2008年4月 7日 (月)

火星に移住しよう

The Adventure of Many Lifetimes

Google とヴァージン・グループが合同で新しいプロジェクトを立ち上げた。今後100年で火星に恒久的なコロニーを建設するという。このために参加者を募集しているそうだ。

こちらはプレスリリース
Google and Virgin announce Mars expedition and colony

日本のマスコミは、発表が4月1日だからどうせジョークだとしてヒマネタ扱いだが、どうしてどうして、半分本気なんじゃないかと思う。実際にこんな組織を立ち上げることになるとは思わないが、問題提起を兼ねているんじゃないか。環境問題を解決するには、他の惑星に移住するのが根本的な解決策だというのは年来の三十一の主張とまったく一致する。種としての人類が絶滅するリスクも軽減できるだろうというのも我が意を得たりというところ。さて、どうやって参加申し込みしようかな。

大げさな、と思うだろうなあ。でも三十一は結構本気。

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2008年3月30日 (日)

大変だー(棒読み)

何を書くつもりだったのか思い出しました。

金曜のことになるが、北朝鮮が黄海で短距離対艦ミサイルを発射したというニュースが流れていた。

北朝鮮、短距離ミサイル発射 核開発は改めて否定 (asahi.com)

(略)韓国政府によれば、北朝鮮は28日午前、黄海で3発の短距離艦対艦ミサイルを発射した。韓国軍合同参謀本部は「通常訓練の一環」と説明している。

このニュースを見て激しく既視感に襲われた。なぜならもう5年以上前にこんな記事を書いているからだ。今回使用されたミサイルがシルクワームであるかどうかは不明。だが仮にシルクワームでなかったとしても、せいぜい中国製のYJ-2くらいが関の山。というわけで5年前とほとんど論旨を変える必要はない。論旨を変える必要がないということは、それだけ進歩がなかったということで哀しいことだが。
ところで、文中の「福田官房長官」というのは今の内閣総理大臣閣下のことである。時代を感じるなあ。

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2008年3月18日 (火)

チベット騒乱

チベットで暴動があって、中国政府の発表によると13名が死亡したとか。

てえことは、その10倍は犠牲者が出てるんだろうなあ。

全人大の真っ最中で、北京オリンピックを控えているというこの時期にこういう事件が起こったということで中国首脳部は頭を抱えていることだろう。中国政府が主張している「ダライ・ラマ一派の策謀だ」を、果たして彼ら自身がどれくらい信じていることやら。

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2008年1月31日 (木)

パキスタンとネパール

去年の年末のことだが、パキスタンのブット元首相が暗殺された。
ほぼ同じタイミングで、ネパールで王制の廃止がほぼ確定したという。
南アジアで大きなニュースが続いたわけだ。関連があるわけではないが、まとめて論評してみよう。

パキスタンのムシャラフ大統領は、正直いってブット元首相を入国させたくなかっただろう。帰国を許可したのはひとえにアメリカの圧力による。アメリカにとってパキスタンはアフガニスタンへの足がかりとして死活的に重要な国になっているが、逆に言えばパキスタンはアメリカの支持によって支えられているということになる。アメリカの要求は無碍に断れない立場にあるのだ。
つまり、ムシャラフ大統領にしてみればブット元首相の入国は認めざるを得ない。認めたからには安全を確保しなければならない。彼女の身に危害が及んだとき、アメリカの態度が厳しくなることは間違いない。ムシャラフにとってそれは最も避けなくてはいけないことだ。
ブット元首相を入国させておいて殺す、というのはムシャラフにとって最悪の下策でしかない。もしこの殺害がムシャラフの指示によるものだと明らかになったら、アメリカから見れば裏切り行為である。一気に支持を失ってしまうだろう。
考えられるのは、ムシャラフの統制が及ばない跳ね上がりの反米主義者の犯行、ということだろう。ムシャラフはなんとしてでも犯人を捜し出して自らの無実をアメリカに向かって証明しなくてはいけない。

2001年6月のことだが、ネパールで当時の国王を含む多数の王族が皇太子に射殺され、皇太子も自殺するという衝撃的な事件が起きた。殺害されたビレンドラ国王は国民の信望も厚く、皇太子ディペンドラ王子も将来を期待されていた。突然生まれた王室上部の空白によって国王の椅子を得たのは国王の弟ギャネンドラだった。現国王である。その当時からこの事件はギャネンドラの陰謀ではないかという風評は絶えなかった。
そういう事情もあってギャネンドラ国王の評判ははじめからあまり良くなかった。おまけにギャネンドラは棚ぼたのように手に入れた王位を乱用し始めた。議会を停止し、憲法を停止し、内閣を解散して国王独裁制を布いた。表向きの理由はマオイストなどの反政府勢力に対抗するためということだったが、結局はより幅広い反政府運動を引き起こすことになった。ついにギャネンドラ国王は自力での政権安定化を断念、議会を復活させて政権を委ねることになった。その最終的な帰結が、議会による王制廃止合意である。
2001年6月の事件からは、結局誰も得することがなかったということか。

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2007年11月19日 (月)

中国共産党第17回党大会

やや旧聞に属するが、5年に一度の中国共産党第17回大会が先月行なわれた。引き続き開かれた1中全(第一回中央委員全体会議)と合わせて、13億の「中国人民」を今後5年間率いる指導層人事が確定したわけだ。
胡錦涛(64)が党総書記に留任したのはまったくの既定路線である。むしろ興味をひかれるのは、次(つまり5年後)の党大会での胡錦涛の去就だ。69歳になる胡錦涛は「70歳定年」に近くなる。ここで後継者がきちんと育っていれば席を譲るだろうし、育っていなければもう一期5年つとめるだろう。
つまり、今回の党大会でもっとも興味を集めたのは、近い将来胡錦涛が総書記の座を譲るべき後継者候補の顔ぶれである。来期に総書記を譲ろうとするなら、今期には少なくとも政治局常務委員または政治局員には名を連ねておく必要がある。新任の常務委員の中でその条件を満たすのは2名。李克強(52)と習近平(54)である。それぞれ遼寧省党書記、上海市党書記の役職を経ている。地方の党書記というのは、例えば市長や省長といった地方組織(日本のように「地方自治体」とはとても呼べない。「自治」はないからである。中国では人民政府と呼ぶ)の長よりも上位の実質的にその地方のボスである。地方の党書記を経て中央に抜擢というのは、実は胡錦涛が通ってきた道である。違う点と言えば、胡錦涛はチベット自治区とか貴州省といった後発地域の開発に手腕を発揮してきたのに対し、彼らは沿海部の先進地域を地盤にしてきたということである。
もう一点、注意すべきは彼らのうち習近平は「太子党」つまり党高級幹部の子弟であるということだ。「習」という苗字は中国でもそれほど多くない。従って彼の父親が習仲勲であろうことは容易に想像できたし実際そうであった。
いずれにせよ、胡錦涛の後継者レースに現時点でトップに立っているのはこのふたりだ。胡錦涛が江沢民の後継者に抜擢されたときには、実際にはレースの決着はついていた。胡錦涛が政治局常務委員に名を連ねた時点で、誰がどうみても後継者は明白だったのである。しかし少なくとも今回は違う。どちらが先んじてもおかしくないし、場合によってはふたりとも落第ということもあり得る。今後5年はこのふたりにとって正念場であろう。

さて、前期の政治局常務委員9名のうち、留任したのは5名。黄菊が今年の夏に亡くなっているので、3名が退任して新たに4名が選出された。常務委員の数を以前のように7名(多数決の関係で奇数にする慣例)に戻すのではないかという観測も一部にあったようだが、結局は9名を維持するだろうという意見のほうが強くそして正しかったわけだ。留任したのは胡錦涛、呉邦国(66)、温家宝(65)、賈慶林(67)、そして李長春(63)。退任したのが曽慶紅(68)、呉官正(69)、羅幹(72)である。つまり、中国の党および政府の核心である党総書記(胡錦涛)、全人大委員長(呉邦国)、国務総理(温家宝)、政協主席(賈慶林)と、5年後でも70歳に届かない李長春を残してあとは入れ換えた、ということになる。
新任はヒラの中央委員から抜擢された習近平、李克強のほか、政治局員からの昇進になる賀国強(64)中央組織部長、周永康(64)公安部長。来年のオリンピックに備えて組織と治安の引き締めを狙ったのかと邪推したくなる。もっとも、賀国強は中央組織部長を退任して、代わりに李源潮が就任しているが。

もうひとつ気になるのは中央軍事委員会の人事。中央軍事委員会には党の委員会と国家の委員会があって、その顔ぶれは同一であるのが原則だが国家の中央軍事委員会人事を決定するのは党大会の半年後に開催される全人大だから、これから半年の間はふたつの顔ぶれにはズレが生じる。だがそのズレが修正されるのは時間だけの問題だからあまり問題にされない。むしろ問題なのは軍内の人事とズレてしまうことで、逆にこの顔ぶれから近い将来の軍人事を推測できるという利点もある。前期の軍事委員会は2004年9月の4中全会で大幅に改編され、江沢民に代わって胡錦涛が主席になったり委員が倍増されていたりするのでその点は異例であるが。
軍事委員会主席は胡錦涛の留任。副主席のうち国防部長の曹剛川が退任し、郭伯雄徐才厚副主席は留任した。委員のメンバーは梁光烈(留任)、陳炳徳(留任・総参謀長)、李継耐(留任・総政治部主任)、廖錫龍(留任・総後勤部長)、常万全(総装備部長)、靖志遠(留任・第二砲兵司令員)、呉勝利(海軍司令員)、許其亮(空軍司令員)。前期は副主席3名、委員7名だったのが副主席2名、委員8名となった。なお、主席の胡錦涛を除く全員が軍人(上将)で、これは前期も変わりない。顔ぶれに大きな変更はなく、軍種司令員が代替わりした他、新任の総装備部長が補充されたくらい。国防部長・総参謀長・総政治部主任・総後勤部長・総装備部長の「5役」と、第二砲兵・空軍・海軍の「3軍種」司令員で委員を構成するという意図が見える。
さて、この中から曹剛川に代わる次の国防部長が任命されるのは間違いない。これまでの慣例からすれば国防部長が副主席を兼ねるのが一般的なので、前総政治部主任である徐才厚が国防部長という線が考えられるのが、実は無役で前総参謀長の梁光烈が国防部長になる可能性が高い。そうすると、国防部長の地位が軍委副主席からヒラの軍委委員に格下げされることになる。これを国防部の地位低下と見るかどうかは微妙だ。かつては軍委の軍人副主席2名が国防部長と総参謀長をつとめるのが慣例とされた時代があったが、胡錦涛時代になって軍委副主席が3名となり、うち1名が国防部長を兼任し、総参謀長はヒラ委員の兼任となった。今回、軍委副主席2名が専任となり、国防部長と総参謀長がヒラ委員となったとすると、組織上の軍トップの上にさらに2名の軍人が顧問格で座るということになる。国防部長の軍内での相対的な地位低下は、軍そのものの重みが増していることを示さないか。少なくとも、そういう推測を許すのである。

11/22追記:
軍委委員の軍職がかなり間違ってました ^^; どこを見て書いたんだろうなあ>自分。修正してあります。

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2006年11月29日 (水)

「シーア派」

三十一的には、「シーア派」がその名をとどろかせたのはあのイラン革命だが、考えてみればあれからすでに四半世紀が経ったというわけだな。
そういう経緯もあって「シーア派」と言えば「原理主義な過激派」という印象が強いのだが、実際には近頃ニュースを騒がせているイスラム原理主義者はほとんどスンニ派なのである。ただシーア派はイランを除いたほとんどの国で比較的少数派であって、差別的待遇を受けることが多いから過激な行動に走ることが多い。プロレタリアートが共産主義に走るのと同じ構図か。

読んで興味深かったのが、これまでほとんどの国で少数派に位置におかれ、いわば「自分の国を持たなかった」シーア派がもっていた国境を越えた連帯のようなものが、革命イランの成立によって「シーア派信徒間の共闘」が「国家としてのイランへの援助」とかなりの部分重なるようになってしまったためかえって単純に行いづらくなったという分析だ。その結果、イラン以外でのシーア派はむしろ「ペルシャに対するアラブ(あるいはそれぞれの民族)」としてのアイデンティティをより強く意識するようになったという。
シーア派中心のイラン革命が逆にシーア派の求心力を減退させた、ということか。

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