逆方向の AIZU マウントエクスプレスと交換。この待ち時間に販売員が乗り込んできて「ますバーガー」と「花豆パイ」を売り歩く。けっこう売れていたようだ。芦ノ牧温泉前後では再び山越えになる。長いトンネルが続き、地図で調べるとダム湖があるらしい。ダム建設によって新線に切り替わったことが容易に推測できる。これが最後の山越えで、あとは会津盆地の市街地を行くようになり、左から只見線が合流すると近代的な西若松駅。会津鉄道はここまでだが列車は二つ先の会津若松まで行く。

さて会津若松からのルートは二つ。磐越西線を東に向かって郡山に出るか、あるいは西に向かって新潟方面に出るか。どちらのルートも既に乗車済みなのでどちらでもかまわない。しかし郡山には今年の春に来たばかり。郡山から仙台に出て宿をとり、仙台付近の未乗区間を乗りつぶして帰京するというのも考えたがどうもいまいちだ。いっそ新潟に出るのはどうだろう。新潟に宿をとることができれば、未乗の越後線や弥彦線を踏破することができるだろう。どちらも電化路線だが電化されたのは比較的最近で意外と面白いかもしれない。実は少し前から気になってはいたのだがなかなか機会がなかった。そこで磐越西線を新潟方面に向かう列車を調べてみると、次の普通列車までは二時間近く間が空いてしまう。なかなかうまくいかないなあ。ところが今日は三連休の中日。普段は走らない列車が時刻表に掲載されている。AIZU マウントエクスプレスから一時間弱で接続する新潟行きの臨時列車「SLばんえつ物語号」だ。ただしこの列車は全席指定、まさか前日の夜になって席がとれるわけがないだろうと思いながらも駄目もとでネット予約に挑戦したところ、予期に反して予約できてしまった。しかも窓際席で。こうして新潟に向かうことが確定する。
いったん駅前に出て遅い昼食がとれないかと右往左往していたときに駅舎の屋根の向こうから黒い煙が立ち上るのを見つけたので、昼食はあきらめて駅売店でパンを買って改札を通る。列車はまだホームにつけられておらず、ついさっきまで乗っていた AIZU マウントエクスプレスの隣の線路で準備をしているようだが、AIZU マウントエクスプレスが邪魔をしていてよく見えない。やがて AIZU マウントエクスプレスが発車してしまうとホームで待ち構えていた鉄分の濃い人々が一斉にカメラを向ける。たぶんよそから見ると三十一もその一員でしかないんだろうなあ。「SLばんえつ物語号」は戦後型の C57-180 が12系客車を改造した7両編成を牽引する。考えてみれば客車列車に乗るのは2008年に九州へ往復したときに乗車した「はやぶさ」以来だ。
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C57 が牽く列車は白い蒸気を吐きながらいったん喜多方方面に引き上げる。せっかくなのでこの場面は動画にしてみた。そのうちどこかに置くかもしれない。やがて客車を先頭にした推進運転で列車がホームに据え付けられる。今度は鉄と、これからこの列車に乗車しようという家族連れが入り混じってSLに群がる。三十一はそれを遠巻きに見て、念のためにとカメラを向けては見るもののあまり満足いくものにはならず早々に離れて客車のほうを見て回ることにする。客車は高級感をめざしてか茶系の艶出し塗装が施されているがよくよく見るとベースが12系客車だけあって外板にはかなり傷みが見受けられ経年は隠しきれない。車内も展望車やグリーン車は全面改造されているものの三十一が乗る普通車指定席は伝統的なクロスシートだ。三十一の席は進行方向左側、窓際ではあるものの後ろ向きの席だ。同じボックスで相席になったのは五十絡みの男性で抱えたバッグには鉄分の多い缶バッジ(材質はアルミだろうけど)がびっしりと飾られたわかりやすい鉄人でした。
やがて長一声の汽笛とともに客車列車特有の衝撃をともなって発車。電車しか乗ったことがないであろう一般客はびっくりしたようだ。このあたりはまだ平坦なので、薄い煙を引きながら会津盆地を行く。ポイントポイントでは撮り鉄の集団が待ち構える。磐越西線はほぼ東西に走るので、上り列車下り列車いずれも順光になる。喜多方を出ると電化区間は終わり。車内からだとわからないがやはりSLには架線の下は似合わないだろう。磐越西線そのものはこれまで二度ほど乗車したことがあるのでそれほど目新しくない。阿賀野川を右にあるいは左に見ながら走る。野沢駅で10分停車。給水と点検のためということだが、格好の撮影タイムとなり三十一もカメラをつかんでホームに下りる。順番に運転台に乗せてくれるらしくホームに行列ができていた。三十一はきっと誰かが撮った写真をあげてくれるだろうと思ったのでその行列には並ばなかった。
山都を出てしばらくして展望車に行ってみる。展望車は両端と真ん中にあるようだが、三十一が行ったのは隣の車両、真ん中の展望車だ。椅子は少なく、窓際に腰掛られるようにバーが設置されていた。長時間これで座り続けるのはつらいだろうが、窓が大きく展望は確かにいい。自席は荷物置き場と割り切って、乗車時間のほとんどを展望車で過ごすのも一案だな、などと考えていたら車内アナウンスが入り「限定ストラップの抽選会があるから席に戻れ」という。三十一はこの手の抽選にあたったためしがないので一瞬無視しようかとも思ったが望み薄とは言えチャンスをみすみす棒に振るのもどうかと思い席に戻る。「抽選会」とのことだったが実際には「じゃんけん大会」でアテンダントとのじゃんけんに勝ち残るとストラップがもらえるということだ。もちろん三十一は早々に負け抜けた。
売店で缶ビール(つまみつき300円)を買って再び展望車へ。三十一は普段酒を飲まない。飲めないわけでもないし嫌いなわけでもないのだが、近頃酔っている時間がもったいないと思うようになった。そんな三十一がビールを買う気になったのだから、やはりどこか高揚していたのだろう。久しぶりのビールが喉に沁みる。飲み終えたころに津川着。ここでも給水と点検のために15分停車する。カメラはずっと手元にある。空き缶を手に立ち上がり、ゴミ箱に捨てるとホームに下り立つ。今日の日没は17時08分、すでに日は沈んでいるが西の空はまだ赤い。その赤い空を背景に乗員がテンダ上にのぼって石炭の掻き寄せ作業を行なっているシルエットがいい感じだ。三十一の拙い写真でその雰囲気の万分の一でも伝わればいいのだが。
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津川に停車している間にあたりはすっかり暗くなった。もはや展望車に残っている意味もないので自席に戻る。終点の新潟まで残り1時間半ほど、その間SL列車に乗っていることを思わせるのは車内に漂う煙の匂いと、駅を発車するときの汽笛と衝撃。五泉、新津と停まって信越本線に入り終点の新潟へ。到着後、先頭の機関車に向かってはみるもののホームの照明だけでは黒ずくめの機関車をうまく撮れる自信がなかったので早々に引き上げる。
さてこの後だが、もともと新潟に泊まるつもりで磐越西線のダイヤを調べてその結果「ばんえつ物語号」の指定席を予約することになったのだが、実は肝心の新潟でのホテルの予約ができなかった。金額を考えなければ泊まれないことはないのだが、どうも三十一の予算を超える。次にもう一度来ることを考えればかえって安上がりかもしれない、とも考えたが休みの最後の一日に無理をするよりは早めに帰京して休み明けに備えたほうがいいかもしれないという気持ちのほうが上回った。もはや三十一も自分の体力に満幅の自信を持てないお年頃だ。結局新潟での宿泊を断念して上越新幹線で一度帰宅することにした。ずいぶん本末転倒のような気がするが成り行きで仕方ない。これくらいいい加減にやらないと長続きしないしね(言い訳)。駅ビルで軽い食事をとって新幹線で帰宅。

10月8日の旅程:
上野 (0922) → 宇都宮 (1009) 255B
宇都宮 (1038) → 日光 (1127) 837M
東武日光 (1143) → 会津若松 (1438) 3756~3157~3157D~3158D
会津若松 (1525) → 新潟 (1906) 8233レ
新潟 (2020) → 上野 (2222) 1348C

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2017年10月 9日 (月)

「ドリーム Hidden Figure」

観てきました。
実はすでに先週のことなのですが、感想遅れました。いろいろ忙しかったもので。

「ドリーム Hidden Figure」公式サイト

誰かも同じような感想を書いていたけれど、これはマーキュリー計画を舞台にして差別(人種差別、女性差別)問題を描いた映画であって、主題は宇宙開発ではなくてあくまで差別なんだな。
ただそれゆえに宇宙関係者以外の共感も得やすいだろう。少なくとも日本では「ダンケルク」よりも一般受けはしそうだ。

ただ三十一にとってこの物語の影の主人公はケビンコスナー演じるハリソン局長だ。ハリソン局長自身はもともと差別について関心はなかっただろう。彼は数字の権化であり、それだけが全てでそれ以外は本来どうでもよかった。しかし差別という、ハリソン局長にとってはどうでもいい問題が目的を達成するための阻害要因になっていると知るや否や、彼は激烈な反差別主義者になった。
合理的、合目的的な思考と差別は相容れない。
ただどうせ看板をぶち壊すなら、「有色 Colored」ではなく「白人 White」のトイレの看板を壊すべきだったと思う。

宇宙開発映画として観ても充分面白い映画だったことは間違いない。
ただし映像として新しいものは見当たらなかった。

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2017年9月の打ち上げ

9月は8件。ロシア4、アメリカ2、中国1、ヨーロッパ1。うち有人1。

7日 14.00GMT ケープカナベラル/ファルコン9 (OTV-5)
11日 19.23GMT バイコヌール/プロトン (Amazonas 5)
12日 21.17GMT バイコヌール/ソユーズ (Soyuz MS-06) 有人
22日 00.02GMT プレセツク/ソユーズ (Glonass)
24日 05.49GMT バンデンバーグ/アトラス (NROL-42)
28日 18.52GMT バイコヌール/プロトン (AsiaSat 9)
29日 04.21GMT 西昌/長征2C (遙感 x 3)
29日 21.47GMT クールー/アリアン5 (Intelsat 37e / BSAT-4a)

アメリカの2件はいずれも軍用。中国の遙感も偵察衛星と言われているしロシアのグロナスも最大のユーザーは軍だから、軍事関係の衛星打ち上げが多かったと言える。
それ以外はそれほど目立つトピックがない。強いて挙げればソユーズ宇宙船が打ち上げられて国際宇宙ステーションのクルーが交代したくらいか。

Orbital Launch Chronology

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2017年10月 5日 (木)

イルカにのった中年

昨日は天気だったけど今日は曇り空。昨夜は風も強かったようだ。

今日は昨日とは反対に、紀伊半島の西側をまわって大阪に出る。昨日とあわせて紀伊半島をぐるりと時計回りに一周するわけだ。
きっぷはすでに昨日の夕方、新宮駅で海側の指定席を確保してある。始発の次、朝8時半に出る新大阪行きの特急だ。この列車を選んだのは、時間帯がちょうどよかったというのもあるがそれよりも使用車両が283系電車、つまりオーシャンアローであるということが大きい。この区間の特急「くろしお」からはすでに381系が引退し、287系と289系の投入が始まっている。そう遠くない将来、283系は姿を消す。283系は「くろしお」専用に開発された車両で他への転用は難しくこのまま廃車される可能性が高い。ここで乗っておかないと次に乗車する機会はないかもしれない。

新宮駅前には南国らしい植物が植えられているがなにせどんよりとした空模様であまりそれっぽくは見えない。
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これから乗車するオーシャンアローくろしおは6両編制だが、3両編制を2本つなげたもの。新大阪方の先頭車両は非貫通型のイルカのような形状。昔なにかのマンガで「イルカくん」って読んでたけどもちろん公認されたものではない。
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新宮を出るといったん列車は潮岬のほうへ向けて南下する。新宮駅自体はやや海岸から離れた場所に位置するが、熊野川の南岸のこのあたりも七里御浜の続きのような砂浜になっている。しかし線路が海岸線に出たかと思うと砂浜は姿を消し、再びリアス式海岸が現れる。ただし、昨日の伊勢紀伊国境付近の険しい海岸線に比べると起伏は多少ゆるやかでややスケールダウンしたような地形だ。それからこの区間の開通は大正のはじめ頃。その後経路変更などがあったがそれも戦前のことだ。なので、昨日は駅と駅のあいだをまっすぐ直線で結び、山があればトンネルを掘って済ませていた。だから駅間はほとんどトンネルになってしまっていたのだが、いま走っているあたりでは海岸線を回り込んでみたり、あるいはその逆に少し内陸に入って鞍部を乗り越えてみたりとできるだけトンネルを作らない線形がとられている。その結果、細かいカーブが多くなって、だから振り子車両が投入される動機となったのだ。もっとも先に書いた通り381系はすでに撤退、283系も近いうちに引退が見込まれ、後継を勤めるのはいずれも振り子車両ではない287系と289系だ。一時期はいろんな路線で振り子車両が次々投入されてきたが、最近は以前ほど振り子車両の効果に期待しない傾向があるようだ。それもJRグループ内の各会社によって温度差があるようではあるが。
紀伊勝浦から多少旅客が増えてきた。このあたりのローカル列車に使用されているのは105系電車で、これもそう遠くない時期に引退することが確定している。何度か車内から見かけはしたのだが、写真はついに間に合わなかった。やがて太地。クジラ漁で有名なところだが駅は海から少し離れた高台にあり、周囲は寂しい。橋杭岩を見ながらさらに南下すると、本州最南端の駅である串本。昨日書いたとおり串本にはかつて車で来たことがあり、夕食の買い物で駅前付近も走った。その時にも思ったのだが、串本駅のすぐ裏は山。その山裾をまわりこむように線路が走る。
実はこのあたり、ほぼ同じような景色が続いて少しダレてきた。白浜を過ぎ、次の紀伊田辺から複線になる。御坊駅からは紀州鉄道線が出ているはずだが、駅らしきものがみあたらない。駅を出てすぐ、左側に非電化の線路が並行しているのに気づく。やがてその線路はカーブを描いて離れていく。これが紀州鉄道線なのだな。いい加減尻が痛くなってきたころに和歌山。これまで通ってきた街々と比べると格段の大都市だ。ビジネス客や、大阪への買い物客と思しき乗客が急に増えてきた。いま三十一が乗っている指定席もそこそこ混んできた。実質ひと駅ふた駅のはずなのだが、それでも指定券を買って特急に乗るんだなあ。和歌山駅を出ると紀勢線と別れて阪和線に入る。左に紀勢本線の末端部がわかれていく。右側では和歌山線が分岐しているはずだが三十一の座っている席からは見えない。紀ノ川を渡ると、大きく右にカーブし和歌山県と大阪府の府県境をなす和泉山地にそって高度をあげていく。右下に紀ノ川沿いの平地が見える風景は、四国の土讃線が讃岐山地を越えて吉野川河谷におりていくときの風景を思い起こさせた。ピークを越えると大阪府。このあたりは山中渓越えと呼ばれるかつての難所だ。一気に和泉平野に駈け降りる。

今回の旅行では、名古屋から大阪まで紀伊半島をぐるりと回ることに終始した。その間どこにも寄り道していない。寄り道に値する路線がないわけではない。三重県側では参宮線や名松線、関西線の山間部といったJRの非電化路線があり、近鉄賢島線や三岐鉄道・養老鉄道・伊賀鉄道・四日市あすなろう鉄道など興味深いローカル私鉄が多い。和歌山県側では御坊から分岐する紀州鉄道、和歌山付近では紀勢線の末端部、JR和歌山線、和歌山電鉄、南海の高野線や加太線など。特に今回、紀州鉄道をどうするかは最後まで迷ったものだが最終的には断念した。
ではなぜどこにも寄り道をしなかったのか。今回、日程を考えていて思いついたのは、これだけ懐の深い紀伊半島周回という目的と、周辺の中小路線の踏破という目的の両方をいっぺんに済ませようとしてきたことが逆に日程作成を難しくさせ、結局着手に至らずに紀伊半島周辺を空白地帯のまま残してしまうことになったのではないかということだ。二兎を追う者は一兎をも得ず、を地で行くようなものだ。この際、限られた日程でどちらかひとつの目的に専念しよう、具体的には紀伊半島一周だけを確実にやり遂げよう、そうすれば今後例えば三重県の路線をまわるときには多気以南には足を伸ばす必要がなくなるし、すでに乗車済みの区間を利用する場合は夜にかかってもかまわない。大幅に自由度が高くなるのだ。今回はそのための布石でもある。
ついでに言うと、今回紀伊半島を一周するにあたって最後の最後で阪和線を経由することになった。つまり和泉国に足を踏みいれることになる。先日の若狭とあわせてこれで残るは志摩国だけだ。今回、少し寄り道すれば志摩国にも行けたはずだが、まあいい、今後まだ機会があるだろう。

あべのハルカスに見下ろされながら天王寺着。ここから大阪環状線、梅田貨物線を経て新大阪に向かう。そうそう、この梅田貨物線も今回の旅程のポイントのひとつ。「くろしお」か「はるか」でないとこの路線は通れない。関西空港には当面用事はない。福島駅を出ると地上におり、右手に大阪駅の斜めの屋根と丸みを帯びた阪急ビル、左手に梅田スカイビルが見える。淀川を渡ると右手にはおおさか東線の工事が進んでいる。すぐに新大阪着。新幹線に乗り換えて帰京。

今日の旅程:
新宮 (0838) → 新大阪 (1250) 64M
新大阪 (1303) → 東京 (1533) 22A

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2017年10月 4日 (水)

南南西に針路をとれ

今日のタイトルはすんなりと決まった。なんか降ってきました。

昨日の夕方の新幹線で名古屋に来て一泊。
本当はもうちょっと余裕を持って出発すればよかったのだが、午前中にアメフトの生中継があったのと、準備に思いのほか時間がかかって遅れてしまった。先日の北陸旅行でいくつか問題が顕在化したので、その解決策としていくつか新しい装備を調達して勇躍初出動となったのはいいのだが、いざ名古屋に着いて夕食を済ませ、ホテルに入ってPCを広げようとしたところ、ACアダプターを忘れてきたことが判明した。いかな新兵器を導入しても電源が確保できないことにはどうにもならない。一瞬途方に暮れたが、幸いにもここは名古屋駅の目の前。検索してみるとビックカメラが駅のこっちとむこうにあるらしい。既に7時半をまわったが、9時まで営業しているようだ。財布とスマホをひっつかんで押っ取り刀で飛び出す。まず駅のこっち側のビックカメラに行ってみたが、ACアダプターが見つからない。店員を捕まえて聞いてみたところ売り場はわかったが対応する製品の在庫がないという。ないものは仕方ない、もう一軒のビックカメラの場所を検索してそちらに急ぐ。こちらのほうが店舗の規模としては大きいようだ。パソコン売り場を探してみると、首尾良く必要なACアダプターを見つけてゲット。予定外の支出ではあるが、PCが使えないとあまりにも支障がありすぎる。スマホでいいじゃんという人がいるかもしれないが、スマホの充電もPCのUSB端末からとる予定だったのですよ。もっとも、どうしてもACアダプターが見つからなかった場合は代わりにスマホの充電器を買ってくるつもりだった。

翌日(つまり今日だ)、朝ホテルをゆっくり出て名古屋臨海高速鉄道線、いわゆる「あおなみ線」で終点の金城ふ頭駅に向かう。もちろん、終点の金城ふ頭にある「リニア・鉄道館」が目的だ。開館が10時なので、それより早く行っても仕方ない。そのせいで朝がゆっくりになったのだ。平日朝9時半の下り電車だけあって空いている。子供連れをみかけたのでやはり「リニア・鉄道館」に行くのだろうと思ったが駅の反対側の「レゴランド」に向かう親子も少なからず見かけた。「レゴランド」って名古屋だったのか。
途中、南荒子駅付近ではすぐ横の名古屋貨物ターミナル駅の様子がよく見えた。帰りにもう一度見ようとしたのだが、上り電車からは島式ホーム越しになり、しかも背の高いホームドアが設置されていて視界はよくなかった。

「リニア・鉄道館」は、比較的広い展示スペースに車両が整然と展示されているというもので、展示方法については大宮の鉄道博物館と大して変わらない。説明板は(鉄には物足りないだろうが)丁寧だし、旅客車の多くは車内に入ることができるなど、ツボをおさえた展示ではあるもののそれ以上ということではない。結局こうした展示では、何が展示されているかがなによりも重要なのだろうな。JR東海の施設だけあって、新幹線の比重が大きいのが特徴で、三十一にとってはそのぶん新幹線「以外」の車両に集中することができた。だけど本当のことをいうと、一番奥まったところに収納されていて前面からしか見られない「所蔵車両」をもっとよく見たかったよ。「マイテ40」とか「オロネ10」の車内に入ってみたかった。

二階のテラスから全景を撮影したもの。
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奥の収納スペースに「所蔵車両」が並んでいるのが見える。

展示車両を代表してここではイギリス生まれの ED18 に登場してもらおう。
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ひととおり見るのにどれくらいかかるかは人によるだろうが、三十一の場合は1時間ほどまわるともう見るものがなくなった。シミュレーターに申し込んだりすればもっと時間が必要になるだろう。HOゲージのジオラマが展示されていたのだけど、走行音
の中に脱輪しているようないやな音が混じっていて、聞いていられなかったので早々に出て来てしまった。この展示も混雑時は入れ替え制ということだが平日午前中は出入りし放題だ。
展示スペースを出てミュージアムショップを物色。結局カタログしか買わなかった。

いったん名古屋駅までもどる。少し時間があるのでいまのうちに昼食を済ませ、改札を通ってホームへ。
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今日これから乗るのは特急「南紀」だ。
根室・稚内から長崎・鹿児島まで、鉄道で行ける範囲ではほぼ日本中を旅してきた三十一だが、それでも空白地帯というのはある。そのひとつが紀伊半島だ。ずいぶん前、友人と吉野、串本、那智、伊勢(軍艦じゃないよ)と紀伊半島をドライブしてまわったことはある。しかし鉄道を使って旅行したことはなかった。それにはもちろん理由があって、何より紀伊半島の奥の深さだ。名古屋から紀伊半島とぐるりとまわって大阪まで出るには、ほぼ丸一日かかる。日のあるうちに全行程を踏破するためには、どうしても名古屋あるいは大阪で前泊しなければならない。それはいいのだが、和歌山側はともかく三重県側にはいくつか見過ごすには忍びない路線がある。例えば伊勢神宮を擁する参宮線。幾度も廃線話が出た名松線。国内では数少ないナロー鉄道の三岐鉄道や四日市あすなろう鉄道。こうした路線に寄り道していると一日ではすまなくなる。ところが、ちょうど中間地点である新宮や紀伊勝浦では宿がとりにくいのだ。こうした街では三十一が愛用しているビジネスホテルの需要が少ないのだろう。これまで何度かチャレンジしたことがあるのだが、直前になって週末のホテル(特に駅前)はまずとれない。こうしたこともあって、空白地帯として残って来てしまった。
ところが今回、平日ということで試しにホテルを探してみたところなんとかとれそう、という目処がついた。そこでその宿泊を軸に前後の日程を決めるという形で急遽紀伊半島をやっつけることにしたのだ。もっとも、最初は月曜日から出発するつもりだったのだが、火曜日の天気予報が思わしくなかったので比較的予報がよかった日にあわせて日程が最終的に決まったのだ。

名古屋を出るとしばらく近鉄と並走する。行き先表示板の「急行 松阪」という文字もはっきり読める。木曽川・揖斐川・長良川を渡って三重県へ。桑名を出て。富田で行き違いのため運転停車。ここは三岐鉄道の貨物線が分岐する駅だが、突然目の前にクラシックな電気機関車が出てきた。一眼レフの準備が間に合わなかったのでスマホで撮影。垂直が出ていないのはご容赦。
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次に停車した四日市では、コンテナ貨物列車がひしめきあっていたが、その一角に突然DD51機関車が姿を見せた。富田と同じようにあわててスマホを構えたが今度は間に合わず。落胆していると目の前を入れ換え中のコンテナ車が通り過ぎていいったが、その入れ替えをしていたのはなんとDD51機関車1800番台の重連だった。なんだここは。最後の楽園か。実は三十一が一番好きな鉄道車両はDD51なのだが、三重ではまだこんなに見ることができるのか。本当に絶滅してしまう前にもう一度来たいものだ。四日市を出ると伊勢鉄道線に入る。そういや、名古屋駅の関西線ホームに「ジャパンレールパスでは伊勢鉄道線には乗車できないので別途精算が必要になります」という注意書きが英語併記で掲示されてたなあ。JR東海さん、リニアを作るカネがあるんだから伊勢鉄道くらいさくっと買い取ってくれないですかね。
伊勢鉄道は関西線と紀勢本線を短絡しているが、鈴鹿を出ると人家がまばらになり、なるほど名古屋方面から津方面に向かう特急や快速が主たる収益なんだなあということがよくわかる。結局そのメリットを一番受けてるのはJR東海だ。この区間、並行して走る近鉄はやや離れて海岸沿いを行く。そちらはだいぶ開けているらしく、駅数もかなり多い。
あ、そうそう。大事なことを言っておかねばなるまい。四日市を出て2駅の河原田を過ぎると、右手に関西本線が分岐していく。これまで線路にまとわりついていた架線と架線柱は関西本線のほうについて行き、伊勢鉄道線はそんな厄介者のいないすっきりした姿で南下する。津ではJR紀勢線と合流するのと同時に近鉄とも再び並んで走るようにはる。名古屋を出たときには並行していた松阪行き急行の姿は(先に行かれたのかあるいは逆か)すでに見えず、かわりにむこうは電車の近鉄特急が見える。何だっけ、アーバンライナーだっけ。
松阪では名古屋を20分早く出た快速「みえ」に追いつく。見ていると、鳥羽方面に向かう「みえ」から新宮方面に向かう「南紀」に乗り継ぐ乗客がかなりいる。このあたりまでは特急料金が不要な快速に乗って、行き先が別れるこのあたりで乗り継ぐのだろう。松阪の次は多気。ここで伊勢神宮や鳥羽に向かう参宮線が分岐する。しかし、線路形状としては参宮線から紀勢線が分岐する形になっている。もともと亀山から多気を経て鳥羽までが参宮線として先に開通し、紀勢線があとから開通したのだが、紀勢本線が全通した機会に亀山から多気までが紀勢線に編入され、参宮線は多気から鳥羽までの区間の名称になった。この分岐の形はそうした歴史の結果なのだ。

多気を過ぎると明らかにエンジン音が大きくなり、登り勾配になったことがわかる。景色もこれまでの伊勢平野から山がちになってくる。この付近は紀伊山地から志摩半島につながる山塊で、伊勢国と紀伊国の国境となっている。線路は沢筋を縫うように登っていく。これまでの平地が嘘のような山岳路線だ。窓からはるか下に白い波を立てながら岩の間を流れ落ちて行く川が見えた。登り切ったところで荷坂トンネルに入り、あとは一気に下って海岸線に出る。海岸に出たところは紀伊長島。ここはもう紀伊国だ。狭くて深い湾、湾を囲む山々、湾奥のわずかな平地に人家。典型的なリアス式海岸だ。こうした集落がこれからしばらくのあいだ、いくつも並んでいる。線路は集落と集落の間をトンネルでつなぐ。このあたりは紀勢本線でも一番最後に開通した区間で、最終的に全線開通したのは昭和34年だ。尾鷲はこのあたりの中心的な街で、大戦末期には測量艦駒橋が湾内で撃沈されている。いまその現場を実見して感慨にふける。三木里と新鹿の間が紀勢線で最後に開通した区間になる。熊野市までこうした地形が続くが、熊野市を出ると一変して長い砂浜が続く。七里御浜と呼ばれる海岸だ。九十九里浜を持つ千葉県に住む身としては、たかが七里で何を「御浜」じゃないだろうと言いたくなるが、これまで延々とリアス式海岸が続く風景を見てきてみれば、その中に突然これだけの長さの砂浜が現れるのは奇跡に思えただろうことが実感できる。
熊野川を渡り、和歌山県にはいって最初の駅、新宮で下車。今日はここで宿泊。考えてみれば、移動時間の大半を三重県で過ごしながら三重県内では一度も足を地面につけなかった。ただ通過しただけだ。

前日の旅程:
東京 (1603) → 名古屋 (1808) 479A

本日の旅程:
名古屋 (0930) → 金城ふ頭 (0954) 339H
金城ふ頭 (1129) → 名古屋 (1152) 356H
名古屋 (1258) → 新宮 (1624) 3005D

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