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2017年11月24日 (金)

アルゼンチン軍艦サンフアン

アルゼンチン海軍の潜水艦サンフアン ARA San Juan が先週以来消息を絶ち、捜索が続いていたが現地の23日に海軍当局が絶望との見解を示した。捜索自体はなおしばらく継続されるようだ。三十一は 17日の発表以来強い関心をもって見守ってきたが最悪の結果になりそうで残念でならない。

TR-1700 型潜水艦はドイツのティッセン社の建造になる。アルゼンチン海軍は2隻を保有しており、それぞれ 1983年、1985年に就役している。フォークランド戦争の直後にあたるが建造自体はそれ以前から決まっていて直接の関連はない。当初計画では6隻を整備しそのうち最初の2隻をドイツで建造して残り4隻を国内で建造するとしていたが、結局国内建造の4隻は建造がストップして部品を共食い整備に供する形となっている。うち1隻は70%完成状態ということで建造再開が何度も取り沙汰されるが今に至るも中断状態で30年近くになる。
戦後ドイツの潜水艦は世界的に輸出に成功しており、TR-1700 もその例に含まれるが、標準的なタイプ 209 あるいはタイプ 212/214 潜水艦が各国に輸出されているのに対して TR-1700 はアルゼンチン海軍専用になっている。タイプ 209/212/214 に比べるとひとまわり大きい。とは言え、性能自体は特筆するものがなく、冷戦期の標準的な通常動力(ディーゼル電気)推進潜水艦である。
アルゼンチンでは 1982年のフォークランド戦争敗戦以降、軍の威信が大きく落ちて軍事政権も崩壊し、インフレもあいまって国防予算は低い水準に抑えられている。TR-1700 の建造中断もそのせいだ。アルゼンチン海軍の水上艦艇はそれなりに更新されているが、潜水艦戦力の整備は停滞している。また予算不足で補給整備に支障をきたしているとも伝えられる。

さて問題のサンフアン ARA San Juan (ARA Armada de la Republica Argentina はアルゼンチン軍艦につく接頭語)は、訓練後にアルゼンチン最南端、チリとの国境に近いウシュアイア Ushuaia に寄港したのち、アルゼンチン海軍の主要基地で首都ブエノスアイレス南方400キロにあるマル・デル・プラタ Mar del Plata に向け出港した。
ところが 11月15日朝にパタゴニア沖の南大西洋から最後の連絡があって以降、消息が途絶えた。最後の連絡地点はサンホルヘ湾 Golfo San Jorge の東240海里だったという。このあたりは大陸棚で水深は比較的浅い。浅いと言っても200m以下という程度だが、海底に沈座してもただちに圧壊するというほどではない。潜水艦自体に問題がなければ、だが。

もともとサンフアンには電気系統の問題があったらしい。火災が発生したという報道もあったようだが未確認だ。17日になってアルゼンチン海軍がサンフアンの行方不明を発表したときには、電気系統の問題で通信できない状態にある、という見解をしめしていた。アルゼンチン海軍のプロトコルでは潜水艦が通信できない状態になった場合はただちに浮上することになっているため、当初は「やがて連絡がつくだろう」と語っていたが該当海域では荒天がつづいて思うように捜索ができない状態だった。この海域は悪天候で有名で「荒れる40、吼える50」(南緯40度・50度付近)と古来呼び習わされている。報じられているように波高が7メートルとか10メートルとかある状態では、2000トンそこそこの潜水艦では浮上航行は困難だろう。むしろ荒天の場合は潜航していたほうが安全だ。

サンフアンで実際にどのような問題が起きたのかは現時点では全く不明なので推測するしかないのだが、荒天下で潜航を続けられないような重大な問題(例えば火災、水密構造の損傷、圧縮空気の不足など)が発生したとなると状況はかなり厳しくなる。この荒天ではシュノーケル航行も難しい。潜水艦はもともと予備浮力が小さいので浮上しても復元性はあまりよくないだろう。
電気系統の問題などによって航法システムに問題が生じたということも考えられる。まともな潜水艦であれば当然推測航法の訓練はしているだろうが、それすらできない状況になったとすれば潜水艦にとって最善の策は海底に沈座して連絡を待つことだろう。天候が安定していれば浮上して待つこともできるだろうが、実際にはそうしたことができるような天候ではなかったようだ。
こうした問題が複数起きた場合にはさらに厳しい状況に陥る。例えば火災で電気系統とあわせて水密バルブが焼損したというような場合は悪天候であっても危険を覚悟で浮上漂泊せざるを得ない。

いっぽう、海底に沈座した状態で浮上もできなくなった場合、乗員は艦を捨てて脱出することになる。外部からの援助が期待できない場合、一般に用いられるのは自由上昇法だ。スタンキーフードと呼ばれる上半身を覆うフードがあれば着用し、無ければ生身のままハッチから数人ずつ艦外に出て海面を目指す。自由上昇法で脱出を試みた例は過去にもあるが、数十メートル以上の水深からの脱出の場合、生還率はあまり高くない。ましてや海面が荒れ模様の場合は首尾良く海面まで到達できたとしても救助は期待できない。一部の潜水艦で採用されている浮上式の救難ブロックなどがあればまだ望みはあったかもしれないが、TR-1700 型に装備されているという話は聞かない。
海上から潜水艦の位置が特定できれば、レスキューチェンバーあるいはDSRV(潜水救助艇)などの救助手段を駆使して潜水艦から乗員を海水にさらすことなく救助できる。しかしそれも天候が安定していればの話。荒天下ではチェンバーを下ろすあるいはDSRVを着水させるのもままならない。それどころか、荒天下ではソナーによって潜水艦の位置を特定すること自体が難しい。またアルゼンチン海軍はこうした救難設備を保有していないようだ。むしろこうした設備を保有している国は少数派だ。16隻の潜水艦に対して2隻の潜水艦救難艦を配備している海上自衛隊は世界でも珍しい部類に入る。こうした設備がもっとも充実しているのはもちろん米海軍で、24時間以内に世界のどこにでもDSRVを空輸できるとされている。アルゼンチン海軍も実際には米軍だのみだったのだろう。
なお潜水艦の多くでは救難ブイを装備している。遭難した際に救難ブイを切り放すと、海面に浮上して救難信号を発信する。この救難ブイが発見できればブイに接続されているケーブルをたどって潜水艦のハッチにまでたどり着ける。一時、救難信号らしき衛星通信が傍受されたという報道が流れたときには救難ブイ経由の通信かと思ったのだが、のちにこの通信はサンフアンからのものではなかったとされている。

結局、米英海軍や近隣諸国の支援を受けた捜索は功を奏さず、一週間経過してもサンフアンは発見できずにアルゼンチン海軍で初めての女性潜水艦乗組士官を含む44名の乗員は絶望的とみられている。22日になって、CTBTO(部分的核実験禁止条約機構)の地震計がサンフアンが消息を絶った 15日に付近で爆発音を探知したことが伝えられ、これが関連しているのではないかと取りざたされているが確認されていない。
サンフアンはAIP(非大気依存推進)ではないし、仮にAIPだとしても人間が消費する酸素を無限に生成できるわけでもない。充電のためには少なくともシュノーケル深度まで浮上して外気を吸引してディーゼルエンジンを稼働させる必要がある。酸素を補給できるのもそのタイミングしかない。当初アルゼンチン海軍は「酸素は2週間もつ」としていたが潜水艦自体に重大な問題があったとするとそれも楽観的過ぎるかもしれない。

アルゼンチン海軍が保有している潜水艦はわずか3隻。そのなかでももっとも新しい(といっても1985年就役で艦齢は32年になる)潜水艦の乗組員は選ばれた人材であるはずだ。その貴重な44名をみすみす失おうとしている海軍に対してアルゼンチン国民はどう反応するだろうか。

日本の海上自衛隊は先述の通り16隻の保有潜水艦に対して2隻の潜水艦救難艦(呉と横須賀にそれぞれ配置)を用意している。また呉の潜水艦教育訓練隊には巨大なプールがあって海底の潜水艦から脱出する想定の訓練を行なっている。幸いにも海上自衛隊の潜水艦では沈没あるいはそれに類する事故は起きていないが、アルゼンチンの事例を他山の石としてほしいものだ。

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