2017年8月 3日 (木)

2017年8月の桜

7月末から8月はじめにかけて防衛省では背広組と制服組の両方で大きな人事があった。もちろん日報問題の影響だ。それにしても、大臣が3時間本省を留守にしただけでも問題になるのに、大臣と事務次官と陸上幕僚長がほぼ同時に交代したということが全く問題にならなかったのは何故だろう。結局「本省不在」を本当に問題にしていたのではなく政治的な批判の材料にしていただけということだ。

最初に背広組のほうを片付けておこう。
7月28日付で黒江哲郎事務次官が退職し、豊田硬官房長(1982年入庁東大卒)が昇進した。官房長は高橋憲一整備計画局長が就任、整備計画局長には西田安軌審議官が昇格。

制服組では、3月に比較的小規模な異動があってからほとんど動きのない時期が続いた。7月1日に南西航空混成団が南西航空方面隊に改編され、混成団司令の武藤茂樹空将(防大28期)の職名が司令官に変わったがこれは人事異動とは言えないだろう。

今回の制服組の異動は2回に分けられた。8月1日と8日で、陸幕長辞任関連の異動は8日のほうに含まれている。
まずは1日分から。将の異動は陸3、海2.

(陸将)
太田牧哉・陸自研究本部長(防大26)>退職
岩谷要・第4師団長(防大28)>陸自研究本部長
高田祐一(将補)・東方幕僚長>第4師団長

山本頼人・第10師団長(防大27)>退職
甲斐芳樹(将補)・第11旅団長(防大28)>第10師団長

森崎善久・中央病院副院長(防医大5)>退職
大鹿芳郎(将補)・福岡病院長(防医大8)>中央病院副院長

(海将)
坂田竜三・統幕学校長(防大26)>退職
出口佳努(将補)・佐総監部幕僚長(岡山大30期相当)>統幕学校長

真木信政・航空集団司令官(防大26)>退職
杉本孝幸(将補)・横総監部幕僚長(防大29)>航空集団司令官

続いて8日分。陸4、空2。

(陸将)
岡部俊哉・陸上幕僚長(防大25)>退職
山崎幸二・北方総監(防大27)>陸上幕僚長
田浦正人・第7師団長(防大28)>北方総監
小野塚貴之(将補)・統幕防衛計画部長(防大30)>第7師団長

森山尚直・東方総監(防大26)>退職
住田和明・統幕副長(防大28)>東方総監
本松敬史・第8師団長(防大29)>統幕副長
吉田圭秀(将補)・内閣官房出向(東京大30期相当)>第8師団長

鈴木純治・中方総監(防大26)>退職
岸川公彦・防大幹事(防大28)>中方総監
上尾秀樹・第6師団長(防大29)>防大幹事
清田安志(将補)・第12旅団長(防大29)>第6師団長

小川清史・西方総監(防大26)>退職
湯浅悟郎・陸幕副長(防大28)>西方総監
高田克樹・第2師団長(防大29)>陸幕副長
野澤真(将補)・陸幕装計部長(防大30)>第2師団長

(空将)
小城真一・航空支援集団司令官(防大26)>退職
山田真史・西方空司令官(防大28)>航空支援集団司令官
井筒俊司(将補)・空幕人教部長(防大30)>西方空司令官

尾上定正・空自補給本部長(防大26)>退職
三谷直人・中方空司令官(防大29)>空自補給本部長
金古真一(将補)・空幕総務部長(防大30)>中方空司令官

今後予想される人事としてはまず統合幕僚長だが、もはや交代時期だけが問題。
むしろ統幕長就任が確定した杉山空幕長の後任のほうが不確定要素を含んでいるが、候補者の顔ぶれについては前回述べたのでここでは繰り返さない。

陸は一気に代替わりしてしまったので、山崎陸幕長は2年やりそうだ。方面総監も5名中4名が今回入れ替わったので、近日中に大きな動きがあるとは思えない。しかしこの年度末には陸上総隊新設という大きな改編が控えている。
陸上総隊の長の職名は、「陸上総隊総監」になるのか単に「陸上総監」になるのか、三十一はなんとなく後者のような気がするが、なにしろ前例のない組織なので何が起きてもあり得ない話ではない。
名称が何であるにせよ、陸上総隊を率いる人間は陸幕長と方面総監の間に位置するので、候補者はおのずと絞られる。いずれも防大27期の、山之上哲郎・東北方面総監か、小林茂・中央即応集団司令官だ。総隊総監には「方面総監経験者を充てる」とされているようだが、一番最初にかぎっては中央即応集団司令官も含めていいだろう。小林中即団司令官は、師団長と防大幹事を経験していて山之上東北方総監(師団長と陸幕副長)に経歴でもさしてひけをとらない。職種の違い(山之上は普通科、小林は特科)はそれほど影響しないだろう。現時点ではまだどちらに絞る段階ではない。

ちょうど今日内閣改造があって新しい防衛大臣が就任したが、その話はここでは触れない。機会があればいずれまた。

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2017年7月28日 (金)

時期外れのサクラチル

日報問題がとうとう大臣の辞任にまで発展した。
稲田大臣が就任したとき三十一は「期待する」と書いたが、素人さが悪いほうに出てしまったようだ。結果として稲田氏には防衛大臣というよりも政府の一員たる大臣の資質に欠けるところがあったと言わざるを得ない。もとが弁護士だからなあ。防衛大臣はひとまず岸田外務大臣が兼任することになったので、来週にも行なわれる見込みの内閣改造で後任が任命されることになるだろう。現時点で取り沙汰されている後任は小野寺五典や中谷元といった防衛大臣経験者の再起用で「素人はこりごり」という政界の雰囲気が伝わってくる。

雇われ社長たる防衛大臣の更迭よりも、防衛省と自衛隊でもっと影響が大きいのはむしろ監督責任を負って詰め腹を切らされる事務次官と陸幕長だろう。

黒江事務次官の後任は豊田官房長と伝えられている。
岡部陸幕長は本来であれば、河野統幕長の有力な後任候補だったのに引責辞任でそれどころでなくなった。後任が決められないので河野統幕長の定年は二度も延長されてきたけど、これでようやく後任が決まって晴れて勇退できるだろう。次期統合幕僚長は空自の杉山空幕長となることがほぼ確定した。

杉山良行航空幕僚長は防衛大24期卒業、岡部陸幕長と村川海幕長はいずれも防大25期なので先任順からすれば順当なのだが、自衛隊の中で最大所帯である陸自はもう5年以上統幕長を出していない。さすがに次は陸から、というのが大方の予測と期待だったのだがまたまた流れてしまった。

空幕長の昇進と陸幕長の辞任で、それぞれ後任が必要になる。
陸についてはすでに8月8日付の人事が公表されている。25期の岡部陸幕長と、26期の鈴木純治中方、森山尚直東方、小川清史西方の各総監が揃って退職となり、陸幕長は27期の山崎幸二(現・北部方面総監)が就任する。

そして空だが、現役の防大25期生はすでに残っていない。以前名前を挙げた航空支援集団司令官の小城真一(26期)も8月8日で退職。26期なら総隊副司令官の小野賀三、27期なら総隊司令官の前原弘昭、空幕副長の丸茂吉成、教育集団司令官の荒木淳一あたりだが、さて。

日報問題について、まずはすでに意味のないPKO5原則をできるだけ速やかに撤廃するべきだろう。今回の問題はPKO5原則の「戦闘」という文字と、日報の中の「戦闘」という文字がたまたま同じ単語であったことに端を発したもので、その後の議論はなんら実際的なものではない神学論争にすぎなかった。その「戦闘」が実際どの程度のもので、自衛隊にはどの程度危険があったのかという議論はなされていない。それもこれも時代遅れな (1992年決議) PKO5原則を金科玉条のごとく大事にしてきたことが根本原因なので、こんな空文はさっさと捨て去るのがよい。

また何よりも怖いのは、今回の一件のせいで今後日報を作成する際に「忖度」が働くことだ。日報は何よりもまず正確かつ率直であるべきで、そこに「忖度」を含ませるべきではない。日報は指揮官の重要な判断材料であり、それがわかりにくく実態が伝わらないようでは適切な指揮統制ができない。その結果、近くは犠牲(負傷者や死者)が生じる可能性を高め、大きくは日本の国益全体を損なうことにもなりかねない。そのためには「日報とは本来そういうものだ」という姿勢を組織として強く押し出し、現場の作成者を守るとともに、一言半句をとりあげて批判する野党やマスコミに対して堂々と反論すべきだろう。今回はそれをせずに小手先の対応でやり過ごそうとしたのが一番よくない。

なお、今回陸自内部から「稲田大臣は日報の存在を非公表とすることを了承していた」というリークがあったと報じられている。これが事実かどうかはまだ未確認だが、もし事実だった場合は「シビリアンコントロールが機能していない」とするコメントが見られる。それは「シビリアンコントロール」を理解していないとしか思えない。
大臣の意向に反して部下が情報をリークする、というのは確かに組織の統制がとれていないと言わざるを得ない。しかしそれはあくまでリークした者「個人の反乱」であってそれをもってただちに「シビリアンコントロールが効いていない」とするのは行き過ぎだろう。同じようなことは戦前の日本の陸軍省でも起きていた。当時の日本の陸軍大臣は現役軍人でシビリアンコントロールという言葉すら知られていなかったが、それでも部下が大臣の意向に逆らって動くのは問題だという認識はあった。また現在でも防衛省以外の役所(たとえば外務省とか)で同じことが起きてもやはり問題になるだろう。つまり「シビリアンコントロール」以前の単に内部統制の問題でしかない。これを「シビリアンコントロール」の問題ととらえている人間は「シビリアンコントロールとは制服組が政治家のいうことなら何でも無条件で聞くこと」と誤解しているのだろう。
稲田大臣による「非公表」の判断は政治的判断ではあるものの「不適切な行動」の疑いが強い(不法行為とまでは言えないかもしれないが)。厳密なシビリアンコントロールによって運用されている軍隊であっても、政治家の不正行為に無条件に追従することまでは軍人に求めていないのが現代の民主主義国家の軍隊だ。政治家によって「不都合な事実」の隠蔽を指示された場合でも軍人は無条件で従わなくていけない、とするのはシビリアンコントロールとは言えない。

結局、今回の日報問題では誰も得した人間がいない。内閣の支持率は下がったがだからと言って野党の支持率が上がったわけではない。唯一の効果と言えるのは南スーダンのPKOから撤退したことだが、政治的には内閣の得点にも野党の得点にもなっていない。

同じ日に民進党の代表も辞意を表明していたけど、そもそも代表になったこと自体が間違いだと思っていたので「やっと辞めるか」という以上の感想はない。民進党という政党そのものにも期待してないし。

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2017年4月 5日 (水)

「鎖国」をやめられないクニ

学習指導要領で「鎖国」や「聖徳太子」という言葉を使うのをやめよう、という方針がパブコメでの反対意見によって撤回されることになったという。三十一はこのニュースを「撤回された」というタイミングで初めて知ったのだが、日本人はどうしてこうも「変化」が嫌いなんだろうと絶望的な気分になった。「改革」とか「新製品」は大好きなくせに、要するに新しく加わる分にはいいけれど、これまであったものがなくなっていくことには強い拒否反応を示すのだろう。

「鎖国」という単語だが、学術用語としてはとっくに死語になっている。まともな日本史学者でいま「鎖国」という言葉を使う人はいない。同時代に使われていた言葉でもないし、実態とも合わないからだ。
「鎖国」という言葉は江戸時代も後半になって西洋諸国の圧力が日本近海に及び始めたころになって、圧力に対抗するための方便として当時の体制をこう称したのが始まりで、しかも幕府によって採用されたものでもなかった。
三十一が日本史を習っていたころには、「1639年に鎖国体制が完成」と教わったものだが、これも後から振り返ってみればその年にできた体制が結果としてその後続いた、という以上の意味しかない。当事者にしてみれば何かが「完成」したという意識はなかっただろう。

「鎖国」をことさらに強調するのは、明治維新の大義名分のひとつが「開国」にあったからだ。
「外界との連絡を閉ざした幕府を倒して、世界に開かれた新しい政府をうちたてた」という図式を際立たせるために、実態以上に江戸幕府の「鎖国」を強調する必要があった。その「江戸幕府観」をいまだにひきずっているのだ。しかし明治維新からすでに150年が経とうという今日、そうした「明治史観」はもういい加減に捨てたほうがいいだろう。と言うか、歴史学者はとっくに捨てているのだが。

問題は、単に「鎖国」という単語にかぎったことではない。
自然科学の分野でも、学術的なコンセンサスが、根拠のない感情論に負けてしまうというケースが近頃しばしば見られる。
感情論自体はずっと昔からあるもので、最近始まった話ではないのだが、かつては学術の側にそれなりの権威があって感情論に打ち勝つことができた。しかし近年、科学技術をはじめとする学術への懐疑的な見方が強まって、感情論に比べて相対的に弱くなってきている。
もともと学術がもっていた権威も実は、確たる根拠を持ち合わせないものだった。今はそうした根拠のない権威が衰えていく過程なのだろう。それはもはや避けられない。これから学術の側はむしろ根拠をもった権威を構築することを考えなくてはいけないだろう。

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2016年8月31日 (水)

あともうちょっとだけ続くからね

週末、去年のアメフトの録画を DVD にダビングしていたのだが、それが終了したときに画面に映し出されたのは朝生、「朝まで生テレビ」だった。譲位について話していたので少し見ていたのだが、30分くらいするとこれ以上見ても不毛だと思ったので寝てしまった。もうずいぶん長いこと見ていなかったのだが、全然進歩してないなというのが率直な感想だった。むしろまだやってたのかと思ったくらいだ。

さてわずか30分間だけ見た結果三十一の胸の中にもやっと残った感情を、少し時間をあけて考えてみたときに気づいたことがある。それは「どうして譲位反対派の言説はこうも心に響かないんだろう」という疑問だ。譲位賛成派が「どうして2000年の皇室の歴史の中で100年にも満たない明治から戦前までの時代の伝統だけをそんなに重視するのか」という反論をしていて、それが結局はすべてだと三十一も思うのだが、理屈と感情は別物である。この「反発」とも言える感情の源は、陛下が今回の勅語のみならず日々の言動で示し続けた姿勢との落差であったろう。日本国憲法には、天皇の地位は「国民の総意に基づく」と規定されている。この意味を誰よりも大事に考えているのは他ならない陛下自身に違いない。天皇と皇室を存続させているのは国民の支持であり、そのために陛下は日々象徴としての務めを全力で果たしてこられたのだろう。
そうした相互作用の上に成り立っている現在の皇室制度にぶらさがって、あるいは寄生してそれで飯を食ったりうまい汁をすったりしてきたような連中が現状維持、既得権維持をはかって皇室の形を変えるような「譲位」に理屈をつけて反対しているのではないか。そういう風に見えたのだ。
彼ら(彼女ら)にそういう思惑が本当にあったのかなかったのか、仮にあったとして意識的になのか無意識になのか、それはわからない。しかし「譲位反対派」が現在の皇室制度や天皇という地位のあり方に変更を加えることに不安を感じていることは確かだろう。しかし実際にはそれにほとんど根拠がない、というのが先日の記事の通り三十一の結論である。
いまの制度を墨守しようと考えるような人々は、「国民の総意」というものをもっと重く考えるべきであろう。憲法に明記されているというのももちろん大事だが、何よりも国民の支持なくしていかなる制度も存続し得ない。もし「国民の総意」に基づいて皇室の形を変えた結果、国民の支持が得られなくなってしまったとしたら、それは天皇制が役割を終えたということを意味するので受け入れるしかない。しかし三十一は少なくとも近い将来にそんな事態は起こらないと確信している。

と、実はここまでは長い前フリで、ここからが前回の続きになるのだが。

譲位について技術的に考えてみよう。
憲法には「皇室典範の定めるところにより、これを継承する」(第2条)とあるので改憲の必要はない。法律のひとつである皇室典範の改正で足りる。皇室典範には「天皇が崩じたときには、皇嗣が、直ちに即位する」(第4条)とあり、これ以外に皇位継承の定めはない。しかしこれは「天皇が欠けたときには」と改めればよい。
退位に際しては、政治的な紛争のきっかけになるとする意見がある。しかし現在の皇室典範でも、皇位継承順位は皇室会議によって変更できることになっている(第3条)。譲位も皇室会議の議決を経るようにすればよい。またその際に、天皇自身の発議を要件とするのがいいと思う。一部で懸念されている「退位の強要」をある程度抑止できるだろう。天皇自身の発議がないまま執務不能に陥った場合には、在位のまま摂政をおけばよい。これは現行規定にある通りだ。
譲位の手続きとは別に、譲位後の待遇について議論しなくてはいけない、という指摘があるが実はこれには参考になる事例がある。皇太后だ。
実は明治以降、皇太后がいた時期は意外に長い。英照皇太后(孝明天皇の女御)が崩御したのは明治30年、つまり皇太后として30年を過ごした。昭憲皇太后(明治天皇皇后)は大正3年に崩御して皇太后時代は2年に満たなかったが、貞明皇后(大正天皇皇后)が崩御したのは戦後の昭和26年だ。そして昭和天皇の皇后であった香淳皇后が崩御したのは平成12年。10年以上を皇太后として過ごしたことになる。
香淳皇后は、腰を悪くしたこともあって昭和天皇在位中から公務は減らされており、皇太后となってからはほとんど表に出てこなかった印象があるが、貞明皇后は皇太后となってもまだ若かった(大正天皇崩御時で満42歳)ため女性皇族の代表としてそれなりに公務をこなしていたようだ。譲位後の天皇(呼称は「太上天皇」、敬称は「陛下」とするのがいいと思うがそれはさして重要ではない)も、元気であれば式典に出席したり施設を見学したりといった公務をしてもらうのがいいだろう。しかしそれはどうしても陛下でなくてはいけない、ということでもない。つまり公務に関しては一般の皇族なみ、ということになるだろう。体力的に難しくなければ適宜減らしたりやめたりして、その分はほかの皇族にお願いする、ということになる。
皇室経済法に新たに規定が必要だ、という人がいるがこれも皇太后の規定を基準に考えればよい。いま、具体的にどういう規定になっているか知らないのだが、夫婦からなる世帯に対して皇太后の待遇かける2プラスアルファで考えればいいだろう。と、ここまで書いて改めて「皇室経済法」と「皇室経済法施行法」の条文を見てみると、皇太后に対する個別の規定はなく、内廷費でまかなわれる対象に含まれているに過ぎない。つまり、内廷費の対象を規定した条文(第4条1項)に「退位した天皇」を追記すればいい。あるいは、「内廷にあるその他の皇族」とみなせば改正の必要すらないかもしれない。施行法第7条では内廷費の定額を3億2400万円と定めているが、これはこれまでも人数の増減や物価の変動に応じて適宜改正してきているはずで、金額の見直しは譲位に限らずいろんな機会に起こり得るものだ。

前回の記事から長々と書き連ねてきたが、結局のところ政治的にも法的にも譲位を実現するためのハードルはそれほど高くない。あとは「国民の総意」がどうなるかだ。

最後に余談だが、いろいろと調べてきて痛感したのは、戦後の民法改正で姿を消したはずの悪名高い「イエ」制度が、皇室に関してだけは根強く残ってしまっているということだ。現代日本で唯一、法的に世襲を規定した公組織であるから、一般の制度と整合がとれない部分が多々あるのはある程度仕方ない。逆に言うと、戦前の民法の規定が参考にできる個所もあるはずで、むしろそのほうが現在の皇室制度と親和性が高いかもしれない。皇室の中の天皇の地位がイエ制度の家長(戸主)に相当すると考えると、譲位に相当するのは隠居になる。旧民法では、60歳以上に達して相続人がいれば届けによって隠居ができた。60歳という年齢は現代ではもう少し引き上げてもいいかもしれないが、年齢制限を設けるというのはひとつのアイデアだ。

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2016年8月23日 (火)

譲位という伝統

8月15日に会社から帰ってくるとちょうど9時だったのでニュースを見るためにテレビを点けたのだが、天下の国営放送ともあろうものがトップニュースで終戦記念日ではなくウサイン・ボルトを取り上げていたのはいかがなものかと思った。
そのちょうど一週間前に天皇陛下の勅語が放送された。三十一はこの日も会社に行っていたので、放送を録画して帰宅後に最初から最後まで拝聴した。譲位のご意向を示されたものと受け取られている。それから一週間後に戦没者祈念式典に出席された陛下がこれまでどれほど重い責任感をもってこれらの行事に臨んでおられたのかを拝察するに感慨を禁じ得ない。ウサイン某の勝ち負けや去就なんか知ったことか。

さて譲位についてだが、もともと近代以前には譲位による皇位継承が常態だった。それも在位の天皇が高齢になったからというのではなく、成年に達した後継者があればすみやかに位を譲るのが、本来あるべき姿と考えられていたようだ。幕末以来200年あまり譲位は行われていなかったのは事実だが、幕末の仁孝天皇および孝明天皇が譲位しなかったのは、後継者に譲位するタイミングを逸して崩御してしまったからで、もう少し(数年)長命だったら譲位していた可能性は高い。
仁孝天皇の場合、皇太子統仁親王(のちの孝明天皇)は天保15年(1844年)に数え14歳で元服している。これ以降、いつ譲位があってもおかしくなかったのだがその2年後に仁孝天皇が47歳で崩御してしまって譲位のタイミングを逸してしまった。ちなみに仁孝天皇自身は数え12歳で元服し18歳で父光格天皇の譲位をうけて践祚している。
孝明天皇の場合、数え36歳で崩御した慶応2年(1866年)当時、儲君である睦仁親王(のち明治天皇)は数え15歳でいまだ元服していなかった。践祚後の慶応4年(1868年)に数え17歳で元服している。
さてではどうしてこういう慣習ができあがったのだろう。祭祀王として清浄を求められる在位の天皇(ミカド)と、権門の最たるものである皇室の家長としての「治天の君」が機能分離し、それぞれの機能を別々の人物が保有することが不自然でなくなったということがあるだろう。「ミカド」はむしろ若年で政治的に無色であることが求められ、「治天の君」は国政と家政の総覧者としてある程度の老練さが必要になってくる。したがって、若年のうちに「ミカド」に即位し、壮年にいたって祭祀王の役割を後継者に譲るとともにかつての「ミカド」としての権威を背景に「治天の君」として実際の政界に対峙するという「キャリア・パス」ができあがった。こうした慣習が確立した院政期が、摂政関白の地位がいわゆる5摂家の家職と化していった時期と合致するのは偶然ではあるまい。
近代以降、譲位という習慣が否定されたのは、祭祀王である「ミカド」と最高権力者である「治天の君」を無理やりに一体化させようとした試みであったと考えられる。そう考えるとき、もはや「治天の君」という権能を求められない現代において、日本国民統合の象徴である「天皇」が果たすべき役割はかつての「ミカド」に近い。近代以前の、天皇が「ミカド」であった長い時代において譲位そのものが政治問題化した例は実はそれほど多くない。この時期には天皇にほとんど実権がなかったということが大きな要因だが、それもむしろ現代の状況に近いと言えるだろう。皇統が一本化された室町中期以降、譲位が政治問題化したのは江戸時代初期に後水尾天皇が幕府に相談なく娘の明正天皇(徳川秀忠の外孫)に譲位した事件くらいだろう。これには「禁中並公家諸法度」の発布や「紫衣事件」などが背景にあり、幕府確立期における幕府と朝廷の駆け引きの一環であって、朝幕関係が安定してくるとこうしたいざこざは後を絶った。

要するに「伝統」や「政治問題化の懸念」を理由に譲位という手段を否定するのは根拠がない、ということだ。

続く、かも。

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2016年8月 3日 (水)

桜興産社長交代

我らが桜興産の社長が交代する時期が来た。

今日、参議院選挙をうけて内閣改造と自民党執行部人事が行なわれた。
我らが桜興産株式会社社長こと防衛大臣には稲田朋美が指名された。

都知事選直後くらいから具体的な名前が取りざたされるようになり、その中で「稲田朋美が重要閣僚として入閣の見込み」と報道されると、そのとき三十一は「防衛大臣かな」と思った。
三十一の予測は当たらないことで定評があるが、珍しく的中した。もっとも、誰にも言わないうちに確定報道が出てしまったので自慢できない。

ともあれ、稲田朋美の名前はともかく、「重要閣僚」として挙げられた人物が防衛大臣に就任したことは、「防衛大臣」というポストが「重要」と認知されたということを意味し、単純に嬉しい。もっともその一方で財務相や外相といった内閣の「骨格」は変更がなかったとも報じられていたので、防衛大臣は「重要」ではあるものの「骨格」には数えられないということでまだまだ地位向上の余地は残っている。

さて、ごりごりの改憲派で安倍総理に近いとされている稲田朋美が防衛大臣に起用されたのには、安倍政権の防衛重視が見てとれるのだが、それに加えて直前に「元防衛大臣」小池百合子が東京都知事に当選したことが影響しているように思う。
小池百合子は2007年に女性として初めて防衛大臣に就任したが、1月あまりで退任に追い込まれた。その後公職についていなかったので肩書きとしては「元防衛大臣」というのがずっと続いたのだが、いずれにせよ「女性で唯一の防衛大臣経験者」という肩書きはこれで消されたことになる。
防衛大臣としては内局が決めた人事に異をとなえて大モメし、内部では紛々たる悪評を買いながら、無責任な外野からは喝采を浴びるという一幕を演じたわけだが、ごく最近にも同じような喜劇を鑑賞させられたような気がするのは三十一だけではあるまい。

とうにやめてしまった人の話はこれくらいにして、これから就任する稲田防衛大臣には期待している。退任する中谷防衛大臣が、元自衛官という実務に通じた経歴を生かして安保法の成立・施行という大仕事を終えたあとを継いで、しがらみの少ない稲田朋美がいったん原則に立ち戻って今の体制を大きく動かすようなビジョンを打ち出してほしいものだ。

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2016年6月28日 (火)

2016年7月の桜

7月1日付の異動が公表されている。将の勇退・昇任は陸5、海2、空2。そこそこ規模の大きな異動だと言っていいだろう。

今回の異動では、三十一の予想がいかにあてにならないかを思い知らされた。
まず、三十一が次期統幕長と予想した岩田陸幕長が勇退した。
次に、三十一が次期海幕長と予想した池田呉総監が勇退した。

次期海幕長については、もともと当てずっぽうだという自覚があるのでハズレを受け入れるのはそれほど難しくなかった。
しかし次期統幕長は間違いないと信じ込んでいただけに、いまちょっと混乱している状態だ。

何はともあれ、まずは今回の異動をまとめておこう。

陸将
岩田 清文  (防23)退職 < 陸幕長
岡部 俊哉  (防25)陸幕長 < 北方総監
山崎 幸二  (防27)北方総監 < 統幕副長
住田 和明  (防28)統幕副長 < 第2師団長
髙田 克樹  (防29)第2師団長 < 陸幕防衛部長(将補)

松村 五郎  (東大)退職 < 東北方総監
山之上 哲郎(防27)東北方総監 < 陸幕副長
湯浅 悟郎  (防28)陸幕副長 < 第9師団長
納冨 中    (防29)第9師団長 < 東北方幕長(将補)

赤松 雅文  (防26)退職 < 第4師団長
岩谷 要    (防28)第4師団長 < 陸幕人事部長(将補)

掛川 壽一  (防26)退職 < 第6師団長
上尾 秀樹  (防29)第6師団長 < 第15旅団長(将補)

川又 弘道  (防25)退職 < 中即団司令官
小林 茂    (防27)中即団司令官 < 防大幹事
岸川 公彦  (防28)防大幹事 < 第8師団長
本松 敬史  (防29)第8師団長 < 陸幕教訓部長(将補)

海将
池田 徳宏  (防25)退職 < 呉総監
池 太郎    (防27)呉総監 < 教空団司令官
渡邊 剛次郎(防29)教空団司令官 < 海幕防衛部長(将補)

平田 文彦  (防医4)退職 < 中央病院副長
柳田 茂樹  (防医5)中央病院副長 < 横院長(将補)

空将
吉田 浩介  (防25)退職 < 空自補本長
尾上 定正  (防26)空自補本長 < 北空方司令官
城殿 保    (防29)北空方司令官 < 空幕人教部長(将補)

平本 正法  (防25)退職 < 中空方司令官
三谷 直人  (防29)中空方司令官 < 空幕防衛部長(将補)


岩田陸幕長の勇退は予想外だったが、後任陸幕長の岡部北方総監は的中。
その下の26期生3名(鈴木中方、森山東方、小川西方)は横一線だが、むしろそのさらに下になる27期の山崎(北方)、28期の湯浅(陸幕副長)両陸将が今回も順当にポストを上げて来ており今後注目。

海では27期の池海将が呉総監にまで上がってきてトップをうかがう。

空ではトップに手が届くようなポストでの異動はなかった。

さてさて、岩田陸幕長の勇退で次期統幕長の行方は混沌としてきた。
三十一が次は岩田陸幕長と予想していたのは、河野現統幕長が海、岩崎前統幕長が空の出身で当然次は陸からという先入観があったからだ。しかしこの慣習はこれまでよほどのことがないかぎり守られてきたので、今回この慣習から外れるだろうという予測はさすがにできない。
しかし今回、岩田陸幕長の勇退で陸の現役から23期生がいなくなってしまった。24期生はすでに勇退済みなので、最先任が25期生の岡部(新)陸幕長ということになる。三自の順序を墨守するなら今回陸幕長に就任した岡部陸将が、現職の河野統幕長のあとを襲って次代の統幕長に就任ということになるのだが、河野統幕長は21期生なので4期あいだがあくことになる。統合幕僚会議議長の時代から数えても、初代の林統幕議長が10年勤めたのを例外として、3年以上勤めた例はない。もっとも、河野統幕長は2014年10月の就任で、仮に岡部陸幕長が1年つとめて統幕長に移ったとしても在職は2年9ヶ月となり、かなり長い部類には入るが例外的というほどではない。それでも、河野統幕長の在職は現時点ですでに1年半以上になるので、在職3年に届こうかという岩田陸幕長に譲るのが順当だと考えたんだけどなあ。省内上層部で三十一には伺い知ることのできない力学が働いたのかもしれない。

ちなみに期別に見ると、現在21期生は統幕長の河野海将、22期生の現役はすでになく、23期生は海幕長の武居海将、24期生は空幕長の杉山空将が残っているという状態だ。25期になると、陸では陸幕長の岡部陸将のみになっているが海では重岡自艦隊司令官と村川海幕副長の2名、空では福江総隊司令官と森本空教団司令官の2名が残っている。もし岡部陸将が1年で統幕長に移るとなると、残る25期生の幕僚長は難しくなってくる。池田(前)呉総監が次期海幕長レースから脱落したので、以前の予測の流れでいくと重岡自艦隊司令官に確定ということになるはずだが、それも怪しくなってきた。

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2016年4月26日 (火)

蒼雲白剣瑞黒神赤

オーストラリアの次期潜水艦選定に関して、フランスのスコルペヌ級改良型が選定されたと発表された。日本は受注を逃した。

France wins A$50bn Australia submarine contract (BBC News)
France has won a A$50bn (€34bn; £27bn) contract to build 12 submarines for the Australian Navy, beating bids from Japan and Germany.

今回のことに限った話ではないが、日本人が陥りがちな誤解もしくは幻想がふたつある。

まずひとつは、高い技術力で良い製品を作れば必ず売れるという幻想。自分が何かモノを買うときのことを考えても、必ずしも「いいものだから買う」というわけでもない。製品のよしあしとは別に、価格だとか入手しやすさだとか大きさだとか頑丈さだとか、あるいはオマケの有無など、さまざまな要素が絡み合って購入行動は決まる。しかしなぜか自分が売る側の立場になったときにはそういうことはきれいさっぱり忘れてしまうのだな。日本が誇る新幹線がどうしてこれまで輸出に成功してこなかったのかを考えてみよう。日本の新幹線の技術力の高さを否定する人はいない。しかし実際に輸出できたのは台湾だけで、それも一度はヨーロッパ勢に負けていながら地震のおかげで逆転できた。

そしてもうひとつは、そもそも日本の技術力が高いという幻想。近頃テレビやほかのメディアで「日本の技術はこんなにすごいんだぞ」と自分で自慢する記事や番組をよくみかける。中には外国人を日本に呼んで彼ら彼女らが驚くところを見て喜ぶという悪趣味な番組もあるが、では日本に来た外国人が帰って日本のやり方を真似するかといえば多分しないだろう。自分達にはできないと思っているのか、それとも「そこまでやる必要はない」と思っているのか。あさっての方向に対して費やされた努力は努力のうちには数えられない。日本の消費者が求める方向とは合致しているのかもしれないが、海外から見たときにはあさっての方向に進んでいるようにしか見えないことがある。これがガラパゴス化だ。縮小しつつある一億二千万人の市場のために70億人の市場は捨てるのだ、という経営判断をするというならそれはそれぞれの企業の自由だが。
例えば日本が誇る新幹線だが、輸出市場で負け続けているのはすでに述べたとおりだ。先頭車両の微妙な形状を打ち出し板金で加工していて、これは日本でないとできない技術だと誇っているが、広々とした土地にゆったりと線路を敷き、上下線の間隔もたっぷり取られ、ほとんどトンネルはなくあったとしても断面積に充分な余裕があれば、先頭形状はそれほど気にすることはない。日本のように狭い土地で上下線の間隔は必要最低限とし、トンネルが多くしかも断面積がぎりぎりの大きさという条件だから、高速でトンネルに入ったときの微気圧波が問題になるのだ。そのために車両メーカーや鉄道総研では時間と費用をかけて最適な先頭形状を追い求めているが、前提となる制約がないところでは要らない努力だ。
日本の技術力の象徴である戦艦大和と零戦だが、実は海外では日本で言われているほど評価は高くない。アメリカ人にとって第二次世界大戦で最強の戦艦は大和ではなく自国のアイオワ級であることは疑いの余地はなく、イギリス人はそれを横目で見て否定も肯定もしない、というのが良く見られる図式だ。いまとなっては確かめようもないことだが、特にアメリカでは大和級での主砲の初速が低いことを問題にして、長砲身の16インチ砲を搭載するアイオワ級は砲戦力では大和級にひけをとらない、というのが大方の評価らしい。砲戦力が互角となるとそのほかの性能、特に速力の違いが優劣に影響する。結論としてアイオワ級のほうが強い、という論法だ。この理論をはっきりと否定するのは難しい。また零戦にしても、開戦当初は神秘的な格闘戦性能で連合軍の空軍をパニックに陥れたが、やがて実機を捕獲するなどして研究が進むとF4Fワイルドキャットでも戦術によって充分対抗できることがわかり、パニックも収まった。当時としては優秀な戦闘機ではあったが、無敵ではなかったというのが(日本以外での)最大公約数的な評価だろう。

さて潜水艦に話を戻して、今回日本とコンペになったのはドイツとフランス。どちらも潜水艦の輸出大国だ。この顔ぶれに日本が伍していけるのは、ドイツとフランスの輸出向け潜水艦のサイズが2000トン程度と中小型で、オーストラリアが求めている4000トン級の潜水艦についてはこれまでほとんど実績がなかったからだ。日本が現に建造しつつある潜水艦が、オーストラリアが求めるサイズに(西側通常動力潜水艦として)唯一合致する。どうしてこれまでドイツやフランスの輸出潜水艦のラインナップにこのサイズが無かったかといえば、単純に市場で需要が無かったのだ。現在の潜水艦市場での売れ筋は1000トンから2000トン程度。4000トンの潜水艦を求める国はほとんどない。売れ筋商品に対してラインナップが厚くなるのは当然だ。ドイツとフランスがそれでもオーストラリアへの商戦に参入したのは、これまで充分な実績のある2000トン型を拡大した新型商品でも、輸出実績のない日本には渡り合えると踏んだのだろう。
ところで最近、雑誌などで主要潜水艦の雑音放射レベルを図示したものとされるグラフを見ることがある。ロシア海軍から流出したものという触れ込みで、もっぱら中国の潜水艦の雑音放射レベルがロシアのものに比べてまだまだ相当大きいということを示すために使われているようだが、そのグラフを見て三十一が気になったのは、日本の潜水艦の雑音放射レベルが比較的高いところにプロットされていること。根拠は確かめようがないのだが、日本国内では「世界一静粛」とされる日本の潜水艦は実は言われるほど静粛ではないのかもしれない(日本人が日本製品に対して「世界一」というのはあてにならない、というのは経験則だ)。これが事実かどうかに関わらず、どこかの営業担当者が自社の(または自国の)製品の優秀さをアピールするのに使われたかもしれない。
売り込みにかかった日本の担当が企業なのか商社なのか、外務省なのか経済産業省なのか防衛省なのか防衛装備庁なのか知らないが、「日本の潜水艦は優秀でだから絶対売れるはずだ」という思い込みは一度捨てて虚心坦懐に自分の強みと弱みと相手の希望を見つめ直してみるべきだったろう。次があるなら教訓にしてほしい。


これまで日本が生み出してきた製品の中で、これだけは間違いなく自慢していいと言えるものが無いか、と考えてひとつだけ思いついたものがある。

「ウォークマン」だ。

音楽を持ち歩く、という発想はまったく新しいものだ。これが拡張されて現在の携帯電話やスマホにつながる「モバイル」「ウェアラブル」という文化が生まれた。ちまたに溢れる「歩きスマホ」を見ると辟易させられることもあるが、世界を変える出発点になったことは間違いない。
逆にいうとこれ以外に思いつかなかった。

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2016年1月15日 (金)

トップの殉職

検索キーワードとかアクセスランキングが妙な動きを示していたので調べてみたところ、君塚元陸将が昨年末に亡くなっていたことが影響していたようだ。
君塚栄治元陸将は先代の陸上幕僚長で、2011年3月の東日本大震災当時は東北方面総監の職にあり、統合任務部隊の指揮官として災害派遣にあたる陸海空自衛隊の部隊を指揮した。2011年8月に陸上自衛隊制服組トップの陸上幕僚長に就任し、2013年8月に勇退したがそれからわずか二年あまりの昨年12月28日に亡くなった。63歳。

突然の訃報と、死因が公表されていないことから一部では「放射線障害によるものではないか」との憶測が飛び交っており、中には断定的に伝える人もいる。
ピーク時で10万人規模にもなった統合任務部隊の指揮官である君塚陸将(当時)は、ときに現場に視察にでることはもちろんあるだろうが、基本的には司令部である東北方面総監部に位置して指揮をとっていたことは間違いない。東北方面総監部は仙台駐屯地に所在する。「放射線障害云々」を取り沙汰するような人々は「指揮官」というものにどんなイメージを持っているのやら。
さらに言うならば、「原子力災害」については大臣直属の中央即応集団が担当しており、君塚陸将率いる統合任務部隊とは指揮系統が異なる。通常の災害派遣と原子力災害対処とではまったく異なる対応が必要となり、それまで統合任務部隊に背負わせるのは負担が大きすぎると判断したのだろう。それぞれに緊急性の高い、しかし違う仕事を同時にこなすために、それぞれのアタマ(司令部)と手足(部隊)を別個に用意することとなった。君塚陸将はその一方のアタマであったのだよ。
当時の激務が寿命を縮めたという面はあるかもしれない。しかしだからと言って「放射線」と短絡的に結びつけるのは早計にすぎる。

ちなみに当時の中央即応集団司令官は宮島俊信陸将。この職を最後に2011年8月に勇退したが、まだ健在のはずだ。

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2015年11月 4日 (水)

相手の気持ちになって考えてみた

かつて「相手の気持ちになって考える」という記事でも指摘したのだが、そこでは中国や韓国の意図を把握することが必要だと述べた。
しかし個別の外交案件ではなく戦略的な外交安全保障政策を考えるときに、まずその意図を把握すべきなのは実はアメリカだ。

歴史的に、アメリカにとって極東政策の要になる国はふたつ。言うまでもなく日本と中国だ。
そしてアメリカが極東地域と関係を持ち始めた19世紀半ば以降、極東政策の基本路線はほぼ一貫して中国重視である。アメリカの極東政策が日本を軸に展開されたのは、セオドア・ルーズベルト大統領個人の日本びいきに依存した日露戦争前後の一時期と、中国が共産化してアメリカと対決姿勢をとり友好関係を築く術がなかった冷戦期だけで、マーケットの観点からも政治上の観点からも中国を重視するのがアメリカの基本的な極東政策と考えるべきであろう。大多数の日本人には聞きたくない話かもしれないがこれが現実だ。

アメリカ国務省の極東政策担当部局では親日派と親中派がしのぎを削っているが、だいたいにおいて親中派が優勢だ。現時点ではまだ日本の比重が大きいが、それは冷戦時代に日本との間に作り上げられた同盟関係と、その間に急速に成長した日本市場を捨ててしまうのが惜しいからで、どうしても中国と日本のどちらかを選んでどちらかを切り捨てなければいけない事態に陥ったときに、切り捨てられてしまうのは間違いなく日本だろう。逆に言うと、アメリカにはそういう選択が(究極的には)可能だということである。もちろん、アメリカ自身はそういう自らの立場を理解している。その上で日本と中国を両天秤にかけているのだ。実際にアメリカが日本を見捨てるというシナリオは近い将来にはないだろう。しかしこれは(特に日本に対して)強烈な外交カードとして機能する。日本からしてみれば、アメリカに見捨てられるという事態はただちに破滅を意味し、選択の余地がない。

冷戦終結後もしばらくの間日本の比重が大きかったのは、まずアメリカにとって日本市場のほうがうまみがあったからだ。開放直後の中国では主な需要は日用品などの軽工業品で、アメリカが強みとしている分野ではなかった。それに対して日本は精密機器や食糧といったアメリカが強い分野で需要があり、うまみが大きかった。しかしそうした質の違いはかなり薄れてきている。そうなると12億対1.2億という市場規模の違いが大きく響いてくる。実際、極東の政治情勢に関心の薄いヨーロッパ諸国は雪崩をうつように中国との関係強化に動いている。純粋に市場としてみたときに中国と日本とではもはや比較にもならないのだ。

市場として勝ち目がないとすると、アメリカをひきとめるためにはどうすればいいだろう。ヨーロッパ諸国は極東に政治的なコミットメントが無いから雪崩をうって中国重視に動いた。アメリカがそこまで極端に走っていないのは、「世界の警察官」であることをやめたとは言え極東に政治的に関わっているからだ。日本に関していうと、それが日米安保であり、安保を根拠として日本に保持している基地である。経済的なメリットで大きく見劣りするとしても、こうした利点が大きいとアメリカが考えるなら、日本を見捨てることはないだろう。つまり在日米軍基地は、「アメリカの戦争に日本が巻き込まれる」要因という見方もあるが、「日本の防衛にアメリカを巻き込む」ツールでもある。こうしたツールをうまく使うためには日米安保が「アメリカに守ってもらう」という受け身の姿勢から「アメリカに守らせる」という能動的な姿勢に切り替える必要があるだろう。ある意味、権謀術数を駆使するようなドライな発想をもって同盟国アメリカに対する場面があるべきだし、なくてはならない。

こうして「アメリカに見捨てられない」ための保険をかけつつ、引きつづきアメリカが日中を両天秤にかけ続けられる環境を維持して二者択一を迫るような場面が現出することを防止する。これを日本の基本戦略として想定したときに、米軍との連携強化は必然となる。

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