2017年10月31日 (火)

中国中央軍委の顔ぶれ

先週開かれていた中国共産党第19回党大会を経て、党の中央軍事委員会の顔ぶれが決まった。この顔ぶれが今後5年間、中国人民解放軍を指導する。

主席・習近平
副主席・許其亮(空軍上将)、張又俠(上将)
委員・魏鳳和(上将)、李作成(上将)、苗華(海軍上将)、張升民(中将)

まず目につくのは委員がこれまでの8名から4名に減ったこと。これは2016年初頭に行われた人民解放軍の改編が関係しているだろう。いわゆる4総部が7つの部門に改編されそれぞれの重みが小さくなり、7大軍区が5大戦区に改編されるとともに軍種としての陸軍司令部が創設された。
委員はそれぞれ別に肩書きを持っている。これまでは国務院国防部長、総参謀長、総政治部主任、総後勤部部長、総装備部部長、空軍司令員、海軍司令員、ロケット軍司令員だった。新しい顔ぶれでは各軍種の司令員と、後勤部門・装備部門の長が委員からはずれることになった。かわりに入ってきたのが、軍事委員会中央紀律検査委員会書記だ。中将の張升民が党中央紀検委副書記兼中央軍委紀検委書記の肩書きをもって中央軍事委員会委員の一角を占めるようになったのは、習近平が軍においても「腐敗摘発」を進めていくという態度の表れだろう。
なお、今回の人事の直前に聯合参謀長(もと総参謀長)が房峰輝から李作成に交代しているが房峰輝は規律違反(つまり汚職だ)の疑いで取り調べを受けているという情報もある。

今回の人事を見越してのことだろう、聯合参謀長と政治工作部主任はいずれも最近交代した。聯合参謀長の交代は上記の通りだが、政治工作部主任は海軍政治委員から苗華海軍上将が就任した。海軍軍人が政治工作部主任(総政治部主任)に就任したのは初めてだ。
いっぽう、国務院国防部長の常万全が交代したという報道はまだない。しかし、常万全は今回の党大会で中央委員に選出されていないことから今後(おそらく来春の全人大で)退任することは間違いない。その後任はもうひとりの中央軍委委員で序列筆頭、最近ロケット軍司令員を退任して現在無役の魏鳳和だろう。
結局、軍委のヒラ委員4名は国防部長魏鳳和、聯合参謀長李作成、政治工作部主任苗華、軍紀律検査委員会書記張升民、というメンバーで行政・作戦・政治工作・監督のそれぞれの機能を分担することになる。

その上の副主席2名は実質的な制服組トップだ。彼らは別に肩書きを持たず軍委の職務に専念する。前期から留任の許其亮は空軍司令員の出身、さらに今回昇進の張又俠は前任の装備発展部長で、いずれも技術に明るいと考えられる。ヒラの委員には技術職が含まれなくなったが、副主席にこうしたメンツが配置されたことから軍近代化の流れは今後も続くのだろう。

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2017年10月16日 (月)

「戦争のはらわた Cross of Iron」

戦争のはらわた 公式

1977年公開の伝説的な戦争映画。三十一が最初に知ったのはアバロンヒルから出ていたボードゲームのタイトル「クロスオブアイアン」から。スコードリーダーシリーズの拡張モジュールだったと思う。もちろんゲームのタイトルは映画に由来する。

東京での上映が今度の金曜日までということなので、雨の中を新宿まで出て見てきました。仕事の関係で土曜日は外出できなかったので、この週末で観るとしたら今日しかなかった。

まず、最後のシーンで頻繁に登場する T-34 だけど改造しているようには見えない。冷戦中の1970年代にどうやって本物の T-34 を入手したんだろう。もっとも T-34 でも T-34/85 のように見えた。1943年という時代設定とは少し合わない。それから、けっこうはじめのほう、爆撃しているソ連空軍(という設定)の単発機だが逆ガル翼から F4U コルセアのようだ。

映画の本題に戻ると、この時代のドイツでもやはりまだ階級が社会的に大きな意味を持っていたのだなあと思う。日本にいるとあまり意識しないけれど。プロイセンの貴族階級(ユンカーかな)出身というシュトランスキーの家族や一族には同じように軍に将校として勤務して鉄十字章を授章した者がたくさんいるんだろう。下士官で、おそらくは庶民階級出身のシュタイナーにとっては、鉄十字章のためにわざわざ安全なフランス駐留部隊からロシア戦線に志願してくるなんて理解できなかったろう。
連隊長はむしろシュタイナーに理解を示していたようだが、シュタイナーからしてみればそれも所詮将校階級からの同情あるいは偽善にしか見えない。それくらいドイツでの階級間の溝は深い。
それから、鉄十字章を申請するのに二名以上の証言と署名が必要というのは興味深かった。こうした厳密さというのはいかにもドイツらしく思える。

最初に紹介したとおり、東京での上映は今度の金曜までということだが、平日の昼間に時間がとれるならぜひ観るべきだろう。ペキンパー監督の演出による戦闘シーンをスクリーンで観るだけでも価値がある。

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2017年9月16日 (土)

「ダンケルク」

映画「ダンケルク」 (公式サイト)

観てきました。

世間(そのスジの世間)では、ヤク改造のスピットファイアが主に英国面に堕ちた人々の間で評判になっていたようだけれど、同じ英国面でも海のほうに堕ちた三十一にとってまず目をひいたのはイギリス駆逐艦だった。
もちろん当時のイギリス駆逐艦はすでに残っておらず、フランスの記念艦 Maille-Breze (読み方わからん)をそれっぽく改造したそうだが、ぱっと見 「悪くない」と思った。船首楼船型、二本煙突、前後に背負式に装備された砲塔。台詞で登場した艦名は「バンキッシャー」だったがこれはおそらく Vanquisher で、いわゆる V 型駆逐艦(時期的に第一次大戦型)のうちの一隻ということだろう。
実際に「演じた」 Maille-Breze は 1950年代建造の Surcouf 型駆逐艦ということだが、粗を探せば「マストに電子装備らしきあれやこれ」とか「後甲板に VDS らしきもの」とか「全体に上構のシルエットが高い」とか色々文句をつけるところはあるにしても、CGを使わず実艦を使ったことを考えればよく出来ている。
実際のダンケルク撤退戦からすでに 77年も経っており、かつて「戦艦シュペー号の最期」に「本人」が登場したような芸当はもはや不可能だ。

さて映画の感想に移ろう。
アカデミー賞最有力との前評判だが、それは多分海のむこうでの話だろう。日本の単なる「映画好き」にはほとんどの場面が意味不明に見えるだろう。それくらい背景説明が無い。台詞にも出てこない。「これくらい知ってるよね」という前提で全て話が進む。というか、進むような話自体がない。ただひたすら戦闘と兵士や民間人の悪戦苦闘と死が描かれる。
かと思うと、イギリスで徴用された民間船がダンケルク沖合に到着したところであたかも「めでたしめでたし」とでも言うような演出がなされる。このあとの戦闘も多少描写されてはいるもののエピローグのようだ。実際には民間船も動員した撤退とそれを阻止しようとするドイツ海空軍の攻防がもうひとつの山場であったはずなのだが。

要するに、ドイツ軍のフランス侵攻から英軍の撤退という一連のキャンペーンの中から、ダンケルク撤退戦の、さらにその中のごく一部の時間帯だけを前後から切り放して目の前に放り出されたような印象。突然話が始まって突然終わる。背景を知らない人間には厳しい映画だろう。評価は分かれると思う。

自分は、船と飛行機を見るため「だけ」に DVD/BD が出たら買うかも知れない。

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2017年8月 3日 (木)

2017年8月の桜

7月末から8月はじめにかけて防衛省では背広組と制服組の両方で大きな人事があった。もちろん日報問題の影響だ。それにしても、大臣が3時間本省を留守にしただけでも問題になるのに、大臣と事務次官と陸上幕僚長がほぼ同時に交代したということが全く問題にならなかったのは何故だろう。結局「本省不在」を本当に問題にしていたのではなく政治的な批判の材料にしていただけということだ。

最初に背広組のほうを片付けておこう。
7月28日付で黒江哲郎事務次官が退職し、豊田硬官房長(1982年入庁東大卒)が昇進した。官房長は高橋憲一整備計画局長が就任、整備計画局長には西田安軌審議官が昇格。

制服組では、3月に比較的小規模な異動があってからほとんど動きのない時期が続いた。7月1日に南西航空混成団が南西航空方面隊に改編され、混成団司令の武藤茂樹空将(防大28期)の職名が司令官に変わったがこれは人事異動とは言えないだろう。

今回の制服組の異動は2回に分けられた。8月1日と8日で、陸幕長辞任関連の異動は8日のほうに含まれている。
まずは1日分から。将の異動は陸3、海2.

(陸将)
太田牧哉・陸自研究本部長(防大26)>退職
岩谷要・第4師団長(防大28)>陸自研究本部長
高田祐一(将補)・東方幕僚長>第4師団長

山本頼人・第10師団長(防大27)>退職
甲斐芳樹(将補)・第11旅団長(防大28)>第10師団長

森崎善久・中央病院副院長(防医大5)>退職
大鹿芳郎(将補)・福岡病院長(防医大8)>中央病院副院長

(海将)
坂田竜三・統幕学校長(防大26)>退職
出口佳努(将補)・佐総監部幕僚長(岡山大30期相当)>統幕学校長

真木信政・航空集団司令官(防大26)>退職
杉本孝幸(将補)・横総監部幕僚長(防大29)>航空集団司令官

続いて8日分。陸4、空2。

(陸将)
岡部俊哉・陸上幕僚長(防大25)>退職
山崎幸二・北方総監(防大27)>陸上幕僚長
田浦正人・第7師団長(防大28)>北方総監
小野塚貴之(将補)・統幕防衛計画部長(防大30)>第7師団長

森山尚直・東方総監(防大26)>退職
住田和明・統幕副長(防大28)>東方総監
本松敬史・第8師団長(防大29)>統幕副長
吉田圭秀(将補)・内閣官房出向(東京大30期相当)>第8師団長

鈴木純治・中方総監(防大26)>退職
岸川公彦・防大幹事(防大28)>中方総監
上尾秀樹・第6師団長(防大29)>防大幹事
清田安志(将補)・第12旅団長(防大29)>第6師団長

小川清史・西方総監(防大26)>退職
湯浅悟郎・陸幕副長(防大28)>西方総監
高田克樹・第2師団長(防大29)>陸幕副長
野澤真(将補)・陸幕装計部長(防大30)>第2師団長

(空将)
小城真一・航空支援集団司令官(防大26)>退職
山田真史・西方空司令官(防大28)>航空支援集団司令官
井筒俊司(将補)・空幕人教部長(防大30)>西方空司令官

尾上定正・空自補給本部長(防大26)>退職
三谷直人・中方空司令官(防大29)>空自補給本部長
金古真一(将補)・空幕総務部長(防大30)>中方空司令官

今後予想される人事としてはまず統合幕僚長だが、もはや交代時期だけが問題。
むしろ統幕長就任が確定した杉山空幕長の後任のほうが不確定要素を含んでいるが、候補者の顔ぶれについては前回述べたのでここでは繰り返さない。

陸は一気に代替わりしてしまったので、山崎陸幕長は2年やりそうだ。方面総監も5名中4名が今回入れ替わったので、近日中に大きな動きがあるとは思えない。しかしこの年度末には陸上総隊新設という大きな改編が控えている。
陸上総隊の長の職名は、「陸上総隊総監」になるのか単に「陸上総監」になるのか、三十一はなんとなく後者のような気がするが、なにしろ前例のない組織なので何が起きてもあり得ない話ではない。
名称が何であるにせよ、陸上総隊を率いる人間は陸幕長と方面総監の間に位置するので、候補者はおのずと絞られる。いずれも防大27期の、山之上哲郎・東北方面総監か、小林茂・中央即応集団司令官だ。総隊総監には「方面総監経験者を充てる」とされているようだが、一番最初にかぎっては中央即応集団司令官も含めていいだろう。小林中即団司令官は、師団長と防大幹事を経験していて山之上東北方総監(師団長と陸幕副長)に経歴でもさしてひけをとらない。職種の違い(山之上は普通科、小林は特科)はそれほど影響しないだろう。現時点ではまだどちらに絞る段階ではない。

ちょうど今日内閣改造があって新しい防衛大臣が就任したが、その話はここでは触れない。機会があればいずれまた。

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2017年7月28日 (金)

時期外れのサクラチル

日報問題がとうとう大臣の辞任にまで発展した。
稲田大臣が就任したとき三十一は「期待する」と書いたが、素人さが悪いほうに出てしまったようだ。結果として稲田氏には防衛大臣というよりも政府の一員たる大臣の資質に欠けるところがあったと言わざるを得ない。もとが弁護士だからなあ。防衛大臣はひとまず岸田外務大臣が兼任することになったので、来週にも行なわれる見込みの内閣改造で後任が任命されることになるだろう。現時点で取り沙汰されている後任は小野寺五典や中谷元といった防衛大臣経験者の再起用で「素人はこりごり」という政界の雰囲気が伝わってくる。

雇われ社長たる防衛大臣の更迭よりも、防衛省と自衛隊でもっと影響が大きいのはむしろ監督責任を負って詰め腹を切らされる事務次官と陸幕長だろう。

黒江事務次官の後任は豊田官房長と伝えられている。
岡部陸幕長は本来であれば、河野統幕長の有力な後任候補だったのに引責辞任でそれどころでなくなった。後任が決められないので河野統幕長の定年は二度も延長されてきたけど、これでようやく後任が決まって晴れて勇退できるだろう。次期統合幕僚長は空自の杉山空幕長となることがほぼ確定した。

杉山良行航空幕僚長は防衛大24期卒業、岡部陸幕長と村川海幕長はいずれも防大25期なので先任順からすれば順当なのだが、自衛隊の中で最大所帯である陸自はもう5年以上統幕長を出していない。さすがに次は陸から、というのが大方の予測と期待だったのだがまたまた流れてしまった。

空幕長の昇進と陸幕長の辞任で、それぞれ後任が必要になる。
陸についてはすでに8月8日付の人事が公表されている。25期の岡部陸幕長と、26期の鈴木純治中方、森山尚直東方、小川清史西方の各総監が揃って退職となり、陸幕長は27期の山崎幸二(現・北部方面総監)が就任する。

そして空だが、現役の防大25期生はすでに残っていない。以前名前を挙げた航空支援集団司令官の小城真一(26期)も8月8日で退職。26期なら総隊副司令官の小野賀三、27期なら総隊司令官の前原弘昭、空幕副長の丸茂吉成、教育集団司令官の荒木淳一あたりだが、さて。

日報問題について、まずはすでに意味のないPKO5原則をできるだけ速やかに撤廃するべきだろう。今回の問題はPKO5原則の「戦闘」という文字と、日報の中の「戦闘」という文字がたまたま同じ単語であったことに端を発したもので、その後の議論はなんら実際的なものではない神学論争にすぎなかった。その「戦闘」が実際どの程度のもので、自衛隊にはどの程度危険があったのかという議論はなされていない。それもこれも時代遅れな (1992年決議) PKO5原則を金科玉条のごとく大事にしてきたことが根本原因なので、こんな空文はさっさと捨て去るのがよい。

また何よりも怖いのは、今回の一件のせいで今後日報を作成する際に「忖度」が働くことだ。日報は何よりもまず正確かつ率直であるべきで、そこに「忖度」を含ませるべきではない。日報は指揮官の重要な判断材料であり、それがわかりにくく実態が伝わらないようでは適切な指揮統制ができない。その結果、近くは犠牲(負傷者や死者)が生じる可能性を高め、大きくは日本の国益全体を損なうことにもなりかねない。そのためには「日報とは本来そういうものだ」という姿勢を組織として強く押し出し、現場の作成者を守るとともに、一言半句をとりあげて批判する野党やマスコミに対して堂々と反論すべきだろう。今回はそれをせずに小手先の対応でやり過ごそうとしたのが一番よくない。

なお、今回陸自内部から「稲田大臣は日報の存在を非公表とすることを了承していた」というリークがあったと報じられている。これが事実かどうかはまだ未確認だが、もし事実だった場合は「シビリアンコントロールが機能していない」とするコメントが見られる。それは「シビリアンコントロール」を理解していないとしか思えない。
大臣の意向に反して部下が情報をリークする、というのは確かに組織の統制がとれていないと言わざるを得ない。しかしそれはあくまでリークした者「個人の反乱」であってそれをもってただちに「シビリアンコントロールが効いていない」とするのは行き過ぎだろう。同じようなことは戦前の日本の陸軍省でも起きていた。当時の日本の陸軍大臣は現役軍人でシビリアンコントロールという言葉すら知られていなかったが、それでも部下が大臣の意向に逆らって動くのは問題だという認識はあった。また現在でも防衛省以外の役所(たとえば外務省とか)で同じことが起きてもやはり問題になるだろう。つまり「シビリアンコントロール」以前の単に内部統制の問題でしかない。これを「シビリアンコントロール」の問題ととらえている人間は「シビリアンコントロールとは制服組が政治家のいうことなら何でも無条件で聞くこと」と誤解しているのだろう。
稲田大臣による「非公表」の判断は政治的判断ではあるものの「不適切な行動」の疑いが強い(不法行為とまでは言えないかもしれないが)。厳密なシビリアンコントロールによって運用されている軍隊であっても、政治家の不正行為に無条件に追従することまでは軍人に求めていないのが現代の民主主義国家の軍隊だ。政治家によって「不都合な事実」の隠蔽を指示された場合でも軍人は無条件で従わなくていけない、とするのはシビリアンコントロールとは言えない。

結局、今回の日報問題では誰も得した人間がいない。内閣の支持率は下がったがだからと言って野党の支持率が上がったわけではない。唯一の効果と言えるのは南スーダンのPKOから撤退したことだが、政治的には内閣の得点にも野党の得点にもなっていない。

同じ日に民進党の代表も辞意を表明していたけど、そもそも代表になったこと自体が間違いだと思っていたので「やっと辞めるか」という以上の感想はない。民進党という政党そのものにも期待してないし。

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2017年4月 2日 (日)

「この世界の片隅に」

今さらながら観てきました。

公式HP

戦前から戦中(戦後すぐ)の呉の光景がふんだんに登場する。
「ああ、これと同じ構図の写真があるわ」という場面もしばしば。

戦時中の普通の生活の様子が淡々と描写されているが、その中でもやはり戦争の厳しさがところどころにちりばめられる。

いい映画だということは間違いない。
ただし、終盤の展開はもう少し違った形でもよかったと思う。

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2017年3月30日 (木)

2017年3月の桜

3月27日付で年度末の人事異動が発令された。
将以上にかぎってみると小規模で、陸で昇任と勇退がそれぞれ3だけ。

深津孔(防大26)陸自幹部学校長>退職
西浩徳(防大28)第1師団長>陸自幹部学校長
柴田昭市(防大29)第14旅団長>第1師団長(昇任)

江口直也(防大26)補給統制本部長>退職
金丸章彦(防大27)関東補給処長>補給統制本部長
山内大輔(防大29)中方幕僚長>関東補給処長(昇任)

川瀬昌俊(防大26)装備庁装備官>退職
手塚信一(防大27)陸自幹部学校副校長>装備庁装備官(昇任)

現職の統幕長である河野海将の定年延長期限は5月27日までなので、この年度末に統幕長の交代とそれにともなう人事異動があるものと予想していた。
ところが例の日報問題で当の河野統幕長と、その有力な後任候補である岡部陸幕長が特別防衛監察をうける身となり、身動きがとれなくなってしまった。この問題にある程度の見通しがつくまでは大きな人事は行ないにくい。それがいつごろになるかは今の段階では見通しが難しいが、もし長引いたときには河野統幕長の定年を再延長するということもあり得る。

そもそも、すでに実情と合わないPKO5原則を振りかざしての「戦闘」という単語に対する言葉狩りの攻防が、今回の日報問題の発端だと三十一は認識している。すでにPKO5原則がナンセンスなのに、それに基づく日報問題がナンセンスでないわけがない。この問題の無意味さに早く気がついて、それをきっかけにPKO5原則の見直しまたは撤廃に進んでくれればいいと思うのだが、望み薄だなあ。

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2017年3月18日 (土)

棚倉城に行ってみよう

非電化単線鉄道愛好会会長たる三十一としては、こうした路線を残すためにもできるだけ多くの非電化単線鉄道に乗車することを自らに課してきた。精進の甲斐あってか、連続して100キロを越えるような未乗車区間はだいぶ少なくなってきた。該当するのは3区間。山陰本線の益田以西、紀勢本線の非電化区間、そして水郡線だ。
関東在住の三十一にとって、非電化単線鉄道愛好会会長でありながら137キロという長大な水郡線が未乗車のまま残っているという状態は早期の対応が求められた(誰に?)。

この3連休は珍しく完全にフリーになったので、せっかくなのでこの機会に東日本エリアの非電化区間をいくつか踏破しようと考えたのだ。
もちろん今日の主眼は水郡線である。問題は上菅谷-常陸太田間の支線だが、今日は時間がないので後まわしにした。次に機会もあるだろうし。だが本当は朝の支度に手間取って時間がなくなってしまったのだ。

常磐快速電車で柏に出て特急に乗り継ぐ。偕楽園の行楽シーズンだからどうかなあと思っていたけど、どうにか席はとれて特急「ときわ」で水戸へ。途中、偕楽園駅で乗客がごっそり下りていく。さらに一駅(半駅)で水戸着。
水戸には梅の時期を外して来たことがあり、そのときに偕楽園にも行ったので改札は出ない。駅売店で軽食を調達する。

駅の北端に水郡線ホームはある。水郡線の列車はすべてキハE132に置き換わっている。これから乗る列車も当然そうで、2両編成だ。休日の昼間だがそこそこ混んでいる。水戸はそれなりに大きな街なので覚悟はしていた。とりあえず窓際に座れたことでよしとしよう。進行方向には背中を向けることになってしまったが。発車時間が迫るとさらに乗客が乗り込み、かなりの立ち客が出るような状態で発車。常磐線からわかれ、那珂川を渡って北に向かう。
面白いと思ったのは、那珂川をわたるとてきめんに田園風景になってしまうことだ。そして那珂川の向こう側と思しきあたりにはビルが立ち並ぶ水戸の市街地が広がっている。このあたりがやはり地方都市ということなのだろうか。そして三十一の目についたのは田んぼの中にぽつんと置かれていた小型飛行機。飛行可能な状態には見えなかったが何かのオブジェだろうか。

上菅谷まで来たらだいぶ空くだろうかと思ったが、まとまった人数が降りて行ったものの立ち客が解消するほどでもなかった。立ち客がなくなったのはようやく常陸大宮あたりで、観光地の袋田まできてようやく空いたとい言える状態になった。好き勝手に席を選べるようになったのは常陸大子である。ちなみにこの列車は普段は常陸大子どまりだが今日は郡山まで行く。
常陸大子で30分ほど時間ができたので、その間に軽食を食べてそのゴミを駅のごみ箱に捨てにいったり、写真を撮ってみたりする。
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駅前にC12が保存されていて、状態は悪くなかったんだけど柵のない側から側面の写真を撮ろうと思ったら駐車場の料金所の建物が邪魔をしていたので断念。ちょっと柵がうるさいかもしれないが文句は大子町役場のほうにお願いします。
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常陸大子を出ると短いトンネルを抜けたがこれが分水嶺というわけではなさそうだ。水郡線は地図をみると山中を越えているように見えるが実際にはそれほど起伏は激しくない。
さてこの先の予定を考える。今日の宿は郡山。本当は仙台あたりに宿をとりたかったのだが、適当な宿がみつからなかった。やむを得ず福島や郡山を探してみたところ、福島に宿泊できないわけではなかったが郡山のほうが選択肢が多かったので郡山とした。結果として時間が少し余ってしまうことになる。このまま郡山まで乗り通すと3時過ぎに郡山に着いてしまう。途中のどこかで面白そうなところがあれば一旦下車してみるのだが、と考えて思いついたのは棚倉(磐城棚倉)だった。
「棚倉」という地名を三十一が初めて知ったのは、戦前まであった国鉄白棚線の終点としてであった。その後、江戸時代に代々有力な譜代大名が封じられた南奥の要地であったことを知る。地図を見てみると棚倉の駅からそれほど遠くないところに、はっきりと堀が残った城跡が見て取れる。いまでは公園となっていて当時の遺構は何も残っていないようだが、磐城棚倉で下車して行ってみることにしよう。そこでどれくらい時間が潰せるかは行ってみないとわからない。

結果はと言えば、けっこう時間が潰せた。略長方形の本丸を取り囲む土塁がはっきりと残っており、2個所の門以外は堀に取り巻かれている。
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堀には鴨や鯉が棲みついていた。
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そして城の片隅には忠魂碑とそのかたわらに「元帥畑俊六終焉之地」なる碑が。畑元帥が戦後忠魂碑の除幕式に出席していて心臓麻痺で急死したというのは知っていたが、それがここだとは初めて知りました。
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結局2時間あまり棚倉にいて、再び水郡線に乗り込んで郡山に向かう。途中、福島空港のすぐ横を通ったはずだが空港連絡道路が立派なこと以外は空港を思わせるものは何も見えなかった。右手前方に市街地がみえてきた。郡山だ。安積永盛で水郡線は東北本線と合流する。駅を出ると東北本線の上り線を横切って下り線に入り、一駅走って終点の郡山に到着。

今日の旅程:
柏 (0954) → 水戸 (1046) 2055M
水戸 (1115) → 磐城棚倉 (1357) 825D
磐城棚倉 (1621) →郡山 (1726) 335D

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2017年1月14日 (土)

わたしマツワ、いつまでも松輪。

千島列島の中部に位置するマトゥア島(日本名・松輪島)にロシア軍が拠点構築のための現地調査を行なったとか。

昔、戦史叢書の該当する巻(北東方面陸軍作戦2)を読んだことがあるので多少の予備知識はある。もっとも、いまその本はすぐに取り出せないので以下の記述はもっぱら記憶に頼ってしまうことになるのだが。

もともと、松輪島(以下この表記で通す)には日本軍が大戦後期に滑走路を建設して守備隊を置いていた。ロシア軍は日本軍が建設した滑走路跡を再生できないかと考えたようだ。
千島列島は全島が比較的若い火山島からなり、平地がほとんどない。特に中部千島は火山がそのまま海中から突き出しているような様相で、滑走路適地となるような平地はおろか上陸も困難な地形が支配している。そのなかで松輪島にはかろうじて滑走路を建設できそうな地積が存在した。松輪島はおおむね楕円形を成しており、北西側は火山が占めているが南東側には比較的緩やかな裾野がのびている。この緩斜面上におよそ1200メートルの滑走路が建設された。
しかし滑走路は建設されたものの、支援設備を建設するような後背地に乏しく、中継地あるいは不時着場、せいぜい少数の哨戒機基地程度にしか利用されなかったようだ。またこの付近の天候は航空機の活動に不向きで、夏季は濃霧が覆い、冬季は海流の影響で緯度のわりには温暖だが季節風が激しく仮設の建築物がしばしば破壊されるほどだったという。
それから、松輪島には輸送船が接岸あるいは停泊できるような湾入がほとんどなく、沖合いの雷公計(らいこけ)島との間に「大和湾」と呼ばれる泊地があったが「湾」とは名ばかりで風波が多少しのげる島影でしかない。本格的な補給のためには防波堤と桟橋を備えた港湾施設をまったく新規に建設する必要があるが、もちろん当時の日本にそんな余裕はなかった。

ロシア軍がオホーツク海を聖域化しようとするならば千島列島中部に監視拠点が必要になるが、実際のところ候補となり得るのは松輪島しかない。だからソ連時代にはこの島に守備隊が配置されていたのだが、ソ連崩壊後に撤退して長らく無人となっていたようだ。ロシア軍にどこまで投資するつもりがあるのか、つまりどの程度の規模の滑走路を建設するのか、また港湾設備を整備するのか、しばらく注視する必要があるが、三十一の個人的な予測では中継・監視拠点としての整備にとどまるのではないか。2000メートルにも満たない滑走路を建設するのがせいぜいの、さほど大きくもない島を大々的に開発するのはコストパフォーマンスが悪すぎる。どうしてもそうせざるを得ない理由があるならコストを度外視して(中国が南シナ海でやっているように)大工事に踏み切るだろうが、千島列島線の両端にあたるカムチャツカと南千島(択捉)に拠点はすでに建設済み、あるいは整備中であるから、これをつなぐ、あるいはギャップをふさぐ程度の機能があれば足りる。
そもそも松輪島の火山は最近もしばしば噴火を起こす活火山で、大規模な投資をするにはリスクが高すぎる。

大戦末期、日本軍は松輪島に7000人から9000人程度の守備隊を置いていたが、上陸してきたソ連軍に無抵抗で降伏した。縦深陣地を構築できる地積がなく、遅滞戦闘が可能な後背地もない孤立した小島では、優勢な敵に対してなすすべがなかっただろう。

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2016年12月27日 (火)

空飛ぶガスステーション

近頃話題の空中給油だが、ここで主なふたつの空中給油方式について説明しておく。そのなんたるかも理解していない言説があまりに目にあまり、まず基礎知識を得てから議論してほしいと思うからである。

ここではともに固定翼機である「給油機」と「受油機」がともに飛行しながら燃料を補給するケースについて考え、回転翼機(ヘリコプター)がホバリングしながらホースを吊り下げて艦船などから燃料を補給する方法は扱わない。

さてこうした空中給油には二つの方式がある。
・フライングブーム式
・プローブ・アンド・ドローグ式

フライングブーム式は主に米空軍が採用している方式で、航空自衛隊もこれに該当する。給油機から「フライングブーム」と呼ばれる給油パイプを伸ばし、これを受油機側の受油口(たいてい機体背部にある)に差し込んで給油するものである。
いっぽうのプローブ・アンド・ドローグ式は米海軍などで採用されている方式で、オスプレイの事故時の空中給油はこちらになる。給油機は、給油ホースを後方に流す。ホースの先端には「ドローグ」と呼ばれる漏斗状の受油口受けがついており、受油機は「プローブ」と呼ばれる受油口をドローグに突っ込んで給油を受ける。プローブは機首から長く突き出すか、あるいは引き込み式になっていて使用しないときは機首部に格納するようになっている。

フライングブーム式の特徴をまとめると、
・時間あたりの給油量が大きい
・受油機側は速度を合わせるくらいで特別な操作は不要
・給油機側に専用の機体と装備が必要
・給油機側にオペレーターが必要
・いちどに1機だけしか給油できない

プローブ・アンド・ドローグ式の場合は、この逆となる。特に受油機側は自らの操縦で自機のプローブをドローグに差し込まなければいけない。給油を受ける可能性があるすべての機体のパイロットがこの訓練を積む必要がある。
それでも米海軍がフライングブームではなくプローブ・アンド・ドローグ式を使い続けているのは、空母からの運用を想定しているからだ。原子力空母といえども搭載可能な機体数は限られるし、大きさにも限界がある。給油機のために専用機を用意しておく余裕はない。それに対してプローブ・アンド・ドローグ式なら増加タンクに巻き取り式ホースを取り付けた空中給油ポッドを懸吊すればどんな機体でも給油機になり得るのだ。今回のオスプレイの事故でも給油機は専用の空中給油機ではなく汎用輸送機 MC-130 に空中給油キットを搭載していたらしい。

なお、フライングブーム式の専用給油機でもプローブ・アンド・ドローグ式を併せ持つ、あるいは臨時搭載可能にしている機体は多い。米空軍のように専用の空中給油機をふんだんに用意できるならともかく、そうもいかない普通の国々にとってはプローブ・アンド・ドローグ方式のほうが汎用性が高いといえるだろう。このふたつの方式の間には互換性がないため、例えばもともと米海軍向けに開発された F-4 ファントム戦闘機を米空軍でも採用することになった場合は、フライングブーム式の受油口を追加するといった設計変更が必要になった。

空中給油の利点は飛行時間あるいは航続距離を伸ばすこと、とだけ考えるのは誤りで、それは現代では副次的な理由になっている。
たいていの機体で、最大離陸重量と最大重量の間には差がある。たとえば、一度浮いてしまえば50トンでも飛べる機体であっても、離陸時には40トン以下でないと飛び上がることができないということは普通のことだ。この場合、空中給油ができないとすると40トンでおさまる装備でしか作戦できない。つまり、武装か燃料のいずれか(あるいは両方)を削って40トン以下に収める必要がある。しかし給油ができるのであれば離陸時に燃料を全量搭載しておく必要はない。途中で補充できない武装はフル装備しておいて、そこそこの燃料で離陸した上で足りない分は空中給油すればよい。空中給油は作戦機の能力をフルに発揮させるためには非常に有効な手法と考えられている。「専守防衛だから空中給油は必要ない」というのは理由になっていないのだ。

# 「空飛ぶガスステーション」というのは空中給油機の愛称だが、実際にはいまどきガソリンを燃料とする軍用機はほとんど無い。ヘリコプターやプロペラ機も含めてタービンエンジンとするのが現在の趨勢で、軽油に近いジェット燃料が使用される。

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