2009年12月 3日 (木)

2009年末のサクラ

そろそろじゃなかろうかと見ていたら、12月7日付の将・将補人事が公表されていた。今年最後のまとまった人事になるだろう。

将に関して言えば小幅で、陸だけとなった。勇退1名、昇進1名、その間で何人かが玉突きで異動している。

まとめると、
柴田幹雄・中央即応集団司令官(19期)=勇退
宮島俊信・統合幕僚学校長(20期)=中央即応集団司令官へ
渡邊隆・第1師団長(21期)=統合幕僚学校長へ
中川義章・中部方面総監部幕僚長(東京大22期相当)=第1師団長へ、陸将補より昇任

U出身の陸将が第1師団長、第2師団長(渡部悦和)と2名ならぶことになる。これはちょっと珍しいのではなかろうか。

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2009年10月28日 (水)

一夜明けて

一夜明けて状況が多少見えてきた。

基本的に航路上では右側通行というのが世界共通のルールだ。関門海峡も例外ではなかった。護衛艦"くらま"は艦首部分が押しつぶされてほぼ正面から衝突したことがわかる。いっぽう、相手船は船体右側面を損傷している。つまり、貨物船の右側に護衛艦がまっすぐつっこんだことになる。

事故の直接の原因は貨物船が取り舵をとっていわば対向車線にはみ出してきたこと、と断定して差し支えないだろう。問題はなんでそんな航路をとったかということだが、貨物船は海上保安庁の海上交通センターが「前方の船を左から追い越せ」と言ったのでその通り航路をとったのだと言っているらしい。海上保安庁もこの経緯は認めている。

ただし、それで貨物船側の責任が軽減されるかというとそんなことはない。
わかりやすい例えをすると、片側1車線の道路を車で走っているときに前に遅い車がいたとしよう。前の車が左に寄るとかウィンカーを点けるとか「追い越していいよ」という素振りを見せたとき、対向車線をよく確認しないで追い越しをかけて対向車と正面衝突したときに「だって追い越せって言ったから」という言い訳をする人がいますかね。まあいてもいいけど、相手にはされないよね。

北澤防衛大臣は昨夜から何度か記者会見をしていてその内容が防衛省のHPに掲載されているけど、目立つのは海上保安庁への気の使い方だ。海上保安庁の捜査の邪魔はしませんという態度に終始していて、それは"あたご"事件のときの自衛隊の対応に批判があったことへの回答であるに違いないが、この海保海自の関係というのはこのままでいいのかなあ。

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2009年10月27日 (火)

壇ノ浦

関門海峡で護衛艦"くらま"がコンテナ船と衝突して火災。2年前に同型の"しらね"が横須賀で火災を起こしていて、偶然だろうけど御難続きだ。

ひとつ気になっているのは、昔々にやっぱり関門海峡で衝突事故を起こした自衛艦があったような記憶がかすかにあるのだが、思い出せない。東京オリンピックのときのことだから三十一も生まれていない時代の話だ。

ああ、もやもやして気持ち悪い。

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2009年10月15日 (木)

Thunderbirds are GO!!

今日はちょっと早起きして、荷物を札幌駅のコインロッカーに放り込み8時前の快速エアポートに乗り込む。通勤客とは逆方向だが、それなりに混んでいたのでデッキに立つ。30分ほど乗って千歳駅で下車。南千歳でも新千歳空港でもなく千歳駅でおりたのは、こういう理由があったのだ。

広報・イベント情報 / 千歳基地 サンダーバーズ情報 (航空自衛隊)

知っている人にはいまさら言うまでもない、サンダーバーズはアメリカ空軍のアクロバットチームだ。ブルーインパルスの米空軍版というか、実はブルーインパルスがサンダーバーズの航空自衛隊版なのだが。おとといだったか、札幌駅でポスターを見かけて今日飛行展示があることを初めて知った。その筋の雑誌などではずいぶん話題になってたらしいのだが、まったく気にしていなかった。せっかく北海道にいるので観に行けるものなら行こうとそのとき思ったのだ。
シャトルバスで基地に向かう。平日のわりには人が集まっているなあ。基地のはずれのシャトルバス降り場からエプロンに歩く。最初に目に入るのはなぜか航空救難団のU-125とUH-60J。その奥の人だかりのしているところがサンダーバーズのF-16だろう。ここはエプロンの北の端なので、サンダーバーズの南側に回り込む。写真が逆光にならないようにだ。

Pa150011

久しぶりの航空祭なのだが、だいたい見慣れた風景だ。招待客用の雛壇、飲食物とグッズの出店、簡易トイレの行列、そして銀箱を抱えフライトジャケットを着込んだマニアと、ピクニック気分でレジャーシートを広げる地元民。今回のイベントが普通の航空祭と異なるのは、サンダーバーズのためだけに場所が用意され時間が与えられたということで、いわばサンダーバーズのワンマンショー。タイムスケジュールも、8時開場、10時30分グラウンドセレモニー開始、11時フライト開始、13時30分終了というコンパクトなもの。これはフライトが終わったら一斉に帰る観客で混雑するんだろうなあと今から覚悟を決める。
基本的には機体の整備とグラウンドクルーは米軍、会場の設営と案内・警備は空自の担当となっているらしい。サンダーバーズのサポートスタッフは機材一式をC-17輸送機に積んでチームに随伴しているのは知られたことで、右手はるかにそのC-17らしいものが見える。牽引車も米軍が持ち込んだものらしく、サンダーバーズと同じ塗装が施されているが、それだけでは不足するようで空自の牽引車を米側チームが運転していた。荷物運びに使っていたのだが、荷物の積み卸しがアメリカ人らしい"がさつ"さで、空自の牽引車整備担当者が見たら眉をひそめるのではないかと思った。感心したのは、観客の前にJBLの大型スピーカーをずらりと並べてナレーションがちゃんと聞こえるように配慮されていること。さすがエンターテインメントの国。ブルーインパルスのナレーションは音が割れててよく聞こえないことがあるからなあ。

まだ少し時間があるので、模擬店を物色して戻って来たらすでにウォークダウンは済んでしまってパイロットは乗り込んでいた。やがてタクシーから離陸。今回はちゃんとしたカメラも持っていないし、写真はプロに任せてできるだけ自分の目で見ることにしようと考える。あいにく雲は多いがシーリング(雲高)は高いので高さのある演技も問題ないだろう。予定されていた演目のうちいくつかはキャンセルされたようだが、大技も含めて堪能できた。馬力のあるF-16Cだけあって、力強い迫力のある演技だったと思う。最近、アクロバット業界(なんてものがあるかどうか知らないが)では小型で小回りの効く機体を使ったきめの細かい演技が主流らしい。日本のT-4ブルーインパルスもその流れだ。ここで演技の内容を詳しく説明することはしないし、しても虚しいだけだ。現物を見るか、ビデオでも買って見るのが吉。

案の定、演技が終わると大半の観客がぞろぞろと帰り始める。帰りのシャトルバスは長蛇の列だが、車両を多めに用意したのか割と進みが早い。並んでいる間に雨がぽつりぽつりと降って来たかと思ったら急に強くなった。一応折りたたみの傘を持って来てはいたのだが、混雑していたので濡れるに任せる。フライト中に降らなくてよかったと思っているうちに小降りになった。

千歳駅から札幌方面行きの快速エアポートに乗って札幌に向かう。本来の乗客である千歳空港利用客と、航空祭帰りの観客がまざって非常な混雑。新札幌まで来たところで面倒になって列車を降りて地下鉄に乗り換えることにする。このまま乗ってたほうが早く着くのはわかってるんだけど、ちょっとお試しということで。当然のことながら、地下鉄なので景色は見えず面白くもなんともない。ただ座ってゆっくり本が読めた。大通で南北線に乗り換え札幌駅へ。

今夜は釧路に宿をとっているので、一番近いスーパーおおぞらで東に向かう。指定席のほうが自由席よりもよいシートを使っているらしいので、この機会に指定席をとってみよう。座席指定を受け、荷物をコインロッカーから回収してホームへ。今回初めてのキハ283系だ。シートは確かに自由席よりも豪華だ。特に大きな頭もたれがついていて寝るのにはちょうどいい。隣の席ははじめ空いていたが、南千歳から乗り込んできた。あ、指定席だと隣が煙草のみだった場合に逃げられないんだった。もちろん禁煙なんだけど、服についた臭いだけで気分が悪くなるんだよなあ。本当に気分が悪くなったら自由席に逃げるしかないけど、結局ほとんどの区間を寝て過ごしてしまった。石勝線区間はほとんど寝てしまい、気がついたら新得。帯広を過ぎ、十勝川を渡るころには外は真っ暗。あとの残り区間は本を読んで過ごす。まあこの区間も何度目かわからないからなあ。明日は自由席にして窓際に座ろう。

今日の旅程:
札幌(0750)→千歳(0819) 3860M
千歳(1241)→新札幌(1302) 3885M
新さっぽろ→大通 札幌地下鉄東西線
大通→さっぽろ 札幌地下鉄南北線
札幌(1420)→釧路(1814) 4007D

10/16追記:
書くの忘れていたけれど、サンダーバーズの公開で待ち時間とか演技のBGMに音楽をかけていた。はじめのうちは空自で選曲したものをかけていたらしい、というのは初音ミクとかまじっていたので。フライトの少し前くらいからはサンダーバーズのほうで選んだ曲がかかっていたようだ。ちょっと気になったのでできるだけ注意して聞いていたのだが、やはりというか何と言うか、意地でもケニー・ロギンスの "Danger Zone" はかけるつもりはないようだ。普通の人には映画「トップガン」でおなじみだろう。日本のブルーインパルスでBGMに流されたりすることはあるけど、たぶんサンダーバーズのBGMに流されることは絶対にないだろう。なぜかというと、サンダーバーズは米空軍で、「トップガン」は米海軍だからだ。

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2009年10月14日 (水)

JR北海道の双璧

今日は鉄道の日だけど、別に変わったことをするわけではない。昨日と同じように、列車に乗り倒すだけだ。

北海道の未乗車区間のうち残った大物、札沼線(通称学園都市線)をやっつけることにする。札沼線は特急が走っているわけでもない、観光地があるわけでもない、途中に見所があるわけでもない、あまり変哲がないわりには距離が長く時間がかかる。起点側ではそれなりに頻繁に列車が走るが、末端部では列車数が極端に少なく、終点に新十津川駅に発着するのは日に3往復にすぎない。こういった理由のために後回しになっていたのだが、ようやく重い腰を上げることにしたのだ。

既述の通り、終点まで行く列車は一日に3本しかない。これに接続する列車のうち2本目、10時前に札幌を出る列車に乗り込む。非電化の学園都市線だが、札幌にほぼ直結するとあって列車は長い。余剰客車オハフ51を改造した気動車2両と、国鉄から引き継いだキハ40の合計3両編成。あとで考えてみればあまり見かけない客車改造車に乗ればよかったのだが、それに気づいたのは下車した後で、3両目のキハ40に乗り込んだ。
札幌を発車したときにはボックス席にひとりだった。次の駅までは函館本線を走るのだけど、札沼線用の専用線路がある。次の桑園でさらに乗客が乗り込み、三十一の座っているボックス席にも学生らしいふたりが座った。ここからは函館本線から離れ、高架単線非電化というちょっと変わった形態の路線となる。つぎの八軒駅からは複線となり、高架複線非電化だ。これからしばらくこの形で進む。左右は住宅地だ。一見すると首都圏郊外の通勤路線のようだが、非電化のディーゼル車のためか運転速度は遅いように見える。つい先日、北海道医療大学駅までの電化工事に着手するとJR北海道が発表したそうだが、非電化のままのサービス改善にも限界が来た判断したのだろう。新琴似をすぎたあたりで地上におりる。あいの里教育大駅は北海道教育大学札幌校の最寄り駅で、学生がいっせいに下車して車内は一気に空いた。その代わりといっては何だが、近頃東京ではみかけなくなった種類の男子高校生が一人乗り込んで来て、周囲に整髪料の香りを振りまいていた。けっこう離れているのにここまでにおってくるんですよ。
あいの里公園を出たところで石狩川を渡る。札沼線を紹介する写真の定番撮影地で、長大なトラス橋が特徴だが、橋の上から見ているとこれが長い長い。川のはずなのだが、海と見まごうばかりの川幅だ。毎日通勤で渡っている江戸川の幅の5倍くらいはあるんではなかろうか。
石狩当別駅はこの線のひとつの運転拠点で、今乗っている列車もここが終着。30分ちょっとの待ち合わせなのでいったん駅を出ていつものように写真をとったりしてみるものの、予想していた通り何もない。駅そのものはきれいな橋上駅舎になっており、もともとの市街地方向だったはずの東口と、何やら町おこしを目的としたらしい公共施設のある西口の両方に降りてみたけれど、鏡に映したように左右反対にしただけでまったく同じ形状というのは芸がないなあ。
石狩当別からさらに北に向かう列車は、乗車人数を反映してかキハ40の一両編成になる。場違いな若者が何人か乗車しているけど、2駅先の北海道医療大学駅でみんな下車してしまい、一両編成の車内は閑散としてくる。この列車ではこれまでと変わって左側に席をとったのだけど、そちらのほうは近景あるいは中景として山が連なっているが、それほど高くない。高くないとは言っても、実際登ってみろと言われると三十一は遠慮したいくらいの高さではある。いっぽうの右側は見える範囲ずっと平地で山は見えない。石狩平野なのだね。右側を並行して走る国道に走り去っていく主観的には見慣れた、客観的にはそれほど普段から見るわけではない種類のトラックを目撃する。そういえば当別には航空自衛隊の基地があったね。防空ミサイル基地だったっけかな(10月17日追記:レーダーサイトでした。北部航空方面隊第45警戒群)。晩生内(おそきない)あたりで雨が一瞬窓を濡らしてひやりとしたものの、すぐに日が出るようになって一安心。この先の予定があるので、雨になるとちょっと困る。気がつくと左の山は登れと言われても登れないくらいの高さに成長していた。右側を見ると、遠景に空知山地が見えてきて、石狩平野から空知盆地に入ってきたことがわかる。線路はわずかなアップダウンはあるものの、ほとんど平坦だ。このあたりは北海道の米どころなのか、稲刈りの済んだ田、稲穂が頭を垂れている田が見え隠れする。関係ないのだが、「年」という漢字は「禾」(イネ)の上半分を左に折り曲げて稲穂が頭を垂れている様子をあらわした象形文字であるという話を思い出した。「年」の本義は「みのり」であり、収穫は一年に一度であるから転じて「年」で時間としての年を表すことになったという。
閑話休題。このあたりの駅は、北海道医療大以南の新しい、あるいは整備されている駅とは様相が異なり、ほとんど放置されていると言ってよい。唯一最近整備したらしいものは駅名標の上に「学園都市線」と誇らしげに記された文字だが、学園も都市も見あたらないんですけどねえ。車窓の外を白鳥らしい白い鳥が飛び交っているのが見え、慌てて写真を撮る。北国から南へ渡る途中かな。2時間半かかって終着の新十津川駅に到着。もともとはここからさらに線路が延びていたのだが、40年近く前に廃止されてしまって終着駅になっている。寂しいだろうなあと思ってはいたものの、昨日の江差よりもはるかに寂しい有様に打ちのめされる。北海道の終着駅の寂しさを挙げるなら、この新十津川と留萌本線の増毛が双璧だろう。どっちがミッターマイヤーでどっちがロイエンタールやら。

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新十津川で下車したのは、地元民らしい数名のほかに三十一の同類らしい2名だ。駅舎やホーム、列車の写真を撮る3人。しかし三十一は一通り写真を撮ると、駅を離れて歩き出す。駅前の地図を頼りに町役場をめざす。他のふたりは折り返しの列車で戻るのだろう。実は新十津川駅は、石狩川を挟んで函館本線の滝川駅に向かい合っており、直線距離は数キロしかない。歩いて歩けないこともない距離だが、役場からバスが出ているようなのでそれをめざす。時刻はあらかじめネットで調べているので、ちょうどいいバスがあるはずだ。
役場はそれほど苦労せずにみつかったが、バス停はどこにあるのかな。駐車場にバスが停まっているので近いのは間違いないのだけれど。探してみると、役場の敷地の中にバス停が立っていた。北海道なのに屋根付きの待合室はないんだねえ。これは役場の中で待てということだろうと、役場の中に入ってみる。簡単な地図でも手に入ればそれを頼りに歩いてみるのもいいと思っていたのだが、見つかったのは空中写真。建物が狭い範囲に集中して建っていることはわかったが、歩く役には立たない。しかたがないのでバスを待つ。予想通り、駐車場に停まっていたバスがやってきたのでそれに乗り込む。新十津川の市街地を走り抜け、石狩川を渡る。このあたりでは札沼線で渡ったときよりもずいぶん川幅が小さい。それでも江戸川くらいはある。10分あまりで滝川駅の隣に立つバスターミナルに到着。220円ナリ。
時計を見ると13時半の札幌行き特急に間に合いそうだったので慌てて走る。滝川駅の写真は以前に撮ったことがあるので今日は省略。駅に入ってみると、DD51のA更新車両が牽く上りコンテナ貨物列車が停車していたのでまずその写真を撮ってから、進入してくる789系のスーパーカムイに乗車。昨日おとといと二日続けて緑の789系に乗車したが、今日は銀色の789系に乗車。新しい車両だけあって乗り心地はいい。今日これまで乗ってきたキハ40と比べるのが間違っている。3時間余りかけてやってきた道のりも、函館本線を使えば50分で戻って来られる。札沼線の末端区間の将来は厳しい。

札幌に着くと、ユニクロに上着を買いに行く。東京ではまだ長袖シャツ一枚で充分な気候であり、念のために薄い上着を一枚持ってきたのだが、実際に北海道に着いてみるとコートを着ていたりマフラーをしていたりする人がいるような状態で特に夜はひどく寒い。昨日の夜、札幌に着いた時点でやろうと思ったことが3つある。ひとつは道内時刻表を買うために本屋に行くこと。ふたつ目は夕食を食べること。そして三つ目が上着を買うことだった。三十一はこの3つのうち、本屋を最優先、次に夕食を選び、結果として上着を買う時間がなくなってしまった。ネットでユニクロの営業時間を調べたところ、朝は間に合わないとわかったために札幌に戻ってきたタイミングで買うことにする。ついでに銀行でちょっと現金を下ろす。

今日の行程はちょっと短めだがこれで終わり。今夜は札幌に宿泊したかったからで、その理由は明日明らかになるであろう。

今日の旅程:
札幌(0955)→石狩当別(1041) 553D
石狩当別(1115)→新十津川(1237) 5425D
新十津川町役場(1312)→滝川バスターミナル(1324) 北海道中央バス
滝川(1330)→札幌(1420) 2028M

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2009年9月22日 (火)

上司が評価しない仕事

上司が評価してくれない仕事を一生懸命やれるほど人間というのは自己犠牲精神が旺盛ではないと思う。

9/17 防衛大臣臨時会見概要 (防衛省)

Q:大臣から見て補給活動については、活動そのものを評価しないということなのですか。あと、そこで今、ソマリアにおいて、国際的にも評価を受けているということなのですけれども、インド洋の補給の方も国際的な評価というのは、かなりあるかなというふうに思うのですけれども、その一つのインド洋の方は、来年止めますよということで、先程、NHKさんが聞きましたけれども、それを止める理由というものはやはり大臣から見て活動に対する評価が低いということなのでしょうか。

A:おっしゃるとおりです。「成果が上がっている」「感謝している」という声も良く聞きますけれども、極めて限定的なところでそういう評価になっていると私は認識しております。

似たような話は、三十一自身にもときどき降りかかってくることがあり、近頃では「まあ会社なんてそんなもんだ」と達観しかかってはいるものの、しかしそれでも士気があがるような話でもないのは確かだ。

それにしても、上司が部下の仕事をマスコミに向かって「評価が低い」と公言するのはちょっとルール違反、と言って悪ければマナー違反ではないかなあ。これを聞いた自衛官、特に現にインド洋にあって任務にあたっている海上自衛官の気持ちは察するに余りある。

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2009年9月20日 (日)

山縣有朋の構想をなぞってみる

明治のはじめ、東京と関西地区を結ぶ鉄道が計画された際、海岸沿いに線路を敷くと敵の艦砲射撃のために分断されてしまうとして中山道に沿ったルートを強硬に主張したのは、陸軍だった。結局この構想は先立つものがないという実に身も蓋もない理由で頓座し、海岸沿いの東海道本線が建設された。

というわけで、名古屋まで中央線を使って行ってみる。明日、連休の中日は仕事の関係で自宅にいないといけないので日帰りだ。

最初は、そのつもりではなかった。もともとはE351系に乗って、これまで未乗の中央東線区間を踏破し、篠ノ井線で長野に出て新幹線で帰って来ようというくらいに考えていた。8時ちょうどの「あずさ2号」ならぬ「スーパーあずさ5号」には間に合わなかったので、10時の「スーパーあずさ11号」で松本へ向かう。実は連休のときは臨時列車のほうが狙い目だというのはわかっているのだが、定期のスーパーあずさでないとE351系に乗れない。E351系はJR東日本が採用した最初の振り子車両で、今のところ最後の振り子車両だ。以後の増備は非振り子のE257系に移り、E351系はわずかな生産に終わった。JR東日本がE351系に対してどのような評価をしているかはうかがい知れないが、どうも意外に早く引退してしまいそうな気がする。それもあって、早めに乗っておこうと思ったのだ。

10時ちょうどの発車で速達タイプ、時間帯もよいスーパーあずさ11号は人気だろうと思ってはいた。直前にみどりの窓口で見ると指定はすべて売り切れ、自由席券を買ってホームに行ってみると20分近く前だというのにかなり並んでいた。発車まで15分ほどでドアが開き、進行方向右側窓際の席を確保する。発車までに席はすべて埋まり、デッキに立つ乗客がちらほらと見える。
定時発車。しばらくは都会の中を走る。このあたりは例の「開かずの踏切」で非難を被った区間でもあり、高架化による連続立体化工事中。いま走っている下り線が先に高架化しており、上り線はまだ工事中だ。ところどころ徐行しているようだが、これもダイヤに織り込み済みということだろうか。武蔵小金井まで来ると山が見えてくる(C)さだまさし。八王子ではさらに乗客が乗り込んできて、通路にまで立ち客が出始めた。高尾を過ぎると山岳路線に入り、振り子車両の本領を発揮し始める。しかしこのあたり、トンネルが多いせいか眠くなってきて記憶があいまいだ。相模湖や塩山を通過したのは覚えているが、大月や笹子トンネルは記憶がない。ただ中央高速のコンクリの構造物がつかず離れず並行しているのが忌々しい。左右に盆地が広がると甲府駅。ここで乗客はかなり降り、空席も見えてくる。
実はこのあたりは厳密に言うと過去に乗ったことがある。しかし三十一がまだ中学生のみぎり、まだ生き残っていた通称「山男列車」に乗ったもので、夜行電車だから景色はまったく見ていない。115系電車でろくすっぽ眠れず、途中の停車駅で開いたドアの向こうに見えた暗闇と、下車した小淵沢のホームで寒さに震え上がったことしか覚えていない。春休みだったのだ。
甲府を出ると線路は諏訪方面に向かう。地図を見るとまっすぐ線路が伸びていてそれほど急峻な路線には見えないかもしれないが、実はけっこう勾配がきつい。かつてのSL時代にはこのあたりの駅は大半がスイッチバックだった。今となっては、本線上にもうけられたホームから外れたところに敷かれている保線用の線路がかつてのスイッチバックの名残りをわずかに留めていた。小淵沢駅通過。これより先は正真正銘の初乗車区間。列車はゆるやかに車体を揺らしながら勾配を駆け上っていく。このあたりでは、振り子の効果が出るようなきついカーブはあまりないように見える。信濃境を過ぎ、長野県に入るころにピークを過ぎたのか今度は下りに転じる。茅野、上諏訪と連続して停車し、空席が目立つようになる。岡谷からいわゆる塩嶺線に入り、塩尻に向かう。この塩嶺線のおかげで、中央線のうち岡谷~辰野間だけが未乗で残ってしまうことになる(塩尻~辰野間は乗車済み)。塩尻を通過して篠ノ井線に入った。終着直前、ひと駅手前の南松本駅付近には貨物ターミナル。地域柄タンク車が多い。EH200とEF64が見える。新宿から2時間半ほどで終着松本。

新宿でスーパーあずさに乗り込んだときには、既述の通り長野に出て新幹線で帰って来ようかくらいに考えていたのだが、上諏訪あたりを走っているときに中央西線で名古屋に出ようという気になった。そういうプランも考えてはいたのだが、日帰りでやるにはちょっと無茶だと考えていたのだ。しかし2時間も列車に乗っていると楽しくなってきて少しくらい無茶してもいいんじゃないかと思い始めたらしい。
今回は時刻表を持ってきていなかったので、松本駅で下車するとまず次の名古屋行き特急の時間を確認。約20分後だ。改札を出、いつものように駅の写真を撮ってから中にとって返し、みどりの窓口へ。指定席は空きがあるらしいので、逆説的に自由席でも大丈夫と考えて自由席特急券を入手。改札を入って、駅弁(牛肉弁当)とお茶を買い、ホームで待つことしばし。383系のしなの12号が入線する。「しなの」は長野始発で、松本は途中駅になる。一抹の不安はあったが、連休前半の今日はまだ逆方向なのだろう、空いていた。自由席は先頭8号車とつづく7号車の2両。いったん適当な席に座ったものの、383系は「ワイドビュー」の二つ名を持つだけあって、デッキとの間に窓があり前方が見える。運転席直後の席に座を占める。ほんとうは進行方向右側のほうがよかったのだが、そちらには先客がいたので左側に座る。前方には運転士の体と、運転機器が立ち上がっていてちょっと見づらい。中央西線に沿って木曽川はほとんどの区間で進行方向右側(上り列車の場合)を流れているので、右側に座ったほうがいいですよ。突発的に行動を決めるとこの種の下調べが間に合わない。
中央西線は最初に381系で振り子車両が投入された区間だけあってかなりカーブが多く、初めて乗った人間としてはちょっと驚くくらいに傾く。なんというか、フライトシュミレーターで飛行機を操縦していてターンするためにバンクしているような感じ。かえって分かりづらいかな。
名古屋と信州松本方面を結ぶにあたって、鉄道は木曽谷ルートを選択し、高速道路は伊那谷ルートを選択した。木曽谷ルートは、木曽川にそってまっすぐ濃尾平野に出られることから線路がひかれたのだろう。しかし、木曽谷は狭い。両側に山が迫っていてほとんど平地というものがない。線路も道路も集落も山と川の間の斜面にへばりついている。いっぽうの伊那谷は、天竜川にそって下ると浜松に出てしまう。鉄道の飯田線は途中でひと山越えて豊川沿いに出、豊橋につながっている。しかし伊那谷自体は木曽谷に比べると広く、場所によって数キロの幅がある。最後の最後に恵那山下をトンネルでぶち抜くという手間は必要だが、高速道路が伊那谷を経由したのは用地確保の容易さによるものだろう。もし木曽谷に高速道路を通そうとするなら、ほとんどの区間がトンネルになってしまう。これはつまり、鉄道と道路で必要な用地の幅が違うからだ。線路の幅は1メートル強、車体の幅は3メートル弱。付帯設備を含めても単線線路なら5メートルくらいだろう。道路で幅員5メートルといったら、せいぜいがそこらの市道でしかない。もっとも、鉄道は急勾配、急曲線に弱いのでルート選択の自由度は道路に数段劣るのだが。
相当脱線したけど話をもとに戻そう。鉄道の話をしていて「脱線」はいただけない。列車は山深い木曽谷を駆け下りていく。先ほど言ったとおり、ほとんど平地というものがない。線路は複線になったり、単線になったり、あるいは単線かと見まごうかのように上下線が離れた複線だったり。こういう細切れの複線化は、同じ距離だけ複線化するならば一部区間だけをまとめて複線化するよりも実はダイヤの自由度は高くなるので、他にも例がいくつかある(羽越本線とか)。長野県内最後の停車駅である木曽福島を出るとしばらくの間は昼なお暗い谷底を走っていたが、県境を越えて岐阜県に入ると、これまで近景だった左右の山は一気に遠景へと後退し、街が広がると中津川である。中津川では、JR東海がホコるレール運搬用ディーゼル動車、キヤ97型が停車していた。このおかげでJR東海の機関車は絶滅に瀕しているので機関車好きな三十一としてはあまり歓迎されざる存在だ。中津川の次は恵那に停車。恵那の手前では上下線が大きく離れており、駅が近づくにつれ右側から下り線が合流してくるのを見ていたとき、左を見るとそちらにも線路が走っているのに気づいた。一瞬これは何だろうと思ったが、なんとなく線路の上空を見てみると架線がない。ああ、明知鉄道だと思いついた。いつか乗らなきゃなあと思ってはいるものの今日は時間がない。駅のホームには車両が見えず残念。多治見を経て、電車区のある神領を通過するころには、すでに山は見えなくなり濃尾平野に入ったことが見て取れる。勝川では頭上に聳える高架線が突然断ち切られ、その先頭付近に東海交通事業の単行ディーゼルカーが停車しているのが見えた。下からではホームが見えず、短い屋根があることからホームがあるらしいとわかるのだが、ちょっと異様な光景だった。金山で東海道本線と合流するときには間に名鉄線を挟んでいたが、名古屋までの間に立体交差して入れ替わった。ほぼ3時に名古屋着。名古屋駅はこれまで何度も通過しているが、下車するのは初めてだ。

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帰りの新幹線については、何も考えていなかった。適当に早い時間の「のぞみ」で、できたらN700系に乗りたいくらいに考えてみどりの窓口に向かう。ちょうどいい時間のN700系「のぞみ」はなかったが、30分後に500系の「のぞみ」があったのでこれで帰ることにする。東京から名古屋まで中央線経由で5時間、名古屋から東京まで新幹線で1時間43分。

今日の旅程:
新宿(1000)→松本(1231) 11M (E351系)
松本(1253)→名古屋(1459) 1012M (383系)
名古屋(1530)→東京(1713) 28A (500系)

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2009年9月17日 (木)

「軍艦武藏(上/下)」


最初に本屋で見かけたときにまず思い浮かべたのが吉村昭の古典ともいうべき「戦艦武蔵」だった。


もちろん三十一はこの本も読んだことがある。単行本と文庫と両方持っていたような気がする。「戦艦武蔵」のほうは意外に薄い本だが、「軍艦武藏」のほうは上下巻でかなり厚い。

筆者は、戦闘記録や既存の回顧録などを適宜引用するいっぽう、元乗員をはじめとする関係者に丹念に取材している。一水兵から下士官、あるいは初級士官といったこれまであまり日のあたらなかった人物の証言を多く収録した。これは戦後50年余りという取材時期による制約もあったに違いないが、しかし軍艦というものが多くの(武蔵の場合二千人以上)人々の想いや事情を飲み込んで動いていることを改めて思い知る。近年希に見る良質の戦記だと思う。

なお、「軍艦武蔵」ではなく「軍艦武藏」と題し、本文中でも一貫して「武藏」と正字で表記している。頻繁に出てくる「浜風」も「濱風」だ。批判しているわけではなく、誉めているのですよ。

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2009年8月22日 (土)

"日向"のペアはやはり"伊勢"

8月21日に、"ひゅうが"型護衛艦の2番艦が進水し、"いせ"と命名された。

ひゅうが型2番艦進水 (DSI 日米国防組織情報 HOT TOPICS)

なんというか、あまりに予定調和でかえって意表をつかれた。こうなると、次期DDHとなる22DDHは何と命名されることになるのか今から気になる。"ふそう"・"やましろ"というのはちょっとありそうもないので、"はるな"・"ひえい"に戻るのかな。

日本海軍の戦艦「伊勢」「日向」はそれぞれ「伊勢神宮の所在地」「神武東征の出発地」という因縁から命名されたものと言われている。いずれも東に海が開けているのは偶然だろうか。それはともかく、日本海軍の戦艦は「旧国名」にちなんで命名されているのだが、海上自衛隊の護衛艦の命名基準に「旧国名」というのがあったかな。あったかもしれないがちょっと思いつかない。"ひゅうが"は日向灘から、"いせ"は伊勢湾からつけたもので、海洋名にちなむと強弁できなくもない。

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2009年8月11日 (火)

桜興産社長交代が株主総会で承認

先月、ニュースで報じられていた防衛事務次官交代がようやく本決まりになった。当初は8月1日付と伝えられていたのだが、実際には25日になった。今日の閣議で了承された。

防衛大臣記者会見 8月11日 (防衛省)
防衛省発令 (8月25日) (防衛省・PDF)

改めてまとめてみると、現在の増田事務次官が退職し、後任には中江公人・現官房長。そして官房長の後任に金沢博範・現装備施設本部長。装備施設本部長の後任は、岡崎匠・現防衛大管理担当副校長という顔ぶれ。
感想についてはすでに書いたので今日は割愛。

↓こっちも更新しておきました
自衛隊主要幹部表

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