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2017年10月 4日 (水)

南南西に針路をとれ

今日のタイトルはすんなりと決まった。なんか降ってきました。

昨日の夕方の新幹線で名古屋に来て一泊。
本当はもうちょっと余裕を持って出発すればよかったのだが、午前中にアメフトの生中継があったのと、準備に思いのほか時間がかかって遅れてしまった。先日の北陸旅行でいくつか問題が顕在化したので、その解決策としていくつか新しい装備を調達して勇躍初出動となったのはいいのだが、いざ名古屋に着いて夕食を済ませ、ホテルに入ってPCを広げようとしたところ、ACアダプターを忘れてきたことが判明した。いかな新兵器を導入しても電源が確保できないことにはどうにもならない。一瞬途方に暮れたが、幸いにもここは名古屋駅の目の前。検索してみるとビックカメラが駅のこっちとむこうにあるらしい。既に7時半をまわったが、9時まで営業しているようだ。財布とスマホをひっつかんで押っ取り刀で飛び出す。まず駅のこっち側のビックカメラに行ってみたが、ACアダプターが見つからない。店員を捕まえて聞いてみたところ売り場はわかったが対応する製品の在庫がないという。ないものは仕方ない、もう一軒のビックカメラの場所を検索してそちらに急ぐ。こちらのほうが店舗の規模としては大きいようだ。パソコン売り場を探してみると、首尾良く必要なACアダプターを見つけてゲット。予定外の支出ではあるが、PCが使えないとあまりにも支障がありすぎる。スマホでいいじゃんという人がいるかもしれないが、スマホの充電もPCのUSB端末からとる予定だったのですよ。もっとも、どうしてもACアダプターが見つからなかった場合は代わりにスマホの充電器を買ってくるつもりだった。

翌日(つまり今日だ)、朝ホテルをゆっくり出て名古屋臨海高速鉄道線、いわゆる「あおなみ線」で終点の金城ふ頭駅に向かう。もちろん、終点の金城ふ頭にある「リニア・鉄道館」が目的だ。開館が10時なので、それより早く行っても仕方ない。そのせいで朝がゆっくりになったのだ。平日朝9時半の下り電車だけあって空いている。子供連れをみかけたのでやはり「リニア・鉄道館」に行くのだろうと思ったが駅の反対側の「レゴランド」に向かう親子も少なからず見かけた。「レゴランド」って名古屋だったのか。
途中、南荒子駅付近ではすぐ横の名古屋貨物ターミナル駅の様子がよく見えた。帰りにもう一度見ようとしたのだが、上り電車からは島式ホーム越しになり、しかも背の高いホームドアが設置されていて視界はよくなかった。

「リニア・鉄道館」は、比較的広い展示スペースに車両が整然と展示されているというもので、展示方法については大宮の鉄道博物館と大して変わらない。説明板は(鉄には物足りないだろうが)丁寧だし、旅客車の多くは車内に入ることができるなど、ツボをおさえた展示ではあるもののそれ以上ということではない。結局こうした展示では、何が展示されているかがなによりも重要なのだろうな。JR東海の施設だけあって、新幹線の比重が大きいのが特徴で、三十一にとってはそのぶん新幹線「以外」の車両に集中することができた。だけど本当のことをいうと、一番奥まったところに収納されていて前面からしか見られない「所蔵車両」をもっとよく見たかったよ。「マイテ40」とか「オロネ10」の車内に入ってみたかった。

二階のテラスから全景を撮影したもの。
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奥の収納スペースに「所蔵車両」が並んでいるのが見える。

展示車両を代表してここではイギリス生まれの ED18 に登場してもらおう。
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ひととおり見るのにどれくらいかかるかは人によるだろうが、三十一の場合は1時間ほどまわるともう見るものがなくなった。シミュレーターに申し込んだりすればもっと時間が必要になるだろう。HOゲージのジオラマが展示されていたのだけど、走行音
の中に脱輪しているようないやな音が混じっていて、聞いていられなかったので早々に出て来てしまった。この展示も混雑時は入れ替え制ということだが平日午前中は出入りし放題だ。
展示スペースを出てミュージアムショップを物色。結局カタログしか買わなかった。

いったん名古屋駅までもどる。少し時間があるのでいまのうちに昼食を済ませ、改札を通ってホームへ。
Img_0234s
今日これから乗るのは特急「南紀」だ。
根室・稚内から長崎・鹿児島まで、鉄道で行ける範囲ではほぼ日本中を旅してきた三十一だが、それでも空白地帯というのはある。そのひとつが紀伊半島だ。ずいぶん前、友人と吉野、串本、那智、伊勢(軍艦じゃないよ)と紀伊半島をドライブしてまわったことはある。しかし鉄道を使って旅行したことはなかった。それにはもちろん理由があって、何より紀伊半島の奥の深さだ。名古屋から紀伊半島とぐるりとまわって大阪まで出るには、ほぼ丸一日かかる。日のあるうちに全行程を踏破するためには、どうしても名古屋あるいは大阪で前泊しなければならない。それはいいのだが、和歌山側はともかく三重県側にはいくつか見過ごすには忍びない路線がある。例えば伊勢神宮を擁する参宮線。幾度も廃線話が出た名松線。国内では数少ないナロー鉄道の三岐鉄道や四日市あすなろう鉄道。こうした路線に寄り道していると一日ではすまなくなる。ところが、ちょうど中間地点である新宮や紀伊勝浦では宿がとりにくいのだ。こうした街では三十一が愛用しているビジネスホテルの需要が少ないのだろう。これまで何度かチャレンジしたことがあるのだが、直前になって週末のホテル(特に駅前)はまずとれない。こうしたこともあって、空白地帯として残って来てしまった。
ところが今回、平日ということで試しにホテルを探してみたところなんとかとれそう、という目処がついた。そこでその宿泊を軸に前後の日程を決めるという形で急遽紀伊半島をやっつけることにしたのだ。もっとも、最初は月曜日から出発するつもりだったのだが、火曜日の天気予報が思わしくなかったので比較的予報がよかった日にあわせて日程が最終的に決まったのだ。

名古屋を出るとしばらく近鉄と並走する。行き先表示板の「急行 松阪」という文字もはっきり読める。木曽川・揖斐川・長良川を渡って三重県へ。桑名を出て。富田で行き違いのため運転停車。ここは三岐鉄道の貨物線が分岐する駅だが、突然目の前にクラシックな電気機関車が出てきた。一眼レフの準備が間に合わなかったのでスマホで撮影。垂直が出ていないのはご容赦。
Sangiels

次に停車した四日市では、コンテナ貨物列車がひしめきあっていたが、その一角に突然DD51機関車が姿を見せた。富田と同じようにあわててスマホを構えたが今度は間に合わず。落胆していると目の前を入れ換え中のコンテナ車が通り過ぎていいったが、その入れ替えをしていたのはなんとDD51機関車1800番台の重連だった。なんだここは。最後の楽園か。実は三十一が一番好きな鉄道車両はDD51なのだが、三重ではまだこんなに見ることができるのか。本当に絶滅してしまう前にもう一度来たいものだ。四日市を出ると伊勢鉄道線に入る。そういや、名古屋駅の関西線ホームに「ジャパンレールパスでは伊勢鉄道線には乗車できないので別途精算が必要になります」という注意書きが英語併記で掲示されてたなあ。JR東海さん、リニアを作るカネがあるんだから伊勢鉄道くらいさくっと買い取ってくれないですかね。
伊勢鉄道は関西線と紀勢本線を短絡しているが、鈴鹿を出ると人家がまばらになり、なるほど名古屋方面から津方面に向かう特急や快速が主たる収益なんだなあということがよくわかる。結局そのメリットを一番受けてるのはJR東海だ。この区間、並行して走る近鉄はやや離れて海岸沿いを行く。そちらはだいぶ開けているらしく、駅数もかなり多い。
あ、そうそう。大事なことを言っておかねばなるまい。四日市を出て2駅の河原田を過ぎると、右手に関西本線が分岐していく。これまで線路にまとわりついていた架線と架線柱は関西本線のほうについて行き、伊勢鉄道線はそんな厄介者のいないすっきりした姿で南下する。津ではJR紀勢線と合流するのと同時に近鉄とも再び並んで走るようにはる。名古屋を出たときには並行していた松阪行き急行の姿は(先に行かれたのかあるいは逆か)すでに見えず、かわりにむこうは電車の近鉄特急が見える。何だっけ、アーバンライナーだっけ。
松阪では名古屋を20分早く出た快速「みえ」に追いつく。見ていると、鳥羽方面に向かう「みえ」から新宮方面に向かう「南紀」に乗り継ぐ乗客がかなりいる。このあたりまでは特急料金が不要な快速に乗って、行き先が別れるこのあたりで乗り継ぐのだろう。松阪の次は多気。ここで伊勢神宮や鳥羽に向かう参宮線が分岐する。しかし、線路形状としては参宮線から紀勢線が分岐する形になっている。もともと亀山から多気を経て鳥羽までが参宮線として先に開通し、紀勢線があとから開通したのだが、紀勢本線が全通した機会に亀山から多気までが紀勢線に編入され、参宮線は多気から鳥羽までの区間の名称になった。この分岐の形はそうした歴史の結果なのだ。

多気を過ぎると明らかにエンジン音が大きくなり、登り勾配になったことがわかる。景色もこれまでの伊勢平野から山がちになってくる。この付近は紀伊山地から志摩半島につながる山塊で、伊勢国と紀伊国の国境となっている。線路は沢筋を縫うように登っていく。これまでの平地が嘘のような山岳路線だ。窓からはるか下に白い波を立てながら岩の間を流れ落ちて行く川が見えた。登り切ったところで荷坂トンネルに入り、あとは一気に下って海岸線に出る。海岸に出たところは紀伊長島。ここはもう紀伊国だ。狭くて深い湾、湾を囲む山々、湾奥のわずかな平地に人家。典型的なリアス式海岸だ。こうした集落がこれからしばらくのあいだ、いくつも並んでいる。線路は集落と集落の間をトンネルでつなぐ。このあたりは紀勢本線でも一番最後に開通した区間で、最終的に全線開通したのは昭和34年だ。尾鷲はこのあたりの中心的な街で、大戦末期には測量艦駒橋が湾内で撃沈されている。いまその現場を実見して感慨にふける。三木里と新鹿の間が紀勢線で最後に開通した区間になる。熊野市までこうした地形が続くが、熊野市を出ると一変して長い砂浜が続く。七里御浜と呼ばれる海岸だ。九十九里浜を持つ千葉県に住む身としては、たかが七里で何を「御浜」じゃないだろうと言いたくなるが、これまで延々とリアス式海岸が続く風景を見てきてみれば、その中に突然これだけの長さの砂浜が現れるのは奇跡に思えただろうことが実感できる。
熊野川を渡り、和歌山県にはいって最初の駅、新宮で下車。今日はここで宿泊。考えてみれば、移動時間の大半を三重県で過ごしながら三重県内では一度も足を地面につけなかった。ただ通過しただけだ。

前日の旅程:
東京 (1603) → 名古屋 (1808) 479A

本日の旅程:
名古屋 (0930) → 金城ふ頭 (0954) 339H
金城ふ頭 (1129) → 名古屋 (1152) 356H
名古屋 (1258) → 新宮 (1624) 3005D

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