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2019年3月31日 (日)

当たらない予想屋

まあ、当たらないだろうとは思うがここに予想しておく。

 

「和明」(わめい)

または

「和永」(わえい)

 

過去の元号を眺めていたところ、「和」という漢字は非常に多く使われているが、そのほとんどで二字目としての使用。一文字目として使われていたのは「和銅」(708年 - 715年) しかない。実のところ、ここに掲げた2種類の逆(明和/永和)は過去の元号として存在した。典拠は充分あるということだ。アルファベットの頭文字も「W」となり近年の元号と重複しない。

平成は災害が多かったから「安」がとられるのではないかという意見もあるようだが、三十一は否定的だ。余計な議論をひきおこしそうな元号は避けられるだろう。

ちなみに、過去の元号の一覧はいろいろなところで見られるだろうがこちらにも作ってある。

 

さてこの機会にひとつ新しいページを公開することにした。

calendar conversion

暦の変換をするページで、現行のグレゴリオ暦、ユリウス暦、旧暦、イスラム暦どうしの変換ができる。機能自体はだいぶ前に自分用に作ってあったのだが、Web 用のインターフェースを作って外部から利用できるようにしたものだ。
使いやすくもないし、最低限の機能しかない無骨なページだが誰かの役に立つかもしれない。

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2019年3月28日 (木)

「武士の起源を解きあかす」


 


古くからの読者は知っていると思うが、いわゆる「武士論」について三十一は高い関心を持っていろんな本を読んだりしてきている。 書店で初めて見かけたときに無条件で買ったのだがなかなか読み進められず、紙とは別に電子版も買って読み続けてようやく読み終えた。


そこまでしてどうして読み終えたかというと、最後までちゃんと読まないと文句が書けないからだ。


著者はもともと武士論を研究していたわけではないらしい。しかしたまたま必要になって調べてみたところ、武士の起源についていまだに定説がないことに愕然として、それなら自分で確かめようと思ったらしい。


著者の主張についてここで詳細に述べることはしない。知りたい人は自分で読んでほしい。 三十一は読んでいる途中かなり早い段階から感じていたことがあり、それは読み終えても変わらなかった。著者の主張そのものにはそれなりに高い蓋然性があることは認める。実際そうした状況はあっただろう。しかしそれは著者が全巻を通じて「証拠がない」とか「想像にすぎない」と一刀両断した既存の説と何が違うのか。他人に対して証拠云々を求めるわりには、「だろう」とか「違いない」とか「そう考えるのが自然だ」とか、推量の表現を多用しておりダブスタではないかという感想を禁じえない。


要するに、多種多様な諸説が主張されているがどれも決め手を欠いて誰もが納得するような定説が確定していない現状に、もうひとつ「諸説」が加わったという以上の意味はないのではないか。 著者が主張するような「武士の起源」は確かにあったかもしれない。しかしそれが「すべてだ」というのは不可能だ。それは「悪魔の証明」の域に属する。


残念ながら、著者の鼻息の高さほどには画期的な内容とは受け取れなかった。 もう少し抑制の効いた筆致であれば説得力も高まったであろうに。

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2019年4月の桜

統合幕僚長・河野克俊 (海/防大21) > 退職
陸上幕僚長・山崎幸二 (陸/防大27) > 統合幕僚長
西方総監・湯浅悟郎 (陸/防大28) > 陸上幕僚長
統合幕僚副長・本松敬史 (陸/防大29) > 西方総監
中空方司令官・増子豊 (空/防大29) > 統合幕僚副長
統幕運用部長・引田淳 (空/防大31) > 中空方司令官
海自1術校長(将補)・中畑康樹 (海/防大30) > 統幕運用部長


海上幕僚長・村川豊 (海/防大25) > 退職
海上幕僚副長・山村浩 (海/防大28) > 海上幕僚長
統合幕僚校長・出口佳努 (海/岡山大) > 海上幕僚副長
第6師団長・清田安志 (陸/防大29) > 統合幕僚校長
中方幕僚長(将補)・蛭川利幸 (陸/防大31) > 第6師団長


自衛艦隊司令官・山下万喜 (海/防大27) > 退職
護衛艦隊司令官・糟井裕之 (海/防大29) > 自衛艦隊司令官
海自幹部校長・湯浅秀樹 (海/防大30) > 護衛艦隊司令官
海幕総務部長(将補)・乾悦久 (海/防大31) > 海自幹部校長


第10師団長・甲斐芳樹 (陸/防大28) > 退職
防研副所長(将補)・鈴木直栄 (陸/防大30) > 第10師団長


陸総隊幕僚長・藤田浩和 (陸/防大28) > 退職
第15旅団長(将補)・原田智総 (陸/防大31) > 陸総隊幕僚長



2019年4月1日付。将の勇退は陸2、海3。昇任は陸3、海2。
河野統合幕僚長は3度の定年延長の末、4年半近くの長期在任がついに終わる。交代をちょうど年度変わりの4月1日としたのは異例だがどういう意図だろうか。
いずれにせよ、統合幕僚長は防衛大21期から27期へと一気に若返る。大震災当時の折木統幕長以来の陸出身、山崎新統合幕僚長は何年つとめるだろうか。山崎陸幕長が昇格したので陸幕長も必然的に交代し28期の湯浅西方総監が就任、同時に海も25期の村川海幕長が勇退して28期の山村副長があとを襲う。空は27期の丸茂空幕長が留任し、4人の幕僚長が27期と28期でそろうこととなった。
鬼が笑うような話だが、次の統幕長は順当にいけば空の番。しかし、現職が同じ27期になってしまったため丸茂空幕長の昇格はなくなった。次か、次の次か、いずれにせよ未来の空幕長が統幕長に進むことになるだろう。


海では自衛艦隊司令官も勇退。後任は護衛艦隊司令官からの昇格だが、護衛艦隊から自衛艦隊に直接異動するのは意外に珍しい。糟井新司令官は護衛艦隊を2年あまりつとめているので閲歴は十分と考えられたのだろうか。そのほか、陸では総隊幕僚長が交代した。


幕僚長を除けば全体に小幅な異動だったが、三十一が注目したのは統幕の顔ぶれ。幕僚長と統幕校長を陸が占め、副長は空から。では海は、と見ると将ポストの運用部長にいちおう名を連ねている。かつては議長と事務局長、統幕校長を陸海空でわけあうのが不文律だったが、統合運用が始まって運用部長が将ポストになり少し様相が変わってきたようだ。


 

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2019年3月24日 (日)

フォッサマグナ

さて今回は大井川鉄道。
非電化単線鉄道愛好会会長としてこれまで非電化鉄道の乗車につとめてきたが、その甲斐あってか東日本について言えばほぼ完了。東京から一番近い未乗車の非電化路線が大井川鉄道だった。しかし大井川鉄道は昨年5月に大雨のため末端の閑蔵-井川間が不通になっていた。この区間だけを残してもまた乗りに来なくてはいけなくなるので、復旧を待っていたのだが、この3月9日から運転を再開したので乗車することにした。これでフォッサマグナより東の非電化路線は全部乗車したことになる。


新幹線でまずは静岡へ。最近特に実感するようになったのだが、東海道新幹線の「のぞみ」が停車しない駅に行こうと思うと、意外に利用できる列車が少なく計画が本当に難しい。「ひかり」か「こだま」、あるいはその組みあわせを使うことになるのだがそれぞれ1時間に2本ずつしかなく、また「ひかり」の停車駅がまちまちなのでまるでパズルだ。しかも目的である大井川鉄道の本数もそれほど多くなく、おまけに始発駅の金谷駅は新幹線駅から遠い。というわけで、目的である大井川鉄道そのものよりもそこまでの往き帰りの行程造りのほうが大変だった。静岡駅で「ひかり」を降りて東海道線に乗り換え、金谷駅に。

本当はできればもう少し早い電車にしたかったのだが、これより一本前の大井川鉄道に乗るためには乗り継ぎの関係でかなり早い新幹線に乗らなければならず、諦めた。おかげで朝のほうは少し余裕ができたが、大井川鉄道の復路が日没ぎりぎりになってしまい、さらに帰宅がかなり遅くなってしまった。
今回の行程にはひとつ問題があって、乗り継ぎでそれほど待たされることがないのはいいのだが、逆にいうと食事をするヒマがないということだ。途中で時間をとってしまうと全体の行程が崩壊してしまうので、少しだけ時間があった静岡駅でおにぎりを買って大井川鉄道の車内でかじっただけになった。

大井川鉄道では青春18きっぷが使えないので、全線乗り降り自由の「大井川周遊きっぷ」4400円2日間有効を利用することにしていた。しかしご多分にもれず金谷駅での乗り換えは10分しかない。普通に考えると10分あれば充分きっぷを買って乗り換えられると思うのだろうが、三十一の経験上、こうした中小私鉄では有人窓口ひとつできっぷの販売などいくつもの業務を兼ねていることが多く、特に大井川鉄道ではSL列車目当ての観光客が窓口を占拠してしまうおそれがあった。10分でちゃんときっぷが買えるかどうか、また首尾良く買えたとしても発車ギリギリとなって席がとれないのではないか、それが今回の旅程で一番の不安要素だったのだ。JR金谷駅の改札を出て大井川鉄道の駅舎に入ると、案の定出札窓口には行列ができていたがそれほど長くない。よく見るとSL列車の乗車券急行券のためには別の窓口があるらしい。これならどうにかなりそうだ。何人か前の乗客がすこし時間がかかっていてじりじりさせられたが、時間内にきっぷを入手してまずは千頭行きの列車に乗り込む。車両はもと近鉄の特急車両16000系だ。
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金谷駅を出ると少しの間東海道本線と並行し、やがて大きくカーブして大井川に沿って北上する。大井川はとにかく河床が広く、その中を河道が蛇行しながら流れていく。金谷の市街地を抜けると両側は山地となり、大井川が刻んだ河谷に従って線路が敷かれている。まだ早春ということか山は緑色よりも茶色が強いが、ところどころ花が咲き始めていた。
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千頭駅で井川線に乗り換え。井川線はもともとナローゲージで、いまは大井川本線と同じく標準軌に改軌されているが、車両限界はナローゲージのときと変わっていないので車両は直通できない。ディーゼル機関車がふもと側からマッチ箱のような5両編成の車両をおしあげ、山側の先頭車両には運転台がついている。
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あいかわらず大井川に沿って走るが、川幅が狭くなるのと反比例するかのように谷は深くなり、ところどころダムが現れる。アプトいちしろ駅に到着すると最後部に電気機関車が連結され、ここから長島ダムまでの一駅は日本で唯一のアプト式で90パーミルの急勾配を一気に上がる。このためにこの一駅間だけは電化されている。
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長島ダムで電気機関車を切り放し、奥大井湖上、接岨峡温泉、閑蔵でだいぶ旅客が降りて行く。しかし井川線のハイライトは実はこの先ではないかと思った。深い渓谷、続くトンネル、かつての森林鉄道の面影をもっとも強く残している。終着の井川駅は道路脇の少し高台にあり、まわりに他の施設は一切みあたらない。階段を降りて道路に出、少し歩くと井川ダムが偉容を示している。
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あとは折り返し列車で千頭に戻り、大井川本線に乗り継いで金谷に戻る。それにしても井川線の車掌は大変だ。井川線の客車はマッチ箱のような小さい車両で、5両編成なのだが終戦直後の63型電車のように車両間に通り抜けできる通路がない。それぞれの車両には中央部にひとつだけ乗降扉があるのだが開くのも閉じるのも手動で「走行中は開けないように」という注意がたびたび放送されるのはその気になれば開けられるということだろう。井川線の車掌は、せいぜい20代前半と思しき若い車掌だが、駅が近づくと手近の扉を開けてホームにおり、運賃収受を終えたあとすべての扉を閉めてまわり、手近の扉に飛び乗って前方後方信号を確認して発車合図を車掌に出し、列車が動き出したあとで最後に扉を閉じて施錠し走行中は観光案内を含む車内アナウンスを行なう。いったん駅につくと停車から発車までの間ほぼ全力で走り回っており、今日のような日はまだましだが雨風の日や夜間、厳冬や猛暑の時期にもこれを続けているのかと思うと、本当に感心する。

帰りは新幹線を使わず、金谷から普通列車を乗り継いで帰京。金谷から東京まで4時間で帰れるというのはひとつの発見だった。


今回の旅程:
東京(0903)→静岡(1003) 465A
静岡(1021)→金谷(1054) 757M
金谷(1104)→千頭(1218) 17レ
千頭(1228)→井川(1418+4) 205レ
井川(1449)→千頭(1634) 206レ
千頭(1651)→金谷(1802) 34レ
金谷(1811)→熱海(2014) 5462M
熱海(2018)→新橋(2155) 1942E

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2019年3月22日 (金)

何とかと煙は高いところに登る

さて今回の目的は小海線。
小海線も飯田線と同じ(約)40年前に乗車して以来、長い間乗車していなかった。
とは言え、このあたり(長野県佐久地方)にはもう数え切れないくらい来ている。大学の寮があったのと、毎年GWに通っていた馴染みのキャンプ場があったので、少なくとも20回以上は来ているのではなかろうか。しかしその全てでアシは車だった。
実は、飯田線のあとにどこかで一泊して小海線に乗ってくるというプランもなくはなかった。ちょうどいい宿も予約できなくはなかったのだ。しかししがないサラリーマンとしては、日曜日は完全休養にしておきたかったので一泊するのはやめてそのまま帰宅した。もう若くないしね。
小海線に乗るためには、北側の小諸から乗るか、南側の小淵沢から乗るかという選択肢があり、(約)40年前には小淵沢から乗ったのだが、今回は小諸から乗ることにする。その理由はまたあとで。高崎線から信越本線に乗り換えて横川に着き、ここから碓氷峠をバスで行く。JRバスだが青春18きっぷはもちろん、Suica も使えないとは。むしろ地方こそ交通系カードを使えるようにしてほしいものだ。バスはほぼ満員。国道18号を右に左に揺られながら行く。定時よりかなり早く、30分で軽井沢駅に到着。
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軽井沢からはしなの鉄道に乗り継いで小諸に向かい、さらに小海線に乗り換える。小海線の列車はJR東日本の非電化区間ではすっかりお馴染みのキハ100系気動車。
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新幹線と接続する佐久平駅で乗客の多くが入れ替わり、さらに中込でひとかたまりの乗客が下車し、車内はだいぶ静かになってきた。朝が早かったのと、それからこのあたりは車で何度も来ているし、おまけに前面展望ビデオまで見たことがあるのでだいぶ眠くなってきた。左側には千曲川の上流部。雪解け水でかなり水量が多い。信濃川上駅が近づいてくると目に見えて勾配がきつくなってくる。GPSを立ち上げてみると標高が見る見るうちに高くなってくる。
JR最高の駅、野辺山で一旦下車。このまま乗っていてもよかったのだが、この後の予定には少し余裕があったので時間調整をすることにした。もっと正確に言うならば、朝もっとゆっくり出てどこにも寄らずに乗り通すというプランもあり、もし朝起きられなかったらそうするつもりだった。しかし遠足のときには早く目が覚めてしまうのは馬齢を重ねても変わらない。というわけで1時間半ほど時間があるので、この近くにある鉄の聖地を訪ねてみた。
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このJR最高地点を訪ねたのは初めてではないが、さすがに野辺山駅から徒歩で訪ねたのは初めてだ。歩く途中で列車がやってきたので撮影。
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上の写真の右手にかすかに見えるのが八ヶ岳。
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野辺山駅に戻って再び小海線に乗り小淵沢を目指す。先ほど歩いて訪れたJR最高地点を車内から再び見ると下りにかかる。清里、甲斐大泉、甲斐小泉を経て、撮影名所の築堤カーブを過ぎると中央本線に合流して小淵沢。
小淵沢からは快速電車に乗って新宿に向かう。「ホリデー快速ビューやまなし」という長い名前の臨時列車だ。当初、小海線には小淵沢側から入ることを考えていた。そのために中央本線下りの時刻表を眺めていたところ、この列車を見つけたのだ。この列車が215系電車を使用していることは以前から知っていた。編成全車輌が二階建てという普通列車としては他に例がない車両なのだが、ドアが少ないため通勤用としては使いづらく、平日は着席券が必要な湘南ライナーに使われ、休日は中央線のレジャー快速に使用されている希少種だ。しかし下り列車が小淵沢に到着するその2分前に小海線の列車が出るという接続の悪さから、下り列車の利用は断念した。しかし下りがあるということは上りもあるはずだ。上り列車の時刻を調べてみると、こちらの接続は悪くない。そこで帰りをこの「ホリデー快速ビューやまなし」にして、小海線は小諸から小淵沢の方向で乗り通すことにしたのだ。
写真は新宿駅の特急ホームに到着したときのもの。
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春分の日の旅程:
上野(0724)→高崎(0917) 1826E
高崎(0923)→横川(0957) 129M
横川(1010)→軽井沢(1040) JR関東バス
軽井沢(1111)→小諸(1135) 761M
小諸(1202)→野辺山(1347) 230D
野辺山(1533)→小淵沢(1604) 232D
小淵沢(1616)→新宿(1855) 9592M

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2019年3月17日 (日)

飯田線のバラード

今回の目的は飯田線。
実は飯田線は今をさること40年近く前、1980年頃(さだかでない)に乗車したことがあるのだが、それ以来乗車しておらずほとんど記憶がない。また当時辰野から午後に乗って夜遅く豊橋に到着しており、後半はほとんど闇の中だった。
そういうわけでずっとひっかかっていたのだが、一応乗車したことはあるので後まわしになっていた。しかし、昨年の後半くらいから精力的に未乗車区間の消化につとめた結果、東日本地域でJRと地方私鉄の未乗車はほとんどなくなった。そこで今回の春の青春18きっぷ期間の最初の目的に飯田線を選ぶことにしたのである。
とは言え、飯田線は難物だ。距離は200km程度でしかないのだが、その間に100近くの駅があり各駅停車では7時間かかる。おまけに中間にまったく分岐がない。豊橋方面から入るにせよ、辰野方面から入るにせよ、200kmを乗り通して反対側から出るしかない。日中に乗車しようとするなら、遅くとも午前10時代の列車に乗る必要がある。それほど列車数が多くない飯田線では、選択肢はかなり限られる。
幸い3月になってだいぶ日が長くなり、日没は6時近くにまで遅くなっている。それでも、辰野側から乗ろうとすると前泊しないと一日での全区間乗車はできない。新幹線を使って直接アプローチできる豊橋側から入るしかないのだ。
豊橋から入るとして選択肢はふたつ。10:08 豊橋発の特急「伊那路」か、10:42 豊橋発の普通列車だ。特急を使った場合、帰宅が2時間早くなるが青春18きっぷのほかに特急券と乗車券を買わなくてはいけない。しかし三十一は特急を選んだ。まず特急券は新幹線との乗り継ぎ割引があるのでそれほど高くない。乗車券も、飯田線は地方交通線になるので少々割高だが、東京から豊橋までの乗車券につなげて買うので遠距離逓減が効いて相殺されるだろう。
東京から「ひかり」に乗り込み豊橋へ。豊橋駅の飯田線ホームは名鉄の隣。新幹線は自由席だったが、「伊那路」は指定席を買ってある。先頭1号車は指定席車だったので最前列を購入。ただし実際に乗車してみると最前列の窓際席は目の前が壁。通路側でないと前が見えない。しかし指定席車はほとんど空気を運んでいるような状態だったので通路側に座る。検札の車掌も特に注意するわけでもなかった。ということはこの席はずっと空いているのだろう。
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名鉄の本線と分岐して辰野に向かう。豊川までは複線。まわりには住宅などの建物が途切れることなく続き、その中を行く複線電化の線路。まるで都市近郊の私鉄路線のような印象だが、駅の規模が小さい点だけが異なる。
豊川駅を出ると単線となり、新城を出るころにはまわりの風景は一気にローカル感を増してくる。田んぼと里山。その中を行く単線の線路と無人駅。昔乗ったときは、このあたりは完全に夜で景色などまったく見えなかった。長篠城跡の脇をかすめて長篠に入るころから今度は山の気配が支配的になる。勾配が厳しくなり、ところどころにトンネルが現れる。特急だけあって主要駅以外は通過していくのだが、交換可能駅でも一線スルーになっておらず分岐で大きく速度を落としているのが気になった。
やがて中部天竜を過ぎるとダム建設で付け替えられた新線区間に入る。長いトンネルで尾根を越えて隣の谷へ移る。水窪を過ぎたところで同じようにトンネルで元の谷筋に戻るのだが、この新線区間にひとつ飯田線名物がある。「渡らずの橋」だ。鉄橋は通常川などの地形を渡るためにかけられるが、この鉄橋は対岸に渡らずに元の川岸の側に戻ってしまう。当初の予定では川岸にトンネルを掘って通すはずだったのだが、断層のためトンネルを掘ることができず、川の上に鉄橋をかけて迂回することにしたのだ。
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前面窓から見た「渡らずの橋」
長野県に入ると天竜川に沿って走るようになる。トンネルが多く、川がよく見える時間帯はそれほど長くないが、それでも悠々と流れる川面が左手に見えた。気づくと先頭車両の乗客はひとりだけになっており、それを良いことに窓にへばりついて写真を撮ってみる。
064s
天竜峡駅で下車。列車はこの先飯田駅まで行くがここで下車したのは、乗り継ぎとなる普通列車が天竜峡駅始発だからだ。
この先、飯田線は伊那谷を行く。左にも右にも相変わらず高い山並みが見えることは変わりないが、これまでのような山道ではなく狭いながらも盆地を行くようになり、田んぼや宅地が広がる。飯田や伊那、駒ヶ根といった大きな駅の周りには市街地が広がり、高校生や中学生が乗ってきたり降りていったりするようになる。
乗り換えた普通列車は213系の2両編成、セミクロスシートだ。思い起こせば(約)40年前の飯田線では80系電車が走っていた。そのころ80系が好きだった自分は旅行計画時にあわよくば80系に乗りたいと思い飯田線を旅程に含めることを主張した(この時は同級生3人での旅行だった)。しかし辰野で乗車した豊橋行きの電車は80系ではなくスカ色3扉クロスシート半流の旧型国電で、三十一は正直がっかりした。しかし考えてみればこの電車は戦前型のクハ68もしくはクモハ51で、もっとちゃんと記録しておけばよかったのにと、今になってつくづく思う。なお80系電車への乗車はかなわなかったが、途中駅で交換した相手の列車が80系電車で目撃することはできた。
飯田線の終点である辰野に近づいてくると天気が少し悪くなってきた。辰野で中央本線と合流するがこの列車自体はこのまま茅野まで走る。辰野駅がJR東海と東日本の境界駅になるので、乗務員が交代する。中央本線の新線と合流する岡谷駅で列車を降りて、ここから東京に向かうことにする。待合室で時間を潰して頃合いを見てホームに向かったところ、雪が降っていた。さすが長野県。
本日の旅程:
東京(0833)→豊橋(0956) 505A
豊橋(1008)→天竜峡(1224+2) 21M
天竜峡(1233)→岡谷(1555) 225M
岡谷(1622+3)→小淵沢(1707) 1536M
小淵沢(1722)→高尾(1944) 554M

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2019年3月10日 (日)

都会の秘境駅

本来の「秘境駅」の定義(鉄道以外に接近手段がない)には合わないが、用事がなければ、というよりは地元住民以外にあまり用事がない駅、というのが都会にもある。
今日はそうした駅をいくつか訪ねてみた。用事もないのにこうした駅を訪ねるのは乗り鉄くらいだろう。

1. 東京メトロ北綾瀬駅
千代田線綾瀬駅から分岐した駅で、この一駅間は3両編成の電車がピストン運転をしている。おそらく東京メトロの路線ではもっとも短い編成だろう。もともと電車庫への出入のための線路で、周辺住民のために駅が作られたようだ。実は三十一の自宅からそれほど遠くないのに未乗車になっていてずっと気になっていたのだが、この3月16日に予定されているダイヤ改正で千代田線本線と直通運転が始まり、10両編成になるということなのでその前に乗りに行こうと、まるで「葬式鉄」のようなことをしてしまった。しかし実際にはすべての列車が直通になるわけではなく、10両編成の他にこれまで同様一駅間のみの3両編成電車も残るらしい。
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複線の出入庫線の片隅に1面1線の北綾瀬駅。いずれ2線になったりするんだろうか。駅は工事中だったけど。

2. 東武大師線大師前駅
東武伊勢崎線(いま風に言えばスカイツリーライン)の西新井駅から分岐して一駅の大師線。大師線というのは京急にもあるが、戦前から戦後くらいまでは寺社への参拝客を見込んだ鉄道路線というのがあちこちで建設された。そのころは観光だけの旅行というのは考えられず、寺社参拝とセットにしないと物見遊山ができなかったのだろう。
西新井大師(総持寺)の最寄り駅である大師前駅は秘境駅というわけではないだろうが、信心に乏しい三十一にとっては秘境駅も同様だ。実際に行って見て驚いたのだが、大師前駅には改札がない。自由にホームに入って電車に乗ることができる。しかし西新井駅では大師線ホームの出入りに改札があって、この改札を通らないと駅の外にも出られないし伊勢崎線にも乗り換えられない。鶴見線もたしかこんな感じだったような。大師前駅から電車に乗って、西新井駅でそのまま折り返してまた大師前駅を出れば運賃を払わなくても済むが、それで嬉しいのは乗り鉄だけだろう。
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高架終端の大師前駅。駅名看板は貫禄たっぷりだが改札には人も改札機もない。
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大師前駅のホームは広いが1面1線。そこに8500系2両編成の列車が発着する。

3. 京成本線京成上野駅
関東大手8私鉄の一角、京成電鉄の本線始発駅だが、旅客の多くは乗り換えが便利な日暮里駅を使う。常磐線沿線に住まう三十一も、ごくたまに成田空港に用事があるときは、日暮里まで出て京成本線に乗り換えていた。京成上野駅自体は上野公園の地下にあるが、JRなどの上野駅からはいったん屋外に出るか、地下道を200m以上歩かなければいけない。日暮里駅は線路に余裕がなく折り返しができないので、京成上野駅自体は車両運用上必要不可欠なのだが、乗客が合わせなければいけない義理はない。こうした三十一の分析が妥当かどうかは別として、山手線内の2駅を結ぶ路線であるのにこれまで一度も乗ることがなかった。この区間のほとんどが地下というのもあっただろう。
上野駅から京成上野まで歩いて乗車。立派な駅だが成田空港駅行きの特急にも空席が目立つ。しばらく地下を行き、やがて切り通しに出て外光がさしてきたと思うまもなく、JR線を乗り越して海側に出、上下線が文字通り上下に分離して日暮里駅に着く。日暮里駅は下り線が上階、上り線が下階になる。

今日の行程:
1359(綾瀬) → 1403(北綾瀬) 1398S
1408(北綾瀬) → 1412(綾瀬) 1498S
1417(綾瀬) → 1420(北千住) 1347E
1430(北千住) → 1437(西新井) 1310S
1442(西新井) → 1444(大師前) 1409D
1456(大師前) → 1458(西新井) 1412D
1507(西新井) → 1524(上野) 1406S
1534(京成上野) → 1609(京成津田沼) 15A15
1619(京成津田沼) → 1702(松戸) 352レ

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「ファースト・マン」

久しぶりに映画を見てきました。
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月に初めて降りた人間ニール・アームストロングを描いた映画「ファースト・マン」だ。
「アポロ13」の時にも思ったことをこの映画でもやはり思った「顔が似てない」。ジム・ラベルはどちらかというとトム・ハンクスよりも先代の三遊亭円楽に似ているし、ニール・アームストロングはどちらかというとライアン・ゴズリングよりもチャック・ウィルソンに似ている。
まあでもそれは大して重要ではない。ただ最初に思ったというだけだ。
「予習してから行ったほうがいいかもしれない」という感想も見たが、三十一は特に予習するでもなく見に行った。考えようによっては40年かけて予習してきたとも言える。予習しすぎで先が読めてしまうので、アームストロング夫婦のドラマとして見たいひとは予習しないほうがいいかもしれない。一方で、宇宙開発の話として見たいひとはだいたい知っている話なので、結論としてはどちらにせよ予習は要らないのではなかろうか。
三十一としては、最初から人間ドラマには期待していなかったので宇宙関連シーンだけの評価になるが、とりあえず DVD/BD が出たら(値段次第だが)購入を検討するくらいは気にいっている。ただし、本来あるべきストーリーを飛ばしていきなり場面転換してしまう演出が目についた。例えば異常を起こしたジェミニ8号が帰還する場面はまるまるすっ飛ばされてしまっている。三十一は予習しているから補完できるけど、展開に戸惑う観客もあるだろう。

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