2008年1月16日 (水)

恵方巻

昼飯を買うためにコンビニでレジに並んでいたら、「恵方巻」の広告が目に入った。予約受付中とのことである。クリスマスケーキとかお節料理ならともかく、恵方巻をわざわざ予約するヤツがいるのかなあ。
考えてみれば、ひと昔前にはこんな慣習はなかった。一部そんな慣習の地域がある、というのはいわばトリヴィアだったのだ。しかし最近ではコンビニばかりではなくスーパーでも節分近くになると太巻きを大量に並べ出す。ずいぶんと定着したものだ。

だがちょっと待てよ。
どう贔屓目に見ても、これは迷信だよね。科学的に根拠があると考えてる人はまさかいるまい。とすると、10年前にはなかった迷信が定着したということだ。これはよくよく考えてみると由々しきことじゃなかろうか。「売れれば迷信でもなんでもいい」と考える供給側と、それをあまり考えずに受け入れている消費者側という構図は空寒いものを感じる。

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2007年10月 1日 (月)

「科学は不確かだ!」

ずいぶん前に買って以来未読のままだったのだが、ナノイーイオンとか血液型性格診断だとかWTC制御解体説とか、そういった話題で菊池教授のblogがお祭り状態のようになっているのを見て引っ張り出してきた本。
説明するまでもないが、著者はノーベル賞も受賞した物理学者。世間一般でいう「科学者」の代表格と言ってもいいだろう。しかし、その著作を読むと「科学者」らしく見えない。「科学者」の代表格の言動が「科学者」の典型的なイメージと合致しないということは、要するにイメージのほうが実際と合致していないと考えるのが妥当だろう。そういや、菊池教授のblogでもかつて「科学者以外が考える科学者のイメージ募集」というトピックがあったっけ。

著者本人がつけたとしたら、このタイトルはずいぶん刺激的だが、実際には日本語版訳者がつけたもの。これは著作というより、講演を文章にしたものだから、そもそもきちんとしたタイトルがあったわけではなかろう。しかし、このタイトルは本の内容のうちもっとも重要で意外と思われがちな個所を抜き出したものといえる。

一般の人が「科学者」に抱くイメージと、実際の「科学者」の間の最大のギャップは、この点にあるかもしれない。実際のところ、「科学者」は「不確実だ」ということに慣れている。世の中には「不確実なこと」がいっぱいある。科学者の仕事は、まずその「不確かだ」ということを受け入れることから始まる。もちろん、科学者の目的は「不確か」な事柄を「確か」にすることだが、「確か」であることが確かめられるまでは「不確か」のままにしておくのである。当たり前のことを言っているようだが、実はこれが意外に難しい。「不確か」なままでいることに耐えられず、証明されていない説明に寄りかかって「確かだ」と事実を曲げた認識をするという例は珍しくない。しかしそれは「科学」ではないのである。

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2007年9月25日 (火)

"と"陰謀論

大阪大学の菊池教授のblogで一年近くも燃えさかっていた「ナノイーイオン」がようやく収束に向かったかと思ったら、今度は「WTC陰謀論」で盛り上がっている。世にビリーバーの種は尽きまじ。

古くからの読者はご存じと思うが、三十一は陰謀論というものを非常に嫌っている。もちろん、陰謀をたくらむような悪者はこの世に存在しないというほど善人なわけではない。陰謀はいつだってたくらまれているのだ。しかし、なんでもかんでも「アメリカ政府の陰謀だ」とか「ユダヤ人の陰謀だ」とか「フリーメーソンの陰謀だ」とか、そういった陰謀論で片づけようとする風潮、あるいはそういう趣向の人物は大嫌いである。こういう「トンデモ陰謀論」はニセ科学と似ており、究極的には単なる思考停止である。

特に三十一が「トンデモ陰謀論」を嫌うのは、結局のところそれが「逃避」にほかならないからだ。例えば「WTCの崩壊はアメリカ政府の陰謀だ」という人がいる。もし三十一がアメリカ政府の立場だったとして、あんな手の込んだ陰謀はリスクが高すぎて実際には実行できないだろうと考えるのだが、そういった技術面の評価はひとまず置こう。あのテロがアメリカの陰謀だとすると、その責任をアメリカの一部高官になすりつけることができる。つまり、イスラム過激派にテロを起こさせるほどの憎悪をアメリカ政府はその長年の政策によって買ってしまっており、そして日本もその政策を支持することでその責任の一端を負っていて、その政府を支持した日本国民にも責任がある、という事実から目をそらすことができるのだ。ねんのために言っておくが、責任があるから良いとか悪いとか言っているわけではない。単に責任があるということである。逆に「オレは自民党に投票しなかったから責任がない」というのも通用しない。このまま現状を維持して彼らの反感を買いつづけるというリスクを負うか、あるいは政策を転換して彼らの憎悪を軽減するための対策をうつか、あるいはより強硬策に出て彼らを絶滅させるか。選択と、その結果に対する責任はみんなが持っているものだ。

しかし「アメリカ政府の陰謀」にすれば、そういった責任を回避できるのだ。「悪いのはアメリカ政府だもん」というわけだ。自分以外の誰かに責任をおしつけるために、ちょっとでも疑わしい(と見える)証拠にとびつくのが「トンデモ陰謀論者」である。

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2006年12月30日 (土)

「トンデモ本の逆襲」

改訂新版。ある意味「ニセ科学」批判の古典でもあるけれど、上段にふりかぶって正面から批判するのではなく、トンデモぶりを笑って楽しもうという趣旨だから楽しんで読めばよろしい。

これまで読んでなかったのは不思議なくらいだけど、唐沢なをき(と唐沢俊一)の漫画でずいぶん前に知っていたので、すっかり読んだ気になっていた。
トンデモさんの言説を本で読んだりネットで見たりして笑っているうちはいいのだが、仕事上で相手をしなきゃいけないとなるとそうそう笑っても・・・げふんげふん。

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2006年12月23日 (土)

「まん延するニセ科学」

kikulog  を読んでいたら、この blog の主である大阪大学の菊池誠教授が NHK の「視点論点」に出演して「まん延するニセ科学」について語ったことを知った。
残念ながら三十一は見ていなかったので、再放送があったら是非見ようと思っていたのだが、翌日だったか同じ blog で「早朝に再放送があった」ことを知った。また見逃したわけである。

正直あきらめてかけていたが、YouTube に動画があっぷされていることがわかり、無事教授のご尊顔を拝することができた。しゃべっているうちにだんだん熱が入ってくるのが丸わかりで微笑ましかった(失礼)が、正直言って普段 blog で議論されている内容のほんの一部、さわりの部分を触れているに過ぎなかった。しかし、10分間という限られた時間の中で不特定多数の視聴者の注意を喚起し、問題の本質を説明するという目的には十分な内容であり、より大きな議論のきっかけを作るという役割は十分に果たしたと思う。

実際、YouTube へのブックマーク数はかなり増えており、NHK という日本中ほとんどの家庭にアクセスできるコンテントプロバイダーで放送されたことは大きい。先日、学習院大学の田崎教授がネットに出したアピール「水からの伝言」を信じないでください もかなりの反響を産んだが、まだまだテレビの力は大きいということか。ネットやコンピューターと普段あまり接触のない層にもアピールしたかもしれない。

注意しておきたいのは、菊池教授や田崎教授は単に「ニセ科学」そのものを問題視しているというよりは、「ニセ科学の蔓延を許してしまう土壌」にむしろ危機感を抱いているように思う。「土壌汚染」を食い止めるための手段として「ニセ科学」批判を行っているのだろう、と三十一は考えている。だから「そんなことをいくら言っても『信者』は考えを変えない」という批判は、菊池さんや田崎さんの懸念を読み違えているのだ。菊池さんたちのターゲットは「ボーダーライン上の人々」である。今回はその「ボーダーライン上の人々」に直接アクセスできた。それも NHK というまだまだ一般的には信頼度の高い(最近だいぶ評判を落としたが)メディアで流されたことは意義がある。

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2006年11月22日 (水)

「『水からの伝言』を信じないでください」を読んで考えよう

激しく今さらな気がするが、やはりリンクしておこう。

「水からの伝言」を信じないでください

三十一はこの趣旨に全面的に賛同する。

はじめ、この記事のタイトルを
  「『水からの伝言』を信じないでください」を信じよう
とするつもりだったのだが、やめた。

三十一が思うに、「水伝」が正しいか正しくないかは本質的な問題ではない。
もちろん、「水伝」が正しくないことは自明であろうと思う。
学校教育に使用することにも反対する。

しかしそれ以上に、そして「水伝」以前からしばしば三十一が苛立ちを覚えたのが、自分で考えることなく「誰々が言ってるから」「テレビでやってたから」「大企業が売ってるから」というだけの理由で簡単に信じ込んでしまう「思考停止」が蔓延していることだ。

このアピールを出しているのは学習院大学の物理の先生だが、「専門の学者が言ってるんだから信じちゃいけないんだ」というのも同様の思考停止である。

このアピールをきっかけに巻き起こった「反証実験」騒動も結局は問題の本質をどこにおくか、単に「水伝が正しいか正しくないか」を問題にするのか、それとも「水伝のようなニセ科学が一定の支持を得てしまうその背景」を問題にしているのかのズレが引き起こしたように思える。
「やって見せれば済むこと」という主張は知らず知らずのうちにその「思考停止」の陥穽に陥っているのだ。

だからタイトルを「信じよう」ではなく「読んで考えよう」とした。読んで判断するのは自分であり、その責任も自分にある。他者に判断を委ね、責任まで委ねようとするのは虫が良すぎる。

「水伝」に関するリンクはいくらもあるが、少なくともここは読んでおこう。
http://www.cp.cmc.osaka-u.ac.jp/~kikuchi/weblog/index.php?UID=1163435860

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