2017年1月14日 (土)

わたしマツワ、いつまでも松輪。

千島列島の中部に位置するマトゥア島(日本名・松輪島)にロシア軍が拠点構築のための現地調査を行なったとか。

昔、戦史叢書の該当する巻(北東方面陸軍作戦2)を読んだことがあるので多少の予備知識はある。もっとも、いまその本はすぐに取り出せないので以下の記述はもっぱら記憶に頼ってしまうことになるのだが。

もともと、松輪島(以下この表記で通す)には日本軍が大戦後期に滑走路を建設して守備隊を置いていた。ロシア軍は日本軍が建設した滑走路跡を再生できないかと考えたようだ。
千島列島は全島が比較的若い火山島からなり、平地がほとんどない。特に中部千島は火山がそのまま海中から突き出しているような様相で、滑走路適地となるような平地はおろか上陸も困難な地形が支配している。そのなかで松輪島にはかろうじて滑走路を建設できそうな地積が存在した。松輪島はおおむね楕円形を成しており、北西側は火山が占めているが南東側には比較的緩やかな裾野がのびている。この緩斜面上におよそ1200メートルの滑走路が建設された。
しかし滑走路は建設されたものの、支援設備を建設するような後背地に乏しく、中継地あるいは不時着場、せいぜい少数の哨戒機基地程度にしか利用されなかったようだ。またこの付近の天候は航空機の活動に不向きで、夏季は濃霧が覆い、冬季は海流の影響で緯度のわりには温暖だが季節風が激しく仮設の建築物がしばしば破壊されるほどだったという。
それから、松輪島には輸送船が接岸あるいは停泊できるような湾入がほとんどなく、沖合いの雷公計(らいこけ)島との間に「大和湾」と呼ばれる泊地があったが「湾」とは名ばかりで風波が多少しのげる島影でしかない。本格的な補給のためには防波堤と桟橋を備えた港湾施設をまったく新規に建設する必要があるが、もちろん当時の日本にそんな余裕はなかった。

ロシア軍がオホーツク海を聖域化しようとするならば千島列島中部に監視拠点が必要になるが、実際のところ候補となり得るのは松輪島しかない。だからソ連時代にはこの島に守備隊が配置されていたのだが、ソ連崩壊後に撤退して長らく無人となっていたようだ。ロシア軍にどこまで投資するつもりがあるのか、つまりどの程度の規模の滑走路を建設するのか、また港湾設備を整備するのか、しばらく注視する必要があるが、三十一の個人的な予測では中継・監視拠点としての整備にとどまるのではないか。2000メートルにも満たない滑走路を建設するのがせいぜいの、さほど大きくもない島を大々的に開発するのはコストパフォーマンスが悪すぎる。どうしてもそうせざるを得ない理由があるならコストを度外視して(中国が南シナ海でやっているように)大工事に踏み切るだろうが、千島列島線の両端にあたるカムチャツカと南千島(択捉)に拠点はすでに建設済み、あるいは整備中であるから、これをつなぐ、あるいはギャップをふさぐ程度の機能があれば足りる。
そもそも松輪島の火山は最近もしばしば噴火を起こす活火山で、大規模な投資をするにはリスクが高すぎる。

大戦末期、日本軍は松輪島に7000人から9000人程度の守備隊を置いていたが、上陸してきたソ連軍に無抵抗で降伏した。縦深陣地を構築できる地積がなく、遅滞戦闘が可能な後背地もない孤立した小島では、優勢な敵に対してなすすべがなかっただろう。

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2015年11月 4日 (水)

相手の気持ちになって考えてみた

かつて「相手の気持ちになって考える」という記事でも指摘したのだが、そこでは中国や韓国の意図を把握することが必要だと述べた。
しかし個別の外交案件ではなく戦略的な外交安全保障政策を考えるときに、まずその意図を把握すべきなのは実はアメリカだ。

歴史的に、アメリカにとって極東政策の要になる国はふたつ。言うまでもなく日本と中国だ。
そしてアメリカが極東地域と関係を持ち始めた19世紀半ば以降、極東政策の基本路線はほぼ一貫して中国重視である。アメリカの極東政策が日本を軸に展開されたのは、セオドア・ルーズベルト大統領個人の日本びいきに依存した日露戦争前後の一時期と、中国が共産化してアメリカと対決姿勢をとり友好関係を築く術がなかった冷戦期だけで、マーケットの観点からも政治上の観点からも中国を重視するのがアメリカの基本的な極東政策と考えるべきであろう。大多数の日本人には聞きたくない話かもしれないがこれが現実だ。

アメリカ国務省の極東政策担当部局では親日派と親中派がしのぎを削っているが、だいたいにおいて親中派が優勢だ。現時点ではまだ日本の比重が大きいが、それは冷戦時代に日本との間に作り上げられた同盟関係と、その間に急速に成長した日本市場を捨ててしまうのが惜しいからで、どうしても中国と日本のどちらかを選んでどちらかを切り捨てなければいけない事態に陥ったときに、切り捨てられてしまうのは間違いなく日本だろう。逆に言うと、アメリカにはそういう選択が(究極的には)可能だということである。もちろん、アメリカ自身はそういう自らの立場を理解している。その上で日本と中国を両天秤にかけているのだ。実際にアメリカが日本を見捨てるというシナリオは近い将来にはないだろう。しかしこれは(特に日本に対して)強烈な外交カードとして機能する。日本からしてみれば、アメリカに見捨てられるという事態はただちに破滅を意味し、選択の余地がない。

冷戦終結後もしばらくの間日本の比重が大きかったのは、まずアメリカにとって日本市場のほうがうまみがあったからだ。開放直後の中国では主な需要は日用品などの軽工業品で、アメリカが強みとしている分野ではなかった。それに対して日本は精密機器や食糧といったアメリカが強い分野で需要があり、うまみが大きかった。しかしそうした質の違いはかなり薄れてきている。そうなると12億対1.2億という市場規模の違いが大きく響いてくる。実際、極東の政治情勢に関心の薄いヨーロッパ諸国は雪崩をうつように中国との関係強化に動いている。純粋に市場としてみたときに中国と日本とではもはや比較にもならないのだ。

市場として勝ち目がないとすると、アメリカをひきとめるためにはどうすればいいだろう。ヨーロッパ諸国は極東に政治的なコミットメントが無いから雪崩をうって中国重視に動いた。アメリカがそこまで極端に走っていないのは、「世界の警察官」であることをやめたとは言え極東に政治的に関わっているからだ。日本に関していうと、それが日米安保であり、安保を根拠として日本に保持している基地である。経済的なメリットで大きく見劣りするとしても、こうした利点が大きいとアメリカが考えるなら、日本を見捨てることはないだろう。つまり在日米軍基地は、「アメリカの戦争に日本が巻き込まれる」要因という見方もあるが、「日本の防衛にアメリカを巻き込む」ツールでもある。こうしたツールをうまく使うためには日米安保が「アメリカに守ってもらう」という受け身の姿勢から「アメリカに守らせる」という能動的な姿勢に切り替える必要があるだろう。ある意味、権謀術数を駆使するようなドライな発想をもって同盟国アメリカに対する場面があるべきだし、なくてはならない。

こうして「アメリカに見捨てられない」ための保険をかけつつ、引きつづきアメリカが日中を両天秤にかけ続けられる環境を維持して二者択一を迫るような場面が現出することを防止する。これを日本の基本戦略として想定したときに、米軍との連携強化は必然となる。

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2015年5月30日 (土)

「昭和戦後史『再軍備』の軌跡」/「国際秩序」

1980年から翌年にかけて読売新聞に連載されたものをまとめたもの。
を、さらに再刊したもの。

取材のタイミングではまだ当時の関係者の多くが存命で、しかもそれなりに時間が経っており当時の事情をわりと率直に語ってくれていたようだ。例えば朝鮮戦争に日本の掃海艇部隊が参加していたことが公になったのは1978年のことである。これより早くても遅くても、取材は難しかっただろう。

ここで日本再軍備について詳しく触れるつもりはない。ただ読んで思ったことは、こうした重大な政策転換が行われるに際して、ほとんど国内の政治的なかけひきと、米軍からの外圧しか語られていないという事実で、実際の国際情勢については(連載当時冷戦は周知の事実だったせいもあるだろうが)、ほとんど触れられることがない。これは取材にあたった政治部記者の発想法によるものだろうか。それとも実際に再軍備は国内政治だけの事情で決まったんだろうか。こうした傾向はいまも変わっていない。

いずれにせよ、再軍備がどう進められたかをこの時期に振り返るのは意味がないことではないだろう。

続けて読んだのは実は偶然なのだが、結果としてよかったと思う。軍備と国際関係というものについて関連付けて考えることができたからだ。実はこの本も少し古くて、まだ民主党政権時代に出ていた本なのだが読みかけになっていたものを改めて読み始めた。はじめのうち少し読みづらかったのだが、読み進めるうちに慣れてきて気がついたら読み終えていた。

著者は国際秩序を保つシステムを3つの体系からなっていると分析している。
ひとつは「均衡の体系」で、古典的なバランスのモデルである。このモデルの利点は「価値観」や「規範」を共有していない勢力の間でも機能するということだ(「力」の価値だけが共有されているとも言える)。しかしこのモデルが依拠している「バランス」はそれぞれの主観でしかない、ということは意外に忘れられがちだ。どちらかにとって適正なバランスは、相手にとっては明白な劣勢と受け取られるかもしれない。そうすると劣勢と考える側はバランスを戻そうとする。その結果相手側はバランスが崩れたと考え、ついには軍拡競争に陥るというシナリオが想定される。行き着くところはバランスを実際にに検証する、つまりは戦争となる。第一次世界大戦はこうして始まった。
ふたつ目は「協調の体系」で、ある程度の均衡の上で交渉(外交)によって互いの利害を調整し、破綻を防止しようとするものである。そのためには、「相手の利益は自分の不利益、相手の不利益は自分の利益」というゼロサムゲームから脱しなければいけない。しかし互いの力関係があまりにアンバランスだと、協調は生まれにくい。均衡のない協調は脆弱であり、協調のない均衡は危険だ。
そしてみっつ目が「共同体の体系」で、各国が共通の規範や目的のためにより大きな枠組みを構築しようとする試みである。国際連合とか欧州連合はそうしたものの実例だ。ただしそこにはすべての参加国がひとしく尊重できる価値観や規範が必要になる。国際連合はもともと第二次世界大戦における連合国を戦後組織化したものだが、連合国はその戦争目的を「全体主義から民主主義を防衛する」としていたから、その基本理念として民主主義を掲げている。もっとも現時点では必ずしも民主主義とはいえない国も加盟しているが。

著者はおそらく「共同体」に期待しているのだろう。もちろん、こうした取り組みで安全保障上のリスクを下げて行く試みは続けていかなくてはいけない。しかし著者も指摘しているが、こうした考え方はいわゆる「ソリダリズム」を前提としている。
「ソリダリズム」とは、現在はさまざまな価値観を持っている人々(国々)も、時間をかければ最終的にはひとつの至高の、共通の価値観に帰結するというある種理想主義的な考え方だ。つまり現在の世界には民主主義国ばかりではなく独裁国家や非民主主義国家もあるが、時間さえかければこれらの国々も遅かれ早かれリベラルな民主主義国家に行き着く、と考えるのである。
しかし実際には、特に同時多発テロ以降、こうした楽観的な考え方に信憑性が薄れてくる。結局どこまでいってもすべての国が同じ価値観をもつようになることはない(かもしれない)という一種の悲観論だが、現状を受け入れる現実主義でもある。これを「プルラリズム」と呼ぶ。気をつけなくてはいけないのは、いわゆる「多元主義」は「多様な価値観を尊重しなければいけない」という考え方をみんなが持つべきだという点で「ソリダリズム」的な要素を含んでいるということだ。

日本(に限らずどんな国でも)が自国の軍備を考える際には、現在の国際社会の安定と秩序をどういうシステムで維持し、その中で自国をどう位置づけるかというグランドデザインが必要になるはずだが、知るかぎり日本の政治家から出てきたことはない。

もう先週になるがNHKで集団的自衛権について議論していた番組を、録画しておいたものをさっき改めて見直したのだが、いわゆる批判側の参加者が元官僚と学者で、法理論と具体的なケースを明示することにこだわり、想定外の事態に対応できるためのお墨付き作りを目指す政治側と議論がかみ合ってないなあと思った。

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2014年4月13日 (日)

ちからを合わせて

ちょっと前に集団安全保障に関する記事を書いたけれど、国家安全保障政策の策定にともなって「軍事研究」誌に洗(あろう)元陸将による解説が掲載された。

目からウロコが落ちるような気がしたのは、「一国平和主義」に固執する日本は「極東の不安定の元凶」という指摘で、言われてみれば確かにその通りだと思った。

日本のような先進国にとって、侵略戦争は何の利益ももたらさない。戦闘による不安定状態は、自由で安定的な貿易の阻害要因となり特に日本のような貿易立国国家にとってはマイナスでしかない。国際関係の不安定さが利益になり得るのは現在の国際システムから利益を享受しきれていないと思っている一部の途上国だ。
先進国にとっての国益は基本的に現状維持、紛争の抑止になる。具体的には一部の途上国による現状変更、あるいはそのためのきっかけとなる不安定化の試みを阻止することが安全保障政策の究極的な目的のひとつだ。これまで防衛政策の目標として掲げてきた「日本の独立、領土、国民、財産の安全」はその延長線上にある。

とは言え、先進国といえども潤沢に防衛費を使えるわけではない。そういう点ではむしろ人件費が安く、高い成長率を続けている途上国側に有利な情勢だ。これまで先進国では装備の高度化で人件費をおさえてきたが、研究開発費も高騰してきており、技術的な格差も縮まりつつある。こういう傾向は今後しばらく(おそらくは数十年単位で)継続するだろう。現在の国際システムの維持が国益となる先進諸国にとっては、この共通の利益にむかって共同行動をとる必要があるだろう。それはすなわち集団安全保障体制ということになる。

参加国の立場から考えると、集団安全保障のメリットは自国の防衛に対して他国の助力が得られるという点にあり、それはつまり単独での防衛力をそれだけ節約できるということにつながる。単独で他国を侵略するほどの戦力はもたず、自国の防衛については集団安全保障体制下の参加諸国全体で対処できる。「攻撃」と「防御」で使用可能な戦力に大きな違いができるということだ。侵略的な攻撃行動に対しては同盟国の理解や協力を得られる見込みはない。少なくともかつてのワルシャワ条約のような衛星国を動員するのでないかぎりは、あり得ない。

日本(他の国でも同じことだが)による侵略を懸念しているが日本そのものの弱体化を望んでいるわけではない国にとっては、日本が集団的安全保障体制に入って大きな体制に組み込まれ、一国の戦力を節約するいっぽうで防衛の実効性を高めるのはむしろ歓迎される事態だろう。集団的安全保障体制に入らず、単独での防衛力整備を目指しつづけるなら、結局は周辺の軍事大国に対してはある程度の抑止効果しかもたず、軍事大国というほどではない周辺諸国に対しては警戒感を高める結果をもたらすことになりかねない。

だから日本はなんらかの(現在の日米安保よりももっと包括的な)集団安全保障体制に加入して防衛力の実効性を高めるようにするべきだと考える。そのためには、同盟内の他国が脅威にさらされたときに実力をもって援助する覚悟が必要になるが、その覚悟を示すことが抑止力になる。

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2013年7月20日 (土)

「尖閣喪失」


この本はわりと最近単行本で出ていたような気がするけど、早くも文庫化。実際に尖閣がもめているうちに稼ごうという魂胆だな。

著者の大石英司は、いわゆる架空戦記作家の中ではちょっと異色という認識を三十一はもっている。異色ということは「普通とは違う」ということで、良い方向にも悪い方向にもあり得るのだが、ここでは良い方向で普通とは違うという意味だ。
檜山良昭が「本土決戦」シリーズで架空戦記ブームを巻き起こしたのは三十一が中学生の頃。それから数限りない架空戦記が世に出されてきたが、志茂田景樹は論外としてもおおかたの傾向としては「史実では負けてしまった日本軍も、ここさえ直せばほら大勝利」というわかりやすいストーリーになりがちだ。ある意味それは読者である日本人の願望に寄り添った結果ではあるのだが、こんな本ばかり読んでいると頭が悪くなりそうだ。
しかし大石英司の場合は日本が負けるケースが少なくない。しかも結構見もふたもない負け方をする。これが現実だというのを突きつける。それがだめな人にはとことんだめだろうけど、面白いと思える人間には面白い。そして三十一は日本が負けるのを「面白い」と思える人間なのでありました。

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2013年6月17日 (月)

「英連邦」


昔、会社の先輩で「イギリスは古いものをずっと変えないから嫌い」という人がいたけれど、実は三十一はわりとイギリスが好きなのである。すくなくとも興味はある。そのきっかけはというと、やはり海軍という組織を語る場合にイギリス海軍をおいては語れないという現実があって、いやでもいろいろと調べているうちにその奥深さ(わけわからなさとも言う)にはまっていった。

イギリス連邦はもともと、カナダやオーストラリアなどの元英領の自治領がイギリス国王を共通の元首として戴く共同体だった。その頃の構成国はカナダ・オーストラリア・ニュージーランド・南アフリカ・アイルランドといった白人主流のコミュニティーの集まりだった。いわばイギリス出身者の県人会みたいなものだった。ところが第二次大戦が終わると、インドやアフリカ諸国、中南米諸国などの非白人国家が次々と独立する一方でイギリス連邦に加入してきた。いまやイギリス連邦は54カ国、数的には非白人国家が主流をしめるようになった。この間、インドはイギリス国王を元首に戴くことをやめて独自の大統領をもつ共和国となったが、イギリス連邦には残った。こうなるともはやイギリス連邦とは何か、という説明自体が難しい。近年はモザンビークやルワンダのようにかつて英領だったこともない国が加盟している。

本国イギリスがかつてに比べてはっきりと軸足をヨーロッパに移しており、イギリス連邦との関係は弱まる傾向にある。それでもイギリス連邦は、文化やスポーツ、教育システムといった基盤を共有する国々の集まりとして一定の存在感を示し続けている。著者が指摘しているのは、ヨーロッパやアフリカと言った地域的な集合でもなく、また特定の民族に依存するわけでもない、多様な地域や民族から成り立った集合体は、ある意味国際社会の縮図である。いまやイギリス連邦の唯一無二の共通基盤は、イギリス式民主主義の伝統であろう。

日本から見た時に考えさせられるのは、かつて日本が植民地にしたり「進出」したりしてきた東アジア諸国から日本はいまだに非難され続けているのに対し、数世紀にわたって植民地としてきた旧英領地域が独立したときに、かつての宗主国との関係の継続を求めて相次いでイギリス連邦に加盟を求めてきたという違いだ。このイギリスのしたたかさはもっと見習うべきだ。

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2013年3月17日 (日)

海の向こうの国会

中国の国会にあたる全人大が閉幕した。ちなみに日本では「全人代」と省略されることが多いけれども、現地では「全人大」以外の略称を見たことがない。フルネームは「全国人民代表大会」。「全国/人民/代表大会」か「全国/人民代表/大会」かの違いかな。

国家の重要人事が決まる大会ではあるのだが、大筋は去年の秋の党大会で決まってしまっているので、党大会に比べるとあまり興味がわかなかった。それでもいくつか想定外な人事があった。しかしまずは主要人事を概観しておこう。

国家主席・習近平 (1953生)
国家副主席・李源潮 (1950生)

全国人民代表大会常務委員会委員長・張徳江 (1946生)
全国政治協商会議主席・兪正声 (1945生)

国務院総理・李克強 (1955生)
国務院副総理・張高麗 (1946生)
国務院副総理・劉延東 (1945生)
国務院副総理・汪洋 (1955生)
国務院副総理・馬凱 (1946生)
国務院国務委員・楊晶 (1953生)
国務院国務委員・常万全 (1949生、人民解放軍上将)
国務院国務委員・楊潔篪 (1950生)
国務院国務委員・郭声琨 (1954生)
国務院国務委員・王勇 (1955生)

国家軍事委員会主席・習近平
国家軍事委員会副主席・范長竜 (1947生、人民解放軍上将)
国家軍事委員会副主席・許其亮 (1950生、人民解放軍上将)

一番意外だったのは、李源潮の国家副主席就任。李源潮は昨年の党大会で政治局常務委員に昇格しそこねてヒラの政治局員にとどまっていた。それが国家副主席という栄職につくことになったのは想定していなかった。これまでの国家副主席は、功労者の栄誉職的な位置づけか、さもなくば次代の指導者が当面その地位についている場合はほとんどだった。しかし李源潮はまだ現役バリバリで栄誉職につくような年齢ではない。とは言え、年齢的に習近平の後継者ということはあり得ない。昨年の党大会では共青団(共産主義青年団)派は上海派に破れたが、ここで巻き返しが奏功したのかもしれない。あるいは、習近平がやり損なった時のための保険か。

国務院では、総理の人事は既定路線。筆頭副総理は張徳江となった。現副総理で残留したのは張徳江のみ。王岐山は党中央紀律検査委員会書記に専念する。常万全は予想された通り国防部長に就任した。軍関係の人事はあまりおおっぴらに公開されていないが、漏れ聞こえてくる範囲においては、だいたいこれまでの想定通りに進んでいるようだ。

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2013年3月14日 (木)

「アフガン侵攻」


けっこう厚い本だけど、わりとさくさく読めました。
そこそこ予備知識があったせいかもしれないけど。

昔、秦郁彦編集の「世界諸国の制度・組織・人事」でアフガニスタンの項目を見ていたとき、歴代国家指導者の名前の横に"死亡"を意味する (x) というマークが並んでいるのを見て驚いたことがある。凡例としてはこの (x) マークには病死などの自然死も含まれているのだけれど、ここに限っては例外なく非業の最期を意味している。



1933年から40年にわたって王位にあったザヒル・シャー国王(21世紀に入ってから再度登場したが2007年に亡くなった)がイタリアを訪問している留守にかつての首相で王族のダウドがクーデターを起こして王制が廃止されたのが1973年。
1978年4月にダウドが殺害されて、共産党のタラキが大統領に就任するが、翌1979年9月にアミン首相に殺害される。反政府ゲリラを鎮圧するためにソ連軍の介入を要請したアミンだが、アフガニスタン国内に入ったソ連軍がまずしたことは、大統領宮殿を襲撃してアミンを権力からひきずりおろすことだった。この襲撃の過程でアミンは死亡する。アミンの代わりに大統領に就任したのはカルマルだが、ソ連が撤退を模索するにあたって障害になると考えられたため、1986年にナジブラに交代させられる。カルマルは病気治療の名目でソ連に亡命し、1996年にモスクワで病死する。後継となったナジブラは、1989年のソ連軍撤退後もしばらく政権を維持していたが1992年に首都カブールが反政府軍の手に落ちると、ロシアへの亡命を試みたが失敗してカブールの国連事務所にかくまわれていたが、1996年にカブールが今度はタリバンによって占拠されると国連事務所から引きずり出されて殺害された。
1973年から1992年までの20年間に5人の最高指導者が入れ替わり、そのうち4人が殺害されて1人が亡命したことになる。気をつけなければいけないのは、ソ連軍が侵攻したのは1979年12月で、その時にはすでにアフガニスタンは混乱状態にあったということだ。ソ連が侵攻したから内乱になったわけではないのだ。

ソ連のアフガニスタン侵攻は、それまでのデタント(緊張緩和)を吹き飛ばし、アメリカに強硬派のレーガン政権を誕生させ、1980年代の対決をもたらした。しかしソ連指導部にもソ連軍部にも、この介入を長期化させるつもりは最初からなかった。もともと介入要請はアフガニスタン政府(ダウドやタラキ)からあったものだが、ソ連は拒否し続けてきた。それが一気に介入に傾いたのは、アミンによるタラキ殺害がきっかけだった。ソ連はアミンを排除してもっとずっと穏健な政権を樹立させることを望み、そして実行した。

ソ連はアフガニスタンを16番目のソビエト共和国にしたかったわけではない。ただ、潜在的な不安定を抱えた中央アジア諸共和国のすぐ南側にアメリカやパキスタンの影響力の大きい政権が誕生するという悪夢を見たくなかっただけだった。だから、アフガニスタン政府が安定すればすぐ撤退するつもりだった。しかしソ連政府は、同じことを20年近く前にアメリカがベトナムで試みて失敗していたことを忘れていたか、あるいは見て見ぬふりをした。そしてアメリカと同じ過ちに陥ったのである。

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2013年1月19日 (土)

犯人は誰だ

真夜中の NHK のニュースでは画面の下に tweet が流れるのだが、アルジェリア軍が救出作戦を強行したことについて批判的な意見が多くてちょっと驚いた。

いやいや、悪いのはまずテロリストだろ。

今回のテロにかぎらず人質をとる目的というのは、人質をたてに何らかの要求をのまされるか、あるいは救出を強行して人質を危険にさらすか、どちらをとっても望ましくない二者択一を警察なり政府なりに強制することにある。つまり人質をとる側にすればどちらに転んでも得をするわけで、特にアルカイダのようなテロリスト集団にとっては実行者はいくらでも補充がきくので失っても痛くない。強行突入によって人質に死傷者が出てアルジェリア政府が非難されたり、外国企業が撤退したりするのは、テロリストからすれば望むところである。
ということは、強行突入を実行したアルジェリア政府を非難することはある意味でテロリストの思うつぼになってしまうということに気づくべきであろう。日本政府はアルジェリア政府に対して突入を中止するよう申し入れたということだが、知るかぎり日本以外の国がアルジェリアにそのような申し入れをしたという話は聞かない。ここでアルジェリア政府を窮地に追い込むようなことをしてしまうと、味をしめたテロリストが同じような行動に出かねないと知っているからだろう。状況が一段落した時点で振り返って批判したりするのはいいけれど、まだ事態が流動的な段階で非難がましく介入するのはどんなものか。

まず責めるべき相手を間違えてはいけない。

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2012年11月17日 (土)

あとちょっとだけ続きます

もう一度だけお付き合い願いたい。海の向こうの選挙のことである。

中央軍事委員会の顔ぶれが出そろった。
主席と副主席については既報だが、それらも含めて改めてまとめておこう。

主席:習近平 1953年生 59歳 党総書記/国家副主席(次期主席)
副主席:范長竜 1947年生 65歳 人民解放軍上将(2008年)、済南軍区司令員
副主席:許其亮 1950年生 62歳 人民解放軍空軍上将(2007年)、空軍司令員
委員:常万全 1949年生 63歳 人民解放軍上将(2007年)、総装備部部長(次期国防部長?)
委員:房峰輝 1951年生 61歳 人民解放軍上将(2010年)、北京軍区司令員(次期総参謀長?)
委員:張陽 1951年生 61歳 人民解放軍上将(2010年)、広州軍区政治委員(次期総政治部主任?)
委員:趙克石 1947年生 65歳 人民解放軍上将(2010年)、南京軍区司令員(次期総後勤部部長?)
委員:張又侠 1950年生 62歳 人民解放軍上将(2011年)、瀋陽軍区司令員(次期総装備部部長?)
委員:呉勝利 1945年生 67歳 人民解放軍海軍上将(2007年)、海軍司令員
委員:馬暁天 1949年生 63歳 人民解放軍空軍上将(2009年)、副総参謀長(次期空軍司令員?)
委員:魏鳳和 1954年生 58歳 人民解放軍中将、副総参謀長(次期第二砲兵司令員?)

現職はさまざまだが、これまでの経歴と名簿の序列から今後の補職はだいたい見当がつく。ちなみに現在の国防部4総部3軍種の顔ぶれは、

国防部長:梁光烈 1940年生 72歳 人民解放軍上将 (2002年)
総参謀長:陳炳徳 1941年生 71歳 人民解放軍上将 (2002年)
総政治部主任:李継耐 1942年生 70歳 人民解放軍上将 (2000年)
総後勤部部長:廖錫竜 1940年生 72歳  人民解放軍上将 (2000年)
総装備部部長:常万全 1949年生 63歳 人民解放軍上将 (2007年)
海軍司令員:呉勝利 1945年生 67歳 人民解放軍海軍上将 (2007年)
空軍司令員:許其亮 1950年生 62歳 人民解放軍空軍上将 (2007年)
第二砲兵司令員:靖志遠 1944年生 68歳 人民解放軍上将 (2004年)

中央政治局と比べてこっちはかなり若返った印象がある。

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