2008年6月14日 (土)

うまい話には気をつけろ

触媒を使って水と空気だけから水素をとりだすことに実用化したと称する企業があらわれ、マスコミなどで取り上げられている。

水から電流を取り出すことを可能にした新しい発電システム「ウォーターエネルギーシステム」を見に行ってきました (Gigazine)

取り出した水素は酸素と反応させて電流を生み出すという。この個所は要するに燃料電池であって目新しい技術ではない。やはりキモは水から水素を取り出すところだろう。

さて高校レベルの物理化学の知識があればわかることだが、企業側の説明が正しいとするとこれは永久機関だ。燃料電池の生成物は水である。水から水素を経て水を作る過程で電流エネルギーを得ているとしているが、原料である水と、生成物である水とエネルギーを差し引くと残るのはエネルギーだけになる。なにもないところからエネルギーが湧いて出てきたわけだ。これはエネルギー保存則に反する。

すでにいろんなところでツッコミが入っていてとてもいちいち挙げていられないので、上記 Gigazine の後続記事にだけリンクを張っておこう。

真偽判断に役立つ「ウォーターエネルギーシステム」に対する各報道陣からの質疑応答いろいろ、そして現時点での結論 (Gigazine)

いろいろな情報を総合すると「触媒」と称する金属と反応して水素を生成しているらしい。だったら、その金属は「触媒」じゃなくて「燃料」じゃないか。この金属が反応しきったら水素生成はとまる、と企業側も認めたようだ。だとしたら「水と空気だけ」というのは看板に偽りありと言わざるを得ない。

この騒動を見て思ったんだが、いわゆる「一般の人たち」は、「エネルギー保存則」をちょっと甘く見てないかい。「『無から有は産まれない』という理屈はわかるが、いずれ科学が発達すればどうにかできるんじゃないか」とか考えていないかい。冗談じゃない。
ふつう時間や空間は不変のものであるように思われているが、それをぶちこわしたのがアインシュタインである。ではなぜアインシュタインが時間や空間を不変の地位から引きずり下ろしたかと言えば「エネルギー保存則と辻褄をあわせるため」という見方もできるだろう。科学者にとって「エネルギー保存則」の大原則を守るためなら時間や空間を曲げることも厭わない。それは過去から現代まで、われわれの物理法則理解がすべて「エネルギー保存則」の上に成り立っているからであって、それをひっくり返すくらいだったらまだ時間空間を再解釈したほうがはるかに影響が少ないと考えているのだろう。

誰かが言っていたけど、もしこの会社の「発明」が本当だとしたらクリーンエネルギーどころの話ではなく、ノーベル賞どころの話ではなく、これまでの科学の歴史を全部チャラにするような大事件だ。マスコミ向けにデモなんかしてる場合じゃないですよ。

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2008年5月31日 (土)

「チャーリー・ウィルソンズ・ウォー」

久しぶりに映画館で映画を観た。

レビューを読むと、人によって物凄く評価が低かったりする映画だが、実際に観てみるとそれほどひどいわけではないと思う。だがちょっと中途半端な印象は残った。

娯楽映画ではないのは確かで、何らの予備知識もなく漠然と観ているとわけがわからないだろう。確かに説明不足なところはある。アメリカ人は、ハインドや12.7ミリやエリコンやミランやスティンガーという単語だけで何かわかるのかもしれないなあ。だとすると、日本人が常識不足なのか。

三十一としては、いろいろと貴重な記録フィルムを観ることができて充分満足した。ハインドやらT72やらMiG27やらがふんだんに出てきて楽しかったです。ただ、スティンガーに撃墜された戦闘機のうち1機はF16に見えたのは気のせいだろうか。

「ロシア軍=共産主義者=悪」という単純な図式を自明のものとして描写しているところが単純なアメリカ人らしい。

中にはアフガニスタンにスティンガーを供与したのが今ではアメリカに仇をなしているというレビューもあったけど、ことはそう単純ではないだろう。

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2008年4月 2日 (水)

名曲探偵??

いまちょうど国営放送で名曲探偵アマデウスの予告編みたいなのをやってたので何となく見ていたのだが。

つまらん。

半端にアナリーゼの真似事をしているようにしか見えん。無駄に芝居がかってるし。
誰をターゲットにしてるんだろうなあ。

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2006年12月15日 (金)

映画「硫黄島からの手紙」

先週に引き続き、今週は日本担当分を。アメさんのほうはわりとすいてたのに、こっちは行列ができていた。理解できん。とは言え、三十一もその行列作りに一役買ってるわけだが。

戦争映画では戦闘シーン描写にもっとも重きを置く三十一の正直な感想は、「ふたつ見る必要はなかった」というもの。「星条旗」にない独特のシーンというのはほとんど見受けられず、むしろ「これ『星条旗』の使い回しじゃねえ?」というシーンが多い。

そういう観点を離れて見ると、とにかく渡辺謙がすべて。少しいい人すぎるような気がするけど。準主人公の元パン屋の兵士の苦悩もさんざん使い古されてきたテーマだ。永遠のテーマと言えないこともないが。中村獅堂(漢字あってる?)が演じる将校はあまりにステレオタイプ。ステレオタイプな役なりの掘り下げ方が欲しかったけど、そのへんがおざなりなのでリアリティがない。

両方見て初めてつながるようなシーンがいくつかあるけど、それだけのために見るのはちょっともったいない。個人的にはアメリカ版だけで十分だった。

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2006年12月 8日 (金)

映画「父親たちの星条旗」

久しぶりに会社帰りに映画を見てきた。
硫黄島二部作のうちアメリカ担当分の「父親たちの星条旗」だ。もちろん三十一が注意して見るのはドラマやストーリーなどではなく戦闘シーンの描写である。
戦闘シーンの大部分が細切れに挿入されている演出は、三十一的にはうっとうしいだけである。前半部分で比較的まとまって流される上陸シーンの質も「プライベートライアン」を超えるものではない。おそらくこの映画でもっとも刺激的な死体描写も、わかりやす過ぎてかえってお化け屋敷のような嘘っぽさを感じてしまう。そこがスピルバーグとイーストウッドの違いなのかな。
しかし損をした気分にはならなかった。主人公たる米軍の視点からみた映像よりもむしろNPCたる日本軍の視点でみた映像がなかなか出色だった。日本軍が手ぐすねひいて待ちかまえているところにのこのこと姿をさらす米軍というシーンでは思わず背筋がぞくぞくした。三十一の体内の日本人の血が騒いだということかな。

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