2017年11月13日 (月)

伊豆への踊り子

10月の初めに水戸に向かうとき、常磐線の下り特急を待っているあいだに反対側のホームに常磐線では見慣れない185系の列車がやってきた。上野東京ラインの開業で運転が可能になった常磐線方面から伊豆急に直通する臨時踊り子だ。もちろん存在自体は知っていたが、全席指定なので利用することはあまり考えていなかった。しかし実際に走っているところをみてみると意外に空いているように見えた。そのとき、この臨時踊り子を使って伊豆に行く計画が生まれた。

かつて若かったころ、伊豆周辺はかなり訪れた。熱海から稲取熱川天城峠、西伊豆から石廊崎まで。熱川バナナワニ園にも2回くらい行ったかもしれない。しかしそのときの足はすべて車だった。小学生くらいのときに伊豆に行ったような気もするがはっきり覚えていない。熱海で東海道本線から分岐するJR伊東線、さらに下田まで延びる伊豆急線はいずれも電化路線だが、こうした「乗ったのか乗っていないのかはっきりしない」路線がいくつかある。これまでこうした路線の「あいまいさ」はかなり解消(つまり乗車)されたが、伊東線と伊豆急はまだあいまいなまま残っていた。かつてさんざん訪れただけに、他の目的で今後訪れる可能性も少ないので早めに解消しておこう。

基本的な行程は下田まで行って帰るだけ、行きは例の臨時踊り子を使うことに決まっている。帰りについては多少の検討の余地はあるが、下田泊なんて選択肢は最初からなかった。小田原あたりまで戻ってきて一泊、というのも一瞬考えたが、そこまで帰ってくるんだったら自宅まで戻るのも一緒だという判断にいたった。要するに日帰りということだ。

土曜日の午前中、松戸駅で踊り子を待ち受ける。乗車券は前日に「週末パス」を入手しておいた。日帰りでも伊豆急下田まで往復すれば元はとれる。指定席は前日に駅で確保したが、意外に空いていなくて座席にかなり悩んだ。A席が海側になるのだが、だいたい1両に2-3個所しか空いてない。CD席はガラガラなんだけどね。できるだけ周囲に空席が集中している席を選んで指定券を確保した。乗り込んだ席の前は空席だったが、後ろには年配の女性の団体が。会話の内容が漏れ聞こえてくるが、「柏で」「野田線の」「流山に」とローカルな話題が漏れ聞こえてくるのがいかにもそれらしい。前の席には北千住で男性客が乗ってきた。上野から上野東京ラインに入って東京へ。東京からまとまった人数が乗車してきたのが意外だった。この先はお馴染みの東海道本線。国府津あたりで海が見え、小田原からは海岸線沿いを走る。北千住で乗り込んできた男性が降りていった。なるほど、伊豆旅行ではなくても常磐線方面から神奈川県西部に向かうのに便利な列車なのだな。根府川橋梁を越え、渋滞する真鶴道路を見下ろす。熱海着。ここから伊東線に入る。左手に島が見える。伊豆大島だ。
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さらにその右側に一回り小さい山がちな島と、そのまた右側に平らな島が見える。利島と新島ということらしい。
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伊東から伊豆急線に入る。伊豆急は海岸沿いを走るイメージがあるが、意外に列車からは海は見えない。むしろ、伊豆急の駅の多くで通学の高校生を見かけるのが意外だった。観光地の伊豆にも生活はあるのだということに改めて気づかされる。
伊東線と伊豆急線はいずれも単線。しばしば交換待ちが生じるが上り列車の一部に遅れが出ているために少しずつ遅れてきた。2時半少し前に終点の伊豆急下田に到着。
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さて帰りの列車まで1時間半ほどある。当初は予定していなかったのだが、下田の駅前から展望台に登るロープウェーがあるらしいのでそれに登って、時間が余れば食事でもしようかと思っていたのだがあいにくの強風でロープウェーは運休。時間が余ってしまった。とりあえず港方向に向かってあてもなく歩き、「ペリー上陸の地」という碑にたどり着いたところで折り返す。
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食事できるところを探しながらではあったが、気がついたら駅前に戻ってきてしまっていたのでファストフードで軽食がてら時間を潰し、タイミングをみはからって駅へ。
伊豆急下田駅では列車別改札をしているのでしばらく待つ。やがて改札が開いて行列ができたが三十一はこういうときに並ぶことをしない。順番がくるまで待っているのは無駄なので空くまで座って待つ。適当に空いたところで改札を通る。
これから乗るのは251系のスーパービュー踊り子。「踊り子」に使われている185系も「スーパービュー踊り子」に使われている251系もそれほど遠くない将来に置き換えられると予想されるので乗るなら今のうちだ。
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スーパービュー踊り子は全席指定だが土曜日午後の上り列車なのでガラガラ、席は選び放題。始発の伊豆急下田ではひと車両内に乗客は自分だけだったので記録として車内の写真を撮る。
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発車は16時07分。この時期の日没は16時半過ぎで、景色が見えるのはせいぜい17時の伊東あたりまでだろう。行きにも撮った伊豆大島だが、夕日に照らされてまた少し違った風情。
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さて稲取で学生と思われる団体が乗車してきた。なぜ学生と思ったかと言えば、土曜日に帰京しているということは普通に考えると金曜あるいはそれより前から来ているということで、そんな余裕のある日程が組めるのは個人ならともかく団体では学生くらいだろう。やがて向かい合わせにした席で酒盛りが始まった。スーパービュー踊り子にはアテンダントが乗車しているのだが、まるで居酒屋の店員であるかのように酒とつまみを大量に注文してご機嫌である。すっかりできあがった学生のほとんどは横浜で降りて行き、いつの間にか東海道線から横須賀線に転線していた列車は鶴見から品鶴線に入り、武蔵小杉に停車してさらに新宿方面に向かう。三十一の帰宅とは方向が微妙に違うのだが、素直に帰宅するためには横浜で降りるしかない。しかし横浜からまた東海道線に乗り換えて東京・上野に出るのも面倒だ。横浜の次は武蔵小杉・新宿と停車して池袋が終点となる。武蔵小杉は論外にしても、新宿から上野も意外に面倒くさい。いっそ池袋まで行ってしまって山手線で上野に出るのがよかろう。というわけで池袋まで乗って帰宅する。

11月11日の旅程:
松戸 (1059) → 伊豆急下田 (1421+4=1425) 9131M
伊豆急下田 (1607) → 池袋 (1904) 3060M

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2017年10月11日 (水)

大洗も鹿島も聖地に違いない

連休最終日。
前日は体力を温存するために新潟宿泊を断念して新幹線で帰宅。自宅に戻ったときは11時を回っていた。しかしそのまますぐ休んだわけではない。少しの間ではあるが時刻表と格闘してから床に就いた。
昨日使った「週末パス」は2日間有効、もう一日使える。あまり遠出をするつもりはないがまるっきり無駄にするのももったいないので、多少なりとも有効活用できればそれにこしたことはない。だがそれも当日実際に起きたときの時間と調子と気分による。
標的となったのは鹿島臨海鉄道大洗鹿島線。未乗車の非電化単線鉄道のうちでは比較的長い区間になる。実は「週末パス」のフリー区間の範囲では最長なのだ。それから大洗鹿島線につながるJR鹿島線に乗り継ぐ。こちらも電化路線ではあるが未乗車。この区間に乗車すれば千葉県内のJRはほぼ完乗となる。残るは成田空港線だけだ。水戸から鹿島線を経て佐原、成田に出るというスケジュールがまず決まり、オプショナルツアーとしてその前にひたちなか鉄道湊線を往復するというプランを計画したところで、後の展開を運に任せて寝につく。
翌日起きた時間ではすでにひたちなか鉄道のオプショナルツアーは実行不可能な時間になっていた。しかし鹿島臨海鉄道には充分間に合う。気分も悪くない。それでも快速では間に合わない時間になってしまったので特急「ときわ」を使って水戸に向かう。今年の春も出発が遅くなって特急を使った気がするなあ。学習しろよ。

水戸駅では二両編成のディーゼルカーが上り特急ホームの片隅に待っていた。そこそこ乗客がいたがクロスシートに席をとることができた。運転席のすぐ後ろなので比較的前方もよく見える。
定時発車。鹿島臨海鉄道はJR常磐線から右方向に分岐するはずなのだが、本線の右手にはヤードが広がっている。このヤードを横切ってから分岐するのかしらと思ったのだが、常磐線と鹿島臨海鉄道が並行して走っているあいだにヤードが途切れてそれからおもむろに分岐した。地平を行く複線電化の常磐線から離れて単線非電化の鹿島臨海鉄道は高架橋に登ると立派なトラス橋でそれほど広くもない運河を斜めにわたり、そのまま高架で海に向かう。東水戸、常澄と単線ながら立派なコンクリート造りの高架橋に置かれた島式ホームの駅に停まっていく。常澄駅では足元のおぼつかないお婆さんが下車していったが駅の階段を無事に下りていけるか心配になった。コンクリート剥き出しの高架橋上をいくためかディーゼルエンジンの騒音がかなりうるさい。やがて街並みが見えてくると大洗。ここが運転の拠点になっているらしく、運転士もここで交代した。前後は高架橋になっているのだがここだけ広めの盛り土構造になっており、ホームと駅舎、それから留置線が置かれている。大洗を出ると再び高架橋。はるか左手にかすかに水平線が見えるようだ。港には大きなフェリーが停泊していた。
このあたりまでは平坦な地形の上に高架、という風景だったのだがだんだん地形に起伏が現れ始める。ときに線路が切通しを行くようになる。右手に大きな湖が見えてきたので北浦かと思ったら涸沼だった。徳宿駅では掘割の中に線路と片面ホームがあって、階段を上ったところに駅舎があった。新鉾田あたりでは線路は地平を走る場面が多くなる。そういえば騒音もあまり気にならなくなった。北浦湖畔では今度こそ本当に北浦を望む。
地図で見ると鹿島臨海鉄道は海岸沿いを走っているようだが、実際には海岸の後背地にできた段丘の陰を走るので海はほとんど見えない。ふと気づくとまわりから田圃が消えて畑ばかりになっていた。水はけの良すぎる砂地では田圃は作りにくいんだろうなあ。日本で一番長い駅名という触れ込みの「長者ヶ浜潮騒はまなす公園前駅」にも停車するが「日本一長い駅名」というのがいたちごっこになっていた時期があるので本当に今現在一番長い駅なのかどうかは定かではない。気になる人は自分で調べてみてください。

やがて貨物線と合流。ヤードが広がり、コンテナを積んだ貨車が見えたかと思うと、停留していたEF65電気機関車が車窓をかすめる。そういえばいつの間にか架線が張られているようだ。目前に立派なホームが見えてきたが列車は減速する気配を見せない。ホームからヤードをまたぐ跨線橋がのびた先には大きなスタジアム。サッカーの試合などのイベントがあるときだけ営業する臨時駅の鹿島サッカースタジアムだ。以前は北鹿島駅と呼ばており、正式にはここが鹿島臨海鉄道とJR鹿島線の接続駅になるのだが、なにしろ普段は旅客営業を行なっていないので客扱上では接続駅は鹿島神宮駅になっている。鹿島サッカースタジアムを通過した列車は鹿島臨海鉄道の鹿島臨港線から右に分岐する形で進む。ここはすでにJRの鹿島線になるわけだ。やがて左手に常陸一宮鹿島神宮の森を見ながら高架の鹿島神宮駅に到着。鹿島神宮駅は1面2線の島式ホームだが鹿島臨海鉄道とJR鹿島線でホームを使い分けているらしい。とは言え貨物列車も通るからずっと占拠しっぱなしというわけにもいかないだろう。
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JR鹿島線の列車は、千葉県内のローカル線ではすでにお馴染みの209系電車4両編成。一部の車両はロングシートからセミクロスシートに改造されている。クロスシートはすでにいっぱいだったので先頭車のロングシートにいったんは席をとったのだが、クロスシートに座っていた母子が「この席暑い」と言い出して席を立ったのですかさずそのあとに移る。209系は熱線吸収ガラスを使っているかわりに日除けカーテンが廃止されたのでときに暑く感じることがある。しかし三十一には少々の暑さよりも優先するものがあるので母子が放棄した暑い席を占拠した。
JR鹿島線は地形の関係もあってほぼ高架。軟弱な地盤の水郷地帯を行くだけあって、湿気の多い地上に線路を敷くよりは地下深くの岩盤から支柱を立ち上げて高架構造とし空中に線路を敷くほうが路盤が安定すると考えたのだろう。延方駅も潮来駅も高架橋上に設置され、縦横に走る水路も何事もないかのように超えていく。霞ヶ浦と利根川を結ぶ常陸利根川を超えると十二橋駅。まわりには田圃しかない、高架橋上に片面ホームだけがある駅舎もない無人駅だが、ひとかたまりの若い女子が乗車してきた。私服姿なので大学生かとも思うが、まわりにそれらしい施設は見当たらない。彼女達はいったいどこから沸いて出たのやら。十二橋駅を出ると利根川を直角に渡り、渡りきったところで大きく右にカーブして成田線に合流する。このあと、佐原から成田線に乗り継いでいったん成田に出てから帰宅するがこのあたりは去年にも来たので省略。

10月9日の日程:
柏 (1053) → 水戸 (1147) 57M
水戸 (1200) → 鹿島神宮 (1317) 137D
鹿島神宮 (1323) → 佐原 (1344) 536M
佐原 (1352) → 成田 (1428) 2450M
成田 (1446) → 錦糸町 (1552) 4464F

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2017年10月10日 (火)

貴社記者帰社汽車

三十一が重宝しているJR東日本のフリーきっぷには「三連休パス」と「週末パス」がある。「週末」は繁忙期を除く毎週末利用できるが、「三連休」のほうはもちろん三連休でないと発売されない。ところが違いはそれだけではなくて、「週末」はおおむね宮城県・山形県以南のJR東日本路線が対象であるのに対し、「三連休」では岩手秋田青森県を含むJR東日本全線(いまは函館付近も含まれている)が対象に含まれている。せっかくの三連休、「週末パス」では行けないエリアの未乗車非電化単線区間を踏破しようかと思い立つ。
対象エリアで現在未乗車の非電化単線区間は4つ。津軽鉄道、JR男鹿線、由利高原鉄道、JR北上線だ。三連休パスを使えば一気に制覇できそうだ。ところが急な話でホテルがとれない。連休初日の夜、青森、弘前、秋田、盛岡で検索してみたが空き部屋が見つからない。仙台あるいは福島あたりなら確保できそうだが、目的地と距離がありすぎる。どうしてもこの連休でなければいけないというわけではないので、このプランは断念した。いきなり出鼻をくじかれてしまったので詳細な計画にまでは至らなかった。

ケチがついてしまったのでいっそ連休は自室で安静にしていようかとも思ったのだが、天気予報によると夏かと見まがうような暑い連休になるとのことでもあり避暑がてら出かけることにした。利用するのは「週末パス」だ。
当初「三連休パス」で考えていたのにひきずられて、「週末パス」で行けるできるだけ遠い未乗路線を目指すことにした。具体的には福島県の会津鉄道だ。会津鉄道はもと国鉄の会津線で第三セクター化され、さらに日光側の東武線と接続されて浅草からの特急が乗り入れるようになった。その間は「野岩鉄道」という別の会社線になっている。
もちろん、これまでにも機会があれば会津鉄道に乗車したいと思っていた。それが未乗車のままになっていたのはやはりそれなりの理由があるのだ。国鉄会津線は会津若松から会津盆地を南下して会津滝ノ原(現在の会津高原尾瀬口)に至っていたが、さらに延伸して日光の隣、今市で日光線に接続するという構想があった。国鉄改革でいったん凍結されやがて第三セクターの野岩鉄道を設立して工事を再開することになったが、地域の有力企業である東武鉄道が出資したこともあり接続先が国鉄日光線から東武鬼怒川線に変わって完成された。会津鉄道に乗るためにはかつての経路である会津若松まわりと野岩鉄道経由の両方があるが、東京方面から野岩鉄道経由で行く場合には東武を利用するのが一番便利ということになる。しかしそうすると「週末パス」を使う意味がない。とにかく非電化区間だけに乗れればいいというなら、会津若松側から非電化区間の末端である会津田島まで往復するのが一番簡単なのだが、電化区間とは言えその先の山越え区間が未乗のまま残ってしまう。どうせならこの区間も乗ってみたいのだ。会津鉄道と野岩鉄道と東武鬼怒川線は事実上一体として運用されているが、そこに東武とはライバル関係になるJR日光線を組み込もうとするととたんに話が簡単でなくなる。JR日光線と東武日光線は同じく日光を目的としているが、その途中では実はほとんど交わらない。どちらかを選ぶとどちらかを捨てるしかないのだ。便利なのは東武だが、「週末パス」利用を前提とするとJRを使いたい。こうした問題があって、これまで後まわしになってきていた。しかしいつまでも後まわしにしておくわけにもいかないので本腰を入れて計画を立てることにする。
時刻表を調べてみると、鬼怒川方面から会津若松まで直通する AIZU マウントエクスプレスが走っているので、これを利用するのが便利そうだ。ひとまず時間帯のいい下り3号を軸に考える。幸いなことにこの3号は東武日光始発。「週末パス」を使ってJR日光駅まで行ってそこから東武日光駅まで歩き、「週末パス」で乗れない東武線、野岩鉄道線、会津鉄道の末端部分は別途運賃を支払うことにしよう。

AIZU マウントエクスプレスの発車時間から逆算して東北新幹線でまず宇都宮へ。そして日光線で日光へ。本当は、せっかく宇都宮まで来ているので未乗車で非電化の烏山線に乗りたかったのだが、今回はその時間がなかった。優先順位は会津鉄道なので今回は断念。日光線も初乗車なのだが使用車両はお馴染みの205系電車。外国人観光客がかなり目立つ。50分近い乗車時間のあいだに駅はわずか6つ。日光線はレトロ観光路線としてのブランディングがなされており、駅舎や車両にもそれらしいデザインが施されている。終着日光駅では大きなバッグを背負った外国人観光客や、対照的に軽装の若い女子の団体が群れをなす。駅員が「ジャパンレールパスを利用する外国人乗客は有人改札口へ」と英語を交えて繰り返し叫んでいる。乗り換え時間は15分ちょっとしかない。その間に東武日光駅まで歩いて、しかも運賃を調べてきっぷを買う必要がある。かきわけるように改札を出て駅舎の外へ。駅前広場で見回せば見つかるだろうと思っていた東武日光駅だが、目に入らない。いちおう事前に位置関係は調べておいたので東武日光駅があるはずの方向にむけて歩き出す。広いバスターミナルの向こうに見える三角屋根がそれらしい。思いの外距離があり少々焦ったが、10分くらいの余裕で東武日光駅にたどり着き、会津田島までの切符を買う。2050円。
改札を入ると AIZU マウントエクスプレスが頭端式のホームにすでに停車していた。非電化の会津鉄道線に直通するため当然ディーゼルカーだが全線電化の東武の駅では異彩を放つ。3両編成の最後尾車両に席をとる。東武日光線をいったん下今市まで行ってから東武鬼怒川線にはいるのだが、下今市で進行方向がかわるためにそれ以降終点までこの車両が先頭になるのだ。10分くらいで方向が変わるので、座席も最初からその方向に向けられている。秋田新幹線の上り列車とか、佐世保線の特急みどりとか、北海道新幹線開業前の特急スーパー白鳥とかと同じだ。
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東武日光駅を発車した列車はJRの日光駅を見下ろしてまずは下今市に向かう。快速列車という扱いなので停車する各駅でそれなりに乗降がある。下今市ではかなりまとまった人数が降りていったのと入れ違いに、東武特急で東京から来たと思しき観光客が大挙して乗車してくる。まあこれが普通の選択だよなあ。ホームの反対側には100系スペーシアが停車していた。やがて逆方向に向けて走り出し、複線の日光線から右方向に単線の鬼怒川線が分岐する。東武ワールドスクエア、鬼怒川温泉と名前の知られた駅に順次停車していくが、交換相手の遅れがあったのかいつの間にか5分ほど遅れていた。鬼怒川温泉駅では東武最新の500系特急リバティが停車しているのを見かける。新藤原からは野岩鉄道線に乗り入れる。単に会社がかわっただけではなく、野岩鉄道線はもともと鉄建公団による建設線だから、高架やトンネルが多い直線的な線路形状になる。ことにこのあたりは栃木福島県境の山岳地帯だからなおさらだ。沿線には有名な川治温泉などがあるが線路は駅付近でちらりと外界に顔を出すだけで大半はトンネルの闇の中。ダム湖もあるのだが車窓から見えるのはほんのわずか。ただし野岩鉄道線は全線直流電化されていて、東武特急や東武線の電車が乗り入れてくる。しかし今乗っているのは直通のためのディーゼルカーだから電化の恩恵は受けられない。やがて分水嶺を越えて福島県にはいると会津鉄道との結節点となる会津高原尾瀬口。国鉄時代は会津滝ノ原と呼ばれていた。しかし少なくとも車窓から見るかぎり、それほど特別な駅とは思われない。集落から少し離れた高台にぽつんと置かれた何の変哲もない中間駅に見える。

実はこのあたり、まだスキーをやっていた頃に奥会津のスキー場への往復でよく車で通った道筋なのだ。週末に日帰りでスキーに行くときは南郷とか高畑のスキー場に行くことが多く、そのときに川治温泉方面から野岩鉄道に並行して走る121号線を使って奥会津に入るというルートを多用していた。もっともスキーのためにこのあたりを走るときには大抵明け方または夕方過ぎで昼間に走ることはなかったので景色に見覚えはない。

会津高原尾瀬口から北は会津鉄道線になるが、このあたりはまだ電化されている。もともとの起点終点から考えると末端になる会津田島より南が直流電化されて日光方面からの電車が乗り入れる。会津田島より北側は非電化のままだ。もともとの起終点とは違って、日光と直結することになるかつての末端側がいまでは表玄関になってしまっている形だ。しかし終点の会津若松まで行くのであれば、JRの東北新幹線と磐越西線のルートには太刀打ちできない。だから多少なりとも入り込みが見込める会津田島までが電化されて、それより先は非電化で放置されているのだろう。野岩鉄道の沿線では観光資源は川治温泉くらいしかない。野岩鉄道が開業する際に、東武と接続するのであれば会津鉄道側でもせめて会津田島まで電化して電車を乗り入れる形にしなければ野岩鉄道の経営そのものが成り立たないと判断されたのだろう。つまり野岩鉄道の開業と会津鉄道の一部電化はセットなのだ。

会津鉄道線、というか旧国鉄会津線は、阿賀野川の支流が作る細長い可耕地に沿って走る。この谷筋が屈曲すればそれに従って線路も方向を変える。この細長い盆地はやがて大きな会津盆地に呑み込まれることになる。川と線路はおおむね同じ方向に走るからときどき交差することがあり、鉄橋上から見下ろす渓谷は意外に深い。南北に走る谷筋と線路が少しだけ東西向きになったところが会津田島駅だ。ここはかつての南会津の中心地で郡役所も設置されており、当時の郡役所跡が残っていて観光地となっている。現在では郡は単なる地域名でしかないが明治時代までは郡は県の下位、町村の上位に置かれた中間的な行政機関だった。会津田島駅は電化区間の終点なので折り返しホームや留置線が置かれている。折り返しホームには鬼怒川でも見たリバティの編成が停車していた。非電化区間に入ると周囲は完全にローカル線の風景。それほど広くない谷は田圃に覆われ、黄色く熟した稲が穂を垂れている。このあたりではこれからが刈り入れ時期らしい。会津下郷駅で逆方向の AIZU マウントエクスプレスと交換。この待ち時間に販売員が乗り込んできて「ますバーガー」と「花豆パイ」を売り歩く。けっこう売れていたようだ。芦ノ牧温泉前後では再び山越えになる。長いトンネルが続き、地図で調べるとダム湖があるらしい。ダム建設によって新線に切り替わったことが容易に推測できる。これが最後の山越えで、あとは会津盆地の市街地を行くようになり、左から只見線が合流すると近代的な西若松駅。会津鉄道はここまでだが列車は二つ先の会津若松まで行く。

さて会津若松からのルートは二つ。磐越西線を東に向かって郡山に出るか、あるいは西に向かって新潟方面に出るか。どちらのルートも既に乗車済みなのでどちらでもかまわない。しかし郡山には今年の春に来たばかり。郡山から仙台に出て宿をとり、仙台付近の未乗区間を乗りつぶして帰京するというのも考えたがどうもいまいちだ。いっそ新潟に出るのはどうだろう。新潟に宿をとることができれば、未乗の越後線や弥彦線を踏破することができるだろう。どちらも電化路線だが電化されたのは比較的最近で意外と面白いかもしれない。実は少し前から気になってはいたのだがなかなか機会がなかった。そこで磐越西線を新潟方面に向かう列車を調べてみると、次の普通列車までは二時間近く間が空いてしまう。なかなかうまくいかないなあ。ところが今日は三連休の中日。普段は走らない列車が時刻表に掲載されている。AIZU マウントエクスプレスから一時間弱で接続する新潟行きの臨時列車「SLばんえつ物語号」だ。ただしこの列車は全席指定、まさか前日の夜になって席がとれるわけがないだろうと思いながらも駄目もとでネット予約に挑戦したところ、予期に反して予約できてしまった。しかも窓際席で。こうして新潟に向かうことが確定する。
いったん駅前に出て遅い昼食がとれないかと右往左往していたときに駅舎の屋根の向こうから黒い煙が立ち上るのを見つけたので、昼食はあきらめて駅売店でパンを買って改札を通る。列車はまだホームにつけられておらず、ついさっきまで乗っていた AIZU マウントエクスプレスの隣の線路で準備をしているようだが、AIZU マウントエクスプレスが邪魔をしていてよく見えない。やがて AIZU マウントエクスプレスが発車してしまうとホームで待ち構えていた鉄分の濃い人々が一斉にカメラを向ける。たぶんよそから見ると三十一もその一員でしかないんだろうなあ。「SLばんえつ物語号」は戦後型の C57-180 が12系客車を改造した7両編成を牽引する。考えてみれば客車列車に乗るのは2008年に九州へ往復したときに乗車した「はやぶさ」以来だ。
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C57 が牽く列車は白い蒸気を吐きながらいったん喜多方方面に引き上げる。せっかくなのでこの場面は動画にしてみた。そのうちどこかに置くかもしれない。やがて客車を先頭にした推進運転で列車がホームに据え付けられる。今度は鉄と、これからこの列車に乗車しようという家族連れが入り混じってSLに群がる。三十一はそれを遠巻きに見て、念のためにとカメラを向けては見るもののあまり満足いくものにはならず早々に離れて客車のほうを見て回ることにする。客車は高級感をめざしてか茶系の艶出し塗装が施されているがよくよく見るとベースが12系客車だけあって外板にはかなり傷みが見受けられ経年は隠しきれない。車内も展望車やグリーン車は全面改造されているものの三十一が乗る普通車指定席は伝統的なクロスシートだ。三十一の席は進行方向左側、窓際ではあるものの後ろ向きの席だ。同じボックスで相席になったのは五十絡みの男性で抱えたバッグには鉄分の多い缶バッジ(材質はアルミだろうけど)がびっしりと飾られたわかりやすい鉄人でした。
やがて長一声の汽笛とともに客車列車特有の衝撃をともなって発車。電車しか乗ったことがないであろう一般客はびっくりしたようだ。このあたりはまだ平坦なので、薄い煙を引きながら会津盆地を行く。ポイントポイントでは撮り鉄の集団が待ち構える。磐越西線はほぼ東西に走るので、上り列車下り列車いずれも順光になる。喜多方を出ると電化区間は終わり。車内からだとわからないがやはりSLには架線の下は似合わないだろう。磐越西線そのものはこれまで二度ほど乗車したことがあるのでそれほど目新しくない。阿賀野川を右にあるいは左に見ながら走る。野沢駅で10分停車。給水と点検のためということだが、格好の撮影タイムとなり三十一もカメラをつかんでホームに下りる。順番に運転台に乗せてくれるらしくホームに行列ができていた。三十一はきっと誰かが撮った写真をあげてくれるだろうと思ったのでその行列には並ばなかった。
山都を出てしばらくして展望車に行ってみる。展望車は両端と真ん中にあるようだが、三十一が行ったのは隣の車両、真ん中の展望車だ。椅子は少なく、窓際に腰掛られるようにバーが設置されていた。長時間これで座り続けるのはつらいだろうが、窓が大きく展望は確かにいい。自席は荷物置き場と割り切って、乗車時間のほとんどを展望車で過ごすのも一案だな、などと考えていたら車内アナウンスが入り「限定ストラップの抽選会があるから席に戻れ」という。三十一はこの手の抽選にあたったためしがないので一瞬無視しようかとも思ったが望み薄とは言えチャンスをみすみす棒に振るのもどうかと思い席に戻る。「抽選会」とのことだったが実際には「じゃんけん大会」でアテンダントとのじゃんけんに勝ち残るとストラップがもらえるということだ。もちろん三十一は早々に負け抜けた。
売店で缶ビール(つまみつき300円)を買って再び展望車へ。三十一は普段酒を飲まない。飲めないわけでもないし嫌いなわけでもないのだが、近頃酔っている時間がもったいないと思うようになった。そんな三十一がビールを買う気になったのだから、やはりどこか高揚していたのだろう。久しぶりのビールが喉に沁みる。飲み終えたころに津川着。ここでも給水と点検のために15分停車する。カメラはずっと手元にある。空き缶を手に立ち上がり、ゴミ箱に捨てるとホームに下り立つ。今日の日没は17時08分、すでに日は沈んでいるが西の空はまだ赤い。その赤い空を背景に乗員がテンダ上にのぼって石炭の掻き寄せ作業を行なっているシルエットがいい感じだ。三十一の拙い写真でその雰囲気の万分の一でも伝わればいいのだが。
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津川に停車している間にあたりはすっかり暗くなった。もはや展望車に残っている意味もないので自席に戻る。終点の新潟まで残り1時間半ほど、その間SL列車に乗っていることを思わせるのは車内に漂う煙の匂いと、駅を発車するときの汽笛と衝撃。五泉、新津と停まって信越本線に入り終点の新潟へ。到着後、先頭の機関車に向かってはみるもののホームの照明だけでは黒ずくめの機関車をうまく撮れる自信がなかったので早々に引き上げる。
さてこの後だが、もともと新潟に泊まるつもりで磐越西線のダイヤを調べてその結果「ばんえつ物語号」の指定席を予約することになったのだが、実は肝心の新潟でのホテルの予約ができなかった。金額を考えなければ泊まれないことはないのだが、どうも三十一の予算を超える。次にもう一度来ることを考えればかえって安上がりかもしれない、とも考えたが休みの最後の一日に無理をするよりは早めに帰京して休み明けに備えたほうがいいかもしれないという気持ちのほうが上回った。もはや三十一も自分の体力に満幅の自信を持てないお年頃だ。結局新潟での宿泊を断念して上越新幹線で一度帰宅することにした。ずいぶん本末転倒のような気がするが成り行きで仕方ない。これくらいいい加減にやらないと長続きしないしね(言い訳)。駅ビルで軽い食事をとって新幹線で帰宅。

10月8日の旅程:
上野 (0922) → 宇都宮 (1009) 255B
宇都宮 (1038) → 日光 (1127) 837M
東武日光 (1143) → 会津若松 (1438) 3756~3157~3157D~3158D
会津若松 (1525) → 新潟 (1906) 8233レ
新潟 (2020) → 上野 (2222) 1348C

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2017年10月 5日 (木)

イルカにのった中年

昨日は天気だったけど今日は曇り空。昨夜は風も強かったようだ。

今日は昨日とは反対に、紀伊半島の西側をまわって大阪に出る。昨日とあわせて紀伊半島をぐるりと時計回りに一周するわけだ。
きっぷはすでに昨日の夕方、新宮駅で海側の指定席を確保してある。始発の次、朝8時半に出る新大阪行きの特急だ。この列車を選んだのは、時間帯がちょうどよかったというのもあるがそれよりも使用車両が283系電車、つまりオーシャンアローであるということが大きい。この区間の特急「くろしお」からはすでに381系が引退し、287系と289系の投入が始まっている。そう遠くない将来、283系は姿を消す。283系は「くろしお」専用に開発された車両で他への転用は難しくこのまま廃車される可能性が高い。ここで乗っておかないと次に乗車する機会はないかもしれない。

新宮駅前には南国らしい植物が植えられているがなにせどんよりとした空模様であまりそれっぽくは見えない。
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これから乗車するオーシャンアローくろしおは6両編制だが、3両編制を2本つなげたもの。新大阪方の先頭車両は非貫通型のイルカのような形状。昔なにかのマンガで「イルカくん」って読んでたけどもちろん公認されたものではない。
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新宮を出るといったん列車は潮岬のほうへ向けて南下する。新宮駅自体はやや海岸から離れた場所に位置するが、熊野川の南岸のこのあたりも七里御浜の続きのような砂浜になっている。しかし線路が海岸線に出たかと思うと砂浜は姿を消し、再びリアス式海岸が現れる。ただし、昨日の伊勢紀伊国境付近の険しい海岸線に比べると起伏は多少ゆるやかでややスケールダウンしたような地形だ。それからこの区間の開通は大正のはじめ頃。その後経路変更などがあったがそれも戦前のことだ。なので、昨日は駅と駅のあいだをまっすぐ直線で結び、山があればトンネルを掘って済ませていた。だから駅間はほとんどトンネルになってしまっていたのだが、いま走っているあたりでは海岸線を回り込んでみたり、あるいはその逆に少し内陸に入って鞍部を乗り越えてみたりとできるだけトンネルを作らない線形がとられている。その結果、細かいカーブが多くなって、だから振り子車両が投入される動機となったのだ。もっとも先に書いた通り381系はすでに撤退、283系も近いうちに引退が見込まれ、後継を勤めるのはいずれも振り子車両ではない287系と289系だ。一時期はいろんな路線で振り子車両が次々投入されてきたが、最近は以前ほど振り子車両の効果に期待しない傾向があるようだ。それもJRグループ内の各会社によって温度差があるようではあるが。
紀伊勝浦から多少旅客が増えてきた。このあたりのローカル列車に使用されているのは105系電車で、これもそう遠くない時期に引退することが確定している。何度か車内から見かけはしたのだが、写真はついに間に合わなかった。やがて太地。クジラ漁で有名なところだが駅は海から少し離れた高台にあり、周囲は寂しい。橋杭岩を見ながらさらに南下すると、本州最南端の駅である串本。昨日書いたとおり串本にはかつて車で来たことがあり、夕食の買い物で駅前付近も走った。その時にも思ったのだが、串本駅のすぐ裏は山。その山裾をまわりこむように線路が走る。
実はこのあたり、ほぼ同じような景色が続いて少しダレてきた。白浜を過ぎ、次の紀伊田辺から複線になる。御坊駅からは紀州鉄道線が出ているはずだが、駅らしきものがみあたらない。駅を出てすぐ、左側に非電化の線路が並行しているのに気づく。やがてその線路はカーブを描いて離れていく。これが紀州鉄道線なのだな。いい加減尻が痛くなってきたころに和歌山。これまで通ってきた街々と比べると格段の大都市だ。ビジネス客や、大阪への買い物客と思しき乗客が急に増えてきた。いま三十一が乗っている指定席もそこそこ混んできた。実質ひと駅ふた駅のはずなのだが、それでも指定券を買って特急に乗るんだなあ。和歌山駅を出ると紀勢線と別れて阪和線に入る。左に紀勢本線の末端部がわかれていく。右側では和歌山線が分岐しているはずだが三十一の座っている席からは見えない。紀ノ川を渡ると、大きく右にカーブし和歌山県と大阪府の府県境をなす和泉山地にそって高度をあげていく。右下に紀ノ川沿いの平地が見える風景は、四国の土讃線が讃岐山地を越えて吉野川河谷におりていくときの風景を思い起こさせた。ピークを越えると大阪府。このあたりは山中渓越えと呼ばれるかつての難所だ。一気に和泉平野に駈け降りる。

今回の旅行では、名古屋から大阪まで紀伊半島をぐるりと回ることに終始した。その間どこにも寄り道していない。寄り道に値する路線がないわけではない。三重県側では参宮線や名松線、関西線の山間部といったJRの非電化路線があり、近鉄賢島線や三岐鉄道・養老鉄道・伊賀鉄道・四日市あすなろう鉄道など興味深いローカル私鉄が多い。和歌山県側では御坊から分岐する紀州鉄道、和歌山付近では紀勢線の末端部、JR和歌山線、和歌山電鉄、南海の高野線や加太線など。特に今回、紀州鉄道をどうするかは最後まで迷ったものだが最終的には断念した。
ではなぜどこにも寄り道をしなかったのか。今回、日程を考えていて思いついたのは、これだけ懐の深い紀伊半島周回という目的と、周辺の中小路線の踏破という目的の両方をいっぺんに済ませようとしてきたことが逆に日程作成を難しくさせ、結局着手に至らずに紀伊半島周辺を空白地帯のまま残してしまうことになったのではないかということだ。二兎を追う者は一兎をも得ず、を地で行くようなものだ。この際、限られた日程でどちらかひとつの目的に専念しよう、具体的には紀伊半島一周だけを確実にやり遂げよう、そうすれば今後例えば三重県の路線をまわるときには多気以南には足を伸ばす必要がなくなるし、すでに乗車済みの区間を利用する場合は夜にかかってもかまわない。大幅に自由度が高くなるのだ。今回はそのための布石でもある。
ついでに言うと、今回紀伊半島を一周するにあたって最後の最後で阪和線を経由することになった。つまり和泉国に足を踏みいれることになる。先日の若狭とあわせてこれで残るは志摩国だけだ。今回、少し寄り道すれば志摩国にも行けたはずだが、まあいい、今後まだ機会があるだろう。

あべのハルカスに見下ろされながら天王寺着。ここから大阪環状線、梅田貨物線を経て新大阪に向かう。そうそう、この梅田貨物線も今回の旅程のポイントのひとつ。「くろしお」か「はるか」でないとこの路線は通れない。関西空港には当面用事はない。福島駅を出ると地上におり、右手に大阪駅の斜めの屋根と丸みを帯びた阪急ビル、左手に梅田スカイビルが見える。淀川を渡ると右手にはおおさか東線の工事が進んでいる。すぐに新大阪着。新幹線に乗り換えて帰京。

今日の旅程:
新宮 (0838) → 新大阪 (1250) 64M
新大阪 (1303) → 東京 (1533) 22A

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2017年10月 4日 (水)

南南西に針路をとれ

今日のタイトルはすんなりと決まった。なんか降ってきました。

昨日の夕方の新幹線で名古屋に来て一泊。
本当はもうちょっと余裕を持って出発すればよかったのだが、午前中にアメフトの生中継があったのと、準備に思いのほか時間がかかって遅れてしまった。先日の北陸旅行でいくつか問題が顕在化したので、その解決策としていくつか新しい装備を調達して勇躍初出動となったのはいいのだが、いざ名古屋に着いて夕食を済ませ、ホテルに入ってPCを広げようとしたところ、ACアダプターを忘れてきたことが判明した。いかな新兵器を導入しても電源が確保できないことにはどうにもならない。一瞬途方に暮れたが、幸いにもここは名古屋駅の目の前。検索してみるとビックカメラが駅のこっちとむこうにあるらしい。既に7時半をまわったが、9時まで営業しているようだ。財布とスマホをひっつかんで押っ取り刀で飛び出す。まず駅のこっち側のビックカメラに行ってみたが、ACアダプターが見つからない。店員を捕まえて聞いてみたところ売り場はわかったが対応する製品の在庫がないという。ないものは仕方ない、もう一軒のビックカメラの場所を検索してそちらに急ぐ。こちらのほうが店舗の規模としては大きいようだ。パソコン売り場を探してみると、首尾良く必要なACアダプターを見つけてゲット。予定外の支出ではあるが、PCが使えないとあまりにも支障がありすぎる。スマホでいいじゃんという人がいるかもしれないが、スマホの充電もPCのUSB端末からとる予定だったのですよ。もっとも、どうしてもACアダプターが見つからなかった場合は代わりにスマホの充電器を買ってくるつもりだった。

翌日(つまり今日だ)、朝ホテルをゆっくり出て名古屋臨海高速鉄道線、いわゆる「あおなみ線」で終点の金城ふ頭駅に向かう。もちろん、終点の金城ふ頭にある「リニア・鉄道館」が目的だ。開館が10時なので、それより早く行っても仕方ない。そのせいで朝がゆっくりになったのだ。平日朝9時半の下り電車だけあって空いている。子供連れをみかけたのでやはり「リニア・鉄道館」に行くのだろうと思ったが駅の反対側の「レゴランド」に向かう親子も少なからず見かけた。「レゴランド」って名古屋だったのか。
途中、南荒子駅付近ではすぐ横の名古屋貨物ターミナル駅の様子がよく見えた。帰りにもう一度見ようとしたのだが、上り電車からは島式ホーム越しになり、しかも背の高いホームドアが設置されていて視界はよくなかった。

「リニア・鉄道館」は、比較的広い展示スペースに車両が整然と展示されているというもので、展示方法については大宮の鉄道博物館と大して変わらない。説明板は(鉄には物足りないだろうが)丁寧だし、旅客車の多くは車内に入ることができるなど、ツボをおさえた展示ではあるもののそれ以上ということではない。結局こうした展示では、何が展示されているかがなによりも重要なのだろうな。JR東海の施設だけあって、新幹線の比重が大きいのが特徴で、三十一にとってはそのぶん新幹線「以外」の車両に集中することができた。だけど本当のことをいうと、一番奥まったところに収納されていて前面からしか見られない「所蔵車両」をもっとよく見たかったよ。「マイテ40」とか「オロネ10」の車内に入ってみたかった。

二階のテラスから全景を撮影したもの。
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奥の収納スペースに「所蔵車両」が並んでいるのが見える。

展示車両を代表してここではイギリス生まれの ED18 に登場してもらおう。
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ひととおり見るのにどれくらいかかるかは人によるだろうが、三十一の場合は1時間ほどまわるともう見るものがなくなった。シミュレーターに申し込んだりすればもっと時間が必要になるだろう。HOゲージのジオラマが展示されていたのだけど、走行音
の中に脱輪しているようないやな音が混じっていて、聞いていられなかったので早々に出て来てしまった。この展示も混雑時は入れ替え制ということだが平日午前中は出入りし放題だ。
展示スペースを出てミュージアムショップを物色。結局カタログしか買わなかった。

いったん名古屋駅までもどる。少し時間があるのでいまのうちに昼食を済ませ、改札を通ってホームへ。
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今日これから乗るのは特急「南紀」だ。
根室・稚内から長崎・鹿児島まで、鉄道で行ける範囲ではほぼ日本中を旅してきた三十一だが、それでも空白地帯というのはある。そのひとつが紀伊半島だ。ずいぶん前、友人と吉野、串本、那智、伊勢(軍艦じゃないよ)と紀伊半島をドライブしてまわったことはある。しかし鉄道を使って旅行したことはなかった。それにはもちろん理由があって、何より紀伊半島の奥の深さだ。名古屋から紀伊半島とぐるりとまわって大阪まで出るには、ほぼ丸一日かかる。日のあるうちに全行程を踏破するためには、どうしても名古屋あるいは大阪で前泊しなければならない。それはいいのだが、和歌山側はともかく三重県側にはいくつか見過ごすには忍びない路線がある。例えば伊勢神宮を擁する参宮線。幾度も廃線話が出た名松線。国内では数少ないナロー鉄道の三岐鉄道や四日市あすなろう鉄道。こうした路線に寄り道していると一日ではすまなくなる。ところが、ちょうど中間地点である新宮や紀伊勝浦では宿がとりにくいのだ。こうした街では三十一が愛用しているビジネスホテルの需要が少ないのだろう。これまで何度かチャレンジしたことがあるのだが、直前になって週末のホテル(特に駅前)はまずとれない。こうしたこともあって、空白地帯として残って来てしまった。
ところが今回、平日ということで試しにホテルを探してみたところなんとかとれそう、という目処がついた。そこでその宿泊を軸に前後の日程を決めるという形で急遽紀伊半島をやっつけることにしたのだ。もっとも、最初は月曜日から出発するつもりだったのだが、火曜日の天気予報が思わしくなかったので比較的予報がよかった日にあわせて日程が最終的に決まったのだ。

名古屋を出るとしばらく近鉄と並走する。行き先表示板の「急行 松阪」という文字もはっきり読める。木曽川・揖斐川・長良川を渡って三重県へ。桑名を出て。富田で行き違いのため運転停車。ここは三岐鉄道の貨物線が分岐する駅だが、突然目の前にクラシックな電気機関車が出てきた。一眼レフの準備が間に合わなかったのでスマホで撮影。垂直が出ていないのはご容赦。
Sangiels

次に停車した四日市では、コンテナ貨物列車がひしめきあっていたが、その一角に突然DD51機関車が姿を見せた。富田と同じようにあわててスマホを構えたが今度は間に合わず。落胆していると目の前を入れ換え中のコンテナ車が通り過ぎていいったが、その入れ替えをしていたのはなんとDD51機関車1800番台の重連だった。なんだここは。最後の楽園か。実は三十一が一番好きな鉄道車両はDD51なのだが、三重ではまだこんなに見ることができるのか。本当に絶滅してしまう前にもう一度来たいものだ。四日市を出ると伊勢鉄道線に入る。そういや、名古屋駅の関西線ホームに「ジャパンレールパスでは伊勢鉄道線には乗車できないので別途精算が必要になります」という注意書きが英語併記で掲示されてたなあ。JR東海さん、リニアを作るカネがあるんだから伊勢鉄道くらいさくっと買い取ってくれないですかね。
伊勢鉄道は関西線と紀勢本線を短絡しているが、鈴鹿を出ると人家がまばらになり、なるほど名古屋方面から津方面に向かう特急や快速が主たる収益なんだなあということがよくわかる。結局そのメリットを一番受けてるのはJR東海だ。この区間、並行して走る近鉄はやや離れて海岸沿いを行く。そちらはだいぶ開けているらしく、駅数もかなり多い。
あ、そうそう。大事なことを言っておかねばなるまい。四日市を出て2駅の河原田を過ぎると、右手に関西本線が分岐していく。これまで線路にまとわりついていた架線と架線柱は関西本線のほうについて行き、伊勢鉄道線はそんな厄介者のいないすっきりした姿で南下する。津ではJR紀勢線と合流するのと同時に近鉄とも再び並んで走るようにはる。名古屋を出たときには並行していた松阪行き急行の姿は(先に行かれたのかあるいは逆か)すでに見えず、かわりにむこうは電車の近鉄特急が見える。何だっけ、アーバンライナーだっけ。
松阪では名古屋を20分早く出た快速「みえ」に追いつく。見ていると、鳥羽方面に向かう「みえ」から新宮方面に向かう「南紀」に乗り継ぐ乗客がかなりいる。このあたりまでは特急料金が不要な快速に乗って、行き先が別れるこのあたりで乗り継ぐのだろう。松阪の次は多気。ここで伊勢神宮や鳥羽に向かう参宮線が分岐する。しかし、線路形状としては参宮線から紀勢線が分岐する形になっている。もともと亀山から多気を経て鳥羽までが参宮線として先に開通し、紀勢線があとから開通したのだが、紀勢本線が全通した機会に亀山から多気までが紀勢線に編入され、参宮線は多気から鳥羽までの区間の名称になった。この分岐の形はそうした歴史の結果なのだ。

多気を過ぎると明らかにエンジン音が大きくなり、登り勾配になったことがわかる。景色もこれまでの伊勢平野から山がちになってくる。この付近は紀伊山地から志摩半島につながる山塊で、伊勢国と紀伊国の国境となっている。線路は沢筋を縫うように登っていく。これまでの平地が嘘のような山岳路線だ。窓からはるか下に白い波を立てながら岩の間を流れ落ちて行く川が見えた。登り切ったところで荷坂トンネルに入り、あとは一気に下って海岸線に出る。海岸に出たところは紀伊長島。ここはもう紀伊国だ。狭くて深い湾、湾を囲む山々、湾奥のわずかな平地に人家。典型的なリアス式海岸だ。こうした集落がこれからしばらくのあいだ、いくつも並んでいる。線路は集落と集落の間をトンネルでつなぐ。このあたりは紀勢本線でも一番最後に開通した区間で、最終的に全線開通したのは昭和34年だ。尾鷲はこのあたりの中心的な街で、大戦末期には測量艦駒橋が湾内で撃沈されている。いまその現場を実見して感慨にふける。三木里と新鹿の間が紀勢線で最後に開通した区間になる。熊野市までこうした地形が続くが、熊野市を出ると一変して長い砂浜が続く。七里御浜と呼ばれる海岸だ。九十九里浜を持つ千葉県に住む身としては、たかが七里で何を「御浜」じゃないだろうと言いたくなるが、これまで延々とリアス式海岸が続く風景を見てきてみれば、その中に突然これだけの長さの砂浜が現れるのは奇跡に思えただろうことが実感できる。
熊野川を渡り、和歌山県にはいって最初の駅、新宮で下車。今日はここで宿泊。考えてみれば、移動時間の大半を三重県で過ごしながら三重県内では一度も足を地面につけなかった。ただ通過しただけだ。

前日の旅程:
東京 (1603) → 名古屋 (1808) 479A

本日の旅程:
名古屋 (0930) → 金城ふ頭 (0954) 339H
金城ふ頭 (1129) → 名古屋 (1152) 356H
名古屋 (1258) → 新宮 (1624) 3005D

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2017年9月29日 (金)

みんなのよい旅プロジェクト

本日は雨。
三十一の旅行はかなり行き当たりばったりなのだが、旅程に大きく影響する要素がいくつかある。まずはホテルが確保できるかどうかだが、それに次ぐのが天気だ。鉄道旅行なら天気はあまり関係ないのではと思われるかもしれないが、荷物を背負いながらカメラを抱えて駅前をうろうろしたりするので、雨に降られると難渋する。せめて小雨であればまだ許容できるのだが、雨がひどくなると窓から車外を見るのにも支障が出るし最悪はダイヤが乱れたりする。なので三十一はホテルではこの先の天気予報と日出日没時刻をにらみながら、ああでもないこうでもないと日程に悩むのが常なのだ。

ところが今日の雨は工夫でどうにかなりそうもない。富山県の今日の降水確率はほぼ午前中いっぱい100%。今日乗る予定の区間を最初のほうにまわしておけばよかったのかもしれないが、そうするためにはここ数日間の旅程をすっかり入れ換えなくてはならなくなるが、今となってはそんなことは無理。もう済んでしまったことはどうにもならないので、雨の中をまわる覚悟を決める。幸いなことに今日の予定では一昨日の武生のように歩いて乗り継ぐようなことはないし、基本的には高岡を中心に往復するだけなので荷物の大半は高岡駅のコインロッカーに預けておけばいい。
昨日ほどではないが今朝も早起き。ホテルから駅まではペデストリアンデッキがつながっていて雨に濡れることはない。万葉線ホームの横にあるコインロッカーにほとんどの荷物を預け、カメラや小物類だけを持つ。
まずは城端線を往復する。今では少し珍しいともいえる、一昔前まではあちこちで見かけたキハ47ディーゼルカーの二両編成。全身オレンジの首都圏色だが、これはリバイバル塗装だろう。二両という「長大」編成なのでいずれ通学する高校生が大量に乗り込んで来ることが想定されるが、いまはまだ少し早いのか、それほど混雑していない。クロスシートの隅っこに席をとる。この時点で自分のスペースを確保しておかないとこの先が大変だ。そうこうしているうちに、富山方面からやってきた列車から高校生が一斉に乗り換えてきて車内は一気に混雑する。危ないところだった。定時に発車するとすぐに旧北陸本線から左に離れて南下する。3分で新高岡。北陸新幹線への乗り継ぎ駅だがビジネス客はそれほど多くないようだ。むしろここから乗り込んでくる高校生が意外に多かった。たまたま近くに駅ができたから、通学にも使おうということかな。駅前には大きなロータリーと駐車場、それとアクの強い女社長で有名なチェーンホテル。新幹線をはさんで反対側の市街地方面には新旧いりまじった住宅が建ち並んでいた。こっちは新幹線にあわせて新規開発されたようには見えない。
新高岡を出ると富山平野の西端を淡々と南下する。二塚を出るともはや使われなくなった工場引き込み線が離れていく。砺波と福野に高校があるらしく、それぞれの駅で高校生がまとめて降りていく。砺波には複数の高校があるようだ。どうでもいいが、あのライトグレーのセーラー服は吹雪のときは視認性が低くて危険ではないかなどと余計なことを考える。軍用機のロービジ塗装じゃあるまいし、だいいちあれは夏服だ。終点の城端到着。
城端駅舎は瓦葺きの重厚な外観。
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相対式ホームだが、もっぱら駅舎側のホームを使っているのだろう。しかし向かい側のホームもきれいに維持されていてまったく使われていないようには見えない。
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折り返しの列車は8時半過ぎなのでもちろんもう高校生は乗ってこない。好きな席を選び放題だが、とにかくまわりは田園地帯だし天気は悪いしで、どの席がいいというほどの決めてがない。相変わらず雨は降っているが、まったく見通しがきかないというほどではない。少なくとも数キロは視程があるようで、とりあえず水平線上の景色までは視界が効いていて特に閉塞感は感じない。しかしその上を見るともう一面の雲に覆われていて、右を見ても左を見ても遠景にあるはずの山はまったくみえない、という絶妙な視界。二塚まで戻ってくると、先ほど見た引き込み線の線路の撤去工事が行われていた。高岡に定時着。あいの風とやま鉄道のホームを越えて反対側にある氷見線ホームへ。一両編成だが車内は空いている。こちらでは意図して右側に座る。右に海が見えるはずなのだ。天気がよければ雨晴海岸から立山連峰が見えることがあるということだが、今日は無理だろう。列車はキハ40の一両編成。「忍者ハットリくん」のラッピング車両だ。富山県は藤子不二雄の出身地だからということらしいのだが、塗装だけならともかく車内アナウンスをハットリくんにやらせるのはやめてほしい。内容が頭に入ってこないじゃないか。能町で貨物線を分岐する。工場引き込み線でもなく氷見線の支線でもなく、れっきとした新湊線という固有の線路名称をもつJR貨物の第一種路線だ。伏木駅の手前でも貨物線が並行する。こちらは工場の専用線のようで、しかも使われていないらしい。
越中国分を出ると富山湾沿いに出る。さっきも書いたとおり、天気がよければ遠く立山連峰まで見渡せるということだが、今日はとてもとても。大きな波が岩に砕けてまるで映画のオープニングのようだ。たまたま撮ったものだが、「男岩」という名所らしい。
Ameharashiinrains
雨晴駅を出ると海岸と並行して走ることは変わりないが少し離れて、海は見えるが波打ち際までは見えなくなる。公園や松林越しに海を見ることなり、そのまま終点氷見に到着。氷見ではかなり強い雨になっており、駅前に出てみたものの、屋根のあるところからかろうじて駅舎を撮る。
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駅の入り口には農協のノボリが。
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JAが展開している「みんなのよい食プロジェクト」をご存じだろうか。実はもう数年前だが、たまたま必要があって某所に電話をした際の保留音が「みんなのよい食プロジェクト」だった。検索すると音源が出てくるので万一興味のある人は聞いてみるとよかろう。自分はこれを多分10回以上聞かされた。切るわけにもいかないし、いつ電話の相手が戻ってくるかもわからないので聞き続けるしかなかった。電話のあと、検索して出てきたのがこのノボリのキャラクターだ。あまり知られていないだろうが三十一にとってはとにかくインパクト大だった。

閑話休題。
構内に戻って「ハットリくん」の写真を撮って乗り込む。
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ちょっとゆっくりしている間に海側のクロスシートに空きがなくなってしまったのでロングシートに座る。高岡に折り返す列車は雨の中順調に走っていたのだが、伏木駅で中学生の団体が乗り込んできた。乗り慣れていない様から高校生ではあり得ない。一両編成の列車の中はたちまち制服姿の中学生でいっぱいになり、それでもまだホームに乗り切れない中学生が待っているようで「詰めろ詰めろ」「座れるやつは座ってスペースを作れ」という声が響く。どうにか全員乗り込んで4分遅れで発車。終点高岡に到着したときには1分遅れにまで回復していたが今度は列車を降りる中学生、階段をのぼる中学生、改札を出る中学生が邪魔をする。

あわてて改札を出て万葉線に乗り換える。万葉線の高岡駅は駅の地平部分に取り込まれて乗り換えは便利だ。万葉線といえば赤い低床電車がまず思い浮かぶが三十一を待っていたのは古典的な路面電車。駅を出ると駅前通りの併用軌道を行く。このあたりは単線で、電停ごとにスプリングポイントによる交換設備がある。これは定時運行という点ではあまり望ましくないのではないかなあ。複線にするかさもなくば専用軌道にできればいいのだが。右折して大通りに出るとしばらく複線が続くようだ。このあたり、右手に高岡城があるはずだが1ブロック隔てているのでそれらしい緑が見えるだけ。それから電車は延々と直進して郊外に向かう。だいぶ郊外の趣が出てきたあたりで米島口。ここには万葉線の本社と車庫があるのだが、看板がなければそれとはわからない質素な本社社屋だ。
Manyosenoffices
米島口を出るとこれまで走ってきた大通りを右に外れて専用軌道に入る。そしてすぐ築堤をよじ登って氷見線と新湊線をオーバークロスする。やがて庄川を渡ると新湊の市街地に入り、さらに市街地を抜けると今度は工業地帯に入る。終点のひとつ手前が海王丸駅で保存されている海王丸への最寄り駅らしい。そして終点の越ノ潟。駅自体は無人だがすぐ先に新湊港口を横断する渡し船の乗り場がある。渡し船は無料ということだが、三十一はそのまま折り返す。
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高岡までもどってあいの風とやま鉄道で富山まで出、一番早い新幹線で帰京。

本日の旅程:
高岡 (0705) → 城端 (0801) 329D
城端 (0838) → 高岡 (0931) 332D
高岡 (0943) → 氷見 (1013) 535D
氷見 (1022) → 高岡 (1053+1=1054) 534D
高岡駅 (1100) → 越ノ潟 (1149) 万葉線
越ノ潟 (1152) → 高岡駅 (1239) 万葉線
高岡 (1248) → 富山 (1309) 439M
富山 (1319+5=1324) → 上野 (1546) 564E

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2017年9月27日 (水)

若狭ゆえ、悩み。

昨夜なぜわざわざ敦賀まで来て宿泊したのか、今から種明かしをします。
去年だったか「律令制国でまだ踏破していない国」を挙げたことがあったのを覚えている人はいるだろうか。実はそのとき「若狭国」が漏れていた。あとになって気づいたのだが、敦賀は福井県のうち嶺南と呼ばれる地方には含まれるが国名でいうと越前になるのだそうだ。若狭だとばかり思っていたよ。というわけで今朝の時点で、まだ足を踏みいれたことのない「律令制国」(島を除く)は「若狭」「志摩」それから多分踏破済みだけど証拠のない「和泉」の3つ。特に「若狭」は今言ったような事情もあってずっともやもやしていたのだが、今回使うことになった北陸フリーきっぷのフリー区間には小浜まで含まれていることに気づき、せっかくなので若狭国に足を踏みいれることにした。
しかし若狭は当初の目的とは違ういわばおまけ。あまり時間をかけるわけにもいかない。その一方で、フリー区間に含まれる小浜まで行って戻ってきてしまうと、「若狭国踏破」という目標は達成できるものの小浜より西の小浜線区間が未乗車のまま残ってしまう。時間を節約するか、この機会に全線乗車してしまうか、葛藤したあげくの解決策が始発で終点の東舞鶴まで往復するという強行軍になった。そのために敦賀に前泊することにしたのだ。
朝6時前に目覚ましで起床。そのつもりがなくても目が覚めてしまうということは近頃よくあるが、意図的に早く起きるというのはこうした旅行のときくらいしかしない。小浜線の電車は125系の直流電車。いまは敦賀駅構内全体が直流になっているが、かつては北陸本線側は交流で、あとから小浜線が直流電化されて敦賀駅には直流と交流が混在していた時期があった。
小浜線の列車はいまはまだ空いているが、やがて高校生の通学列車になって混雑するのだろう。それは覚悟するしかない。荷物の大半は敦賀駅のコインロッカーに置いてきた。敦賀駅を発車した列車は北陸本線とわかれ、敦賀市街地の南のはじっこ、山地と平地の境界付近をぐるりとまわってから西に向かう。この先、リアス式海岸の若狭湾にほぼ沿うかたちで走るので、海にまで達する尾根筋とその間に挟まれた小平野が交代であらわれるという、言ってしまえば代わり映えのない風景が続く。粟野を出て少し走るとそうした尾根筋の最初のひとつを越えていく。実はここが敦賀市と美浜町の境界、つまり旧越前と旧若狭の国境で三十一はついに若狭国に足を踏みいれた。若狭湾沿いを走るとはいえ、車窓から海はほとんど見えない。目の前には田圃が広がり、その向こうには山が重なる。海はさらにその向こうだ。田圃を海に見立ててみると典型的なリアス式海岸の風景に見える。つまりリアス式海岸が隆起したか干拓したかして陸地化されたのが目の前の風景だろう。そのうちブラタモリで取り上げられたりしないだろうか。
三方を過ぎたあたりから高校生が増え始め、一挙に増えたのは大鳥羽だ。小浜市街地にある高校に向かうのだろう。東小浜駅でまとまった人数が降りて行くのと入れ違いにまた少し乗り込んでくる。一斉に下車したのが小浜で、車内はたちまち静かになった。小浜を出て少ししたとき、立派な墓石が見えて「酒井」と読めたのだが、まさか藩主の墓じゃないよね。酒井家は若狭小浜藩の藩主だ。加斗を過ぎたあたりから海が見えてくる。若狭本郷、若狭和田、若狭高浜と海に沿って走るがこの先はまた峠を越えて京都府に入り、終点東舞鶴に到着。東舞鶴にはほぼ10年前に来て以来だ。できれば港まで足を伸ばしてみたかったのだが、今日はそのまま折り返す。あ、もちろん小浜-東舞鶴間はちゃんと別途運賃を払いましたですよ。
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写真は高架の東舞鶴駅に停車する小浜線の列車。

いったん敦賀までまた戻って来ると昼前。今夜の宿泊は富山県の高岡だが、いったん福井まで特急で戻る。午後の予定ははっきり決めていなかったのだが、福井県のJRは全線踏破したので、この際私鉄も含めて全部乗車してしまおう。そうすればもう二度と来なくてもよくなる。いやまあ、新しい路線が開通したりしたらきっとまた来ることになるんだろうけど。とりあえず決まっているのは北陸新幹線の福井延伸。
それはともかく、福井県内の全ての鉄道路線で未乗車なのはもはや2路線のみ。福井鉄道の一部、市役所前-田原町と、えちぜん鉄道の半分、芦原三国線の全線。福井鉄道とえちぜん鉄道芦原三国線は田原町で接続しており、直通運転もしている。往復であわせて踏破するには都合がいいのだ。実はこれが昨日えちぜん鉄道の永平寺勝山線を優先して乗車した理由なのだが、よくよく考えてみれば勝山線を先にする理由にはなっていなかった。しかしそのとき必要だったのは正しい決断をすることではなくてとにかく決断することだったから、別に問題はない。
さて今日も決断しなければならない。田原町まで行く経路はふたつ。駅前の電停から福井鉄道で終点の田原町まで向かうか、あるいは越前鉄道三国線の電車で田原町を経由するか。往復で経路を変えれば両方を踏破できるので、決めなくてはいけないのはどちらを往路にしてどちらを復路にするかだけ。今日の決断にもっとも大きな要素となったのは天気だ。いまはまだ曇り空だが午後から雨が降り出すという予報。田原町での乗り換えでどのくらい歩く必要があるのかまだわからないが、路面電車である福井鉄道からえちぜん鉄道への乗り換えを雨が降らないうちに済ませてしまったほうがいいだろう、という判断から先に福井鉄道に乗ろうと決め、駅前ロータリーの一画にある電停に向かう。時刻表より少し遅れてやってきた電車は5分ほど遅れて発車。さらに駅前支線から本線に合流するところの交差点でかなり待たされる。そのあとは比較的スムーズに走ったが、わずか3つの電停しかない区間で7分の遅れ。それでも田原町駅での乗り継ぎには充分間に合った。
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田原町駅のえちぜん鉄道側のホームから見た福井鉄道の電車。
やがてやって来たのは昨日と同じ単行の電車だが、この車番は昨日と同じでは? 2日かけて二往復して乗る車両はひとつだけ、ってことになるなあ。もう少しバリエーションが欲しかった。しかし今さらそんな繰り言を言っても仕方ない。電車はそこそこ混んでいるが、空席がないというほどでもない。クロスシートの窓際を見つけて着席。次の福大前西福井駅はデパートと一体化した駅らしいが、ちょうどカーブの途中にあってここから線路はほぼ真北を向く。ここからしばらくは市街地や工場地をいくが、九頭竜川を渡ると景色が一変して田園地帯に入る。しかしほぼ北に向かって走ることは変わらない。鷲塚針原駅は福井鉄道からの直通電車が折り返す駅で、そのための折り返しホームが設置されている。
福井県の特に嶺南と呼ばれる地域を除いた部分の地形には大きな特徴があって、海岸線がほぼ山塊で占められていて海岸線からそのまま平野につながるという地形がほとんどない。唯一の例外が三国付近で、九頭竜川とえちぜん鉄道三国線と、かつての国鉄三国線はみなここを目指している。かなりの面積を持つ福井平野にとって海への出口は三国港しかない。今乗っている電車も海に向かっているはずなのだが、このまままっすぐ北に向かうと山地にぶつかってしまう。その突き当たったところで西に曲がると三国に向かえるわけだが、そのちょうど曲がったところに芦原温泉がある。しかし福井駅から30分以上かけてえちぜん鉄道で温泉に向かうのはあまり便利ではないようで、いかにもという温泉客は乗客の中に見当たらなかった。鉄道を利用する場合の主流はJRの芦原温泉駅からバス、あるいは旅館やホテルの送迎車ということらしい。三国の街に入って、三国神社、三国と乗客が降りていき、終点の三国港で電車を降りたのは三十一を含めて3名のみ。アテンダントが東尋坊行きのバスを案内していたけど、利用者はいたんだろうか。三国港駅には平日の朝だけ職員が派遣されるらしく、いまの時間帯は無人。
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三国港駅では小雨が降り始めていた。傘が必要なほどではなかったがこれから天気が悪くなる前触れだと思うとどうしても気になる。今日これ以降、あるいは明日の日程にも影響するかもしれない。
三国港からそのまま同じ車両で折り返すのは三十一だけか、とも思ったが発車間際に外国人らしい二人組の男女が乗り込んできた。この乗客3人で三国港を発車。ちなみに乗員は運転士とアテンダントの2人。アテンダントは乗客の案内、乗車券の発行と運賃の収受、案内放送などを実施しているがドアの開閉操作は運転士が行なっている。逆にいうと特に資格が必要ない範囲の業務をアテンダントが担当しているということだな。三国港から福井に向かっているあいだに少し雨が強くなってきたようだ。田原町から先は福井県内最後に残った未乗車区間。築堤を駆け上って北陸本線をオーバークロスし、右手に車両基地を見下ろしながら築堤をおりて勝山線と合流すると福井口。これで福井県内の鉄道全路線を踏破したが電車はあと二駅、福井まで行く。福井口はいったん地平に降りるがその先の区間は高架に上がる。途中、新福井は高架上に相対式ホームを持つ駅だが、駅自体は仮設なので立派な高架橋の上に構内踏切が設けられている。高架駅で構内踏切が設置されている駅って他にないんじゃないかなあ、と思ったが四国のJR牟岐線と阿佐海岸鉄道の接続駅である海部駅がそうだったことを思い出した。

福井駅から特急に乗っていったん金沢へ。まだ少し時間があるので北陸鉄道にでも乗ってみようかとも思ったが、天気も思わしくないのでここで少し早い夕食をとってから今夜の宿泊地である高岡に向かうことにする。

今日の旅程:
敦賀 (0629) → 東舞鶴 (0822) 924M
東舞鶴 (0855) → 敦賀 (1103) 929M
敦賀 (1125) → 福井 (1159+2=1201) 5M
福井駅 (1223+5=1228) → 田原町 (1233+7=1240) 福井鉄道
田原町 (1248) → 三国港 (1328) 29レ
三国港 (1339) → 福井 (1431) 42レ
福井 (1438) → 金沢 (1526) 4023M
金沢 (1643) → 高岡 (1722) 453M

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2017年9月26日 (火)

ふくい横断鉄道たび

タイトルは苦心の産物。

非電化単線鉄道愛好会会長としては、福井に来たからには越美北線に乗らないわけにいかない。
越美北線は50キロ以上あって未乗車の非電化単線鉄道のなかではけっこう目立つ存在ではあるのだが、周辺に非電化路線がなく接続路線もほとんどないためどうしても後まわしになりがちだった。だが逆に言うとずっと機会をうかがっていたとも言える。今回はきっぷが先にあって北陸に来たわけだが、そういうわけでまず越美北線を制覇することにする。
越美北線の下り始発は6時台だが、越前大野どまり。終点の九頭竜湖までいく始発は9時過ぎだ。それに乗って折り返すことにする。それでも昼過ぎには福井まで戻って来られることになる。

9時少し前に駅のホームに上がる。JR西日本ではお馴染み、ほぼ1年前の山陰旅行でさんざん乗車したキハ120の単行が停車していたがこれは回送。留置線に引き揚げていったあとにやはりキハ120の二両編成がやってきた。うち終点の九頭竜湖まで行くのは前側の車両のみ。後ろ側の車両は越前大野どまりだ。上りの通学列車が二両編成でその折り返しということだろう。
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三十一はもちろん一両目の、前方が比較的見やすい左側に陣取る。福井駅の越美北線ホームは西側、つまり下り線側ホームの切り欠き部分にあるが、越美北線の列車はいったん北陸本線を上り方面に向けて走行するので、発車した列車は本線を二度またいで北陸本線の上り線に入る。やがて右手にコンテナ貨車、左手に電気機関車が見える。貨物駅の南福井だ。南福井を出外れてすぐ、北陸本線の上り線から左に別れていよいよ非電化の越美北線、と思うひまもなく越前花堂駅だ。越前花堂駅は北陸本線のほうにもホームがあって、北陸本線と越美北線の分岐点とされているけれども、構造的には別の駅だ。ここで団体客が乗車してきた。周囲は福井平野の田園地帯。ちょうど収穫時期で、刈り入れ済みの田圃とまだ稲穂が頭を垂れている田圃が入り乱れている。田圃の風景自体は変わらないが、列車が進むにつれ遠くにかすんで見えた山がだんだん大きくはっきり見えるようになってきた。やがて左右から迫ってくる山に押されるようにして線路と道路と川が合流したかと思うと心なしか列車も上り勾配にかかってきたようだ。やがて一乗谷に到着すると越前花堂から乗った団体が降りていった。これまでの平野とは違って今度は川に沿って登っていく。足羽川を右に左にと何度も渡る。ふと見下ろすと川に腰までつかった釣り人の姿。アユ釣りかな。美山付近でいったん小さい盆地に出るが、またすぐ勾配にかかる。計石を過ぎるたところで多分はじめてのトンネルを越えると大野盆地だ。
福井平野の田園地帯から山中を経てたどりついた大野盆地は、福井平野と同じような田園地帯だった。越前大野で10分あまり停車して後ろの車両を切り離す。単行となった列車は大野平野の田圃の真ん中を行く。福井平野で見たのとおなじような風景、つまり遠景の山がだんだん近づいてくるという過程が繰り返される。山が目前に迫ってくると勝原。この先、終点までの九頭竜湖までは比較的近年(といっても40年以上前だが)の開通で、ほぼ全区間がトンネルで、唯一の中間駅である越前下山はトンネルとトンネルのあいだに設置されている。トンネルをぬけると終点の九頭竜湖駅に到着。駅名の由来となっている九頭竜ダム湖は少し離れていて駅付近からはうかがえない。折り返し時間は10分もないのでとてもそこまで足を伸ばしていられない。駅の周囲を少し見てすぐ引き返し、そのままとんぼ返り。
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上り列車(地形的には下りだが)では、右側最前列に陣取る。ゆきの列車と同じ側になるが、前方展望を優先したのだ。すぐ目の前がフロントウィンドウなので、ゆきに見えなかったものがいろいろと見える。とは言え、はじめのうちはほとんどトンネルの中なので景色と言っても暗闇でしかない。勝原を過ぎるとようやく前方がよく見えてくる。柿ヶ島を過ぎて大野盆地にさしかかったところで九頭竜川を渡る。前面展望のおかげで橋梁名までしっかり読み取れたのだが。
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「だいじゅうきゅう・・・」とまで読んだところで気づく。「だいいち・くずりゅうがわ・きょうりょう」だ。漢数字の「一」と「九」が続いて紛らわしい。実はこの橋はかつて東海道線の木曽川橋梁として作られたものを転用したものだということだ。越前大野到着。駅ホームにJRの職員がが立っているのもよく見える。増結するような気配もないけれどここで乗務員が交代でもするのかなと思っていたのだが、到着してみると運転士がタブレットホルダーを取り上げて運転席の窓をあけ、駅員に渡していた。運転席のすぐ横のフロントウィンドウのすぐ下にタブレットが置いてあったのに気づかなかったのに軽いショックを受けたのと同時に、タブレットの受け渡しを目の前で見ることができて少し嬉しかった。駅員から次のタブレットが来るのかなと思っていたがそのままタブレットをもたないまま発車。なるほど、この先は自動閉塞なんだな。一乗谷では例の団体がまたもや乗車して来て車内は急に混み始めた。と言っても立ち客が出るほどではないが。そして越前花堂で一斉に降りて行く。あらかじめ計算していたらしく幹事が運賃をまとめて払っていた。ていうか、あらかじめ駅にでも相談すればきっぷを作ってくれるんじゃないんかなあ。越前花堂を過ぎると北陸本線と合流。ゆきと同じように本線を二度またいで下り線に入る。ほどなく福井着。

さて今夜の宿は敦賀だが、まだ昼過ぎでだいぶ時間に余裕がある。この間に福井付近の私鉄路線をいくつか乗車しておこう。何せ福井に次回来るのがいつになることやらわからないからなあ。福井周辺にはふたつの私鉄が3路線を保持している。えちぜん鉄道が2路線、それから福井鉄道だ。三十一にとってこの中で優先順位が高いのは福井鉄道線だ。えちぜん鉄道は普通鉄道だが、福井鉄道は軌道で福井市内には併用軌道区間もある。それからもうひとつ、福井鉄道は福井駅から武生までほぼ北陸本線と並行しているので、どうせ敦賀に向かうのなら福井鉄道を使ってもほとんど遠回りにならない。というわけで、福井鉄道を使うのは決まったのだが、それでもまだ時間があるのでえちぜん鉄道の二路線のうちどちらかを往復してくることにする。えちぜん鉄道の福井駅でふたつの路線、勝山永平寺線と三国芦原線を比べてみたが時間もほぼ同じ、料金も同じ、運転頻度も変わらないので決め手がない。ほぼ全線が平野の中と思われる三国芦原線よりも、多少なりとも起伏のありそうだというくらいの理由で永平寺勝山線を往復してみることにする。もうひとつ理由があるのだがそれが成り立つかどうかは明日の行程次第なのでここでは言わない。
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えちぜん鉄道の福井駅は高架だがあきらかに仮設で、先行して建設された新幹線ホームを間借りしているようだ。なお、えちぜん鉄道の列車には(全部ではないらしいが)アテンダントが乗車している。よーく見ると柱の影にわずかに後ろ姿が。列車は単行の電車。ひとまず右側に陣取る。車内はけっこう混んでいる。高校生が目立つが、中間テストにはまだ早いんじゃないかなあ。次の新福井駅はまだ高架上だが、地平に降りて福井口を出ると三国線と分岐して東に向かう。福井を出て東に向かうという点では越美北線と同じなのだが、少し住宅が多いかなあ。それを反映してか、駅の間隔も短いようだ。永平寺口まで来るとだいぶ山が近くなる。ここでまとまった数の下車客があった。この先は駅の間隔も少し長くなる。終点勝山は相対ホーム2面。反対側には別の列車が待っていて、こちらの列車が到着すると入れ替わるように発車していった。
ここまで乗ってきた乗客のほとんどはこのまま恐竜博物館に向かうらしい。三十一はそのまま折り返すが、さすがに1分の折り返しには間に合わないので、乗ってきた車両の折り返しを30分待つ。その間に駅舎の写真を撮ろうとしたがまともに逆光なのでちょっと斜に構える。この写真はまたマシなほうかもしれない。
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駅前の片隅に古い車両が展示されていた。古い電車と貨車だ。
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同じ電車で折り返す。運転士とアテンダントも同じペアだ。終点を目前にした福井口駅で運転士が交代した。どうもこの駅が運転の拠点になっているらしく、福井口-福井-勝山-福井口でひとつの乗務経路になっているようだ。そのときは気づかなかったのだが、同時にアテンダントも降りていたようだ。アテンダントは全列車で乗務しているわけではないらしく、このときは交代はいなかった。乗客が一斉に下車する終点こそアテンダントが必要なんじゃないかなあと思ったが、実はそれはただの言い訳で単に若い女子がいなくなって残念だっただけかもしれない。

福井鉄道の乗り場は、JRをはさんでえちぜん鉄道の反対側。もともと福井駅から武生に向かう列車に乗るつもりだったのだが、乗り場で案内を見ていると「市役所前で乗り継いで武生方面に向かう場合」という、まさに三十一がこれから行こうとしている経路の説明があり、しかもそこに例示されている電車(毎時23分発)はまさに目の前に停まっている電車だということに気づき、あわてて飛び乗る。あとでわかったのだが実は最初考えていた直通列車に乗っても最終的に敦賀に着く時間は同じだったのだ。駅前から一駅区間乗って市役所前で本線を走る快速に乗り換える。
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市街地では併用軌道を走るが、足羽川にかかる橋を渡って少しいくと専用軌道に入り、ほぼ北陸本線に並行して南下する。専用軌道に入ったあたりでは複線だったのだが気がつくといつの間にか単線になっていた。もう夕方で乗客は高校生が多い。しかし福井から離れるごとに少しずつ降りていって、家久を過ぎると乗客は三十一だけになってしまった。武生まで行くんだったらJRのほうが早いんだろうなあ。
終点の越前武生駅は、JRの武生とは少し離れている。しかも間にショッピングセンターの大きな建物がはさまっているので見回してもわからない。たまたま事前に地図で確認しておいたから迷わなかったが、さもなくば道に迷ったかもしれない。

武生からはJRで敦賀に向かう。できれば普通列車に乗ってみたかったが、適当な列車がなくやむを得ず特急に乗ることにする。どうせフリー区間で自由席なら特急にも乗車できる。次の特急は「しらさぎ62号」。どこかで聞いたような、と思って思い出した。昨日金沢から福井まで乗った列車だ。

武生から敦賀までは特急で一駅、20分。その間に北陸トンネルを通過する。北陸トンネルを通るのはこれで3回目だと思うが、ちょっと思いついて通過時間をスマホのストップウォッチで測ってみることにする。結果、6分41秒03。だから何だと言われても困るけど。北陸トンネルを出るとすぐ敦賀。

今日の旅程:
福井 (0908) → 九頭竜湖 (1049) 705D
九頭竜湖 (1056) → 福井 (1222) 728D
福井 (1255) → 勝山 (1348) 29レ
勝山 (1420) → 福井 (1512) 42レ
福井駅 (1524) → 市役所前 (1527) 福井鉄道
市役所前 (1538) → 越前武生 (1617) 福井鉄道
武生 (1651) → 敦賀 (1710) 5062M

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2017年9月25日 (月)

吹雪にはまだ早い越路

遅い夏休み。
福井に来ています。土曜日に時刻表で「おとくなきっぷ」をあれこれ検討した結果、北陸フリーきっぷを利用することにした。富山石川福井の北陸3県のほぼ全域をフリーエリアとして、東京都区内からの往復には新幹線の指定席が利用てきるというものだ。北陸には過去、北陸新幹線の開業以前に二度ほど来たことがあるが、新幹線初乗車を兼ねて北陸3県のうち通過しかしたことのない福井を中心に訪問しようと考えている。

とは言え、北陸新幹線の長野以遠は大半がトンネルであることはわかっている。これは北陸新幹線にかぎった話ではなく最近新しく開業した新幹線に共通だが。

前日の日曜日にきっぷを入手しておいて当日の朝ホテルを予約して荷造りをし、家を出たのは昼前。上野駅の窓口で席の指定をうける。空席は充分あるが窓際は空いていないという絶妙な混雑ぶりだ。約3時間弱で金沢到着。前に来たのは2005年だった。もちろん新幹線開業前だが、駅舎はすでに高架になっていた。乗り継ぎが30分ほどあるのでいったん改札の外に出てみる。北陸鉄道駅の位置だけ確認して引き返す。そのうちこの情報が必要になることがあるかもしれないのでね。
福井に向かう特急に乗り継ぐためホームに上がると、向いのホームにあずき色の415系が停車していた。うわ懐かし。常磐線にこの塗装の415系が走ってたのはいつごろだっけ。30年以上前だったかも。
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在来線のしらさぎで福井へ。高架の金沢を出てしばらくすると、高架のまま白山の車両基地に向かう新幹線を置き去りにして地平におりる。白山以遠はようやく高架の橋脚が立ち上がったところ。
少し大きな川を渡る。看板を見ると「手取川」。上杉謙信と織田信長が戦った「手取川合戦」はここか。加賀温泉を過ぎると県境の小さな峠を越えて福井県に入った。福井平野の田園地帯をいく。やがて進行方向左側にえちぜん鉄道が並行する。えちぜん鉄道が一時的に間借りしている将来の新幹線ホームにむかって仮設のスロープがのびていく。福井駅自体はすでに高架になっているが、えちぜん鉄道の駅も含めた東口はまだ工事中。

今日の旅程:
上野 (1230) → 金沢 (1520) 563E
金沢 (1548) → 福井 (1636) 5062M

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2017年3月20日 (月)

雪景色と湯けむり

昨夜は盛岡泊まりだったのだが、確たる計画があったわけでも目論見があったわけではない。ただ「簡単に予約がとれそうだ」という他に理由はなかった。しかし結果として出来上がった状況は利用させてもらおう。
まず、今日は三連休の最終日なので「できるだけ早く帰る」のがまず第一の目的。とは言え、本当に「できるだけ早く帰る」ならそのまま東京行きの新幹線に乗るのが正解なのだがそうはならないのが三十一の業が深いところだ。

盛岡の近くでまだ乗車していないのは、奥羽本線の山形新幹線と秋田新幹線に挟まれた区間、秋田山形県境の新庄-大曲間。それから北上線と陸羽東線になる。せっかく盛岡に宿をとっているのだから、朝一番の秋田新幹線で大曲に出、未乗区間を通って北上線か陸羽東線で東北新幹線沿線に戻って東京に戻るという計画を立てた。で、陸羽東線と北上線を天秤にかけたらもちろん陸羽東線を選ぶことになる。

前夜、試しにネットで「こまち」の指定券にチャレンジしてみたのだが、座席を選ぼうとしてみたらほとんど空席だったので予約するのをやめて立ち席特急券にすることにした。「えきネット」のせいで減収。

朝一番の「こまち」は仙台始発なので席は選び放題。ちょっと悩んだがとりあえず左側窓際の席を確保する。やがて発車、高架橋を下って地平におり田沢湖線に合流。昨日は盛岡に着いたのが夜に入ってからで、そのまま駅近くのホテルにチェックインしたので気づかなかったが、日陰には雪が残っていた。しばらく勾配を登って雫石に着くころには日陰だけでなく道路外の畑地などは雪に覆われていた。さらに峠に近づくと雪国の風景が広がってきた。このあたりはまさに東北地方の分水嶺、奥羽山脈だ。秋田県に入ると景色はほぼ白一色。しかし空は抜けるような快晴。そういえば天気予報では「なだれ注意報」が出ていたなあ。なるほど。
角館まで来るとだいぶ平坦な地形になってきて、その真ん中を線路はまっすぐ進む。たぶん周囲は水田なんだろうと推測されるがわからない。大曲で「こまち」を下車。
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新幹線改札を出て奥羽本線の未乗車区間に向かう。乗るのは東北地方の電化区間ではおなじみの701系。個人的にはJR東日本の合理化が行き過ぎた時代の産物で、もうちょっと地域の実情に適した車両がよかったと思うのだがまだしばらくは使われそうだ。この区間で使用されている列車は一部をクロスシートに改造しているが、もちろんそうした座席は最初に埋まっていき、結局座ったのは比較的前が見やすいロングシートの席。これから新庄まで約1時間半ほど乗車していたわけだが、その間ほぼずっと混んでいた。休日というのが何か関係しているのだろうか。
この区間はほぼ全て単線なのだが、唯一複線になっているのが県境の院内-及位間。「及位」と書いて「のぞき」と読むこの駅名は難読駅名として有名だがそれは今回の話とは関係ない。このあたりは秋田方面に向かって急勾配が続き、しかも駅間が8キロ以上あるので昭和50年の電化当時に改良されたのだろう。なにしろ開通したのは日露戦争の最中の明治38年であるから、線形がよかったとは思えない。
新庄駅に到着。この駅には去年の秋にも来たが半年でまた訪れることになるとは思ってなかった。これまで乗ってきた701系の写真を撮ってはみたものの、柱が邪魔であまり納得のいくものにならなかった。代わりと言うわけでないがこちらをどうぞ。
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これ去年もあったかなあ。こういう標語が方言なのは珍しい。正直意味がわからない。いや、なんとなくはわかるのだが正確なニュアンスがね。
こっちはわりとうまく撮れた、これから乗っていく陸羽東線のキハ110系。JR東日本の非電化区間を行くとかなりの確率で出会うやつだ。
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先ほどまでの奥羽本線で少しストレスが溜まったので、今度は運転席の直後のかぶりつき席に陣取る。新庄を出た陸羽東線の線路は南に向かってしばらく奥羽本線と並行して走る。電化の奥羽本線と非電化の陸羽東線の単線並列の形だ。南新庄を過ぎてようやく東方面に向きを変えて山越えに挑む。ひとつ峠を越えると奥羽山脈のふところに抱かれた小盆地に出る。これまで冬場の鉄道旅は控えてきたが、こうした冬景色の中を列車で行くのもいいなあと思えてきた。それも来年以降になる。鬼が笑うような話だ。
ちょうど県境にあるのが文字通り境田駅で、雪深い山中の駅だったが、それから一気に宮城県側に下って、鳴子温泉に着く頃にはかなり雪が少なくなってきた。ここで乗り換え。
乗り換え時間は5分ほどで、温泉客が先に乗り込んでいたのでもう席は選べない。さらに少し下っていくといつの間にか周囲の景色から雪は消えていて、春先の田園地帯の風景だ。
さてこの間に帰りの列車を考える。当初考えていたのは、終点の小牛田から東北本線で仙台に出て新幹線に乗り継ぐというもの。ところがこれだと仙台からの新幹線が3時過ぎになりそうだった。もうちょっと早く帰る方法はないか。早く帰るだけなら、この列車を古川で下りて新幹線に乗り継げばよい。今この列車に乗っている温泉客のうち東京方面に帰る人はみんなそうするだろう。だがそうすると陸羽東線が一部だけ未乗車で残ってしまう。実はこれまで陸羽東線が未乗車で残ってしまったのは同じ理由で、東京から陸羽東線方面に行く場合のもっとも素直なルートは新幹線から古川乗り換えだが、その場合でも結局は根っ子の部分が残ってしまうので別に乗りに行かなくてはいけなくなる。それでは二度手間なので古川乗り換えという選択肢は放棄してきたという経緯があるのだ。なので今回もこの案は否決された。そして選んだのは次善の、だがはたから見たらもっとも意味のわからないルート。つまり一度小牛田まで行って全線乗車を済ませてから古川に引き返して新幹線に乗り継ぐという方法だ。三連休パスを使っているからできる芸当だ。
計画通り、善良な温泉客を古川で見送っていったん小牛田まで行き、同じ車両で引き返して古川着。この間にネットで指定券を予約しておいたので、券売機で回収して時間まで待合室で時間を潰そうかと思っていたら改札脇にこんな掲示が。
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幸いにも三十一が予約した列車の遅れは5分程度で、東京に着くころには遅れは解消していた。

本日の旅程:
盛岡 (0758) → 大曲 (0857) 3095M
大曲 (0903) → 新庄 (1044) 2434M
新庄 (1121) → 鳴子温泉 (1225) 726D
鳴子温泉 (1231) → 小牛田 (1327) 8734D
小牛田 (1334) → 古川 (1346) 1733D
古川 (1421+5) → 上野 (1638) 9164B

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