2007年11月 1日 (木)

バタデンと神社

今夜の夜行列車で東京に帰ることにする。理由は明白で、NFLの録画予約が明日の昼のぶんまでしかできていないためだ。夕方からのぶんは、ケーブルテレビのチューナーの予約が満杯で予約しきれなかった。まあ、頃合いかもしれない。そろそろ体力的にも辛くなってきた。

今日も今日とて、さらにさらに起床が遅くなっている。ホテルを出、松江駅のコインロッカーに荷物を放り込む。かぎをしめ、小銭入れをポーチにしまって変なことに気づく。今夜の帰りの指定券がないぞ。昨日買ったあと、このポーチにしまったはずなのだがなあ。そういえば、今朝の荷造りのときに細かいパンフレット類を旅行鞄の中に突っ込んだ記憶がある。さてはあの中に紛れたか。確認しようにも、もう鞄はロッカーの中。それだけのために閉めたばかりのロッカーを開けるのは馬鹿馬鹿しすぎる。部屋を出るときに指差確認したから、ホテルに忘れてるってことはまずないはずだ。ここは予定通り行動して、戻ってきたときに確認しよう。少し早めに戻ってきて、もし見つからなかったらそのときに対策を講じればいい。

ある意味では今回の旅のメインエベントになる一畑電車を今日一日で全線走破する。先日の銚子電鉄に続く地方ローカル私鉄の旅だ。縁起でもない言い方になるが「なくなる前に乗っておこう」というものである。「くりでん」と「鹿島鉄道」は乗り損ねたしなあ。松江駅前からバスに乗って、一畑電車の始発駅「松江しんじ湖温泉」へ。昨日、循環バスの上からこの駅は見ているのだが、改めて駅の写真をとる。ところが、次の電車まで20分近くあるのだ。今回もってきた「小型全国時刻表」にも、こちらで買った地域版の時刻表にも、一畑電車のダイヤは掲載されていない。昨日のうちにネットで調べておこうと思っていたのだが、睡魔に負けて寝てしまった。だいたい、今朝は咳が止まらず体調最悪。今日が最終日でよかった。

二両編成のワンマン電車はたぶん西武か東急あたりのお古だろう。始発駅を発車した電車はすぐ宍道湖の北岸に出る。対岸には山陰本線が走っているはずだが、はるかにかすんでとても見えない。宍道湖の景色にも飽きてきて、持参の文庫本など読んでいるうちに気づけば一畑口に着こうとしていた。この一畑口では進行方向が変わる。と言っても、これまでほぼ真西に向かって走っていた列車が北向きに進路を変えたかと思うと、そこが一畑口の駅になり、そこから南に向かって発車した列車はまたもや真西に向かって走り始める。これはかつて一畑口から北に向かって一畑薬師まで線路がつながっていた名残だが、ずいぶん昔にこの路線は廃止されてしまった。しかし今日も相変わらずここで向きを変えているのである。このあたりから宍道湖はほとんど見えなくなった。雲州平田を経て、出雲大社方面への分岐駅である川跡(かわと)に到着。これまで乗ってきた電車はそのまま終点の出雲市へ向かう。しかし、一畑電車で始発の松江から終点の出雲市まで乗り通す人はいるのかなあ。支線になる川跡~出雲大社前の間は基本的にピストン運転らしい。ここで三十一と一緒に乗り換えたのはほぼ全員が出雲大社を目当ての観光客に見受けられる。乗っていたのは10分ほどだろうか、出雲大社前に到着。

帰りの電車の時刻を確認しておいて、出雲大社方面に歩き出す。のんびり歩いても10分ほどで境内へ。そこから拝殿や本殿といった主要建造物まではさらに10分。この参道の砂利道はきれいに掃かれていて歩きやすいなあと思ったら、よく見たら下にマットが敷いてあるんでした。拝殿が見えてきたところで、太鼓や笛の音が聞こえてきた。どうもお祓いをしているようだ。ちなみに三十一は神社に来ても普通参拝はしない。それなりの礼儀は払うが、自己の良心に反することはしたくない。形だけの参拝はかえって不誠実だとも思う。上着のポケットから何かの時のお釣りだった小銭が出てきたので、それを賽銭箱に放り込む。礼も拍手もせずただ放り込むだけだ。宗教心はないが、こういった歴史的施設の維持費の足しになればいいと思うので、参拝しないこととは矛盾しない。本殿の遷宮のための浄財をつのっていたのに、幾らか払ってもいいとすら思ったくらいだ。一口千円と言われたのでやめたけど。しばらく拝殿を眺めていて、そういや肝心の本殿はこの後ろのはずだなあと思いついた。ここからでは見えなかったので気づいていなかったのである。裏に回ると本殿が見えた。本殿そのものは塀で囲まれていて、さらに手前に別の建物があるのかわずかに屋根が見えるくらいである。これじゃあなあと思ったけど、後ろにまわったほうがよく見えるかもしれないと塀の周りを一周すると、明らかに横とか後ろのほうが見やすい。あまり同じことをしてる人はいないけど。

その後、少し離れたところのバスターミナルに行ったのは、あわよくば日御碕神社まで足を伸ばそうと思ったからだけど、バスの本数がかなり少ないので断念した。少し時間があまったので、出雲大社の反対側にある古代出雲歴史博物館なる施設を見物することにした。あまり期待していなかったのだが、思ったよりも面白く、出雲大社本体よりも長い時間滞在していたようだ。その後、出雲そばなど食してから一畑電車の駅に戻り、いったん川跡まで戻ってから今度は電鉄出雲市方面の電車に乗り込む。川跡駅では両方向の電車に乗り継げるようにダイヤが組まれており、従って必然的にここで本線の電車がすれ違うことになる。つまり一時的に3本の電車が並ぶことになるわけだ。15分ほどで電鉄出雲市に到着。おそらくJRの出雲市が高架化するのに併せて一畑電車の駅も高架になったのだろう。一畑電車だけが地平で残ってたんじゃ効果が少ないからなあ。おかげでローカル私鉄には分不相応なくらい近代的な高架駅になっている。果たして誰が金を出したのやら。たぶん自治体だろうな。

一畑電車の駅とJRの駅は少し離れている。予定では一番近い特急やくもで松江に戻るはずだったのだが、どうも怪しげなアナウンスが聞こえる。やくもに乗る乗客は快速で松江まで行って乗り継げ、という内容だ。何があった? 駅でアナウンスを聞いてみると、どうも岡山あたりで事故があったらしく、伯備線のダイヤが大きく乱れていて折り返し上りやくもになるはずの下り列車が松江で打ち切られることになったようだ。出雲市で折り返す代わりに松江で折り返して、少しでも遅れを回復しようというのだろう。駅は少し混乱している。6両編成の特急に乗るはずだった乗客が2両編成の快速に流れたのだがら、座席はあっという間に埋まってしまった。三十一自身はどうしてもこの列車でなくてはいけないということでもないので、次の特急を待つという選択肢がないわけでもなかったが、この調子だと「次の特急」なんてものが予定通り来るかどうかもわからない。仕方ないので同じ快速に乗り込んだ。実はこの列車は、昨日宍道からの帰りに乗ったのと同じ列車なのだ。二日つづけて同じ列車に乗るのも芸がないと思ったので、やくもで戻る予定にしてたのだがなあ。結局この列車では、松江に着くまで立ち通しになった。

松江に着いてまずしたことは、コインロッカーから荷物を取り出して切符の確認。あったあった。これで東京まで帰れる。さて、帰りの列車が出るまでの3時間ほどどうやって時間を潰そう。まず考えたのは、どこかに本屋がないかということ。それなりの本屋があれば1時間や2時間は簡単に時間を潰せる自信(何の自信だ)があるし、帰りの列車の中で読む本を入手することもできるだろう。ところが、少し歩き回ってみたものの松江駅前にはそれなりの書店というのがないらしい。まったく書店がないわけではないけどね。駅前のデパートにも入ってみたが、書店はなかった。旅行で地方都市を訪れるたびに思うんだが、本屋のない街でよく生きていけるね。

結局本屋はあきらめ、イートインのベーカリーでサンドイッチとお茶の簡単な夕食。これは時間つぶしを兼ねているのだ。頃合いを見計らって土産物と列車の中で消費する飲み物と明日の簡単な朝食を仕入れ、ホームに上がって待つことしばし。登場したときから一度乗ってみたいと思っていた285系寝台電車、サンライズ出雲が到着。しかし残念なことに到着直前にまたもやデジカメの電池切れ。うーむ、しかしどうせ夜だからフラッシュなしじゃブレるしなあ。列車に向かってフラッシュをたくのはマナー違反以前に危険なのでやめましょう。与えられた個室は最後尾1号車の上段右側。これまで何度か個室寝台は使ったけど、上段は初めてだ。おなじく上下段になっている北斗星などのB寝台とこのサンライズが違うのは、上段下段それぞれ独立した廊下になっているということ。最近東京近郊でよく見る二階建てグリーン車と似た構造だ。従って室内に階段はない。検札が済んだところで部屋に鍵をかけ、着替えてくつろぐ。だけどこの状態だと外から丸見えのはずである。

サンライズのシングルは窓が幅広く、上下もそれなりに高い。非常に見晴らしがいい。しかし窓から外を見るためには、ベッドに座り込んで窓にもたれるしかない。長時間はつらい。いずれにせよ、外が真っ暗でとても景色なんて見れたものではない。窓ガラスがまるで鏡のようである。このままではせっかくの景色が宝の持ち腐れなので、室内の電灯を消してみる。これで外の景色が比較的よく見えるようになったが、そこまでしても外は真っ暗。なんだかんだ言って、日本の地方ってこんなもんだよなあ。やがて米子着。そういや、米子の少し手前に転車台があったけど、あれは生きてるのかなあ。すれ違いざまに見たかぎりでは、扇形車庫はからっぽ。使われていないようだ。米子でけっこう乗客が乗り込んでくる。松江で乗ったときには1両に5人くらいしか乗ってなかったから心配してたんだが。このあたりで6分遅れ。米子を出て少ししたところで日野川を鉄橋でわたる。ちょうど向かい側の下り線をEF64が牽引する貨物列車が走っていった。それほど長い編成ではないが、少なくとも連結されていたコンテナ車はほぼ満車。喜ばしいことだ。伯耆大山から右に曲がって伯備線に入る。伯備線はもちろん初めてだ。なんとなくだが、山陰本線と比べてスピードが落ちたような気がする。これまでにもまして窓の外は暗くなってきて、かなり目をこらしても景色が見づらい。しかし、かすかに目にとまった景色は、山あり渓谷ありとかなりバラエティに富んでいるようだ。やっぱり昼間に景色を見ながら通りたいなあ。やがて目に入った山中の小駅は果たしてどのあたりかと時刻表を見ると、島根県最後の駅であった。そこで改めて前方を見るとやがてトンネルに突入し、抜けたところは岡山県だ。備中神代では芸備線用と見られるディーゼルカーを見かけ、次の布原駅では下りやくもとすれ違う。このへんはSL時代の有名な撮影地で、夜に車中から見ても険しい地形が見てとれる。新見に到着したころには10分ほど遅れていた。この後はほぼ10分の遅れを保ったまま備中高梁を通過して倉敷から山陽本線に入り、岡山到着。岡山でサンライズ瀬戸と併結され、東京に向けて走り出したのもやはり10分遅れだった。その後上郡、姫路、三宮と停まっていく頃には日付が変わる。明日は東京着7時過ぎということなので、1時前には床につく。そうそう、個室内には「シェーバー専用」と注記のあるコンセントが装備されていたので、シェーバーじゃないけどデジカメを充電しておいた。寝る直前に室内の写真を何葉か。

いったん5時頃に目が覚めたがその後また二度寝して6時過ぎ、横浜到着前に放送で起こされる。外はもう明るい。片づけなどしてるうちに横浜に到着。夜中に遅れを取り戻したらしく、定時だった。しかし誰かが非常装置をいたずらしたとのことで発車は1分遅れた。東京到着もそのまま1分遅れ。荷物をかかえて通路に出ると、スーツ姿のビジネスマンがけっこう乗っていた。意外に使われているのかなあ。確かに、米子あたりを午後8時に出て、東京に朝7時には着けるのだから使いようによっては便利だろう。個室というのもあるだろうけど、やっぱり寝台列車も工夫次第でそれなりに需要は喚起できるのだよ。
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昨日から今日の旅程:
松江しんじ湖温泉(1031)→川跡(1119) 一畑電車312
川跡(1120)→出雲大社前(1131) 一畑電車14
出雲大社前(1455)→川跡(1506) 一畑電車19
川跡(1511)→電鉄出雲市(1518) 一畑電車320
出雲市(1530)→松江(1608) 3454D
松江(1931)→東京(0708) 4032M~5032M

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2007年10月30日 (火)

ふたたびの城

なんだかだんだん起床が遅くなっている気がする。朝食をとって部屋にもどったら9時をまわっていた。米子駅の改札を入ったら、目の前でDE10が入れ換えをしていて慌ててカメラを構える。入れ換えてるのは何かの客車かなあと思ったが、よく見たらキハ181系の特急気動車だった。キハ181とキハ180の2両を引っ張っている。この説明でわかるひとはわかるだろうが、要するに片側はアタマがない状態なのだ。どうするんだろうと思って見ていたら、やがて牽機のDE10は離れていってしまい、そのうち片方にしか運転台のない2両編成は、運転台のほうを先頭にして(当たり前だ)走り去っていった。どういうことなんだろうなあ。バックできないから、その間だけDE10のお世話になったってことかな。

ついでにすぐ側にとまっていたEF64もカメラに収めたりしているうちに、下り列車がやってくる。岡山からやってきた「やくも1号」だ。381系も登場して30年以上になるけれど、三十一が乗車するのは初めてである。米子から松江まで、ほんの30分にも満たない間の乗車時間というのが少し残念なくらいだ。はじめは中海の海岸べりを走っていた線路だが、松江が近づくと宍道湖につながる大橋川が見えてくる。昨日の境水道を思い出すなあ。
松江駅も鳥取と同じ高架になっており、近代的ではあるが味気ない。

昨日の鳥取と同じく、松江にも循環バスがある。しかしこちらは一回200円で、観光客向けのコースだ。10分ほどで松江城の大手門前に到着。松江城は、市内の山に築かれたとはいうものの標高差はせいぜい数10メートル。外様の雄池田氏の居城であった鳥取城と違って、親藩の松平家が長らく支配した出雲松江城は実質的には平城と言っていいだろう。松江城の最大の特徴は山陰地方で唯一天守閣が現存していることだ。鳥取城なんぞ、江戸時代初期に天守閣が焼失して以後再建されなかったというのに。

二日つづけて城を見ているからどうしても比較してしまうが、まったく違う構造をもつ城を単純に比較してもしょうがない。とにかく本丸までのぼって下から天守閣を見上げる。中に入れるらしいのだが金が必要らしい。そこまでして高いところに昇りたいと思うほど馬鹿ではないと思うので昇らない。上がってきたのとは反対の本丸北門から降り、内堀の中に建てられている護国神社と稲荷社をのぞいてお堀端に出てくる。ところで、この神社の鳥居の前に建っている住宅はいったい何なんだろう。お城の中ですぜ。この神社の神職かなあ。

内堀のすぐ外側に建っている小泉八雲記念館、小泉八雲旧居、そして武家屋敷などをやはり外からみて、また循環バスを捕まえて駅前に戻ってきた。もう少し見所があるかと思ったのだが、三十一的にはもうおなかいっぱい。ちょうど昼を過ぎたくらいだが、午後をどうしよう。ここはやはり昨日思いついた計画を実行するか。周遊きっぷ「山陰ゾーン」にはバス路線も含まれているが、鉄道路線はJR山陰本線の鳥取~出雲市、境線・米子~境港、伯備線・伯耆大山~根雨、木次線・宍道~木次、そして一畑電車の全線。この中で当初から乗車する予定がなかったのは木次線である。この際だからここを乗り潰してしまおうというのがその計画である。

快速アクアライナーで宍道へ。この列車は益田までいく特急補完列車なのだが、30分ほどで下車。隣のホームにキハ120気動車が待っているので乗り換える。ぼつぼつ高校生が見えるなあ。正直、行きは半分くらい眠っていた。松江城に昇るのでもけっこう疲れたのである。最近体力がないなあ。40分ほどで木次に到着。走り去っていくディーゼルカーを見送り、改札を出て駅舎の写真を撮ったりしているうちに、ホームにすべりこんできたのは「トロッコ奥出雲おろち」であった。そうだった、ひょっとしたら見られるかもと思っていながら、今の今まで忘れていた。乗客がみんな降りていってしまったタイミングを見計らって、改札の中に入って写真を撮る。お仲間数名。
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駅のすぐ横にある木次鉄道部の基地に引き揚げたすぐあとに、宍道に向かう列車が入ってくる。今度はゆっくり車窓外を眺める。これまた懐かしい日本の田舎だなあ。一昨日見てきた先祖の地を思い出す。宍道に戻ってきてまたもやアクアライナーで松江に戻ってくる。途中、宍道湖畔を走っている。このあたりは電化と複線化という改善を経ているが、そのせいだろうが上下線がときどき大きく離れる。東北本線あたりでも見る線形だ。

松江に戻ってきて、そろそろ戻りの切符を確保しておいたほうがよかろうということで指定席を確保する。もし予定していた切符がとれなかったら、明日の行動に少し修正が必要になるところだったが、これでまるまる一日確保できた。

今日の旅程:
米子(0957)→松江(1020) 1011M
松江(1342)→宍道(1405) 3455D
宍道(1416)→木次(1454) 1449D
木次(1511)→宍道(1545) 1454D
宍道(1549)→松江(1610) 3454D

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2007年10月29日 (月)

城と海

今朝は昨日よりもっと遅く目が覚めた。今日は旅程に余裕があるだけに、切迫感がないのだろう。実は、余裕があるどころの話ではなく、今夜は米子に泊まるという以外何も決まってないのだ。鳥取から米子までは特急で1時間弱。その他はまるまる空白なのである。本来なら(普通の観光客なら)鳥取を訪れればまず砂丘、というところなのだろうがそこは三十一のすることである。砂丘に行って自分が何をするかまったく想像できない。つまり行って見たいものなどないということだ。天気もよくないし、違った方向で考えよう。ひとつ目についたのが、街の北にそびえる鳥取城である。石垣以外何も残ってないようだが、池田家が長年因幡伯耆両国を支配した拠点だけあって、それなりの規模はあるだろう。さて、では駅からどうやって城まで行くか。タクシーかバスかそれとも歩きか。駅の観光案内所でバス路線を研究していたら、100円循環バスというのがあって、このうち1系統で城のすぐ下までいけるらしい。20分に一本という比較的頻度の高い運転をしているそうなので、これで行って帰ってくるのがよかろう。

バスに20分ほど揺られて城跡の公園前で降りる。降りた目の前がすでに堀になっていた。左手は県立博物館、右手はかつて大正天皇が皇太子時代に鳥取を行啓したときに宿舎として建造されたという瀟洒な仁風閣。しかし今日は月曜とあってどちらも休館。しょうがないので城跡を登りはじめる。来てみてわかったのだが、鳥取城は平山城で、主要部分は平地からそれほど高い位置にあるわけではないが、背後は標高差200メートルはくだらないと思われる山を背負っており、その山頂に山上丸という最終防衛拠点が置かれていた。とりあえず二の丸まで登り、さらにその上の山上丸に向かう登山道に挑戦したが、これがかなり本格的な登山道で早々にリタイア。しかし二の丸からでも鳥取の市街地が一望できて、池田のお殿様はこんな気分だったのかなあと思う。
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ちなみにすぐ下に見えるのが仁風閣。

景色を堪能して下山し、またもや循環バスに乗って駅にもどってきたのは昼前。昼食を求めて放浪しているうちに雨がぽつりと降ってきた。雨だという予報も砂丘に足を向かわせなかった一因だ。
1時過ぎころ、乗る予定の列車には少し早いがホームにあがる。ちょうどそのくらいの時間に「スーパーはくと」が入ってくるからだ。HOT7000系で運転される「スーパーはくと」は東京にいてはお目にかかれない。今回、乗車する予定はないがせっかくだから実物だけでも見ておきたい。そうこうしているうちに若桜鉄道からの直通車両が入ってきた。4本ある鳥取駅のホームのうち、1番線にはHOT7000系のスーパーはくと、2番線にはローカルのキハ47、3番線にはこれから乗り込むキハ187系のスーパーおき、そして4番線には若桜鉄道の「さくら4号」。すべてのホームが埋まることがあるなんて思っていなかったのでちょっと意外だった。思わず記念写真を撮ってしまう。
スーパーおきでは進行方向右側、つまり海側に席を占める。もっとも、どの程度海を眺めることができるかわからないが。JR西日本が誇る(と三十一が勝手に思っている)キハ187系振り子気動車のスーパーおきは、このあと5時間かけて長駆、新山口まで走るが、三十一は1時間ほど乗るだけで米子で降りてしまう。スーパーおきの走りはかなりきびきびしていて小気味良い。昨日乗っていたキハ47とは大違いだ。比べるほうが間違っているけれど。並行する国道9号線を走る自動車を次々に追い抜いていく。実に気分がいい。昨日は逆に抜かれてたからなあ。天気予報通り、雨が降ってくる。しかしそれほど激しい雨ではなさそうだ。伯耆大山で電化された伯備線と合流して、やがて米子着。

当初考えていたよりも鳥取で時間を食わなかったので、このまま境線で境港まで足を伸ばす。できたら米子で荷物をコインロッカーに預けていきたかったんだが、乗り継ぎ時間が短かかったのでそのまま荷物をかかえて境線に乗りこむ。大篠津では、すぐ上を米子空港に着陸する旅客機が通り過ぎていく。おお、駅から駐機場のエアバスがよく見えるぞ。よく見えるどころの話ではない、境線は米子空港の滑走路延長のためにやがて迂回させられることになるのだ。だったらどうせのこと、米子空港と駅を直結して境線を空港アクセス鉄道にすればいいのになあ。

境港に到着して、すぐそばに見える港へ。境水道を挟んで向かい側には美保関半島の山がそびえている。山陰地方でも有数の港湾である境港には海上保安庁の基地があるんだが、巡視船岸壁は空っぽ。すべて出払っているらしい。あとでニュースで知ったのだが、ちょうど不審船対策の合同訓練があって、それに参加していたようだ。思ったよりも見るべきものがないので早々に引き返す。境港駅を出てすぐ、右手に更地が見えたのだが、えーと、地面の一部が黒く焦げてないか? そういや、境線沿線で火事があったってニュースがなかったかな。次の駅で大量の高校生が乗り込んでくる。しまった、そんな時間帯か。次の駅でもほぼ同数の高校生が乗ってきて車内は非常にやかましい。しかし、午前中の鳥取城登山未遂の疲れが出たのか、そのやかましさに睡魔が勝ってしまう。起きたり意識を失ったりをくり返しているうちに米子に到着。

米子で列車を降りると、ホームの向こう側に見える側線にDE15が停車していた。米子はまだ地平駅で、ホーム脇に側線が何本もひかれているという近頃珍しい構造の駅だ。ホームからDE15のショットを狙おうとデジカメを構えていたら、目の前のホームに列車が入ってくる模様である。近づいてくるのは、どうやら客車だ。いわゆるジョイフルトレインで、先頭にみえるサインによると「サロンカーなにわ」である。そう、先頭が客車ということは推進で進入してきたのだ。米子駅自体は電化されているけれど、普段JR西日本の客車列車はないから、ひょっとしたら・・・という期待通り、牽引(推進)機はDD51であった。DD511186。何枚か撮影したところで、跨線橋をわたって反対側のホームに移る。足回りを含めて写真を撮るためである。ふと見ればえらくごっついカメラを構えた男性が何人か見受けられる。鉄ですな。この団臨が鳥取方面に(あるいは岡山方面に)去っていくのを見送ったあと、改札を出てホテルへ。

今日の旅程:
鳥取(1334)→米子(1431) 1005D
米子(1437)→境港(1520) 1657D
境港(1608)→米子(1649) 1662D

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2007年10月28日 (日)

先祖の地

目が覚めて外を見ると昨日とはうって変わった青空。時計を見るとすでに8時だった。昨日2時には寝たのにたっぷり寝てしまった。熟睡できたかどうかはまた別だけど。
ホテルの朝食をとり、荷造りをしてチェックアウトしたのは9時を少し回ったころ。すぐ側の駅に向かい、コインロッカーに荷物を放り込んでタクシー乗り場へ。「海軍記念館」というと「総監部の?」 話がはやいなあ。さすが海軍の街。それどころではない、今日はアメリカの「イージス艦」が入港しているという情報を教えてくれる。ははあ、昨日駅前でアメリカ人らしい若い男のグループを見かけて「もしや」と思っていたのは正解だったようだ。

駅から総監部まではメーター1100円。何年か前に大湊でも似たような施設を訪れたことがあるのだが、ほとんど同じような印象だ。正門のところで「記念館を見学したい」と申し出ると代表者の名前と住所を記載させられて「そっちの道をあがったところの緑の屋根の建物だから」えーと、ああ、これか。展示物ははっきり言ってたいしたことなかった。いや、それなりの人にはそれなりの感慨をもたらすのかもしれないが、正直あまり新しい情報がなかったのだよ。唯一興味を引かれたのが佐久間艇長の遺書かなあ。でも舞鶴と佐久間艇長はあまり関係がない。

30分そこそこで記念館をあとにする。いちおうカメラももっていったのだがまったく使わなかった。総監部のほぼ真向かいが桟橋になっている。道路を渡るためにのぼった歩道橋から実によく見えた。あれが「アメリカのイージス艦」だな。アーレイバークかと予測していたのだが、タイコンデロガ級でした。どうみても一般人と思われる風体の見学者が見えるので、中に入れるのかなと思っていってみたら、やはり入れるらしい。米艦の近くには寄れなかったが、艦尾方向から眺めることができた。シャイローですな。自衛艦には、乗艦はできないがすぐそばから観察できる。16DD「ひゅうが」が竣工したらお役ご免となる「はるな」がまず目につく。ペンキ臭いなあと思っていたら艦尾で塗粧作業中でした。
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あとは「はまゆき」「あぶくま」、それから対岸の岸壁上に「すずなみ」。さらにミサイル艇「はやぶさ」「わかたか」「うみたか」。これらミサイル艇の艦尾ウォータージェットの構造は実に興味深かった。これは是非カメラに収めねばとデジカメを構えたらなんとバッテリー切れ。げげ、なんでこんな絶妙なタイミングで。充電器は東舞鶴駅のコインロッカーの中。憮然。

まあそれでも久しぶりに実物の軍艦を目にして気持ちはリフレッシュした。これだけでもここまで足を伸ばした甲斐があったものだ。横須賀でもよかったような気がしなくもないけれど。帰りにPXで自分へのおみやげを、ただしかさばらないもの限定で入手して門を出る。さて、来るときはタクシーだったけど帰りはどうしよう。途中でバス停を見かけたけど、次のバスを待っていては予定の列車に間に合わないことがわかっただけ。だいたいの見当をつけて駅に向かって歩き始める。途中で流しのタクシーがいたら捕まえよう。結局、空車のタクシーはつかまらず、30分ほどで駅にたどりつく。駅で手に入れていた観光地図が役に立った。

今日の泊まりは鳥取。東舞鶴から綾部に出て山陰本線という本来のルートに復帰し、そのまま下っていくことにする。昨日は夜間だったのでよく景色を見ることはできなかったが、舞鶴線沿線の景色は昼間でも大して興味をそそらない。西舞鶴駅の手前で田辺城跡公園を見かけたくらい。乗った列車は綾部からそのまま山陰本線に乗り入れて福知山まで行く。福知山は「北近畿Xネットワーク」の要の駅というだけあって、やや複雑な配線になっているけれど、乗ってきた列車が遅れたおかげでその配線を鑑賞する時間もなく、自由席特急券を買って城崎温泉行きの特急北近畿7号に乗り込む。この列車では、進行方向左側に席を占めたのだが、これには少しわけがある。

列車は福知山盆地をしばらく走ったのち、県境を越えて兵庫県に、昔で言えば丹波国から但馬国に入った。播但線と合流する和田山駅を出たあと、三十一の視線は左側窓外に釘付けになる。実はこのあたりは三十一の先祖の地、本籍地なのである。30年ほど前に一度墓参に訪れたことがあったきり、住んでいたこともないし、一泊したことすらないのだがそれでも三十一の個人情報と切っては切り離せない土地なのだ。駅を通過。しかし求める地名は線路沿いではあるものの駅から少し離れているはず。実質的にはまったく初めて見る景色なのだが、どこかにわずかでも手がかりがないかとなおも窓外を凝視していた三十一の目にやや大きな神社が飛び込んできた。これだ。このあたりがその地だ。改めて周囲を見わたしてみると、見も知らぬ先祖が生活を営んでいたかつての様子が彷彿とされる。つまり開発がそれほど進んでいない典型的な日本の田舎なのだ。逆に言えばそれくらい辺鄙な土地であったということだ。このような山村から、ありとあらゆる人々が東京に集まってきたのだなあと改めて感慨にふける。

列車が少し遅れて城崎温泉駅に到着する。ホームのアナウンスが「乗り換え客は急げ」と言っているので急ごうとするのだが、ここが終着と思われる年配の団体客が跨線橋を塞いでいた。かき分けるようにして隣のホームに移り、列車に飛び乗るとまもなくドアが閉まった。この先、城崎温泉から鳥取までの間の山陰本線はほとんどローカル線と化している。大阪京都方面から北近畿を訪れる観光客は城崎温泉から先へは行かないし、鳥取へ行くには智頭急行経由が主流になっている。かろうじて観光客を集めているのが余部鉄橋だ。この間、山陰本線は日本海沿いを走っているのだが、海岸は断崖絶壁となっていて海岸線に線路をひくなど思いもよらない。海面の高さからかなり高いところを線路は走っている。断崖がわずかに入江になったところに集落があり、その集落から崖をあがったところに線路と駅がある、というパターンがくり返される。余部も、その隣の鎧もそういうかたちになっていた。香住駅で団体客が乗り込んできて、車内はたちまち満員になった。これから2駅さきの余部まで乗車するらしい。北海道でも経験したことだが、このようにバスで駅に乗り付けてほんの何駅かおいしいところだけ列車に乗り、その間にバスが先回りするという手法が横行している。効率はいいのかもしれないが味気ない。

余部鉄橋ははるか昔(30年ほど前に本籍地を墓参したとき)に下から見上げたことはあるのだが、鉄橋上から下を見下ろしたことはなかった。今回が最初の、そして多分最後の機会になるだろう。トンネルを抜けて鉄橋にさしかかる。下を見下ろす。まるで空を飛んでいるようだ。銀河鉄道999に乗っているような気分になった。汽車の時代にはさぞ恐ろしかっただろう。

浜坂でいったん乗り継ぐ。あとは今日の目的地鳥取に到着するのを待つだけだが、その手前にもうひとつの楽しみがある。鳥取駅の手前、山陰本線が鳥取平野におりてくるその途中に、山陰本線で唯一のスイッチバック信号場があるのだ。この滝山信号場で行き違いを行なう列車は今はないようだが、しかし設備は今も生きている。急勾配を下っていく列車の中から前方を見ていると、やがて右手前方に予告信号機が現れたので「さては」と思ったら、やはりそれであった。

まもなく高架駅の鳥取着。近代的な高架駅でありながら架線が引かれていないという光景はやや奇妙だ。しかしこうした組み合わせはすでに帯広駅で経験済みなので初体験というわけではない。ちなみに、いわゆる県庁所在地駅で非電化なのは三十一が知るかぎり5つ。鳥取はそのひとつなわけだ。希少価値と言うべきなのかどうか。

今日の旅程:
東舞鶴(1253)→福知山(1334) 338M
福知山(1343)→城崎温泉(1450) 3017M
城崎温泉(1454)→浜坂(1549) 177D
浜坂(1619)→鳥取(1710) 539D

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2007年10月27日 (土)

西へ旅立つ

古典落語の世界だと「西へ旅立つ」ってのは「西方浄土へ赴く」、つまり死ぬってことなんだけど、ここでは文字通りの意味でしかない。
日本の47都道府県のうち、地続きでない沖縄を除いた都道府県のうち三十一がこれまで足を踏み入れたことがないのは6県。今回はそのうち2つを制覇しようという旅である。鉄道趣味的には、建て替え前の余部鉄橋とサンライズを経験するのが主要目的だ。

しかし、天気は台風のおかげであいにくの雨。大荷物を抱えて、雨の中でかけるのはあまりうれしくない。大きな傘を持って行きたくなかったので、けっこう強い雨の中折りたたみ傘でなんとか駅までたどりつく。こんなときに限って、途中でデジカメを忘れたことに気づいて一度引き返す羽目になる。まあ、台風さえ行ってしまえば天気も回復するようなので今日明日の辛抱だ。

東京で切符を買う。山陰ゾーンの周遊きっぷ、「ゆき」は東京から京都を経て山陰本線経由で鳥取まで、「かえり」はサンライズを使う予定なので伯備線・山陽本線・東海道本線経由で東京に。ところが、今や関西から鳥取の経路は智頭急行経由はくと利用が主流になっているため、最初「ゆき」の経路を間違えて発券された。「作り直したほうがいいですか?」もちろん、そうしてもらわなければ困る。そうじゃないと余部鉄橋を通れない。

今夜の宿は舞鶴。経路からは少し外れているが、当日になって城崎温泉に宿を求めるなんて無謀な試みをするよりはずっとまし。それに一度舞鶴という街には行ってみたかった。

新幹線で京都に着く頃には雨はあがっていた。山陰線に乗り換える途中で、跨線橋から写真を撮ってる人がたくさんいたので「変わった車両の列車でも来ているのか」と思ったらさにあらず、虹が出ていたのだった。
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京都から乗り換えた「たんご5号・まいづる7号」はいい加減くたびれた183系、それも485系を直流化改造した183系だから相当古い。車内で綾部~舞鶴間の飛び出した区間の清算をする。京都駅を出てしばらくは、京都市街の西部を北上する。京福線の上を越えるときにちょうど単行の電車が走っていった。この市街地を走る路線が比較的最近まで非電化のまま放置されていたのは、国鉄の無策を示している。途中、山城国から丹波国に移るあたりの国境で、嵯峨野渓谷を越える。このあたりは電化の際に新線に切り替わった区間だが、旧線を廃止せず観光鉄道として活用している。ときどき眼下にその旧線が見えるのだが、うーむ、確かにこれは観光鉄道としては絶品に違いないが、山陰を代表する幹線がこの急曲線では、輸送力の増強も難しかったろう。丹波に入ったちょうどそのころからまた雨が降ってきた。途中で渡った鉄橋から何気なく下を見たらとんでもなく高かったので少し驚いた。そうは思っていなかったが、実際に来てみると思いのほか山深いところだとわかる。亀岡あたりでは複線化工事が進んでいた。すっかり暗くなっていた和知駅では、測線にDD51が牽引する工事列車が停車していた。マヤ検かな。暗くてよくわからなかった。綾部で福知山行きと分かれて舞鶴線に入る。西舞鶴を経て東舞鶴に到着。東舞鶴は小浜線と舞鶴線の境界駅だが、一見なんの変哲もない高架駅でしかない。雨は少し小やみになったようだが、風は激しい。

今日の旅程:
東京(1333)→京都(1553) 89A
京都(1624)→東舞鶴(1802) 5095M~3047M

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2007年6月30日 (土)

六~七日目・帰京ちょっと寄り道

釧路から札幌に向かう。よく考えたらわざわざ釧路に宿をとる必然性はなかったような気もするが、予約してしまったものは仕方ない。キャンセルしてもキャンセル料がもったいないし。スパカツを食いに来たと思えばよかろう。
出るときに結構時間がぎりぎりで焦っていたせいか、鍵を室内に置いたまま出てきてしまった。あとチェックアウトするだけなのでフロントに一声かけておく。カード式なのにいちいち返せってのもどうかなあ。

釧路からは始発のスーパーおおぞらに乗り込む。始発駅だから特に指定席も必要ないだろう。実はこれがフリーパスを使って乗る最後の特急なのだ。6回まで指定がとれるのに、2回しか使わなかった。まあ使い方次第だけど、6回は充分な数だろう。
釧路駅は相変わらずの地平駅だが、少し帯広寄りで高架工事らしきものをしていた。ここを高架にしても踏切の解消くらいしかできないと思うんだけどなあ。むこうは海だし。
自由席をいいことに海側の窓際を確保したんだが、昨日に引き続き天気がよくない。尺別~音別あたりの一番海に近いところでも、波打ち際はわかるが、水平線はかすんでわからない。
白糠に着いたところでアナウンスが入る。車両点検のためしばらく停車するとか。おやおや。乗り継ぐ予定の列車まで、多少の余裕はあるがありあまっているというほとではない。1時間単位で遅れたりすると困るなあ、と思っていると、今度は何も言わずに発車してしまった。1分くらいしか停まっていなかったんじゃないかなあ。とか言いつつも、その後まもなく入ったアナウンスによれば6分遅れなんだそうな。ってえことは、これまで所定より遅く走ってたってことかなあ。
帯広を経て狩勝峠を越え、石狩国に入ってくる。石勝線は相変わらず山中を走るが、ところどころに線路と並行して高架橋のようなものをせっせとこしらえているのが見える。これは石勝線の線形改良工事、などではなく、札幌方面から十勝に抜ける道東自動車道の工事なのだろう。いまいましい。

さて、石勝線のヤマの中であれこれと考える。JR北海道は、現在「オホーツク」、「サロベツ」、「とかち」の一部、「北斗」の一部に使っているキハ183系を、現在「宗谷」に使われているキハ261系の増備で置き換えるつもりなんだそうだ。純粋な振り子式であるキハ283系の増備はもうない、ってことなんだろうなあ。
まあ、オホーツクとサロベツをキハ261系にするのはいい。ちょっと悩ましいのは、現在キハ283系が投入されている「とかち」6往復のうち2往復と、まだキハ183系を使っている「北斗」11往復のうち4往復をどうするか、ということ。三十一としては、「とかち」をキハ261系にそろえて、ひねり出したキハ283系を「北斗」に充当してキハ281・283系に統一してほしいところだが、2往復対4往復で数が合わない。所要時間もそれほど変わらないので、「とかち」からでは「北斗」の置き換え分は出てこない。かと言って「北斗」の一部にキハ261系を投入するのもどうかなあ。キハ283系を増備すればすむ話ではあるけれど、そんなことはしそうもないなあ、貧乏なJR北海道としては。
実はもうひとつ、夜行特急「まりも」と臨時夜行特急「利尻」に使われているキハ183系はどうするんだ、という問題もあるのだけど。

結局、列車は8分遅れで札幌に到着。面倒なのでまた荷物をコインロッカーに放り込み、腹ごしらえと土産の物色とそれから大通り公園へちょっと写真をとりに。大通り公園に行くときは歩いていったんだが、帰りは面倒になって1駅を地下鉄に乗る。

13時半ごろ、札幌の改札をくぐって帰京のために乗る列車を待ちかまえる。おお、入ってきたぞトワイライトエクスプレス。なんで札幌から東京に戻るのにトワイライトエクスプレスに乗るのか、それはもう「テツ」だからとしか言いようがない。北海道にわたって二日目、たまたま札幌でトワイライトエクスプレスを目撃して、しげしげと眺めているうちに思いついたのだ「これで帰ってもいいなあ」
大阪に昼過ぎに着いたとしても、新幹線を使えば午後のうちに自宅まで戻ってこられる。首尾良く切符がとれたらそうしよう、と思ったのだが、幸か不幸かきっぷはとれてしまい、こうして乗り込むハメになる。

とった切符はB寝台個室シングルツインというやつ。一人用の個室なんだが、補助ベッドがついていて二人でも泊まれる。えーと、これ補助ベッドというよりかなりちゃんとしたベッドなんですけど。このソファ兼用のベッドよりよっぽど寝心地いいんじゃないかなあ。窓がないけどね。

14時5分に動き出した列車は、千歳線室蘭本線函館本線を経由してまずは五稜郭へ向かう。この個室は北海道を走っている間は海側だけど、本州にわたったら山側になってしまう。まあいいか。実際、北陸本線や信越本線からは海が見えるところはけっこう限られている。親不知あたり、それから滑川あたりの富山湾、そして柏崎~直江津間の信越本線くらい。海がよく見えるのは本当は羽越本線のはずだけど、真夜中になってしまう。三十一はこれまで羽越本線に乗ったことがないので初乗車なのだが、夜中なのはちょっと残念。

そういえば、このトワイライトエクスプレスの上り列車は、森~大沼間で砂原線と呼ばれる函館本線の迂回線を経由する。この区間も実は未乗。機会を付くって制覇しなくてはと思っていたのだが、今回は諦めかけていた。期せずして制覇することができた。同じ意味で、二日目の函館から札幌に向かう北斗が七飯~大沼間で藤城線と呼ばれる迂回線を経由していたので、厳密な意味では今回で函館本線を完全制覇することになる。
五稜郭を出たあたりで、札幌で入手していた弁当を食する。食堂車の6千円もするような懐石弁当や、1万2千円もするようなフルコースは食っていられない。「北斗星」と違って予約時間帯以降のパブタイムでは食事メニューはそろっていないらしい。発車後に弁当の注文を聞いてまわっていたから、頼めないこともなかったようだけど、いくらするのかな。ただし、朝食の予約だけはしておくことにする。

そうそう、大事なことを忘れていた。この個室に入って室内を見わたし、まず目についたのは壁に作りつけられたコンセントであった。さっそくPCをつなぐ。おお、電気きてるぞ。これで時間つぶしは万全。札幌駅で買っておいた文庫本の出番はないかな。

青函トンネルも今更どうという感慨もわかない。なにしろ7回目だ。青森信号場で機関車がED79からEF81に代わっているようだが、信号場なので降りるわけにもいかず、衝撃で連結作業を推測するのみ。ちょうどパブタイムになったので、食堂車に行ってみる。少しでも食堂車に金を落とさないといずれ食堂車そのものがなくなりかねないからね。しかしビール一杯とチーズ盛り合わせで1600円は高いなあ。おまけに三十一がのんびり飲んでいたら、他の客はいなくなってしまった。大丈夫か、これ。

部屋に戻ってベッドメークをし、寝る前に本など読んでいたら駅に停まったので外をのぞいてみたら秋田であった。秋田の町は初めてなのでちょっと感慨にふける。これから羽越本線に入るはずだが、ちょうどいいきっかけなので寝てしまう。

あまりよく眠れなかったが、それ自体はいつものことなのでベッドのせいではないだろう。目が覚めて外をのぞくと薄明るい。駅をふたつばかり通過したが、駅名は読み取れなかった。JR東日本の管内ではあるようだけど。てことは、信越本線のどこかかなあ。やがて少し大きな駅を通過したので見てみると柏崎だった。次あたりから海沿いになるので、隣のサロンカーに移動。誰もいないサロンカーから海岸の眺めを満喫する。去年の9月に金沢に行く途中ではあまりよく見えなかったのでリベンジだ。

笠島をすぎたあたりで自室に戻り、富山あたりで朝食に呼び出されて食堂車へ。食べ終わったころちょうど金沢着。ここから先は未知の領域だ。サロンカーへ移ってしばらく外を眺める。あ、BGMに流れてるのはシューベルトの未完成だなあ。そういや、個室の案内にもBGMをFMで流してるって書いてあったっけ。部屋に戻ったら見てみよう。
小松をすぎたところでちょうど未完成の演奏が終わったので、部屋に戻る。あと3時間くらい、時間があるようなないような半端な時間。PCに向かってせこせこと内職をして時間をつぶす。

きっぷは大阪まで買ってあったのだが、京都で降りることにする。早めに帰ることにしたのだ。能登地方の大雨の影響で北陸本線のダイヤが乱れていたらしく、京都駅着は8分遅れ。考えてみれば、京都駅を通過したことは何度もあるが、京都駅で降りたのは中学の修学旅行以来ではなかろうか。もちろんその当時と今の駅は似ても似つかぬものになっているはずだ。もうン十年前のことなど覚えていないけど。今の駅はこんな感じ。
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700系のぞみに乗って東京へ。京都から東京までは2時間半ほど。新幹線は偉大だ。

昨日から今日の旅程:
釧路(0739)→札幌(1131+8) 4002D
札幌(1405)→京都(1214+8) 8002レ
京都(1306)→東京(1526) 9306A

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2007年6月27日 (水)

五日目・北から東へ

朝6時前に起床し、チェックアウトし、朝食を食べてから駅へ。
7時10分のスーパー宗谷に乗り込む。最初、自由席を探したらそこそこ混んでいたみたいなので改札に引き返して指定席を頼んでみる。どうも新人さんだったらしいのだが、出てきた切符が13:45の「サロベツ」の切符。ちょい待て、朝の7時にわざわざサロベツの切符を頼むやつがいると思うのか。「いや、宗谷だから」「宗谷はもうないんです」じゃあそう言え。だったら自由席にするよ。
5時間かけて札幌に到着する。さすがに疲れたなあ。ときどき意識を失っていたりした。利尻富士が見えるあたり(見えなかったけど)ではまだ起きていたが、兜沼を見た記憶がないので寝ていたんだろうなあ。天塩川の流れも見ていたりいなかったり。昨日見た河原の牛は今日もいた。

札幌ではまた荷物をコインロッカーに放り込んで銀行へ。今月中に振り込まなきゃいけないお金があったので、札幌で振り込み。このために振り込み用紙ももってきていたのだよ。旅行前に時間を作って銀行に行くより、旅行のあいまに札幌で振り込めばいいやと東京にいたころに思いついて、今日決行。ついでに自動引き落としの手続きまでしてみたり。札幌くんだりまで来て何してるんだか。その後、帰りの切符を確保。諸事情により、当初予定より一日早く、明日の夜行で帰ることにする。北海道フリーパスの有効期間はあと1日残っているのだが、しかたない。今回、フリーパスをあまり有効活用していないような気がするなあ。これまでに比べて、だけれど。次は奮発してグリーン車用を買ってみるという手もあるかもしれない。次があるのか、と言われそうだけど、多分ある。

札幌での用事は済んだので、スーパーおおぞらに乗り込んで釧路に向かう。今回の特徴は用事がないかぎり札幌には寄りつかない、ということ。泊まりは無いし、滞在時間も今のところ合計4時間くらい。明日の滞在時間も2時間くらいの予定。

スーパーおおぞらが狩勝を越えて十勝に入ると、一面の霧。全体に霧が多いというのは予報で聞いていたが、本当に真っ白。その後釧路に着くまで霧は晴れなかった。

釧路に着いてホテルに落ち着き、夕食を食べに出る。釧路名物と言われるスパカツなるものを食してみる。焼いた鉄板の上にスパゲティが盛られ、その上にトンカツが乗り、その上からカレールーがかけられているという代物。まずくはないけれどちょっと濃い。また量も多い。思わず電話を横に置いて写真を撮っちゃいましたよ。
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今日の旅程:
稚内(0710)→札幌(1207) 2032D
札幌(1358)→釧路(1748) 4007D

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2007年6月26日 (火)

四日目・岬めぐり

今日は稚内泊まり。昨日も稚内まで往復したんだが、宿がとれなかったのでやむなくそのままとんぼ返り。今日は宿を稚内にとったおかけで宗谷岬まで往復できる。

朝10時前のスーパー宗谷で稚内に向かう。遅い出発だが、これより前に稚内に着くためには、昨日乗った列車に始発で乗らなくてはいけない。旭川発は朝の6時5分。三十一にはまだ真夜中だ。もっとも、ゆっくり出ればいいという安心感のせいでホテルを出たのがギリギリになってしまったけれど。

指定にしようかどうしようか考えたけど、やはり自由度の高い自由席にしておく。しかしこれが結構混んでいた。始発でないということもあるけれど、やはり朝イチのスーパー宗谷は便利な列車なんだろうなあ。窓際の席にはありつけず、通路側の席に座る。窓際の席の乗客が名寄で降りたので、そちらに移る。しかしこちらは進行方向右側、つまり天塩川や利尻富士の反対側なのだ。そこで、三十一と同じく旭川から乗り込んだ家族連れがバラバラに座っていたところに「こっちに移りませんか」と恩を着せながら左側の窓際を確保するという手を弄した。美深を過ぎたあたりでのことである。

それから稚内まで2時間あまり、この路線はすでに4度目、さすがに少し緊張感が薄れてきた。それでも日本離れした景色であることは間違いない。天塩川の対岸の川岸で牛が水を飲んでいるのを見たのは初めてかもしれない。列車の中からは利尻富士は見えなかった。昨日は見えたのになあ。

駅のソバ屋で腹ごしらえをし、荷物をホテルに預けて定期観光バスに乗り込む。稚内駅すぐそばのバスターミナルからノシャップ岬、宗谷岬などの観光名所をめぐって4時間弱でもとのバスターミナルまで帰ってくるという行程だ。この観光バスが稚内に戻ってくるのは18:20頃。上り最終のスーパー宗谷4号が稚内を発つのは18:02。あと30分行程を短縮するか、あるいはツアーの出発を30分早めるか、どうにかして30分早く戻って来られるのであればスーパー宗谷で日帰りできたのに。

バスに乗り込んだのは三十一を含んで8人。三十一を除いた全員が50代以上と思われ、しかもあらかた夫婦ものである。三十一が浮く浮く。バスはまず稚内の名所である防波堤ドームを車窓からながめ、ノシャップ岬へ。つづいて稚内の市街のすぐ裏にそびえる山のてっぺんにある稚内公園へ。以前はロープウェーがあったらしいけど、今は廃止になってしまった。開基100周年記念タワーというのがあって、この天辺が展望台になっている。今日はこの時季にしては天気がよかったらしく、すばらしい展望だった。利尻富士もはっきり見えたし、ノシャップ岬はもちろん稚内市街、声問岬、大沼、そしてはるか宗谷岬まで一望できた。さすがにサハリンは見えなかった。

稚内公園を出て宗谷岬へ。1時間ほどかかったが、到着してまず宗谷牧場へ。日本最大の牧場だそうだけど、なるほど、確かに広い。これでも半分くらいしか見えてないらしいのだが、地平線まで延々つづく牧場というのも初めてみた。

そして宗谷岬へ。岬の高台には海軍望楼と灯台が置かれ、海岸沿いには日本最北端を示す碑が置かれているが、三十一は高台のほうでほとんど時間を潰してしまった。海軍望楼に昇っては降り、構造を把握しようと試みる。それでも二階にどうやって昇っていたのかわからなかった。外に階段でも作りつけてあったのかなあ。
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稚内に戻ってきたのは6時10分ごろ。駅前にさしかかった頃に踏切の鳴る音が聞こえた。時間的に上りのスーパー宗谷以外に考えられない。あとちょっとなんだけどなあ。もう考えてもしょうがないけど。4時間の観光で3600円なり(展望台入館料込み)。

今日の旅程:
旭川(0953)→稚内(1328) 2031D
稚内(1430)→稚内(1810) 宗谷バス定期観光バス

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2007年6月25日 (月)

三日目・宗谷本線の旅

起きて、7時に朝食を食べるためロビーに降りる。普段は喫茶店かな、ここ。
なんとなく予想していたが、やはり三十一しかいなかった。そのせいかどうかわからないけれど、おかずがずいぶん多い。ホッケがメインで、シラスおろし、梅干し、昆布の佃煮、味付け海苔で全部かと思っていたらそこに目玉焼きが出てきた。納豆もついていたのだが、三十一にとっておかずのうちには入らない。全部食べたらけっこう満腹になった。

7時50分の普通列車で稚内に向かう。今日は平日なので高校生が乗り込んでくる。とは言えそれほど混んでいるわけではない。むしろ旭川方面から名寄で降りる高校生のほうが多いだろう。たぶん行く先は美深だろうなあ。その先に高校がありそうな町は音威子府くらいしかないが、そこまで行くと遅刻になる。実はこれは下りの始発列車なのである。名寄から通学できるのは美深が限度ということだ。

さて今日の予定は、当初のもくろみでは昼過ぎの定期観光バスで宗谷岬まで行って、そのまま最終の特急に乗って旭川まで戻ってくるはずだったのだが、この観光バスに乗ると特急に間に合わないことがわかった。ではというわけで稚内に宿を探してみたが、今度は宿がない。稚内まで行ったとしても、宗谷岬にも行けずそのまま戻ってくるしかないのだ。別に今日無理して稚内に行く必要もないような気がするが、わざわざ名寄くんだりまで来た意味がなくなってしまう。ので各駅停車で宗谷本線を乗り尽くすというだけの目的で往復する。まあ偵察だな。

さて各駅停車に乗って宗谷本線を行くと、ほとんどが無人駅である。ところがその無人駅にも二種類あることがわかる。ひとつは昔からある駅が無人になったもの、もうひとつは臨時乗降場が駅になったもの。まず駅というかホームの構造が違う。地面がかさ上げされてホームが作られているのがもちろん前者で、学校の朝礼台に毛が生えたような高床のホームが設置されているのが後者だ。しかしもうひとつ違いがあることに気づいた。それは駅の設置場所というか、駅へのアプローチである。昔からある駅には、主要道から駅に向かって入ってくるアプローチのための道がある。その道はまっすぐ駅に向かい、駅でとぎれている。しかし元臨時乗降場の場合、道路と線路が接近した場所にあとから乗降場が作られるケースが多い。したがってたいていは踏切の隣にホームがある。一両編成ならともかく、二両編成の場合は後ろの車両が踏切にかかってしまっていたりする。もっとも、こういった臨時乗降場あがりの駅は、道があるから成立するのであって、名寄盆地とか美深付近の多少なりとも開けた地形のところでしか見かけない。天塩川沿いの山間部ではこういう駅は成立しないだろう。

さて、音威子府で50分近く停車。その間に上りのスーパー宗谷と、名寄行きの普通列車が出ていく。楽しみにしていたソバは、店が開いてなかった。残念。駅舎のなかの天北線に関する展示はなかなか面白かったけれど、書き割りの絵がキハ181系だったのはどうかなあ。天北線はおろか、北海道にもキハ181系が走ったことはないはず。

また動き始めた列車で稚内に向かう。天塩川のほとりを走るのは3往復目、5度目になる。何度見てもいい景色だ。幌延までおりてくると川から離れて丘陵地帯になる。抜海付近では利尻富士が見えた。上のほうはかなり雲がかかっているけど、前2回はまったく見えなかったので3度目の正直だ。写真撮ってみたけどよくわからないだろうなあ。
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稚内で上りの列車を待つあいだにラーメンなど食す。大盛りは本当に大盛りだった。普通でもよかったなあ。帰りの列車はキハ183系のサロベツ。本当はスーパー宗谷に乗りたかったんだけど、この時間帯はサロベツしかないのでしょうがない。夕方のスーパー宗谷を待ってると、旭川に着くのが10時を過ぎてしまう。稚内で時間をつぶすのも大変だしなあ。
せっかく指定券がとれるので、北海道フリーパスで無料で6回まで使える座席指定をうける。この調子でいくと使い切れそうもない。前回使ったときも座席指定は6回も行かなかったと思うなあ。そのときは回数制限がなかったけれど。

さて、しょうがないのでサロベツでは寝て帰ろうと思ったのだが、ふと見ると座席の下の壁面にコンセントがある。使えるのか? 試しにパソコンを繋いでみると、おお使えるぞ。PCをいじっていたら4時間つぶれてしまった。手が疲れたけど。

本日の旅程:
名寄(0750)→音威子府(0852) 4325D
音威子府(0940)→稚内(1159) 4327D
稚内(1345)→旭川(1733) 2042D

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2007年6月24日 (日)

二日目・函館から名寄へ

泊まったホテルは朝市の目の前。
どうもこのホテルは、朝市で朝食がとれるというのがウリになっているらしく、朝市の中の指定の食堂で定食を食べられる食券をくれた。せっかくなので早起きして食べに行く。
しかし朝からドンブリを食べる気にもならなかったので、無難に「銀ダラ定食」を食す。時季はずれのような気もするが、じゃあ何の時季なんだと言われても思いつかないので同じことだろう。
朝食を終えて部屋に戻りのんびりしていたら、乗る予定だった特急が発車する時間が迫っていてあわてて駅に向かい、かろうじて飛び乗る。
函館から札幌まで、というこの道行きもこれまで何度か通ったことがある。しかし今回乗ってみて思ったのは、短距離利用者が意外に多いな、ということ。函館・札幌間を乗り通す人がどれくらいいるのかわからないが、もしこうした乗客が減っているとすると、北海道での札幌への一極集中、裏返しとしての地方中核都市の地盤沈下が進んでいるということだろう。函館とか帯広で商売をするくらいだったら、拠点を札幌に移してしまったほうが得策という判断によって札幌へ集中する傾向が強まって、札幌と地方都市の間の流動の規模が小さくなったのかもしれない。何ら証拠があって言ってるわけではなく、いつもの三十一の妄想なので信用しないように。

今回は、あまり札幌に長居をしないというコンセプトを自らに課しているが、今日だけは少し札幌で時間をとってみた。持ってくるのを忘れた小物類と、ガイドブックを手に入れるためだ。駅前の大丸の上のほうに本屋があるのはわかっている。言ってみたら三省堂だった。適当なガイドブックと、ちょっと前に出ているのを知った文庫を一冊。今回はあまり本をたくさんもってきていない。時間がかかりそうなのを一冊だけもってきている。この点もいつもと違う。しかしまあ、新刊の文庫くらいは買ってもいいだろう。旅行期間中に発行された毎月買っている雑誌類は、さすがに買わずに立ち読みですませる。

札幌での用事は済んだので、旭川に移動。適当な特急に乗るべくホームにあがろうとして、隣のホームにちょうどトワイライトエクスプレスがとまっていることがわかったので、そちらに向かう。考えてみれば、実物を間近で見たのは初めてだなあ。一昨年、洞爺駅で通過しているのを見たことはあるけれど。写真など撮りながらひとつのアイデアを思いついたのだが、実現できるかどうかわからないのでもう少し内緒にしておこう。

スーパーホワイトアローで旭川へ。だいぶ高架駅の工事も進んでるなあ。夕方少し前の列車に乗り換えて名寄に向かう。キハ40の2両編成だが、このあたりのローカル列車の通例でワンマン列車である。高校生がわりと目立つ。部活帰りかな。新旭川を過ぎて石北線とわかれるとまもなく旭川運転所だ。何か面白い車両が留置されていないかと窓外を注視していると、列車がおもむろに停まった。駅じゃないよな。信号待ちかな。運転所への入出庫とぶつかったかなあ、などと理由を想像していると、少ししてまた動き出した。そして目に入ったのは線路脇に置かれた昇降台と、その階段を下りていく一人のJR職員。便乗者を下ろしていやがったな。確かに、駅からここまで結構あるからなあ。近くに駅もないし、回送列車がないときにはこうやって営業列車に便乗してるわけか。運転所にはDE15のラッセルヘッドが並んでいた。しかしこれ、半端な数じゃないぞ。20台ぐらいずらりと並んでいる。全部生きてるのかなあ。

各駅停車の列車は、もちろん各駅に停まっていく。南比布なんか、ここに駅がある意味があるのかとすら思う。どこから駅にアプローチしてるんだろう。当初の予定では塩狩駅でいったんおりて周囲をうろつき、25分後の列車で名寄に向かうつもりだったのだが、塩狩峠に近づくにつれて雨が降ってきた。それもわりと本降りだ。もういいや、このまま名寄まで行ってしまおう。6時過ぎに名寄につく。名寄に着く直前に、線路脇にキマロキ編成が保存されてるのが見えた。意表をつかれたので写真も撮れなかった。おまけに駅から歩くと結構ありそう・・・。行くのは無理かな。名寄までが宗谷本線高速化事業の対象だったので、それなりに大きな町だろうと思っていたのだが、・・・思っていたのだが、うーん。富良野よりは大きいかな。イメージとしては根室に近いかも。
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名寄で泊まるホテルは、はたして今日の宿泊客は三十一の他にいるんだろうかと心配になるような場末感ただようホテル。でも部屋の内部はわりとまとも。

本日の旅程:
函館(0830)→札幌(1147) 5003D
札幌(1400)→旭川(1520) 3015M
旭川(1625)→名寄(1824) 329D

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