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2019年4月28日 (日)

雨のヨコスカ

連休初日の今日は横須賀に行ってみる。
天気予報によると関東南部は午後には不安定な天候になるということだが、それほど長居をしなければ大丈夫だろうと、見切り発車で出撃する。
横須賀線の電車で横須賀に向かう。横浜あたりまでは曇りだったが、戸塚あたりで気がつくと雨になっていた。ああ、降ってきちゃったなあと思っているうちに大船から鎌倉あたりでは本降りになってしまった。これは困った。実は今日は、カメラの撮り比べをしてみようかとデジタル一眼とミラーレスの2台を鞄に詰め込んできていたのだが、この天気ではどちらも鞄から出したくない。今乗っている横須賀線の電車は逗子どまりで横須賀に行くためには乗り継がなければいけないのだが、このまま横須賀に向かってもしょうがない。そこで逗子で一度改札を出て、京急の新逗子駅に向かう。

京急の路線では本線筋の泉岳寺から三崎口まですでに乗車済みだが、分岐となる逗子線と浦賀方面が未乗車のまま残っていた。今日は横須賀の帰りにこれらの路線に乗ってこようと思っていたのだが、予定を変更して先にこれらの路線に乗車してから横須賀に行ってみることにした。うまくすればちょうど小降りになったりするかもしれない。そううまくいかない可能性ももちろんあるわけだが、うまくいくかもしれない。そこはもう賭だ。
逗子駅前で地図を見て京急新逗子駅まで歩く。新逗子駅は、こういうのも橋上駅舎と言っていいんだろうか。地平のホームにおりるとちょうどエアポート急行が入っていた。急行列車に3駅だけ乗ると本線との合流になる金沢八景駅。金沢八景といえばこの3月のダイヤ改正でシーサイドラインが仮駅から新駅に延伸してきたところだけど、その関係か構内は工事中。地下道で隣のホームに移って各駅停車で浦賀に向かう。馴染みの汐入、横須賀中央を経て浦賀へ。
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浦賀から折り返した列車には防衛大生が乗っていたが、空いていても座らないのは躾だろうか。防大生は堀ノ内で急行に乗り換えていったが、三十一はこのまま各停で汐入まで行く。
時間をつぶしてはみたものの、やはり雨。閉店したショッパーズプラザを横目にヴェルニー公園にむかう。公園の岸壁から港内を見渡してみたが目新しいフネは見当たらない。逸見岸壁に「いずも」、吉倉桟橋に補給艦「ときわ」、その向こうに碇泊艦があるかもしれないけれど、「ときわ」に隠れてわからない。米軍側ではまず目につくのが DDG-85 McCampbell、それから一番近いところに海自の「おやしお」型潜水艦。よく見ると左のほうにもう一隻。さらに McCampbell の右側に艦尾がみえている。都合3隻の海自潜水艦が見えているが、すべて「おやしお」型で今日は「そうりゅう」型は見られなかった。
McCampbell を含めてアーレイバーク級イージス駆逐艦が5隻、さらにタイコンデロガ級巡洋艦が少なくとも2隻は停泊しているようだ。なんだかんだで、イージス艦がこれだけまとまって見られるところは日本では横須賀だけ、世界的にも数少ないだろう。
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しかし雨がやむ気配もないのでJRの横須賀駅から帰宅する。横須賀線車内から見ると、吉倉桟橋には「あさぎり」型護衛艦が1隻停泊していたようだが艦名まではわからなかった。
帰宅途中に秋葉原に寄り道したのだが、その途中で少し遠回り。

今日の旅程:
新橋(1056)→逗子(1159) 1017S
新逗子(1213)→金沢八景(1220) 1219D
金沢八景(1227)→浦賀(1252) 1048
浦賀(1257)→汐入(1311) 1248
横須賀(1355)→横浜(1442) 1368S
横浜(1449)→中目黒(1516) 017142
中目黒(1520)→秋葉原(1551) 1501T

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2019年4月22日 (月)

箱根山戦争

今週は箱根山へ。
土曜日に外出ができず、日曜の朝9時以降の出発になったのと、前回は遠出してけっこう物入りだったため、近場にしておこうと思ったのだ。結果としては、関東1都6県で唯一残ったローカル私鉄、いずれも小田原を起点とする伊豆箱根鉄道大雄山線と、箱根登山鉄道を目指すことにする。
小田原までは千代田線から小田急線に乗り継いで行くことにする。地下鉄千代田線と小田急小田原線、それから箱根登山鉄道はかつて乗車した記憶があるのだが記録が残っていない、いわば「非公認」乗車区間になっている。これを改めて「公認」するためにこのルートを使う。小田急の運賃が安いというのも大事な理由のひとつだけれど。

代々木上原で小田急の急行に乗り換えて小田原へ。この区間の複々線化以降に乗るのは初めてだ。高架と地下線が入り混じる複々線区間は向ヶ丘遊園まで。その先は複線になる。厚木をすぎるとローカル感が強くなり、車窓からは丹沢が間近に見える。新松田で御殿場線と交差し、やがて小田原に到着。
いったん改札を出て、駅構内の片隅にある伊豆箱根鉄道へ。大雄山線は10キロほどの電化単線路線だが、昼間時間帯は10分程度の間隔でかなり頻繁に運転されている。車両は一見、西武車両あたりのお古かと思ったが、急カーブがあって20m車両が入線できないため、自社発注となる18m車両3両編成だった。

頻繁運転のせいか、乗客はそこそこ多い。ワンマンではなく車掌も乗務していた。途中に3個所ほど交換可能な駅があるが、そのすべてで対向列車と交換しており、ネットダイヤになっているのだろう。
終点の大雄山駅では、地元の利用客以外はバスに乗り換えるらしいが、三十一が5分で折り返し、小田原に戻る。
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小田原で再び小田急の改札を通り、箱根登山鉄道に乗り換える。とはいえ、ここから箱根湯本までは改軌もされて小田急車両ばかりが走るようになっている。実際に乗った列車も小田急の4両編成だった。それでも「登山鉄道」は伊達ではなくかなりの急勾配だ。箱根湯本駅で乗り換え。1面の島式ホームに3線が設けられており、片側は全体を小田急特急の発着に使用し、もう片側を前後に分割して小田原方面の普通列車と、強羅方面の登山列車が頭を突き合わせる形になっている。もちろん、軌間も異なる両線の間には車止めが。

箱根登山鉄道は3両編成。すでに車内はかなり混雑しており立ちとなる。旅客は大半が観光客だろうが、外国人がかなりの割合で含まれていた。箱根登山鉄道はスイッチバックと急勾配で有名だが、あまりにも有名なのでここでは詳しく説明しない。強羅から逆戻りして箱根湯本へ。

帰りはロマンスカーを張り込む。あらかじめネットで特急券を買っておいて正解。

今日の旅程:
代々木上原(1120)→小田原(1252) 1239レ
小田原(1300)→大雄山(1321) 71レ
大雄山(1326)→小田原(1347) 80レ
小田原(1355)→箱根湯本(1411) 7259レ
箱根湯本(1412)→強羅(1449) 461レ
強羅(1453)→箱根湯本(1532) 470レ
箱根湯本(1537)→新宿(1707) 0784レ

 

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2019年4月20日 (土)

「ハンターキラー」

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公式サイト

「潜水艦モノに外れなし」が売り文句だということだが、まあ「外れ」ではなかった。

たぶんバージニア級原潜が主役になる映画は初めてだろう。米海軍の協力で実艦をつかって撮影されたということだが、問題は敵役となるロシア海軍艦艇だ。アクラ級潜水艦はCGだろうけど、三十一にとっての影の主役は全編にわたって要所で登場するウダロイ級駆逐艦。「ネヴチェンコ」という艦名はもちろん架空のものだが、全景からアップから艦内描写まで、興味深い映像が多々見られたものの疑問なのは「この映像はどうやって撮ったんだろう」ということ。まさかこの映画にロシア海軍が協力するとも思えないし、セットとCGだろうか。

ストーリー自体はよくできていて映画としてはいい映画と言えるだろう。

個人的には、あたかも海中の様子が「見えている」かのような描写や、打ち出した魚雷に目標変更を「指示」している描写など、わかりにくい海中戦闘を観客にわかりやすく見せる演出は潜水艦映画の定石ではあっても、実際の潜水艦戦闘の実相とは必ずしも合致しないと思っている。

映像的には収穫は多々あって、米軍ロシア軍の艦艇航空機がいろいろ出てくるので、メディアで発売されたら買ってしまうかもしれない。ただあの両国艦隊の密集隊形は映画用だなあ。

追記:

ひとつ書き忘れていた。"Commander Glass" に「グラス指揮官」と字幕をつけてたけど、"Commander" は「中佐」だから。公式サイトに貼られている写真にも "J. GLASS CDR USN" って映ってるでしょ。

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2019年4月14日 (日)

長良といえば軽巡洋艦

さて今週は岐阜県。
今回の計画時に最初に目標としたのは明智鉄道だった。中央西線から分岐する明智鉄道はそれほど長くないが東京からたどり着くのはわりと面倒だ。本数も多くないしそれなりにしっかりと計画していかないと痛い目を見そうである。試しに自宅を常識的な(と言っても7時台の電車に乗るくらいの)時間に出たとして時刻表を調べてみると、明智鉄道を往復して起点の恵那駅に戻ってくると午後3時近くなってしまう。いくら日が長くなったと言っても、これからそれほど回れそうもない。せっかく岐阜県まで出かけるのだからせめてもう少し回りたいものだ。そこで強行軍だが名古屋に9時台前半に到着する新幹線に乗るようにすれば、明智鉄道を往復しても午後の比較的早い時間に戻ってこられる。それから太多線を通って岐阜に出、大垣から東海道本線の美濃赤坂枝線を往復してから帰京、というプランが出来上がった。今週は都合で日帰りだ。
よしじゃあこれで行こうといったんは心づもりしたのだが、これで岐阜県が制覇できるわけではない。いずれ再訪しなければならないのだが、そのときに目標となるのはまず長良川鉄道、そして樽見鉄道だ。どちらも非電化の第三セクターだが、考えてみれば美濃赤坂枝線より優先順位が高いのではないか、まあそれにしても日があるうちに乗る時間があればの話だ、と駄目元で念のため長良川鉄道のダイヤを調べてみると、午後の遅い時間、ちょうど日没前に終点北濃に到着する列車がある。だが何とかたどりつけても果たして帰宅できるだろうか。夕方の6時に岐阜県の山中にある北濃駅を出て夜11時前後にはなんとか東京まで帰ってこれそうだ。朝早く夜遅いというかなりタフな行程になるが、日帰りで明智鉄道と長良川鉄道と、ついでに太多線を制覇できるのは大きい。

朝6時半過ぎに自宅を出て、9時過ぎに名古屋着。券売機で「青空フリーパス」を購入。「JR東海&16私鉄きっぷ」とどちらにしようかと思ったのだが、日帰りだし明智鉄道と長良川鉄道の運賃を別途払っても「青空フリーパス」のほうが安い。
313系の中央西線快速で名古屋を発ち恵那に向かう。このあたりはかつて上り特急「しなの」で通ったはずなのだがあまり強い印象はない。ただひとつ気にしていたのは東海交通事業との乗り換え駅である勝川駅だ。東海交通事業城北線は名古屋郊外を走っていながら非電化で、だからいずれ乗車しなければいけないのだが、東海交通事業の勝川駅とJRの勝川駅はけっこう離れているらしく、短時間で乗り換えるような計画を立ててしまうと命取りになりそうだ。だから実際どんな感じなのか一度見ておきたかったのだが、実際に現場を見てみると初めて乗り換える人間は迷ってしまいそうだ。充分すぎるくらいの余裕を見ておく必要があるだろう。
具体的な計画がまったくできていない未来の話はさておき、高蔵寺では愛知環状鉄道の列車を目撃し、多治見ではあとで乗るはずの太多線の線路が合流してくるのを眺め、やがて恵那で下車。乗り換え口もあるがいったんJRの改札を出、明智鉄道の駅舎にまわって一日フリーきっぷを購入。明智鉄道の一日フリーきっぷは1380円で全線を往復するのとまったく料金が同じだが、それでもフリーきっぷを買ったのは、無人駅の多いこうした路線では精算が面倒で時間がかかる(行列が出来たりする)ので乗り降り自由のフリーきっぷは重宝するからだ。
明智鉄道の列車は軽快気動車のアケチ13。クロスシート車両もあるようだが、この車両はロングシートだ。
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始発の恵那駅は単線ホームだけの簡素な構造で、駅を出ると少しのあいだ中央西線と並行するがすぐに中央線は左、明智鉄道は右へと分かれていく。
明智鉄道は旧国鉄明知線で、絵に描いたような山岳路線だ。起伏の激しい地形のある区間では盛り土、またある区間では切り通しを設けてどうにかこうにか汽車が上り下りできる程度の勾配にならして線路を敷設している。ずっと登り勾配というわけでもなくアップダウンが激しい。もともと軽便規格で敷設されたせいだろうか、上りにしても下りにしてもかなりきつい勾配で、非力なタンク式蒸汽機関車で運転されていたころの苦労が忍ばれる。阿木駅は一見すると交換可能駅のようだが、相対式のホームをつなぐ構内踏切がみあたらず、よく見ると対向のホームは草むしているので機能していないのだろう。実際に交換可能なのは岩村駅で、この駅で上り列車と行き違った。ここはスプリングポイントのようだ。
1時間弱で終点明智駅着。ここは何年か前にNHKの某自転車旅行番組で取り上げられていて、見覚えがある。
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駅前では桜が満開だった。残念だったのは、駅前から恵那山が見えなかったことだ。地図で方向まで調べてみたのだが、手前の山に隠れているらしい。
30分ほどで折り返し。上り(地形的には下り)列車の所要時間は往路とほとんど変わらない。恵那駅で乗り換えのわずかな時間の間に駅前から撮影した(多分)恵那山。
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恵那駅から多治見までいったん戻る。一度改札を出て駅舎の写真を撮り、再び改札前まで戻ってきたところでおかしなことに気づく。次に乗る予定の太多線の列車が案内板に出ていないのだ。14時21分発の岐阜行きというのがあるはずなのに、電光掲示板に表示されているのは14時53分の美濃太田行き。ねんのため駅の時刻表を調べてみても、あるはずだよなあ。土曜日だから運休というわけでもなさそうだ。これは何かの間違いか、あるいは何かあったんだろうと窓口で駅員に聞いてみると、高山線でのダイヤ乱れの影響で車両がやって来ず、運休になってしまったということだ。
想定外のことにいったんパニックになりかけ、当初の予定を破棄してこのまま東京に帰るか、あるいは初期プランの通り美濃赤坂をめざすか、とも考えたのだが、気を取り直して改めてダイヤを調べてみると、太多線の列車を一本遅らせても予定していた長良川鉄道の列車に乗れることがわかった。乗り継ぎ時間がだいぶ短くなるし、次の太多線の列車が本当にダイヤ通り走るかどうかもわからないが、ともかく次の列車で美濃太田へ向かうことにする。はからずも一時間近く時間ができてしまったので、駅前に出てデパ地下の喫茶店で食事を摂る。

太多線はかなり混雑していたが、ほぼダイヤ通りに走ってくれた。中央本線と高山線をつなぐ非電化のローカル線だが、ほとんど勾配がなくまた適当に都市化されている(名鉄の路線もある)ので、例えば高山線の岐阜-美濃太田間とあわせて電化するという方法もあるのではないかと思うが、まあJR東海はやらないよね。
美濃太田駅で長良川鉄道に乗り換え。乗り換え時間は10分ほどで、その間に長良川鉄道の一日フリーきっぷ2700円を買わなくてはいけない。長良川鉄道の美濃太田駅には駅舎らしい駅舎はなく、ホーム上の事務所が出札兼改札兼待機場所になっているようだ。
長良川鉄道の列車は二両編成だったが、ワンマン運転なので1両目に乗車。だがこの車両はチャギントンのラッピングがされていて、それは別にいいのだが窓ガラスの部分までラッピングされている。その結果何が起きるかというと、窓を通して入ってくる外光が赤だったり黄色だったり青だったり緑だったりと、まるでディスコのようなカラフルさ。しばらくは我慢していたのだが、だんだん我慢できなくなってきて、二両目には誰も乗っていないのでそちらに移ろうと席を立ったものの貫通路がつながっておらず、二両目は締め切りの回送車両らしいとわかってノコノコと元の席に戻るという、はたから見ると意味不明な行動をとってしまった。
関で乗務員が交代し、回送車両も切り離される。ここからはほぼ北に向かって走るようになる。美濃市でまとまった人数が降りていき、このあたりで濃尾平野が尽きて山間部に分け入っていく。しかし長良川の河谷を川と並行して走っているので、明智鉄道ほどにはアップダウンは激しくない。郡上八幡はそれなりに開けた都会で、ほとんどの乗客が降りていく。美濃白鳥では乗客は三十一ともうひとりだけになっており、その乗客も白山長滝で降りてしまったので最後の一駅区間は三十一の貸し切りになってしまった。美濃太田からちょうど二時間で終点北濃に到着。北濃駅は1面2線の島式ホームだが無人駅になっており実際には1線しか使われていないのだろう。駅敷地内には転車台も残っている。駅前はすぐ国道で、その向こうは長良川。そのさらに向こうはもう山だ。駅前には除雪された雪が一部まだ溶けずに残っていた。折り返しを待つあいだに車で親子連れがやってきて、ひとしきりチャギントンと記念写真を撮り車内にまで入り込んで、列車に乗るのかと思ったらまたもや車で去っていった。厳密なことをいうと、車内に入るのなら運賃が必要なんやで。
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折り返しとなる列車では、いつの間にか中学生くらいの乗客がひとり乗っていて二人旅になった。美濃大和あたりまでは辛うじて外が見えていたが、あとは真っ暗。美濃太田から特急に乗り継ぎ、さらに名古屋で新幹線に乗り継いで帰宅。

昨日の旅程:
東京(0740)→名古屋(0919) 101A
名古屋(0946)→恵那(1056) 5711M
恵那(1119)→明智(1208) 9D
明智(1236)→恵那(1324) 12D
恵那(1331)→多治見(1359) 5734M
多治見(1453)→美濃太田(1523) 3633C
美濃太田(1534)→北濃(1734) 13レ
北濃(1800)→美濃太田(2014) 20レ
美濃太田(2022)→名古屋(2103) 1040D
名古屋(2112)→東京(2253) 58A

 

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2019年4月 7日 (日)

フジサン麓に王蟲哭く

春の18きっぷ通用期間最後の週末は富士急行。

昨日はマンションの防火設備と下水の点検があり家を空けられなかった。
今日は統一地方選挙だがすでに期日前投票を済ませてあるので心置きなく出撃する。

これまで飯田線や小海線に日帰りで出かけてきたという実績があるので、高をくくってよく調べもせずに適当に家を出たら思いの外接続が悪くて難儀した。しかし日がある内に充分往復できている。

東京から快速と普通列車を乗り継いで大月へ。ここまでの道行きは何度も往復しているので読書したり目が疲れたらしばらく寝たりして過ごす。ちょうど昼過ぎに大月着。
JRの駅舎を出て隣の富士急の駅舎へ。道路からはフジサン特急と、もと京王らしい普通電車がよく見える。
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はじめの心づもりでは普通電車で往復するつもりだったのだが、ちょうどよい時間帯の電車がなかったので特急料金400円ナリを払ってもと小田急20000系 RSE を譲受したフジサン特急に乗り込む。もちろん青春18きっぷは使えないが、Suica が使えるのでそのまま乗車。

富士急は単線電化だが、大月からは桂川の河谷に沿って富士吉田に向かう。地図ではそれほどでもなさそうに見えるのだが、実際に乗ってみるとかなり勾配が厳しい。カーブもきつい。これでは速度が出るまい。
日曜と言うことで観光客が多いが、その中でも大きな荷物をかかえた海外からと思しき旅客が目立つ。駅を通過するごとに駅員がホームで必ず手を振っているのが目につくが、観光以外に生き残る術をもたない地方私鉄としてはこうした施策を積み重ねるしかないのだろう。富士吉田駅が「富士山駅」と改名されたのを知ったときに三十一は憤慨したものだが、しょせん部外者のたわごとだ。
やがて頭上を横切る大きな構造物。リニア実験線あらため未来の営業線だ。もちろん下から線路が見えるわけないが、気になったのは真下に家屋などの建物が建っていること。磁場はしっかりシールドされているのだろう。

都留文科大学前駅で数人の旅客が乗ってくる。ここから河口湖までは特急料金が半額ということで、ある程度は通勤通学需要に応じているらしい。三十一の隣の席にも学生(たぶん)が座った。さらにしばらく行くと左前方に富士山が見えてくる。方角的には線路はおおむね富士山に向かって走っているので、線路が左右に振れるごとに富士山が右に見えたり左に見えたりするのだろう。

右手から線路が近づいてきて合流すると富士山駅。ここで旅客が半分くらい降りたようだ。スイッチバックして残り2駅、河口湖に向かう。後ろ向きのまま河口湖に到着。留置線にJRのE353系とE257系が停車しているのが目につく。
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駅前に出てみると、観光バスに乗り換える旅客でごった返している。有人窓口はきっぷを求める客で長蛇の列。どうしたものかと思ったが、自動券売機は空いているようなので旅客の群れをこぎ分けて帰りの特急券だけをまず購入。そう、帰りも時間帯的に特急で帰らざるを得なかったのだ。
その帰りの列車までは約30分。その間にせっかくなので富士山の写真を撮っておこう。駅の出口は富士山の反対側なので、裏側に出る道がないかと少し歩いてみたのだが、結局は駅前の駐車場と線路ごしに撮影することにした。全体にガスっていてコントラストが弱くわかりづらいかもしれないが。
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そのままフジサン特急で大月に折り返して帰京。これで山梨県内の全鉄道を乗車した。

今日の旅程:
神田(1007)→高尾(1104) 1071T
高尾(1139)→大月(1218) 537M
大月(1246)→河口湖(1335) 703レ
河口湖(1403)→大月(1450) 708レ
大月(1528)→御茶ノ水(1719) 1652M/1652T

 

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2019年4月 1日 (月)

和をもって貴しとなす

新しい年号は「令和」(れいわ)と決まった。違和感を禁じ得ないが、そのうち慣れるだろう。平成のときもそうだった。

三十一の予想は当然のように外れたが、「和」を的中させたのは上出来だろう。個人的には「和」が「貴い」とはさして思っていないのだが、世間一般にはそう思われていて、しかも現実では「和」が十分ではないと思われる場面が多いから、目標や理想として「和」を掲げるのは大方の納得が得られるのではないか。「和」の使用は20度目になるが、前の記事でも触れた通り「和銅」以外の18回(今度で19回目)はすべて2字目だ。試しに列挙してみると以下の通りになる。

承和、仁和、応和、安和、寛和、長和、康和、養和、正和、貞和、文和、永和、弘和、元和、天和、明和、享和、昭和、令和

 

しかし「令」はどうだろう。「令」は過去元号に使われたことはないし、天皇の諡号追号としても採用されていない。出典は万葉集だそうで、それ自体はまあいいとしても「令月」が「よい月」を意味するなんてことをどれくらいの人が知っているだろう。日常に使うことはまずないし(実際手元のIMEでは「れいげつ」は変換しなかった)、類似の使い方としては「令嬢」「令息」「令夫人」くらいしか残っていないだろう。そのなかでも本当に日常使われているとしたらせいぜい「令嬢」くらいであとは死語に近い。「令嬢」にしてももはや半死半生だ。
さらに気になるのが、漢文では「令」はもっぱら使役の助字として使われていることだ。「令和」という字面を見たときに「和せしむ」と訓じたくなる。「和」はいいとしても、それを上から強制あるいは指導されるようなニュアンスを感じる。「民主的でない」ということで議論を呼ぶかもしれない。

同じ「れい」という読みならむしろ「礼」のほうがよかった。「礼」はマナーだがそこには相手の感情や立場を尊重するという意味がある。「礼和」なら互いにリスペクトをもって融和するという理想を示すことになり、よほどのひねくれものでない限り文句はつけないだろう。ちなみに「礼」も過去の元号や天皇諡号追号に使用されたことはない(女院号としては例がある)。

まあいまさら何を言っても詮無いことだ。いずれ慣れるだろうし、また今後ますます西暦使用が主流になってそれほど広く使われないかもしれない。実はそれが目的だったりして。

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