2017年3月20日 (月)

雪景色と湯けむり

昨夜は盛岡泊まりだったのだが、確たる計画があったわけでも目論見があったわけではない。ただ「簡単に予約がとれそうだ」という他に理由はなかった。しかし結果として出来上がった状況は利用させてもらおう。
まず、今日は三連休の最終日なので「できるだけ早く帰る」のがまず第一の目的。とは言え、本当に「できるだけ早く帰る」ならそのまま東京行きの新幹線に乗るのが正解なのだがそうはならないのが三十一の業が深いところだ。

盛岡の近くでまだ乗車していないのは、奥羽本線の山形新幹線と秋田新幹線に挟まれた区間、秋田山形県境の新庄-大曲間。それから北上線と陸羽東線になる。せっかく盛岡に宿をとっているのだから、朝一番の秋田新幹線で大曲に出、未乗区間を通って北上線か陸羽東線で東北新幹線沿線に戻って東京に戻るという計画を立てた。で、陸羽東線と北上線を天秤にかけたらもちろん陸羽東線を選ぶことになる。

前夜、試しにネットで「こまち」の指定券にチャレンジしてみたのだが、座席を選ぼうとしてみたらほとんど空席だったので予約するのをやめて立ち席特急券にすることにした。「えきネット」のせいで減収。

朝一番の「こまち」は仙台始発なので席は選び放題。ちょっと悩んだがとりあえず左側窓際の席を確保する。やがて発車、高架橋を下って地平におり田沢湖線に合流。昨日は盛岡に着いたのが夜に入ってからで、そのまま駅近くのホテルにチェックインしたので気づかなかったが、日陰には雪が残っていた。しばらく勾配を登って雫石に着くころには日陰だけでなく道路外の畑地などは雪に覆われていた。さらに峠に近づくと雪国の風景が広がってきた。このあたりはまさに東北地方の分水嶺、奥羽山脈だ。秋田県に入ると景色はほぼ白一色。しかし空は抜けるような快晴。そういえば天気予報では「なだれ注意報」が出ていたなあ。なるほど。
角館まで来るとだいぶ平坦な地形になってきて、その真ん中を線路はまっすぐ進む。たぶん周囲は水田なんだろうと推測されるがわからない。大曲で「こまち」を下車。
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新幹線改札を出て奥羽本線の未乗車区間に向かう。乗るのは東北地方の電化区間ではおなじみの701系。個人的にはJR東日本の合理化が行き過ぎた時代の産物で、もうちょっと地域の実情に適した車両がよかったと思うのだがまだしばらくは使われそうだ。この区間で使用されている列車は一部をクロスシートに改造しているが、もちろんそうした座席は最初に埋まっていき、結局座ったのは比較的前が見やすいロングシートの席。これから新庄まで約1時間半ほど乗車していたわけだが、その間ほぼずっと混んでいた。休日というのが何か関係しているのだろうか。
この区間はほぼ全て単線なのだが、唯一複線になっているのが県境の院内-及位間。「及位」と書いて「のぞき」と読むこの駅名は難読駅名として有名だがそれは今回の話とは関係ない。このあたりは秋田方面に向かって急勾配が続き、しかも駅間が8キロ以上あるので昭和50年の電化当時に改良されたのだろう。なにしろ開通したのは日露戦争の最中の明治38年であるから、線形がよかったとは思えない。
新庄駅に到着。この駅には去年の秋にも来たが半年でまた訪れることになるとは思ってなかった。これまで乗ってきた701系の写真を撮ってはみたものの、柱が邪魔であまり納得のいくものにならなかった。代わりと言うわけでないがこちらをどうぞ。
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これ去年もあったかなあ。こういう標語が方言なのは珍しい。正直意味がわからない。いや、なんとなくはわかるのだが正確なニュアンスがね。
こっちはわりとうまく撮れた、これから乗っていく陸羽東線のキハ110系。JR東日本の非電化区間を行くとかなりの確率で出会うやつだ。
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先ほどまでの奥羽本線で少しストレスが溜まったので、今度は運転席の直後のかぶりつき席に陣取る。新庄を出た陸羽東線の線路は南に向かってしばらく奥羽本線と並行して走る。電化の奥羽本線と非電化の陸羽東線の単線並列の形だ。南新庄を過ぎてようやく東方面に向きを変えて山越えに挑む。ひとつ峠を越えると奥羽山脈のふところに抱かれた小盆地に出る。これまで冬場の鉄道旅は控えてきたが、こうした冬景色の中を列車で行くのもいいなあと思えてきた。それも来年以降になる。鬼が笑うような話だ。
ちょうど県境にあるのが文字通り境田駅で、雪深い山中の駅だったが、それから一気に宮城県側に下って、鳴子温泉に着く頃にはかなり雪が少なくなってきた。ここで乗り換え。
乗り換え時間は5分ほどで、温泉客が先に乗り込んでいたのでもう席は選べない。さらに少し下っていくといつの間にか周囲の景色から雪は消えていて、春先の田園地帯の風景だ。
さてこの間に帰りの列車を考える。当初考えていたのは、終点の小牛田から東北本線で仙台に出て新幹線に乗り継ぐというもの。ところがこれだと仙台からの新幹線が3時過ぎになりそうだった。もうちょっと早く帰る方法はないか。早く帰るだけなら、この列車を古川で下りて新幹線に乗り継げばよい。今この列車に乗っている温泉客のうち東京方面に帰る人はみんなそうするだろう。だがそうすると陸羽東線が一部だけ未乗車で残ってしまう。実はこれまで陸羽東線が未乗車で残ってしまったのは同じ理由で、東京から陸羽東線方面に行く場合のもっとも素直なルートは新幹線から古川乗り換えだが、その場合でも結局は根っ子の部分が残ってしまうので別に乗りに行かなくてはいけなくなる。それでは二度手間なので古川乗り換えという選択肢は放棄してきたという経緯があるのだ。なので今回もこの案は否決された。そして選んだのは次善の、だがはたから見たらもっとも意味のわからないルート。つまり一度小牛田まで行って全線乗車を済ませてから古川に引き返して新幹線に乗り継ぐという方法だ。三連休パスを使っているからできる芸当だ。
計画通り、善良な温泉客を古川で見送っていったん小牛田まで行き、同じ車両で引き返して古川着。この間にネットで指定券を予約しておいたので、券売機で回収して時間まで待合室で時間を潰そうかと思っていたら改札脇にこんな掲示が。
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幸いにも三十一が予約した列車の遅れは5分程度で、東京に着くころには遅れは解消していた。

本日の旅程:
盛岡 (0758) → 大曲 (0857) 3095M
大曲 (0903) → 新庄 (1044) 2434M
新庄 (1121) → 鳴子温泉 (1225) 726D
鳴子温泉 (1231) → 小牛田 (1327) 8734D
小牛田 (1334) → 古川 (1346) 1733D
古川 (1421+5) → 上野 (1638) 9164B

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来たぜ、東北

わりと松岡茉優は好きなほうだ。女優としてよりはバラエティタレントとしてだが。適度な天然ぶりが心地よい。綾瀬はるかまでいくと行き過ぎだ。

閑話休題。
震災前の2009年に、八戸から久慈、宮古、釜石、盛、気仙沼、一ノ関と三陸沿岸を縦断した。そのため、それ以降に再訪することはなかった。2013年に福島のいわき市に行ったときにはそれほど影響がなさそうに見えた。
三陸地方はすでに訪問済みではあるものの、鉄道路線としては大船渡線以南、東北本線以東のエリアは手つかずのままだった。しかし一部のバス代行が長く続いたことと、さらに一部がBRT化されたことで二の足を踏んでいた。しかし昨年、この地域のBRT化された区間を除いた全区間が復旧したことで二の足を踏む理由はなくなった。むしろ、それにあわせて非電化区間として「仙石東北ライン」が開業したことから逆に早めに乗車しておきたい地域になった。

郡山から新幹線で仙台へ。左手に残雪を冠しているのは蔵王連峰だろうか。
今日はかなりのハードスケジュールで、遅れなどで乗り継ぎ損ねると破綻しかねない。一応代替プランは用意されているが、いくつか当初の目的を諦めなくてはならないだろう。

まずは石巻・女川方面へ。現在、仙台から石巻へ向かうルートは3つある。仙石線を使うルート、東北本線から石巻線を使うルート、そして新しくできた仙石東北ラインルートだ。往復を別経路としたとしても、ひとつは断念しなければならない。さもなくばもう一往復するかだが、今日のところはそんな余裕はないだろう。今回切り捨てられたのは3ルートの中で唯一全区間電化済みの仙石線ルートとなった。非電化単線鉄道愛好会会長としては当然の決断だろう。

列車のタイミングがちょうどよかったので、まず仙石東北ラインで石巻に向かう。ホームに下りたら陸羽東線に向かう「リゾートみのり」が待っていた。
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「みのり」のあとに入ってきたのが HB-E211系ハイブリッド車両だ。東北本線は交流電化、仙石線は直流電化。並行して走っている松島-高城町間に連絡線を建設して直通させることにしたのだが、セクションを作って交直両用電車を走らせるのではなく、連絡線は非電化のままにしてハイブリッド車両を走らせるという選択がなされた。時代だなあ。
三十一が乗った仙石東北ラインは特別快速という扱いで、途中塩釜、高城町、矢本にしか停車しない。三十一は先頭車運転台直後の扉脇に立って前方が展望できる位置に陣取った。とは言え、同好の士多数により2列目という位置ではあったが。
東北本線を快調に飛ばした列車は塩釜を出ると本線上に作られた渡り線を横切って連絡線に入る。連絡線で一旦停車して対向列車をやり過ごすと仙石線に入っていく。仙石線は直流電化単線区間だが、高城町から先は内陸に移転した区間だ。線路も駅も真新しい。線路はやがて地平に下りて旧線に合流する。このあたりの建物もほとんどが真新しい。新しい建物が並んでいることが哀しく見えるという不条理。
石巻到着。乗り継ぎに少し時間があるので写真を撮ってまわる。まずはこれまで乗ってきた HB-E211系。
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それから、これから女川に向かうおなじみのキハ110系気動車2両編成の列車。この列車とは今後しばらく付き合うことになるだろう。
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石巻に向かう列車はやたらと混んでいた。しかもその乗客の大半は半自動ドアもワンマン列車の乗り方も知らない旅行客らしい。駅で乗り降りするたびに一騒動あって、女川に到着したときには3分遅れていた。どうやら女川で何かイベントがあったらしい。しかし三十一はすぐに折り返さなくてはならなかったので、人混みをかき分けるようにして駅舎の外に出て写真をとるとまたもや人混みをかき分けるようにして構内に戻り、発車間際の列車に飛び乗って折り返す。折り返し列車は定時に発車。
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ついさっき石巻から乗ってきた列車で、今度は終点の小牛田まで乗りとおす。石巻からいったん北に向かい、やがてに西に転じて小牛田をめざすが、この間ほとんど平坦な地形で、国鉄が石巻への経路として選択した理由がわかったような気がした。この区間では今でも石巻港向けの貨物列車が運行されている。東北本線と接続する小牛田に到着すると、10分あまりで再度折り返す。列車としては3つ目だが全部同じ車両なので代わり映えしない。前谷地で気仙沼線に乗り継ぎ。
気仙沼線は大半の区間が被災してBRTで復旧されており、レールが残っているのは前谷地から柳津まで。奇しくも1968年に柳津線として開通した区間だけが残ったことになる。柳津駅から先は行き止まりになっていた。
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柳津線、もとい気仙沼線の列車はキハ110の単行。
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柳津から先はBRTになる。線路跡の一部を専用道路とした代行バスだ。これを「乗車」と言っていいのかどうか微妙なところだ。今回も、BRTに乗らずにそのまま折り返すという選択肢もあった。しかしそれだと意外に時間があまってしまうので(そんなことを昨日も言っていたが)、「乗車済み」と勘定するかどうかは別として、とりあえず乗っておくことにする。
やがてやってきたバスは特徴的な塗装だが、内装は普通の路線バスとそう変わらない。ただし、専用ルートを走行するのに必要なセンサー類は追加装備されているはずだ。柳津駅はまだ海岸にはほど遠い。海に出るまでは通常の国道を走る。途中の陸前横山駅は築堤上にホームがあって階段で街とつながっている。このあたりは直接被災していないはずだがバスと列車の連絡をするには適さなかったのだろう。峠を超えて海に出る直前、陸前戸倉から専用ルートに入る。これから先、専用ルートと一般道を組み合わせてBRTは走る。実際に乗車してみるまで三十一はBRTに批判的だったが、被害の比較的軽いところから順次専用ルート化することで、つぎはぎの復旧でも一般道と組み合わせることで全体の路線を早期に回復できるというメリットがあるのだろう。気仙沼線と大船渡線はBRTを選択し、仙石線はレールでの復旧を選んだ。それにはそれぞれメリットとデメリットがあるので一概にどちらが良いとはいいきれない。鉄としての三十一にとって答えは明らかだが、それが全体にとっての最適解であるとは限らない。むしろ必要なのは、鉄道が最適解となるために何が必要かを考えることだろう。
南三陸町の中心地である志津川地区では、地区全体をかさ上げ工事している真っ最中だ。バス停も坂を登り切った人工的な高台の上に仮設されている。一見して宇宙的な光景だが、かつての気仙沼線、かつての志津川駅、かつての街がこの下にあったと考えると胸が締め付けられるようだ。
陸前小泉駅近辺でかつて川を渡っていたはずの気仙沼線の高架橋をバスの中から携帯で撮影。
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本吉駅で乗員が交替したあと、再度専用ルートに入ったのだがそのときに後ろを見てみると駅の構造が半分だけ残っていた。
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気仙沼の市街地に入ってくると一般道は渋滞しておりとても時間通りには走れない。この後に関してはやや余裕があるのであまり心配はしていなかったが、30分以上遅れるようなことがあると大船渡線が夜にかかってしまうかもしれない。しかし最後の一駅区間分はまたも専用ルートになり、その威力で渋滞をスキップしていく。それでも気仙沼駅に着いたときには7分遅れていた。駅に着く直前、並行して走る大船渡線の列車が追いかけてきた。このあとこれに乗って行くはずなのだが。
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こちらは気仙沼駅から回送されているBRT。
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気仙沼から大船渡線で一ノ関に向かうが、これは2009年に1度乗車した区間。あの時も確か夕方だったが、今回も午後の遅い時間。しかもちょうど春分で、太陽が真西に沈んでいく時期だ。大船渡線の鍋弦路線を体感するには最適と言えなくもない。
一ノ関から新幹線で盛岡に出て投宿。

本日の旅程:
郡山 (0757) → 仙台 (0841) 201B
仙台 (0924) → 石巻 (1016) 5527D
石巻 (1037) → 女川 (1102+3) 1631D
女川 (1110) → 小牛田 (1231) 1632D
小牛田 (1243+1) → 前谷地 (1300) 1635D
前谷地 (1301) → 柳津 (1323) 929D
柳津 (1342) → 気仙沼 (1534+7) BRT
気仙沼 (1615) → 一ノ関 (1738) 338D
一ノ関 (1814) → 盛岡 (1854) 57B

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2017年3月18日 (土)

棚倉城に行ってみよう

非電化単線鉄道愛好会会長たる三十一としては、こうした路線を残すためにもできるだけ多くの非電化単線鉄道に乗車することを自らに課してきた。精進の甲斐あってか、連続して100キロを越えるような未乗車区間はだいぶ少なくなってきた。該当するのは3区間。山陰本線の益田以西、紀勢本線の非電化区間、そして水郡線だ。
関東在住の三十一にとって、非電化単線鉄道愛好会会長でありながら137キロという長大な水郡線が未乗車のまま残っているという状態は早期の対応が求められた(誰に?)。

この3連休は珍しく完全にフリーになったので、せっかくなのでこの機会に東日本エリアの非電化区間をいくつか踏破しようと考えたのだ。
もちろん今日の主眼は水郡線である。問題は上菅谷-常陸太田間の支線だが、今日は時間がないので後まわしにした。次に機会もあるだろうし。だが本当は朝の支度に手間取って時間がなくなってしまったのだ。

常磐快速電車で柏に出て特急に乗り継ぐ。偕楽園の行楽シーズンだからどうかなあと思っていたけど、どうにか席はとれて特急「ときわ」で水戸へ。途中、偕楽園駅で乗客がごっそり下りていく。さらに一駅(半駅)で水戸着。
水戸には梅の時期を外して来たことがあり、そのときに偕楽園にも行ったので改札は出ない。駅売店で軽食を調達する。

駅の北端に水郡線ホームはある。水郡線の列車はすべてキハE132に置き換わっている。これから乗る列車も当然そうで、2両編成だ。休日の昼間だがそこそこ混んでいる。水戸はそれなりに大きな街なので覚悟はしていた。とりあえず窓際に座れたことでよしとしよう。進行方向には背中を向けることになってしまったが。発車時間が迫るとさらに乗客が乗り込み、かなりの立ち客が出るような状態で発車。常磐線からわかれ、那珂川を渡って北に向かう。
面白いと思ったのは、那珂川をわたるとてきめんに田園風景になってしまうことだ。そして那珂川の向こう側と思しきあたりにはビルが立ち並ぶ水戸の市街地が広がっている。このあたりがやはり地方都市ということなのだろうか。そして三十一の目についたのは田んぼの中にぽつんと置かれていた小型飛行機。飛行可能な状態には見えなかったが何かのオブジェだろうか。

上菅谷まで来たらだいぶ空くだろうかと思ったが、まとまった人数が降りて行ったものの立ち客が解消するほどでもなかった。立ち客がなくなったのはようやく常陸大宮あたりで、観光地の袋田まできてようやく空いたとい言える状態になった。好き勝手に席を選べるようになったのは常陸大子である。ちなみにこの列車は普段は常陸大子どまりだが今日は郡山まで行く。
常陸大子で30分ほど時間ができたので、その間に軽食を食べてそのゴミを駅のごみ箱に捨てにいったり、写真を撮ってみたりする。
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駅前にC12が保存されていて、状態は悪くなかったんだけど柵のない側から側面の写真を撮ろうと思ったら駐車場の料金所の建物が邪魔をしていたので断念。ちょっと柵がうるさいかもしれないが文句は大子町役場のほうにお願いします。
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常陸大子を出ると短いトンネルを抜けたがこれが分水嶺というわけではなさそうだ。水郡線は地図をみると山中を越えているように見えるが実際にはそれほど起伏は激しくない。
さてこの先の予定を考える。今日の宿は郡山。本当は仙台あたりに宿をとりたかったのだが、適当な宿がみつからなかった。やむを得ず福島や郡山を探してみたところ、福島に宿泊できないわけではなかったが郡山のほうが選択肢が多かったので郡山とした。結果として時間が少し余ってしまうことになる。このまま郡山まで乗り通すと3時過ぎに郡山に着いてしまう。途中のどこかで面白そうなところがあれば一旦下車してみるのだが、と考えて思いついたのは棚倉(磐城棚倉)だった。
「棚倉」という地名を三十一が初めて知ったのは、戦前まであった国鉄白棚線の終点としてであった。その後、江戸時代に代々有力な譜代大名が封じられた南奥の要地であったことを知る。地図を見てみると棚倉の駅からそれほど遠くないところに、はっきりと堀が残った城跡が見て取れる。いまでは公園となっていて当時の遺構は何も残っていないようだが、磐城棚倉で下車して行ってみることにしよう。そこでどれくらい時間が潰せるかは行ってみないとわからない。

結果はと言えば、けっこう時間が潰せた。略長方形の本丸を取り囲む土塁がはっきりと残っており、2個所の門以外は堀に取り巻かれている。
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堀には鴨や鯉が棲みついていた。
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そして城の片隅には忠魂碑とそのかたわらに「元帥畑俊六終焉之地」なる碑が。畑元帥が戦後忠魂碑の除幕式に出席していて心臓麻痺で急死したというのは知っていたが、それがここだとは初めて知りました。
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結局2時間あまり棚倉にいて、再び水郡線に乗り込んで郡山に向かう。途中、福島空港のすぐ横を通ったはずだが空港連絡道路が立派なこと以外は空港を思わせるものは何も見えなかった。右手前方に市街地がみえてきた。郡山だ。安積永盛で水郡線は東北本線と合流する。駅を出ると東北本線の上り線を横切って下り線に入り、一駅走って終点の郡山に到着。

今日の旅程:
柏 (0954) → 水戸 (1046) 2055M
水戸 (1115) → 磐城棚倉 (1357) 825D
磐城棚倉 (1621) →郡山 (1726) 335D

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2016年11月 2日 (水)

南関東鉄道青空線

ここのところの週末合計3日間を使って、南関東にある非電化路線にいくつか乗ってきた。具体的には関東鉄道常総線、小湊鉄道、いすみ鉄道、JR久留里線の4つだ。

ことの発端は、時刻表を見ていて「サンキュー!ちば」という恥ずかしい名称の企画乗車券をみつけたことにある。名称はともかくとして、千葉県内のJR全線と小湊鉄道、いすみ鉄道、銚子電鉄をフリーエリアに含み、有効期間2日間で3900円というコストパフォーマンスの高いきっぷだ。
非電化単線鉄道愛好会会長としては、さほど遠隔地というわけでもない房総地区に未乗車の非電化線が残っていることが目障りでしょうがなかったし、内房線外房線総武本線という幹線は乗車済みだったもののそれ以外の例えば成田線とか東金線、鹿島線など千葉地区の路線が手薄になっていた。このあたりの千葉地区の路線についてはまた別の事情もあるのだがその話はあとにしよう。
いずれにせよ、そう遠くない将来にこのあたりの問題は解決しておかなくてはいけないという問題意識があったところにこのきっぷを見つけたので、これを活用しようという気持ちになった。ただし、直後の週末には仕事の当番が入っていて日曜日しか使えない。せっかく2日間有効なのにもったいない。そこで「サンキュー!ちば」は土日両方が使える週末にとっておいて、次の日曜には1日有効の「週末フリーパス」を使って別の非電化路線を攻略することにした。それが関東鉄道常総線だ。

茨城県の鉄道はほぼすべてが交流電化か非電化で、直流電化されている区間は南部のごく一部にすぎない。それには筑波の地磁気観測所の存在が関係している。観測所の近傍で大容量の直流電車を運行していると観測データに影響をおよぼす恐れがあるため、茨城県内の常磐線と水戸線は地磁気観測に影響のない交流で電化された。民鉄としてはめずらしく、つくばエクスプレスも守谷以北は交流電化されている。通勤通学需要の高い関東鉄道でも電化計画がなかったわけではないのだが、中小私鉄に交流電化の負担は過大で断念され、非電化のままとなっている。そのかわりというわけでもないだろうが、起点の取手から水海道までの間は複線化されている。
取手駅できっぷを買おう(関東鉄道はフリーエリア外なので)としたところ、休日のみ有効の一日フリー乗車券の広告が目に入った。「下館まで片道でもお得です」とあるが、下館まで普通に買うと1510円、一日券は1500円。確かにお得かもしれないけど10円。まあでもいちいちきっぷを買うよりは面倒がなさそうなので一日券を買って入場。常総線は、複線区間の水海道以南と単線区間のそれ以北で運行がわかれていて、直通はほとんどなく水海道での乗り換えとなる。取手を出てしばらくのあいだは部活帰りらしい高校生を中心にそれなりに混雑していた。とは言っても立ち客が出るほどでもない。使用している車両はロングシートの軽快気動車2両編成で、複線区間ではワンマン運転になっていない。しかしだんだんと乗客が少なくなり守谷を過ぎるあたりでかなり空いた。この状態で車両基地をかすめて水海道に到着。ここで乗り換え。
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水海道から北は1両編成のワンマン運転になる。茨城県西部のこのあたりは関東平野の真ん中で、田んぼと町並みが入り混じる中をトコトコと走る。ところどころに雑木に覆われた小丘がちりばめられている。現代ではすっかり平地になってしまっているが、本来はこの付近は鬼怒川や利根川が形成した湿地帯で、いま丘になっている微高地は当時は小島として希少な乾燥地であっただろう。平安時代には平将門がこの付近を根拠にして叛乱を起こし、南北朝時代には北畠親房がこうした小島のひとつに設けられた城に籠もって北朝勢力に対抗しつつ神皇正統記を執筆した。一見なんの変哲もなさそうな風景が興味深く見えてくる。常総線に「大宝」という駅があるが、大宝城は北畠親房が籠もった関城とともに関東での南朝方の拠点となった城だ。駅名を見て、近くの小丘のどれかが城跡だろうとあわてて地図アプリを起動して場所を確認しようとしたが、そんなことをしているうちに通り過ぎてしまった。無念。
終点下館到着。ここからはやはり非電化の真岡鉄道が出ているので時間があれば乗っていたのだが、すでに日曜も夕方に近く、断腸の思いで帰宅にかかる。水戸線から小山で乗り換えて東京に向かう。実は水戸線も初乗車。かつて常磐快速線を走っていたE501系と久々の再会。小田林と小山の間に交直セクションがあったはずだが、わずかにモーター音が低くなったような気もするが室内灯が消えるわけでもなくよくわからなかった。

さて翌週は本番。土曜日の昼前頃、駅の自販機で「サンキュー!ちば」を買う。この日の目標は、まず小湊鉄道からいすみ鉄道に乗り継いで房総を横断する、というものだった。小湊鉄道の列車はそれほど多くないが、いまのペースなら昼過ぎに五井を発車する列車に間に合うつもりでいたのだが、総武線の中であらためてダイヤを確認したところ、その列車は終点までいかず途中駅までであることが判明。次の列車まで待つとそのあとの予定がほとんど消化できなくなってしまう。そこで急遽、小湊鉄道といすみ鉄道を翌日にまわしてこの日は久留里線を往復することに変更。幸いなことに木更津での接続もちょうどいいようだ。
木更津で内房線を降りると目の前のホームに待っていたのはキハE130の2両編成。久留里線の列車はほぼキハE130に切り替わっているようだが、JR東日本のローカル線用気動車の主力がこれまでのキハ100/110系からキハE130に替わっていくのかといえば、そう話は単純ではなさそうだ。JR東日本では純然たるディーゼル車であるキハE130のほかに、小海線で運用しているハイブリッド車キハE200や、烏山線で実証実験をしている蓄電池電車EV-E301系など、次期主力気動車の候補があってJR東日本でもまだ決めかねているらしく水郡線と久留里線に投入されて以降、キハE130系は増備されていない。
北に向かって発車した列車は大きく右、つまり東にカーブして内陸部に向かう。一見して常総線と似たような田園地帯だが、やや起伏が多いようだ。やはり房総半島は常総平野と異なり台地が主体ということだろう。起点の木更津から終点の上総亀山まで全部で14の駅があるが、このうち列車交換設備があるのは横田と久留里の2駅だけ。ほかの駅はすべていわゆる棒線駅になってしまった。その数少ない列車交換可能な横田と久留里ではいずれも対向列車と行き違いを行なった。逆方向に戻る列車でも同じだったから、この2駅を結節点とするネットダイヤが組まれているのだろう。つまりこれ以上増発の余地が無いということだ。ここで先週乗った関東鉄道常総線と比較してみると、常総線の水海道以北の単線区間では、同じく14駅中3駅を除いてすべての駅に交換設備が残っていた。ただしそのほとんどはスプリングポイントになっている。交換設備をどんどん撤去してメンテナンス費用を圧縮する一方でダイヤの自由度が低くなってしまうのと、スプリングポイントでも交換設備を残しておくのと、長い目で見てどちらが得策だろうか。とりあえず三十一はこういうレベルでのJRの判断力は信用していない。
横田と久留里は、風景の面でも結節点になっているようだ。横田を過ぎるとわずかに勾配がきつくなってきた。何気なく車窓を眺めていると気づきづらいが、外に見える水田の境界にある段差に注目すると登り勾配であることがわかる。水田は水をはる関係で水平に作られているから、隣り合う一枚一枚の田んぼの境界線に段差があれば全体として土地が傾いていることを意味する。久留里を出ると今度は明らかな勾配。最後の一駅区間、上総松丘から上総亀山までは完全な山岳路線となり、トンネルをくぐると終点の上総亀山。
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この駅から少し歩いたところにバス停があって、勝浦までバスで出られるらしいのだが、駅前の地図を見てもそれらしいものが見つからない。あたりを見渡しても見当がつかない。方角としては駅の裏側のはずなのだが、どうもたどりつける気がしなかったので折り返しの列車で木更津に戻ることにする。久留里線はそのまま素直に折り返したが、木更津から帰宅するまでの経路が往きと同じでは面白くないので、一度成田に出て成田線支線で我孫子を経由して初日は帰宅。

土曜日は出発が遅かったせいで思うように路線を攻略できなかった。その反省の上に立って、日曜は6時に起床して7時過ぎの列車で出発することによる。これは平日の出勤より早い。だからやることが両極端なんだってばさ。
目指すのは09:25に五井を出る小湊鉄道の列車。少し余裕をもって到着。跨線橋をわたって小湊鉄道のホームに行くと、2両編成の列車が待っていた。外観は国鉄のキハ20を髣髴とさせるが、車内は全面ロングシートとなっている。進行方向右側の前方が見通せるようになっているが、すでにカップルに占拠されていたためそのやや後ろに席をとる。五井駅のホームの横は車両基地になっていて、かなりの数の車両が留置されている。なかには塗装が色あせている車両もみうけられた。
五井を発車した列車は小櫃川とつかず離れず走る。昨日の久留里線と印象はそれほど大きくかわらない。しかしやはり施設は古いようだ。今では珍しくなった木製の改札口があちこちの駅に残っていた。上総牛久までは比較的平坦で、旅客も多いのだろうかほとんどの駅に交換設備が残っていた。これもスプリングポイントだが。上総牛久を出ると山岳路線というほどではないが山がちになりところどころで勾配が厳しくなってくる。なお上総牛久を過ぎると交換可能な駅は里見駅だけになる。その里見駅でしばらく停車。地元の商店会か何かが繰り出して駅のホームに店を出していた。この間にしばし撮影。五井でも撮影はしていたのだが、光線の具合によるのかこちらのほうが出来がよかったのでここに掲げておく。
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この先は完全に山の中。高滝湖というダム湖や養老渓谷などの観光資源が点在する。乗客のかなりの部分は養老渓谷までで下車していき、終点まで乗るのはほとんどがいすみ鉄道に乗り継ぐらしい。終点の上総中野は、ふたつ並んだホームをそれぞれ小湊鉄道といすみ鉄道で使用し、ホーム間は構内踏切で連絡している。駅舎は共通のようだ。しかし駅の外に出る余裕がなかった。接続するいすみ鉄道の列車は、旧国鉄のキハ28とキハ52の2両編成。キハ28は全席指定ということなのでキハ52のほうに座る。サボや車内の掲示は意図的に残しているらしく、「糸魚川」などという文字が見える。それと車内中にちりばめられたハロウィーンのデコレーションが実にミスマッチだ。窓から下がるカボチャのお化けの飾りものは窓から外を見たい三十一には邪魔者でしかない。復元された大多喜城が見えてくると大多喜に到着。ここで国鉄型列車は終着となり、いすみ350形1両編成の普通列車に乗り換える。いすみ鉄道は春先の菜の花で有名だが、このあたりがその場所かなと思ったのはもう終点の大原に近いところだった。

さてこれで主目的である非電化鉄道は攻略できたが、まだ昼前なので当然まっすぐ帰宅するわけもない。せっかく「サンキュー!ちば」を手にしていることだし。そこで大原から大網、成東、銚子を経て成田線で成田に向かうことにする。千葉県の外周をぐるりと一周するわけだ。
これには実は30年来の因縁があり、三十一が中学生だったころに友人に誘われて初乗り運賃での大回り乗車をしたことがある。そのときのルートはもはやうろ覚えだが、確か我孫子から成田、佐倉、成東、大網、千葉と進んだと思う。つまりそのときに東金線に乗車しているのだが、なにせ遙か太古の昔のこと、ほとんど記憶がないばかりか本当に東金線に乗車したかどうかも確信がもてないのだ。なので三十一にとって東金線は「乗ったはずだが確信がもてない」路線として常に心にひっかかっていた。いっぽうで、成田線(我孫子支線でない本線)は大回り乗車できたはずなのだが夜までに帰ってこられなくなるという理由で断念した記憶がある。しかしこれまた確信がないのだ。というわけでこちらは「乗っていないはずだが確信がもてない」路線になってしまった。同じように「乗ったはず」な路線は八高線の南半分、高麗川から八王子、さらに横浜線を経て相模線で茅ヶ崎までがこれに該当する。ちなみにこの当時この区間はほとんどが非電化だった。今になって中学生だった自分が羨ましく思える。こうした区間に残った曖昧さを今回一部だけでも解消することができた。これで千葉県内のJRのほとんどと小湊鉄道、いすみ鉄道、銚子電鉄は攻略することができた。そのかわり、最終日は朝の7:38から乗り始めて戻ってきたのは17:38。ちょうど10時間かけて12本の列車を乗り継いだ。さすがに疲れました。

最初の日曜日の旅程:
松戸(1242)→取手(1306) 1239H
取手(1315)→水海道(1349) 3083レ
水海道(1407)→下館(1456) 5085レ
下館(1459)→小山(1520) 752M
小山(1532)→上野(1649) 1575E
上野(1654)→松戸(1716) 1685H

土曜日の旅程:
松戸(1110)→新松戸(1117) 923S
新松戸(1122)→西船橋(1140) 1031E
西船橋(1143)→千葉(1206) 1048B
千葉(1215)→木更津(1254) 167M
木更津(1301)→上総亀山(1408) 933D
上総亀山(1423)→木更津(1531) 938D
木更津(1545)→千葉(1628) 2564F
千葉(1634)→成田(1710) 1463M
成田(1716+2)→我孫子(1800) 876M
我孫子(1805)→松戸(1818) 1784H

二度目の日曜日の旅程:
松戸(0738)→新松戸(0745) 603K
新松戸(0747)→南船橋(0808) 615E
南船橋(0815)→蘇我(0832) 705A
蘇我(0853)→五井(0904) 147M
五井(0925)→上総中野(1038+6) 9A
上総中野(1054)→大多喜(1116) 102D
大多喜(1121)→大原(1149) 58D
大原(1242)→大網(1322) 262M
大網(1326)→成東(1343) 1647M
成東(1344)→銚子(1436) 351M
銚子(1508)→成田(1628) 454M
成田(1638)→松戸(1738) 1734H

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2016年10月 2日 (日)

五月雨をあつめて早し

昨日の夜はホテルの窓から赤いEF510が牽引する上り貨物列車が一旦停車してまた走り去っていったり、青いEF510が下り貨物列車を牽引し到着したかと思うと一部を切り放して入れ換え作業を行なったりしていた光景を堪能したが夜のことで写真は諦めた。
そのかわり、朝になって青いEF510の置き土産のコンテナ車がまだいたので記録した。遠景には鳥海山が。
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貨物列車を見ているうちは目が覚めていたが、そのあと記事を書いていてものすごく眠たくなってしまったため後半は意を尽くせない点が多かった。しかしいまさら書き直すのもどうかと思うのでそのままにする。事情ご賢察を乞う。
酒田から余目までは交流電化の羽越本線を行く。車両はおなじみのキハ100系2両編成。先頭車両の前面展望席に陣取る。羽越本線はほとんどの区間で海沿いを走るのだが、この庄内平野あたりでは少し海から離れている。有数の米どころだけあって、市街地を少し外れると田んぼが広がる。今年の夏休みでは西日本から東北まで足を伸ばしたがどこに行っても日本ではまずコメを作ってきたということが実感できた。東京にいると忘れ勝ちだけど。余目を出ると陸羽西線は左に分岐して架線の下から逃れ出る。しかしやはり田園地帯であることは変わりない。列車の前方をサギが悠々と横切っていく景色は昨日の米坂線でも見られた風景だ。かと思うとスズメの群れが近づく列車に驚いてか線路から一斉に飛び立つ。スズメも最近あまりみかけないなあ。左手の田んぼの向こうには鳥海山が横たわる。
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清川あたりから風景が狭まってきた。しかしそれほど急勾配という感じはしない。左手には陸羽西線の愛称「奥の細道最上川ライン」の由来となった最上川だ。ここからは終点近くまで最上川と並行して走っていく。半分を過ぎた津谷駅で運転士が運転席後方のカーテンをひいた。ここから先がトンネルになるのか。トンネルをふたつほど過ぎ、短い勾配を下ると新庄を中心とした盆地に出る。また田んぼだ。

新庄駅には4方向から路線が乗り入れる。北からは狭軌交流電化の奥羽本線、西と東からは狭軌非電化の陸羽西線と陸羽東線、そして南からは標準軌交流電化の山形新幹線だ。そのため、行き止まりのホームが北向きと南向きで頭をつきあわせ、その隣に通過可能な本線ホームが並ぶというちょっと面白い構造になっている。一番早い山形方面の列車は特急「つばさ」なのだが、次の普通列車でも間に合うのでそちらにすることにする。東北地方の電化路線で広く使われている701系電車だが、この区間は標準軌なので番台区分されている。車体の構造は変わらない。日曜の午前中「なのに」あるいは「だから」か2両編成の列車はけっこう混んでいた。思うような席が確保できない。首をひねるようにして車外を見ていた感じでは、それほど極端な急勾配があったようには思われない。もっとも、電車は勾配に強いので同じ勾配でもディーゼルカーに乗っているときよりも実感に乏しい。東根あたりでは特にきょろきょろしてみたものの面白い景色は見られなかった。さすがに自衛隊はガードが堅い。
ところでこの列車、ワンマンではないのか車掌が乗務しているがどうも新人と先輩の組みあわせの二人で常務しているらしく、アナウンスはもっぱら新人が担当しているのだがこれが噛み倒す噛み倒す。終着前のアナウンスはさすがに先輩が担当していて差は歴然。しかしそんな失敗も笑って聞き流されてしまうのはやはり若い女子の特権か(三十一だけですかね)。ちなみに先輩のほうも女性でした。

山形駅では「鉄道の日」が近いせいか何かイベントをやっていたが三十一はその混雑をよそ目にコインロッカーを探す。身軽になって目指すは左沢(あてらざわ)線ホーム。例の四角形(米沢-坂町-余目-新庄)から飛び出す路線には左沢線と山形鉄道フラワー長井線があり、どちらも非電化。この機会に両方踏破できないかと苦心してようやく発見したのが今回の日程だ。日程を「作った」というのではなく「発見した」というのもおかしいが三十一にはそう感じられた。

左沢線の列車はまたもやキハ100系の2両編成だ。ただし陸羽西線の2両編成が片運転台型2両の最小構成だったのに対し、左沢線は両運転台型を2両連結し、うしろの1両は途中の寒河江止まりになる。車両運用でもそうだが、ダイヤでも寒河江までしか行かない列車が多くて苦労した。寒河江までと寒河江以遠で必要な輸送力が大きく違っているのだろう。下りの「つばさ」に一部遅延があって接続をとるために山形を5分延発。このあとは乗り換え時間が厳しい個所もあるので少しでも遅れないようにしてほしいなあと思ったのだが往復している間に遅れは解消されてしまったようだ。
寒河江までは比較的建物が多く、寒河江は山形市のベッドタウンのような存在らしい。ただ三十一が乗っていた列車で高校生が一斉に降りて行ったのは揃ってジャージを着ていたので何かの大会だったのかもしれない。そういやそういう季節か。三十一が運動部に所属していたのは中学生時代はるか過去の話だ。
寒河江を過ぎても車窓風景は家と農地が交錯した郊外の風景が続くが、終点まであとふた駅というあたりで景色が一変した。急に山の中に入ったかと思うとトンネルを連続して抜け、行き着いたところに急に街並みが広がったかと思うと終点の左沢だ。
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左沢に着いたときにはすでに遅延はなくなっていた。寒河江で後部車両を切り放すため長時間停車するので吸収できたのだろう。6分で折り返し。今度は前面展望席に陣取る。もっとも、途中の寒河江で前に車両が増結される可能性が高いとは思っていて実際その通りだったのだが、覚悟はできていた。トンネルを抜け鉄橋を渡り勾配を下って寒河江に到着すると、ここから前が見えなくなる。西寒河江で乗ってきた高校生が一斉に降りて行ったのは、増結された車両に移るためだった。三十一も移ればよかったのだが、高校生と席取り争いをする気になれなかった。
北山形駅は戸籍上の左沢線の起点で、奥羽本線側にもホームがあるがもとは奥羽本線から離れている地点の左沢線側にしかホームがなかった。なので北山形駅の奥羽本線と左沢線のホームはけっこう離れている。北山形駅をはさむ二駅間、つまり山形-北山形-羽前千歳の間は、標準軌と狭軌の併用区間になる。青函トンネルと同じだ。山形まで戻ってきて、荷物を回収し、次の列車で赤湯に向かう。赤湯駅はかつての国鉄長井線、いまの山形鉄道フラワー長井線の起点だが、終点である荒砥駅に日があるうちに到着できる列車に間に合うためには、特急を使うしかなかった。20分ちょっとしか乗らないので自由席にする。この列車は新庄始発なので、日曜の午後の上り列車だけあってわりと混んでいる。空席がないわけではないのだが窓際は無理。デッキに立っていてもよかったのだが適当な通路席に座って20分乗り赤湯で下車。見る限り下車したのは三十一ひとりだった。

いま使っている週末パスでは、山形鉄道にも乗車できる。山形鉄道の列車自体は、昨日米坂線に乗っているときに今泉駅で目撃していた。しかし今日は起点の赤湯から終点の荒砥までを往復するのだ。
赤湯駅の端のホームに停車しているのが山形鉄道の車両らしい。しかし一度JRの改札を出てみることにする。立っている駅員がいないけどいいのかな。JRの赤湯駅はドーム型の構造物に覆われた形になっていて、十分な距離がないと全景がつかみにくい。しかし乗り継ぎ時間に余裕がないので早々に駅舎内に戻る。山形鉄道のホームは跨線橋を渡って4番線。けっこう距離があるので、まっすぐ乗り継ぐならともかく一度下車してきっぷを買い直したりしていると乗り遅れるかもしれない。週末きっぷを使っている三十一でもホームに降りたのは発車2分前。YR-887という車両番号を持つディーゼルカーだ。「YR」は「Yamagata Railway」の頭文字だろうけど、「887」の由来がわからない。気になる人は Wikipedia でも見ればきっとわかると思います。

赤湯を発車したときに乗車していたのは三十一を含めて2名。途中で乗り降りした乗客を含めても、高校生や中学生、帰省客らしいシニアなど延べ10名に足りないくらいだったろう。これが復路の列車では一変する。
まず米坂線と接続する今泉あたりまではとにかく米沢盆地の田んぼの中をひた走る。昨日の米坂線での光景と区別がつかないくらいだ。今泉を出ると少し上り基調になってくるがそれほど厳しい勾配というわけではない。山形鉄道では転換後に駅をかなり増やしたらしく、古い構造の駅と新しい駅(といっても建物などはかなり古びているが)が入り混じっている。その中で沿線最大の駅は長井駅だろう。長井市の中心駅ということだがそれでもローカル線の行き違いができるというだけの駅でしかない。その他の駅は推して知るべしだ。さきほど乗った左沢線に比べると明らかに寂しい。県庁所在地である山形あるいは置賜地方の中心地である米沢などに直結しているわけではなく沿線にまとまった人口があるわけではない、赤湯という全国的には無名の駅を起点とした国鉄長井線が廃止転換の対象になったのはやむを得ないだろう。
終着の荒砥には車両基地が併設されているらしく、検査庫と留置線がホームから見える。
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第三セクターらしく駅舎には公民館が併設されている。
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20分ほどで折り返しなのだが、10分前くらいに車内にはいったところ、それほど広くない車内の前方3分の1くらいのスペースで同窓会が開かれていた。ほぼ同年代、70代くらいの男女10名あまりが向かい合わせのロングシートを占領して昔話に花を咲かせていた。同窓会か何かがあってみんなで帰省した、その帰りらしい。この集団のほとんどは赤湯まで行くんだろうなあ。付き合いたくはないが三十一も付き合って一緒の列車で赤湯に戻るしかない。すると今度は長井で高校生の一団が乗り込んできた。部活帰りかなあ。世代は違えど地元民で溢れる車内に東京モノの三十一は肩身が狭い。小さくなっているうちに赤湯着。
いったん改札を出て帰りの特急券を確保する。たまたまこの次に東京方面に向かう特急は、不定期列車なので昨日と同じようにわりと席をとりやすいと踏んでいた。そのかわり、この列車は全席指定なので席がとれなければ必然的にあとの列車になってしまう。結論はといえば首尾良く席が確保でき最速の「つばさ」で帰宅。

本日の旅程:
酒田(0742)→新庄(0853) 152D
新庄(0932)→山形(1042) 1432M
山形(1155+5=1200)→左沢(1240) 333D
左沢(1246)→山形(1339) 336D
山形(1404)→赤湯(1427) 144M
赤湯(1435)→荒砥(1535) 213D
荒砥(1559)→赤湯(1651) 218D
赤湯(1712)→上野(1930) 8190M/8190B

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2016年10月 1日 (土)

お米のくにの人だもの

一日おいて今度は北へ向かう。
何度も書いているのでもううんざりしている人もいるかもしれないが、JR東日本の週末パスとか三連休パスはコストパフォーマンスも高く対応している民鉄も多くて、わりとよく使っているのだけれどひとつだけどうしても気に入らないのが、前日までに購入しておかなくてはいけないこと。当日になっておもいつきで旅行するような貧乏旅客は相手にしていないということだろうか。三十一の経験でも、金曜日に週末パスを買ったのはいいがその日の夜に会社から電話がかかってきて、土曜日の出発が予定より遅くなったということがあった。せっかくのきっぷをふいにしないで済んだだけ幸いだ。今回は夏休みのなかの二日間でさすがにそんなことはあり得ないはずなのでしっかりした予定を決めていない状態ではあったけれど週末パスを買うことにした。

今回の目標は、週末パスを使って行ける一番遠い地域、つまり羽越本線と奥羽本線をつなぐ非電化路線だ。具体的には陸羽西線と米坂線ということになる。計画のポイントは、奥羽本線、陸羽西線、羽越本線、米坂線で囲まれた四角形の路線をどちらむきに回って、どこで宿営するかだ。具体的に調べてみたところ、幸いにも新庄でも酒田でも宿は確保できそうだ。それから、羽越本線と、奥羽本線のうち山形以南はすでに乗車済みなのでこの区間はやむを得なければ夜間にかかってもいい。こうした条件を組み込んでプランは決定。いちまつの不安は出発日の朝が早いこと。いっぽうで荷造りはつい昨日までの荷物の内容にプラスアルファして、日程が短い分着替えなどを減らした以外はほぼ同じ内容になったのでスムーズに進んだ。特にPCの付属品関係はおよそ半減。5日間使わずにすんだものが1泊で必要になるとは思えない。

一応想定していた時間に起きて、BSで朝ドラの最終回を観てから家を出る。
上野で新幹線の特急券を買ったのだが、窓際が満席だったので通路側になってしまった。しょうがないか、と席を確保して出発までどうやって時間を潰そうかと考えながらぼんやりと今買ったきっぷの券面をながめていて気づいた。これは接続にずいぶん余裕があるなあ。そういえば、昨日計画をたてたときには往きの新幹線にはかなり余裕を見ておいたはずだ。次の列車でも間に合うんではないかと思って、みどりの窓口に戻って備え付けの時刻表を調べると、50分後の列車でも充分間に合うことがわかった。そこで変更のため窓口に並ぶ。特急券などのきっぷは使用前であれば1度だけ手数料なしで変更可能なことは意外に知られていない。ただし自動券売機ではできないので窓口に並ばなければいけない。区間は同じなので値段は変わらない。もし次の列車の窓際があいているなら変更してほしい、というと窓口氏は「難しいと思うけど」といいながら画面に向かって調べ始める。しかし三十一には勝算があった。今調べてもらっている列車は臨時列車なのだ。今は自動券売機で当日のきっぷが簡単に買えるので昔ほどではないが、毎日運転している定期列車よりも日によって運転されたりされなかったりする不定期列車のほうが空いているのは間違いない。さっき時刻表で見て今日が運転日であることは確認済み。見事窓際の席を確保して変更された特急券を手に入れる。ただ時間がさらに50分あいてしまったので駅構内のカフェで列車の時間を待つ。

時間になったのでホームに降りたところ、目的の乗車位置に並ぶ前に列車が入ってきて少し慌てる。E3系にも「つばさ」にもすでに乗車経験があるが「E3系のつばさ」に乗るのは初めてだ。福島までの東北新幹線はもうすっかりお馴染み。その間はPCで原稿書き。気づいたら福島駅から高架を降りて奥羽本線にはいってきていた。赤岩、板谷、峠、大沢とかつてのスイッチバック駅が続く。スイッチバックが続くくらいだからまわりの風景は山の中の峠超え。新幹線の近代的車両とアンマッチだ。山越えが終わって田んぼが広がると米沢盆地だ。

米沢駅で米坂線に乗り換える。JR西日本を代表するローカル線用ディーゼルカーがキハ120なら、JR東日本でそれにあたるのはキハ100系だろう。駅構内の端っこ、米坂線ホーム方面と書かれた案内に従っていくと、キハ100系がずらりと並んでいる。三十一が乗る列車は4番線ということなので、こっちだな。あれ、4両編成? と思いきや手前の2両は留置車両で、奥の2両が坂町行きということらしい。いったん、戻る方向に発車してそれから右にカーブしていく。これからしばらくは米沢盆地の中なので、田んぼの中を直線的に走っていく。勾配もほとんどない。しばらくはこんな感じなんだろうなあ。今泉でかつての長井線、いまは山形鉄道フラワー長井線と接続をとるために15分近く停車。高校生が何人か降りて行ったけど、中間試験には早いよね。おっと、今日は土曜日か。じゃあ部活かな。今泉を出たあたりから少しずつ山の気配がしてきた。すぐ横にはまだ田んぼが残っているが、これまでのようにその真ん中をつっきるのではなく、勾配に弱い鉄道はいまのうちにできるだけ高度を稼いでおこうと、里山のふもとにとりついて少しづつではあるが勾配を登っていく。手ノ子から一気に急な上り勾配となり、わずかに開けた小盆地にたどりつくと小国。
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ここでしばらく行き違い列車を待ちあわせ。待ち時間が27分と聞いて、普段ローカル線の列車に乗り慣れていないと思われる一家の父親が「なんでそんな長いの」と疑問を呈していた。プロのスジ屋がひくダイヤに文句をつけるくらいだからよほどの専門家なのかな。
小国駅に停車中の列車を後ろ側から写したもの。駅構内は意外に広い。
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小国はまだ山形県だが、すでに分水嶺を越えていて水系は日本海に向かう。米坂線も終点坂町にむかって勾配を下りながら新潟県に入る。駅名に「羽前」の代わりに「越後」を冠するようになってくる。線路がすっかり越後平野に出た越後下関で例の一家は降りて行き、坂町着。

さてこれから今夜の宿営地である酒田に向かうのだが、50分後の特急に乗るしか選択肢が無い。すぐに接続する下り列車は村上止まりだ。
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E129系は直流電車だ。つまりこの区間は直流電化区間だということを意味する。米坂線の起点である米沢の前後は交流電化だが、終点の坂町は直流電化だから、もし米坂線を電化するとなるとどこかにデッドセクションを設けなくてはいけなくなるのだが、近いうちに米坂線が電化される心配をする必要はないだろう。
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坂町駅に進入する特急「いなほ」はE653系に置き換えられて、485系は「いなほ」の運用から離脱した。「フレッシュひたち」に使用されていたころに乗車したことがあるが、地元の古い知り合いと思わぬ場所で出会った気分。

自由席だが海側窓際を確保できた。このあたりは新潟県と山形県の県境、鼠ヶ関が置かれたところで古来交通の要衝であると同時にネックでもあった。手前の海岸には岩がごろごろしており、その向こうには粟島が見える。とりあえずファインダーを見ないで撮った写真のうちいくつかはまともそうに見えた。
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鶴岡で、遅れていた陸羽東線との接続をとったため4分遅れとなる。
酒田のホテルは駅の近くでいろんな作業の様子がよく見えるが、食事がとれる場所がほとんどないのが残念。

今日の旅程:
上野(0954) → 米沢(1155) 8177B/8177M
米沢(1216) → 坂町(1449) 1131D
坂町(1539) → 酒田(1711+4=1715) 2007M

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2016年9月30日 (金)

作州浪人と言えば宮本武蔵だが今日は智頭急行線には乗りません

昨日の例にならってまず今日の主目標を。
この旅行の記事を最初から読んでる酔狂な人は今頃「当初の目的はどうしたんだ」と思っているかもしれない。そう、この期におよんでも三十一はまだ「美作国」に足を踏みいれていないのだ。そこで今日の目的は美作国に入って津山の扇形機関庫を見、そして東京に戻ることとする。
はじめは往きに津山の扇形機関庫を見てくるつもりだったのだが、出発が日曜になった関係で往きに寄ると津山が月曜になってしまう。この手の公共施設は月曜日が定休のところが多く、この津山の「まなびの鉄道館」もその例に漏れなかった。そこで帰りにまわすことにしたのだ。三十一はこういう「月曜日の罠」にひっかかることがけっこう多いような気がする。
さてでは津山までどういうルートで行って戻って来るべきか。津山を中心に考えると、鉄道路線が4方向に向かって走っている。つまり、岡山方向には津山線、姫路方向に姫新線上り、鳥取方面に因美線、新見方面に姫新線下りと4つの選択肢がある。往き帰りを別ルートにすると選択されるのは4分の2。ここで昨日も書いた「中国地方山間部から山陰中部の、新幹線から直接のアクセスがないローカル線をこの機会に乗り潰してしまおう」という条件をあてはめてみると必然的に鳥取-津山-新見というルートがきまってしまう。帰りのことを考慮すると逆方向は選びにくい。津山である程度時間を確保することも考えなくてはいけない。そうすると鳥取を朝の7時台に出る列車に乗るほかに選択の余地がない。昨日無理をして鳥取に宿泊したのはこうした理由があるからだ。

まず心配なのは天気。鳥取地方は明け方まで激しい雨ということで、大雨のなか駅まで大荷物を抱えて傘をさすのはあまりやりたくない。だからできるだけ駅に近いホテルを選んだのだがそれでも5分は歩かなくてはいけない。幸いにも大降りというほどではなく、かといって傘がいらないほどの小雨というわけでもなく、まだ薄暗いうちに駅に向かう。最初は朝7:23の普通列車で途中の智頭まで行くつもりだった。しかし考えてみると、これはまともに通学列車なんではなかろうか。広島でも朝の通学列車に乗ることになったが、あのときは始発は6時台だった。7時半に近いこの列車は始発駅から高校生であふれることだろう。荷物がなければそれでもいいのだが、大荷物というハンデを抱えて若い高校生と争うのは厳しい。そこでその前に出る特急で智頭まで行くことにした。いくらなんでも高校生は特急には乗ってくるまい。そのかわり三十一は特急料金を払ってより早い時間の列車に乗ってしかも智頭駅で長い時間待たなくてはいけなくなる。特急料金は本来時間をカネで買うものだが、三十一は高校生に負けてカネを払って時間を失うことになる。

乗り込むのは鳥取駅から智頭急行線を経由して岡山に向かう「スーパーいなば」。使用されているキハ187系に乗るのは3日連続になる。同じく智頭急行を経由して関西方面に向かう「スーパーはくと」はこれまで乗ったことのないHOT7000系で、三十一の当面の目的地である智頭までは同じルートなのでそちらを選んでもよかったのだが、30分早い列車に乗っても智頭での待ち時間が30分長くなるだけなのでやめました。「スーパーはくと」は今後乗る機会があるような気もするし。近代的な高架駅ながら非電化というちょっと不思議な鳥取駅を東に向かって発車。やがて山陰本線を左に見送ると、因美線は地上に降りる。鳥取市街地を抜けるとなんというかお馴染みの日本の風景。田んぼと集落と里山。ただ建物の屋根に赤い石州瓦が使われている割合はだいぶ減ったように思う。最初の停車駅である郡家までは鳥取平野のうちに含まれるのだろうが、郡家を過ぎると山の気配が強くなってくる。30分弱で智頭。ここで降りる乗客はほとんどいない。
さて鳥取できっぷを買うとき、いつものように面倒くさい買い方はしないで券売機でとりあえず津山まで買っておいた。列車に乗ってからふと気になって券面を見てみると「下車前途無効」 ありゃ、途中下車できないのか。智頭で45分くらい待ち時間があるんだけどなあ。駄目元で駅員に「津山行きを待つ間、待合室で待っていてもいいですか」と聞いてみると快諾してくれた。駅員にしても、乗客に無闇に構内をうろつかれても困るだろうから「駄目元」といいつつかなりの確率でOKされるだろうとは思っていた。待合室に座ってあたりを見渡しているとおかしなことに気づく。この駅はJRと智頭急行線の接続駅のはずだが、智頭急行のきっぷを売っている気配がない。ようやく気づいた小さな表示には「智頭急行線内で完結するきっぷは、隣の智頭急行智頭駅でお求めください」。隣の? まあ少しくらいはいいだろうと外に出てみると、あああれだ。JRの駅とはだいぶ趣の異なる新しい駅舎。改札から別ということか、へー。
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8時ちょっと前、折り返し津山行きになる列車が到着したので駅員が声をかけてくれる。もうすっかりお馴染み、たまには違う車両にも乗ってみたいとすら思わせるキハ120だ。数名の高校生を含む降車客が行ってしまうのを待って乗り込む。どこに座ったかは言わずもがな。ちなみに三十一以外の乗客はこの段階ではひとりだけ。発車5分前、例の通学列車が向かいのホームに到着。おお、キハ47系の3両編成だ。終着の智頭でのそれなりの人数が下車していったので、始発の段階ではもっと多かったはずだ。三十一が調べたかぎりでは郡家と智頭に高校がひとつずつあるらしい。
因美線はもともと鳥取(因幡国)と津山(美作国)を結ぶ路線だが、そのうち途中の智頭以北が新規開業した智頭急行線と一体化して岡山や関西といった山陽方面と鳥取を結ぶ高速ルートに組み込まれた。その結果、因美線は特急が行き交う智頭以北と、そのルートから外れた智頭以南で運転系統が分断されている。これから乗るのがその高速ルートから外れたほうだ。智頭を発車するとしばらく智頭急の線路と並行して走る。前面窓から見ていると因美線のほうはかなり草が繁っているのに智頭急線のほうはほとんど草が生えていない。それだけ運転密度が違うんだろうなあとそのときは思ったのだが、そんなのは実はまだ序の口だったのだ。やがて智頭急線のほうは左にカーブし、築堤に上がり、さらに高架に上がってトンネルに消えていった。三十一が乗っている因美線の列車は少しずつ高度を上げているようだが、このあたりではまだそれほどの勾配ではない。それよりも気になったのは、しばしば25キロ制限があらわれることだ。必ずしも勾配がきついわけでもカーブがきついわけでもないのに、どうして制限がかかっているのだろうと思ってふと気づいた共通点。これは三十一がそう思っただけなので本当かどうかわからないのだが、どうも川べりを走るとか道路脇を走るとか、線路の路盤が護岸構造になっているときに制限がかかっているように思えた。築堤の上などは快適に走っているのだが、路盤の少なくとも片側が擁壁で支えられているときに速度を落としている。これに気づいて三十一はちょっとぞっとした。繰り返して言うがこの三十一の見方には根拠がないので鵜呑みにしないように。
雨は強くなったり弱くなったりしながら降り続いている。線路脇に生い茂った草も緑に濡れている。濡れた重みで葉が垂れ下がっているのか、列車がしばしば線路脇の草をこすっていく。今回の旅行でも雨の山中を走っているとときどきあることではあったのだが、このあたりでは「ときどき」ではすまない。ときには草や葉ではすまず、枝がぶつかったのか「ガン」という音が響くこともある。那岐駅に停車中、運転士が席の後ろに遮光幕をひいたので「あれどうして目隠し?」と一瞬思ったが「ああトンネルか」と思い至る。次のトンネルが鳥取県と岡山県の県境、つまり因幡国と美作国の国境だ。いよいよ美作国に足を踏みいれるぞ。国境のトンネルに向かって急勾配をひたすら登る。
国境をトンネルで越えるとき、特に今回のように3000メートル以上ある長いトンネルで越えるとき、果たしてどのタイミングで実感がわいてくるだろうか。実際の国境はトンネルの中のどこかになるのだが、道路と違って鉄道では標識が出るわけではないのでどこが本当の国境だかわからない。やっぱりトンネルを抜けたときだろうか。しかし三十一は今回、意外とトンネルに入ったときではないかと思った。今回の三十一の感じ方は「美作国に入った」というよりはむしろ「因幡国を出た」という気持ちが強かったようだ。「美作国に早く入りたい」という願望がいつの間にか「因幡国を早く出たい」という願望に変化し、トンネルに入ったときに「因幡国の景色はこれで見終えた」という気持ちが生まれてきた。別に因幡国から早く逃げ出したいというわけではないのだが、「まだ因幡か」「まだ因幡だ」というじれったい感情が「ようやく因幡を抜けた」という形で解消された、その瞬間がトンネルに入ったタイミングになったのだろう。
そしてトンネルを抜けていよいよ美作国。これで「64分の62」となった。国境を越えると今度は下りの急勾配。制動をかけながら下っていく。美作で最初の駅、美作河井に停車中、運転士がおもむろに前部ドアの前についているバックミラーの調整を始めた。仕業前に確認しないのかな、と思ったが線路脇の草や枝にぶつけているうちに曲がってしまったんだろう。濡れ衣を着せてしまってすみませんでした。このあたりまで来るとすっかり雨も上がり日もさしてきた。トンネルをさらにいくつか抜けて、津山盆地におりてくる。津山盆地は美作の中心となる平地で、冒頭にも記した通り津山では4つの路線が集中している。左側から姫新線が寄ってきたかと思うといったん合流して、すぐに上下線に分岐すると東津山駅に到着。一般的にはここはシーサスクロッシングにするところだろうが、考えてみるとこれでも機能は変わらない。鉄橋で川を渡って津山着。

津山駅前広場は工事中。「まなびの鉄道館」に向かうには駅の左方向にある踏切を渡って駅舎の反対側に出るのだが、通路が右方向にしかつながっていないので迂回を余儀なくされる。事前にアクセスマップを見てきたので道筋はわかっているのだが、ルート沿いにノボリがずっと立っているのであまり迷うことはないだろう。踏切に近づくとちょうど津山線の列車が到着するところだった。踏切に着く頃にはもうあいてるな、と思ったのだがすぐにまた踏切が鳴り始め、今度は何だろうと思ったら姫新線の列車が到着するところだった。数少ない到着列車を同じ時間帯に集中させているのは備後落合と同じだが、めったにひっかからない踏切にたまたまひっかかると長く待たされるというのはあんまり愉快ではあるまい。
ノボリや看板をたどって問題なく「まなびの鉄道館」にたどりついたのだが、いざたどりついてちょっと戸惑う。これ本当に入り口か? 何の変哲もない金網に空けられたゲートにしかみえない。よく見ると看板が出ているのだが色使いのせいかあまり目立たない。入り口からは扇形機関庫の背面しか見えないのもわかりにくくしている。入り口そのものにもう少し歓迎ムードを出したほうがいいんじゃないかなあ。余計なお世話だけど。入場料はおとな300円で、硬券を模した入場券をくれた。すぐ目の前が目玉の転車台と扇形機関庫なのだが、その右側を金網で仕切ったむこうは津山鉄道部の留置線でキハ47やキハ120が留置されている。というか、もともと津山鉄道部の敷地の中にあった転車台と機関庫を仕切って「まなびの鉄道館」に仕立てたのがよくわかる。
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扇形機関庫におさめられていたのはディーゼル機関車が多く、DL好きの三十一にとっては夢のようだったが、SLはD51が1両あるだけなのでお子様たちにはやや不満かもしれない。もっともこのD51は2号機の「なめくじ」でこれはこれで貴重なのだけどね。実車のほかにも展示施設があって、鉄道の仕組みなんかを展示だけではなく実験を通じて学ぼうというコンセプトらしい。三十一は説明だけ読んで「知ってる知ってる」とパスしてしまったが、子供にも実感で理解させることができるだろう。結局三十一は1時間弱くらいいたと思う。実験展示はパスしたかわりに、実車のブレーキホースの格納方法をまじまじと観察したり、鉄道模型の説明をしてくれたおじさんと話し込んだりしていたので普通に見学するのでもやっぱり同じくらいかかるのではないだろうか。

駅に戻ってきたがまだ11時前。次の列車まで2時間近くある。「まなびの鉄道館」でがんばって時間を潰したつもりなのだが潰しきれなかった。さてどうしよう。
実は津山で行けるものなら行ってみたいと思っていたところがもう一ヶ所ある。津山城だ。明治維新当時の美作津山藩は石高はそれほど高くないが、德川家康の次男である結城秀康の直系の子孫という由緒を誇っていた。ところがこの家系は不祥事や当主の若死にが続いて越前福井67万石だった領地がついには美作津山5万石にまで減らされてしまった。幕末に近くなって高直しで10万石に増やしたが実際にはかなりの水増しがあって藩財政は相当苦しかったようだ。しかし津山城は石高は減らしたとは言え名門の親藩が入るにふさわしい堅城で特にその石垣は見事という評判だ。時間がなかったので諦めていたのだが、改めて駅前の案内地図を見てみると駅から1キロくらいらしい。道もわかりやすいし、とりあえず行けるところまで行ってみようと歩き始める。ところがこの頃からまた雨が降り始め、少しずつだが強くなってきている模様。市の中心となる通りを曲がると城跡の入り口があった。石垣と、見上げるような石段。一瞬躊躇するが思い切って登ることにする。百段はなかったと思われる石段を登り切るとつきあたりになり、右手方向が入り口らしい。ここから先は有料か。300円なのでそれほど高いわけではないが、何しろ雨。降ってさえいなければ300円払うのはやぶさかではない。また無料なら多少の雨でも入ってみる気になっただろう。しかし雨の中、300円払ってまで中に入る気になれなかったのでここから踵を返して駅に戻る。
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駅まで戻ってみると、改札の前に掲示板が出ていた。
なになに、「姫新線 久世ー中国勝山間の踏切で列車と自動車の接触事故があったため、姫新線の列車に遅れが生じる可能性があります」 なんとまあ。
いまならまだ時間に余裕があるので、少々遅れても最終的に目的地にたどりついてくれるならいい。万一にも動かなくなってしまうと困る。もし姫新線が使えないとなるとここから津山線で岡山に出て、東京に帰ることになるだろう。きっぷの買い方が変わってくるのだ。そしてその場合、姫新線の津山-新見間が未乗車で残ってしまう。
次の津山線の列車は12:27、そして当初乗るつもりだった姫新線は12:46。その次の津山線が13:30。あと1時間近くあるので、もうしばらく時間を潰してもし動かないようなら津山線経由できっぷを買って東京に帰ろう。最悪、13:30の津山線に乗れれば充分早いうちに帰宅できる。さっき、鉄道博物館に向かう途中にファミレスのようなレストランがあったのでそこでランチにしよう。

ランチを終えて12時ちょっと過ぎに駅にもどってみると、ちょうど例の掲示板を片付けているところだった。さては動くか?
当初の予定通り、姫新線でいったん新見に行きそこから伯備線で岡山に出て新幹線で東京に帰る、という面倒くさいきっぷを買う。「姫新線は動きますよね?」「遅れる可能性はありますけど」「まあたどりつければいいです」という確認を経てきっぷを確保。

姫新線の列車は、もはや予定調和のようにすら思えるキハ120。
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ところが周囲の写真を撮っているあいだにいつもの席を女子高生にとられてしまった。まだ昼過ぎなんだけど、中間試験には早いよね? 同じロングシートの、一番後ろに座ったので一応前方は見える。定刻通り、津山駅を西に向かって発車した列車は、津山線と並行したまま先ほど歩いて渡った踏切を今度は列車に乗って行く。歩行者として踏み切りを行く列車を見るのと、その列車に乗っているのとでは速度感がずいぶん違うなあ。しばらく津山線と並行していたが、ほぼ同じタイミングで津山線は左へ、三十一が乗る姫新線は右へカーブして別れていく。
このあたりは盆地の田園地帯なので基本的には平坦で曲線もきつくない。ただときどき川を渡ったり川に沿って走ったりすることがあるが、川は線路と反対側に向かって流れているようだ。美作千代駅はもともと対向式ホームをもつ構造だったのが、上り線側が撤去されて棒線駅になっている。しかしホームはまだ形を残していた。ところがそのホーム上に棚が作られて何か栽培されていた。実がなっていなかったのでわからなかったのだがまさかブドウじゃないよね。キュウリか何かかな。美作落合駅でそろいの制服を着た3人組の女子が乗り込んできたけど、高校生には見えない。こんなところに大学があったのかな。そろって中国勝山で降りて行った。
刑部で対向列車と行き違いをするはずだったが、相手が来ない。例の事故のせいで新見を12分遅れで出たそうだ。というわけで、こちらも待たされることになる。12分かあ。もし12分遅れると新見着は14:38。まさにその時間に岡山行きの「やくも」が出るということで、指令からの指示で運転士が「やくも」への乗り換え客がいないか聞いていたが該当者なし。実は三十一は、もし間に合うのであればその「やくも」で岡山に向かおうと思っていた。しかしまだ特急券は買っていないので「乗り換えます」とは言えなかった。車内で買うということもできるだろうが、いくらなんでも乗り継ぎの新幹線までは車内では買えない。別々に買えばいいじゃないかと思うかもしれないが、新幹線と乗り継ぐ在来線特急の特急券を同時に購入すると在来線側の特急料金が半額になる。別々に買うとその特典が得られない。実際のところそれで節約できる金額はたかが知れているのだが、その仕組みを知っていながら利用しないというのはテツの矜持が許さない。そのため「やくも」は諦め次の普通列車で岡山に向かうことにした。それでもそんなに夜遅くならないうちに帰れるだろう。
実際には新見には10分遅れの到着となり、「やくも」までは2分の余裕があってきっぷさえ持っていたなら充分乗り換えに間に合っただろう。しかし窓口できっぷをちゃんと買っていたら到底間に合わない。というわけで黄色い115系の普通列車で岡山に向かう。進行方向左側のクロスシート窓際に陣取って、眼下を流れる高梁川がよく見えるが朝早かったせいかうとうとすることが多くなった。総社あたりでかなり混雑し、倉敷でだいぶ乗客が入れ替わったが混雑はむしろ激しくなった。三十一が座っていたボックスの4席も全て埋まる。そのひとり、三十一の対角線上に座った大きな荷物を抱えた客がイヤホンもつけずにテレビかビデオか何かをずっと観ていてうるさいことこの上ない。どうも中国語のようだ。しかし本人はひんしゅくを買っていることに気づいた様子もない。終着の岡山までその状態は続いた。
岡山駅で適当な新幹線の指定席を入手し帰京。

今日の旅程:
鳥取(0705)→智頭(0731) 72D
智頭(0815)→津山(0924) 675D
津山(1246)→新見(1426+10=1436) 861D
新見(1450)→岡山(1622) 856M
岡山(1638)→品川(1956) 136A

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2016年9月28日 (水)

三段(腹のことではなく)

まずはじめに、今日の旅程を決める際の主目標を発表しておこう。どうもその方がいろんな説明がわかりやすそうだ。
三十一がこのブログを書くときには、読者にできるだけ新鮮な驚きを味わってもらうために極力ネタばれを避けているのだが、わかりやすさには代えられない。
などともったいぶって見たが、鉄分が濃い人々なら容易に推測できそうな、木次線がそれである。

もともと当初の予定では木次線に乗車するつもりではなかった。三江線を踏破したら山陰方面を西に向かうつもりだったのだ。だが一昨日芸備線に乗車していて、備後落合駅で木次線の列車を目撃したときにこれは片手間では踏破できないぞと感じたのが最初のきっかけだったろう。そもそも、三江線を主目的としたときに岡山に前泊するのは本来はあまり意味がないのだが、これにはもともと往きに津山に寄ってこようという計画の残滓が影響している。しかしそれでは津山に行くのが月曜になってしまうので後回しにすることにしたのだ。その結果、三江線の前泊である広島泊のさらにその前日に岡山泊というのが差し込まれ、岡山から広島に向かうのに芸備線を使うというルートを選ぶことになったのだ。それでも昨夜の宿が浜田でとれていればそのまま西に向かった可能性が高い。浜田に宿がとれず、出雲市と東萩を天秤にかけたときに改めて木次線が有力な候補として浮上した。はじめはそこまで考えていなかったのだが、中国地方山間部から山陰中部の、新幹線から直接のアクセスがないローカル線をこの機会に乗り潰してしまおうと、この旅行の目的が大きくシフトした。その結果今日の主目標として木次線が設定されることになったのだ。

さて、ここのところ毎日のように同じ説明をしている気がするが、木次線を昼間に乗り通すなら宍道11:19の備後落合行きに乗るしかない。そこでこの列車を軸に、出雲市から宍道に出て木次線で備後落合まで行き、芸備線で新見に出るというルートが必然的に決まった。この列車に間に合わせるには10:30過ぎに出雲市を出ればよい。朝ずいぶん余裕があるので、この間に一畑電車を使って出雲大社まで往復してみようかとも思ったのだが、そうすると7時過ぎに出て2時間ちょっとで戻ってこなくてはいけない。あまりに余裕がなさすぎるし、万一遅れたときに取り返しがつかない。同じようなことを岡山でもやっていたが、あのときはちゃんとバックアッププランがあった。今回は目標の列車に乗り損ねると以後の旅程がすべて崩壊する。そんなリスクはさすがにとれなかった。それに出雲大社には9年前に一度行ってるし。

またまた面倒くさいきっぷの買い方をして、それでもまだ時間があったのでお茶でも飲もうかと思ったのだが適当な店が見つからず、しかたないので待合室で時間をつぶす。よきタイミングでホームに上がってみた、つもりだったのだが、おや、松江方面行きの列車は10:43だったはずでは? 案内表示は10:41になっているなあ。手元の時刻表は田儀駅復旧前の臨時ダイヤを掲載しているのだが、実際には田儀駅はすでに復旧ずみなのでダイヤが変わっていたのかもしれない。危ない危ない。この列車は田儀を通らないので変わらないだろうと高をくくっていたが今後ちょっと注意しよう。
やってきた列車は西出雲始発だがキハ47気動車の2両編成。通学には遅い時間なので高校生はいない、はずなのだが女子高生がふたりほど乗車していた。宍道で木次線に乗り換える。女子高生のうちひとりも同じ列車に乗り換えた。中間試験には早いよね。

それはさておき、木次線の列車はもうすっかりお馴染みとなったキハ120だが、なんと豪華2両編成、と思いきや二両目は締め切りの回送車両のようだ。そういえば9年前に木次まで乗ったときもこうだったような気がする。いつもの座席に着席すると間もなく発車。地方のローカル線ではよくみかけるのだが、運転士とは別に保線担当者が前方監視のために立つことがよくあって、前方を見たい三十一にとっては正直邪魔ではあるのだがこれが乗客である三十一自身の安全に寄与していると考えると甘受するしかない。宍道を出た木次線はいきなりの急勾配。この区間はもとは民間で建設されたものをのちに国鉄が買収して編入したのだがその痕跡は正直感じられない。簸上鉄道が宍道から木次までを開業してから今年でちょうど100年ということでノボリが駅に立てられていた。木次までは以前乗車済みだが、あまり強い印象がない。勾配はきついが意外に風景は開けていて、いかにも古典的な日本の田園風景だ。木次駅では乗客の大半が降りていった。例の女子高生もその中のひとりだ。木次を出るといよいよ初乗車区間なのだが、あまり印象は変わらない。田んぼの中を築堤で横切ったり、山際の雑木林をつっきったりしながら徐々に高度を上げていく。はじめのうちは開けていた風景もだんだんと狭隘なものになっていき、大小さまざまな小盆地の連なりといった趣だ。そしてその小盆地ごとに駅が置かれている。これがかつてのそれぞれの「ムラ」に対応するのだろうか。こうした「ムラ」は明治以降は字あるいは小字と呼ばれるようになった。

出雲横田ではしばらく停車して後部のぶら下がり車両を切り離す。
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切り放された車両は宍道に向かって折り返す。
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残された1両目はそのまま終点の備後落合まで向かう。もちろん三十一はこのまま終点まで乗るのだ。身軽になった列車は相変わらず田んぼを中心とした小盆地を貫いていく。だいぶ登ってきたはずなのだが、それでもわずかな平地があれば畔を盛って稲を作らずにはいられない日本人の執念とも言うべき所業に半ば恐怖を交えた畏怖の念を抱いた。はたしてこの田んぼはいつまで続くのだろうかと見ていたが、だんだん形をいびつにしながらも県境の直前である出雲坂根近くまで途絶えることがなかった。
さてその出雲坂根駅はいまでは珍しくなった三段式スイッチバックと名水延命水で有名だ。ここで30分近く停車するので、駅の内外を撮りまくるついでに、駅構内に引かれている延命水をひとくち呑んでみる。特に旨いとも思わなかったがこれで少しは寿命が延びてひとつでも多くの非電化単線鉄道を踏破できるようになればいいのだが。
ホームから本線側を見る。左がこれまでやってきた宍道方面、右がこれから行く備後落合方面。
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同じところから反対側を。停車している車両の上に国道橋。
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30分近く待ってようやく発車。行き違いがあるわけでもないのにどうしてこんなに停車時間が長いのやら。おそらくはかつてのダイヤをそのままなぞっているのではないかと推測する。三十一にとってはたっぷり撮影時間が確保できて言うことはないのだが、急ぐ人には無駄な時間に感じられるだろう。もっとも、急ぐ人は木次線を使わない。これまでと逆方向に向けて発車した列車はシーサスポイントを越えて折り返し線に入っていく。しばらく高度を上げていくとスノーシェッドに守られたポイントが現れる。少し過ぎたところで一旦停車して運転士と保線担当者と、三十一を含むテツ数名が車両の反対に向かい、信号が変わるのを待ってまた反対方向に、つまり元の方向に走り始める。ふと外を見ると、右側の下のほうに今とおってきた折り返し線と、そのさらに下に本線が見えたので慌ててカメラの準備をしたが間にあわなかった。無念。

この先は30パーミルの最急勾配を経てJR西日本最高度駅である三井野原に向かう。このあたりはハーフループともいうべき複雑な線形をしているはずなのだが、トンネルを縫って走っていると方角がつかめず実感がわかない。ようやくトンネルが一段落するともはや峠の頂上に近いらしい。と、突然色鮮やかな道路橋が現れた。忌々しい国道のおろちループだ。さっき、出雲坂根駅からちらりとみえていたのだがスイッチバックを堪能している間にすっかり存在を忘れていた。カメラを構えるひまもなくファインダーをのぞかないまま闇雲にシャッターを切ったわりにはよく撮れていた。
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三井野原は中国地方では有数のスキー場らしく、旅館がちらほらと見えるがもちろん今はオフシーズン。ここをピークにあとは広島県側を一気に駈け降りていく。三井野原をはさむ区間ではさすがに田んぼは見かけなかったが、油木まで来るとまたもや田んぼが見られるようになる。

一昨日も来た備後落合到着。一昨日眺めていた乗り換え風景を今日は自分が実践することになるとは想像していなかった。
そしてここからは一昨日とは逆に芸備線を新見に向かう。備後落合ではけっこうな雨だったのだが、小奴可あたりでは小降りになって少し明るくなってきた。一昨日もこのあたりで晴れてきていたような気がする。新見に着いて、次の特急で米子方面に向かう。米子に向かったのは、初日に伯備線の南半分は乗車済みで北半分が残っていたため。特急にしたのは、日があるうちに米子にたどりつくためだ。米子から今度は鳥取を目指す。今日の宿営地は鳥取。実はこの鳥取泊まりはかなり異例で、まず鳥取に向かう列車は完全に夜になってしまうこと。それから鳥取では最初ホテルが見つからなかったのだがいろいろ手を尽くしてどうにか部屋を確保したこと。普段ならここまで無理はしないのだが、明日の計画のためにはどうしても鳥取に宿泊する必要があった。このあたりの説明は明日以降に。
米子で指定席を確保して、少し時間があったので喫茶店で夕食がてらこの文章を書く。頃合いを見計らってホームに向かい、列車は予定通り着いたのだが、三十一が新見から乗ってきた「やくも」の次の列車が遅れていたので待ちあわせで3分延発。これが響いて鳥取へも4分延着。その間もずっと車内で原稿書き。

本日の旅程:
出雲市(1041)→宍道(1101) 132D
宍道(1119)→備後落合(1434) 1449D
備後落合(1437)→新見(1600) 444D
新見(1610)→米子(1721) 1017M
米子(1841+3)→鳥取(1942+4) 2012D

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2016年9月27日 (火)

川下り

昨日に引き続き、今日も面倒くさいきっぷの買い方をしなければならない。この旅行のあいだ、ずっとこんななんだろうなあ。適当なフリーきっぷがないので毎日毎日きっぷを改めて買うことになる。日程通りのきっぷをあらかじめ買っておけばいいじゃないかというのはもっともだが、天候とかホテルの予約状況とか気分といった要素が絡んで直前になるまで日程が確定しないので仕方ない。特に今日は出発が早いので余裕を見込むと遅くとも6時半には駅に着いていたい。さらに逆算すると6時には起きなければいけない。アラームの助けを借りてだが予定通りに起きてチェックアウトし駅に向かう。会社に行くときにはこうは行かない。

これから乗り込む芸備線の三次行き列車はなんと6両編成。キハ47とキハ40をありったけ集めたんだろう。言い換えると、高校生がそれだけたくさん乗り込んでくると予告されたようなもので覚悟を決める。はじめ、デッキつきのキハ40に座席をとったが発車前に前2両だけが三次まで向かうと知らされて席を移す。クロスシートの進行方向左側だ。広島を発車してすぐ、右手に貨物ターミナルが見える。昨日は見逃していた。コンテナ車はたくさんいるが機関車がなかなか見つけられない。ようやく見かけたのはEF66だった。左手は太田川の堤防。下深川て15分停車して後寄り4両を切り離し。向原では高校生が一斉に下車していき車内の雰囲気が一変する。やがて江の川を左に見て終点三次に到着。
さて今回の旅行はもともと山陰地方西部を主な目的にしていたのだが、9月になってその目的に大きな修正をもたらすニュースが飛び込んできた。鉄には周知のことだろうが、JR西日本が今月中に三江線の廃止届けを提出すると表明したのだ。通常、廃止の1年前までに届け出ることになっているので廃止は来年9月末ということになるが、  国土交通省の許可を得て3月末での廃止を目指すのではないだろうか。
当初は今回の旅行で三江線に乗車するつもりはなかったのだが、隣接している路線であるので、廃止前の三江線乗車を主目標として計画を修正した。ところが廃止の対象になるだけあって昼間の全線乗車を目指すためには選択肢は事実上ひとつしかなかった。すなわち、9:57三次発の列車に乗り、石見川本で乗りついで14:49に江津に到着するというルートだ。厳密に言えば早朝5:44の三次発、あるいは6:00の江津発というのがあるのだが、江津や三次ではそもそも宿をとること自体が難しい。広島に宿泊して朝の芸備線で三次に出て乗りつぐのが確実なほぼ唯一の選択肢だったのだ。広島からの芸備線は次の列車でも間に合ったのだが、接続が4分しかなくかなり慌ただしい。前日の三次の乗り継ぎも3分だったので今日はいったん外から駅を見たかったし、何より最初で最後の乗車になる三江線でできるだけ良い席を確保しておきたかった。

三江線の列車は昨日も乗ったキハ120だがなんと豪華二両編成。しかも先頭車両はラッピング車両だった。何のラッピングなのか知らないが。
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昨日と同じように前方がよく見えるロングシート最前列に陣取る。三次を発車した列車は芸備線の線路を横切って右手に別れて行く。鉄橋を二回渡って江の川の左岸に出、これからほとんどの区間で江の川を右に見て走ることになる。左は山、右は谷。下には道路が見え、さらにその下に川が見えるという光景が十年一日のごとく続く。江の川はたっぷりとした水量をたたえ、一見するとどちらに向かって流れているのかわからないが、まだ広島県内であるにもかかわらずすでに列車と同じ方向つまり日本海側に向かって流れているようだ。細かいアップダウンはあるが、これから終点までこの江の川とほぼ並行しているので昨日の芸備線のような急勾配はなく、基本的にはほぼずっと下り基調が続く。三江線の北半分、浜原以北は戦前に、以南は戦後になってから開通しており、さらに南部の半分にあたる浜原-口羽間が最終的に開通して全線開業したのは昭和50年になってからだった。この建設時期の違いがどう現れているかというのもひとつの興味だったのだが、結果としては最終開通区間とそれ以外の違いが目についた。何しろ最終開通区間ではトンネルと鉄橋で川の屈曲に関係なく直線的に線路が布かれている。有名な宇津井駅はこうしたトンネルとトンネルの間を鉄橋で結んだ、その上に設置された駅だ。三江線では数少ないアピールポイントらしく、わざわざ数分停車して撮影時間を与えるというサービスを行っていた。それに便乗した三十一の写真だが、完全に逆光だったのでかなりオーバーにふったら一部白飛びしてしまった。
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背景に写った家の屋根がそろって赤い石州瓦なのはさすがに島根県で、石見国に入った証拠だ。もっともこのあたりは三江線の線路が江の川の右岸と左岸を行き来するごとに県境を越えるので、三次側から順にたどっていくとまず香淀駅が広島県、続いて作木口駅・江平駅・口羽駅が島根県、次の伊賀和志駅が再び広島県、そして宇都井駅からまた島根県となり、県境を越えた実感がまったく湧かない。浜原からは戦前に開通した区間に入るが、やはり江の川に沿って走るという光景に変わりはない。ときに雑木で川が見えなくなることはあるが、その逆にほぼ真下に川面が見えるようなこともあって、そんなときにはそれなりの高度感がある。やりようによっては四万十川沿いを走る予土線のようにトロッコ列車を使って観光地化できたんではなかろうかと思う。隣の木次線で使っているトロッコ列車を貸してもらってもよかったんではないか。今さらこんなことを言っても死児の齢を数えるような空しい所業でしかないが。

石見川本駅でいったん列車を下ろされる。次の江津行きの列車までは1時間半あまり。何もない駅で1時間2時間潰すのは慣れっこな三十一ではあるのだが、さすがに一瞬途方に暮れる。とりあえずはいつものように駅前に出て駅舎の写真を撮ってみた。備後落合よりは開けている。
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ひとまず町の中心地と思われる方角にぶらりと歩き出し、たまたま見掛けた喫茶店に入って昼食がてら時間を潰す。「カフェ」ではなく「喫茶店」というところが肝心だ。昔ながらのカレーライスを食し、昔ながらのコーヒーを喫して時間を見計らって店を出て駅に戻る。
駅に戻ってみるとこれから乗ろうとする江津行きの列車が待機していたのだが、これは全く同じ車両にしか見えない。ひょっとして運転士も同じかなあ。三十一も同じ席に座る。
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写真左にわずかに土手が見えるが、これが江の川の堤防である。反対方向からの列車と交換して江津に向け発車。
前方を展望していて気づいたのだが、このあたりで何ヶ所か、線路をふさぐ形で水門が設けられている。数えていなかったのだが、多分5ヶ所くらいはあっただろう。もちろん普段は開いていて列車を通せるようになっている。水位が高くなったときには水門を閉鎖して溢水を防ぐのだろう。もともと堤防を越えて線路が敷かれていたのだろうが、後になって堤防をかさ上げした際に元の高さに据え置かれた線路と堤防の段差を埋めるために水門が設置されたものと推測したのだが暇な人は調べてみてください。これも他の路線ではなかなか見掛けない貴重な要素ではあるんだけどなあ。
そういえば、廃線が決まったせいかところどころで撮り鉄の姿をみかける。なかには線路ギリギリに構えているヤツがいて冷や冷やする。この席からだとよく見えるのだよ。
終点である日本海岸の江津はもうまもなくのはずだが、江の川と左右に山という風景が変わる気配はなかなか感じられない。残り二駅という千金あたりまで来てようやく、前方のあの山をやり過ごすと海に出るんではないかという気配がしてきた。海に出る前の最後の屈曲部に沿って線路もぐるりと大回りしていく。川幅は広く、川の流れもゆるやかになって水鳥が遊んでいたり対岸にヨットなどのプレジャーボートが係留されていたりする。前方で川を渡る橋は国道と山陰本線だろうか。その橋のむこうにはもはや山はみえない。終着ひとつ前の江津本町駅に着く。駅名からこのあたりがもともとの古い市街地なのだろうと想像していた。本線の駅は古い市街地から離れて置かれることが多く、のちになって旧市街地至近に別に駅が設けられるようになる例はけっこう多い。八戸とか能代とか倉吉とか。しかし実際の江津本町駅は何の変哲もない川っぺりに置かれた無人駅であった。なんでこんな駅名なんだろうといぶかっているうちに山陰本線が近づいてきて終点江津に到着。全線乗り通してみて思ったのは、ほぼ全線が川べりで平地がほとんどなかったこと。昨日の芸備線でも、山越えの区間はあっても小盆地もあって、まだらではあっても沿線人口はそれなりにあった。しかし三江線沿線ではまれに現れる開けた土地もそれほど広いわけではなく、沿線人口もそれほど多いとは思えない。かなり厳しい状態というのは認めざるを得ない。

江津から山陰本線で今夜の宿営地である出雲市に向かう。はじめは浜田に宿をとる予定だったのだが楽天では空きホテルが見つからなかった。そこで西側の益田や東側の大田市を探してみてもやはり見つからず、最終的に候補になったのは出雲市か東萩、という江津から見て真反対のふたつだった。まったく初体験となる東萩と、かつて訪れたことのある出雲市の比較となったが、今後の展開を考えて出雲市を選んだ。その理由は今後明らかになるであろう。

出雲市へは次の特急で向かうのだが、その前に三江線の列車が折り返す。ただし折り返しの列車は2両のうち1両を切り落として1両編成となっていた。写真は江津駅を出た三江線の列車が右にカーブして今まさに姿を隠そうとしているところ。
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その数分後、下りのアクラライナーと交換する形でこれから乗ろうとしている特急が入ってきた。
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自由席にするか指定にするか悩んだのだが、とりあえず自由席にしておく。実際に乗ってみるとかなり混んでいて、海側の窓際は無理。かろうじて前から2列目に山側の窓際を確保。キハ187系はデッキの壁面がガラスになっていて前方がよく見えるのだが、特等席である1列目つまり三十一のひとつ前の席の若い男は何を考えているのか背もたれを無意味に深々と倒し、しかもテーブルに置いたPCだかタブレットだかに覆い被さるかのような前傾姿勢でのぞき込んでいて、背もたれを倒した意味がないんじゃないかと思ったが、その姿勢を保っているかぎりにおいては倒された背もたれ越しに三十一の席から前がよく見えるので、その態度そのものは腹立たしいのだが三十一個人の刹那的な欲求を優先してよしとしよう。
振り子車両キハ187系は、高速化改良された山陰本線を快調に飛ばす。田儀駅は今年の1月に大雨の影響で山側の線路が土砂に埋まり、単線での運用を余儀なくされて臨時ダイヤによる運行となっていたのだが、その土砂も撤去されて山側の線路の使用が再開しており土留めの工事が引き続き行われていた。西出雲では右手つまり三十一の座っている側に車両基地が見える。サンライズがいるはずだが見つけられなかった。目立ったのはやくもの381系電車だ。神戸川を渡り、高架にあがると出雲市。

本日の旅程:
広島(0657)→三次(0855) 1850D
三次(0957)→石見川本(1209) 424D
石見川本(1343)→江津(1449) 426D
江津(1519)→出雲市(1612) 3004D

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山とキハ120

月曜の朝、岡山は雨。
今夜の宿はすでに広島に決まっている。それにはちゃんと理由があるのだが、ともかく今日中に広島まで行くことになる。新幹線を使えば1時間もかからずに着けるのだが、もちろん三十一がそんな簡単なことをするわけがない。

ダイヤの都合で岡山出発は11時過ぎになってしまうのだが、9時にホテルを出る。駅の窓口でちょっと面倒なきっぷの買い方をして、無事に目的のきっぷを手に入れたところで駅を出て駅前の電停に向かう。この時間にしたのは、平日朝のラッシュが一段落した時間帯を見計らったからだ。岡山電軌はわずか2路線。終着まで20分もかからないので全線に乗車しても2時間はかからないはず。駅前電停でまず来た東山行きに乗り込み、すぐ折り返して分岐駅の柳川まで戻り、もう1路線の清輝橋行きで往復してまた駅前まで戻ってきたときにはほぼ1時間が経っていた。天気がよければもっとよかったのに。写真は清輝橋電停。
006s
岡山から特急やくもに乗車。381系電車には以前乗車したことがあるけれど、米子から松江までという、振り子の意味がほとんどない区間だった。自由席はかなり混んでいたが進行方向左側窓際の席を確保できた。倉敷までは山陽本線を行く。倉敷では水島臨海鉄道線のディーゼルカーと、DE10ディーゼル機関車を先頭にした貨物列車を目撃。瀬戸内工業地帯を象徴するような光景だ。倉敷からは伯備線に入る。伯備線は過去に乗車済みだが上りのサンライズ出雲だったので伯備線区間は夜。昼間の乗車は初めてだ。高梁川が近寄ってきて並ぶ。思っていたよりもずっと川幅が広くて驚かされる。山陽新幹線と山陽自動車道が並んで高梁川を越えていく、その下をくぐっていく。やがてもうひとつ高梁川を斜めに渡った高架橋が頭上を越えて右側に出たかと思うと合流してくる。井原鉄道線だ。総社駅を通過、左側に井原鉄道のホーム、右側には吉備線のホームと本線が挟まれる形になる。実は吉備線を使って総社に出てくるというのも考えたのだが岡山電軌を優先したのだ。
高梁川の川幅は広くなったり狭くなったりしているが水量は豊かで水面は茶色く濁っている。ときに車体の傾斜を実感することもあり、さすがに元祖振り子車両だと思った。席に座っているせいか、自然振り子方式でも違和感は感じなかった。備中高梁に到着。河岸の緩斜面に市街地が広がっているが、備中松山城は山城で車窓からは見えなかった。ここ備中松山藩は、備後福山藩とともに、中国地方の外様の雄藩である池田家の岡山藩と浅野家の広島藩の間に打ち込まれた譜代大名というクサビであった。18世紀半ば以降は百年以上にわたって板倉家が城主を務めてきた。方谷駅で上り列車と交換し、やがて新見に到着すると列車を乗り捨てて、山陰に向かうやくもを見送る。新見駅はこの近辺の拠点駅ではあるが周囲を中国山地に囲まれている。
041s
待機していた、JR西日本のローカル線用気動車キハ120が入ってきた。駅名標の横に立つキロポスト(距離標)は姫新線の起点姫路からのキロ程を示すものだろう。
089s
実は今日の日程はこの区間のダイヤで決まってしまった。芸備線の末端区間、新見ー備後落合間を日のある時間帯に走る列車は、早朝5時台の列車を除くとこの13:01発の列車しかないのだ。逆方向の列車も事情は変わらない。だから岡山出発が11時過ぎになってしまった。

新見に発着する芸備線の列車はここから2駅伯備線を走ってから非電化の芸備線に入るのだが、いま停車している1番線には架線が張られていなかった。
乗車したのは10人ちょっとだろうか。このうち終点まで乗り通すのはほぼ間違いなく鉄だろう。キハ120は前半分がロングシート、後半分がクロスシートになっているのだが、クロスシートにはもはや空きがなく(というのは4人席に少なくとも1人は座っている状態だ)ロングシートで前が見やすいところに陣取ることにした。先頭には地元のお婆さんがすでに座っていたのでその少し後に控える。
備中神代まで2駅間の伯備線は、電化されて特急や貨物列車も行き交う幹線のはずなのだが、乗っている車両と渓谷筋を行く急勾配路線という外観のおかげですでにかなりのローカル感。分岐駅となる備中神代でもやはり芸備線ホームには架線は張られていなかった。よく見るとホームの時点ですでに分岐済みで、この先はもう芸備線にしか線路がつながっていなかった。備中神代を出ると今回の旅行で初めて非電化区間に出るが、むしろこれまでの山中の線路に比べると開けた印象で、もちろん左右に山は見えるのだが、小盆地に広がる田んぼをつっきって線路が走っていく。市岡、矢神、野馳あたりまではそんな風景だ。その間に地元のお婆さんが下車していって一番先頭に席を移す。岡山県内最後の駅である野馳を出ると急な下り坂になり、25キロ制限がしばしば現れる。県境を越えて広島県内最初の駅である東城では帝釈峡にでも向かうらしい団体が降りていった。東城を出ると今度は上りになり、エンジン音をうならせて登っていく。内名を過ぎると今度はまたまた下っていく、アップダウンの激しい区間だ。小奴可を過ぎたあたりから日が出てきた。終着の備後落合に到着。

備後落合駅は芸備線と木次線の接続駅だが、接続駅としてはもっとも不便な駅のひとつと言っていいかもしれない。どうしてここで接続させようと思ったのだろうかといぶかるくらいの山中の秘境駅だ。
147s
2両ならんでいるキハ120の右側のほう、オレンジとピンクのラインが入っているのがこれまで乗ってきた芸備線末端部を走る列車で、左側の紫とブルーのラインのほうがこれから乗る三次行きになる。同じ形式ならわざわざ乗り換えなくても、と思わなくもないが車両運用の都合だろう。
180s
キハ120が2両並んだかと思ったら、今度は向かい側のホームに木次線のキハ120が入ってきて色違いで3両揃い踏みとなる。一見するとちょっとした拠点駅のようだが
実際には数少ない列車同士の接続をできるだけとるための工夫で、この光景が見られるのはほんの数分しかない。
三次に向かう列車では、これまでと同じ形式の同じ席を確保。多少は勾配が緩くなるだろうと思っていたのだが、今度はこれまで見掛けなかった20キロ制限が盛んに出てくるようになる。備後西条駅ではスプリングポイントを通過。備後庄原あたりまで来るとまた田園風景が広がるようになる。下和知駅では指令から何か無線が入ったらしいがよく聞き取れず、運転士が携帯で何やら話していた。通話が終わると何事もなかったかのように発車。次の塩町駅で高校生が大量に乗車してくる。いずれこういう時間帯が来るだろうとは覚悟はしていたが輸送力の小さいキハ120はたちまち満員になる。
三次ではわずか3分の接続で快速広島行きに乗り換える。キハ120単行と比べるとキハ47が二両編成の快速は定員では3倍くらいになっているだろう。ここまで来ると広島に向かう日常的な流動がそれなりのボリュームになっているということか。けっこう大胆に途中駅を通過していってるので、帰宅しようとする高校生はそれほど目立たない。と思っていたら、下深川駅でまたもやどっさり乗り込んできた。ここから広島までは各駅停車だ。5時半、まだかろうじて日のあるうちに広島到着。

今日の旅程:
岡山駅前(0930)→東山(0947) 岡山電軌
東山(0950)→柳川(1005) 岡山電軌
柳川(1012)→清輝橋(1020) 岡山電軌
清輝橋(1022)→岡山駅前(1033) 岡山電軌
岡山(1104)→新見(1206) 1009M
新見(1301)→備後落合(1425) 443D
備後落合(1438)→三次(1600) 359D
三次(1603)→広島(1729) 5873D

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