2017年2月28日 (火)

なんとかファースト

トランプ大統領の「アメリカファースト」を「国益第一主義」と言って批判する人がいるが、それぞれの国が自国の利益を追求するのは当たり前で、それを否定するのは天に唾するような所業でしかない。問題は「国益」をどう考えるかだ。
1930年代の国際不況への対応として生まれたのが主要国によるブロック経済化の試みだ。自国を中心として一定の原産地と市場を囲いこみ、域外の勢力を排除することで経済的に自立しようとしたこの試みはしかし、排除された勢力の不満を強めて最終的に世界大戦にいたった。こうしたブロック経済化は短期的には効果があっても長期的には不安定化を引き起こす、という理解と反省の上に立って、戦後の西側世界は自由貿易を基礎とする国際協調主義をとってきた。
つまり、長期的には「自由貿易」と「国際協調」が自国の利益になるという認識を西側諸国は共有しており、その盟主がアメリカだったのだ。基本的にこの認識は今でも変わっていない。問題は「長期的な利益」よりも「短期的な見返り」を求める浮動層の意向を政治が無視できなくなってきていることだ。浮動層の母体は中間階級だ。はっきりと上層階級あるいは下層階級に属しているなら求めることは明確になりやすい。どっちつかずの中間階級がその時々の情勢や空気に流されて揺れ動く。皮肉なことに、「自由貿易」と「国際協調」に支えられて成長してきた経済が産んだ中間層自身が、自らの母体となった条件を壊そうとしている。

テレビで誰かが触れていたが、ナショナリズム Nationalism と民主主義 Democracy とポピュリズム Populism の語幹である Nation、Demos、Popul はいずれも「民衆」を意味し、つまりこれらは紙一重の違いしかないということでもある。古代ギリシャの民主主義が衆愚政治にとってかわられたように、民主主義がポピュリズムに陥ろうとするベクトルは常に存在する。ポピュリズムに陥らないためにもっとも重要なのは突き詰めれば「教育」ということになるだろうが、短期的な見返りを求める立場からすれば迂遠に過ぎるとしかみられない。堂々巡りだ。

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2016年9月12日 (月)

Y染色体 vs イエ

ちょっと前の、先週のTVタックルか何かで「女系天皇を容認するくらいなら男系の旧宮家を皇室に復帰させるほうがいい」と発言していたコメンテーターがあった。
それを聞いて三十一がまず思ったのは、「旧宮家より近い男系子孫がいるんだけどなあ」ということである。

あまり知られていないことだが、旧摂家の中には皇子を養子にした例がいくつかある。
まず江戸時代半ばに東山天皇の孫で閑院宮直仁親王の子が、鷹司家の養子となっている。この男系子孫は鷹司家本家では絶えているが、摂家に次ぐ家格である清華家の徳大寺家にさらに養子にはいった系統が今も続いている。三十一が知るかぎり、現在の皇室にもっとも近い男系子孫はこの系統である。
さらに、江戸時代初めに後陽成天皇の皇子が近衛家と一条家の養子となっている。現在の近衛家はこの系統になる。いっぽうの一条家は、本家の血統は一度絶えたが分家の醍醐家から養子に入ったので皇胤の血統が継続した。その後、本家は養子が継いだために一条家の現当主は男系では皇室の子孫ではなくなったが、実子が他家に養子に入ったため子孫は現存する。
ちなみに、戦前期の日本政治を語る上で欠かせない近衛文麿と西園寺公望はいずれも天皇の血を男系でひいている。近衛文麿は近衛家の直系の当主だし、西園寺公望は徳大寺家から同じ清華家の西園寺家を継いだ。天皇との血縁の親疎で言えば東山天皇の子孫である西園寺のほうが後陽成天皇の子孫である近衛よりも近い「親戚」のはずなのだが、西園寺が近衛を評して「自分がお上と会うときに比べて、近衛さんとお上はずっと親しくされているのはやはり親戚だからだろうか」と言っているのは、摂家筆頭の近衛家のほうが清華家の西園寺よりも家格がずっと高い(摂家の家格は親王家よりも上に見られていた)からだろうか。もっとも、近衛家にはしばしば皇女が降嫁している。

話を戻して、こうした養子に出た男系子孫のほうが、14世紀の崇光天皇にまでさかのぼる伏見宮家(戦後皇族離脱した11宮家はいずれもこの系統)と比べると今の天皇家にはずっと近い。ちなみに竹田宮家も伏見宮家の分家で男系をたどると760年くらい遡らなければ天皇にたどりつかない。「明治天皇の玄孫」というのは女系の話だ。

ところが「男系」を重視する某コメンテーター(名前失念)は、もっとも近親の男系子孫の存在を無視してはるかに遠い「旧宮家」のみを候補に挙げた。そもそもそうした存在を知らないのかもしれないが、そうだとしてもそこに顕われたのはやはりというか何というか「イエ制度」の呪縛である。
つまり、分家ならともかく一度イエを出て他家を継いだものにはもはや本家を継承する資格はないとする感覚だ。

現在のヨーロッパの王室では王位継承を男女平等に変えている例が多い。イギリスもそうだが、変更前からの王位継承順位は変更しないとしているのでそれほど目立っていない。スウェーデンでは現在の国王は男性だが皇太子は女子である。皇太子の下に弟がいるのだが、男女を通じて最年長者が王位を継承することになっている。もっとも、以前も男性優位ではあったものの、女子にも王位継承権はあった。イギリスのエリザベス女王は父国王ジョージ6世に男子がなかったために王位を継承することになった。もし弟でも男子があったなら女王になることはなかったが、しかし存命の叔父よりも王位継承順位は高かったのだ。こうした事例があったから、男女完全平等にした結果女子が王位を継承したとしても前例があるのでそれほどハードルは高くない。

ところがヨーロッパでもいわゆるサリカ法によって王位継承を男系に限った国がある。代表的なのはフランスだ。16世紀末に時のヴァロア朝の王位継承者がいなくなったとき、女系の子孫があったにもかかわらず13世紀にまでさかのぼった国王の弟の子孫に王位が渡って成立したのがブルボン朝である。親等でいうと21親等ということになる。イギリスでも貴族の爵位継承順位はだいたいのばあい、男系の子孫に限っている(例外はある)。だからときどき、爵位を誰が継承するかという裁判が起こされたりしている。

だったら日本でもひたすら男系をさかのぼっていけばいいじゃないか、という意見もあるだろう。ところが欧米と日本(など東洋)ではもうひとつ重要な違いがあって、欧米では教会が認めた正式な結婚の結果誕生した子供でないと王位継承権はない。正室の子でも側室の子でも(優先順位はあるにしても)イエを継ぐ資格がある日本とは大きな違いだ。だから欧米では「世継ぎを得るために側室を置く」という発想はない。側室の子は世継ぎにはなり得ないからだ。逆に日本では側室を許容することで継承者を確保してきたのだ。欧米ではこれが許されないからひたすら男系をさかのぼるとか、女系の相続を容認するという日本では必要なかった配慮が必要になった。

ところが現代、日本においても「天皇が側室を持つ」ことはとても考えられなくなった。大正天皇も明治天皇も、側室の子であって正式な結婚による子供ではなかったが、皇位継承権の有無を問題視されることはなかった。昭和天皇は大正天皇と皇后の間に生まれた嫡出子だが、昭和天皇と皇后の間に続けて4人女子が生まれたときには側室を置くことを薦めた側近があったという。昭和天皇自身はそれを拒否したが、昭和初期くらいまではそうしたことが現実味をもって検討され得たのである。しかしそういう時代はすでに終わった。国民の多くが核家族化しつつある時代にあって、国民統合の象徴である天皇家が国民とかけ離れた家族の形をいつまでも続けていられるだろうか。

「天皇家は一般国民とは違う形であることが必要だ」という意見もあるが三十一は採らない。「国民の総意に基づく」「国民統合の象徴」である天皇と皇室はあまりにも国民とかけ離れることは、いずれ国民から浮き上がって「国民の総意」を失うことになりかねない。そうした形で「国民統合の象徴」がなくなってしまうことは国民自身にとっても決して幸福なことではないだろう。

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2015年11月17日 (火)

アイドリングストップ

ブランドと偶像

三十一がひそかに注目しているアイドルが何組かあるが、あえて名前は挙げない。ここで名前を挙げてしまうとあたかもマイノリティを宿命づけられたようであまりに不憫だからです。万一奇跡が起こって晴れてマジョリティになれる日が来たらそのときにカミングアウトすることにしよう。

どうやら三十一がカミングアウトする時が来たようだ。
しかし残念ながらそのときの想定と違ってマジョリティになったわけではない。

タイトルで見当のついた人もいるかもしれないが、この10月一杯で「全員卒業」という形で活動を終了したアイドルグループがある。

アイドリング!!!」だ。

小説でもドラマでもアニメでもマンガでも、三十一が好む物語の共通点は登場人物のキャラが立っていることだ。メンバーが特別かわいいわけでもなく、スタイルがいいわけでもなく、歌がうまいわけでもなく、ダンスが上手なわけでもなく、そろって若いわけでもないこのグループの(三十一にとっての)売りは、MCのバカリズムが引き出したそれぞれのメンバーのキャラクターだった。ドッキリを仕掛けられたり、相撲をとったり、罰ゲームをやらされているときに垣間見えるひとりひとりのキャラクターがリアルで面白かった。それが本当に「リアル」だったかどうかは一般人たる三十一には確かめようがないことだが、演出があったとしても気づかれないかぎりはどっちでもいいことだ。

活動終了はすでに4月に発表されていて、もう終わりが決まっているせいか最後のほうはかなりぶっちゃけた話も出るようになった。それによると「アイドリング!!!」のファンは2~3千人しかいなくてその中で「推し変」が繰り返されているだけだったという。「総選挙」に何万人も動員するどこかのグループとは大違いだ。しかしそれでも簇生するアイドルグループたちの中では動員力はあるほうだったろう。以前にも指摘したように

少数のコアなファンをあてにして(CD、イベント、グッズ、ファンクラブ会費など)堅実な商売を続けるのもひとつの方法論だろう。

というやり方を続けていくことも可能だったはずだ。
しかし「アイドリング!!!」の特異な点はプロデュースがテレビ局だったということだ。冠番組を放送するとか、イベントを主催するという点では有利に働いたかもしれない。当初のメディア露出という点でも有効だ。しかしテレビ局の本業はタレントをプロデュースすることではなく番組を放送することだ。上記のような方法でテレビに頼らずに活動を継続していくという選択肢はとれなかった。番組の打ち切りとグループの活動終了は連動せざるを得なかった。
もうひとつ、やはりテレビ局のスタッフは番組を作ることが本業でタレントのプロデュースではない。そこには自ずから違うノウハウがあるはずだが、番組のプロデューサーが結果としてグループのプロデューサーを兼ねるような形になった。秋元康とかつんくに匹敵するプロデューサーを雇えばよかったとまでは言わないが、ある程度経験のある専任のプロデューサーを外部から招聘するべきだったろう。

まあ、今さら何を言ってもあとの祭りだ。

正直、金銭的にも時間的にも体力的にもかなりの負担感があり、4月に「活動終了します」という発表を聞いたときには「やれやれ」という気持ちが少なからずあったことは否定できない。2年ほど前にプロデューサーが交代したときから、そう遠くない時期にこうした方向性が打ち出されるであろうことは覚悟していた。むしろ、よくここまでもったものだと思う。

状況を受け入れたつもりになっていた10月末、活動終了まで1週間を切った頃に夢を見た。この「4月に発表された10月いっぱいでの活動終了」そのものが壮大なドッキリだったという夢だ。

そうか、俺は終わって欲しくなかったんだ。
夢は正直だ。

残念ながら「活動終了」はドッキリではなく、「アイドリング!!!」は終わってしまった。

三十一が注目している(していた)アイドルは「アイドリング!!!」だけではなくまだ何組かあるけれど、そちらについてはまだカミングアウトしない。

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2015年8月 2日 (日)

運転免許証で入国できるアメリカ

ずいぶん前にパスポートも切れてしまっているのだが、さすがに横須賀で米海軍艦艇に搭乗するためだけにパスポートを取り直す気にはなれなかった。

今日は米軍のフレンドシップデイ、兼海自のサマーフェスタなのでやや夏バテ気味だったが頑張って横須賀まで出撃する。
まずはJR横須賀駅で下車して海自へ。米軍はその後の成り行き任せのつもりだった。
案内によると公開艦艇は逸見岸壁と吉倉桟橋の両方に係留されている。一番近い逸見岸壁にはイージス護衛艦「きりしま」だったが外から眺めるだけで乗艦はパス。その奥に潜水艦が停泊していて、珍しく潜水艦にも乗艦できるようなのでまずそこに向かう。乗艦といっても甲板上までなのだが、それでも滅多にない機会なので逃すわけにはいくまい。なにしろこれだけの至近距離で現物を見ることができるだけでも貴重だ。残念ながらいま話題の「そうりゅう」級ではなく「おやしお」級の「やえしお」だったが。とりあえず行列から撮影した司令塔。一番わかりやすい画を掲載するが、最大望遠で吸音タイルの貼り付け状況を撮りまくった。まるっきり不審者だ。
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乗艦して司令塔の後ろあたりから後方を写した写真。思ったよりも甲板が平坦なのが意外だった。もっと歩きづらそうな印象があったのだが、実際に乗ってみるとそうでもなかった。やはり現物に乗ってみないとわからない。話には聞いていたが、甲板上のいろんな構造物ができるだけ平滑になるように装備されていたのがよくわかる。なにかのフタをボルトで締めているのだが、そのボルト自体が穴の中に納まっていて突起部が無いようになっている。もちろんこれも撮りましたよ、いちいち載せないけど。

さて吉倉桟橋にまわって米海軍の駆逐艦 McCampbell に並ぶ。50分待ちということだったが時計を見ていなかったので実際どれくらい待ったかはわからない。個人的にはそんなに退屈しなかった。並んでいるあいだに後方から撮影した、逸見岸壁に停泊する「やえしお」と「きりしま」。
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身分証を提示して McCampbell に乗艦。いろいろ撮りまくったが面白そうなものだけを掲載しよう。
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前甲板で撮影した写真だが、艦橋直上のマストにとりつけられているおそらく航海レーダーがまっすぐ取り付けられておらず、右側に斜めに装備されているのがわかるだろうか。写真だとちょっとわかりづらいかもしれないが、実際にはアンテナが回転しているので目立つ。多少中心を外れていても機能的にまったく問題ないだろういというのはわかるのだが、日本ではなかなか出てこない発想だ。

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そして艦首旗。うまく開いているところを捕まえられなかったので見づらいと思うのだが、真ん中にヘビ(ガラガラヘビ)が描かれていて、旗の下部には「おれを踏んづけるな DON'T TREAD ON ME」と書かれている。もともと独立戦争当時にときのアメリカ海軍(コンチネンタルネイビー)の一部の艦艇に掲揚されていたものだが、同時多発テロ以降に再び使われるようになったものだ。

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2015年7月22日 (水)

有司専制

明治初め頃の日本の政治体制を「有司専制」と呼ぶことがある。
「有司」とは司にあるもの、つまり現に官についているもので、選ばれた少数のエリートが政権を専断することを「有司専制」と呼ぶのだ。

先週、NHK で自民党の高村副総裁が安保法案について「支持率が低下しても仕方が無い」と発言したのを観た(たまたま観ていた)ときに、この「有司専制」という言葉を思い出した。その同じ週末にやはり NHK で放映された NHK スペシャルで、戦後の歴史を概観して「岸と吉田」というふたりの基本的な政治姿勢を対比していた。その中で岸も同じようなことを言っていたが、もともと戦前からの官僚だった岸には「有司専制」的な姿勢がうかがわれる。そしてその岸の孫が今の安倍総理だ。

実は日本の政治体制はデモクラシー(民主主義)の皮をかぶったオリガーキー(寡頭政治)でしかないのではないかと、最近思うようになった。そしてその責任は寡頭政治(有司専制)を実行している為政者の側よりもむしろそうした状況を許している国民のほうが重いのではないか。先日の NHK の番組でも、「かつての PKO 法案などでもそのころは強い反対論があったけれど、現在では多くの国民が支持している」と言っていた。それも確かに一面の真実だが、「どうせのど元を過ぎれば忘れてしまうだろう」と高をくくっているのも否定できまい。

明治初めの「有司専制」は、一般には「藩閥政治」と呼ばれる。
本人たちの主観はともかくとして、少数エリートによる支配は「派閥性」を免れない。ごく小さい、近しい仲間のあいだで合意をとって進めるのは効率的ではあろうが、こうした小さなコミュニティーにおいてはできあがった関係性を壊すような動きは生まれにくい。大きな変化がない時代ならそれでもよかったのかもしれないが、短い時間で情勢ががらっと変わってしまうような変化の激しい時代や、小さなコミュニティーの論理が通用しない外部(外国など)との交渉が必要な時代(つまり現代だ)では対応しきれない。

安保法制は一言でいうと選択肢の自由度を高める法制だ。「政府の自由にさせたら危ない」というのはそれも「あなたまかせ」の議論でしかない。選択肢の広がったツールのうちそのときの情勢に応じて何を選択し何を使わないかを、その都度侃々諤々の議論を経て決めていくのが本来の民主主義であろう。

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2015年2月13日 (金)

公平さは利便性に優先するか

最近、テレビでは「日本はこんなにすごいんだ」という自己満足に浸る番組が数多く放送されている。その中で鉄道が取り上げられることも多い。
しかし三十一は日本の鉄道がそんなにすごいとは思わない。むしろ危機感すら抱いているのだ。車両や設備などのハードウェア、運行管理や信号などのソフトウェアは確かに優れていると言っていいだろう。しかし都市交通/地域交通/都市間交通の中で鉄道をどう活用していくかというビジョンが決定的に欠けている。

例えば首都圏の場合、東京特別区内だけでも鉄道事業を展開している業者はJR東日本(東海は新幹線のみなのでひとまずおく)、地下鉄2事業体(東京メトロ、都営地下鉄)、大手私鉄7社(京急、東急、小田急、京王、西武、東武、京成)、その他6社(埼玉高速鉄道、北総鉄道、東京モノレール、ゆりかもめ、りんかい線、つくばエクスプレス)で総計16事業体となる。一部相互乗り入れはあるものの、基本的にはすべて別運賃となり、会社をまたぐたびに清算して切符を買いなおさなくてはいけない。この上バスもあるから、慣れない人間には理解不能であろう。いまどき銀行だってもう少し融通が利く。

三十一が10年以上前に出張で数ヶ月をすごした海外の某都市では、市内の地下鉄とバスはすべて一律2ドルだった。何度乗り換えても2ドルぽっきりである。バスと地下鉄の乗り換えは改札を通らない仕組みになっており、バス同士を乗り換える場合は乗り継ぎ券を発行してくれる。はじめはこの仕組みがよくわからなかった(言葉のせいもある)が、いったん理解してしまうと明快で簡潔だ。日本でも地方の路面電車などで同様のシステムを採用しているところがある。だが東京などの大都市では、上記のように多数の事業者が乱立しているためにこうした均一運賃の導入は不可能だといわれている。こうしたシステムは、海外の多くの都市交通や、日本の地方都市のようにひとつの事業者が独占しているから可能なのだ、という。はたしてそうだろうか。

均一運賃のバリエーションとして、エリア運賃制がある。路線網をいくつかのエリア(ブロック)に分け、同一エリア内であれば均一運賃、エリアをまたがる場合にはエリアの数によって運賃が決まる、という制度だ。これだとエリアをまたがる短距離区間で割高になりそうだが、隣のエリアまでを均一運賃としてエリアをふたつまたがる場合から運賃を上げるようにすれば問題はない。エリア運賃制の導入はときどき議論されるが、事業者間の運賃清算が難しいとして具体化していない。

日本の鉄道事業者は独立採算が建前なので、少しでも運賃を取りそこなうような施策には及び腰だ。たとえば相互乗り入れによる直通運転が可能な場合であっても、運賃清算ができないために直通しないケースがある。具体的に見てみよう。これは川島令三が自著の中で紹介しているケースだが、現在JR埼京線は大崎からりんかい線に直通して新木場まで運転している。新木場ではJR京葉線に接続しているが、実はりんかい線とJR京葉線の線路はつながっていて、直通運転ができる。しかし直通運転をしてしまうと、例えば新宿から舞浜などという区間を乗車した場合に、ずっとJRに乗車していたのか、りんかい線を経由してきたのかが判別できなくなってしまう。これだけが直通運転をやらない理由だというわけではないだろうが、大きな要因になっているかもしれない。

実際には、事業者をまたがる路線であっても事業者間で協定を結べば均一運賃やエリア運賃は可能だし、通算して運賃計算するようなこともできるだろう。しかし現実にはこうした動きはまったく見られない。現在の相互乗り入れの仕組みでは、ひとりひとりの乗客が支払った運賃のうち、いくらがそれぞれの事業者の収入になるかが正確に判別できる。別々の運賃を合算した価格で表示された切符をあらかじめ購入するという仕組みなのだから当然だ。この仕組みを根本的に変えて購入した切符に対して選択可能な経路(事業者)が複数あるとすると、乗客の利便性は向上するが事業者にとっては正確な運賃の収受が難しくなる。この場合は旅客数の統計に応じて該当する区間の収入を事業者間で按分することになるだろうが、現在のような10円単位(あるいは1円単位)での清算は不可能だ。ある程度は「どんぶり勘定」にならざるを得ない。この方法では利用者の間で不公平感が生じる、というのが事業者の言い分だが、実のところ「本来はとれたはずの収入が入ってこなかったら困る」というのが本音だろう。「ひとつひとつをきっちり把握して正確に清算すればどこからも文句は出ないだろう」というのはいかにも日本人らしい律儀さの発露だが、違う見方をすれば公平さを優先して利用者の利便性を犠牲にしているとも言えるのである。

三十一がいま求めるのは、多少の運賃の収受漏れがあったとしても、利便性が向上することによって乗客が増え、結局は収入が増えて企業の利益にもなるという発想の転換である。こうした発想の転換は単に運賃制度のみならずいろんな面に波及するだろう。こういう提案をすると「現在ではICカードが主流になって運賃の収受が自動化されているのでそこまでの必要はないのでは」という反論が予想される。海外や地方からの一時訪問者に対して「とにかくカードに適当にチャージしておけば勝手に引いてくれるから」とアドバイスするのは乱暴ではあるが一番手っ取り早く確実だろう。しかし、あとになって別の経路で行けばずっと安く済んだということを知らされたとき、不満に思わないわけがない。不明瞭で複雑な運賃制度は、テクノロジーで覆い隠しきれるものではないのだ。

日本にとって強みのある分野である、ということで鉄道の海外輸出がうたわれるようになってからそれなりの時間が経っているが、正直なところ期待値に比べて成功しているとは言いがたい。日本では欠陥機メーカーと思われているボンバルディア社は鉄道の分野では世界三大メーカーの一角を占めており(他はジーメンスとアルストム)、日本のメーカーは大きく水をあけられている。最近、日立の車両がイギリスで採用されて話題になったが、逆に言うと話題になるくらい珍しいニュースだということになる。
「海外の鉄道関係者を日本に招いて」みたいなニュースをときどき見かけるが、はたしてこちらが見せたいものと向こうが見たいものが一致しているだろうか。向こうのリップサービスに舞い上がって「いい手ごたえだ」などと暢気に構えているうちに、他国に受注をさらわれるようなことがなかったといえるだろうか。

三十一の危機感はやまない。

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2014年10月21日 (火)

会長の宿題

非電化単線鉄道愛好会会長たる三十一にとって、中部地方を縦断する全線非電化単線路線でありしかも「本線」と呼ばれている高山本線はどうしても避けては通れない課題であり、 ここ数年ずっと三十一の心中にわだかまっていた宿題だった。
しかし宿題が宿題のままのこっていたのにはそれだけ理由があって、高山本線は「本線」とは言いつつも都市を結ぶ連絡線としては機能していない。名古屋と富山を結ぶ最短路線は実は高山本線なのだが、現在その目的で高山本線に乗る人はいないだろう。

新幹線やほくほく線を活用すれば日帰りできないこともないのだが、あまりにも厳しいので前泊することにする。前泊地は富山。よく考えたら北陸新幹線の開業後のほうがずっと楽な日程になったはずなのだが、それに気づいたのはもうホテルを予約してしまってからのことだったので後の祭り。

さて東京から富山への最短最速経路は上越新幹線で越後湯沢に出、「はくたか」に乗り継ぐルートなのだがこれは実は2005年に経験している。おまけにその時は帰路にわざわざ「北越」~長岡乗り換えの上越新幹線という別経路を使っているので、こちらも経験済み。ところが、もうひとつこれまで利用したことがないルートが残っている。それはかつてメインルートだった東海道新幹線から米原乗り継ぎの北陸本線ルートだ。北陸本線の米原~近江塩津間は未乗車だったのでちょうどいい。この区間も狙って乗らなくてはなかなか乗りにくいルートだ。しかし実際のところ、東京から福井あたりなら米原ルートのほうが早いが金沢まで行くと越後湯沢ルートととんとん。富山になると明らかに越後湯沢からのほうが早い。しかし2005年に金沢に行ったときに越後湯沢ルートを使い、今回富山に行くときに米原ルートを使うのは話が逆だ。まあしょうがない。

家を出たのが少し遅かったので、昼過ぎの「ひかり」で米原へ。「のぞみ」ではなく「ひかり」に乗るのは久しぶりだ。使用車両は N700A系だったけどさ。車内からは珍しく富士山がよく見えた。沿線の景色をなんとなく眺めていて思ったのだが、日本では遠景になんらかの山地が見えている、という風景がごくありふれたものである、ということ。逆に言うと、三十一が普段見慣れている関東平野の平坦な風景はきわめて特異なものだ、ということだ。人口の割合はともかくとして、地域的なひろがりという意味では東京はきわめて特異な存在であるということは、覚えておいたほうがいいだろう。

米原で683系のしらさぎに乗換え。そういや米原はJR海とJR西の境界駅だ。初めて乗る北陸本線だが景色はそれほど面白いものではない。琵琶湖東岸の平坦な地形で線形は単純。しかし線路から琵琶湖はまったく見えない。余呉のあたりでようやく水面が見えたと思ったらすぐにトンネルに入り峠越えにかかる。山のなかで湖西線と合流すると近江塩津駅。このあたりは高速道路の立体交差を彷彿とさせる線路配置で、鉄道模型のレイアウトのようだ。この先の北陸本線はループで有名だが、ループが必要なのは勾配をのぼっていかなくてはいけない上り線で、いま走っている下り側にループは不要。というわけでループ線の下を2回くぐるとまもなく敦賀に到着。かつて北陸本線の交直セクションは米原付近にあったが、近年敦賀の先、北陸トンネルの手前に移された。よく耳をすませていればモーター音が静かになったのがわかるが、車内の照明が落ちたり空調がとまったりということがなくなったので普通にしているときづかないだろう。武生では福井鉄道の駅と線路が目に入る。福井駅前は(新幹線延伸は未定なのに)一大工事中。金沢までくると北陸新幹線の高架橋がすっかりできあがっている。試運転まで始まっているのだから当然だが。ちょうど日が暮れるころに富山着。東京からは約5時間。そういやこないだ台風のときに「飛行機が飛ばなくなったので東京から新幹線を乗りついで5時間かけて熊本にたどりつきました」というコメントをしていた人がいたけど、「5時間なら近いじゃん」と思ってしまう三十一はやっぱり特異なんだろう。

富山駅はまだまだ工事中で、現在の駅舎の東側に新しい駅舎と駅前広場、そして南北連絡軌道を建設中。写真は余命半年の現駅舎。
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富山に一泊して、翌朝の特急「ひだ」で名古屋方面に向かう計画だが、「ひだ」の大半は高山始発で、富山から出るのは8時と13時の2本。正確にいうとこのあとにさらに2本あるのだが、「日中ルール」にひっかかるので使えない。午前中を富山で過ごして13時の列車を使うというのも考えたが、とにかく高山まで行ってしまえば選択肢が増えるのであとはそのとき考えようということになり、8時の特急でまずは高山に向かう。
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しばらくは富山平野の稲作地を進む。速星ではいまどき珍しい工場への引き込み線とヤードが。越中八尾は「おわら盆」で有名だがいまは時季外れで数組の観光客が乗ってきただけ。ちょうどこのあたりから山地のにおい(比喩的表現)がしてきた。猪谷までくるとすっかり山の中。ここからはかつて神岡線(神岡鉄道)が分岐していたが、むしろ現在ではJR西日本とJR東海の境界駅として機能している。この列車も乗員(運転士と車掌)が交代した。猪谷はすでに県境を越えて岐阜県に入っているのだが、線路脇を流れる川は相変わらず後ろ方向、つまり富山県に向かって流れている。

1時間半ほどで高山着。名古屋に向かう列車を乗り捨てる。
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次の特急は約2時間後。まず駅前に見て地図や観光案内を見てそれから先のことを考えることにする。地図にあった観光地でまず目についたのが飛騨代官陣屋跡。それから高山城跡。飛騨国は江戸時代、比較的早い時期に藩主が移封され天領(幕府直轄領)になった。高山城は移封前の藩庁だが、天領になってからは城は破却され陣屋で代官が政務を執った。問題は、陣屋は駅から比較的近いところ(徒歩10分くらい)にあるのに対し、城跡は山の上にあるということ。とりあえず陣屋まで行ってみる。
陣屋は賑わっていた。正確にいうと陣屋前で朝市が催されていてその朝市が賑わっていた。本命であるべき陣屋に関心を寄せている人はあまり多くなかったようだ。三十一はちょっと陣屋の入り口をのぞいてみた。入場料430円が惜しかったわけではないが、あまりゆっくりもしていられないので外から写真をとるくらいにしておく。
陣屋を出て次は城跡をめざしてみたが、想像以上に登りがきつく、城山の入り口にたどりついたところで引き返した。あとはぐるりと街をまわって駅を目指す。

率直な感想として、想像以上に街は賑わっていた。特に外国人観光客が目立つ。これまで三十一は数多くの地方都市をめぐってきたが、これくらい賑わっているのも珍しい。正直なところ、三十一でさえ一泊くらいしてみてもいいかもしれないと思ったくらいだ。観光地としてのネームバリューがあることも助けになっているだろうが、(外国人も含めて)観光客に徹底して便利にしようとしていることが伝わってくる。ただ、高山駅の旅行代理店は来月に閉鎖されてしまうそうだが。

とは言え、三十一の最優先事項が別にあるので、1時間ほどで駅に戻ってきて11時半の特急のきっぷを確保する。時間帯がちょうどいいので飛騨牛の駅弁を買って列車に乗り込む。高山を出てしばらくのあいだは相変わらず川が後ろに(日本海側に)流れていく。飛騨一ノ宮で高山盆地は終わり、トンネルをくぐって久々野に出ると分水嶺を越えたらしく川が反対側(太平洋側)に流れるようになる。ここから高山本線は飛騨川のつくる渓谷をひたすら下っていく。川は右側になったり左側になったりするので、どちらに座るのがいいとかいうのは特になさそうだ。強いていうなら運転席直後かなあ。
急に風景が開けて美濃国にはいったことがわかる。ずっと一人旅をつづけてきた高山本線に左から線路(太多線)がよりそうと美濃太田。平地に降りてきて明らかにスピードが上がってきた。右手に岐阜城が見えると近代的な高架橋をかけあがって岐阜駅着。ここから進行方向が変わるが、せいぜい20分くらいのことなので誰も座席の向きを直さない。同じような現象は秋田新幹線の大曲~秋田とか、佐世保線の早岐~佐世保でも見られる。

思ったよりも早く、2時過ぎに名古屋着。適当な新幹線で東京へ。

10月17日の旅程:
東京(1233)→米原(1445) 513A
米原(1456)→富山(1729) 9M

10月18日の旅程:
富山(0800)→高山(0931) 1026D
高山(1124)→名古屋(1402) 28D
名古屋(1442)→東京(1623) 230A

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2014年9月 7日 (日)

最近の買い物

最近、更新が遅れてしまっているが、そもそもこんなブログを楽しみにしている人がそんなに多いとは思えないので気にしないことにする。

音沙汰がないときはがんばって Wiki を更新しているのだと思ってください。
最近発覚したのだが、アクセスが重なると apache が死んでしまうらしい。対処はなんとなくわかっているのだが、かなり基本的なソフトから導入しなおさなくてはいけないらしいので根本的な対策はとっていない。イベントを検知して再起動する仕組みを組み込んだので、もし使えないときはそういうことだと思ってください。
はじめはイベントで即再起動していたのだが、短時間で再起動を繰り返すと apache が死んでいるわけでもないのにアクセスできなくなるという現象がみられたので、一定の間隔でステータスをチェックして必要なら再起動するように変更した。回復までに少し時間がかかるようになったが、全体の使用可能性を高めるための苦渋の判断である。

さて表題の最近の買い物だが、まずひとつは

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モンモデルから発売された PzH2000 の 1/35 のプラモデル。
実は三十一は、開発段階での完成予想図を「軍事研究」誌で見て PzH2000 に一目惚れしたのだ。その後、開発が一時停滞していたなどとも伝えられていた(ような気がする。なにしろ大抵の現代兵器は開発が遅れるので)が、模型まで発売されるようになったかと思うと感無量だ。
だいたい三十一は自走砲が好きで、フンメルヴェスペ20HSP も好きなのだ。M10915HSP はそれほどでもないけれど。戦場の女王と呼ばれる砲兵火力と、機甲戦能力を両立させた自走砲は機動戦の要諦だという認識もあるけれど、なによりあのスマートさとはほど遠いアンバランスな造形がどうにも三十一好みなのである。

それからもうひとつ。

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イギリスの装甲空母というのも三十一の琴線に触れるアイテムのひとつで、昨年秋に艦船模型を再開してからずっと探していたのだがどこにも見つからず、半分あきらめていたのだがつい先日秋葉原の某模型店で発見して即確保した物件。ここには「ヴィクトリアス」の写真を掲載したが同時に「イラストリアス」も確保した。なんでも年末には「アークロイヤル」も出るそうですでに予約済み。

平和な近況でした。

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2014年7月 2日 (水)

60年目の「他衛隊」

憲法解釈変更による集団的自衛権容認が閣議決定された。

ニュースのコメントを聞いていて思い出したのだが、昨日7月1日は1954年に保安隊・海上警備隊を改編、新設の航空自衛隊をあわせて防衛庁/自衛隊が発足していからちょうど60年になる。

集団的自衛権や集団安全保障についてはこれまでも何度か述べてきたので詳しくは触れない。ただ報道を見ていて思ったことをいくつか。

本来必要なのは、日本の安全保障をどう確保するかという議論だと思うのだが、そこがすっぽり抜け落ちて小手先の技術論に陥っているように見える。賛成派と反対派で想定している姿が大きく違う状態で「どうするか」という手段の部分だけで論争しているからかみ合わないのだ。

ついでに言えば、安全保障をどうするかという議論をするためには、国外からどう見られるかということをもっと意識しなければ実効性のある結論は得られない。安全保障の対象は主に国外の勢力だということはけっこう忘れられがちだ。今回、集団的自衛権行使に対して反発している国がいくつかあったが、逆に言うとそういう国は日本に集団的自衛権を行使されると不都合だと考えていることを示している。つまり少なくともこうした国に対して「集団的自衛権行使」は有効だという証拠だ。

それにしても、「各党の反応」ということで野党の党首や幹事長のコメントが報じられていたが、内容よりもむしろ印象に残ったのはその人数。改めて並べて見ると数が多いなあ。数が多いということはひとつひとつの所帯が小さいということだな。野党にはもっとがんばってほしいのだが、かと言って応援しがいのある党もないというのが実情だ。

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2014年6月25日 (水)

神保さんの町

ちょっと日が経ってしまったけれど、先週末の土曜日に久しぶりに神保町に行ってきた。なんだか近頃、毎週末に「久しぶり」なところに出かけているような気がしてきた。来週はどこに行くのかな。

かつては毎週のように神保町に出かけていたけれども、戦史叢書がほぼ全巻そろったこともあり、毎月の雑誌購入も秋葉原で用が足りるようになり、とんと足が遠のいていたがどういう風の吹き回しか行って見る気になった。実際のところ、勤務地が都内でなくなったので秋葉原でも神保町でも自腹で電車賃を出さなくてはいけないことに変わりはないのだ。

で、久しぶりにでかけてみた成果はというと、それなりにあった。古書店でも新刊書店でも買い物をすることになった。やはり本の街だけあって品揃えが充実しているというのを改めて認識した。ただ、三省堂には行かなくなってしまった。何年か前に模様替えをして以降、本を探しにくくなり行く気にならない。慣れてないだけだと言われればそれまでなのだが。

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