"くじら"と"まぐろ"
当夜の夜行か、あるいはその日のうちに帰京することにする。アメフトの予約録画が土曜日までしか設定できなかったのでね。そのためには早めに出なくてはいけない。朝出て最初の特急に乗ることにする。間に合ったのはソニックでした。白いソニックね。白いかもめと同じく885系だけど、白いソニックに使われている885系はまだ多少新しいせいか綺麗。ああ、やっぱり綺麗な白の885系は格好ええなあ。
平日9時前とあって車内はサラリーマンが主体でわりと混んでいる。ホームの自由席の列はかなり長い。座れるかどうかなあと思ったけど、窓際の席にありついた。進行方向右側。この鹿児島本線の博多小倉間は九州でもっとも往来が多い路線のひとつだ。鹿児島本線方面の特急、日豊本線の特急、博多に向かう通勤電車、そしてコンテナを積んだ貨物列車。折尾駅を出て黒崎駅に近づくと、右側に線路が見えてくる。筑豊電鉄のようだ。目測した印象ではあるけれど、軌間は普通だが軌道中心間隔がかなり狭いようだ。見かけた車両はまるで路面電車である。福北ゆたか線が電化された今、かなり厳しい状況であろうことは容易に想像できる。このあたりで雨がふりはじめた。
小倉でソニックを見送り、向かいのホームに停まっていた普通列車で門司港へ向かう。門司と門司港の間は、関門トンネル開通後は東京~九州間のルートから外れてしまった。それでもかつては優等列車の一部がこの駅を始発としていたが今では普通列車しか走らない。門司港駅は今では珍しい頭端駅。レトロということを売りにして街作りをしているらしく、新しさを感じさせるものはほとんどない。そこに停車しているのが813系とか817系の新しい電車で、そこだけ違和感がある。古い駅だが頭端式なのでホームから改札まで段差がない。かつてはみんなバリアフリーだったのだよ。近代的な橋上駅のほうがひとにやさしくない。門司港駅はおそらく大正から昭和初期を想定しているのだろうなあ。しかし三十一的には昭和30年頃が好みである。鹿児島本線の起点を示す0キロポストを見かけたのでカメラに収める。門司港まで足を伸ばしたのは未乗車区間の踏破も目的のひとつだが、最大の目的は駅前にある九州鉄道博物館だ。道路から入るところがちょっとわかりにくい。平日ということもあってかかなり空いていた。ゲートでまず目につくのが屋外展示車両。屋根付きのせいかかなり綺麗だ。先頭は9600。やはり筑豊と言えばキューロクでしょう。その後ろはC59だなあ。C59って個人的にはC62より好きなのである。屋外展示車両はあとの楽しみにとっておいて、まずは屋内展示に。展示物はそれほど多くない。内容はまあまあというところかな。入り口に戻って、売店をのぞく。あまり購買意欲をそそられない品揃えで、結局何も買わなかった。そして楽しみにしていた屋外展示。まず気づいたのが、一番奥に石炭車が置かれていること。九州の鉄道は筑豊の石炭を運ぶために建設されたと言っても過言ではない。このホッパー式の石炭車が九州では主に使われた。九州と並ぶ炭田である北海道ではボギー構造の石炭車が多用されていて対照をなしている。次は月光のヘッドサインをかかげたクハ581。だが中に入ってみてがっかりした。余剰の581系を近郊電車に改造した715系の塗装だけ元に戻して展示しているのだ。内装は改造されたままである。その次はクハ481。さらに戦前型ディーゼル車キハ07。九州向けで最初に量産された交流電気機関車ED72。関門トンネル開通時に使用された電気機関車EF10。そして最初に見たC59と9600。どれもきれいに手入れされているように見える。電車とディーゼル車は車内にも入れる。もう少しバリエーションがあったりするといいんだが、それはぜいたくというものだろう。鉄で古いものが好きな人にはお勧めだ。かかった時間は全体で40分くらいかなあ。普通の人が展示を見学するだけなら30分で足りるだろう。シミュレーターとかミニ鉄道を試しているともっと時間がかかるだろうけど。門司港駅に戻る。駅を中心にレトロな街並みで観光客誘致を狙っており、それにひっかかったと見られる観光客がちらほらと。三十一はまっすぐ駅に戻って小倉に戻る。戻り電車に使われていたのも813系だった。
小倉から新幹線に乗り九州に別れを告げる。自由席特急を買ってホームにのぼるとちょうど来たのが700系のひかりレールスターだ。700系に乗るのは初めてだと思う。およそ1時間で広島。この間はほとんどトンネルもしくは高架で海が見えるのはほんのわずか。最初から車窓に期待していなかったので適当に座り本など読む。広島へは2年前にも来ているのだが、あまり変化がないように見える。まずは荷物をコインロッカーに放り込み、ついでみどりの窓口で帰りのチケットを確保する。「はやぶさ・富士」の個室寝台を第1候補に、もしそれがダメなら岡山まで新幹線で行ってサンライズに乗り継ぐというのを第2候補に。それもダメなら「はやぶさ・富士」の開放B寝台が第3候補となり、最後の手段としては夕方の新幹線でその日のうちに東京に帰ってしまうというふうに心づもりをしていたのだが、首尾良くB個室を確保できた。しかしこのみどりの窓口氏、新人にも見えないのだがB個室の操作がわからないらしくしばらく迷ったあげく他の人に聞いていた。それで焦ったのか頼んでもいない乗車券まで発券してくれて三十一の指摘をうけて取り消すというドタバタぶり。ドタバタはあったのだが帰りはこれで確定したので、残りの午後いっぱいを存分に使えることになった。
早速きっぷを買って呉へ。2年前にも九州の帰りに広島で下車しているのだが、そのときの目的も呉だったような気がする。だけどしょうがないんである。前回、呉を訪れたのは2年前の9月、それからすぐの11月に潜水艦「あきしお」が搬入され、やがてそれを目玉とする海上自衛隊呉史料館、通称「てつのくじら館」が開館した。実にタイミングが悪いとしか言いようがない。呉線の電車は前回にも乗った103系。呉までは30分強といったところか。前回訪れた大和ミュージアムと「てつのくじら館」はすぐ隣。直進は大和ミュージアム、右折は「てつのくじら館」という分かれ道を右に曲がる。目の前に潜水艦の船体が現れる。でかい。見上げるその鉄(鋼製だけど)のかたまりには圧倒させられる。大きすぎて写真ではスケール感がわからないのが残念。佐世保と同じく海上自衛隊の広報施設という位置づけなので、入館は無料。佐世保のように名前を書かされることもない。まずは潜水艦の隣に建てられた展示館に。展示スペースは佐世保と同じか、少し狭いくらいか。しかし、佐世保のような総花式の展示ではなく、2階は掃海艇、3階は潜水艦に特化した展示を行なっており、対象を絞り込んだせいか内容は遙かに濃い。そして3階からは連絡橋と船体開口部を通って「あきしお」艦内の見学ができる。発令所では実際の潜望鏡をのぞくことも可能。順路を全部まわるのに1時間かからなかった。しかしこれはお勧め。佐世保よりはるかにお勧め。ただ売店の品揃えは佐世保と大差なかった。建物の外に出て、あらためて「あきしお」を間近で眺める。船首のほぼ真下にマッシュルーム・アンカーが置かれていた。
「てつのくじら館」を出て道路を渡り大和ミュージアムへ。こちらは海自も協力しているはずだが基本的には民間施設で入場料は500円。そして目玉は映画のために作成された10分の1の大和の模型。まわりを何周もしていろんな角度から写真を撮る。前回は見るのに一生懸命で写真を撮るのを忘れていた。展示自体は2年前にも来たので、ざっとまわってすぐに下りてくる。実際、大和以外にはあまり見るべきものがないのだ。前回にも見つけた展示の誤りはまだ訂正されていなかった。ただし、ミュージアムショップはさすがに充実。商売気というものは偉大ですなあ。ここなら会社に持っていってウケるお土産が買えるに違いないと大人買い。宅配を頼んで大和ミュージアムを後にする。時刻はようやく3時半といったところで、帰りの列車までは6時間以上ある。呉駅前でちょっと食べ物を腹に入れても4時にもならない。うーむ、あとどうやって時間を潰そう。あとになって考えてみたら、呉線を反対方向に三原まで行って戻ってきてもよかったんだ。その時点では思いつかず残念なことをした。広島まで戻ってから思い出して、それから日没まではもう時間がなくなってしまった。
広島駅で実家への土産を物色。あとは1本で帰るだけなので送らずに持って帰ることに。パスタで夕食とし、本屋があったので本を1冊買って残り時間をスタバで潰す。ところがこのスタバが入っている商業施設が9時で閉まってしまうので三十一も追い出され、しばらく放浪したあげく駅のマックでお茶など飲む。パスタにもドリンクが付いていたし、スタバでカフェラテを飲み、そしてマックでアイスティーを飲む。お茶飲み過ぎだ。頼んでしまってから思い出したのだが、マックのお茶は不味いので頼んではいけない。結局かなり残してしまって、発車時間がようやく近づいてきたのでキオスクで翌日の朝食を確保してからホームに向かう。ここにもカメラ小僧がいるなあ。
雨の影響か少し遅れて到着、個室寝台車に乗り込む。「北斗星」の個室は何度も乗っているが九州特急の個室は初めてだ。三十一の個室は下段。「北斗星」の個室とは構造はかなり似ているが、窓際に座ろうとするとテーブルが足につかえて邪魔である。もう11時も近いが、さっきまでずっとお茶を飲んでいたのでまずトイレに行き、帰ってきてPCを開いて当日の行程を簡単にメモしたりしているうちにバッテリーが早くも怪しくなってきたので適当に切り上げる。もう放送も終わってしまったので寝てしまおう。
夜中の3時にやはり尿意に襲われて起き出す。お茶の飲み過ぎには注意しましょう。窓から車外を見る。新幹線とおぼしき高架橋が見えた。それからしばらくの間外を見ていたがどのあたりを走っているのか見当がつかない。いくつも駅を通過するのだが駅名が読み取れない。それほど都会というわけでもないが田舎というわけでもなさそうだ。電車区らしいものがあり何本もの電車が留置されているんだが、果たした何区だろう。岐阜とかかなあ、でもこんな電車区あったかなあと思っているうちに目に入ったのが転車台と扇形機関庫と「梅小路」の文字。おや、京都ですかい。思いの外進んでいなかったのだね。てことは、さっきの車両基地は向日町だったと見える。京都駅を通過すると山科に向けてトンネルに入る。これから逢坂越えでトンネルになるのがわかっているのでまた寝てしまう。
翌朝、放送があって起きたのは浜松の手前。天気はいいらしい。二度寝したりしているうちに静岡も過ぎて富士に近づく。このあたりでは海側が通路、つまり個室は山側を向いているのだが、雲がかかっていて富士山は見えなかった。丹那トンネルを抜け熱海を出たところで廊下に出、海を眺める。写真撮影の名所、根府川橋梁も転落防止フェンスのせいで眺望がきかず興醒め。小田原を過ぎたところでまた自室に戻って荷物の整理などはじめていると、茅ヶ崎を過ぎたあたりでなぜか停車。放送によるとこの先の踏切で非常停止ボタンが押され停車したとか。さらに追加情報では踏切に人が倒れているとか。救急車や消防車が集まってきて何やら作業を行なっている気配。「救護作業」を行なっているとか言ってるけど、事実としては「搬出作業」でないのかねえ。野次馬根性を出して前のほうにいってみると、実際に何か見えたわけではないがあの踏切だとすると位置関係からして機関車の先頭は踏切にかかっているはずだ。ああ、関係ないけど牽引機はEF6643だ。初日に三十一が乗った「はやぶさ・富士」を牽いてた機関車だね。戻ってくる途中、「何かにブルーシートをかけている」という声が聞こえた。やっぱり、"下山"しちゃったわけだなあ。
結局、45分ほど遅れて列車はようやく動き出した。動き出した列車の中から見てみると、消防隊員やら警察官やらがブルーシートを持って"何か"を隠していた。ダイヤ通りなら9時58分に到着するはずの東京駅に、10時45分に到着。
11/28~29の旅程:
博多(0825)→小倉(0917) 3007M
小倉(0924)→門司港(0938) 2536M
門司港(1036)→小倉(1049) 4327M
小倉(1057)→広島(1149) 458A
広島(1228)→呉(1303) 5632M
呉(1600)→広島(1639) 3943M
広島(2237)→東京(1045) 1レ
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