天皇機関説
厚生労働大臣が女性を「子供を産む装置」と発言したことが物議を醸している。三十一はこの発言自体がそれほど問題だとも思わない。最初にニュースでこの話を聞いたときに実際に話をしている映像を見たのだが、伝えられている部分だけを切り取ると問題発言に見えるけれど全体の文脈を見ればそれほど問題とは思えない。
とは言え、三十一には別にこの大臣をかばう義理はないし、不用意な発言で攻撃材料を提供してしまったことは確かだからある程度自業自得の部分があると思う。
ところで、この騒動について考えているうちにもうひとつの騒動を思い出した。思い出したといっても書物の中で読んだだけなのだが、その騒動というのが戦前の「天皇機関説騒動」である。天皇を「機関」とした法学上の学説が「不敬」として批判され、機関説論者の美濃部博士が貴族院議員を辞職せざるを得なくなったという、通常の文脈では戦前に自由な学問が抑圧されて皇国史観一色に染まっていく象徴的な事件とされている。
今回の「女性装置説」批判は、この「天皇機関説」批判と構造がそっくりである。例えば「天皇機関説」を見てみると、国家統治というシステムの中で「天皇」が果たしている機能を考えるときには天皇をひとつの「機関」と考えるのが妥当である、というものであろう。これは天皇の神聖さとか権威といったこととは全く関係なく、むしろ純粋に「天皇」の機能を考えるためにはそういった要素が邪魔になるので、あえてそういう部分を抽象化して考えると天皇もひとつの「機関」になる。こういった抽象化では、当然のことながら細かいことが見えにくくなる。しかしそのことによって逆に本質が浮き彫りになってくる。ここでいう本質というのは、国家統治システムの機能を分析するという目的における天皇という存在の本質であって、神聖不可侵だとか万世一系だとかいうご託宣は検討の対象にはならないのである。そういったものが「ない」と言っているわけではなく、それは単に「別の話だ」と言うのに過ぎない。
しかし「天皇機関説」排撃論者は「神聖不可侵な」天皇を「機関」扱いするのはけしからん、と故意かそれとも本気だったのかわからないが本来別のレベルの話をごっちゃにして批判して言論を封殺したのである。
ここまでの説明の本筋を変えずに、単語を少し変えてやるとそのまんま「女性装置説」批判の話になることがわかるんじゃないかな。
ところで、この大臣は「結婚して子供を二人以上もつという健全な願望」と発言してまたまた物議を醸した。問題になった「健全」は「願望」にかかるはずなので三十一はこれも大した問題じゃないと思ってはいるが、「健全」「不健全」という価値判断をア・プリオリに普遍的なものと考えているふしがあってそこがちょっとひっかかる。そもそも「不健全ですけど、なにか? 」という人には効果がない。世の中には「健全でありたい」という願望を持たない人もいるんだということを理解するべきだろう。実は三十一もそうかもしれない。
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