2016年2月14日 (日)

「火星の人」/「オデッセイ」

この週末に映画を見に行こうと思っていたのだが、春の嵐が吹き荒れて出かけるのに躊躇してしまった。まだ風は強いようだが雨はやんだので思い切って出撃。

原作はハヤカワ文庫から出たときにすぐ買って、わりと早いうちに楽しく読み終えた。その後、原語版を Kindle で読み続けていて、そちらも読み終えたら感想を書こうと思っていたのだが、読み終える前に映画が公開されてしまった。
原作のあとがきで「映画化進行中」という情報を得たときには、正直言って不安しかなかった。この内容を映画の長さに収めるのは無理だろうと思ったのだ。もし無理やり詰め込もうとすると、似ても似つかない内容になってしまうだろう。この小説の真髄であるハードさが影を潜め、エンターテインメントが前面に出てしまっては台無しだ。

結論として、映画ではいくつかキーになるエピソードが省略されていたがストーリーのアウトラインは原作をほぼ踏襲していたようである。中国のロケットが救援用に使用されるようになった経緯と、火星と地球の連絡手段になっていたパスファインダーを壊してしまうくだりが省略されていた。それでも全体的に駆け足になってしまっている印象はぬぐえない。上映館を調べているときに目に入った感想に「わざわざ中国の力を借りなくてもいいのに」というのがあったが、そもそも現代の宇宙開発における中国の存在感の大きさを認識していない(ちなみに原作にも日本はまったく出てこない)のだろうけど、重力カタパルトのために地球近傍をフライバイする宇宙船エルメスに補給品を届けるためには並みのロケットではその速度に追いつけないということが映画の中でちゃんと説明されていないのが大きな原因のひとつだろう。とにかくこうした説明がされずに派手なエピソードをつぎはぎにした感が否めない。そういう意味では不安は的中したわけだ。三十一は原作を読んでいるから主人公やその他の登場人物のそれぞれの行動の理由づけがわかるが、予備知識なしに映画だけ見た人には消化不良だったのではなかろうか。

個人的には、テレビシリーズなどで十分時間を使ってドラマ化してほしい。特撮は多少チャチでもいいからさ。

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2014年12月19日 (金)

「インターステラー」

http://wwws.warnerbros.co.jp/interstellar/

上映スケジュールを調べようとして初めて3時間近く(169分)もある映画だと知りました。

これは SF というよりファンタジーだなあ。少なくともハードSFではない。
一度も姿を現さない「五次元人」がいないと成り立たないストーリーだ。まあこういう存在自体は「2001年」シリーズでも出てきたのでそれ自体が必ずしも反則とは言い切れないけれど。

はじめ、舞台は地球じゃないんじゃないかと思ったんだが、どうも近未来の地球らしいと確信したのはかなり過ぎてからだった。いかんなあ、この制作者は SF者の気持ちをわかってないよ。舞台が地球なのは当然だと思っていないか? SF者にはむしろ地球外惑星に移住した後の話という発想が自然に思い浮かぶのだが。

それから人類が絶滅に瀕していた理由が判然としない。気候変動だとは思うのだけど、それがどうして起きたのだろう。温暖化かなあ。気候変動の原因を取り除こうという試みはされなかったのかね。

もうひとつ、地球の重力30%増しの惑星からブースターも使わず着陸船ひとつで周回軌道まで脱出できるという現在の技術ではとても実現不可能なスーパー宇宙船を建造するだけのテクノロジーがあるのに、どうして地球から打ち上げられるときは少なくとも2段のロケットを必要とする現在とほとんど変わらないテクノロジーレベルになってしまうんだろう。あまりにアンバランスだ。特定の分野だけ突出して発展したとかいうわけじゃない、やってることは同じなのにね。

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2013年6月 6日 (木)

「彷徨える艦隊 外伝1」


あとがきによると敵側から見た記述というのは読者の要望らしい。

これは政治小説だなあ。

アライアンス側の体制がアメリカをモデルにしていると見るならば、シンディク側の体制はその対極にあるように描写されている。モデルはソ連か、ナチドイツか、それとも(作者が考える)戦前の日本か。こうした独裁強権体制は一見有効なようでいて、結局は最終的な勝利には結びつかない。真に強みを発揮するのはアメリカのような民主主義体制である、というアメリカ国民の信念(というか無邪気な思い込み)を未来の宇宙空間に翻案するとこうなるんだね。

おそらく今後の展開は、頭のてっぺんまでどっぷり強権体制に浸かって育ったシンディクの司令官階級にあった主人公ふたり(イケニとドレイコン)が本当の(ということはアメリカ式の)民主主義に目覚めていく過程が描かれていくんだろう。

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2013年3月 3日 (日)

「彷徨える艦隊8」


前にも(多分「ハルヒ」の感想で)書いたような気がするのだが、この種の長編を読むときには前巻のことを忘れてしまっていることが多い。執筆している方は、前巻を書き終えてすぐ続けて次の巻の執筆にとりかかるのだろうから、その間に時間的なギャップはない。しかし読むほうはそうはいかない。完結済みのシリーズをまとめて読むのでなければ、例えば一週間かけて一冊を読んでまた3ヶ月とか半年待つ、というサイクルになる。覚えられるか。ハヤカワ文庫では、登場人物の簡単な紹介が載っているのだが肩書きに毛が生えたくらいの説明しかないことが多い。

特にこの8巻では、登場民族(人物ではなく)が多すぎる。4ないし5(アライアンスとシンディックを同一と数えるかどうか)の異なる民族(あるいは人種)が登場しているが、本当にこれだけをいっぺんに出す必然性があったのかな。いや、自分の記憶力が衰えているのを他人のせいにしているわけではなイデスヨ?

ギアリー元帥の艦隊は、元帥が地球にいてもらっては困る誰かのために敵地深くに送りこまれていくつもの異星人と接触し、ときには戦闘しときには協調しながら地球への帰還を目指す。そういう意味では第一部と似た設定だなあ。

さて、この巻で三十一がもっとも印象に残ったのは無名下士官の次のセリフ。

"まともに仕事をするための時間は足りないのに、どうして、やりなおしのための時間はたっぷりあるんですか?"

はじめにちゃんと時間をかけることが結局は時間の節約になるということは、みんな理屈ではわかってるんだろうけどすぐ忘れちゃうんだよなあ。最近、三十一も同じようなことがあって身につまされる。

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2013年1月 8日 (火)

「月面の聖戦」


ジャック・キャンベルと言うと「彷徨える艦隊」の著者で知られているが、このシリーズは作者の出世作ということになるのかな。
実は、三十一が「彷徨える艦隊」を読み始める前に、すでに7巻まで進んでしまっている「彷徨える艦隊」シリーズを読み始めようかどうしようか悩んでいたころ、ちょうど刊行が始まったこの「月面の聖戦」をまず読んでみて、それで「彷徨える艦隊」を読むかどうか決めようという思惑があって読み始めたのだ。

で、三十一は1巻を読み終えてすぐに「彷徨える艦隊」を読み始めた。つまり気に入ったということですね。両方読んでみて思うのは、どっちかといえば「月面の聖戦」のほうがわかりやすいということ。「彷徨える艦隊」は設定から完全フィクションだが、「月面の聖戦」は月に進出したアメリカ軍という近未来設定で背景の説明が必要ない。
「彷徨える艦隊」のときから思っていたのだが、この作者はアメリカ人らしく、アメリカの民主主義というものに絶対的な信頼をおいているように思う。もちろん、民主主義国家にも問題は起こるけれど、最終的には民主主義によって正しい方向にものごとが進むようになると信じている。民主主義によるハッピーエンドを際だたせるために、大きな問題を起こしてみせるという展開は両作に共通だ。

本作は "ミリタリィSF" に分類されるようだが、実態は軍事を装った政治ドラマだ。クラウゼヴィッツは「戦争は外交の一形態」と述べたが、「軍事は政治のひとつの側面」なんだよ。

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2012年9月28日 (金)

「ブラックアウト」


名前は聞いたことがあるけれどこれまで実際に著作を読んだことはなかったコニー・ウィリスの新刊。本屋で見かけたときに何となく気分が SF だったのでうっかり買ってしまった。

第二次世界大戦下のロンドンへのタイムトラベルということで、単に SF であるというに限らず三十一ごのみのテーマだ。

書評では「さくさく読める」という評価が多く、実際三十一が読んでいても止まらずにどんどん読めていたのだが、それにしてもページ数が多かった。どんどん読めてしまうのだがいつまで立っても終わらない。終わりが読めないのに止められない、ということでなんだか賽の河原で石積みをしているような気分になった。ある種の拷問だ。ようやく読み終わったときには正直ほっとしたものだが、途中で我慢ができなくなってラストページをのぞいたときに「続編オールクリアに続く」とあるのを見つけて愕然としたよ。最後まで読んでも終わりじゃないのか。それでも読むのをやめられないのは恐ろしい。

もし三十一が本屋でみかけたときに、「ブラックアウト」と「オールクリア」がセットで、例えば上下巻でならんでいたとしたら買わなかったかもしれない。今となっては続きを読まないわけにはいかないから、「オールクリア」が出たら買うんだろうなあ。

ちなみに戦争描写は思ったほど多くないけれど、戦時下の市民生活というのがよくわかって興味深い。

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2012年8月26日 (日)

「彷徨える艦隊」


最近のミリタリーSFとしてはかなり評判が高い作品ではあったのだが、カバーイラストがサイバーパンクっぽかったので二の足を踏んでいた。実際に読み始めると一気に読み進めてしまった。現時点で7巻まで出ているが、二週間くらいで全部読んでしまいました。

「銀河英雄伝説」を楽しく読める人にはいいのかもしれない。でも実は微妙にテイストが違っている。銀河英雄伝説のほうには、独裁制にせよ民主制にせよ政治体制というものに対する不信感というか懐疑があるが、本作ではその運用はともかくとして民主制の理念そのものには疑問を持っていないように見えて、いかにもアメリカっぽい。キリスト教をそのまんまもってくることはさすがに避けて先祖崇拝という違った形を持ってきてはいるものの、全人類にとって普遍的な宗教をひとつ設定したというところもアメリカンだと思った。

ただ純粋にSFとして考えたときに、艦隊戦の描写は銀英伝よりリアリティが高い。光速度による情報伝達速度の限界と、相対論による情報の不確実性が戦術に大きな影響を及ぼしている。これは銀英伝ではほぼ完全に無視されていた要素だ。それだけ銀英伝のほうはとっつきやすくなっているので、どちらがよいという話ではない。どちらがよりSFかといえば、少なくとも艦隊戦に関していえば「彷徨える」のほうに軍配が上がるというだけのことだ。

もっとも、本作のキモは実はこうした描写よりも主人公であるギアリー大佐がある意味「タイムスリップ」してきた人間だという点にある。イフ戦記でありがちなのは未来から過去にタイムスリップして歴史上の知識をもとに戦勢をひっくり返すというものだが、過去から未来へのタイムスリップで果たして効果があるんだろうかという向きもあるかもしれない。けど三十一は意外にあるんじゃないかなという気がする。変なしがらみがなくなればそれだけで結構違った行動ができんじゃないのかなあ。

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2012年7月15日 (日)

「南極点のピアピア動画」


出た時にすぐ買ったけれど、読まないまま行方知れずになってしまい、最近買い直したといういわくつきの本。読む気にならなかったわけではなく、読み始めたらすぐに読んでしまうことがわかっていたので、逆に安心してつい後回しになってしまったものだ。

で、さすがに手をつけないとまずかろうと思って読み始めたところ案の定一日で読み終えてしまった。4本の短編を収録しているが、全部関連があるのでいわば連作集とでも言うべきだろう。

政府や既存の機構に頼らない民間活力に信頼して、技術を有効活用していくという一貫した楽観主義はあいからずの野尻節だ。三十一が最初にその野尻節の洗礼を受けた「ふわふわの泉」が最近ハヤカワから新装再版された。


もともとはファミ通文庫で出てたんだが絶版になって久しかったらしい。ファミ通文庫版ももちろんもっているが買ってしまったよ。「ピア動」を読まなきゃと思ったのはこれがきっかけだったりする。

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2012年4月25日 (水)

「NOVA7」


本の感想が溜まりまくってしょうがない。
「これは書かねば」と思っているものだけでも片手では足りないだろう。もう忘れてしまっているものまで含めるといくつあることやら。まあぼちぼち書きます。

以前予告したハヤカワ版SF傑作選

にはまだ手をつけていない。

話を「NOVA 7」に戻すと、なんと言っても一番楽しく読めたのは「土星人襲来」であろう。ほぼ真ん中あたりにあるこの短編のインパクトがあまりに強くて、これより前に読んだ作品の印象が薄くなってしまったくらいだ。「土星人襲来」の著者は増田俊也。同名異人ではなく、あの増田俊也である。三十一はかの話題作「木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか」を読んでいないが、名前だけは知っている。

この他に SF として面白く読めたのは、谷甲州「灼熱のヴィーナス」、藤田雅矢「植物標本集」、壁委ユカコ「ヒツギとイオリ」、片瀬二郎「サムライ・ポテト」あたりだろう。「植物標本集」は「冬至草」と、「サムライ・ポテト」は「逃げゆく物語の話」とちょっと似ている。

ところで、この本にも北野勇作が作品を寄せている。非常に評価の高い作家であり、三十一もその名前は知っていたが、これまでほとんど読んだことが無かった。最近、SF 短編集で続けて北野作品を読んで思ったのは、「オレには合わない」。面白くないとは言わないが、正直ピンと来なかった。これまで悩んだこともあったんだが、今後北野作品の長編を買うことはまずないだろう。短編集にはこういう効能もあるんですね。

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2012年3月22日 (木)

「逃げゆく物語の話」


ちょうど一月ほど前に「めんどくさい仕事が一段落して」なんて書いたが、最近はそれどころではないめんどくさい仕事が来襲してまったく余裕がなかった。物理的な忙しさという点ではこれよりも忙しい時もあったと思うが、プレッシャーが半端じゃなく精神的にかなり辛い状況だった。まだ終わったわけではないのだが、ようやく出口が見えてきてちょっとほっとしている。「事実は小説よりも奇なり」と言うが、現実はSFよりも不条理だ。

前巻(編者は特にどちらが先というわけではないと言っているが)がどちらかといえばテクノロジーに依拠した話を集めていたのに対し、こちらでは主に世界観を扱った話を集めている。とは言え、それほど明確な線引きがあるわけではない。結局は両方とも読むべき、ということかな。

収録されているのは12本。今回もはっきりした外れはなく、どの一編を抜き出したとしても楽しく読むことができる。この中には三十一にとっての既読はない。短編集の表題作になっていて名前なら知っているというのはいくつかあったけれども。やはり三十一はセカイ系よりもサイエンス系の話のほうが好きなのだろうか。そして今回も強いて特に面白かった話を挙げるとするなら、乙一「陽だまりの詩」、森岡浩之「光の王」、山本弘「闇が落ちる前に、もう一度」、石黒達昌「冬至草」、小林泰三「予め決定されている明日」、牧野修「逃げゆく物語の話」くらいだろうか。"強いて挙げた"ものが半分にもなってしまうというのもどうかと思うが、それだけレベルが高いということかな。

自分で列挙していて思いついたんだが、山本弘が「著者のことば」の中で

僕はこの手の「実はこの世界は虚構だった」という話が大好きなのです。

と言っているけれども、どうも三十一も同じらしい。

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