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2019年5月 8日 (水)

煙も見えず雲もなく

今日の第一の目的は帰宅することだが、その前に少し寄り道をしていく。
せっかく徳山に宿営できたので、山口県東部の非電化路線、岩徳線と旧岩日線に乗って行くことにする。ついでにただひとつ残った鉄道航路、宮島航路を往復して来よう。
朝7時過ぎに徳山駅を出発する。車両はキハ47の二両編成だ。休日の早朝とあって車内はガラガラ。隣の櫛ヶ浜駅までは山陽本線を行くが、櫛ヶ浜駅構内ではすでに山陽本線と岩徳線は分離していて、岩徳線側の線路には架線は張られていない。よく知られた話だが岩徳線はもと山陽本線だ。柳井方面を迂回していた山陽本線を短絡するために敷設されて本線となっていた区間だが、戦時中に輸送力増強のため複線化される際に、勾配が厳しく長大なトンネルを含むこの区間では単純な腹付け線増による複線化ができなかった。ちょうど関門海峡トンネルの掘削中でもあり、新たにトンネルを掘らなければいけない岩徳線側の複線化は断念され、ローカル線と化していた海岸線側が複線化されて再度本線となり、かつて本線だった岩徳線は単線のままローカル線になって今に至る。実際に乗ってみると、なるほどこれを複線化するのは大変だろうなと実感する。普通に地上を走っている区間でも線路の脇には地積が乏しく土木工事で路盤を作るところから始めないと複線化はできないだろう。さらに大小取り混ぜてトンネルが多く、単線並列にするとしても同じようなトンネルをもう一揃い掘削しなければいけなくなる。ところが、岩徳線にはほぼ並行して山陽新幹線が走り、国道二号線が走り、そして山陽自動車道が走っている。あとから短期間で広げようとするから大変なので、最初から複線のつもりで敷設されていたら今でもこちらが幹線だったかもしれない。
長い欽明路トンネルをぬけると分水嶺を越えて下りにかかる。山の中で一旦停車。旧岩日線、現在の錦川鉄道との合流点だ。合流するとすぐトンネルをくぐり、さらにしばらく走ったところが川西駅。ここで下車。
川西駅は錦川鉄道の起点だが、とてもそうとは思えない棒線の無人駅。ホームは周囲からかなり高いところに置かれていて、見晴らしはいいが上り下りは大変だ。さすがに起点駅だからきっぷの自動販売機くらいはあるだろうと思ったが、ホームに置かれた自動販売機はJRのみで「錦川鉄道のきっぷは車内でお求めください」の掲示。
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やがてやってきた岩国始発の錦川鉄道の列車は、ディーゼルカーの二両編成。整理券をとって乗り込む。車内は転換クロスシートで、観光客がけっこう乗っている。今きた線路を戻っていき、トンネルをまたくぐって分岐点である森ヶ原信号場を右に。ここからしばらく錦川に沿って遡上する。この渓谷が錦川鉄道の売りで、路線名も錦川清流線としているが、いちおう日本中めぐってきた三十一からすると土讃線の大歩危小歩危、肥薩線の球磨川、高山本線の飛騨川などにはかなわない。ちなみに三十一が最も愛する川沿いの風景は、宗谷本線の天塩川だ。錦川清流線ではところどころに「○○の滝」と称する滝が車窓から見られるが看板には「2010年命名」とか書かれていて萎える。名所にするために近年になって名前をつけたことが丸わかりだ。終着錦町駅では、大半の旅客がトロッコ列車に乗り換えるようだ。三十一はそのまま折り返す。
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列車は森ヶ原信号場で岩徳線と合流し、川西駅を経て岩国まで行く。岩国で電化複線の山陽本線に乗り換え。列車は新しい227系3両編成だ。もちろん乗るのは初めて。岩国基地は後方なので見えないが、広島湾が右手に見えてくる。やがて宮島が現れる。宮島が意外に大きな島だというのは知識として知っていたが、実際に見てみて実感する。宮島口駅に到着。かなりの数の乗客が降りていく。三十一も降りる。
駅から宮島に渡るフェリーの乗り場は歩いて5分ほど。有名な観光地だけあって人が多い。駅から桟橋までの間に地下道が作られている。宮島フェリーにはJR西日本のものと、松大汽船のものがあってどちらも値段は同じ。だがひとまずJR側に向かって並ぶ。ちょうどフネが出たところだが、この時期はダイヤに関係なく定員に達したら出発するピストン輸送になっているようだ。次のフネが到着し、戻りの客を吐き出したあとに乗船。デッキに上がる。有名な鳥居は宮島の桟橋に向かって右手にあるので右舷側に小さく見えている。JR西日本フェリーは往路で鳥居にもっとも近づくというの売り文句で、実際かなり近くを通っているようで、スマホのズームでもまあまあはっきり撮影できた。
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10分ほどで到着し、下船口でICカードをタッチして料金を払う。いったん建物を出て、今度は松大汽船の乗船口に向かう。往きと帰りで会社を変えてみたのは単に気分で、どっちでもよかったのだが。帰りは座ってぼーっと宮島と海をながめていた。海に浮かんでいるのは牡蛎の棚かな。いずれにせよ、これで天橋立、松島に加えて厳島も訪れたので日本三景を制覇したことになる。ちなみに今回のタイトルは軍歌「勇敢なる水兵」の出だしだが、この歌の舞台となったのは日清戦争の黄海海戦で、この海戦で日本海軍の主力として参加したのが橋立、松島、厳島のいわゆる三景艦だというまわりくどいつけ方。

本土に戻ってくると、あとは東京に戻るだけ。いったん宮島口駅に戻って、広島駅から新幹線に乗ればいいのが、ここでも三十一は寄り道をする。JRの山陽本線ではなく、広島電鉄を使うことにしたのだ。広電宮島口駅を出た電車は広電西広島駅から市内軌道に乗り入れて広島駅前まで直通運転をする。もちろん、JRより時間はかかるがいちおうこの区間は過去ブルートレインで何度か通ったことがあるのでまったく新規のこのルートを使うことにする。乗車したのは超低床の連接車でまだ新しい。
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西広島までの宮島線では、専用軌道を走るので普通の鉄道と変わらない。床が低い車両が使われているので、自分の目線が低いのと、途中駅のホームが低いのが目につく。西広島駅からは市内線に入り併用軌道になる。ところがこの日、広島では不破ラーフェスティバルがあるとかで人通りが多い。主要駅では、普段の車内精算ではなく駅ホームに社員が出張ってきて精算やきっぷの回収に当たっていた。乗降時間を短くするためだろう。しかしそうした工夫をしてもなお、ダイヤは遅れていた。途中で降りて歩こうかとも思ったが、それでは一部区間が未乗車のまま残ってしまう。帰りの時間がきっちり決まっているわけではないので、動かない電車の中に大人しく座っておく。所定のダイヤより30分近く遅れて広島駅着。あとは新幹線で東京に向かうだけだが、すでにGWも後半、無理と思いつつ指定席を探してみたがやはり空席などない。そこで狙うのは広島駅始発の列車。調べてみると1時間に1本の割合で広島始発がある。次の始発は約1時間後、いまのうちに遅い昼食を済ませて、少し早めにホームに向かう。実際にホームに上がってみると、発車まで20分以上もあるのにすでに列車が待っていたので少し焦る。自由席1号車に乗り込んでみると二人がけのほうの窓際には空きが見つからなかったが、三人がけのほうは空きが多かったので適当な窓際を確保する。あとは4時間座っていれば東京まで帰してくれる。いつも言ってることだが、新幹線は偉大だ。

今日の旅程:
徳島(0710)→川西(0831) 2228D
川西(0839)→錦町(0938) 523D
錦町(0955)→岩国(1059) 528D
岩国(1110)→宮島口(1133) 1528M
宮島口(1151)→宮島(1201) JR西日本フェリー
宮島(1211)→宮島口(1218) 松大フェリー
広電宮島口(1228)→広島駅(1350) 広島電鉄
広島(1453)→東京(1853) 134A

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2019年5月 6日 (月)

山陰警備隊、西へ

今日は山陰本線を西へ。ただし目的は警備ではなく山陰本線非電化区間の制覇。
未乗区間を一覧表にして管理するようになったのはわりと最近だが、電化区間・非電化区間を問わず一続きの区間としての未乗区間の中で常に首位にあったのが、山陰本線の西端、江津以西だった。なにしろ、200キロを越える未乗区間はこれだけで、100キロ越えも3つだけ、しかも残り二つは北海道新幹線と九州新幹線だ。新幹線ならその気になれば乗車するのはそれほど難しくないだろう。しかし山陰本線のこのあたりは、残ってしまっただけあって東京からのアプローチが遠い。おまけに益田以西の山陰本線からは特急もなくなってしまった。
幸いこの時季は日が長い。東京よりずっと西にあるということもあって、日没は夜7時前後。日没前に終点まで乗り終えるためには、益田駅を午後早い時間に出る普通列車に乗る必要があるので、それに間に合う特急に乗ることにする。特急に乗るのはいいのだが、できれば海側の窓際に座りたい。山陰本線の特に西側は大部分海沿いを走る。具体的にはD席となるのだが、試しスーパーはくとの車中でネット検索してみると「D席のみ空きなし」という非常にわかりやすい結果。うーむ、やはり皆考えることは一緒か。鳥取駅についたとき、それから若桜鉄道から戻ってきたときにそれぞれ駅の券売機で調べてはみたものの、結果は同じ。幸い鳥取は始発駅なので、早めに行って自由席でD席を狙うしかないだろうといったん諦めて、その段階でホテルに入り、もう一度だけネット検索してみてから就寝。当日朝少し早めに行って万一のキャンセルがないか確認してそれも駄目だったら自由席に並ぼう、と決めて寝て起きた翌朝、ホテルのベッドの中でもう一度検索してみると、あるじゃん。
目的の列車、「スーパーおき」は3両編成で1・2号車が指定席なのだが、1号車の後端2列、車椅子用に片側が1列になっている個所、まるまる2列分6席が空いている。これはキャンセルがあったというより、そうした席を必要とする旅客のためにもともと一般向けの販売に乗せていなかったものを、当日朝になっても予約が入らなかったので一般向けに解放したのだろう。図らずも一人席となるD席を確保できた。一番後ろとそのひとつ前のどちらも選択できたのだが、一番後ろを予約する。
鳥取からキハ187系気動車3両編成の特急で山陰本線をひたすら西へ向かう。このあたり、鳥取-米子間は過去に2度ほど乗車したことがあるが、最初は雨、二度目は夜ということで景色がよく見えなかった。今回は昼間でしかも晴れ。席は右側窓際とこれ以上ない好条件だ。このあたりでは日本海はあまりよく見えない。それどころか、東郷池のまわりをぐるりと迂回していく。この池の水を全部抜くのはちょっと大変かもしれない。倉吉到着。鳥取県第4の都市の代表駅にしては周囲はあまり開けていない。実は倉吉の中心地は山陰本線からかなり離れていた。山陰本線が開通したときに倉吉駅として開業したが、ここから分岐する倉吉線が開通するにあたり、もっと市街地に近いところに倉吉駅が開業して当駅は上井と改称された。しかし山陰本線の倉吉市街最寄り駅としてはわかりづらいということになって、再度倉吉駅と改称し倉吉線上の倉吉駅は打吹駅と改称されたのだが、最終的に倉吉線が廃止されて本線上の倉吉駅だけが残ったのだ。ちなみに鳥取県に市は4つしかない。
因幡国から伯耆国に入ってくると、残雪をいただく伯耆大山が左手にみえてくる。地図をみるとよくわかるがこのあたりは大山の山麓で線路もぐるりと円を描いているので大山の相対的な方角があまり変わらない。左側から電化の伯備線が合流すると伯耆大山、そして米子到着。不思議なもので気動車に乗っていながら頭の上を架線が走っているかと思うと少し気分が萎える。安来、松江、出雲市と島根県を代表する駅に止まっていく。右手遠く、まさに上昇していく飛行機が見え、米子か出雲かと考えてみたがどうも出雲らしい。こんなに近くにふたつも空港が要るのかなあ、などと考えているうちに宍道湖の西端、出雲空港からちょうど離陸していく飛行機が見えた。この時期は便数が多いのだろう。出雲市の次、西出雲を出ると電化路線は終わる。左手に広がる出雲車両区に向かう線路には架線が張られているが、こちらの線路には架線はない。なぜか気分が高揚する。右手に海が見え始めるとやがて田儀駅。ここは数年前に土砂崩れがあって山陰本線が不通になり、その後復旧された新しい擁壁を横目に見ながら通過する。この先はしばらく海に沿って走る。
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大田市を過ぎ、江川(ごうがわ)を渡ると江津だ。かつて乗車した三江線の路盤が一瞬見えた。この先が未乗車区間となる。かつての特急「出雲」の終着駅である浜田を過ぎ、山陰線での撮影名所である三保三隅を通過する。岡見でかつての専用線跡を見つけられなかったのは残念だった。
益田で特急を下車し、跨線橋を渡って各駅停車に乗り換える。待っていたのはタラコ色のキハ40単行列車。発車直前とあって海側の席には座れなかった。山側のクロスシートに座る。車内の客層を見渡してみると、意外に観光客が多そうだ。目の前に座った一人旅の男性客も、向かいの席の女性グループも萩のガイドを見ているので、東萩まで行けばほとんどの旅客が入れ替わると踏んで堪え忍ぶ。予想は的中、東萩で首尾良く海側の席にありつぐが、しかしこの列車はあと1時間もかからず、長門市で終着となってしまう。長門市に到着、この駅では4方向に線路が出ている。これまでやってきた山陰本線の上り方面、下関方面、仙崎方面、そして美祢線の厚狭方面。列車を降りた旅客はほとんどが山陰本線の下関方面か美祢線の厚狭方面に乗り換える。しかし三十一はここでいったん改札を出る。途中下車印を切符に捺してもらい、駅前に出て下関方面に走って行くキハ40単行と、厚狭方面に走っていくキハ120を見送る。そして三十一はおもむろに仙崎方面に向けて歩き出す。山陰本線の枝線である長門市-仙崎間に乗車するためだ。当初の計画では、約1時間後に長門市駅を出る仙崎往きに乗って、そのまま折り返してくる予定だった。しかしそれでは仙崎駅での滞在時間は7分だけ、そして戻ってきてから3分の乗り継ぎで下関方面に向かう列車に乗り換えなくてはいけない。空き時間が多すぎるかと思えば余裕が少なすぎたりしてバランスが悪い。そこで思いついたのが、ひとつ仙崎までの2.2キロを歩いてみようと言うことだった。与えられた時間は1時間弱。港町で勾配はほとんどないようだし、地図を見てみると大きな通りをまっすぐいって一度曲がればいいらしい。曲がるところさえ間違えなければ迷う心配はないし、大きな道なので案内も出ているだろう。スマホの地図を開いて歩き出す。右手の方向に線路が走っているはずだが、目印となる架線柱がない非電化路線なのでよくわからない。ふと道沿いに立っている掲示板に目をやるとそこには某国首相の顔写真が。そういやこのへんが地盤でしたね。ロシアの大統領もこの道を歩いたのかな。駅を出てから25分ほどで無事に仙崎駅に到着。
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しばらく駅構内をうろうろしているとキハ120の列車がやってきた。
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前方が見える席に座って長門市に向かう。あれだけ暑い思いをして歩いた区間も列車に乗ればあっという間だ。鉄道は偉大だなあ。
長門市でまたもや跨線橋を渡り、キハ40の列車に乗り換える。乗り継ぎ時間は3分しかないので海側どころかクロスシートにも座れず、ロングシートの一隅に座る。さきほどの列車と違って一見して観光客とわかるような乗客はいない。地元客ばかりだと予想が難しいなあ。二駅目、長門古市で山側のクロスシート席に移る。右手には油谷湾。かつて聯合艦隊も碇泊したと伝わる大きな湾だ。阿川で海側に移り、難読駅として有名な特牛(こっとい)を過ぎて長門二見で再び海沿いに。このあたりでは線路はほぼ真南に向かって走っており、つまりは車窓がまともに西を向いているということだ。すでに夕方5時をすぎ、日没までまだ多少あるにしてもかなり日は傾いている。
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小串で再度乗り換え。屋根のない跨線橋を渡ってキハ47の二両編成に乗り換える。おそらくこの先は下関市街地と往復する旅客が多いので二両編成にしているのだろう。列車の区間を短く設定してそれぞれの区間に適した車両を投入し、乗り継ぎを短くするというやり方自体に異論はないが、乗り継ぎのたびに跨線橋を上り下りさせられるのはもう少しどうにかならないものか。吉見をすぎたあたりからはだいぶ市街地らしく建物が建て込んでおり、駅の間隔も短くなってきた。左側から複線電化の山陽本線が合流してきて、山陰本線は山陽本線の上下線の間に入り込み、左手に車両区が見えてくる。あの茶色の旧型国電は小野田線を走っていたやつかなあ。放置されてだいぶ痛んでいるようだ。幡生に到着、これで山陰本線を全線制覇。ここで山陽本線に乗り換える。新下関から山陽新幹線「こだま」に乗り換え、今日の宿営地である徳山へ。700系の「ひかりレールスター」だ。この車両に乗るのは初めてだけど、座り心地いいなこの車両。

今日の旅程:
鳥取(0944)→益田(1324) 3003D
益田(1328)→長門市(1517) 1571D
長門市(1522)→仙崎(1548) 徒歩
仙崎(1627)→長門市(1631) 716D
長門市(1634)→小串(1749) 973D
小串(1753)→幡生(1830) 887D
幡生(1833)→新下関(1837) 3360M
新下関(1909)→徳山(1949) 760A

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2019年5月 5日 (日)

若桜ゆえ

今年のGWではまず智頭急行と若桜鉄道。5年前だったか、山陰地方中部を集中的に乗り潰したときに、この両線だけは残してしまった。智頭急行は関西から鳥取に行くときのメインルートで、若桜鉄道はその途中から枝分かれするため、比較的スケジュールを組むのは容易(ほかの、例えば木次線と比べての話だが)だと判断して後まわしにしていた。しかし東海地方より東の非電化区間をほとんど乗り潰してしまった今となっては、智頭急行線56キロの未乗車はかなり目立つ。このルートを潰せば、山陰地方の東部中部はほぼクリアとなるのだ。
とは言いながら、このルートの優先順位がもっとも高いというわけではない。いくつもある計画のひとつでしかない。それがどうして実際に出撃することになったかと言えば、GWの真ん中にたまたま宿がとれたからである。実のところ、空き部屋を見つけたときにはかなり悩んだ。混雑必至の連休にそこまでする必要があるだろうか。しかしこういうのは勢いだ。連休が終わるまでにはまだ少し間があるので、多少の無理はきくだろう。というわけで、GWに入る1週間前になってホテルを予約し日程が決まる。この時点では1泊2日の予定だった。しかしその数日後、駄目で元元、翌日のホテルを探してみるとなんと予約できてしまった。こうしてなし崩し的に2泊3日の予定が確定。

平成も差し迫った昭和の日に、最寄り駅で切符を買う。ちょっと面倒な経路なのであらかじめルートを紙に書いて持って行く。そのおかげで説明はそれほどしなくて済んだが、窓口のお兄さんも「こんな切符作ったの初めて」と言われてしまった。まあそうだろうね。

朝8時台前半の新幹線で新大阪へ。そこからさらに乗り継いでHOT7000系の「スーパーはくと」で鳥取に向かう。できれば始発の京都から乗り継いで「はくと」は自由席にしたかったのだが、多少なりとも朝余裕を持ちたかったので新大阪乗り継ぎにして、そのかわり指定席をとるようにした。窓際がとれなかったのだが、HOT7000は窓が大きく外を見るのにあまり不便を感じなかった。さらに客室前方の壁面に前方展望の映像を流している。
新大阪から大阪、三宮、明石、姫路を経て上郡へ。このあたり、意外と山が近い。というか、東京にいると山が遠いのだ。姫路を過ぎると景色はすっかり山中。山陽本線では瀬野八につぐ勾配区間で、かつてこのあたりにはスイッチバックの信号場がいくつもあった。それでもせいぜい10パーミルくらいだったはずだ。上郡から非電化の智頭急行線に入り、乗務員も替わる。上郡駅の中線から高架に上がって上り線をまたぎ越し、右にカーブして智頭急行線に入っていく。線路脇の架線柱が見えなくなり、非電化路線に入ったことがわかる。やがてトンネル。この先はトンネルが多い。佐用で姫新線と合流してまたすぐ分かれる。離れていく姫新線の線路を見て、いずれまた遠くない将来に乗りに来ようと決意を新たにする。智頭急行線は兵庫県の上郡と、鳥取方面を結んでいるが途中で岡山県を通っている。岡山県東北端の山間部に住民の足となる鉄道を敷くという意味もあり、智頭急行には岡山県も出資している。さらに一山越えて鳥取県へ。長いトンネルをぬけると大きく右カーブして因美線と合流。かつてはむこうの線路からこっちの線路がカーブしていくのを見送ったものだが。智頭、郡家ととまって高架にのぼり鳥取駅に到着。
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いったん改札を出て、自動販売機で若桜までの連絡きっぷを購入、ふたたび改札を入る。素直に考えると、特急を郡家で降りて若桜行きに乗り継ぐのが順当で、実際当初の計画ではそうなっていたのだが、調べ直してみるとこの若桜行きは鳥取始発で、特急で鳥取まで来ても充分間に合う。郡家で1時間待つか、鳥取で30分待つか。郡家で時間を潰すのはなかなか難しそうだ。
今回失敗したと思ったのは、荷物の中に小さい鞄を入れてこなかったことだ。荷物の大部分をロッカーにぶちこんで軽装で動くということができない。しかたないので全ての荷物を抱えた状態で若桜まで往復することにする。鳥取駅で待っていたのは若桜鉄道の、いかにもレトロ風の2両編成。
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内装は一見してファミレスのようだ。行楽客と高校生が入り混じって一種独特な車内の雰囲気だ。さっき通ってきた路線を逆戻りして、郡家から若桜鉄道にはいる。旧国鉄若桜線、現若桜鉄道は山間部を走る路線のわりには勾配は緩く、曲線もきつくない。川沿い、街道沿いにほぼ並行して宿場町の若桜まで走る。ただ最後、若桜駅の手前で大きく山を迂回して走る大カーブがある。終着の若桜駅には若桜鉄道の本社と車両基地があり、ターンテーブルとピンク一色に塗られたC12機関車が。
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はじめの予定では10分で折り返すつもりだったが、1時間待った次の列車にする。郡家で潰せないと踏んだ1時間が、若桜なら潰せるのだろうかという疑問はあるが、駅前を歩いていると若桜神社という案内をみつけたので行ってみる。
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入口にはわりとすぐたどり着いたのだが、本殿は階段のはるか上にあるようなので諦めて駅に戻る。駅に戻ってみると次の列車がもう入っていた。まだ誰も乗車していないようなので、最前列を占領して発車を待つ。戻りの列車では交換待ちによる長時間停車が複数回あって、往きよりもかなり時間がかかった。

 

本日の旅程:
東京(0800)→新大阪(1033) 207A
新大阪(1118)→鳥取(1351) 55D
鳥取(1422)→若桜(1509) 1337D
若桜(1613)→鳥取(1709) 1342D

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